イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第4話『両A面』感想

 夜を自由に泳いでいるように思えた月だって、同じ息苦しさに沈んでいたと解った時から、私たちの音楽が始まる。
 四人のJELEEが本格始動する様子を描く、ヨルクラ第4話である。
 大変良かった。

 ここまで色んな人の手を引き、地べた這いずり溜息ついてる人生を前に進めてきた花音さんであるが、今回は彼女が抱える鬱屈や弱さが暴かれ、JELEEの仲間となった者たちがそれを支えていくことになる。
 この優しさと強さの連鎖は例えば前回、花音と出逢ったからこそ前を向けるようになったまひるが、天の岩戸に閉じこもったキウイちゃんを引っ張り出したのと同じであり、弱くて間違っていて眩しくて強い、複雑な可能性を秘めた少女たちがお互いに響き合いながら、挫折を乗り越えていく様子を多彩に描く。
 抱えたものはそれぞれ違えど、ふさがりきらない傷が時折痛むのは同じで、それでも何者かであろうと顔を上げ、MVに個性と才能を詰め込んで世に問う。
 四人で一つのアートユニットが、己の存在証明を叩きつける時、特権的にリーダーだったり無敵だったりする人はどこにもいなくて、自分と同じ傷だらけの女の子が隣に立っているのだと、クリエイティビティが躍動する中気付いていく。

 顔の見えない誰かに嘲笑われて、立てなくなるほど苦しい思いをしてきた人が再び背筋を伸ばすために必要なのは、同じ傷を曝け出し受け止めてくれる同志であり、優しくしてくれたから優しくし返す、当たり前で大事な互助関係だ。
 一方的に与えたり助けてもらったりするのではなく、色んな才能や楽しさを持ち寄って互いに支え合う平等な距離感が、MVを構成する諸要素を分担しながら、一つの音楽を作っていく制作姿勢と重なり、JELEEの芸術を形作っていく。
 そうして新しい名前を得て、四人であればこそ私でいられる自分を掴み取った先に、どんな影と光が待っているのか。
 まだまだ物語は始まったばかりだが、強さと優しさに満ち溢れたJELEEの在り方はとても眩しくて、その未来もまた夜に輝いていくのだろうなと思えた。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第4話より引用

 青春の光と影、抑圧と解放を描くこのアニメにおいて、少女たちは狭苦しいフレームに常に囚われている。
 それは過去の思い出と現在の息苦しさで、窒息するほどに満たされている檻であり、ここから抜け出し広い場所を自由に泳ぐ……あるいはクラゲのように流されていくことを、皆が願って物語の中に立っている。
 JELEEとして活動すること、四人でいることがこの窒息生の水槽から、少女たちを開放する答えになっていくわけだが、その開放感をより強く描くためには囚われている現状を的確に可視化する必要があり、暗いフレームに囚われた少女たちの群像は、そんな切迫感を見事に描いてくる。

 冒頭、ここまで話を明るく牽引してきた花音さんもまた何かに囚われ、不自由な場所で息苦しくしている一人なのだと、ロフトからの景色が良く語っている。
 この不自由な情景は幾度かの衝突を経て、皆で集い率直に意見を交換し、一つの音楽を作り上げていくJELEEの景色へと開放されていくわけだが、そういう変化が起こる前には、色んな子たちが同じ檻に囚われていた。
 まひるの舞台パフォーマンスに勇気づけられてなお、傷つけられた痛みにうずくまってるキウイちゃんはモニターの中、自分の大事な女が別のとキャッキャしている様子に引っ張られ、コウモリの翼でフレームの外へ飛び立っていく。
 めいちゃんを嘲笑われる痛みに縫い止めていたスポットライトの灼熱も、もう過去のものとして皆に曝け出されている程度に癒やされ、それを語ることがJELEEの連帯を深める足場にもなる。
 そうやって檻を壊して自分を外に出す強さと信頼は、JELEEを始動させ引っ張るリーダーが仲間に優しくしてあげたからこそ生まれたもので、その眩しさが反射することで、花音さんは自分を閉じ込めるフレームから、自分を開放していけるようになる。

 

 そしてしがらみと後ろめたさ、もしかすると微かな名残惜しさで花音さんを縛っている、サンフラワーガールズの現在地もまた完全開放というわけではなく、花音さんは自分を置き去りに再起動を始めたかつての仲間……それに構って自分を見てくれない/今の自分では見つめられない母を街頭モニタの中、窮屈に睨む。
 海の月たる”JELEE”と向日葵を名に背負う”サンフラワーガールズ”、ネットとメジャーで真逆の存在に見えて、太陽の光に惹かれ反射することで輝く受動的な存在って意味では、根っこが同じだからな……そら複雑に乱反射し、共鳴もする。
 酩酊の中でも確かに妹を思いやる姉が過去を晒すことで、JELEEの仲間たちも花音さんを閉じ込める水槽にどんな過去が閉じ込められているか、上から覗き込むことが出来る。
 見つめ、見つめられ、閉じ込め、閉じ込められる、双方向な感情と痛みの鎖は確かに重たいが、しかし何もかもを動かせなくするほど硬くもなくて、友情と決意と勇気で爽やかに、解き放つことが出来る枷だ。
 皆で力を合わせて一つのMVを作り上げる、JELEEのクリエイティブがそういう不自由と自由を、見ているものに受け入れやすい形にしっかり整形して届けてくれるのは、アートを主題にしている物語だからこその強さだと感じる。

 花音さんを縛る視線もまた双方向で、因縁深き瀬藤メロがブリブリな外キャラ引っ込めて、ドロドロに渦を巻いている執着を向ける相手は、勿論”橘ののか”だ。
 雪音Pを盲信する甘い視線が唯一引っ込み、獣じみた鋭さを顕にしてくる理由と因縁がどこにあるかは、もう少しJELEEの物語が先に進んで描かれるものなんだろうが……チラ見せ段階で既に湿度と重力凄くて、かなり期待している。
 こういう砂糖菓子の外套に執着の刃を隠しているタイプが、一番ヤバいんだって……! 百合色のCloak & Daggerッ!!!

