::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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Jlin “Akoma” (2024)



Akoma



 パーカッションによる緻密な構成を追及した、ミニマル・ビート・ミュージックの極点。

 シカゴのフットワークを独自に昇華させる Jlin が2015年の “Dark Energy”、2017年の “Black Origami” に次いでリリースした 3rdアルバム。
 このアルバムではコラボレーションがひとつの特徴となっている。M-1 “Borealis” では Björk、M-9 “Sodalite” では Kronos Quartet、M-11 “The Precision of Infinity” では Philip Glass が参加。コラボレーションといっても、Third Coast Percussion が演奏した “Perspective” のように Jlin のトラックを生楽器に置き換えたようなものとは違うアプローチで、3者ともに Jlin のサウンドと同等の扱いで曲の中に取り込まれていて、テイストはあくまでもいつも通りにドライで硬質。
 あふれるパーカッションを堪能するようなアルバムで、曲をリードする多種多様なパーカッションが、リズムラインだけでなくメロディラインをも担っている。微小な破裂音の細かいビートがあらゆる隙間を埋めて絶妙な計算で配置されていて、全体が前傾的なグルーヴにまとめあげられている。

 M-2 “Speed of Darkness”、M-5 “Open Canvas” のように多彩に展開する曲が試みられているところが過去のアルバムから特に進化した点だと思う。ビートを変化させ、緩急を入り混ぜて、でも疾走感が貫かれている。



Jlin
Information
  Birth name  Jerrilynn Patton
  OriginGary, Indiana, US
  Born1987
 
Links
  Officialhttps://www.jlintheinnovator.com/
    bandcamp  https://jlin.bandcamp.com/music
    SoundCloud  https://soundcloud.com/jlinnarlei
  Planet MuWarp  https://planet.mu/releases/akoma/

ASIN:B0CSJP6FWH


北田暁大 “実況中継・社会学 ──等価機能主義から学ぶ社会分析”



 社会学とは何か。
 世間では、時事批評をおこなうテレビのコメンテーターたちが「社会学者」として見られ、そのイメージが強く流布している。しかし彼らのいわば「コメンテーター社会学」は、実際の専門社会学とはかけ離れている。
 では、社会学とは何か。どうやれば社会学をやったと言えるのか。
 社会学のやり方には、たとえば物理学や経済学のように基礎理論として共有されるものがない。本書は「何をしたら社会学をやったと言えるのか」という方法・やり方を筆者の視点から整理したもの。

 社会学の対象は自然科学の対象とは異なり、分析者が用いる概念が社会を生きる人々の意味づけの実践に依拠し、そして新たな概念が対象の理解の仕方を変えてしまうという特徴がある(ループ効果)。そのような対象を分析する際のスタンスは「人々が知らない機能を暴き出す」というものにはならないはずだが、ではどうやって分析すればよいのか。
 これに対して本書が提示するのが等価機能主義による方法ということになる。

 テーマ自体は明快だし、語り口は平易だけど、内容は結構難しかった……。




 社会学とは

    • まず、社会学とは、
      • 社会問題とみなされうる事柄を、社会の成員が用いるカテゴリーや理由に着目しつつ、記述・分析し、社会問題の他なる解決法を指し示していく経験的科学である。

    • 社会学のおこなう社会分析の基本
      1. 社会学者は、分析の対象とする社会問題の「単位」と「全体」を、
      2. 人々のカテゴリー・行為タイプ運用から摘出するのと同時に、
      3. その運用が依拠している準拠問題を明示化しなくてはならない。そして、
      4. そうした相互行為のタイプ化は人々の実践(トークン)の観察から得られ、かつ実践により修正の可能性に開かれている。

    • 経験科学としての社会学の固有性
      • 社会学はどのようなやり方(方法論的な基軸)を用いるのか。
      • 社会学はいかなる意味で科学的であるか。(演繹的正当化と経験的実証性だけを科学と捉えるのは狭くとりすぎている)
  • これらに対して本書で提示するのが「等価機能主義


