イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第8話『カソウライブ』感想

 運命が闇の底で輝き出した万聖節前夜から一年、JELEEが現実を泳ぎだす。
 仮装にして仮想にしてなLiveに如何にして胸を張るか、アート集団としてのクリエイティブを一周年ライブに刻み込む、ヨルクラ第二章最終話である。
 大変良かった。

 息苦しい闇を漂うだけの才能が集い、お互いの輝きを盗み高めながら楽曲を生み出していった四話までの第一章に比べ、五話以降のヨルクラはやや横に広いお話が多かった。
 ガッツリ創作の現場にカメラを据え付けて、脳髄煮詰まるまでお互いのクリエイティビティを暴れさせる手応えが、2つ目の区切りとなるこのエピソードには大変濃かったと思う。
 久々に四人が四人らしく、可愛いオトボケも交えつつシコシコ自分たちの表現に向き合う姿を描かれると、皆で一つのモノを作ることで一つのJELEEになっていく、彼女たちの在り方をより身近に、愛しく感じることが出来た。
 クリエイティブの先頭に立って、バンバンアイデア出して創作集団を駆動させていく花音ちゃんの頼もしさに、1年分の経験値を乗せて結構地道な地固めも頑張ってるところとか、凄く良かったな……。

 

 そういう懐かしい手応えと同時に、ARやライブペインティングの要素を盛り込んだライブという、新しい表現に挑むことでJELEEが一年かけてどう強くなったかを感じることも出来たし、生で顔を出すからこそ世の中に満ちた匿名の毒に立ち向かう決意を、新たに刻みつけるライブともなった。
 『仮名でも筆名でも連名でも本名でも、どんな名前でもいいから己を世界に叫べ。匿名の影に隠れて、そうやって必死にやってる連中を傷つけるのはマジでダセェ』つう、名前にまつわる強いメッセージをこの作品は出し続けていると思う。
 ”橘ののか”という過去の名前との対峙を余儀なくされた花音が、退こうとした一歩を皆で押し留め、配信ライブを通じて揺るがぬ繋がりと自分たちのイマジネーションを、力強く突き出していく姿は、深海動物が放つ鮮明な青色に眩しい。
  第1話で自分を輝かせてくれる特別に手を引かれて、量産型の暗い海から引っ張り上げられたまひるが、過去と悪意に引きずられて消えようとする花音に真っ直ぐ、貴方の戦いであり私の戦いであり、私たちの戦いであるLiveへと力強く引っ張っていったのは、八話分の変化と奇跡を感じられ、とても良かった。

 楽曲制作チームとして、それぞれがそれぞれの意欲と才能をぶつけ合って新しい表現を形にしていく、JELEEの強さ。
 仮装で仮想だったとしても揺るがない光を、生み出し届けることが出来る確かな手応え。
 その真中にもはやうつむくことなく、堂々自分の絵を刻む”海月ヨル”がしっかり描かれたからこそ、大事な友だちを深く傷つけた(らしい)存在からの仕事の依頼が、一芸術家として世界に立つ大きな岐路として、JELEE最終章の開始を告げるに相応しい存在感を持つ。
 第7話でJELEEではない少女たちの進路をしっかり照らしたからこそ、”海月ヨル”としての未来と”光月まひる”としての友情、どっちを取るかの決断は重たく響く。
 さて、少女は何を選ぶのか。
 アップテンポに、しかし食べごたえ十分に紡いできた物語も最終コーナーを回り、決着に向けて加速する頃合いを迎えている。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第8話より引用

 というわけでJELEE一周年、アイデア満載創作集団のダイナモが言い出した、匿名グループの現実侵食計画開始である。
 久々にJELEEの創作活動が描かれてみると、やっぱり花音ちゃんが後先考えずバスバス色々言い出して、それに仲間が乗っかりつつ得意領域で仕事をして、肉付けして動き出す基本形が心地よい。
 色々上っついた部分も弱さもあるのだとここまでの話数で示された花音ちゃんだが、そういう人間っぽい部分を預けれる仲間とも絆も深まり、お互い様で青春駆け抜けていくグループの良さが、前より強く輝いてる印象だ。
 なんだかんだ、JELEEは仲良しなのが良いよねホント……。

 JELEE物語第二章を総括する今回、タイトルにある”夜のクラゲ”を拾い上げるように青と夜が画面を埋め尽くし、それにワクワクする子ども達の瞳が描かれる。
 愛するののたんの条件を満たすのに夢中になり、リーズナブルで素敵な(めいちゃん主観)ラブホで合宿しちゃうのも御愛嬌、クラゲ達は友だちと過ごす特別な時間に旨を高鳴らせ、着替えやバックや携帯や水槽を食い入るように見つめる。
 現実の距離としては離れつつ、こうして同じ胸の高鳴り、同じ視線の強さで何かを見つめているJELEEの描写が、のちの仮想ライブにて電子の海を通じて、共に繋がる喜びを準備している感じもある。

 創作集団が自分たちを繋げている緊密な喜びが、ライブという表現に乗っかって顔の見えない悪評を跳ね飛ばし、最高の時間にファンたちを繋げていく、現実からWebへのJELEEの拡張。
 これが初のリアルライブを無観客で行い、現実をアートで侵食するAR表現を駆使して、Webから現実に受肉していく動きと重なっているのが、独特のグルーヴを生んでいる回でもあった。
 身近なものと遠いもの、輝くものと暗いものが重なり混ざり合う時の、不思議な高揚と酩酊感。
 クラゲの毒に痺れたような独自の感覚が、不自由な現実からテクノロジーで飛躍していく世代の呼吸を、上手くアニメに宿していく。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第8話より引用

 今回花音は今まで以上にバンバンアイデアを出し、溢れる熱意で仲間たちを引っ張って、一周年ライブをより善いものにしようと頑張る。
 言い出しっぺの彼女をフォローしつつ、メンバーがそれぞれの表現分野で仕事を果たして作品を作り上げていく、JELEEの基本形は今回、仮面越しでも/仮装するからこそ自由に現実へとクラゲを開放するLiveという、新しい試みに結実していくことになる。
 現実からWebへ、Webを通じて現実へ、ファンとJELEEのコール&レスポンスは活発に動き回り、ラブホでやるにはあまりに健全なブレインストーミングと実作業を積み重ねて、ライブの形が整っていく。
 その真中に花音の熱意とアイデアがあることを、今回の描写は上手く削り出してくれる。