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第4話より引用

 少女たちを捉える水槽がどんな色合いで、そこでどういう触れ合いを経て自由を得ていくか。
 アートに青春を捧げる群像を切り取りながら、細やかな心の動き、出会いと共鳴が描かれていく。
 まひるに背中を押され暗い部屋から出ることにしたけども、やっぱり知らない人怖いキウイちゃんは最初フードとマスクで武装し、JELEEの同志とはやや遠い間合いで一線を引いている。
 黙ったまんまじゃ何にも変わらないと、自分の意志でフードを外して素面で向き合い、かつて笑われたピンクの髪を肯定的に受け入れて貰うことで、マスクを外して嘘の鎧を自分の言葉で引っ剥がしていく。
 登校拒否も否定されるべき間違いじゃなく、沢山ある人間の在り方の一つだと豪快に笑い飛ばしてくれることで、臆病なヒーロー志願者は体重をJELEEに預けていく。
 そうさせる明け透けな明るさと力強さ……第1話でまひるを暗い場所から引っ張り上げた華やかな眩しさが、確かに花音さんにはあって、それが色んな人を引き付け人生を変えていく。
 でもそんな大きな星だって、無傷で無敵な訳では無い。

 自分が岩戸の向こうに連れ出したキウイちゃんの身じろぎを、まひるがメチャクチャ気にかけ背中にかばって守っているのが、あまりに強くて優しくてよかった。
 俺はマジで、自分なり精一杯の勇気を絞り出してるからプルプル震えている人間のことを真っ直ぐ見れて、もし世界がそいつを傷つけるなら自分の体を盾にして守る姿勢見せてる女(ひと)に弱いからよ……。
 キウイちゃんに優しいまひるを見てると、ドンドン好きになってしまうね。

 

 今回のまひるはマジでずーっと、キウイちゃんが自分の好きな人たちと仲良く慣れるかめっちゃ良く見ていて、あんまフツーに親しくなるための儀礼を気にかけない、強火オタクと登校拒否児と負け犬アイドルの間を取り持つ。
 燃え盛るクリエイティブに一心不乱になるあまり、セルフ・ネグレクトに片足突っ込んでいる花音さんの浮世離れは、流行りのカップティラミスを買って皆で盛り上がる、フツーのコミュニケーションを跳ね除ける。
 学校という社会に馴染めなかったドロップアウト組が癖強いのは納得として、一応仮面優等生演じられてるめいちゃんが推しの部屋に入った途端、空気は採取するわワーワー騒ぐわ、激ヤバ生活破綻者っぷり全開にするのは、やっぱ面白すぎるな……。

 しかし量産型を目指し人間関係を泳ぐ能力を、鬱屈した日々の中鍛えてきたまひるは、ただ目標に向けて突っ走ってるだけじゃ辿り着けない連帯を紡ぐべく、一見回り道に思える社会的グルーミングを、しっかりやる。
 色んなトッピングが乗ったピザを分け合い、チョコエッグの中身当てゲームにはしゃぎ、MVづくりには関係ないじゃれ合いが、緊張と警戒をほぐして間を取り持っていく。
 そんな柔らかな繋がりを生み出す能力は、”海月ヨル”を殺してフツーに生きていたからこそ生まれたまひるの強さで、あまりに真っ直ぐすぎる花音さんの足りない部分を、優しく補っていく。
 ここでまひるが手渡した、JELEEがJELEEである証を持っていたことで、花音さんは夜に迷った時自分がどこに行けばいいのか、思い出すことが出来る。
 そうして見つけてもらう喜び、抱きしめてもらう嬉しさは、あの夜の渋谷で……あるいはピアノの発表会で、まひるとめいちゃんを抱きしめた花音さん自身が、仲間に手渡し得たものだ。
 それぞれ美点と表れ方は違えど、皆自分たちらしいやり方で誰かを思いやり勇気づけれるのだと、JELEEの四人が持ってる善さを丁寧に削り出し積み上げてくれる手つきが、彼女たちをどんどん好きになれてありがたい。

 

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第4話より引用

 今回のエピソードは四人になったJELEEが気付く/気付いてもらえる、抱きしめる/抱きしめられる、与える/与えられるという諸関係において、かなり平等で相補的である様子を丁寧に積み上げていく。
 酔態を困惑顔で抱きしめてもらったJKの恩義に報いる形で、姉が大事な妹が見つけた新たな仲間たちに伝える、深めの傷と焦る理由。
 それを受け取ることでJELEEは夜に迷った彼らのリーダーを探し出し、帰るべき場所へと導く事ができる。
 花音さんが仲間のために流行りのティラミス(それがJELEEのための聖餐であることは、カップに刻まれたクラゲからも明白だ)を買おうと思えたのは、まひるが手渡してくれた優しさと信頼の証が、ポケットの中で自分の居場所を教えたからだ。
 与え、与えられ、また与え返す。
 そういう幸せな繋がりがリレーされて、JELEEはJELEEになっていく。

 そこにはただ受け入れるだけの一方通行はなくて、レスバ最強のキウイちゃんが極めて正当に、花音さんがひた隠しにする”期限”の理由を問い詰めれる厳しさがある。
 そこを隠して唯々諾々と、リーダーの焦りにだけ付き合っても対等なクリエイティビティなんぞ成立するわけがないわけで、キウイちゃんがグイグイ行くのは大変正しいと思う。
 正論の切っ先を避ける形で夜に逃げ出した花音さんの事情は、酔いどれ姉貴が色々教えてくれるわけだが、おそらく離婚によってかつてすべてを捧げた母と、花音の名字が違っているのはなかなか興味深い。
 ”山ノ内花音”と”橘ののか”、2つの名前を持つ少女をメインエンジンに据えて展開しているこのお話において、他のメンバーも複数の名前を持ち、それぞれにアイデンティティを宿している。
 花音さんが何故アイドルをやっていて、それがどう崩壊したのかが今回見えることで、彼女の中にはもう一つの名前……母に愛され繋がっていられた”早川花音”と、望む偶像でいられないまま引き裂かれた”山ノ内花音”が、分断されたまま横たわっていることが解ってくる。

 

 モニターの向こう側で、幸せそうに(おそらく母の期待と指示に見事に答えて)微笑むメロを睨みつけながら、花音さんはあまり美味しくなさそうにエナジーバーを頬張る。
 栄養補給さえできればいいと、目的のために最短距離を突っ走って大事なものを取り落とす花音さんが、ついつい蔑ろにしてしまう食と清潔。
 それが魂の糧として、関係性の潤滑油として大事な機能を果たす様子は、仲間たちがリーダーを見つけ直し(あるいはポケットの中の月に照らされ、花音さんが今の自分を見つけ直し)た後描かれるわけだが、その前景としてゴミに溢れた私室の様子、寿命縮める激ヤバ食生活を描くのは大事だ。
 どんだけ熱意と才能に溢れていても、花音さんが一人きりなら補えなかった潤いと華やぎを、JELEEのメンバーは手渡してくれる。
 それがとても大事なものだと思えたから、クラゲの光で自分を見つけた後の花音さんは、一回どうでもいいと遠ざけたはずの流行りのスイーツを、皆のために自分のために買った。
 それがぴったり4個じゃなくて、ちょっと多すぎる6個なのは、花音さんのチャーミングな不器用であり、それが上手く形にできない思いやりが、彼女の中に溢れている証明だと思う。

 そういう上手く生きれない人間の気持ちは、同じ武器用人間だからこそ解る。
 色々ヤバい屈折を抱えつつも、一応制服着込んで学生やれているめいちゃんが想定する明るい場所ではなく、キウイちゃんは不登校仲間の共鳴でもって、花音さんが流れ着きそうな岸辺を直感する。
 この時まひるではなく、めいちゃんのお手々をギュッと握りにいった渡瀬キウイの変化に、俺の心臓は破裂寸前まで追い込まれたッ!!
 まだぎこちない所ありつつ、自分を嘲笑わない仲間と触れ合う中で、体温を預けてもいいと思える相手が増えてきてるんだねぇ……。
 あんだけガチオタであっても、あるいは神格化しちゃててるからこ死角になってる部分がめいちゃんにはあって、その人間として当たり前の欠落を仲間が補ってくれて、見つけるべきものを見つけられる様子が描かれているのは、四人で一つのJELEEがどういう生物なのか、心に届く表現してくれてて良かった。
 不器用人間特有の視力でもって、暗い影に迷いかけてた仲間を見つけ駆け寄ってくる姿の温かさ、ホントこのアニメの良いところだと思う。

 

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第4話より引用

 頼れる仲間に花音さん探索を託し、元量産型は何をしていたかというと、部屋を片付けシチュー作っていた。
 尖った才能と情熱が置き去りにしてしまいがちな、心を安らげ絆を繋ぐ大事な儀式をまひるがやってくれることで、花音さんはもしかすると事件以来ずっと満たされなかった腹を満たして、一人きり狭い檻の中で生きていない喜びを実感していく。
 やっぱ生活に密着した衣食住の描写が、魂の在り方と共鳴してキャラクターを深く掘り下げていく表現が俺は好きだし、乱雑なまま放置されている花音さんの私室が公開されたこと、そこにJELEEが踏み込みまひるがケアする特権を手渡し合っていることが、迷って寂しがって飯食って活きてる”人間”山ノ内花音の顔を、新たに削り出していく。
 第1話であまりに鮮烈に、人生の暗い場所から引っ張り上げられちまったまひるが、量産型クラゲっ子として人間社会上手く漂ってる間に鍛えた力を活かして、恩人に今必要なものを自然体で手渡している姿は、描かれるべきものが描かれるべきタイミングで形になった、物語の醍醐味を感じられた。
 やっぱねぇ……お互い思いやって前に進んでいく、対等で力強い青春が積み重なるの見れるのは最高。

 自分の傷を暴かれたと、まひるに言われた時花音さんが今まで見せなかった弱々しい表情見せるのも、花音さん主導で進んできた物語が新しいステージに入った感じがあって良かった。
 こういう顔を見せないことで、量産型の海から”海月ヨル”を蘇生させた花音さんだって、傷ついてうずくまっていた過去があって、それを知られて仲間が遠ざかっていかないか、心配にもなる。
 ここで出会いの時、ピンクアタマも登校拒否も笑わなかった花音さんへの信頼に背中を支えられて、キウイちゃんが率先して自分の傷を見せること……その真心に花音さんがちゃんとお礼をいうの、とても良い。
 誰かが受け止めてくれるからこそ、これ以上傷つきたくないと一度は影の中に沈んだほどの痛みを改めて切開し、今度は笑い飛ばしたりシチューの滋養で治したり、同じことの繰り返しじゃない未来を作っていける。
 そういうお互い様な関係性を夜のクラゲたちは、探り合い時に傷に触れて逃げ出して、一個一個作っていく真っ最中なのだと解るのは、とても良いことだ。
 JELEEがクラゲをトーテムにしているのは、自分では輝ききれない蓄光性と泳げない浮遊性故だと思ってたけど、『柔らかくて傷つきやすく、でも不死で無敵』って要素も、皆に共通しているからなんだなぁ……。

 

 この個人的な連帯と治癒が、JELEEとしての新しい歌を世界に向かって叩きつけ、バズって自分たちを承認してもらえる武器にもなっていくのが、公私のバランスが取れてて好きだ。
 今回のお話は花音さんのクリエイティビティに引っ張られる形で完成した”最強ガール”とはちょっと違って、四人が私的な空間で顔を合わせ、同じ釜の飯を食ってぶつかり解りあったからこそ、嘘のない自分たちを表現できる楽曲の生成過程を追いかけていく。
 ”月の温度”には今回のエピソードで描かれた私的な体験が、硬めの韻(”冷たいリアル”と”ポケットにある”とか)を交えてより普遍的な詩へと形を変えて刻まれている。
 そうやって、一個人が感じ取ったものをとても鮮烈な強さでもって、色んな人に届け共鳴させられるからこそアーティストはアーティストであり、曲はバズるべくしてバズる。

 その根っこにはアーティストとしての山ノ内花音の情熱とセンスがしっかり居座っているわけだが、適切な飾り方やケアの仕方が分からない花音さんだけでは、曲は数字を手に入れていない。
 欠けたものを補い合えるJELEEだからこそ、MVも楽曲も前より進化し、少ない素材をタイポグラフィーのセンスで魅せてた”最強ガール”より、もっと力強く華やかな新曲で、世界に勝負を仕掛けることが出来る。
 花音さんが己の焦りを秘している間は、身勝手な押しつけでしかなかった”締め切り”に……リーダーを傷つけた古巣との勝負に間に合わせることもできる。
 JELEEの四人が仲間になっていく過程を、花音さん一人にそのアートを背負わせない強さを、ドラマの中で描くことで、生み出された楽曲が何を秘めているのか、どこから生まれてきたのか、クリエイティブの内側に親身に潜り込むことが出来るのだ。

 物語の冒頭においては狭く孤独なフレームに、カノンさんを閉じ込めていたロフトは、お互いの傷を曝け出したクライマックスにおいて、より広々した逆位相から描かれる。
 そこは花音さんの定位置で、しかし一人きりだった時とは違う景色が部屋に広がり、JELEEはそれぞれの才能を呼応しながら柔らかく形を変えて、自分たちの今を刻んだ曲を作り出していく。
 高低差と距離がある、同じ部屋にいるんだけどもベタベタ密着はしてないJELEEの距離感が、ここまでの物語の答えとして描かれているのは、傷を舐め合うのではなく曝け出し切開して、しっかり真心で治療していく彼女たちのスタイルを、上手く可視化していると思う。
 自分たちの出来ること、やるべきことを眠気ぶっ飛ばしてやり切り、一つの証を”月の温度”としてまとめ上げたときには、皆同じものを見て凄く間近に、肩を寄せ合って未来へ進むことも出来る。
 そこに至るまで、ベタベタ引っ付いた距離感でいなければならないという不自由からも、夜のクラゲたちは自由だ。
 そういう爽やかな自由が、少女たちがぶつかりあって見つけた自然体だと思えるエピソードだったのは、大変良かった。

 

 

 というわけで自由奔放な夜の女王の震えを、同志たちに曝け出し抱きしめて、新たな叫びを世に問うエピソードでした。
 生きづらさを抱えた少女たちが、運命的に出逢ってお互い引き合う強い引力をドラマの中にしっかり刻みつけつつ、年頃のチャーミングを山盛りぶっこんで萌えさせてくれたり、アート集団JELEEがどのように作品を作っていくのか、何が歌に込められているのか理解らせる作りで、めちゃくちゃ良かったです。
 こんだけの思いと生き方を、皆に伝わる形に凝縮し翻訳してMVにしているからこそ、JELEEは電脳の海に燦然とバズる存在になっていく。
 そういう納得がちゃんとあるの、匿名アーティスト成り上がり物語でもあるこのアニメを見続けるにあたって、すげぇ大事なことだと思います。

 JELEEが世界に見つかるのも、花音さんが無敵の女神の座から降りて”人間”になるのも、正直もうちょい先だと予測していたので、今回の話運びは嬉しいサプライズでした。
 出会って、照らしあって、傷を暴いて、詩で塞いで。
 四人で一つに混ざり合い、別々だけど同じ夢を形にしていく可愛いクラゲたちが、バズの波に乗ってどこにたどり着くのか。
 次回も面白いものが見れそうで、とても楽しみです!

終末トレインどこへいく?:第5話『骨にされてしまいます』感想ツイートまとめ

 欲望のまま振る舞うことを許された世界で、人を人足らしめるのはどんな鎖か。
 終末トレインどこへいく? 第5話を見る。

 謎めいた旅を経てたどり着いた稲荷山公園は、ボスの支配するディストピアだった。
 晶の心を取り戻すべく、巨大少女達の奮戦が始まる…というお話。
 得体のしれない東吾野の有り様に比べると、脅威が直接的な分全体的に与しやすく思えた。
 砲撃戦にステルスミッション、格闘戦と多種多様で凝ったアクションの組み立ても面白く、作品が追いかける絶望の中の微かな希望が、吾野柔術の冴えによく映える回だった。
 つーか弓術の方も直接打撃アリかよ…どんな修羅の国だよあの世界の吾野

 

 東吾野では一人仲間を救うべく頑張った晶に報いるために、静留と玲実は様々な戦いを潜り抜けていく。
 自由を手に入れるための舌戦、人目につかないように目的地を目指す潜伏戦、ボスに支配された軍隊を相手取った激戦と、暴走した玲実を落ち着かせる心の戦い。
 ミニチュア化した稲荷山公園を生かした、サイズ感のある描写が大変良くて、緊張感と面白さのある絵面で話を牽引しつつ、欲望を止める手段がなくなった7G世界の美徳と悪徳が、新たな角度から照らされていた。
 発見されやすい巨体を街に隠し、ドクターの下へ進んでいく場面が特に良かったな…パワー勝負一辺倒にせず、しっかりメリハリあったの素晴らしい。

 賢いドクターを先頭に立てて、稲荷山公園の人たちは狂いきった世界でなお人間であろうと頑張っていた。
 しかしその美徳はミニチュア世界の外からやってきた、デカいだけのガリバーによって踏みにじられ、平和な街は子どもじみた基地フェチの欲望に奉仕する、暴力的階層社会へと変わっていってしまう。
 偶然強いだけの立場にたったボスが、願いを恣にできる誘惑に負けた姿は、同じサイズで暴れれる静留たちが晶のために暴れつつも、適切に目的を果たし理性を取り戻して、街を去っていくのと対照的だ。

 

 狂気が世界全体に拡大し、心のあり方がその外側へと侵食してしまう、境目のない7G世界。
どんな妄想でも、権力や武力の歯止めなく…というか軍隊が率先してその妄想の尖兵になってしまうような、既存秩序が崩壊し反転した世界において、人間を人間たらしめるものは何なのか。
 あるいはそんな世界ではもはや、人が人である理由などどこにもなく、ただただ野放図に欲望を追い求めていればいいのか。
 東吾野に描かれた、短く幸福な終わり方も含めて、この話はトンチキな絵面の中に結構シリアスに、世界が終わり狂ってしまったからこそ暴かれていく、普遍的な人間性への問いかけを秘めている。
 そしてその答えは、いつでも友情に回帰する。
 いやー…かなりキテたな晶と玲実。愛ゆえに獣となる強まりギャル、マジ最高。

 衒学趣味な晶が、キノコに寄生されて取りこぼしてしまった”らしさ”は、ガーガー言い合うながらも彼女とずっと一緒にいた玲実こそが見つけ、口に押し込む。
 彼女を助けさえすれば全てが解決するはずだったドクターの策は、散々走り回った挙げ句有効打にならないわけだが、『オメーはサド読んで知識マウント取ってくるクズだっただろ!』と、ダメな部分含めて本質を感得している親友の見つけたものが、死病を乗り越える特効薬だったのだ。
 一番大事なものは自分たちの外側ではなく、騒々しい思い出と絆の中にこそあったと状況が解決していくのは、メーテルリンクっぽくて好きだな。
 狂って壊れてなお、おうちが一番。

 こんなに終わってしまった世界において、欲望を縛るものはもうない。
 犯罪を取り締まる外的秩序は崩壊しているし、妄想を妄想で終わらせるには、7G世界は心が現実を侵食しすぎる。
 ボスの秘めた願いは正気の世界では叶うわけのない望みと吐き捨てられて終わるもので、しかし狂った世界で偶然力を手に入れてしまった結果、彼は巨人の背丈を手に入れ、夢だった自分だけの基地を形にしていく。
 稲荷山公園に芽生えつつあった小さな秩序、確かな美徳を壊すとしても、ずっとやりたかったことをやる。
 その欲望中心主義は、確かにサド的だ。
 …ペダントリーなコスリと思いきや、芯食った描写にしてくるから油断できんね。

 

 玲実がひっちゃぶって口に突っ込んでいた”美徳の不幸”は、外側から押し付けられた倫理に従う少女が、悪意と欲望に満ちた世界に翻弄され、何もなし得ぬまま終わっていく物語だ。
 今回巨体を時折暴走させつつ、玲実がボスと同じ欲望の奴隷にならなかったのは、彼女たちを突き動かす目的意識が誰かに押し付けられたものではなく、その内側から湧き上がる友情の痛みそのものだからだ。
 街を破壊し尽くす程に暴れ狂う玲実を、すんでのところで制して正気に戻す吾野柔術の冴えには、『友達だから助ける、止める』という、極めてシンプルな倫理が反射もしている。
 思えばこの激闘に辿り着けたのも、東吾野で晶が頑張ってくれたからだ。

 夢をバカにする連中しか周りになく、孤独なまんま力と欲望を暴走させたボスを、止めてくれる人はいない。
 結果人のあるべき形を失った彼はその報いを受けるわけだが、彼の孤独と欲望に静留がちょっと共鳴しているのが、面白い描写だった。
 こんだけ狂ってしまった世界でも、願いを叶えるために闘うべき相手は自分と何処か似たものを持った”人間”でしかなく、間違った行動の中に何か、響き合うものを感じる。
 これは晶が東吾野において、さんざん安楽な欲望に自分を飲み込もうと迫ってきた”敵”がそれでも、旅を続けるための助けを手渡してくれた事実に対し、ちゃんと頭を下げた描写と呼応しているように感じる。

 

 無論キノコジャンキーや基地フェチは旅に同行する仲間などではなく、打ち倒すことで本当に大事なものを思い出し、少しずつ強くなっていくための壁でしかない。
 四人で旅をするからこそ、自分の内側から湧き上がってくるものを制御できるからこそ続いていく池袋の旅は、そういう正しい主役になれなかった欲望の奴隷で溢れているのだろう。
 しかしそれは少女たちと異質な怪物の群れではなく、どっかに似たところがあって、でも何かを致命的に間違えてしまった、歪んだ鏡合わせの人間模様だ。
 自分がどんな存在で何を願い、叶えるためにどうすればいいのか。
 イカれた旅路の中には、そういう普遍的な問いかけが確かにある。

 欲望のまま他人を蔑ろにするサド的世界を、玲実の友情はビリビリに引き裂き、親友の内側に戻していく。
 そこに描かれているものが本当に正しいのか、自分の顎と頭で消化して糧にしていく”真の読書”が、ああいう形で表現されているのはとても面白い。
 サドを愛読しつつも大変ビビリで、激ヤバ妄想と適切な距離を取って過ごしている晶は、失いかけていた自分らしさを友達に注入され、頭でっかちな理念≒妄想をぶっ飛ばされる形で、自分を取り戻す。
 それは東吾野において彼女が闘った、心地よい終わりの誘惑をもう一度乗り越えて、他人を踏みつけにせず、自分の足で仲間とともに未来へ進んでいく、旅への帰還だ。

 

 晶を取り戻すための戦いが、本拠地であり皆で帰るべき場所でもある吾野に、新しい知性を足してくれそうなのも面白い。
 結局ドクターを助けるべく走り回ったのは、直接晶救済には寄与しないわけだけども、その苦労がいつか、静留達の旅を助ける日が必ず来るのだろう。
 やっぱり相当ヤバかったウニャウニャ手術から、善治郎が身を挺してドクターを守ったことが、巡り巡って物語を良い方向に引っ張っていくように。
 結構な回り道をしながら、確かに狂った旅で得たもの、育んだものがあるのだと感じられる話運びになっているのは、見てて徒労感がなくていい。
 いや、全然先は見えないんだけどさ…そのワクワク感もええわな。

 失われた晶らしさを取り戻すべく、ミニチュアの街を駆け抜ける大立ち回りを演じた今回は、終末トレインの旅が誰ひとり欠けてはいけない、友情に支えられた歩みだということを再確認させる。
 東吾野稲荷山公園を舞台に演じられた、晶と玲実の奮戦をそのままスケールアップすると、喧嘩別れした葉香を探し求めて狂った世界に飛び出した、静留の思いをエンジンに進んでいる物語全体の構造と、しっかり接合されていく。
 欠けて壊れてしまったものをそのままにはしておけないから、晶は一人で狂気の菌糸類と戦い、玲実はたった一人の軍隊として暴れ、静留は仲間とともに池袋を目指している。
 その清らかな欲望が、やはりこの物語の推進装置だ。

 

 願いが身勝手な我欲に終わらず、社会からの押しつけはもはや機能していない。
 何をやっても良くて、何もかもが可能になる自由で野放図な7G世界では、人間性のレールから巨人は簡単に脱落しうる。

 友だちと一緒に、狂った世界を駆け抜けて故郷に帰る。
 そういうシンプルで真っ直ぐな答えが、狂って壊れて…極めてサド的な場所へと雪崩落ちている7G世界にどれだけ通用するのか。
  真実人間らしく、自分らしく何かを求めることをこの旅は否応なく問うてきて、晶と玲実がワーワー走り回りながら描いた軌跡は、凄く庶民的で普遍的で高潔な…つまり反サド的なアンサーを描いているように思えた。

 (バスティーユ監獄と精神病院という、マトモな社会が狂気と悪徳を閉じ込めていく装置の中に、自由を制限されていたサド。
 彼は欲望が叶わない現実の極みに閉じ込められていたからこそ、後に個人的な性的妄想、一つの世界認識様式にその名前を冠するほどの、凶暴な欲望を物語≒妄想に書き綴り得た。
 それを思うと何もかもが可能な7G世界が、極めてサド的な野放図な欲望に満ちているのは、面白い皮肉だ。
 ”悪徳の栄え””美徳の不幸”二部作によって批判された、押し付けがましい外部からの倫理の超越、内なる欲望の開放讃歌が巡り巡って、友だちを求める清らかな内的願望、独善を正してくれる友情の導きによって狂気と困難を乗り越えていく物語に対置されるのは、個人的にとても面白い文学的漂流だ。
 純文学とアニメという、メディア・ジャンルの差異がそのまんま、是とする主題と理念の違いに繋がっている感じもまたある)

 

 そういう作品全体の見取り図を、奇想と冒険と萌えに満たされた面白い絵面に反射させつつ、楽しく見せてくれるエピソードでした。
 玲実と晶がガッチリ描いてくれた絆と強さが、静留と葉香を主役にした時どういう輝きと陰りに彩られるか…あるいはカプからあぶれてる撫子ちゃんをクローズアップした時どうなるかも、とても楽しみです。
 めっちゃトンチキな味付けなんだが、少女と少女が惹かれ合い結びつく心の強さには、嘘のない描写がガッチリ食い込んどる作品だからな…ここの描写が太いの、マジ良いと思います。

 友情に支えられながら、欲望という名前の電車は人道をひた走る。
 次回も楽しみです。

 

・追記 オタクとしての在り方を育んだアレソレが、一見無関係なジャンルを野放図かつ野心的に横断し、カオスな己をこっちに突きつけてくるタイプの話ばっかだったので、こういう味付けのほうが逆に安心するのだった。

 

 

時光代理人-LINK CLICK- II:第3話『2つの葬儀』感想ツイートまとめ

 唸れ鉄拳ぶっ飛べ人間! 
 超絶カンフーアクションアニメ・時光代理人-LINK CLICK- II 第3話を見る。
 いやマージ、人間飛びすぎだって横にも縦にもッ!

 大ピンチを全力で殴りつけ、水平方向にぶっ飛ばすカンフーマスターの助力で危機は脱したものの、異能を用いた犯罪は証拠が上がらず、ただ取り返しのつかない悲劇だけが積み上がっていく。
 悲しみの慟哭を受け止めつつ、”時光代理人”は未来を変えず、届かなかった言葉を写真越しに手渡し、かすかな希望を新たに生み出していく。
 二期らしさと一期っぽさが、同時に襲ってくる回でとても面白かった。
 やっぱ人間飛びすぎだって時光二期ッ!

 

 スターヒーローの伏線を回収しての、老拳侠怒りの鉄拳には驚かされたものの、善良な刑事がぶっ殺され憎たらしい悪党がのさばる状況は変わらず。
 一期では条理を越えて奇跡を成し遂げる助けになってた異能が、今回は悪が尻尾を掴まれない凶器になっちゃってて、話の方向性が変わったからこその皮肉さがキラリと、邪悪に光っている。
 サスペンスとしての作り込みだけでなく、ここら辺のロジックがカッチリしているのは、一期から変わらぬ時光の強さ、面白さだなーと感じるね。
 同時に最後の餞をチェン刑事に送る、時光コンビらしい力の使い方も見れて、社会と異能がどう噛み合うか、多彩に描かれてる感じがある。

 とにっかく敵が上から下まで最悪で、死人はせせら笑うわ息子の葬式で訴訟と金の話しかしないわ、ドブの臭いがプンプン漂ってくる。
 コイツラにリベンジ決める瞬間が果たしてやってくるのか、ハラハラしながら見てもいるわけだが、チエン弁護士が新たな強敵として立ち上がってきたことで、法と知性が相手の武器になってる状況がなかなかキツい。
 あくどい搦め手も混ぜつつ、あくまで世の中動かす道理に乗っかって…あるいは逆手に握って正論で武装してくる感じ、大変タチが悪く憎たらしい。
 入れ替わり能力者との繋がり次第なんだが、話を引っ張るに足りる巨悪って感じがしっかりあって、今後が楽しみにもなる。

 とはいえまだまだ、異能と法を組み合わせて好き勝手絶頂ブッこいてる連中をぎゃふんと言わせるには遠く、超作画のチャオリンビンタをお見舞いするくらいしか、現状手がない。
 あとは奥さんの悲痛な慟哭を聞き届け、微かな救いをたんぽぽのエンゲージリングとともに届けるくらいしかッ!
 …思い返すと一期から、覆せない運命にかすかに人間の証明を刻んでいく、謙虚で健気な異能者達の話だった気もするけどさ。
 そういう意味でも、状況全部をひっくり返せないけども小さな希望を残すラストの写真ダイブは、一期の人情味が戻ってきた感じで凄く良かった。
 功夫と陰謀の二期だからなマージ…。だから飛び過ぎだってッ!!

 

 あまりの悲劇に泣きじゃくりつつ、来世で結ばれ幸せになることのみを救いと祈る奥さんの、健気な思いに応えるように、トキとヒカルが挑んだダイブ。
 同じく写真を通じて他人の運命を捻じ曲げる、顔の見えない宿敵がそういう人情味全く気にしない…つうか積極的に血で汚してくるのに対し、”時光代理人”はあくまで人間の分をわきまえた上で、異能がなければ生み出せない救いを思い出に刻み直す。
 それこそが自分たちの力の使い方なのだと、主役コンビが思い出し実証する形で二期序章が終わっていくのは、ドス黒い暴力が表に出てきた衝撃を、最後の最後で和らげてくれる感じがあった。
 なんだかんだ”時光”だなと、思える苦い人情味。

 お葬式のシーンの悲痛な感じ、それを受けて我等がヒーローが差し出す弔いのたんぽぽの温かさは、こんだけ話のスケールがデカくなり、トーンが暗くなってもなお僕が好きな”時光代理人”が元気であることを、しっかり思い出させてくれた。
 やっぱなぁ…なんだかんだエモとヒューマンドラマに惹かれてこのアニメ見始めたわけだから、どんだけ作風が変わったように感じられても、そういう暖かさが踏みにじられる厳しい状況でも、諦めず人間にとって大事なものを守り、描いて欲しいわけですよ。
 そういう願いが微かながら叶えられる描写で、大変良かったです。
 いやまぁ、死人は戻ってこないし、めっちゃ切ないんだけどさ…。

 

 でも悪党どもはこういう生身の痛さを感じないからこそ、銭金と暴力で好き勝手に暴れ、他人の大事なものを踏みつけることも出来るわけで。
 法で裁けぬ異能によって命を奪われ、悲しみと悔しさを噛み締めて運命を睨みつけるこの苦さこそが、若き異能者を”人間”に届ける最後の一線であり、大事なものなんだろうなぁと思わされる。
 人間社会の範疇を超えた力を、躊躇わず奮って悲しみを拡げている相手が暴れるほど、一期でトキ達を縛っていた倫理の鎖が、どんだけ大事だったのか改めて分かるというか…。
 守るべきものを守っている善人が、だからこそ不利な立場になる理不尽を嘆きつつも、やっぱ倫理の枷は絶対必要だ。

 そしてそんな社会規範の守り手であるべき、弁護士こそが状況のど真ん中に居座っていそうなのが、また最悪ではあるけど。
 ここら辺、刑事として正義の窮屈さに悩みつつも一線を越えず戦い続けるシャオ刑事と、刑事機構から抜け出し法を悪用して黒い金稼いでるチエン弁護士が、対比されてる部分でもあるのだろう。

 

 光と影が錯綜し、不自由な倫理と野放図な悪が対峙するサスペンスフルな状況は、葬送の後にも続く。
 やっててよかった怒りの鉄拳、暴力テイストを増した二期にも元気な人情味を確かに感じつつ、こっからどういう話が展開されるのか。
 来週も大変楽しみです。

うる星やつら:第38話『嵐を呼ぶデート 後編』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第38話を見る。

 前回Bパートから引き続き、水乃小路飛鳥と面堂くんのドタバタデート回である。
 …という通り一遍の解説が、全く意味をなさないスーパーカオスが荒れ狂い、さんざん大騒ぎした挙げ句振り出しに戻ってくるという、箱庭系ラブコメの極地みたいな展開であった。
 変化や成長というものは、精妙に作られた時の止まった喜劇の舞台をぶっ壊す劇薬なので、”うる星”においてはかなり扱いが難しい要素なんだなぁ…と思わされる。
 あとアニメで動く水乃小路母が想定以上にヤバくて、令和時代に許されざる劇毒マザーが、三石さんの声帯でギリギリ洒落になってるヒリツキ、独特の味わいでした。ヤベー…。

 

 そも飛鳥の男性恐怖症も、イカれた風習に子ども染め上げた弊害なわけで、ぶっ壊れた我が子の被害者ッ面でゴリゴリ振り回した挙げ句、反攻の兆しを見せた少女を圧力で黙らせるというのは、コメディじゃなきゃ相当”毒”のある立ち回り。
 そこら辺の苦みを笑いのオブラートで包んで、ギリギリを攻めたテンションを維持し続けているのがるーみっくわーるどである。
 トンちゃんが至極真っ当な価値観を維持しつつ、イカれちゃった妹を大事にしつつ危ない一線に迫りつつ、なかなか苦労するポジションでいてくれるから、飛鳥の健気と幼気がぎりぎり報われている構図で、まったく大変な姉妹だなぁ…という感じ。

 ここら辺の健気さは面堂くんにも言えて、なんもかんも狂っている状況でも飛鳥に優しく、許嫁としてジェントルに振る舞おうと頑張ってくれている姿が、なかなか好感度高い。
 こういう健気さがそこまで報われることもなく、ハイテンションなノリと勢いに飲み込まれてどっかに押し流されてしまうことも多々あるのは、ぶっ飛びコメディの宿命といったところか。
 しのぶと因幡くんとか、あたるとラムとか、しっとり落ち着いたエピソードを振り分けられると変化も許されるのだが、底抜けに勢い良い話の中だと、ノリを殺さないために”人間的”な部分をあえて無視して走り切る。
 結果あがいた結果が出なかったり、報われなかったりもあり得る。

 そこら辺の無惨をゲラゲラ笑うのもコメディの醍醐味であり、悪戦苦闘の結果何も生み出せない苦みを感じさせないよう、テンション高い笑いで走り切る強度を緩めず、容赦のない暴力が色んなモノを壊していくわけだが。
 飛鳥が好き勝手絶頂場を荒らす、原因になっていた武力で母に上回られた結果、場のコントロール権限が鬼親に写るの、荒野のルールで話が動いていて面白かった。
 ブレーキの壊れた暴走機関車として設計されたキャラを抑え込み、話の方向を変えるためにさらなる猛獣を呼び込むしか無いの、バトル漫画の戦力インフレが何故起こるのか実地で教えてくれてて、不思議な学びがあった。
 結局、カラテを極めたやつが上を行くのだ。

 

 水乃小路兄妹とその母、許嫁の面堂くんに加えて、了子とラム&あたるも首を突っ込み好き勝手やる結果、状況は極めてカオスに展開して、全く手がつけられなくなっていく。
 状況を俯瞰で見てコントロールしようとするキャラがいないか、暴れ狂う展開の犠牲になって有効打が打てないか、制圧できても根っこが邪悪なのでより最悪なカオスになっていくかという、話が落ち着くわけがない座組。
 つーか落ち着かせないために燃料ボンボン注ぎ込んでいる話なわけで、そらー大山鳴動して鼠一匹、大した実りもなく飛鳥は兄の寝所に忍び込み続けるというオチにもなっていくわけだ。
 しかしまぁ、落ち着くべきところに落ち着いた感じもあるんだよな……。

 今回のあたるは状況を混乱させるための装置というか、結構ヤバいことになってる飛鳥の”人間”を、例えばトンちゃんや面堂くんみたいにちゃんと見ず、ただただベタベタ触ってぶっ飛ばされ続ける。
 この優しくなさが、あたるがモテない理由付として結構生っぽい感触があった。
 そらーモテないよ…相手の事情や感情、全く気にしていない(気にすることが出来ないよう設計されている)もんな。
 どうやっても人生や人間にシリアスになれない、色情狂のトリックスター以外の顔を持てない少年が、ラム相手だと複雑な内面を開示できるから、僕はそういう話が好き…なのかな?
 終盤戦はそういう、人間・諸星あたるの話増えそうで楽しみ。

 ラムは安全圏から様子をうかがって、人間ビリビリ漁を迷いなく敢行するヤバさなんぞも見せつつ、時折飛鳥の助けになるいいポジション。
 このぐらいの距離感のラムが一番可愛くて、ダーリンの浮気性にキレ続けてる時は怖いしうっせーしが先に立つなぁやっぱ…。
 でも騒動の原因になる状況は的確に作っていて、各々が好き勝手に立ち回った結果ドンドンやばくなっていくという、スラップスティックの基本エンジンが元気な回だった。

 落ち着いた目で見れば溜まったもんじゃないんだが、皆が好き勝手自由に、やりたいようにやる。
 その結果としてモノも壊れカオスは加速するが、ただ最悪なだけでなく力強い心地よさがある。

 

 そんなハチャメチャコメディとしての”うる星”の強さを、結局兄妹ふりだしに戻る青春すごろくを通して感じられる回でした。
 母から自由になった飛鳥が何しようとしたか考えると、トンちゃんと家出て逃避行だから、少なくとも兄とは一緒にいられる結末は希望通りなんだな…お兄様の貞操がピンチなのは、まぁしょうがねぇ!!

 おそらく令和うる星では最後の水乃小路エピ、大変元気で良かったです。
 こっから各キャラのファイナルラップに入っていくんだろうけど、どうまとめていくかは楽しみだ。
 水乃小路母に勝るとも劣らない激ヤバ親父、藤波父がどういう暴れっぷりを見せるのか。
 次回も楽しみッ!

となりの妖怪さん:第4話感想ツイートまとめ

 新米猫又、大都会東京で妖怪総大将と出会い教習所に通う!
 となりの妖怪さん 第4話を見る。

 前回のスーパーバトルが鳴りを潜め、ぶちおくんを主軸にしたまったり絵巻…と思いつつ、最後の最後で空に亀裂が走り学校に雷獣が襲来して、やっぱ不穏な空気が漂い始めた。
 氷を出したり蜘蛛糸を放ったり、異能の力で生徒を守る先生達の頼もしさがなかなか良かったが、世界自体は(僕らが住まう妖怪無き世界と同じく)結構物騒で、ジローをはじめとして皆が色々頑張ってくれるから、穏やかな幸せが守られている実感を改めて得る。
 学校がカメラに映ると、ガキ共がフツーに笑ってる様子沢山見れて、幸福であると同時に不安にもなるな…。

 

 話の軸は新生一年目のぶちおくんが、TVで食レポやってる山ン本五郎左衛門と面談したり、自動車教習所に通ったり、能登声の龍神様とであったりする感じ。
 前回の騒動を経て、自分なりの成長を愛する家族に言葉でしっかり伝え、真っ直ぐ気持ちを預けるピュアっぷりに、まーた梶くん声の好青年を好きになってしまった。
 『そらー山ン本さんも誘うわなぁ…』という、汚れのない魅力がぶちおくんにはしっかりあって、一歩ずつ猫又としての自分を探していくその歩みを、素直に応援したくなるいいキャラだ。
 東京にもスーツ着込んだ異形がいっぱいいて、山間の村だけが平等な楽園じゃないと解ったの、結構自分的に大事な描写だったな…。(安易な田舎≒楽園主義に作品が染まっておらず、世界全体がそういう場所だと確認できたから)

 このお話に僕は、妖怪というメタファーを使って、あるべき平等な社会の理想を削り出している感じを受け取っていて。
 ワーゲンくんの付喪神行政バグとかめちゃくちゃ面白かったんだけど、未だ顔が見えないパートナーさんがどういう人か、未だ描写されてなくて。
 無機物である彼が生物学的性を持っているのか解んない以上、どんな相手だろうとそれは『車と乗り手』の延長線上にある、アセクシャルな絆で繋がっているパートナーなのだろう。
 ぶちおくんにとって、ママさん達は死にかけた所助けて育ててくれた『家族』だが、ワーゲンくんが死まで看取ると決めた相手との繋がり方が、それと同じとは限らない(つうか多分違う) 勿論人間同士が一番一般的に繋がる、男女の恋愛と生殖を中軸に据えた家族形成とも異なっているだろうけど、異形の存在が当たり前に日常に馴染んだこの世界、”違う”ということは価値の上下と繋がらない。
 外見も能力も寿命も、様々な”違う”が当たり前に溢れていて、大事な誰かとの繋がり方だって多彩で多様だ。
 でもそれはもはや当たり前のことで、人間のスタンダードだけが特権的な常識だと、押し付ける様子は登場人物には見られない。
 色んな奴らがいて、色んな問題が起こって、それをどうにかするべく色んな人が、工夫し頑張って当たり前の平和が保たれている世界。
 そこは自然で穏やかで、とても豊かだ。

 

 勿論人間同士が一番一般的に繋がる、男女の恋愛と生殖を中軸に据えた家族形成とも異なっているだろうけど、異形の存在が当たり前に日常に馴染んだこの世界、”違う”ということは価値の上下と繋がらない。
 外見も能力も寿命も、様々な”違う”が当たり前に溢れていて、大事な誰かとの繋がり方だって多彩で多様だ。
 でもそれはもはや当たり前のことで、人間のスタンダードだけが特権的な常識だと、押し付ける様子は登場人物には見られない。
 色んな奴らがいて、色んな問題が起こって、それをどうにかするべく色んな人が、工夫し頑張って当たり前の平和が保たれている世界。
 そこは自然で穏やかで、とても豊かだ。

その全部が、結構バイオレンスな危険と隣り合いつつ、まぁまぁ悪くない眩しさで肯定されているのが、僕はとても好きだ。
 若い連中には若いなりの、年経た大人には大人なりの、難しさと楽しさがあって、それは孤立せず響き合い、満たし合う。
 むーちゃんは早く大人になってジローを守りたいと願い、片羽根の大天狗が飛べなくなった穴は、そのジローが仕事頑張って埋めているのだ。
 妖怪一年生のぶちおくんが出会い生まれていく、新しい絆と懐かしい愛しさは、両方あって成り立ってもいる。
 そんな風に、色んなモノが否定されずにそこに在る豊かさを、作品全部が優しく見つめている姿勢が、僕はとても好きだ。

 いい人オーラ濃い目に出していた山ン本さんを、龍神様は強めに警戒していたけども、さて次元の歪みを観測する彼の思惑は、一体何なのか。
 世界律的に、我欲ぶん回す悪党が世界の真ん中に近い場所に立ってるわけがない手応えもあるけども、雷獣を生み出した虚無の真実と合わせて、次回以降ジワジワ見えてくる…かなぁ?
 まったり田舎暮らしメインで回しつつ、異形はびこる世界観に相応しい謎とか不穏がしっかりあるの、独特の歯ごたえで面白いよなぁ…。

 

 存外治安悪いが、秩序と平和を維持するべく頑張ってる人も多いので、日常系たり得ている物語はどこへ進んでいくのか。
 むーちゃん達の成長と合わせて、じっくり見守りたい。