運命が闇の底で輝き出した万聖節前夜から一年、JELEEが現実を泳ぎだす。
仮装にして仮想にしてなLiveに如何にして胸を張るか、アート集団としてのクリエイティブを一周年ライブに刻み込む、ヨルクラ第二章最終話である。
大変良かった。
息苦しい闇を漂うだけの才能が集い、お互いの輝きを盗み高めながら楽曲を生み出していった四話までの第一章に比べ、五話以降のヨルクラはやや横に広いお話が多かった。
ガッツリ創作の現場にカメラを据え付けて、脳髄煮詰まるまでお互いのクリエイティビティを暴れさせる手応えが、2つ目の区切りとなるこのエピソードには大変濃かったと思う。
久々に四人が四人らしく、可愛いオトボケも交えつつシコシコ自分たちの表現に向き合う姿を描かれると、皆で一つのモノを作ることで一つのJELEEになっていく、彼女たちの在り方をより身近に、愛しく感じることが出来た。
クリエイティブの先頭に立って、バンバンアイデア出して創作集団を駆動させていく花音ちゃんの頼もしさに、1年分の経験値を乗せて結構地道な地固めも頑張ってるところとか、凄く良かったな……。
そういう懐かしい手応えと同時に、ARやライブペインティングの要素を盛り込んだライブという、新しい表現に挑むことでJELEEが一年かけてどう強くなったかを感じることも出来たし、生で顔を出すからこそ世の中に満ちた匿名の毒に立ち向かう決意を、新たに刻みつけるライブともなった。
『仮名でも筆名でも連名でも本名でも、どんな名前でもいいから己を世界に叫べ。匿名の影に隠れて、そうやって必死にやってる連中を傷つけるのはマジでダセェ』つう、名前にまつわる強いメッセージをこの作品は出し続けていると思う。
”橘ののか”という過去の名前との対峙を余儀なくされた花音が、退こうとした一歩を皆で押し留め、配信ライブを通じて揺るがぬ繋がりと自分たちのイマジネーションを、力強く突き出していく姿は、深海動物が放つ鮮明な青色に眩しい。
第1話で自分を輝かせてくれる特別に手を引かれて、量産型の暗い海から引っ張り上げられたまひるが、過去と悪意に引きずられて消えようとする花音に真っ直ぐ、貴方の戦いであり私の戦いであり、私たちの戦いであるLiveへと力強く引っ張っていったのは、八話分の変化と奇跡を感じられ、とても良かった。
楽曲制作チームとして、それぞれがそれぞれの意欲と才能をぶつけ合って新しい表現を形にしていく、JELEEの強さ。
仮装で仮想だったとしても揺るがない光を、生み出し届けることが出来る確かな手応え。
その真中にもはやうつむくことなく、堂々自分の絵を刻む”海月ヨル”がしっかり描かれたからこそ、大事な友だちを深く傷つけた(らしい)存在からの仕事の依頼が、一芸術家として世界に立つ大きな岐路として、JELEE最終章の開始を告げるに相応しい存在感を持つ。
第7話でJELEEではない少女たちの進路をしっかり照らしたからこそ、”海月ヨル”としての未来と”光月まひる”としての友情、どっちを取るかの決断は重たく響く。
さて、少女は何を選ぶのか。
アップテンポに、しかし食べごたえ十分に紡いできた物語も最終コーナーを回り、決着に向けて加速する頃合いを迎えている。
というわけでJELEE一周年、アイデア満載創作集団のダイナモが言い出した、匿名グループの現実侵食計画開始である。
久々にJELEEの創作活動が描かれてみると、やっぱり花音ちゃんが後先考えずバスバス色々言い出して、それに仲間が乗っかりつつ得意領域で仕事をして、肉付けして動き出す基本形が心地よい。
色々上っついた部分も弱さもあるのだとここまでの話数で示された花音ちゃんだが、そういう人間っぽい部分を預けれる仲間とも絆も深まり、お互い様で青春駆け抜けていくグループの良さが、前より強く輝いてる印象だ。
なんだかんだ、JELEEは仲良しなのが良いよねホント……。
JELEE物語第二章を総括する今回、タイトルにある”夜のクラゲ”を拾い上げるように青と夜が画面を埋め尽くし、それにワクワクする子ども達の瞳が描かれる。
愛するののたんの条件を満たすのに夢中になり、リーズナブルで素敵な(めいちゃん主観)ラブホで合宿しちゃうのも御愛嬌、クラゲ達は友だちと過ごす特別な時間に旨を高鳴らせ、着替えやバックや携帯や水槽を食い入るように見つめる。
現実の距離としては離れつつ、こうして同じ胸の高鳴り、同じ視線の強さで何かを見つめているJELEEの描写が、のちの仮想ライブにて電子の海を通じて、共に繋がる喜びを準備している感じもある。
創作集団が自分たちを繋げている緊密な喜びが、ライブという表現に乗っかって顔の見えない悪評を跳ね飛ばし、最高の時間にファンたちを繋げていく、現実からWebへのJELEEの拡張。