 匿名ユニットであるJELEEはアバターを用いてファンと交流するが、”顔”であるJELEEちゃんはやはり花音のアバターとして用いられ、他メンはリアルの面影をどっかに残したクラゲとして、JELEEちゃんの周りを浮遊する。
 それはアートディレクションを担当してるまひるが、花音をどう思っているかという意識の現れだろうし、一年かけて自然に結晶化してきた、四人の関係性を示してもいる。
 迷い星が集まってできたJELEEという星系の、真ん中で青く輝く光を灯すのはやっぱり花音であり、その光を盗む……だけでは終わらず、照らされ全力で照らし返して、一つの生命体として夜の底眩しい光になっていく。
 そういう充実感を皆が感じているから、ファンの目に触れるJELEEという仮想/実在はこういう形になっていて、そうなる必然の底流として、ラブホで大騒ぎしつつきっちり必要な作業はやり抜き、雨の中青春ジャンプぶっかます眩しさが、確かにある。
 ファンが見る顔のないJELEEと、手を触れ合いキスだって出来るまひる達のJELEEは、離れているけど近く、仮想だけと実在している、不確かに揺れる美しいクラゲなのだ。

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第8話より引用

 これを横合いから張り飛ばす、匿名クズカスイエローペーパーの一発は、第5話でまひるが電車内に見せたような、奇妙に生っぽい顔を花音から引っ張り出す。
 ”橘ののか”がアイドル辞め母から離れ、暗い場所にくすぶりかけていた理由になった事件の真相は、メンバーにも視聴者にも未だ伏せ札として残されていて、おそらくはこの次から始まる終章で炸裂する爆弾として、意識して残されたミステリだろう。
 それを伏せたままにしておくにしろ、やり口と啄み方を変えて幾度もクラゲたちを傷つけてきた、顔の見えない暴力はJELEEを放っては置かない。
 それは生放送ブースやクラスの中やネットの上……いたるところに確かにあって、そんなものに負けたくないからJELEEは手を繋いで立ち向かい、自分たちの足取りを世の中に突きつけてきた。

 今回花音はそれに立ち向かうことを、JELEEを思えばこそ諦めようとするが、もはやJELEEのアートは花音だけのものではない。
 第1話、暗い闇の底うずくまっているばかりだったまひるが、眩しい悪魔に手を引かれて走り出したところから始まったこのお話が、主客を入れ替えて今度はまひるに花音の手を取らせたのが、僕にはとても嬉しかった。
 そんな風に力強く、花音のアートが自分と自分たちのアートに既になっている事実を……それを譲れない夢として力強く抱きしめれる、今のまひるを、とても力強く頼もしいものだと思った。

 不定形の自分たちが自分でいられる、特別な愛をJELEEの四人はお互いに与え合っていて、そのお互い様がより強く、思いを加速させていく。
 ここで札束叩きつけるめいちゃんの世間知らずな純粋さは、やっぱあまりにも愛おしいが、第6話でアリエルちゃんの苦境をシビアに見抜いたのと同じ、キウイちゃんの現実対応力が状況突破の鍵になるのも、大変良かった。
 花音が仲間を思って諦めそうになる所で、花音に出逢ったから強くなれた仲間たちは諦めないし、花音が乗り越えられない壁があるなら、壊し方を知ってる誰かが突破口を開いてくれる。
 ひとりじゃないから戦える、四人で一つの融合生命体としてのJELEEの強さが、最悪なスキャンダルに立ち向かう様子からは感じ取れて、一年かけてそうなっていった若者たちの輝きが、なんとも闇の中眩しかった。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第8話より引用

 キウイちゃんが無観客でもリーダーのアイデアを形にするべく、サプライズで仕掛けた美しい夢。
 ファンアートに綴られた無数のJELEEは、”橘ののか”として”山ノ内花音”に張り付いてくる過去が、彼女を窒息させる猛毒足り得ない事実を、目の前に現出させていく。
 テクノロジーとアートが融合した新しい表現領域で、MV造っていた創作集団が初のLiveに挑む時、こういう形で仮想と現実を越境し、現在によって過去を乗り越える特別さを示すのは、凄く良いと思う。
 美しくて眩しいものは傷ついた少女たちにとって、虚栄心を反射するアクセサリや片手間にやってのける贅沢品ではなく、暗い海の底窒息しそうな重苦しさを跳ね除けて、世界が泳ぐに足りる美しい海なのだと、そこで自分たちは自由なのだと、生存確認するための身じろぎだ。

 芸術をやるしか無いからやる、己の業に向き合う腹もまた、JELEEとしての一年間でガッチリ固めて進路を見定めた少女たちにとって、新しい試みの中で新しい美しさを形にしていくことは、生きるための命綱だ。
 そしてそれがとびきり楽しいことでもあると、一緒に本気で遊んでくれてるクラゲに助けられて、JELEEは現実と重なり合いながら極めて自由に、ライブハウスの暗い海を泳ぐ。
 リアルな人体がシルエットに沈み、絵でしか無いJELEEが蓄光色に瞬く反転は、仲間と手を繋いでJELEEになったからこそ生き延びられてきた、少女たちの静かなプロテスト・ソングとして、ストリームに乗って世界へと広がっていく。
 たった一人マスクを外し、”橘ののか”の顔をさらけ出してJELEEの歌を吠える花音の目が、深海生物特有の色で光っているのが、作品を貫通するトーテミズムとして大変いい。

 そんな物語の一つの結実として、JELEEのヴィジュアル・アート担当”光月ヨル”が、かつて実在の渋谷に刻んだ壁画を超える新たな傑作を、声援の海の中一番大きく、美しいクラゲとしてLiveで書き上げているのは、非常に印象深い。
 第1話で描かれた、輝いていたはずの過去に連れ戻してくれる花音の特別さに、魅入られて動き出したまひるの運命は、ここに来て過去を凌ぐスケールと誇り高さ、アートとしての力強いヴィジョンで、より激しく未来へと進み出していく。
 それは自分では輝けない月として、眩しい太陽の光を盗むことで存在を示す道から、ヨルでありまひるでもある女の子が堂々、進みだしたことを示している。
 『これが私だ』と、言葉のない絵の中にだからこそ誰よりも雄弁に告げる、アーティストの言葉。
 それを早川雪音が見ていたことが、新たな物語の胎動を生んでいく。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第8話より引用