 機能的説明

    • 科学には機能的説明と因果的説明というふたつの説明様式がある。
      • 機能的説明:「ある部分xが、xを含む全体yに対して機能fを持つがゆえに存在する(fはyの存立に寄与する)」という説明の様式。因果的説明には還元されない有意味な比較をおこなうことが可能で、因果的説明では難しい「合理的理解」「比較可能性」といったメリットがある。

    • 機能主義が回避すべき3つのドグマ
        • 社会学が科学的説明として有効たりうるためには、これらのドグマを回避しなくてはならない。(マリノフスキー、ラドクリフ=ブラウンに対するマートンの批判)
      • 第1のドグマ:「社会の機能的統一の公準」:すべての文化的に標準化された活動や信念が全体としての社会に対して機能的であり、そこに生活する人々にとって一様に機能的である、と前提する社会理論
        • ある文化的項目が社会内部で生活する人々にとって一様に機能的である、ということはありそうもない。
      • 第2のドグマ:「機能主義が普遍的であるという公準」
        • 分析対象となった全体社会に存在するすべての文化的項目が(正の)機能を持つわけではない。社会に存在する何から何までが意味や機能を持つという前提から離れるべきである。
      • 第3のドグマ:「特定機能項目の不可欠性の公準」
        • 同一の項目が多様な機能を持つことがあるように、同一の機能が選択しうる諸項目のどれによってでも果たされうる。
    • 本書では、このマートンの基本的視座を持った理論を「等価機能主義」と呼ぶ。


 社会分析の対象

    • 等価機能主義における
      • 機能(function 関数)と
      • 項目(項)
    • のうち、社会分析の対象となる「項」は、一回限りの出来事の「トークン」ではなく、定型化された出来事の「タイプ」。
    • 社会学的機能主義の対象となるものは、さらに、社会を生きる人々にとっての目的や動機(志向性)と関連を持つものに限られる
    • 社会の規則
      • 自然科学の法則は、他の条件が等しければ違背されえないような法則だが、私たちの行為や発話の規則性といったものは、そうした意味での規則性ではない。
      • 意味的に構成され、理由によって正当化されうるように「従う/違背する」という実践が可能な規則が、私たちの生活世界を可能たらしめている。(違背したり、意味を問い返されるときに原因・理由にもとづく動機によって説明され得る)
      • 動機がある記述のもとで意図的といえるためには、志向的な語彙によって記述されなくてはならない。社会学が扱う行為や相互行為、出来事であるためには、志向性に関連させられるということが条件。
    • 単位と全体
      • 人間は自らの環境を(客観的な環境変化とは独立に)定義づけ、その自ら構築した環境のなかで自らの行為を方向付ける。(cf. ホーソン効果、マートン「予言の自己成就」)
      • 人々の漠然とした社会問題の把握 → 分析者によるカテゴリー化・定義 → そのカテゴリーの人々による使用 → 分析者のカテゴリー化の修正:ループ効果(ハッキング)
      • 分析対象の「単位」が「全体」とともに、準拠問題に即して、論理的に同時に決定される。
        単位を決めるということが単位によって構成され、単位を包摂する全体を決める
        このとき、この分析単位が「相互行為」であるというのが社会学のポイント


 準拠問題

    • 社会を分析する社会学者にとっての解くべき問題、社会を実際に生きる人々自身が解消されるべき問題として立てる問題:準拠問題
      • 社会の成員と社会の分析者との間に認識論的優劣はない。
    • 準拠集団ごとの「準拠問題-解決-機能的等価物」を考えるのが比較という作業
      • 他でありえた可能性:ある特定の観点から見た「準拠問題-解決」のセットが、メタレベルの準拠問題からすると他でありうる
    • 機能的説明のためには、準拠問題を比較するメタ準拠問題=社会理論が必要
      • この社会理論も人々の問題定立・解答に対して認識論的優位にあるわけではなく、理解可能性を担保する必要がある
  • ルーマン型機能主義では「社会システム論」を社会理論として採用する
      • 人々が自らの準拠問題を、先行する準拠問題・解答タイプ(構造)に基づき解決していくそのあり方(作動)を描くもの。システムの同一性は、人々の準拠問題に即してさまざまな水準を持つ(相互行為/組織/機能システム/全体社会)
      • 「比較」という目標で科学的説明を掲げるのであれば、個別の準拠問題のみならず、準拠問題を比較するためのメタ準拠問題を設定しなくてはならない。
      • 社会システム:人々の社会関係に焦点を当てて、複数の準拠問題・解答の意味的関連性を比較する参照点であり、それ自体特定のメカニズムと同一性を持つもの
    • 本書では、マートン型機能主義で採用する準拠集団論をルーマンにより補正し、合理性・道理性の連関に準拠したタイプの準拠集団論として採用


