イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

時光代理人-LINK CLICK- II:第2話『夜襲』感想ツイートまとめ

時光代理人-LINK CLICK- II 第2話を見る。

 先週衝撃のヒキでワクワク二機を待ってた視聴者の顔面ぶっ飛ばした時光が、決定的瞬間に至るまでのプロセスを丁寧に語り直すことで、事件のダメージを更に拡大する回。
 人情モノからサスペンスへと舵を切った作風を重たく生かしつつ、取り返しのつかない惨劇の奥に何があったのか、重いブロウを叩きつけてきた。
 激務の中、当たり前の幸せを確かに掴み取っていた平凡で善良な人こそが死んでいく、殺伐とした狂気と悪意の渦。
 これからトキとヒカリが向き合っていくものの手触りを、良く教える第2話だった。
 いやー…ハラハラワクワクしつつも、やっぱ辛ぇわ。

 

 話の大枠としては人格交換能力者の内実や周囲を掘り下げつつ、長く伸びてきた陰謀の手とバチバチやり合う感じ。
 敵もまた写真を媒介に能力を発動すると解ったことで、異能行使にルールを定め、現実を身勝手に歪めないよう生きてきた主役コンビの、歪んだ鏡としての危うさ、怖さがより鮮明になってきた。
 力を使って都合よく、現実を書き換えることにためらいがなかった場合、トキたち異能者がどれだけ凶悪な存在になってしまうか、無貌の殺戮者が振り回す凶行は良く教えてくれる。
 話の舵取りは結構変わったが、このヤバい許せなさは一期で異能を使って、人の人たる証を写真の中から取り戻してきた、時光代理人の行いあってこそか。

 チェン刑事の私生活が新たに描かれるほどに、一期でトキ達が慎重に守ってきた小さな幸せを、凄い粗雑さで踏みにじりぶち壊す連中の恐ろしさ、おぞましさは際立つ。
 因果に触れてはいけない異能者の定めと、人間としての悲痛な情の間で引きちぎれそうになっていた、時空改変能力者として生きるにはあまりにも、善良すぎる青年。
 彼らが崖っぷちギリギリで留まり、その小さな手のひらで守ってきたものを、ためらいなしに叩き壊せる連中は、情け容赦がなく悪知恵が働き、数が多くて凶悪だ。

 現状、突破口が全然見えない息苦しさを今後どう抜け出し、あるいはさらに追い詰められていくのか。
 サスペンスに必要な閉塞感と緊張感。
 そういうモノがひたひた、バキバキに仕上がった画面から立ち上ってくるような第2話である。
 味方サイドの対応を上回るスピードと苛烈さで敵の手が伸びてくるので、気が休まる瞬間が全然ないのは、ここまでの話を見てトキ達が好きになっちゃってる視聴者としては、心地よいストレスとともに先を見させられてしまう要員にもなってて、つくづく引っ張り(Suspense)が上手いなぁと感じる。

 

 知略の限りを尽くして主役を追い込む尖兵として、先週戦慄のスーパーセクシー・デビューを果たしたチエン弁護士の描かれ方も、そういう牽引力を上手く生み出している。
 元同僚の家に労りを演じて上がり込み、致死の凶器を盗み出す手際。

 旧友を信じて疑わない妊婦が差し出した飲み物を、歓迎するような仮面をつけつつ一切口はつけず、汚れ仕事を担当する助手は下品にすすってゲップを漏らす。
 歓待と食料をどう扱うかで、チエン弁護士がどういう人間であるかを鮮烈に見せる演出で、大変良かった。
 (ここら辺一期第2話で『飯を食う人』として描かれた主役たちと面白い対比で、結構フード理論で回っているアニメと言えるかもしれない)

 何しろこちらの予断を操り捻って自在に動かすアニメなので、今見えているものの印象が次の展開で、180度意味を変えても全くおかしくないが。
 現状、チエン弁護士は異能の殺人者と手を組んで、謎を秘めた携帯を奪う圧巻に見える。
 人間が人間でいるためのルールを捻じ曲げ、尊厳を踏みつけにしながら死体を積み上げる連中が、それほどまでに欲する携帯電話には、何が秘められているのか。
 物語が追いかけるべき聖杯の値段を、暴力交えつつ上手いこと上げていく展開で、アクセルバリバリ踏み込まれていて気持ちがいい。
 敵の全容も目的も分からないが、切れ味抜群の格闘アクションが前座に過ぎない激ヤバ状況がドンドン加速していってる手触りが、凄くハラハラ出来てて良い。

 状況の深刻度が増すほど、番外編で習得した<格闘>スキルの重要性がガン上がりしていくの、あまりに独特の味で面白いな。
 『ノー功夫、ノー時光』じゃんもはや!!
 受け流しとカウンターを特徴とするトキの”柔”に対し、肘と膝を多用するムエタイスタイルの”剛”がいい対比生んでたのも良かった。
 打撃部位だけじゃなくて、トラッピングと受け流しの”感じ”が凄くムエタイっぽくて、ああいう所のクオリティで作品を下支えしてる手応え、大変このアニメっぽい。

 

 アニメを構成する全領域に手を抜かない力みは音響にも生きてて、サスペンスフルなBGMが物語の緊張感を保ってもいた。
 OP/ED含めて、音楽いいのもやっぱ好きだな…。
 今後もこの全方面に力んで流麗な作風を維持して、一瞬も油断ならぬお話を貫いて欲しい。
 窮地の主役の前に現れたのは、敵か味方か。
 次回も楽しみ!

忘却バッテリー:第2話『一緒にやる?』感想ツイートまとめ

 愛好会しかないクソ公立に、野球を忘れられない男たちが集う!