 全てを出し尽くしぶっ倒れたように見えて、花音は非常にパワフルに最高のLiveのその先を見据えて、新たなアイデアを仲間に手渡す。
 それを受け取る拳はとても力強くて、JELEEは世界の荒波に揉まれながらも、力を合わせて暗い場所から歌を届けていく。
 それはメジャーシーンで眩く輝く太陽の色ではなく、あくまで深海の薄暗い青を宿していて、だからこそ世界の片隅自分は一人きりだと、取り残されている連中に届く。
 届くから、あのLiveは青く暗く眩しく、特別な色をまとった……はずだ。
 全てがうまく生きそうな充実した喜びを裏切るように、真夜中の月はおぼろげな輪郭を、曇り空に瞬かせている。
 まだ、JELEEの話は終わっていない。
 始まってすら、いなかったのかもしれない。

 これまでのJELEEとこれからの光月ヨルを、大きく揺るがすだろう敏腕プロデューサーからの連絡が、ライブで眩しかったのと同じ『闇の中の光』として描かれているのが好きだ。
 それは何者かになりたくてもがいてきた、まひるでありヨルでもある少女の未来を切り開く報せであり、友だちを深く傷つけた張本人が、どの面下げて投げつけてきた依頼でもある。
 自分たちがなんの偽りもなく本当の姿を捕まえられる光と、運命を揺り動かす衝撃は、同じ色合いで夜の動物たちに届くのだ。

 

 受けるか、跳ね除けるか。
 どんな未来を選ぶにしても、これまで向き合ってきたJELEEの形が揺らぐのは間違いなく、だからこそ今まで描かれなかった物語が、こっからの四話に刻まれていくだろう。
 それは今回描かれたアートを通じた自己表現と、それが生み出す現実と仮想の融和/超越を足場にして、”親子関係”という極めて現実的で深刻な、花音の心臓にメスを入れる物語になると思う。
 ”名前”を巡る物語としても、かつて同じ苗字を背負い人生の全てだった母と、改めてどう向き合いどんな名を名乗るかは、橘ののかであり山ノ内花音でありJELEEであり、かつて早川花音であった少女にとって極めて重要だ。

 そこを描かなければ、山ノ内花音をリーダーとするJELEEの真実を抉り出せ無いとするのなら。
 あるいは『JELEEでなくなる』という可能性すら含めて、光月まひるという少女の決断を描き切ることが出来ないのなら。
 この依頼にJELEEのかけがえないメンバーがどう応えるか、その世はが暗くて眩しい海にどう広がっていくかは、すごく大事だ。

 とても良い第二章の終わりであり、最終章の始まりでした。
 次回も楽しみです。

うる星やつら:第42話『怒りのラムちゃん!!/ハートをつかめ 』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第42話を見る。

 騒々しくも楽しく物語の舞台を彩ってくれた連中に、花束を手渡すように個別エピソードを積み上げてきた令和うる星第4クール。
 ファイナルエピソードになる”ボーイ・ミーツ・ガール”を前に、テンちゃんを末っ子にした家族の景色と、宇宙由来の不思議アイテムでメチャクチャになる定番話を描く回である。
 終わらない物語が終わる前の、最後の日常のスケッチとして、騒がしいのにどこか寂しいのは、既に一回決着を見届けているからか。
 そういう感傷は横に置いて、ワーワー騒がしくてとても可愛らしい、すごく”うる星”らしい回だった。

 

 第1エピソードはあたるとテンちゃんのいつものケンカから始まり、ふよふよ街をさまよってどう謝ったもんかクソジャリが思い悩み、セーターの可愛らしいお詫びでまとまる流れ。
 令和うる星のテンちゃんはよちよち感が程よく強調され、メイン張る旅めちゃくちゃ可愛かったが、悪たれな部分もありつつ根っこは善良な可愛げがたっぷり接種できて、今回もとても良かった。
 ケンカしつつも結局仲が良い、あたるとの血縁のない兄弟関係もずーっといい感じだったので、それが今でもこれからも続いていくのだと思える、温かな手触りを受け取れたのは嬉しい。
 思い返せばあのケンカも、”いつものうる星”を彩る大事な一幕だったなぁ…。

 ラム手製のマフラーが燃えたことで始まるこのエピソード、あたるはラムへの気遣いをテンちゃんへの当てこすりにしか使っておらず、それゆえラムの気持ちの真芯を外す。
 形になるような証より、自分をあたるが気にかけてくれることにラムは喜びを感じるわけだが、そういう純粋でピュアな思いを真っ直ぐ受け止めるのはあたるには気恥ずかしく、ガキとのガキみてーなケンカの火種に当てこすってしまう。
 こういう不器用な幼さが、ラムとの関係、そこに宿る感情を直視させないまんま、終わらない狂騒を続ける前提になってきた。
 話が続く限り、あたるは誰かの気持ちに気付けない、ずーっと残酷な子どものままだ。

 逆を返せば、あたるがラムの気持ちとラムへの気持ちに気付いてしまえば”うる星”は終わってしまうわけで、それが出来ない不自由を終わりの始まりを前に、新たに描く回でもあったのだろう。
 そんな風に、プレイボーイを気取りつつ女の子の気持ちを全然考えられず、残酷なガキだから相手にされなかった少年がちょっとだけ大人になる契機が、面堂くんや竜ちゃんと同じく”許嫁”なのは、ある種の”文法”を感じて面白い。
 素直な気持ちにたどり着くまでの長い回り道を終わらせるには、親の勝手な約束が生み出した強制的な恋愛関係をテコにするのが一番便利で、繰り返すだけの価値があるモチーフだ…って話になろうか。

 