 等価機能主義の作業プロセス

    • 準拠問題
      • 機能が認められる項目を設定する(分析対象の設定)
      • それが解決のひとつになるような問題(準拠問題)を立てる
      • 人々の理解可能性・道理性との関連を観察する(動機・目的といった志向的概念との関連)←分析の単位と全体メカニズムの明示化
      • 準拠問題-解答のセットを特定化する(合理性判断の規準を明示)
    • 可能なる解答(他でありうる解答)
      • 機能的等価物(解決)の探索:等価性の範囲を画定し、準拠問題の別の解決(分析対象の機能的等価物)を探索する
    • 可能なる解答を比較するための新しい準拠問題の設定
      • 機能的に等価な異なる準拠問題を立てて、これらの準拠問題に関して先の機能的等価物同士を比較する
  • 可能なる解答の考察を反復

 


 

Lost Souls Of Saturn “Reality” (2024)



Realization


 デトロイトの Seth Troxler とニューヨークの Phil Moffa によるユニットの5年ぶりの2ndアルバム。全8曲、45分。
 強弱併せ持つビートでうねるグルーヴにコズミックなシンセ・サウンド、そこにトランペット、ギター、シタールといった生楽器、そしてヴォーカルがゲスト・ミュージシャンによって添えられる。
 アルバムの頂点は Lvv Gvn の流麗なヴォーカルをフィーチャーした M-5 “Click”。その他、ホーンを伴うダブ・サウンド M-2 “Scram City”、ノイジーで不穏な M-6 “Metro Cafe”、Adam Ohr が印象的なフレーズを繰り返す M-7 “Mirage” など。
 それなりに変化のある曲構成だけど、曲間がシームレスなこともあって、全体としてエレクトロニック・ミュージックの上質なアルバムにまとまっている。



Lost Souls Of Saturn
Information
  Years active  2017 -
  Current members  Seth Troxler, Phil Moffa
 
Links
  Officialhttps://lostsoulsofsaturn.com/
    bandcamp  https://lostsoulsofsaturn.bandcamp.com/album/reality
    instagramhttps://www.instagram.com/lostsoulsofsaturn/
  LabelHoloverse Research Labs  https://holoverseresearchlabs.bandcamp.com/

ASIN:B0CS6YBB9G


遠藤健一 “物語論序説 〈私〉の物語と物語の〈私〉”



物語論 (ナラトロジー) の主たる流れに従って、非言語的な物語より言語的な物語を対象としており、なかでも特に 「一人称の物語テクスト」(物語論の用語で言うと 「等質物語世界的物語テクスト」) を扱う。
部分的には、エクフラシスというかたちで絵画に関連する物語も扱われている。
全6章+補論から成り、1〜3章が理論編、4章〜6章と補論が実践編。

  • ポイント
      • 語るということは、物語る世界の外側に立つことに他ならない。
      • 語るということは、「語る〈私〉」(=潜在的な一人称の語り手) を不可欠に伴うことになる。
      • どの登場人物の視点が語りのパースペクティブを方向づけているのかという問題と語り手は誰なのかという問題はまったく別であり、区別すべきである。

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2023年のアルバム10枚


2023年に銘記しておくアルバム10枚。順不同。



 Aunty Rayzor “Viral Wreckage” 〈Hip Hop〉

Never
アフロビートで繰り出される英語/ヨルバ語のラップ。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2023/09/18/210418
 

 Noname “Sundial” 〈Hip Hop〉

boomboom [Explicit]
今年かなり聴いた。社会問題に意識的なシカゴの詩人/ラッパー。それだけに Jay Electronica の参加曲があるのが残念なところで、実際、本人の反応も含めて物議を醸した。
一方で $ilkMoney/billy woods/STOUT との M-10 “gospel?” や Common/Ayoni との M-11 “oblivion” などはコラボレーションとして順当な良曲だし──総合的に見ると何とも危ういバランスのアルバム。
 