 忘却バッテリー 第2話を見る。
 梶くんとマモの長尺べしゃり力に下支えされ、ギャグに振ったりスポ根したり、横幅広い作風にクセ強新キャラ達がINNッ!
 ブツクサ文句たれつつ、元智将がキャッチャーとして再起動しそうな気配もあり、小手指野球部が動き始める期待感が大きな音を立てて動き出す回だった。

 自分ペースで好き勝手絶頂語り倒す圭と、ぶっ倒した相手に興味を示さない葉流火。
 忘却バッテリーを主役に起きつつも、その過去や内面はなかなか見えてこない構造の中で、人間に興味が強い山田くんが周囲を良く見て、状況を言語化していく。

 数多の野球少年の心をぶっ壊した天才が、何故記憶を失い野球を諦めかけていたのか。
 ある種の青春殺人事件が作品を牽引するミステリとして隠蔽されている構図の中で、凡庸な探偵助手の役割は大きい。
 容疑者である圭と葉流火が、自分のこと最初からベラベラ喋っちゃうと話が壊れるし、タイプは違えど両方どっかがぶっ壊れているバッテリーの、歪な個性も薄れるからな…。

 なので山田くんは極めていい人であり、色んなことを観察して読み取る力が高い、善良青春探偵という役割も背負う。
 自分を語らぬ不器用野郎どもの理解者であり、作品が目指す方向を語る代弁者。
 その仕事ぶりを思うと、梶くんはドンピシャだったなー。
 山田くんが『喋る役』を担当することで、彼の透明度高い人格に、主役が発するクドい苦みが浄化されて、ギリギリ飲める味わいになっているのも面白い。
 ぶっちゃけ、山田くんのツッコミと解説がないと相当、圭と葉流火は受け止めにくいキャラだと思うよ…。

 

 しかし理解り手としての力が高い山田くんが、浮かれたボケッ面、冷たい鉄面皮の奥にあるものをモノローグの刃で切開してくれることで、秘めた才能や過去の遺産が解りやすくなってくる。
 それは一回脳みそリセットされた圭が、野球をもう一度面白いと思えるまでの足取りと重なって、作品が主題と選んだものがどう素晴らしいのか、噛み締めさせる手助けもする。

 ウザいカユいと文句たれつつ、シニア界に燦然と輝く星だった要圭の体には”野球”が刻み込まれていて、捨てようにも捨てられない。
 それは目標を見失った元エースへの祝福として眩しく輝き…逃げようとしても逃げられない呪いとしてのドス黒さを、今後顕にもしていくだろう。

 忘れているはずなのに消え去らず、逃げようとしても追いすがる。
 タイトルにある”忘却”の二面性が、バカと仏頂面に正反対に思える主役両方に…あるいは彼らに惹かれる野球少年たち全員に、長い影を伸ばすお話でもあるのだ。
 しかしまぁ、そういう現代野球残酷物語が牙を向くのはもう少し先だ。
 俺はそここそが好きなので、アニメでどう描くか楽しみ。

 

 さておき、忘れたかったはずの快音に脳髄揺さぶられ、心をブチ折った張本人と対峙してもう一度、バットを握ってしまう野球バカ二人が、今回は描かれる。
 オラついたパワーヒッターと、クールな皮肉屋オールラウンダー。
 これまた対象的な二遊間コンビであるが、エグみ濃い主役たちに負けないキャラの強さで、大変いい登場をした。
 葉流火の挑発…と自覚していない負け犬煽りを受けて、即座に突っ走っていく藤堂くんと、そんな彼の奮戦に静かに燃えて丁寧に服を畳む千早くんの在り方の違いが、色んな連中が集まってチームになっていくワクワク感を、モリモリ盛り上げてくれる。
 マジとボケがシームレスに混ざる、独自の雰囲気も良い。

 ガッツリ力んで青春ド真ん中、いかにも”甲子園”な野球物語へのアンチテーゼとしての顔も持つこのお話、出会ったばかりでバチバチ反目しているはずなのに、どこか心地よい空気で既に繋がってしまっている少年たちの顔は、なかなかに頼もしい。
 Cパートで描かれた、設備も才能も期待も備わった強豪校の締まった練習風景とは、全く違う制服まんまな放課後。
 消しても消えない熱を宿しつつ、どこかに”遊び”を残して野球を楽しめる気楽さと、そうじゃなきゃもう野球が出来なくなってしまった傷追い人たちの再起。
 手放し諦めようとしていたものが、愉しさの原点に戻って新たに動き出す心地よさ。

 そういうモンが、ややスベリ気味なのを一切気にせず過剰なべシャリで押し切る要圭オンステージのなか、元気に弾む第2話であった。
 あのヤリ過ぎ感がある喋り倒しも、黙ってしまえば白紙の沈黙がシリアスに迫ってきて耐えきれず、ある種の防御策としてやってる部分があると思うと、『圭ちゃん、生き直し頑張ろうね…』という気持ちになる。

 あとまー、どんな人間とも笑いを軸に楽しい関係作ろうとする人の善さと、自分がぶっ壊れ野球マシーンにしちゃった相棒が摩擦少なく生きられるように、過剰な潤滑油撒き散らす生き方選んだ結果か。
 極めてバカで空気読めないが、そういう優しさと賢さが根っこにある所、俺は好きだよ要圭。

 

 ツンツン反抗的な態度を取りつつ、いざボールとバットがあったら球遊びしちまうあたり、新キャラ共にもそういう純粋さがしっかりあって。
 『おバカなピュアボーイ達が、残酷な運命に打ち砕かれてなお消えてはくれない夢のカケラを握りしめて、チームになって野球しようとする話』つう、お話の芯がよく見える回だったと思う。
 一打席勝負の作画と音響にしっかり気合が入って、『コイツラがちゃんと試合したら、何が起こるんだ…』つう期待感が濃いのもいい。

 これらの味が濃い食材を、梶くんボイスの山田くんが丁寧にアク取りし、食べやすい味にしてお送りする、騒々しくも純粋な負け犬たちのワンスアゲイン。
 次回も楽しみ!

終末トレインどこへいく?:第3話『ショートでハッピーイージーに 』感想ツイートまとめ

 湿り気を宿した暗闇の中で、絶望は菌糸を伸ばす。

 終末トレインどこへいく? 第3話を見る。
 故郷吾野を飛び出しての、初の停車駅・東吾野
 終わった世界を太く短く死んでいくために、キノコに支配される道を選んだ住人が、終末トレイン一行を取り込もうと足掻くコメディ・ホラーである。
 ”マタンゴ”と”ミスト”と”サクラメント”を福圓さんの怪演でかき混ぜ、少女頑張り物語で和えたような独自の食感が、このお話らしくて大変良かった。
 初手でこんだけロクでもないと、旅路の先に待ち構える他の駅も大概な匂いがプンプンするが、まー何かを求める旅ってのは大概そんなもんだ!
 晶ちゃんが頑張ってて良かったです。

 

 前回描かれたトレイン・アクションを通じて、一行それぞれがどんな子なのか、見ている側にも少しは種が巻かれている。
 賢さと臆病さを併せ持つ晶ちゃんが、能天気な他メンバーが無防備にキノコに侵食される中、一人自我を保って危機と向き合う役になるのは、納得の配役である。
 この終末世界においては、疑り深いからこそ生き延びられる瞬間が確かにあり、弱さと慎重さを重ね合わせた晶ちゃんの資質は、運命共同体が初手で終わる危機を乗り越える、決定的な切り札になっていく。

 東吾野を支配する、死に至る病への効き目の短い処方箋。
 コミカルなキノコ要素で薄く糊塗されているが、要は自殺主義のドゥームズデイ・カルトだ。
 ワイワイ騒がしく明るいJKノリに助けられて、あんま直面せずに住んでいるが、7G世界の終わりっぷりはマジでシャレになっていなくて、そらー太く短く気持ちよく死んでいく道を選ぶ人たちも、当然いる。
 苗床がバッタバッタと枯死しても気にしない、世代を重ね生に執着する”人間らしさ”を放棄することに成功した東吾野の人たちは、旅人を自分たちと同じ絶望に染め上げて、光の下でしぶとく繁茂するゴーヤイズムに恐怖する。
 眩しい太陽の光の元、邪魔になるくらい元気に育つ苦くて栄養満点の野菜は、それを特産とする吾野に育った子ども達が、湿った快楽主義的自殺願望をはねのける武器にもなっていく。
 ……結構故郷の土に根付いた、植物のトーテミズムな話だな、面白い。
 終わった世界を黄色い列車で切り裂いて、わざわざ遥かなる池袋まで足を伸ばす理由。
 前回撫子ちゃんが穏やかに問うてきたクエリーを、東吾野の絶望マタンゴ達はより恐ろしく、直接的侵食を伴って投げつけてくる。

 

 これに答え、終末トレインを結末まで引っ張っていく特権は主人公にこそあるわけだが、静留はミストサウナで寄生されて、安楽な絶望に飲まれかけてしまう。
 成り行きでも、ぶつかり合っても、自分とは違う警戒心を持った誰かがいてくれるからこそ、旅は隣駅で終わらずまだまだ続いていける。
 晶ちゃん主役の大冒険は、そんな運命共同体のルールを改めて描くキャンバスにもなっていた。
 東吾野に蔓延する刹那主義は、静留の中にも確かにある。
 だから菌糸は少女の頭に根づき、旅を終わらせかけていく。
 そこから這い上がって、”進む”と主人公が決めるためには一見心地よい終わりを否定する誰かに、どこへ行きたいかを問いかけてもらう必要がある。
 自分一人ではとても簡単に見失ってしまうものを、問いかけ直して新たに思い出す手助けをしてくれるから、友達というものは得難いのだろう。
 静留の旅立ちが孤独なものにならなかったのは、ノリと勢いに任せた偶然であるけど、レール越しのモールス信号含めて色んな人がその旅に関わり、助けてくれるのは幸運な運命といえる。
 というか、ソロだとすぐ死ぬわこの世界。

 晶ちゃんは東吾野の霧に一人抵抗し、その真実を暴いていくエピソードの主役であるけど、回想シーンはあくまで主役とヒロインのために用意される。
 なぜ、旅の果てまで進んでいきたいのか。
 これを補強するように葉香との思い出が描かれ、ありきたりで幸せな約束がまだ残っているから、終わった世界でなお絶望に飲まれず、ゴーヤのようにタフに生きていく決断を主役は選んでいける。
 架線無しで進んでいく不思議な列車の推進力は、やはり心と絆の力であり、そういう精神性第一主義のファンタジックな描写が、コミカルな寓話という独自の表情を与えている気がする。
 心が飲まれたら旅が終わるし、それをせき止めるのは友情なのだ。

 終わった世界で生き続ける理由を、東吾野の人たちは見つけられなかった。
 ならキノコが脳髄に直接伝えてくれる快楽に溺れたまま、死に飛び込む道を選ぶのは道理だ。
 そんな彼らに取り込まれかけ跳ね除けることで、『友達にもう一度会いたい』という、実に大した事ない願いがゴーヤとキノコを隔てている現状が鮮明になってくれる。

 

 この終わった世界において、停止と死の誘惑は、可愛い見た目で誤解するほど、少女たちから遠くない。
 なにしろ世界が終わっているのだから、ちっぽけな人間が人間のまま生き、狂気に飲まれず人であり続けることはとても難しいのだ。
 その難業にかじりつく足場は、一体どこにあるのか。
 故郷を旅立ってしまった以上、その問いかけは静留だけでなく、終末トレインの仲間全員に伸びていくだろう。
 ここら辺、今回主役を張った晶ちゃんにとって未だ明確ではなく、ブルブル震えながら何故電車に乗り続けるかは、こっから先のお話で見えてくる部分なのだと思う。
 ツンツンしつつもめっちゃ玲実に甘えているので、彼女との関係性に死と狂気を越えていく光があるのかな~…って感じだが、さてはてどうなるか。

 

 コミカルに狂って終わった世界と、そこでのシニカルな命がけが終末少女達の青春を問う、良い画材になる手応えはここまでの物語で、しっかり得ることが出来た。
 たった四人と一匹、死に飲み込まれず生き延びる。
 それが最初の印象よりかなり厳しい旅であり、だからこそ彼女たちが彼女たちである意味、人間が人間である証明を照らしてくれそうなヤバさとワクワクが、良く感じられるエピソードでした。
 物言わぬポチさんが可愛くも頼もしく、要所要所で晶ちゃんの冒険を助けてくれていたのも良かったなぁ…ポチさんデカくて可愛いから好きだぁ。

 ゴーヤブン回して心地よい終局を拒絶した静留たちの、先が見えない旅は続く。
 ローカルな手触り満点の美術に、狂って終わった世界の不思議と不気味が満ちている面白さを、東吾野に堪能しつつ、この先の物語を待つ。
 ゲラゲラ笑った後『…全然ヤバいじゃん』と真顔になるこの感じ、かなり好きだな…。

 

 

 ・追記 キノコの毒に飲み込まれてもなお、脳髄の中に微かに残ったものへ、東雲晶はお礼を言った。
 ヤベー度合いがずいぶん濃い女将さんが、それでも無償で手渡してくれた食料に晶ちゃんが最後お礼を言ってたの、凄く好きだ。
 キノコ人間になって、食って腹減って食わなきゃ死んでいく人間の定めから開放された彼らにとって、インスタントラーメンは遠くに置き去りにした人間性の残滓であり、もう取り戻せず無用な正気だ。
 自分たちと同じ絶望に取り込むまでの擬態だったとしても、その遺産を晶ちゃんたちに手渡してくれた温かさを、何事にも素直になれない少女はたしかに受け取って、頭を下げた。
 それは人間の形をした死にゆくキノコへの礼儀と同時に、終わりきった世界でもそうやって”人間”でいられる自分へ、礼を尽くした行為だと思う。
 あの子はそういう事をする子なのだと、今回の冒険で理解ったのは凄く良かったです。

夜のクラゲは泳げない:第2話『めいの推しごと』感想

 夜に流され新しい場所へたどり着くための仲間と、ぶつかり合いながら出会う旅へ。
 ママー! また花音さんが自分に惹かれた女の人生捻じ曲げてるーッ!! な、ヨルクラ第2話である。
 大変良かった。

 

 過去と現在が交錯し、夜光性の眩さが渋谷を染めたまひる主観の第一話とは、ちょっと違った角度から新たな出会いを描くエピソードである。
 前髪ぱっつん激ヤバお嬢様かとおもわれためいちゃんと、ぶつかったり近づいたりを繰り返しながら花音さんが自分がかつてファンに告げたことを思い出し、『解釈違い』と跳ね除けた憧れをもう一度抱きしめることで、木村ちゃんも彼女の偶像が持つ2つの名前を受け入れられる。
 まひるを傍観者の立場に置くことで、彼女のアーティスティックな才覚があの渋谷の夜を生み出していたことも再確認できて、そんな彼女には出来ない楽曲作成のエキスパートとして、新たな仲間が加わる頼もしさもある。
 頑なに反発し合っていた”山ノ内花音”と”橘ののか”、”木村ちゃん”と”高梨・キム・アヌーク・めい”が、お互いを溶媒として認め合っていく喜ばしさも眩しくて、大変面白いエピソードだった。
 やっぱ複数の名前、複数のアイデンティティが生み出す反発を融和させながら、真実の自分を配信アート活動から汲み上げていく感じの話になりそうだ……今っぽいね。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 というわけで、携帯電話に残した”橘ののか”へのあこがれを消し去って、全てを殺した鉄面皮に戻りかけていためいちゃんが、金髪の”山ノ内花音”と知らねー新しい女と友だちになっている自分を、新たな待ち受け画面にして微笑めるようになるまでの物語である。
 冒頭と結末が携帯電話というメディアを通じて響き合い、めいちゃんの変化を鮮明にしている構図だが、シケきった絶望から希望に満ちたほほ笑みへと、暗い過去から新たな未来へと踏み出す彼女の顔を照らす時、携帯電話は鏡の役目も果たしている。
 これは花音さんにも向けられている視線で、自分の姿をコピーすることでクソみたいな現実に立ち向かう強さを得た、一番のファンと向き合い直すことで、彼女はアイドル時代の自分と少しだけ和解できる。

 自分も音楽も、ファンを一人にしない。
 そう誓っていたはずなのに、眼の前の強火オタクに解釈違いを叩きつけられ、頑なにアイドル時代をはねのける自分は果たして、いつか見た夢を大事にできているのか。
 日本とドイツ、二つのルーツがミックスされた己の名前を素直に告げられなかった”木村ちゃん”の事を思い出すことで、花音さんもまた確かに”橘ののか”だった自分との、アイドルとしての過去の繋がりを再獲得して、今より笑える未来へと進み出していく。
 まぁそういう、名前とアイデンティティを巡るとても普通……とは言えない、良い感じのエキセントリックがスパイシーに香りつつも、普遍的な思春期を描くお話である。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 つーわけで、二人で一つの青春有機体”JELEE”として、世界に声を上げる事を選んだっまひると花音。
 叫ばずにはいられない巨大な質量を霊に宿す花音が、一回挫折し足を止めかけたまひるを引っ張る形……と思いきや、パッションが迸りすぎてぶっちゃけバカな花音のふらつく足元を、まひるが落ち着いて支える感じの重心バランスがまず描かれる。
 前回無敵の女神っぷりを見せていた花音さんの、浅はかでおバカな部分がドンドン出てくることで、そういう部分を飾らない対等な距離感でJELEEが向き合っていると解るのは、なんか良かった。
 人生揺さぶる特別なアートの創造主として、敬意と憧れをお互いに抱きつつも、バーでのバイトという極めて泥臭い現実領域で重なり合うことで、気のおけない友達としてのいい間合いが構築されている様子が、大変グッドだ。
 めいちゃんを仲間に加え、楽曲配信で世界を相手取っていく戦いが進んでいく中でこの距離感も変化していくと思うが、量産型として世界に埋没し全部諦めようとしていた時代より、まひるが楽しそうなのは凄く良いなぁ、と思う。

 この暖かな距離感を足場に、今回は花音さんが自分の鏡と向き合うターンである。
 なのでまひるは衝突のちょっと外側、当事者から少し遠い距離で見守るポジションに立ち続ける。
 前回の主役を押しのけて話の真ん中に座るのは、姫カットの激ヤバオタク、高梨・キム・アヌーク・めいである。
 初手むき出しの十万円、札びらで貧乏アーティストをぶん殴って自分色に染めようとするヤバっぷりで強烈なデビューを飾った彼女は、窓枠の中央分離帯を大きく飛び超えて手を差し出し、花音はそれをはねのける。
 先週印象的だった夜の渋谷とは少し違った、現実的で陰が濃い色合い。
  それは花音とめいが共有する過去からの残響であり、過去にしがみつくファンと過去を否定するアーティストとのすれ違いが、生み出す不協和音の色でもある。
 この濃厚な感情領域に、既に花音の金髪な現在に救われ呪われてしまったまひるは入っていけない……

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 というわけでも、実はない。
 荷物の取り違いを通じて、花音がヤバオタクの内側に何があるのかを電車内で確認する隣に、まひるは相棒らしくちゃんと座る。
 絵画に才能を持つまひるが直感できない、自分たちと響き合う音の良さを歌い手である花音はすぐさま感覚し、一度跳ね除けためいちゃんとしっかり向き合う必要性を感じ取る。
 着座と直立、聴覚と視覚に捻れていた距離はイヤホンを共有することで混ざり合って、JELEEはお互いが感じ取っているものをしっかり共有して、一緒に向き合うべき場所へと進んでいくことになる。
 のがした魚の大きさを嘆く情けなさや、対峙するべき課題を見つめるキリッとした横顔。
 人間としてアーティストとして、色んな顔を見せる山ノ内花音の全部を、まひるはしっかり見届けれる距離にいる。
 それは思い出の芳香をスーハークンカクンカ、バキバキにトリップしながら包まれるめいちゃんにはなかなか、見れない距離だ。
 つうかマジでやべぇなこのアマ……。

 花音-めいで通じ合いぶつかる、あこがれと才能の導火線。
 これが未だ表舞台に立たないキウイちゃんにおいても、幼馴染であり”海月ヨル”最古のファンでもある関係性を通じて、来週あたり発火しそうではある。
 まひる自身が信じきれなかった才能を、信じ手を引いて眩しい光の中へと誘い出した花音ちゃんの特別さは、多分キウイちゃんも届かぬながらずっと手渡してきたもので、しかしそれではまひるは動き出せなかった。
 自分を夜に連れ出す眩しい悪魔の、特別さを背負えなかった”大事な友だち”として、キウイちゃんが親切の奥に相当質量デカい感情隠している様子……それにまひるが気づいていない気配も、元アイドルとヤバオタクの衝突の陰でジワジワ積まれている。
 ここがドカンとぶっ飛ぶと、まひるを間に挟んで2つの才能が感情の爆心地で大怪獣バトルしてくれそうで、今からメチャクチャ期待してる。
 ぜってー自分だけが支えてきた才能が嬉しそうに語る、自分の知らない新しい女にメラってるでしょキウイちゃん……そういうの理解っちゃう。(期待混じりの妄念)

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 そこら辺の爆裂は先の話として、音楽という自分の領域を通すことでやべー元ファンと向き合う必要性を感じ取った花音は、やべーお嬢様の手に渡った自分の持ち物を取り戻し、相手の持ち物を返……そうとするが、ここではまだ上手くいかない。
 お互いに譲れないものが何なのか、自分たちを繋ぎうるものが何なのか、見つけても思い出してもいないこの段階において、境界線を越えた交流はあくまで押し付け奪い譲らないものでしかなく、二人の衝突は物別れに終わる。
 青いアウターをグイと掴んで引き渡さないめいちゃんも、知らず彼女のアイデンティティを汚してしまう花音も、お互い何かにしがみついて自由に泳ぐことが出来ないままだ。
 この不自由さを描くことで、前回まひるを新しい場所へと導いた花音が彼女自身何かに縛られ、なかなか己を解き放てない等身大の人間であることが見えてくる。
 そんな難しくかっこいい花音のこだわりと強さを、まひるは部外者の距離からちゃんと見上げ見届けていて、『無様な強張りも含めてありのままの己を見てくれる誰かが、隣りにいてくれるのは良いことだな……』と思わされる。

 めいちゃんのヤバさが目立つので、彼女が勝手な解釈ぶん回して推しを傷つける加害者にも見える構図なのだが、そこにはそうやって何かにしがみつかなければ、形を真似なければ崩れてしまう少女の脆さが、確かにある。
 お互いの顔を見ず、自分の顔を見せず、頑なにギリギリ今の自分を守ろうとする切実さが、目を隠した肖像には宿っている。
 『今の私は”山ノ内花音”だ!』と、己の在り方に固執する花音さんの強さは、かつて”橘ののか”だった黒髪のアイドルに救いを見出した少女と、そんな彼女に約束してしまった自分自身を、蔑ろにしていないか。
 そんな冷静な問いかけが、学生証を汚す食べかすで象徴的に描かれているのは、似た者同士の傷追い人がだからこそすれ違い、お互いを大事にできていない現状を鮮明に描き直す。
 この無理解の描写があればこそ、”山ノ内花音”にしがみつく少女が”橘ののか”だった自分を少し許して、自分が差し出してしまった救いの責任を取りにヤバオタクの内側に進み出す一歩が、暖かな手応えを生んでもいく。
 こうやって一個一個、間違えたり強がったりすれ違ったりしながら、それでも笑える温度感でこの物語は青春を描いていくのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 この決別から、物語はめいちゃんの回想へと迂回し、激ヤバオタクの秘めたる歴史へと切り込んでいく。
 前回現実の渋谷とオーバーラップする形で描かれたのとは、また違う幻惑の少ない表現であるが、このスタンダードさがめいちゃんの持ち味であり、あるいは前回の眩暈こそがアーティストとしての”海月ヨル”の特質……ということだろうか。
 ここら辺はJELEEとして実際どういう作品を皆で作り、世の中に吠え声突き立てていくかで答え合わせされていくと思うが、回想の中のめいちゃんはナチュラルな栗色の髪をして、イカれたハイテンションはどこへやら、世界は大変に暗い。
 かっちりした直線が窮屈にせり出す世界は、やらされてるだけのピアノしかすがるものはなく、自分の名前も髪も、ドイツと日本のミックスであるアイデンティティも肯定的に突き出せない憂鬱を、重たく反射している。

 その薄暗さから抜け出す出会いが、偶然足を運んだチェキ会にはある。
 陰口叩かれた生来の名前ではなく、”木村ちゃん”という量産型日本人の偽名で繋がった、あまりにも眩い光。
 ありのままの自分を認め、愛し、求めてくれるアイドルと出会ってしまった少女は、大好きを携帯電話の待受と黒く染めなおした髪に刻むことで、憂鬱な世界をなんとか生きていく力を得ていく。
 先週まひるが”山ノ内花音”に出会うことで歪まされた人生のレールを、”木村ちゃん”は”橘ののか”に出会うことで捻じ曲げられてしまって、その歪さは世間がどう言おうと、過酷な世界で生き延びるための光になっていく。

 かつてサンフラワー……太陽の花たる向日葵だった/そうあり続けることが出来なかった”橘ののか”が、たしかに生み出してしまった奇跡。
 嘘ばかりの孤独な世界の中で、確かにファンと響き合った暖かな手触りと、交わした約束。
 それが今の”山ノ内花音”を否定する呪いだと頑なに遠ざけ、見えなくなっていたものがジクジク、傷ついためいちゃんの心から溢れていく。
 『女一人の人生、狂わしちまったのなら責任ってのがあるよなぁ!』と、心のツボを抉られて花音さんに思わず詰め寄りたくなってしまったが、そういう奇跡の対価をきっちり払う正しさを、失っていないのも花音さんの良いところである。
 皆、あの女に狂わされていくッ!(最高of最高)
 ……相性悪くて喧嘩ばかりだった元メンが、太陽になりきれなかった女に向ける感情もネトネト重たいんだろうなー。
 VSサンフラワードールズ編にも、期待大だぜ!

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 それは先の話として(二度目)、『諦めたはずの過去に涙を滲ませる女の暗い世界を、輝く光でぶち破ってくれよ花音さん!』というこっちの期待に、完全に燦然と応える存在質量バカデカ女の眩さよ……。
 『やべー女だなゲラゲラ』と嘲笑う対象だったはずの、めいちゃんであり木村ちゃんでもある女の子がどんだけ切実に”橘ののか”を求め、当人が投げ捨てた輝きを唯一の支えにして暗い世界を生きてきたのか、知ってしまってはこっちにゃ、救済を希うしかねーわけよ!
 これは壁面に封じられた夜のクラゲを愛で蘇らせて、”海月ヨル”を復活させた先週の花音さんと重なる動きであり、同時にどんだけ最悪な状況になっても”橘ののか”を信じ愛し続けてきた、もう一人の”橘ののか”あっての眩しさでもある。
 花音さんが投げ捨てることでしか生き延びられなかった、嘘っぱちの偶像が確かに手渡してきた救いと約束の形を、めいちゃんが背負ってくれていたからこそ今、それを裏切らない自分を取り戻すことが出来る。
 アイドルとファンが思いの外お互い様で、アイドルやめた今だからこそ同じフレームの中一つに重なって進み出すことが出来る可能性へと、ラノマニノフを伴奏に物語が駆けていく。

 花音さんは札束で自分を蔑ろにされても、”山ノ内花音”を解釈違いと否定されても、耳に飛び込むめいちゃんの音楽に魂を揺すぶられ、思い出した約束に背中を向けない。
 頑なな強さを確かに持ちつつ、柔軟に過去へと立ち返り新たに生まれ直す強さと眩しさが未だ生きているから、めいちゃんはかつて自分を救った黒髪のメサイアが、金髪になって名前を変えても輝いている事実を認められる。
 そうして貰うことで、花音さんも自分が置き去りにしてきたかつての輝きを、孤独な夜を過ごす全ての人のための音楽を、新たに思い出すことも出来る。
 そういう共鳴が境界線を飛び超えて、新しい関係と可能性を生み出していくのは、やっぱ良いなと思う。

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 愛の証を握りしめ、かつて自信なく居場所を明け渡した悪意を前に戦う時、世界は少しだけ明るい。
 ラノマニノフだけがあった防音室に、不似合いなアイドルグッズを祭り上げるほどに、自分がここにいて良いのだと思える幸せの実感はまして行った。
 自分を好きになってくれた人に、孤独を遠ざける音楽を手渡すことで、”橘ののか”は確かに奇跡を生んできた。
 それを否定するばっかではなく、新たに光の方へと進みだそうとしている”山ノ内花音”に繋がる大事な存在として抱きしめ直す一歩目として、かつての”橘ののか”と同じ形をしているめいちゃんの存在は、音楽担当がJELEEに加わった以上の意味を持っているように思う。
 『誰かが見つけ手を差し伸べてくれるからこそ、自分が見捨てていた自分の可能性と向き合い抱きしめられる』という構造は、前回まひるが花音さんに掬い上げられたときと同じで、今回はめいちゃんと花音さん、鏡合わせに抱きしめ合う形なんだな。

 めいちゃんが一曲見事に弾ききって、大好きなののたんに突っ走っていく時、お嬢様らしからぬ無様で活き活きした歩みをしているのが、僕はすごく好きだ。
 先週まひるが悪魔に抱きしめられた時もそうだけど、人間の人生が動き出すときにはそういう力みと歪さが必ずあって、ともすればブサイクな真実の瞬間を、このお話はとても大事に切り取っていると思う。
 俺は張り詰めた心の鎧を固くすることで、なんとか闇の中生き延びてきた人が赤子のように思いをぶつける瞬間が大好きなので、木村ちゃんがののたんに飛び込んでいった瞬間には相当食らってしまった……。
 ドタバタテンポの良い奇人コメディを描きつつ、素直に『良かったね……頑張ってね……』と思える青春絵巻をパワフルにぶん回せているのは、このお話の強みだなー。

 かつての自分に似ためいちゃんを、幾度かの衝突と拒絶を経て抱きしめられた花音さんは、かつて約束を交わしたファンに重ねて、アイドルとしての自分を抱きしめられたのだと思う。
 まだまだ黒髪だった自分を抱きしめ切るには足りないけども、”木村ちゃん”を鏡として自分の大事なものを思い出した今回は、その才能と人格で色んな女を救い狂わせている、花音さん自身が救われるための、大事な一歩なのだろう。
 憧れ救われるファンとアイドルの一方通行ではなく、新しい友達として傍観者(あるいは”見届けるもの”)だったまひるもまじえて、新たな一歩を刻んでいく。
 そんな関係もまた、喜ばしく力強いものだと思えるお話でした。
 まひるが無茶苦茶素直に、結構拗れていた木村ちゃんとののたんの現在地を祝福して、力まず一緒に進んでいく姿勢見せてくれているの、俺は好きだ。
 この軟体クラゲっ子の掴みどころのなさが、固くなれば傷も増える青春の激浪を泳いでいくための、大事な強さになっていくんだろうなぁ……。

 

 

 というわけで、ヤバくて面白くて可愛い”三人目”の善さを、原液120%でドバドバ味あわせてくれる回でした。
 アイドル時代の花音に、重すぎる感情持ってるヤバ女だからこそ削り出せる、鏡合わせの貴方と私、過去と未来。
 ミックスルーツを排除する、面白くもねぇ学校の空気から抜け出して、”高梨・キム・アヌーク・めい”であり”木村ちゃん”でもある自分を肯定できた、めいちゃんを祝福したくなる回でした。

 ラノマニノフの演奏が良い感じに楽曲担当の強さを語って、JELEEの未来がドンドン開けていく手応えも十分。
 境界線を飛び越えながら夜を泳ぐクラゲたちが、一体どこまで這い上がっていくのか。
 次回も大変楽しみです。
 ……そこかしこに核爆発級の女女地雷が埋め込まれているので、どこが炸裂しても最高大惨事なんだよなぁ……。

ブルーアーカイブ The Animation:第2話『私は認めない!』感想ツイートまとめ

 謎のアーティファクト”シッテムの箱”を携えて、先生は借金まみれのアビドス再興に駆けずり回る!
 ブルーアーカイブ The Animation 第2話を見る。

 

 今時珍しいストロングスタイルなツンデレセリカちゃんの反発をテコに、部外者であり大人である先生がアビドスの守護者として認められてていく過程を描くエピソード。
 銃を握らないひ弱な彼に何が出来るのか、セリカの可愛さで絨毯爆撃カマしながらしっかり積み上げていくお話で、足腰強くて大変良かった。
 やっぱ主人公以外起動すら不能、可哀想な子どもらが幸せを掴むための道を切り開く道具として”箱”が描かれると、先生の唯一性が上がって良い。

 とにもかくにも、セリカさん(Classic Style TUN-DERE Black Belt)の可愛さをゴリゴリ押し込む回であった。
 やっぱ異形進化した萌え業界に、あえてコッテコテのド真ん中を投げ込むことで新鮮な風を生み出している感じがあり、ヒドイ扱いされた結果大人を信じられなくなったネコチャンがフーフー言ってる様は、脳髄ぶっ飛ぶほどに可愛かった。

 ややコミカルに転がしていって、自販機前のシロコとの会話をいかにもブルアカな青い透過光で照らし、少女たちの絆こそが勘所だと、キッチリ見せてアクションに入る緩急もよい。
 先生ワッショイもやりつつ、女の子たちの仲良し重点で進めてくれるの良いわ。

 

 装輪装甲車まで持ち出してくるヤバ武装集団が、学校に襲いかかってくる背景も語られたわけだが、多くの生徒が出ていく中でアビドスにしがみつく五人は、逆に言えばそこ以外に居場所がもうないわけで。
 子どもでしかない自分たちを誰も助けてくれない辛さを、降って湧いた救世主に預けたい気持ちが、安易にならぬようツンツンネコチャンが噛みついてくる! かわいいね偉いね…。
 先生がそんな少女たちのメシアになるのは、契約の石版を収める聖櫃をタブレットにして持って特別な存在だから…てだけでもない。
 ラーメン屋の大将とのやり取りから見えてくるように、健気で孤独な生徒たちをどうにか助けたいと思いやり、気持ちだけでなく体を張って抗争の現場に出て指揮を取り、勝利へ近づく手助けをしているからだ。
 (坂田将吾の声帯が付いたモーゼが主役なの、結構面白いネタの調理法だな。ホシノの盾にもIRON HORSと描かれてたし、イスラエルとエジプトが触れ合う出エジプト記が一つの背骨……なんかなぁ)

 ここら辺、シッテムの箱によるクラッキングセリカの居場所を即座に把握し、武力行使要員をスムーズに投下して事態制圧を図る描写で、良い感じに強化されていた。
 アレは持ってて嬉しい主役の証ではなく、子どもらには手が届かない希望を強引に引き寄せるための、非力な戦士の武器なのだ。
 フィジカル強すぎるアドビス人が物理戦闘を担当して、先生が情報指揮を受け持つ役割分担は、バトルのメリハリも付いて大変いい。
カーアクションも交えた戦闘は、ド派手なのに血生臭さがなく、コミカルで暴力的な放課後青春絵巻って感じがあって、独特の面白さだ。
 青と白を基調としたカラーリングが、構えた銃器に良い意味での玩具っぽさを与えて、ハードなアクションが重くなりすぎないよう、ちょうどいい塩梅で味付けしてくれてる感じ。
 でもアビドスの猛者が存分に実力を発揮する銃撃戦にはちゃんと迫力があって、賑やかで楽しいクレイジースクールライフを彩ってくれているのが、いいバランスだなと感じる。
 ここら辺序盤の軽快な無双が終わって、強敵とガチる展開になってくるとまた、味が変わってくるのかなぁ。
 ネームドとやり合う場面が今から楽しみだ。

 

 

 

画像は”ブルーアーカイブ The Animation”第2話より引用

 つーかバギーから投げ出される時、普通なら大人である先生がアヤネをかばう感じになると思うけど、描かれたのは逆にアヤネが先生を抱きしめて着地する絵だった。
 スナック感覚で実弾ぶっ放し合う、アビドス人の頑丈さに比べて、先生はごくごく一般的な人間の脆さなんかなー。
 とすると、不壊なる天使たちの中で唯一死する運命を背負った人間が、人の儚さを恐れず誰かのために荒野に突き進んでいくという対比にもなってきて、先生のキリスト性もガシガシ強化されていく感じだが…。
 萌えとアクションにゴリゴリ、正統オカルトをねじ込む味付けなので、ついつい秘教妄想が迸りがちなのはあんま良くないか…。

 

 さておき、先生に強めに当たるセリカを二話の主役に据えたことで、彼が生徒たちに受け入れられていく流れも素直に飲み込めて、大変良かった。
 こういうチャーミングな衝突無しで、無条件で認められちゃうと逆に引っかかり強かったと思うし、『言う役』担当したセリカは偉い。

 信じられないけど信じたい、プルプル震えるピュアハートの描写が鮮烈だったので、一話で評価を改める素直さが可愛く思えて、思春期の子と向き合ってる感じも強くなった。
 自分たちの居場所を守りたくて必死にあがいても、クズみてーな大人ばっかが全てを奪っていって、何も信じられなくなってたところに先生降臨だからな…そら甘咬みもするよ。
 しかし先生が体張って、銃弾で証を立ててくれた結果、本当は信じたかったものを素直に信じられるところへ、セリカは辿り着けた。
 チョロいっちゃあチョロいが、そういう柔らかさを柔らかいままに守ってやるのが”先生”の仕事だと思うし、主人公がやって欲しいことしっかりやり遂げてくれる話運びは、爽快感と信頼感が凄い。

 あとホシノののんべんだらりおじさん顔が、戦闘になると一気に蒸発して引き締まるの、最上位学年らしい油断のなさで好きだ。
 その鷹の目でまだ、先生のことを信用しきらず睨みつけているのは、後輩たちを守りたい気持ちを感じれて、なお好きである。
 ちびっ子なのに盾構えてタンクやってるの、守護者の気概感じて素敵ね。

 

 というわけで、砂に埋れかけの大事な居場所に集った先生と生徒のことを、もっと好きになれる第二話でした。
 鉄砲持ってようが、萌え萌え天使ちゃん達はみーんな震えるガキだからよ…介入可能特権を持ってる主人公様は、その不安も祈りも分かってあげた上で、やれること全部やって欲しいのッ!
 そういう見てる側のワガママを、先生がちゃんと叶えてくれる展開になっていて、大変良かったです。
 治安の悪さと硝煙の香りで分かりにくいけど、座組としてはスタンダードな廃校/廃部阻止モノなんだなぁ…。

 なんか凄そうなネームドも颯爽登場カマして、こっからどう話が転がっていくのか。
 次回も大変楽しみです!