 あたる相手にはあんなにバリバリしてるラムが、テンちゃん相手にはどうしてもダダ甘になってしまって、騒々しいラブコメではなかなか見えにくい、彼女の穏やかな気性…そこから外れる特別なダーリンの存在感が、より際立つ回でもあった。
 あたるとあたる以外で、全然対応が違うのがラムというキャラクターの面白さだと思うけど、第2エピソードでハートを盗まれた時も、『愛情表現ーッ!』と叫びながらあたるにだけ、ビリビリカマシとったからな…。
 工学に才能を発揮する、かなり大人びた少女であるラムが普段とは違う自分を見せたくなる甘えが、あたるとの間には存在してるわけだ。

 ハートを物質化して盗み合う、宇宙由来のトンチキ物品物語もおそらく、今回で最後。
 キャラよりガジェットを中心にして、ワーワーうるせぇ騒動をドタバタ楽しむお話も、このアンソロジーに複数収録されている。
 当たり前の日常じゃ起き得ないぶっ飛びが、楽しく青春を弾ませていく”うる星”らしい手応えを与えるのに、良い物語フォーマットだったなぁ、などと思う。
 話数が多いので、こうして”うる星”恒例行事の送別会をしっかりやれるの、一回完結した後4クールのアニメにしているからこその味で、結構好きだ。
  やっぱ自分は令和うる星を、”うる星やつら”とは何だったのか再考するためのアンソロジーとして読んでるな…。

 

 というわけで最後の日常が騒々しくの穏やかに収まって、終わらない物語の終わりが始まる。
 こっからのシリアスなドタバタをどう描いて、アニメなりに『”うる星やつら”とは何だったのか』を語り切るかが、始まった時からずっと楽しみだった。
 それは原作とも初代アニメとも、違う語りになるだろう。
 ここまでどの話をどのタイミングで流し、どういう印象を与えるか積み上げてきた4クールの意思が、結実するエピソードになっていく。

 終わり良ければ全て良し、となるために、終わるまでに積み上げた狂騒と情感にちゃんと向き合って、一個一個のエピソードを磨いてきた。
 そんな令和うる星が、どう終わるのか。
 楽しみだ。

わんだふるぷりきゅあ!:第17話『私が、あなたを守る!』感想

 出会いの奇跡が闘いを呼ぶなら、少女たちは愛を抱いて荒野を駆ける。
 キュアニャミーの正体が判明し、猫屋敷サーガ最終章が始まるわんぷり第17話である。
 心から大切に思い合いながら、お互いの成長がすれ違いを孕んでいる猫屋敷姉妹の関係性を改めて描くにあたり、無垢で弱く守られるべき”赤ちゃん”をエピソードテーマに選んだのが、可愛くも良く効いてる話数となった。

 上田華子さんコンテ・演出の画作りが全領域でバチッと冴えてて、大胆で鮮明なレイアウト、細かくパワーのある芝居、面白さの手数を惜しげもなくねじ込む演出と、強い話数に相応しい映像を支えていた。
 こむぎを真ん中に据えて描かれる可愛く楽しい場面も、まゆとユキがお互いの思いを照らすシリアスなシーンも、ケレン味を強く感じるのに繊細でもある表現力で、見事に削り出していてくれた。
 そういう力強さに支えられて、ようやくニャミーが自分の全部をさらけ出し、ゆきと犬飼姉妹が受け止めて最後の物語が始まっていく脈動を、楽しく感じることが出来ました。
 新キュア加入という、大きなネタが動き出すダイナミックさが、猫特有の優雅さと可愛さを結晶化させたニャミーの仕草で美麗に飾られているのが、ゴージャスな雰囲気あって良かったな……。
 プリキュアは、いつでも強く優しく美しく……って感じ。

 

 さて前半は穏やかな春の日、新たな生命の芽吹き溢れるアニマルタウンを、いろはちゃんがガイドして赤ちゃんツアーにみんなで出発! という流れである。
 キャラとしてのいろはちゃんの特長は、周辺視野の広さと細やかな観察力にあると思っているのだが、”ガイド”という周りをよく見ていないと出来ない仕事は、そんな彼女の善さを巧く活かしてるなーと思った。
 僕はプリキュアが住まう日常の舞台が、僕らの煤けた街よりちょっと美しくて、小さな理想を体現した場所であると教えてくれるシーンがすごく好きなのだ。
 今回の赤ちゃんツアーはとても良いスケール感で、アニマルタウンが素敵な街だと教えてくれる肌触りで、大変良かった。
 色んな動物の親子が、優しく睦み合う姿がとてもいい感じに描かれていたことが、まゆを純粋なる幼年期に閉じ込めて守ろうとするニャミーの視界と重なり、冒頭の赤ん坊時代を経て勇気と決意を手に入れつつあるまゆの成長を、裏打ちする感じの見せ方……だったかな。

 カルガモやうさぎ、つばめや猫が示すように、赤ん坊は親の庇護を得て過酷な世界から守られ、自分の足で進み出す強さを得ていく。
 それがなければ生きていけないという意味で、庇護者の愛と優しさは何より尊く大事であり、しかしご飯をいっぱい食べて育った赤ん坊は、もはやシェルターに閉じ込められていることを必要としなくなる。
 愛に守られていたからこそ、守られているだけの自分から進み出して、守ってくれた大切な誰かを、守れる自分になっていく。

 極めて頼りない引っ込み思案なところから、友に出会い街に馴染み、自分にできることを少しずつ探してきた猫屋敷まゆの、どっしりとした成長描写。
 わんぷりが選んだゆっくり目な語り口だけが生み出せる、もう赤ちゃんではない猫屋敷まゆの尊厳と頼もしさが、賑やかで楽しい赤ちゃんツアーの中に、静かに息づくエピソードでもあった。
 まゆちゃんがユキ以外何もいない、何もいらない閉じて満ち足りた世界から、おっかなびっくり伸ばした手をいろはちゃんが取って連れ出し、ユキ以外の世界を知っていく様子……知ればこそなお、ユキへの愛しさが募り愛に恥じない強さを求める様子は、丁寧に積み上げられきた。
 だからこそ今まゆちゃんが赤ちゃんとして庇護者の胸に抱かれるのではなく、赤ちゃんの愛しさ、尊さを少し離れた場所から見守れる立場になっている事実も、見ている側に良く伝わる。
 この成長と対置するように、生まれてくる事自体が決死の戦いであったネコの赤ちゃんの頑張りを、間近に見つめる描写があったのも良かったなぁ……。

 

 前半の赤ちゃんツアーは、ユキとのシェルターから出たまゆちゃんが何を手に入れたのか、明るく楽しく描くキャンバスでもある。
 新しいお友達との笑顔、知らなかった知識への渇望、ちょっとずつ広くなっていく世界のまばゆさ。
 とても健やかな発育を、いろはちゃんに比べて人間力が少なめなところからスタートしたまゆちゃんは手に入れていて、その成長はけして否定されるべき間違いなどではない。
 時を止めて永遠の幼さに憧れを閉じ込めたかったとしても、雛は卵の殻を破って巣立っていくものであり、宿命を嘆くよりも育った身の丈に相応しい場所へ、共に進み出していくほうが健全だ。
 そういう摂理を、笑顔も学びもいっぱいなまゆちゃんの日常は静かに語っている。

 同時にあまりにも美しい運命の出会いが、孤高に寂しさを秘めるユキの中で……そしてまゆ自身の中でも特別であることも、一つの事実だ。
 世界が特別に輝いて見えるほど、美しいものに出会って抱きしめてしまったまゆちゃんも、その温もりに魂の震えを止めてもらったユキも、あの雪の日が鮮烈に焼き付いている。
 その残照に世界を照らしてもらっているから、二人はここまで幸せに歩んできて、さらにその先へと進んでいくことも出来る。
 ……第10話、どっしり過去エピやったのメチャクチャ効いてるな……。

 

 そして鮮烈すぎる光は時に鎖となって、最高の瞬間に少女を縫い留める。
 まゆちゃんが頼りない震えを抱えつつ、それごと新しい友達を認めてくれるいろはちゃんの手を取って進み出す歩みに、ユキは同行しなかった。
 自分を守り愛してくれる特別な誰かが、傷つかないように守り続ける責務を己に任じて、実際愛しく守り続けてきた日々は、”妹”がどんだけ頼もしく育ったかを、ユキの視界から外してしまう。
 この現実と認識のギャップが、ただ守られるべき幼子としてユキのなかのまゆを固定してしまっていて、鋭い爪の後ろで守られるだけのヒロインに、彼女を閉じ込めてしまう。
 それはつまり、ニャミーを守り傷つくだけの王子様に固定してしまう、ということでもある。

 まゆちゃんだって小さな誰かを守りたい……守れない自分ではいたくないという、仁愛の気持ちがあってこそ、地割れに落ちる赤子に手を差し伸べた。
 弱い彼女が傷つかぬよう、遠ざけて守っていた愛の檻を飛び超えて、傷付いてでもなりたい自分になれる場所へと、猫屋敷まゆは進み出す時を迎えている。
 その気持はたった一人を守るために、鏡石に願いをかけて人化の奇跡を手に入れたニャミーと”鏡写し”全く同じであり、しかし守るもの(と己を規定するニャミー)と守られるもの(でい続けたくないゆき)の思いはすれ違う。

 

 このすれ違いが身勝手なエゴイズムではなく、真っ白な雪色の純情によって駆動していることを、これまでの物語も、今回のエピソードもしっかり描いている。
 あれだけ気高く美しい孤高を己の属性としていたニャミーが、初めての変身シーンを公開する前に寂しさと弱さについて語ったのは、マジでグッと来た。
 ずっと秘していた人間当たり前の脆さをここで語るということは、守ってもらいたい自分、守ってくれるまゆの特別さをユキこそが誰よりも認め、求めている事実を強く刻むわけだが、ニャミーはそれに素直になれない。
 守られなければいけないまゆ、守らなければいけない自分に強くこだわり、それ以外の全てを世界から排除する狭い強さで、爪を研いで戦い抜く。
 それはつまり、そうしなけりゃ戦えないくらいニャミーも、当たり前の人間だ……ということだ。

 ずーっと謎めいて美しい、傷つくことも揺らぐこともない美の化身だったニャミーが、ユキの変身した姿であり、まゆに抱きしめられた瞬間魂を救われていたと告白することは、彼女の素直な現実がまゆに近づいている事を示しているように思う。
 ずっと自分を守ってくれた”姉”が、実は自分に救われた/救われ続けている存在であり、傷つく存在であり、守らなければいけない存在だと知ることで、まゆちゃんがより強い自分へと踏み出す歩調は、決定的な確かさを得ていくだろう。
 それは『ユキに守られる私/まゆを守る私』を核に形成されていた、二人の世界を決定的に回天させつつ、最も大事な思いを新たに正しく、変化に満ちた世界に適応させていく一歩にもなる。

 ニャミーがまゆに指一本触れさせないために、過酷な戦いに生身で挑んでいるのと全く同じ気持ちが、頼りなかったはずのまゆに確かに燃えていること。
 その強さが姉妹を優しく包んできた繭を壊すだろうけど、外側に広がる世界は変わらず愛と優しさに満ちて、白い奇跡は消えてなくならないこと。
 ニャミーの頑なな態度は、そんな未来を確信できない脆さから生まれている感じもあって、フシャーと逆立つ毛がむしろ愛おしい。
 我が子を守る母猫の、一心不乱の死物狂い以上に嘘のないものはこの世になく、まさにその戦闘的な姿勢に知らず助けられて、猫屋敷まゆは戦士になりたい自分を見つけていくのだ。
 そもそも猫屋敷まゆが優しく強い少女……変身して特別な力を得なくても、進みださなければいけない時に誰かを抱きしめられる”戦士”だったからこそ、ユキは凍えるような寂しさから救われたわけでね……進歩とは、常に原点に戻ることで動き出す獣なのだ。

 

 ここまで猫屋敷姉妹の物語をどっしり編んできたことで、ユキの分からず屋な態度、まゆ以外を拒絶する偏狭が、人間にとって最も美しい心から生まれていると解って、その身じろぎを優しく見守れているのは、とてもありがたい。
 狭くて危うくて、ともすれば”正しくない”とされてしまいそうな……遊んで語らうワンダフルとフレンディの体現する闘い方とは真逆の思いにも、否定してはいけない真心が確かにある。
 まゆちゃんといろはちゃんを、性格や積極性、人間的完成度から真逆な造形で生み出して、だからこそ生まれる交流や成長を丁寧に積み上げてきたように、戦士が戦う理由もまた、真逆で多様なまま混ざり合い、新たな可能性へと進み出していくのだろう。
 その時必要な、”正しくない”正しさへの共感を、猫屋敷姉妹がここに至るまで積み上げてきた、愛の思い出を僕らに惜しげもなく見せてくれることで確保しているのは、わんぷりだけに可能な強い語り口だ。

 『たった一人だけを守りたい、それ以外はどうでもいい』と、ひろがる世界を拒絶するユキの狭い愛は、その番人になるニャミーにだけ闘いと傷を要求し、役割を固定していく。
 守る役も傷つく役も、隣に並び立って分担しながらだって、一番大事な誰かを愛し守ることは出来るし、そうして傷ついていくユキに、まゆちゃんはけして耐えられないだろう。
 愛ゆえに強くなろうという願いが、間違っているはずはないわけで、かつて自分を救ってくれた純粋な思いが新たに見せている光を、ユキ自身が否定しかねないこの狭さは、認められつつ変わっていくべき思いなのだろう。
 ここら辺の頑なさと可能性を、ここからの猫屋敷サーが最終章にむけてしっかり提示し、キャラの思いとドラマの行く先を鮮明に見せているのは、わんぷりらしい強さだ。

 

 というわけで、ユキの気高さの奥にある震えと、それを抱きしめうるまゆの強さをしっかり感じられるエピソードでした。
 それさえ眩く輝いていれば、どんだけすれ違っても行き着くべき場所へ愛が届くと思えるので、今後の話に一番大事な羅針盤をしっかり提示したのは、ありがたいし偉い。
 柔らかな語り口、どっしりとしたペースを選び取りつつも、こういう話の骨格が極めてしっかりしているのは、わんぷりの強いところだと思う。

 そんだけでなくて、天真爛漫なこむぎのオトボケと元気がめちゃくちゃ可愛かったり、トラガルガルとのバトルが『竹林に猛虎』という古典的モチーフを面白く料理してたり、色んなところに良さがある回でした。
 こういうパワーのあるお話で、新たなプリキュアが生まれ落ちるまでの物語をスタートできるのは、大変いいことだと思います。
 まゆとユキ、二人きりの優しい繭が引き裂かれて生まれる新たな勇気は、一体どんな輝きで世界を照らすのか。
 次回も楽しみです。

 

 

・追記:光学性ヒロイズムと音響性ロマンティシズム

画像は”わんだふるぷりきゅあ!”第17話より引用

 わんだふるぷりきゅあにおいて、非日常にアクセスするための特別な力は鏡石によって与えられ、パクト(大人を装うための道具としての鏡)によってプリキュアに変身する。
 今回のまゆに如実に結晶化しているように、世界が広がり新たな可能性へ踏み出す自己像を確認するためには、目の前に鏡を置かなければいかない。
 エゴイズムの狭い独善に浸っていては、人間は自分の形や願いを確認することが出来ず、鏡という対象物を用いて初めて己の輪郭や目的を確認することが出来るという、反射を通じた自己確認をこのお話は幾度も行っている。
 いまだキュアリリアンに変じず、キュアニャミーに並び立つ戦士になり得ていないまゆの前で、鏡石は鈍い色合いでまゆの輪郭を反射していない。
 『もう一度、ニャミーに会いたい』という願いは、まゆの真実を照らすには解像度がいまだ低く、魔法の鏡が特別な力を与えるためには、もっと鮮烈に己の願いを言葉にしなければいけない。
 ここから一ヶ月の猫屋敷サーガは、まゆがどんな自分になりたいかを新たに、決定的に探っていく物語になるのだと思う。

 この物語において、鏡像は常に他者に反射して結実するものだ。
 特別な誰かがいてくれるからこそ形を結ぶ、自分の願いと愛。
 それは既にユキとまゆの、青と赤の瞳の中に相互に乱反射しているのだが、出逢った時からお互いのみを視界に入れていた懐かしい自画像たちは、そこにたどり着けば物語が決着する二人の真実としては用意されていない。
 あわせ鏡に閉じこもっている幸せな幼年期が既に終わり、命を賭してでも誰かを助ける優しさと強さ……合わせて正しさに目覚めかけているまゆが見つめる自己像は、ユキという鏡に”だけ”反射するものではないし、既に彼女はその狭い領域から半身を乗り出している。
 ユキ”だけ”が世界の全てではなく、でもユキをこそ特別に求める自分をどこに定位するべきなのか、まゆは新たな自己像の制定を求められていて、これが成った時鏡石に新たなプリキュアが結像するのだろう。

 

 自分がどんな存在なのか、何を願っているのかを照らし直す時、その位置を客観視して照らす大きな武器が言葉である。
 本来言葉を持たない禽獣が、”変身”によって言語化されたロゴスとコミュニケーション手段を手に入れて、好きな人と思いをつなげたり自分がどんな存在か発見したりする様子も、ここまでの物語でかなり大事なものとして扱われてきた。
 言葉という鏡に結像させることで、真実自分が何を望んでいるかもより鮮明に可視化され、それは発話されることで己の外側に出て、他人に届き響いていく。
 まゆがどんな自分になりたいのか、誤った(あるいは真実から少し遠い)願いを言葉にしている間は、鏡石は魔法の鏡として機能しない。
 『ユキと一緒に戦いたい』という、わざわざ戦うに足りる力を求める魔法こそが彼女をプリキュアにしていくわけだが、それは自分を闘いから遠ざけるユキに突きつけるだけでなく、自分自身の輪郭線をはっきりさせていく、もう一つの鏡としても機能することだろう。

 猫屋敷まゆ/猫屋敷ユキという、非日常のヒーローネームから切り離されたお互いの瞳は、ずっと愛に守られてきた固い絆を解くことが出来ず、二人の現状を反射しても未来を照らすことは、未だない。
 そんなふたりがプリキュアになったとき、お互いを見つめるあわせ鏡に何が写り、『愛と闘い』という極めてプリキュア的なモチーフに、わんぷりがどういう答えを出すのかが見えても来るだろう。
 対象年齢を下げ、平易な語り口を選んではいるものの、わんぷりが自作へ向ける批評眼、テーマと選んだものを描ききるための戦術は、極めて怜悧だ。
 『2クールかけて初期キュアを変身させる』という新たな試みが、トータルどういう感触で落着するかも含めて、大変楽しみに猫屋敷サーガの決着を見届けたい。

ヴァンパイア男子寮:第8話『美少年、運命の出会いをする。』感想ツイートまとめ

 ヴァンパイア男子寮 第8話を見る。

 蓮への女子バレ、ルカへの予言と邂逅、加速していくすれ違いと、燃料山盛り積み込む錯綜のエピソード。
 フツーに思いを確かめていくお話は、家出からの帰還でだいたい”答え”見えちゃった感じがあるので、ヴァンパイア界のしきたりだの予言だの、男を装う自分と女である自分の桎梏だの、真実知って求める男と知らず求める男の対峙だの、色々追加のネタを仕込んできた。
 気持ち一つがまとまっていまえば、収まる所に収まるしか無いのがラブコメではあって、そこを迂回しつつ加速するための方策を、全方向にぶっ放しまくる力強い野放図…俺嫌いじゃないぜ…。

 

 美人ちゃんのジェンダーアイデンティティがどうなっているのか、微細で難しい要素を棚上げしつつ話進めてきたこのお話だが、ここに来て誤解の種として活用しつつ、掘り下げていく感じがある。
 古臭いベタ足に新しい装いを与えて、新鮮な火力を出す調理法が今回も冴えていて、”マイ・フェア・レディ”と”シンデレラ”の合わさった美少女変身が、『家が用意した許嫁』つう要素をヴァンパイア風味に変奏した宿命と絡んで、なかなかに面白い。
 変身した美人ちゃんのお値段を可視化するべく、モブが最悪の治安で最悪の評価投げつけてくるの、急に街の治安が最悪になってて最高だったな…こんなカスシティだったかー物語の舞台ッ!?

 美人ちゃんにとって男の装いは成り行きの外装でしかなく、受け入れてもらいたい自己像は常にロングヘアーのフリフリである。
 蓮くんはそんな彼女の在り方を、本命に先んじて早速肯定し、美人ちゃんがずっと欲しかったドレスを用意してくれる。
 王子様候補が魔法使いでもある、ねじれた構図が”シンデレラ”の現代的変奏としてなかなか興味深いが、かくして奇妙な三角関係は男/女の境目を飛び越えながら、色々複雑にねじれていく。
 物分かり良さげな蓮くんが、ダンピールの宿命でもって獣にもシフトできるのが、なかなか上手い組み立てであるな。

 

 『男だろうが女だろうが、お前個人が欲しい』つうのは、ピュア・ロマンスのド真ん中をエロティックな装いでお出しするこの作品では大事な文句だ。
 『そこら辺を煮込めるくらい、男が男を愛するということを深く掘ってねぇだろッ!』つうツッコミはまぁあるが、その境界線を飛び越えてる異装主体の自己認識が、ガッチガチに乙女なんだから、ある程度ポーズになるのはしょーがないじゃん。
 つーか退廃的な印象があるヴァンパイアの規範からして、『運命の相手』じゃなく『運命の女』だからな…。
 偉業の種族が固定化された異性愛を、全く疑問なくルール化してるの、ポップな耽美の表層を巧く活用している、このお話らしくて好きだ。

 蓮くんが整えてくれたラッピングは、あくまで本命との恋を彩る花束でしかなく、予言されてたとおりにルカは水辺で赤髪の運命と出会い、心臓を高鳴らせる。
 先週の花火に引き続き、恋の予感が高まった瞬間にプッシャー吹き上がる噴水のベタ足っぷりに、このお話でしか彫らない気持ちよさがあって良かった。
 拾った愛玩男児相手には気のおけない態度を、心揺らす運命の女には紳士的でピュアな顔を、それぞれ見せるルカくんの可愛さも、新展開にいい感じに輝いている。
 吸血王子やるにはあまりに善良だが、まー小森もそこを見込んで後継者に指名している感じだしな。
 試練も適度に与えるし、始祖さまは子孫を大事にする良い親だ。

 

 名前も告げず運命的に出会ってしまったことで、美人ちゃんは女の装いをした自分自身に嫉妬するという、なんともねじれた構造に迷い込んだ。
 ルカも男な美人ちゃんへの想いと、家の宿命を問題なく突破できる想い人との出会いに、引き裂かれるようなポジションに立っている。
 この二項対立はそれぞれ『美人は女で、オメーが出会ったのはコイツ本人』という真実を、恐れず告げればすぐさま解決する。
 互いが求めているものを俯瞰で見た時の近さと、キャラの主観で見た時の遠さ、ねじれ具合が全然異なっているのが、独特の味で面白い。
 ハタから見りゃーあっという間に解決しそうなのに、当人だと解決困難な無理難題に思える。

 『恋って…人の心って、まぁそういうもんでしょう』という納得もありつつ、なかなか面白くねじれてきてていい感じだ。
 ここに蓮パパの思惑が絡んでまーた厄介なことになりそうだが、試練を超えてこそ真実の愛は形になるもの! …という、極めてクラシックな価値観軸に寄り添って話が編まれてるのに、インモラルで新しい装いをしっかり身にまとっているのも、また面白い。
 話の主軸を担当するキャラ、そこに盛り込まれる価値観が、実は極めて善良でねじれていないの、話を必要以上に難しくさせないための作劇的工夫でもあるんだろうなぁ。

 コントロール可能な困難だけを、まな板の上に乗っけて料理するスタンス。
 厄介ごとのゴムを破断しない程度にこんがらがらせて、物語が飛んでいくだけのエネルギーをしっかり確保する手腕。
 そんな作風が新たに舞台に送り込んできた、すれ違いと衝突の種をどう花開かせて、どう楽しく描いてくるかが、楽しみになる話数でした。
 マジ厄介ごとの種がてんこ盛り、一話にワッと押し寄せてきた時特有の『オイオイどうなっちまうんだよ~』感が濃い目にあって、残り一ヶ月の終盤戦に、いい感じの期待が持ててます。
 アニメがどういうフィナーレにたどり着くのか、楽しく見届けられそうな予感が濃い目にあって、次回も大変楽しみです。
 ネタが大筋どう動くか読みやすい平易と、具体的な描写がどうぶっ飛ぶか読みきれない壊れ方が共存しているのが、古さと新しさを同居させるコツなのかもなー…。

となりの妖怪さん:第8話感想ツイートまとめ

 となりの妖怪さん 第8話を見る。

 妖怪人間老若男女、色んな存在の生き様を複雑に編み上げていくこのお話。
 今回はややオムニバスな筆致で、初海外と友との対話に人生を学ぶ新人猫又、妖怪だろうが甘酸っぱく難しい思春期に身を置くカッパ、長命種ゆえの哀しみを微笑みの奥に抱え込んでいた天狗、それぞれの物語がスケッチされた。
 れいんちゃんの思春期は露骨に保留にして、ジローの激重トラウマを一気に切開しに行ったので、今後それぞれどういう決着を迎えるかが楽しみである。
 生きてるなら必ず付きまとう辛いことから逃げず、作品なりの答えをちゃんと書くお話なので、重たいヒキもどっしり待てるのは強い。

 

 というわけで。ぶちおくんに惚れ込んでいる山本さんの導きで魔法の国イギリスに旅立ったり、友だち一家の重たく大事な気持ちを受け取って、自分の中にある”さみしさ”を知ったりする回である。
 ぶちおくんはむーちゃんに劣らず幼くピュアなので、山本さんが色々世話焼きたがるのはよーく分かる。可愛いし。
 彼の人生修業に付き合う形で、当たり前に魔法が一般技術になってる現代イギリスの不思議な光景が見れたのは、世界観の広がりを感じて良かった。
 そらー異形の存在が当たり前にいる世界、魔法も当然あるよなぁ…。
 魔法味の紅茶がお土産で売ってるの、いいエブリデイ・マジック描写だったな。

 家族と友人に恵まれ、人生の理不尽にあまり噛みつかれてもいないぶちおくんにとって、人間に付きまとう”さみしさ”はなかなかに理解しがたい。
 だから『ママさんたちが先に死んじゃう!』とパニックにもなるのだが、そこに思いを馳せて色々考えることで、暗い感情に飲み込まれず、より善い人生を送ることも可能になる。
 西谷家の深くて重たい部分に首突っ込んで、生きるの死ぬの残されるのの話をちゃんと聞いたことも、彼が今後望む通り強く正しく優しく生きていく、大きな助けになるのだろう。
 新米猫又の人生学び取りを、丁寧に丁寧に積み上げてくれてるのはやっぱ好きだ。
 ぶちおくんが応援したくなる若人なのが、いい仕事。

 妖怪が妖怪である以上、否応なく付きまとう寿命差は、人生に数多ある生老病死の理不尽、その一つの形だ。
 できれば無い方が嬉しいけども、どんだけ願っても消えてくれない残酷を前に、いったい人間と妖怪に何が出来るのか。
 そこに明確な正解はなくて、不条理にぶち当たった当人がそれぞれ、解答用紙に魂の血で答えを書くしか無い。
 千明に後生を託した奥さんも、ぶちおくんに未来を背負わそうとした和彦さんも、ずっと一緒に生きていきたいと思える家族だからこそ、長い命を持つ存在に残酷な願いを委ねる。
 それに身勝手で残酷だと怒りつつ、そういう部分もひっくるめて家族を愛してる千明の姿が、高潔で優しくて良かった。

 

 千明とぶちおくんがなんとかかんとか、涙を交えつつも前向きに向き合っている”さみしさ”は、ジローとむーちゃんの間ではカメラを触媒に、より激しく炸裂する。
 時を超えて記憶を保ってくれるはずのカメラが、幸福とは言えない生涯をたどった人間最後の呪いを、色々抱え込み過ぎな山神様にぶっ刺すの、エグい展開だったな…。
 ぶちおくんのロンドン紀行が地理的に世界観を広げてくれたのに対し、ジローの思い出は時間的に拡張してくれてて、ドラゴン爆撃とか神通力人命救助とか、不思議が当たり前に実在してる世界の景色が、いい具合に描かれていた。

 ずっと繰り返すように思えるのどかな田舎暮らしにも、戦争はあるし地震も起きる。
 せき止められない時の流れの中で人は死んでいくし、それでも生きていく。
 そういう宿命を飲み干す器に、飄々としているように思えるジローは実は結構ヒビ入ってて、むーちゃんの何気ない一言に封じてた記憶がフラッシュバックして、全然大丈夫じゃないのに大丈夫と言って、悪くないのに謝った。
 むーちゃんが怒るのも無理ないが、ジローだってジローなりに辛いんや…。

 

 山の守神と崇められ、確かに異能の力を持っていても、戦争や地震を止めることは出来ない。
 突然の不幸や理不尽な喪失を、この世から消すことも出来ない。
 むーちゃんを守り導く、完全無欠の大人に思えたジローが抱えた無力感を、思い出があぶり出していく回である。

 これはジローが急に頼りなく豹変したわけではなく、無理くり蓋をしていたものが必然的に飛び出してきて、新たに向き合うことを要求している状況だ。
 ジローが守ってくれたからこそ、父のいない世界でしっかり育ったむーちゃんが、ジローが無敵のカミサマではないことが解る年になってきたのも、そういう弱さを見つめる大事な足場なのだろう。
 どんなに嫌でもそこにあってしまう”さみしさ”と、どう付き合うのか考えるという意味では、ぶちおくんの旅とジローの迷いは道を同じくしている。
 むーちゃんのビンタだって、自分を頼ってくれない”さみしさ”と巧く握手できなかったから、飛び出した一発だしねぇ…。

 ジローとむーちゃんがどういう居場所にたどり着くかは、来週を見てみないと解んないけども。
 色んな人がいるからこそ哀しみと寂しさに満ちた世界を、なんとか生きていけると描いてもいるこのまったり田舎暮らし物語、重く苦しいだけで終わらせないポジティブな矜持を、ちゃんと見せてくれるだろう。

 

 ジローが自分の中に封じていた影を見せたことで、命がけで封じたオロチと同じ闇が彼の中にもあって、かつての”敵”と鏡合わせな危うさが見えてもきた。
 あの時むーちゃんと一緒に戦ったから、今泣いたり笑ったりも出来るわけで、今回も重く暗い場所を潜り抜けて、光の方へと小さく一歩、ちゃんと進めるだろう。
次回も楽しみ!