 Kelela “Raven” 〈Pop / R&B〉

Raven
黒人/女性/クィアであるとはどのようなことかを思考しながらR&Bとエレクトロニック・ミュージックを融合させたアルバム。
M-7 “Contact” の浮遊感が崇高。
 

 a.s.o “a.s.o” 〈Electronica / Trip Hop〉

a.s.o.
4ADライクでアンニュイ/ドリーミーなトリップホップ。
M-3 “Rain Down”、M-5 “Love in the Darkness” など。
 

 Tirzah “trip9love...???” 〈Electronica / Pop〉

No Limit
低音の歌声とピアノ、歪んだ粗い仕上がりの音響。
M-3 “u all the time”。
 

 Sleaford Mods “UK GRIM” 〈Post Punk〉

UK GRIM [輸入盤CD] (RT0391CD)_1692
UKワーキング・クラスのアティチュードで突進するポストパンク。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2023/03/26/194730
 

 Squid “O Monolith” 〈Post Punk / Rock〉

O Monolith
Warp からのリリース。Tortoise の John McEntire によるミキシング。
M-1 “Swing (In a Dream)” の導入部がとてもよい。あとは M-5 “The Blades”、M-7 “Green Light” とか。
 

 H31R “HeadSpace” 〈Experimental / Electronica / Hip Hop〉

HeadSpace [Explicit]
プロデューサー JWords とラッパー Maassai によるブルックリンを拠点とするユニット。
エレクトロニックだけどパーカッシブなトラックと、抑えたラップ。

 Loraine James “Gentle Confrontation” 〈Experimental / Electronica〉

Gentle Confrontation
Hyperdub からのリリース。Black Midi の Morgan Simpson による生ドラムと共演する M-7 “I DM U” が秀逸。
 

 Nondi_ “Flood City Trax” 〈Experimental / Electronica〉

Flood City Trax
先鋭性がある。実験的ジューク/フットワーク。
特に M-3 “Sun Juke”、M-6 “01-25-2022”。
 


 

“大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ” 2023.11.01. - 2023.12.25.



大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ
 国立新美術館




 国立新美術館で開催。
 ここは多数の展示室を持つ巨大な美術館なのでいつも雑多な展示をやっているイメージがあるけど、ちょうど日展とイヴ・サン・ローラン展も開催されていて、脈絡のなさがいつにも増して際立っていた。それぞれを訪れる客層がけっこう違っていたと思うのだが、そうした人々が雑然と混合して1階のロビーとカフェに溢れている状態がわりとカオスだった。

 目玉は最初に待ち構える《Gravity and Grace》と、暗闇の部屋で展開される《Liminal Air Space》で、どちらもアートスペースの大きさを活かしたインスタレーション。
 最近は美術館での写真撮影も認められることが多くなってきていて、この展覧会も全面的に撮影可だった。《Gravity and Grace》も写真を撮る人が目立っていたけれど、写真を媒体に体験共有が広がることは意義があると思う。一方、《Liminal Air Space》は写真が撮りづらい作品なので、現地で体験しないとなかなかわからない価値がある。
 この展覧会は無料なので、他の展示を見に来た客がついでに覗いていきやすい閾の低さがあるが、そうした偶然的な観客も含めて「おもしろいものを見た」という声と写真が拡散して集客性が働きそうな仕組みが成り立っている気がする。

 大巻伸嗣(1971年岐阜県生、神奈川県在住)は、「存在するとはいかなることか」という問いを掲げ、身体の感覚を揺さぶるような大規模なインスタレーションを創り出してきた現代美術家です。大巻は、そうしたスケールの大きな創作を、日本はもとより、アジアやヨーロッパなど世界各国で発表し、高い評価を得てきました。また、地域を活性化するアート・プロジェクトから舞台芸術まで、多くの人々と協働して空間を変容させるさまざまな現場でも比類のない資質を発揮しています。[ … ]
 本展覧会は、国立新美術館で最大の、天井高8m、2000m²にも及ぶ展示室をダイナミックに使って開催されます。この広大な空間でなければ展示できないインスタレーションは、観客の身体的な感覚と強く響き合い、細分化した世界に生きる私たちが失った総合的な生の感覚を喚起することでしょう。展示には、映像や音響、そして詩も用いられるほか、会場内でのパフォーマンスも予定されています。大巻が創り出す、現代の総合芸術をお楽しみいただければ幸いです。
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ 企画展 国立新美術館



