イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

忘却バッテリー:第3話『だから、なんだ』感想ツイートまとめ

 忘却バッテリー 第3話を見る。
 前回ややピリ付いた空気纏って動き出した、小手指一年五人組。
 強面剥いでみれば年相応のクソボケぼんくら男子高校生なわけで、そこら辺のおバカっぷりをたっぷり堪能できるギャグ濃いめなエピソード。
 …から、高校球児の概念存在、強豪・帝徳の国都くんに引きずられ、初の試合形式怪物ピッチャー一発ズドンまで、一気に走っていく回となった。
 宮野がボケて梶が突っ込む、高校生サイドの笑いの作り方はいつもどおりにパワフルなんだが、金尾がボケて杉田が突っ込む、帝徳大人サイドの”二発目”が程よく緩んだ腹筋に、深く刺さった。
 『監督ッ!』のバリエーションだけで笑わせるのズルいな…。

 

 

 前半は汗臭さを抑え笑いを山盛りにした、みんな大好きおバカ男子高校生の朗らかな日常。
 トゲトゲツッパってるフリして、野球は楽しいから大好きで、それを一緒にやってくれる仲間も大事で、皆ピュアないい子だよ! つうのが、前回の補足として良く効いてる回である。
 藤堂も千早も、生真面目な強者ッ面一枚剥げば等身大の野球少年…つうかフツーの高校生よりピュアピュア夢追い人なわけで、距離縮めようと一生懸命な圭ちゃんの笑えるから周りに乗っかって、彼らの”純”が上手く滲んでいた。
 このお話の子ども達、皆かわいいから好き。
 そこら辺の純粋さを、ちゃんと見抜いて言語がする山田太郎のありがたみは、ギャグ回でも強い。

 正直原作だとややエグみとクドさがあるパートなんだが、アニメは声優の熱演と後退のネジを外したパロディ山盛りで塩梅を整え、勢いよく啜り込める仕上がりになっていた。
 笑いのさじ加減は本当に難しいと思うけど、アニメ化にあたりちょうどいいテンポと温度、勢いと味付けでもってまとめてくれて、素直に笑えるのはありがたい。
 笑って緩んだ腹筋に、『あ、この子ら活きてるな。好きだな』という印象がぶっ刺さっていくわけで、スポ根ドラマに視聴者をノセる上でも、ギャグが想定通りドッカンドッカン爆発するってのは大事なのだ。
 圭ちゃんママのイヤっぷりとかも、過剰にならない絶妙さでコスってくれて、大変良かった。

 

 

このお話、楽しい遊びとしての野球の原点と、そこから切磋琢磨と過当競争を経て、残酷に優劣が決まる競技としての野球が、ネタの薄皮の奥みっちり詰まった話である。
 小っ恥ずかしい青春っぷりで、捨てたはずのグラブをワクワク手に取り、キャッチボールにウキウキする復活の二遊間は、野球と出会った頃の純粋さを幸せに取り戻している。
 ここら辺の真っ直ぐさを程よくコスり、笑いの火種にして楽しく生かす手際もまた良い感じなのだが、ミジンコ都立で野球人生再スタートを切った負け犬たちは、野球を楽しめる自分を、笑いながら取り返しつつある。

 だが彼らの才能は彼らを勝たせてしまって、勝敗が乗れば楽しいだけでは終わらない。
 圭ちゃんが愛されること、嫌われないことにしがみついている様子は、この段階では無様な笑いの種であるけども、話が軌道に乗って持ち前のシリアスさを顕にした後アニメで見返すと、なかなか笑えない。
 負けた相手を殺して恨まれ、その痛みを忘れるために勝つ機械に自分を作り変えて、おバカな甘えん坊な本性が消えてなくなるまで、鍛えて鍛えて鍛え倒した。
 そんな智将のあり方がぶっ壊れた後、ブツクサ文句言いつつ野球の楽しさを一個ずつ学び直している圭ちゃんは、何も覚えていないはずなのに嫌われること、恨まれることを極端に怖がる。

 野球をやって楽しくて、お互いを好きになってそれで終わり。
 幼く無邪気な遊びの夢は、殺した相手の名前を覚えていない葉流火の残酷が軋轢を生む中で、土足で踏みにじられていく。
 葉流火をそういう存在に作ってしまったのもかつての圭ちゃんだし、敬意と愛情を置き去りに結果だけを求める戦い方に殺されて、一人相棒を置き去りに原点に戻ってしまったのも圭ちゃんだ。
 要圭が野球のエグい部分、全部背負ってくれたから成立していた、残酷で傲慢なピッチングマシーンは今、支え導いてくれる存在を失ったまま一人、最悪最強なエースとして立ちすくんでいる。
 そのシリアスな孤独のヤバさを、自覚できるほど葉流火の人格は成熟しておらず、それはある意味”智将”の檻が彼の幼さを守った結果だ。

 思春期の柔らかな心が受け止めるには、あまりに残酷なスコアボードの毒薬。
 それが人間を壊す様が実に多彩で絢爛で、ある種のカタルシスすら孕んでいる事実を、楽しくおバカなこのお話は鋭く睨みつけている。
 野球をやり続けていれば、競技と向き合っていけば、否応なくその毒を飲んで大人になり、あるいは毒に殺されて野球をやめ、あるいは何もかも忘れて無邪気な子どもに戻っていく。

 

 そんな残酷を笑いの中に照らしつつ、しかしそればっかりが野球の全部じゃないとも、このお話は描く。
 気の合う仲間とバカやって、上手くなるのが楽しくて、キツイ練習くぐり抜けて、チームがチームになっていく。
 どんだけ殺されても消えてくれない、”好き”と”楽しい”をオイルに込めて、閉じ込めていたグラブを優しく撫でる瞬間は、確かに野球の一部なのだ。
 子ども達を野球に惹きつけた”好き”と”楽しい”が、ひどく寿命の短い輝きで、それで何もかんも乗り越えていけるほど、本気の勝ち負けは優しくはないけども。
 その厳しさに一度倒れ伏して、何もかも忘れるほどに傷ついてなお、野球に出会い直しもう一度動き出してしまう子ども達で、小手指野球部は構成されている。
 いやまぁ、ゴミみてーな先輩とかモブ顔とかもいるけど…でもアイツラだって、圭ちゃん達との出会いを通じて彼らなりの”野球”をしだすんだよマジ!!

 極めて残酷に的確に、才能の有無とそれで刻まれる結果が、”好き”と”楽しい”を殺しに来る世界。
 そこでガキっぽく『野球が好き!』とか言ってるの、現実見てない恥ずかしさが確かにあって、バカ高校生達の真っ直ぐさをコスって笑いを作るスタイルは、そういうシニカルを作品内部にまくりこむ。

 ああ、こんなに残酷な世界で何かを本気で好きなの、確かに恥ずかしいよね。
 ガキっぽいよね。
 でも、それが良いんじゃないか。
 そうさせてくれるから、野球って凄いんじゃないか。

 時に笑えすらする熱血を、シニカルに上から嘲笑ってハイ終わりではなく、そんな世間の賢い目線に笑いで同調したフリで重なり、ドラマで殴る。
 アニメで改めて、矢継ぎ早に突っ込まれるおバカ男子高校生ギャグを見ていると、作品が選んだ物語の戦術を腹に落とせる感じがあった。
 こういう風に、お話と出会い直して改めて顔を見つめる体験が出来るのが、僕が”アニメ化”に一番求めることで…つまり忘却バッテリーのアニメは、いいアニメだってことだろう。

 

 野球の残酷さに噛み殺されず、強豪校でガチる道を選べた勝者達が、帝徳には集う。
 監督はちょっと…イヤ大分ヤバい感じの人だが、野球で勝つことと負けること、その歯車に子ども達が巻き込まれることに、作中随一の誠実さで向き合ってくれる存在だ。
 野球は、少年たちを殺す。
 そんな当たり前の毒を飲み干し、それでもなおエリートなり、エリートだからこそ野球が好きで楽しくて、魂を引きちぎられる痛みを噛み締めて戦う者たちを率いて、彼は監督をやっている。
 大人の指導者なし、恵まれた練習環境なし、課せられた責務なし。
 どん底だからこそ楽しさの原点に戻れる小手指と、礼儀で殴るスタイルを当然身に着けている帝徳は、鏡合わせの双子だ。

 シリアスに描いたらあまりに重たく凶暴になってしまう、人生を野球に賭ける意味にクッションをかけるべく、この練習試合はギャグ濃いめでスルッと入った感じでもあるな。
 そしてバズーカみたいな音立てた葉流火の初球は、そういう柔らかさを引っ剥がす。
 葉流火の才能は否応なく彼を勝たせてしまうし、対手を否応なく負けさせてしまう。
 清峰葉流火が清峰葉流火である限り、野球の残酷さも真剣さも、彼を逃さない。

 だが、野球は清峰葉流火だけでやるものではなく、清峰葉流火だけがやっているものでもない。
 彼が負かし忘れた、忘れていいよと誰かに言ってもらった敗者たちも、屈辱を噛み締め血が滲む努力を積み上げ、自分だけの”好き”と”楽しい”にしがみつくべく、ゲロ吐きながら練習しているのだ。
 それを思い知ってもらわなきゃ、野球ガチってる甲斐がない。
 国都と帝徳の怒りは、コミカルに彩られているものの正統で苛烈だ。そらー、まーね…。

 

 

 運命に流され、ミジンコ都立に集ってしまった最強つよつよ一年生は果たして、即席チームでどれだけ強豪に噛みつけるのか。
 その付け焼き刃を跳ね除け、野球を選び野球に選ばれた強者達が、高校球児のスタンダードの生き様を見せつけるか。
 肩の力を抜いて心底笑える日常が終わり、初の練習試合にシリアスな熱が入っていく。
 勝って負けても笑えねぇ、傷ついてなお続けるしかねぇ。
 ダイヤモンドの祝福と呪いが、どんな輝きを放つか。

 次回そこらへん、このアニメがどう描いてくるか。
 とても楽しみ。
 プレイの作画が全体的に良いので、それメインに持って来た時どんだけ作品全体がアガるかってのも、見ておきたいんよな

夜のクラゲは泳げない:第3話『渡瀬キウイ』感想

 激ヤバドルオタお嬢様を仲間に加えたJELEEだが、世間にうって出るにはまだコマが足りない……。
 なら動画作成に強い現役クリエーターだッ! てんで、頭ピンクのキウイちゃんに白羽の矢が立つ、ヨルクラ第3話である。

 第1話はまひると花音、第2話は花音とめいに焦点を合わせて展開したわけだが、今回はJELEE最後の一人となるキウイちゃんにフォーカスして、幼馴染とガッツリ噛ませて仲間に引き込むまでを描く回となった。
 第1話においては自由な悪魔を羨ましそうに見上げる側だったまひるが、花音やめいと出会って自分らしい創作活動に踏み出したことで力を取り戻し、嘘っぱちの影に沈み込んでいた彼女のヒーローを、新しい場所へと引っ張り上げる様子は、出会いが生み出すポジティブな力を感じれてとても良い。
 ”竜ヶ崎ノクス”という偽りの名前で、登校拒否児である現状を覆い隠していた偽りのヒーローが、彼女がいればこそ最高になったJELEEデビュー曲”最高ガール”に愛と友情を乗せて、堂々四人で何かを作り上げる手応えも、荒波かき分け生きていく頼もしさに満ちている。

 絵画、歌唱、作曲、動画編集。
 色んなジャンルのアートが一まとまりにぶつかって、JELEEという新たなアイデンティティを生み出していく気持ちよさも濃くて、多彩な才能と表現が自分たちだけの価値になっていく清々しさを、たっぷり味わうことが出来た。
 花音が見つけ信じたヨルのアートが、まひるの曲がっていた背中を伸ばして力を与え、解釈違いを乗り越えののたんLOVEを蘇らせためいが曲を生み出し、そこにキウイちゃんの編集技術が命を吹き込む。
 色んな人の力が結集しなきゃ生まれないMVという表現形態に、誰かに本当の自分を殺され、名前を奪われていたクラゲ達の魂がしっかり集まって、何かが始まり動き出す。
 出会い支え合えばこそ生まれていく、クソみてーな世界に負けない強さが熱く滾っている様子が、一度関係を壊し結び直した幼馴染コンビの絆から感じられて、見ててメチャクチャ元気になる回だった。
 第1話では蓄光性の輝き窃盗生物だと、自分を卑下していたまひるだけども、オメーが必死にダチのために藻掻いて踊ったことで、悪堕ちしかけてたヒーローだって力と名前を取り戻していけるのだ。
 薄暗いヨル(ラテン語でNox)にだって、輝くものは確かにあるのだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 というわけでVRの鎧、生徒会長という嘘で覆い隠しているもの、キウイちゃんのリアルは大分暗い。
 性別を超越した世界でガッツリ稼ぎ、名声を得ている”竜ヶ崎ノクス”の無敵っぷりは、現実世界の自分に背を向け閉じこもる逃避癖と、いつでも背中合わせだ。
 三話にして切開されていくキウイちゃんの薄暗さは、新しい仲間とともに青春リスタートをキメたまひるの明るい充実っぷりと対照をなし、幼馴染のはずなのにどっか遠い場所に流れ着いてしまった、クラゲのような少女たちの姿をシビアに照らす。
 文字通りお山の大将として、高くて危うい場所にふんぞり返っていた幼い自分が、高校デビュー失敗とともに地面に落ちた痛みを、ひた隠しにすることでキウイちゃんはまひるのヒーローを継続できている。
 かつて自分を見上げてくれた幼馴染の、視線を逃げ込んだ先でも維持しているようなヒーロー・アバターを、キウイちゃんは花音たちと出会う時も引き剥がせない。
 ”竜ヶ崎ノクス”でいることで、ギリギリ彼女は強い自分でいられるのだ。

 この軋みを通話越し、たしかにまひるは(まひるだけが)なんとなく感じ取っていて、ナイスな仲間ができたとニッコニッコな花音&めいちゃんとは、少し違う視線で画面を睨んでいる。
 形は変わっても確かに繋がっていて、でも画面の奥にある嘘を見抜けはしない微妙な距離感が、まひるがヨルに戻りかけていることで変容していることを、無自覚ながら感じ取っている気配。
 それがキウイちゃんの健気な強がり、必死な嘘の奥チリチリと発火していて、なかなか緊張感のある絵面だった。
 目的なくダラケていた第1話より、この第3話のまひるはやるべきことを見出して、活力に満ちているように思える。
 キウイちゃんもVtuber活動こそが自分の居場所だと、胸をはれているならそれも良い青春なんだろうけど、ヒーローの御神体で必死に守った自分の居場所には、どこか危うさと苛立ちが軋んでいるようにも思える。

 

 導火線に火が付くのは、子どもが好むジャンクなお菓子が底をついて、薄暗い部屋の向こう側へと進み出さなきゃいけない瞬間だ。
 ラップに包まれたサンドウィッチと、置き去りにされた千円札。
 学校という社会に自分をうまく接合できなくなり、苦しんでいる我が子に家族がどういう態度でいるのか、短いカットながら良く伝わる痛ましい描写の後に、無敵なはずのキウイ=ノクスは地獄に直面する。
 唯一の友達より高い場所に立つために、付いた嘘をもう引っ込めることも出来ぬまま、学校に戻ることも出来ないまま、蛍光色のフードとグレーのマスクで自分を守ってる女の子は、扉の向こう側に拡がる闇に立ちすくむ。
 それが、自称無敵のヒーローの現在地だ。

 僕は今回のエピソード、キウイちゃんが学校に戻るでもVtuberを辞めるでもなく、”竜ヶ崎ノクス”のまんまJELEEに入るのがスゲー良いな、と思う。
 自分を置き去りに皆が大人に近づき、着飾った女の装いでヒーローごっこの衣装を投げ捨てる流れに、乗り切れず置き去りにされて選んだ居場所で、キウイちゃんはしっかり成功した。
 逃避で選んだ嘘っぱちだったとしても、新たに選んだヒーローネームに相応しい強さと華やかさは、電脳空間で確かに花開いている。
 Vtuberという新しい仕事を必死に頑張ったからこそ、スパチャでたっぷりお菓子も買えるし、JELEEに必要な編集技術を手渡して、彼らのアートをより良くすることだって出来る。
 まひるが最終的にたどり着く、幼馴染のヒロイズムを先取りするように、どんだけ苦しかろうと逃げていようと、”竜ヶ崎ノクス”が嘘っぱちなんかじゃないのだと物語が告げているのは、とても良いなと思うのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 ひょんなことから暴かれた嘘から溢れ出す痛みに、耐えかねてまひるとの絆を断ち切ってしまったキウイちゃんは、これまでで一番濃い闇に自分を沈める。
 世界で一番高い場所で、ヒーロー幻想に溺れる今までのやり方がダダ滑りし、クラスに馴染めぬまま逃げ出した過去にどう向き合えばいいのか、わからないまま蛍光グリーンのクラゲは、夜の街に逃げ出していく。
 キウイちゃんがドヤ顔で差し出す、彼女なりの”好き”をガキっぽい異物と拒むクラスメートが、年頃の女の子なら当然読んでいるべきティーン誌を新たなバイブルと抱えていたり、暴走したキウイちゃんが一番拒絶反応を示すのが、チンピラの好色な視線なのが、かなり痛いなと感じた。
 ”女”なるものとして誰かに求められ、それに相応しい装束や行いをするものなのだと、勝手に世の中が決めて生まれる大きな流れに、ずっとヒーローでいたかったキウイちゃんは乗っかれなかった。
 そこでまひるみたいに量産型を目指し、”好き”を諦めたフリで自分を守る道だってあったわけだが、彼女はそれを選べなかったのだ。

 周りの連中が当然と飲み干す、性的成熟を当然とする新種のコミュニケーションが、キウイちゃんには不自然で恐ろしいものと写り、怖くて怖くて逃げ出した。
 それを大人になれない情けなさだとか、当然を受け入れられない空気の読めなさと切り捨てるのは、どうしても僕には出来ない。
 自分がどんな存在であるのか、決める自由が当然子ども達には用意されるべきで、その範疇は勿論、性成熟にも及ぶ。(『成熟しない、選ばれない』と選ぶことも含めて)
 女性名詞のHeroineではなく男性名詞のHeroであり続けることを望んだキウイちゃんは、女という鋳型にはめ込まれて自分の大事な部分が切り落とされる辛さを、教室を満たす窒息生の流れから感じ取って、誰でもない誰かになれる電脳空間で、ようやく息が出来たのだと思う。

 

 そのヒロイックな深海は、まひると一緒に笑えた過去と確かに繋がっていて、逃げて逃げて痛みにうずくまってたどり着いたのは、新しく輝き直した夜のクラゲの足元だ。
 そこにしかもう居場所がないと、苛立ちとともに刹那的消費を連打し、過剰な武装で尖った課金アバターに警告喰らいながら、携帯電話の中の嘘っぱちはキウイちゃんを満たして/癒やしてくれない。
 自分が眩しく輝いて、照らしてあげるはずだった彼女のヒロインは、うずくまったままの自分を追い抜かして、どっか遠い場所で輝き直している。
 たった一人では輝けない夜のクラゲの一人として、とても苦しい時間を過ごすキウイちゃんにとって、黄金色の思い出だけがギリギリ、自分の形を保つ切り札だ。

 その思い出も、嘘がバレて壊れてしまった。
 弱さ故に向き合えず、自分で命綱を断ち切ってしまった。
 そんな痛ましいクラゲ少女の姿は、携帯電話の中の思い出をかき消した先週のめいちゃんとか、うずくまって何かが起こるのを待ってた先々週のまひるとか、後にJELEEとなっていく同志と、良く似ている。
 何者かでありたいのにそれを許されず、窒息性の”当たり前”を押し付けてくる大きな流れにも乗っかれず、喉の奥で大きな叫び声が、世界に向けて飛び出すのを待っているような、そんな夜。
 そこに一人きりで漂うのは、とても痛くて辛くて、耐え難いことだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『ならおんなじ痛みを知ってる夜の住人が、必死こいてエールを踊って届けて、暗い場所から引っ張り上げてやるしかねーだろーがッ!』という僕の願いを、既に”ヨル”としてのアイデンティティを取り戻した光月まひるはしっかり叶えてくれる。
 トンチキ無様に見える踊りを、ここにはいない誰かのために必死にやりきって、彼女だけのアマテラスを岩戸から出そうとするまひるの強さと優しさは、メチャクチャ胸に迫った。
 この奮戦が功を奏して、JELEEはデビュー楽曲”最強ガール”を世間にぶちかます力を得ていくわけだが、リアルとウェッブに優劣なく、様々な表現が確かに力を持ちうること、そのためには誰かのために作り届ける真心が大切なことを、身体を使った歌と踊りが先んじて語っている。
 ヨルが描きノクスが動かしたJELEEちゃんのダンスは実体を持たないが、夜に一人きりのどっかの誰かの心に確かに届いて、花音が思い出した『誰も置いていかない』という理念を形にしていくだろう。
 そういうJELEEの優しさと力強さが、生身の光月まひるが生身の渡瀬キウイのために、必死過ぎて無様ですらある、世界で一番かっこいい踊りの中に既にあるのが、俺はとても好きだ。

 このヒロイックなエールを携帯越し、闇の中に受け取ったキウイちゃんは、爆速でアレンジと動画制作を完成させ、”最強ガール”のMVを……彼女がJELEEになるためのパスポートを形にして手渡す。
 息苦しい夜の底で、アートをやることでしか自分でいられない不器用な少女たちが集う。
 その一員として自分を成り立たせるためには、何かを作るしかなく……竜ヶ崎ノクスであり渡瀬キウイでもある女の子は、己に参入資格が大いにあることを、作品の形でしっかり届けた。

 

 視覚に訴えかけるイラストレーション、聴覚から飛び込む楽曲制作、それらを統合した動画という表現。
 いろんなアートが重なり合ってJELEEがアイデンティティと命を得ていくわけだが、視覚芸術担当であるまひるが運命を見つけた時、夜が特別に輝く表現が僕は好きだ。
 第1話において極めて印象的に、『このお話はこういうお話です!』と己を叫んでいたこの美しさは、JELEEのヴィジュアルデザインを担う彼女だからこそ見えるものであり、自分の感性から溢れ出させて世界を満たすことが出来る、特別な空気だ。
 この極彩色の蛍光の中でなら、フツーも当たり前も飲み干せないまま逃げ出した、生きていられぬほどに息苦しい夜の生き物たちも、自分たちのまま世界を泳げる。
 そんな切実で必死な……余暇遊戯と侮られがちな”アート”なるものがその実真っ先にえぐり取るべきものを、まひるのセンスはしっかり感覚し、体得し、表現しうるのだと、この美しい夜は強く語っているように感じる。

 その眩さは、夜に涙ぐんでいる貴方の光の反射なのだと、まひるはキウイちゃんに真っ直ぐ告げる。
 そんな率直さは、量産型の仮面で自分を覆い隠していた、かつてのまひるでは差し出せなかったものだろう。
 あの時花音がヨルの美術を見つけ治し、貴方の”好き”が私の”好き”なのだと共鳴してくれたからこそ、今ここでまひるは彼女のヒーローを眩しく照らす光になれる。
 誰かから輝きを盗まなきゃいけないと、なにもない己を卑下していた少女は、暗闇に迷って沈みかけていた大事な人へ、眩しい息吹を差し出せれているのだ。

 

 そんな風に、いろんな光が受け渡されて乱反射することで、世界は楽しく眩しくなっていく。
 冷たい無関心や嘲りで、誰かの”好き”を押しつぶして窒息させるクズたちに負けず、自分たちで選んだ新たな名前を高く掲げて、生きる術(Art)を形にしていける。
 そういうお話をここまで三話、色んなキャラでやってきたし、これからもやっていくのだという叫びが、涙ぐんだり驚いたり笑ったり、表情豊かなキウイちゃんの”今”から分厚く匂い立つ。
 出会ったときは竜ヶ崎ノクスのアバターで自分を守らなければ、未来の同志と繋がることが出来なかったキウイちゃんが、まひるからの愛と憧れを受け取った後では生身の自分で、嘘のない”渡瀬キウイ”で繋がれているの、俺は本当に良いと思う。

 いろんな名前とあり方が全部本当で、何にもすり潰されないまま夜に瞬く世界。
 息継ぎを許さぬまま自分を追い詰めてくる苦界でも、必死に積み上げてきた技術(Art)が、誰かと出会えた奇跡の中でもう一度輝き直して、未来を切り開いていける物語。
 そういうのはなんか……前向きでスゲー良いと思う。
 そういう、人間がより善くより自由により明るく在るための武器として、このお話が己を語るための術として選んだアニメを筆頭とする、人間のアートは在るのだと思うし、作中で描こうとしているテーマとそれを削り出す表現がシンクロし重なっている構図は、とても力強い。
 このアニメ自体が、一人きり夜を漂う誰かのために紡がれる、もう一つのJELEEの音楽なのだろう。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『怖いものなんてなにもないよ』と、怖いもの息苦しいもの自分を傷つけるものだらけの世界で強がれるのは、一体なぜか。
 少女たちの出会いとすれ違いと衝突と再生を、色んなキャラクターと色んな形で描いてきた物語は、そんな問いかけに『一人じゃないから』という答えを返す。
 どピンクに染まり直した新しい自分と、思い出の中確かに力強く胸を張っているヒロイックな過去が、確かに重なり合って嘘じゃなかったと、キウイちゃんは2年ぶりの再開に微笑む。
 無敵のフィンガーサインを、もう一度親友に突き出せる自分を、渡瀬キウイは取り戻したのだ。

 そんな彼女がいてくれたから、『最強ガール』は世に飛び出し、少女統合ユニットJELEEは息吹を得る。
 思春期の大きな流れにずたずたに引き裂かれた生身の自分を、バーチャルな洞穴で癒やし鍛えた先にある未来へ、皆で進み出していくのだ。
 それが力強くて眩しいだけじゃなく、『アタマピンク~~!?』と大騒ぎでなんかかわいいのが、俺はすっげぇ良いと思う。
 自分たちを窒息領域に追い込む暗い影は、確かにクソな現実を満たしているけど、それがなんぼのもんじゃい。
 笑い飛ばし、肩を組み、力強く自分たちだけの表現を形にしながら、夜のクラゲは荒れ狂う未来へと進んでいくのだ。
 その爽やかでパワフルな一歩目が、とてもチャーミングなエピソードでした。
 大変良かったです。

 

 つーわけで、キウイちゃん加入エピでした。
 あえてメインになるキャラを絞ることで、それぞれが背負う影や痛み、置き去りにされた祈りや願いが強くクローズアップされたり、それを明るい場所へと引っ張っていく誰かの強さやありがたさが、愛しく輝いたり。
 このアニメが選んだ語り口が、アート少女青春群像劇という形式としっかり噛み合って、力強いトルクを生み出している手応えを、しっかり感じ取ることが出来ました。

 三話にしてJELEEの皆が凄く好きになり、こっから世界に殴り込みをかけていく戦いを応援したくなっているのは、大変ありがたい。
 やっぱ『いけ! やれ! メチャクチャしろ!!』って、観客席から身を乗り出してワーワー言いたくなるお話のほうが、見てて楽しいからな……。
 そうしたくなる切なさや苦しさも、出会いが生み出す眩い爆発や、いろんな才能とアートが結びあって生まれる美しさの中にしっかり感じ取れる、良い痛みのあるアニメだと思います。
 四人になったJELEEが、どんな青春を駆けていくのか。
 次回も楽しみ!!

わんだふるぷりきゅあ!:第12話『私はキュアニャミー』感想

 世界の歪みを正すのは、守るための拳か、愛に満ちた癒やしか。
 プリキュア名物女子ステゴロを遠ざけてきた、わんぷり最初の1クールを総決算するべく、愛する者のために爪を研ぐ美影身が月下に映える、わんぷり第12話である。
 大変良かった。

 

 わんぷりは1クール、犬飼姉妹から直接的暴力を遠ざけてきた。
 暴れるガルガルの攻撃を避け、追いかけっこでストレスを抜きつつ、望まぬ呪いを感染させられた犠牲者でもある彼らを優しく抱きしめ、本来の姿に戻してきた。
 今回キュアニャミーが爪を振るうことで、そんな戦い方が絶対の真理ではなく、愛と平和を守るべく暴力を選ぶ存在もいるのだと示されたが、この対比は優しいワンダフル&フレンディ VS 厳しいニャミーという構図に収まらず、プリキュア全体を俯瞰した自作批評にもなっている気がする。

 まゆがユキに出会い惹かれ、ちょっと姿が見えなくなっただけで身も世もないほどに狼狽する姿を丁寧に書いてきたからこそ、物静かなニャミーが手のかかる”妹”をどれだけ大事に思っていて、彼女を守るために誰かを傷つける覚悟を固めていることも良く伝わる。
 まゆがフクロウガルガルに襲われるシーンが、現代伝奇ホラーとしてしっかり仕上がっていたことで、犬飼姉妹視点では時折ぼやける、日常を脅かす侵略者としてのガルガルの在り方も、より鮮明になっていた。
 同時にニャミーの『プリキュアらしい』スタイリッシュな暴力でボコられたガルガルは、傷つけられた生命としての哀れさをしっかり描かれてもいて、日常を壊す加害者でありながら望まぬ暴力に駆り立てられた被害者でもある、今回の敵役の複雑さをよく掘り下げている。
 この二面性はニャミーにも言えて、彼女が振るう爪が大事な誰かを守るために振るわれているとしても、確かに制御不能な危うさを秘めて暴発しているのだと、割って入ったフレンディを傷つけかねない描写から良く分かった。
 ガルガルとの遭遇以来、登場するキャラクターがほとんど瞬きをしない緊張感を画面に満たすことで暴かれていく、異形の存在が脅かす平穏と、それを打ち払う力両方の危うさ。

 

 この二面性は、犬飼姉妹がワーワー騒がしく日常を駆け抜け、ただただ真っ直ぐな愛情でお互いを求め合うこれまでの物語を、キャンバスにするからこそ成立する。
 みんななかよし、ケンカはやめて。
 現実では通用しないお題目だからこそ、”プリキュア”が胸を張って告げなければいけない大事なメッセージを、こむぎといろはちゃんは時に傷つきながらその身で守り、貫いてきた。
 1クールに渡って生ぬるい非暴力バトルを続けてきた長さと重さは、”戦わないプリキュア”という大胆な挑戦がただの看板ではなく、穏やかな日常を誰よりも愛し守りたい、少女たちの心から生まれたものだという実感を、しっかり作品に根付かせている。

 では今回爪を振るってガルガルを傷つけたニャミーは、愛を知らない凶暴な獣なのだろうか?
 まゆとユキがどう出会い、色々難しいところのある”妹”がどれだけ”姉”に依存しているのか、ぶっちゃけヤリ過ぎ感ある甘えっぷりをどう許容しているかをじっくり見てきた視聴者からすれば、ニャミーの戦いには一定以上の正当性が宿る。
 愛しているものが脅かされた時、拳を握って脅威に立ち向かうのは勇気ある行動であり、とても正しいことだろう。
 しきりにまゆに『近づくな』と告げるニャミーが、ひたすらに愛のために闘っていること……非暴力を選んだワンダフル達と同じ泉から、戦う力を汲み出していることは適切に描かれた表現から、しっかり読み取れる。

 しかしニャミーの爪は痛ましく危ういものでもあり、それは”正義の”という枕詞がつ光がつかなかろうが、暴力なるものに必ず付随する属性だ。
 愛するものを守る正義の戦いに、割って入ったフレンディを傷つける寸前、ニャミーが蹴り足を止められたことは幸運であり、また彼女が分別をもって暴力を行使している事実を、良く示している。
 自分とは違う戦い方を選んだ誰かを、否定せず距離を取る落ち着きを持ちつつも、それによって踏みにじられる理想、実際に傷つく犠牲者に後ろ髪を引かれない、苛烈な強さ。
 ワンダフル達の選んだ戦わない優しさが、生ぬるいものではないことは例えば第7話でライオンガルガルと闘った時、彼女たちに刻まれた傷が良く語っている。
 傷ついてもなお守りたいものがある強さと、傷つけてもなお守りたいものがある強さは、どちらが正しいのか。
 1クール溜めに溜めて、満を持してのニャミー登場はそういう、両立が難しそうな2つの正義、2つの正解を確かな手応えをもって、見ているものに問いかけてくる。

 

 これはわんぷり内部での批評的対峙に収まらず、20周年を過ぎてなお続く”プリキュア”を改めて問い直す、優れた描写だと思う。
  映画Fという大傑作がプリキュアの20年間を総括し、『プリキュアとはなにか』という問いかけに堂々真正面から答えた後だからこそ、描け問える『プリキュアと暴力』
 大事なものを守りたいと願う時、望まぬ呪いに付けられた傷を癒やす時、拳を振るう選択は果たして、適正なのか。
 戦うことには、どんな意味と危うさがあるのか。
 拳を握る行為それ自体が、ひどく脆く弱い愛と正義を握りつぶしはしないのか。
 前作最終決戦において、ヒーローたるキュアスカイが討ち果たすべき悪と同質化し、制御不能になった危うさを乗り越え打ち破る決め手となったのが、武器を手放しソラちゃんを信じ抜くキュアプリズムの”強さ”であった描写とも、どこか響く問いかけだと思う。

 ヒーローの物語において力と愛、正義とその危うさを問うのは普遍的王道であると同時に、非常に現代的な問いかけだとも思うので、これがわんぷりだけの手応えをもって力強く、新鮮に機能する土台を1クール作って練り上げ、キュアニャミーという魅力的なキャラクターで炸裂するよう積み上げてきたのは、とても素晴らしいことだ。
 背負っているテーマの重たさを考えれば、一話で即加入というのも焦りすぎた筆致になるだろうし、『敵か味方かキュアニャミー!』という謎で引っ張りつつ、じっくり煮込む姿勢を見せたのも良かった。
 犬飼姉妹とキュアニャミーは正面衝突しそうな戦闘哲学の相違を抱えつつ、相手を完全否定して殴りかかる短慮ではなく、自分の望みと相手の願いをちゃんと見ようとする、コミュニケーションに対して開かれた姿勢を既に見せている。
 譲れない対立点と、知性と優しさに満ちた対話可能性を両立させている現在地も大変良い感じで、こっからどう転がっていくのか、大変に愉しみだ。

 

 

 そんなニャミーの本来の姿、猫屋敷ユキの気ままな猫ぐらしもめっちゃ良い感じに描かれて、マジ最高だった。
 流体のように狭い隙間をくぐり抜けるユキ、ガツガツキャットフードかじるユキ、ニンゲンの手を逃れて高みから見物してるユキ、”妹”の甘えを済まし顔で受け入れるユキ……。
 色んなユキが見れるとすごい幸せな気分になれて、大変ありがたい。
 ガルガルの素体になるエキゾチックアニマルだけでなく、身近なようでいて全然知らないイヌ・ネコがどんな動物なのか、どう活きて素敵で面白いのか、描写から感じ取れるように頑張ってくれているのは、生命をメインテーマに据えたお話として凄く大事なことだと思う。

 勝手気ままに気高く、人間の目の届かないところで夜を守る、猫という種族。
 何かと影に閉じこもりがちなまゆを、グイグイ前に出て光の中へ引っ張り出すいろはちゃんの”陽”に反射する形で、静かで暗いユキのあり方が際立つのも、また面白かった。
 いろはちゃんが人間的視野の広い、観察力のある少女だということはコレまでも描写されてきたが、ユキの変化でをに翳らせているまゆの表情をしっかり見て、『友達だよ!』と堂々告げれる頼もしさが、大変良かった。
 このダイレクトで真っ直ぐな感情表現と、猫らしいツンデレ気まぐれに重たい守護精神を隠すユキは真逆なんだけども、根っこの部分は完全に重なってもいて。
 日常パートで陰陽分かれた愛の形を描くことで、正義と愛と暴力を巡る非日常の戦いが奥行きを増しているのは、凄く良い表現だなと感じた。
 ここら辺のキャラ同士、あるいは日常と非日常の共鳴は、やっぱプリキュアの醍醐味かなーと思うね。

 ニャミーがまゆを案じて爪を振るうように、自分を守るために秘密の戦いを繰り広げている”姉”の身を、まゆだって心配している。
 なにしろ猫が人間になって暴れるんだから、秘密にするしかない影の戦いにはなるのだが、しかしまゆの真摯な祈りを跳ね除けるように、一人戦い傷ついてるニャミーの姿は、暴力に宿るものとはまた違った危うさが、確かにある。
 言葉がなくとも深く通じ合う、猫屋敷姉妹の出会いと現在が印象的に描かれたからこそ、人型をとなり言葉を得たからこそ新たな絆を育める、コミュニケーションの素晴らしさもまた、新キュア誕生に重ねて描かれるんじゃないか。
 そういう期待も、モリモリある。
 わんぷりは焦りのない穏やかな筆致の中に、かなり適切かつ精妙に物語の種を埋め込んで、いいタイミングで発芽させる能力が高い感じするので、お互いを思う猫屋敷姉妹のズレもまた、より良い形で止揚されそうなんだよなぁ……。

 

 対象年齢を下げ、柔らかで落ち着いた表現を選ぶことが必ずしも、物語の諸要素を研ぎ澄ませ使いこなす巧さを否定しないこと。
 むしろそんな巧妙さがあってこそ、平易な表現の中に難しいテーマ性、一筋縄ではいかない対比構造を盛り込めもする。
 そういうわんぷりの強さ凄さを、第1クール終了の節目にしっかり感じ取ることが出来るエピソードでした。
 いやー……巧いわ。
 単話としての仕上がりも良いし、ジリジリ積み上げてきた猫屋敷姉妹物語の転換点としても、拳を握らないプリキュアを掘り下げる勝負どころとしても、めっちゃ良い。

 極めてクールに熱く、主役たちの非暴力に拳を突き出してきた月光の戦士。
 肩を並べて戦うところまでは、結構時間がかかりそうですが、その難しさがより鮮明に戦いの意味を、愛の強さを削り出してもくれるでしょう。
 そういう巧さと強さ、わんぷりはしっかり持っているともう、ここまでの12話が教え示してくれとるからね……。
 『やっぱ新しいプリキュアを”理解っていく”時間は、最高に嬉しい……』としみじみ思いつつ、ここから拡がる新たな物語を愉しみたいと思います。
 ”わんだふるぷりきゅあ!”、いいアニメ、素敵なプリキュア、凄い物語です。

終末トレインどこへいく?:第4話『なんでおしり隠すの?』感想ツイートまとめ

 武蔵横手から稲荷山に至る、幻想と狂気に満ちた長くて短い旅路。
 終末トレインどこへいく? 第4話を見る。

 第2話に引き続き運命共同体の過去と現在をゆるやかに見せる回であるが、ヤギ人間からミニチュア軍隊まで、多種多様な狂気が見ている側を飽きさせず、奇妙な詩情と落ち着きをもって旅を見守れた。
 一面の高麗人参、物言う地蔵の群れ、空を埋め尽くす臓物。
 多種多様なヴィジュアルでもって、終わってしまった世界の奇妙な面白さを伝えてくれるのは、作品で摂取したい味わいをちゃんと手渡してくれる感じで良い。
 やっぱこの奇妙奇天烈、しっかり飲み干したい旨味がちゃんとあるな…異界旅行で大事な所だ。

 

 絵面は大変に狂っているが、そこを征く少女と犬は全体的に穏やかというか、シリアスなヤバさを遠ざけるようにきらら気配を維持。
 世界は大変にヤバいのに、温まったい青春をバリアのように張り巡らして、ドタバタしみじみお互いを大事にしながら進んでいく様子が、独自のテンポを生み出してもいる。
 狂って終わってしまった自分の外側に、侵食されずペースを保ち、ギリギリ笑える範疇で物語を展開するためには、大人と子供の中間地点に立っている思春期の少女達と、彼女たちのとても小さな触れ合いが必要なのだろう。
 ジュブナイルのキャンバスに塗ることで、狂気と破滅の原液がギリギリ、チャーミングな色合いを引き出されている印象。

 東吾野でのキノコ・クライシスを経て、観光気分もいい塩梅に抜け、少女たちは少しタフになった。
 第2話で境界線がはっきり引かれていた、静留の運転席と撫子たちの客席は境が薄くなり、玲実もマスコンを握り静留もモールス信号をやる。
 誰かに押し付け任せるのではなく、旅に必要なよしなし事をそれぞれ引き受け、おパンツ洗濯したり食料取ったり、狂気の旅は異界観光からJKサバイバルへ、少し手触りを変えつつある。
 ここら辺の生活感の強化が、終末旅行を通じてちょっとずつ女の子たちが変わっていく手触りをしっかり補強し、独特の味わいも生み出してて善い。
 カオスな狂気を表に立てつつ、青春と旅情を大事にしてくれてる印象だ。

 

 前回孤軍奮闘で仲間を菌糸から守った晶は、ビビリとプライドが入り混じった素直になれなさでお尻のキノコを見せられず、大分やばい感じに追い詰められていく。
 すっかりダメになってしまった彼女を救うべく、仲間たちが色々駆けずり回るのは、頑張ってくれた晶への恩返し…トンチキながら確かな絆を感じさせて、なんか良かった。

 ビビりだったり無遠慮だったり、それぞれ個性や適正は違えども、終末トレインに乗ってしまっている以上皆は仲間で、生きるも死ぬも一緒だ。
 どんだけコミカルでクレイジーでも、人間と人間が繋がる根っこは、(一応)正気(に見える)な僕らの世界と変わりがないわけで、そこ大事にしてくれると見やすい。

 ここまで静留重点で転がしてきたお話が、奮戦の代償として晶が凹むことで、彼女に一番縁が深い玲実をクローズアップする形になっていくのも、また面白い。
 世間が狭い片田舎で、泣くも笑うもずっと一緒だった幼馴染は、ギャーギャーいがみ合いながらもお互いをよく分かっていて、消えてしまえばとても淋しい。
 トンチキながら本物な、二人の耐えない絆が描かれることで、転校生と地元っ子、仲違いしたまま運命に引き裂かれた静留と葉香の関係性も、別の角度から照らされていく。
 後々問題山積とはいえ、おしりのキノコをダイレクトに引っこ抜ける玲実に対し、静留は葉香に会えすらしない。
 だからこそ、終末トレインは池袋を目指す。

 時折挟まる回想シーンが、電車内に詰め込まれた過去の記憶、感情の苗床をこちらに見せてくれて、今彼女たちが立っている場所と、これから征く未来への納得を深めてもくれる。
 玲実と晶が想像(あるいは期待)通りに、ケンカするほど仲が良い最高幼馴染だと教えてくれたことで、勢いよく滑り出した終末トレインに何が積まれていて、どんだけ世界が狂っていても守りたいのか、こっち側に届いた感じだ。
 やっぱこういう手触りがないと、お話にもキャラにも体重を預けられないし、狂った世界の魅力も上滑りしてしまって、ゲラゲラ笑いつつ心底楽しむとは行かなくなるだろう。
 湿った人情とシニカルな笑い、両者のバランスが良いお話。

 狂った危険が山盛りの世界で、撫子ちゃんはひとり静かに弦を張り、”いつか”に備える。
 彼女が極めて冷静に周囲を睥睨し、何かと危なっかしい友達がイカれた世界で生き延びられるよう、穏やかに靭やかに立ち回っている彼女が、ユルい雰囲気に似合わぬ”暴”を構えている様子は、お話全体をピリッと引き締めていた。
 彼女の人徳でノリ任せの旅もなんとか回ってる感じが強いが、静留-葉香/玲実-晶でラインが繋がって、撫子一人浮きな状況で宙ぶらりんなのは、なかなか気になる。
 この浮遊感がそのうち、感情の出口を求めて誰かに襲いかかってくると、良い感じの温度上がりそうだがさて、どうなるか…アツいの頼むマジ!

 

 期間限定の賢者の助言を受けて、稲荷山に救済を求めたら、1/6サイズの軍隊に襲われ次回に続く。
 令和時代のリリパットヒッチャーが何を暴き出すか、なかなか良い感じで引いたけども、東吾野の体たらくを見るだに、なかなかロクでもないんだろうなぁ…(ワクワク)

 今回7駅駆け抜けたことで良い感じにスピード感も出たし、終末紀行に対応してちょっとタフになった一行も見れたし、新たな危機をどう切り抜け、マタンゴ退治頑張ってくれた晶に報いるのか、楽しみに来週を待ちます。
 奇想が暴れる消化難易度高い話ながら、ペーソスに満ちた雰囲気と確かな青春絵巻っぷりで、結構食べやすいのは流石の味付けだ…。

ブルーアーカイブ The Animation:第3話『便利屋68にお任せください!』感想ツイートまとめ

 ブルーアーカイブ The Animation 第3話を見る。

 常識外れの借金に追いこまれてるアビドスの面々が、それはさておきラーメン食って他の女の子と交流を深め、即座にガッツリそいつらと銃撃戦になるお話であった。
 終始ゆるふわな温度感で萌え萌え日常が展開され、その3センチ先に犯罪行為と銃撃戦がサラッとお出しされる、ブルアカ時空の特異性(と、アニメからの自分が感じるもの)を原液で飲み干すような回だった。
 いやー…TLで終始話題になる大覇権コンテンツだから、もっとアクが少ないもんだと思ってたが、相当ヘンテコだなこの話!
 そういうの、俺好きだよ。”サタスペ”とか”ガンドッグ”とかバリバリやってたし。

 

 かっこよくキメようとしてキメきれない、アルちゃん社長が率いる便利屋68が、荒廃したアドビスで銃抜いて”仕事”してくるのはまぁ解るのだが。
 曲りなりとも主役サイドの対策委員会が、問題解決のためにノータイムでバスジャック&銀行強盗を提案する治安の悪さは、シロコとホシノの〔犯罪〕が高すぎる結果なのだろうか…。
 困ったときの名作シナリオ”Bank Rush”!
(萌えと最悪治安が隣り合う作品世界を飲み干すべく、自分の中のサタスペ辞書で作品を翻訳しだしたマン。
 なお”サタスペ”は、冒険企画局が出してる犯罪都市オーサカの木端犯罪者を遊ぶTRPGシステム。ロクでもないルールが山盛りで最高だッ!)

 寝言はさておき、話の進展としては最初の会議シーン…それもアヤネの発言だけでだいたい終わってて、アビドスに襲い来るろくでなしの裏には金持ちのロクデナシが隠れてるらしい、という話。
 アルちゃん達がその裏を教えてくれるわけではなく、笑いと萌えと銃声に満ちたアビドスの日常がまったり流れていく話であるが、ポンコツ犯罪集団なりに一線を引いて”仕事”している感じはあって、なかなか良かった。
 バトル描写が増えるほどに、アビドス人の常識外れな頑丈さ、銃撃戦がじゃれ合いにしかならないタガの外れ方が目立つが、今後話がシリアス度を増した時、どういう味付けで洒落になんなさを醸し出してくるかは、結構愉しみ。

 C4だのクレイモアだの至近距離で爆発しても、ミンチどころか出血すらしないタフっぷりは、交錯する暴力がある種のじゃれ合いで収まる安全装置を、描写にかけている。
 『銃撃戦が書きたい』と『女の子を洒落にならない気まずい状態には追い込みたくない』を共存させるべく、『銃で撃たれたら人は死ぬ』というルールが書き換わっている状況な感じだが、では廃校の危機もまたタチの悪い冗談なのか?
 サイフへのダメージと肉体点の減少は、処理するレイヤーが違うってことなのだろうか?(再びのサタスペ語)

 

 鮮やかな青が印象的な、清潔感のある世界にどんだけ重たくドス黒いものが、存在を許されているのか。
 そこら辺を今後、お話の中描かれる作中現実を飲み干しつつ、探っていく感じかなぁと思う回だった。
 いやまぁ、『死ぬときゃ死ぬ』と血を流させて描けば、あるいは全く洒落にならない底抜けのクズが顔を出せば、作中のルールも一気に切り替わるとは思うんだが…。
 皆が皆、便利屋みたいな楽しく可愛い暴力装置ってわけじゃないだろうしね。

 一緒に楽しくラーメン食って、すぐさま鉄砲パンパン撃ち合えるような、ちょっと壊れて幸せな距離感の裏側に、どんだけ洒落にならない地獄が待っているのか。
 個人的な嗜好としては、人殺しの道具(と、僕らの現実においては機能するもの)を握ってるなら、結構な重たさも欲しい感じだが…
 まーそこら辺の濁りは、いきなりブッかけると初見バイバイになっちゃうかもしれないし、むしろゆるふわバイオレンスに慣れさせた上で思い切りブチまけたほうが”効く”毒気だとも思うので、空気が切り替わる瞬間を楽しく待つ。
 次回も楽しみですね。

 

 それにしたって、第1話でメインヒロインっ面して朝から晩まで”生活”細やかに見せてたシロコが、ノータイムで手っ取り早い解決狙ってくるのは面白かった。
 自分の中で作品と彼女を受け止めるチューニングを、ややザラついた方向へ整え直す必要がありそうだ。
 感情表現がぶっきらぼうな美少女が、感情高まったサイン抜きで調エクストリームな行動に出るの、かなり好みの要素だからな…戯れの出来ぬ女ッ!