これが初のリアルライブを無観客で行い、現実をアートで侵食するAR表現を駆使して、Webから現実に受肉していく動きと重なっているのが、独特のグルーヴを生んでいる回でもあった。
身近なものと遠いもの、輝くものと暗いものが重なり混ざり合う時の、不思議な高揚と酩酊感。
クラゲの毒に痺れたような独自の感覚が、不自由な現実からテクノロジーで飛躍していく世代の呼吸を、上手くアニメに宿していく。
今回花音は今まで以上にバンバンアイデアを出し、溢れる熱意で仲間たちを引っ張って、一周年ライブをより善いものにしようと頑張る。
言い出しっぺの彼女をフォローしつつ、メンバーがそれぞれの表現分野で仕事を果たして作品を作り上げていく、JELEEの基本形は今回、仮面越しでも/仮装するからこそ自由に現実へとクラゲを開放するLiveという、新しい試みに結実していくことになる。
現実からWebへ、Webを通じて現実へ、ファンとJELEEのコール&レスポンスは活発に動き回り、ラブホでやるにはあまりに健全なブレインストーミングと実作業を積み重ねて、ライブの形が整っていく。
その真中に花音の熱意とアイデアがあることを、今回の描写は上手く削り出してくれる。
匿名ユニットであるJELEEはアバターを用いてファンと交流するが、”顔”であるJELEEちゃんはやはり花音のアバターとして用いられ、他メンはリアルの面影をどっかに残したクラゲとして、JELEEちゃんの周りを浮遊する。
それはアートディレクションを担当してるまひるが、花音をどう思っているかという意識の現れだろうし、一年かけて自然に結晶化してきた、四人の関係性を示してもいる。
迷い星が集まってできたJELEEという星系の、真ん中で青く輝く光を灯すのはやっぱり花音であり、その光を盗む……だけでは終わらず、照らされ全力で照らし返して、一つの生命体として夜の底眩しい光になっていく。
そういう充実感を皆が感じているから、ファンの目に触れるJELEEという仮想/実在はこういう形になっていて、そうなる必然の底流として、ラブホで大騒ぎしつつきっちり必要な作業はやり抜き、雨の中青春ジャンプぶっかます眩しさが、確かにある。
ファンが見る顔のないJELEEと、手を触れ合いキスだって出来るまひる達のJELEEは、離れているけど近く、仮想だけと実在している、不確かに揺れる美しいクラゲなのだ。
これを横合いから張り飛ばす、匿名クズカスイエローペーパーの一発は、第5話でまひるが電車内に見せたような、奇妙に生っぽい顔を花音から引っ張り出す。
”橘ののか”がアイドル辞め母から離れ、暗い場所にくすぶりかけていた理由になった事件の真相は、メンバーにも視聴者にも未だ伏せ札として残されていて、おそらくはこの次から始まる終章で炸裂する爆弾として、意識して残されたミステリだろう。
それを伏せたままにしておくにしろ、やり口と啄み方を変えて幾度もクラゲたちを傷つけてきた、顔の見えない暴力はJELEEを放っては置かない。
それは生放送ブースやクラスの中やネットの上……いたるところに確かにあって、そんなものに負けたくないからJELEEは手を繋いで立ち向かい、自分たちの足取りを世の中に突きつけてきた。
今回花音はそれに立ち向かうことを、JELEEを思えばこそ諦めようとするが、もはやJELEEのアートは花音だけのものではない。
第1話、暗い闇の底うずくまっているばかりだったまひるが、眩しい悪魔に手を引かれて走り出したところから始まったこのお話が、主客を入れ替えて今度はまひるに花音の手を取らせたのが、僕にはとても嬉しかった。
そんな風に力強く、花音のアートが自分と自分たちのアートに既になっている事実を……それを譲れない夢として力強く抱きしめれる、今のまひるを、とても力強く頼もしいものだと思った。
不定形の自分たちが自分でいられる、特別な愛をJELEEの四人はお互いに与え合っていて、そのお互い様がより強く、思いを加速させていく。
ここで札束叩きつけるめいちゃんの世間知らずな純粋さは、やっぱあまりにも愛おしいが、第6話でアリエルちゃんの苦境をシビアに見抜いたのと同じ、キウイちゃんの現実対応力が状況突破の鍵になるのも、大変良かった。
花音が仲間を思って諦めそうになる所で、花音に出逢ったから強くなれた仲間たちは諦めないし、花音が乗り越えられない壁があるなら、壊し方を知ってる誰かが突破口を開いてくれる。
ひとりじゃないから戦える、四人で一つの融合生命体としてのJELEEの強さが、最悪なスキャンダルに立ち向かう様子からは感じ取れて、一年かけてそうなっていった若者たちの輝きが、なんとも闇の中眩しかった。
キウイちゃんが無観客でもリーダーのアイデアを形にするべく、サプライズで仕掛けた美しい夢。
ファンアートに綴られた無数のJELEEは、”橘ののか”として”山ノ内花音”に張り付いてくる過去が、彼女を窒息させる猛毒足り得ない事実を、目の前に現出させていく。
テクノロジーとアートが融合した新しい表現領域で、MV造っていた創作集団が初のLiveに挑む時、こういう形で仮想と現実を越境し、現在によって過去を乗り越える特別さを示すのは、凄く良いと思う。
美しくて眩しいものは傷ついた少女たちにとって、虚栄心を反射するアクセサリや片手間にやってのける贅沢品ではなく、暗い海の底窒息しそうな重苦しさを跳ね除けて、世界が泳ぐに足りる美しい海なのだと、そこで自分たちは自由なのだと、生存確認するための身じろぎだ。
芸術をやるしか無いからやる、己の業に向き合う腹もまた、JELEEとしての一年間でガッチリ固めて進路を見定めた少女たちにとって、新しい試みの中で新しい美しさを形にしていくことは、生きるための命綱だ。
そしてそれがとびきり楽しいことでもあると、一緒に本気で遊んでくれてるクラゲに助けられて、JELEEは現実と重なり合いながら極めて自由に、ライブハウスの暗い海を泳ぐ。
リアルな人体がシルエットに沈み、絵でしか無いJELEEが蓄光色に瞬く反転は、仲間と手を繋いでJELEEになったからこそ生き延びられてきた、少女たちの静かなプロテスト・ソングとして、ストリームに乗って世界へと広がっていく。
たった一人マスクを外し、”橘ののか”の顔をさらけ出してJELEEの歌を吠える花音の目が、深海生物特有の色で光っているのが、作品を貫通するトーテミズムとして大変いい。
そんな物語の一つの結実として、JELEEのヴィジュアル・アート担当”光月ヨル”が、かつて実在の渋谷に刻んだ壁画を超える新たな傑作を、声援の海の中一番大きく、美しいクラゲとしてLiveで書き上げているのは、非常に印象深い。
第1話で描かれた、輝いていたはずの過去に連れ戻してくれる花音の特別さに、魅入られて動き出したまひるの運命は、ここに来て過去を凌ぐスケールと誇り高さ、アートとしての力強いヴィジョンで、より激しく未来へと進み出していく。
それは自分では輝けない月として、眩しい太陽の光を盗むことで存在を示す道から、ヨルでありまひるでもある女の子が堂々、進みだしたことを示している。
『これが私だ』と、言葉のない絵の中にだからこそ誰よりも雄弁に告げる、アーティストの言葉。
それを早川雪音が見ていたことが、新たな物語の胎動を生んでいく。
全てを出し尽くしぶっ倒れたように見えて、花音は非常にパワフルに最高のLiveのその先を見据えて、新たなアイデアを仲間に手渡す。
それを受け取る拳はとても力強くて、JELEEは世界の荒波に揉まれながらも、力を合わせて暗い場所から歌を届けていく。
それはメジャーシーンで眩く輝く太陽の色ではなく、あくまで深海の薄暗い青を宿していて、だからこそ世界の片隅自分は一人きりだと、取り残されている連中に届く。
届くから、あのLiveは青く暗く眩しく、特別な色をまとった……はずだ。
全てがうまく生きそうな充実した喜びを裏切るように、真夜中の月はおぼろげな輪郭を、曇り空に瞬かせている。
まだ、JELEEの話は終わっていない。
始まってすら、いなかったのかもしれない。
これまでのJELEEとこれからの光月ヨルを、大きく揺るがすだろう敏腕プロデューサーからの連絡が、ライブで眩しかったのと同じ『闇の中の光』として描かれているのが好きだ。
それは何者かになりたくてもがいてきた、まひるでありヨルでもある少女の未来を切り開く報せであり、友だちを深く傷つけた張本人が、どの面下げて投げつけてきた依頼でもある。
自分たちがなんの偽りもなく本当の姿を捕まえられる光と、運命を揺り動かす衝撃は、同じ色合いで夜の動物たちに届くのだ。
受けるか、跳ね除けるか。
どんな未来を選ぶにしても、これまで向き合ってきたJELEEの形が揺らぐのは間違いなく、だからこそ今まで描かれなかった物語が、こっからの四話に刻まれていくだろう。
それは今回描かれたアートを通じた自己表現と、それが生み出す現実と仮想の融和/超越を足場にして、”親子関係”という極めて現実的で深刻な、花音の心臓にメスを入れる物語になると思う。
”名前”を巡る物語としても、かつて同じ苗字を背負い人生の全てだった母と、改めてどう向き合いどんな名を名乗るかは、橘ののかであり山ノ内花音でありJELEEであり、かつて早川花音であった少女にとって極めて重要だ。
そこを描かなければ、山ノ内花音をリーダーとするJELEEの真実を抉り出せ無いとするのなら。
あるいは『JELEEでなくなる』という可能性すら含めて、光月まひるという少女の決断を描き切ることが出来ないのなら。
この依頼にJELEEのかけがえないメンバーがどう応えるか、その世はが暗くて眩しい海にどう広がっていくかは、すごく大事だ。
とても良い第二章の終わりであり、最終章の始まりでした。
次回も楽しみです。