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《Gravity and Grace》
 光と影を投げかける巨大な花瓶。透過する花柄模様でできていて、本来想定される中身が器に投影されているような図式。
 天井の高さ、部屋の幅・奥行きのサイズ感・プロポーションがしっくりくる。


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《Liminal Air Space》
 微かな月明かりを浴びて浜辺へ打ち寄せる波。
 暗闇のなかで黙って波を眺めるという体験をまわりの観客と共有することまでが作品の一部となっている。


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《Linear Fluctuation》
小さな細長い廊下の左右に連続する絵と正面突き当たりの一枚。
横方向が強調される画面構成とさまざまな色彩が、次のパートへつながる予兆として作用している。


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《Rustle of Existence》
テクストはない方がいいと思ったけど、視野いっぱいのスクリーンを森林が埋め尽くす映像はよかった。


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《影向の家》のためのドローイング
越後妻有アートトリエンナーレ2015で発表された《影向の家》のためのドローイング。





 

“ザ・クリエイター/創造者”






“The Creator”
 Director : Gareth Edwards
 US, 2023


 AIとの戦争が続く近未来を舞台にした物語で、『ローグ・ワン』の監督ギャレス・エドワーズによるSF映画。

 まず、冒頭で出てくる軌道要塞 USS NOMAD の造形と地上をスキャンする独特のムーブメントにやられた。
 それから、スキャニングの光に先導されながら輸送機が侵攻するときに Radiohead の “Everything In Its Right Place” がかかるシーンも、あぁ、いまSF映画を見ているんだ…ということを強く実感させられる。なぜいまこの曲…?と思いつつ、センスなのか単なる好みなのか、とにかく意志をもって選曲しているというのが伝わって、気分が盛り上がる。航空機による小部隊の敵地侵入シーンにこの系統の曲って、意外な組み合わせだけどとても良い。
 その後のロードムービー的展開では、東南アジアの日常風景のなかにロボットや乗り物や機械的な巨大構造物が自然に溶け込んでいる様子が Simon Stålenhag とか Jakub Rozalsk のイラストみたいなテイストだったりして、とにかくSF的な絵が延々と続いていく贅沢な映画。
 後半で出る山岳地帯の寺院などは、ひとつの絵として、いまある数多の漫画やアニメを含めたなかで見てもトップクラスだと感じた。

 アジア要素の強調は、日本語がフィーチャーされるディスプレイ表示や街頭の広告物、映画テロップなどにも現れていて、際どくチープな印象もあるんだけど『ブレードランナー』のただしい踏襲と受け取るべきなのかもしれない。実際、アジアの猥雑な近未来都市を舞台に、身体も精神も人間と見紛う “シミュラント” を据えたストーリーという点では『ブレードランナー』を現代的に刷新したような感じもある。異種同士の主人公ペア、常に空中で存在感を放つ浮遊構造物といった要素からは『第9地区』を思い起こすものがあるし、“Alpha O” が封印されているところは『AKIRA』のようだし……といったように、過去のSF映画から影響を受けている節が随所に見える。あとは、Nirmataの探求、米軍の蹂躙とかは『地獄の黙示録』か。

 ストーリー自体はシンプルだけど、それでいて「天国」だとか「オン/オフ」だとかのキーワードの扱い方がそれぞれ構成的に整理されてるし、死の直後の脳をスキャンするというイーガン作品にも出てくるような装置と寄付された分身のシミュラントというものを伏線にして最後のシーンにつながる──という組み立て方もよくできている。
 最後なんかいかにも『ローグ・ワン』撮った監督だな…っていう感じではあるんだけど、でも自分としては『ローグ・ワン』好きだし、この映画の終わり方にもすっかり満足してしまった。



 

IMDb : https://www.imdb.com/title/tt11858890/






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell