一見音楽に関係なさそうですが・・・F.M.Alexanderの著作読んでみました

フレデリック・マティアス・アレクサンダー著『自分のつかい方』(晩成書房)のAmazonの商品頁を開くさて、今回はアレクサンダー・テクニックの創始者のF.Matthias Alexanderさんの著作を取り上げます。体の使い方・体の意識の改善といったことで、音楽に関係なさそうですが、そうでもありません。

そもそも、アレクサンダー・テクニックとはなんぞや・・・説明はいろいろありますが、わたしの理解でえいやと言ってしまいましょう。

体の癖 - これも言ってしまえば、自分は気づかないうちに体のあちこちで不必要に入りっぱなしの筋力です - を取りのぞいて、柔軟で楽に軽く動く身体へと改善する訓練。そして、その訓練を通じて、発想自体も変わるのがおもしろいことだなぁ、体と同時に心も柔軟になるのだなぁ、、、と、まぁこんなところです。

楽家やダンサー、舞台芸術パフォーマーに、これを練習する方が多いようですが、その練習法は、歩いたり、椅子から立ったり座ったり、手を挙げたり下げたりといった日常動作でも十分にできるもの・・・といいますか、体の癖は、日常レベルの自分の動きに潜んでいるので、そこから治さないとよろしくない!・・・こういう考えですから、誰にでも役に立ちうるものです。

椅子の座り方ひとつも治していくのですから、わたしのような音楽を聞くだけの人間にも役立たないわけがない!演奏会で楽に椅子に座れないと終演時に腰だのなんだの痛くなってしまいます。

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実際にやってみると、目指す身体のバランスは、古武術だろうと、ヨガだろうと、バレエだろうと、一般スポーツだろうと同じもので、アレクサンダー・テクニックだからなにか特別なんだと気負いすることもないと思います。*1

筋力をつけて、Maxのパワーを出した際にバランスが取れていることを目指すのではなくて、まずはミニマムの状態でバランスを目指す。この点は、一般スポーツより、古武術・ヨガ的と言っていいでしょうか?動き出しの瞬間から、軽く楽に早く動く、無駄のないバランスをかなり繊細に追求します。世間的な説明では、止まった姿勢を語るものが多いけれど、動きを考えているのもよいところでしょう。*2

なにはともあれ、ひとつアレクサンダー・テクニックをわたしがおすすめしたいのは、その四主著を読むと、彼自身がいろいろ悩んで試行錯誤を繰り返し、なんとか改善していくさまが克明に・・・それはくどくどくどくど説明されていて、われわれ自身が自分の練習法をきちんと考えるのに役に立つと思うからです。

ちまたのトレーニング本だと、「○○の運動を反復しよう」「○○なイメージでやれば良い(例:天井から釣られているイメージで!)」などと済ませがちなところをもっと深堀し、実際にどう動けば良いかを正確に捉えるために大変な尽力をしております。そこが大変ユニークだと思います。

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目指す動き方はなにか、心身の関係とはなにか、それを示す良い映像がありました。この映像の31分40秒から。


埋め込み映像だと時間指定がうまくいかないので、リンクは http://youtu.be/1YWBx-6jV3Q?t=31m40s

アレクサンダー・テクニックとは関係ない、Adam Curtis製作のドキュメントからの一コマですが、とある女性の気落ちしている最中と気が晴れた後の姿勢の変化を映しております。

このように動けば良い、のではなくて、この方向で改善を続けることが大事です。そして、実際にどう動けば改善するのか・・・無駄な癖だらけで思う様に動かない体をどうするか・・・外見だけ似た様に動いても、ほんとうに”正しく”動けているのか・・・そういった問題にアレクサンダーさんは深く分け入ります。

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では、さっそくアレクサンダーさんの四主著の紹介といきましょう。巷に同テクニックの入門書・解説書は山ほどありますが、私の経験でいいますと、やはり本人の著作四作品を読むのが一番わかりやすいと思います。

入門書や解説書にも良いものもありますが、誰にでもわかりやすく表現しようと努力するが故に、すんなりわかった気になってしまってかえって取っ掛かりがないように感じます。

アレクサンダー自身の著作は、さまざまな実例をまぜて、くどくどくどくどとあっちの方向から、はたまたこっちの方向からと説明していて、読んだだけでは、まどろこしくてわかりにくくもあるのですが、実際にレッスンを受けたり、または自分で練習をすすめていくと、かえってそのややこしさがヒントになることが多いと思っております。

主著四作を書きすすめる内に、アレクサンダー自身の説明の仕方・言葉遣いが、ややこしいものから、シンプルかつユニークなものへと段々と変わっていきますが、その差を感じ・考えることもおおいに理解の助けになります。自分の経験が増すにつれて、なぜそういう変化が起きたのかいろいろと思うこと・感じることがでてきます。*3

さてさて、ここで私が不用意なまとめを書いても混乱致しますし、意見がやっぱり偏ってしまうでしょう。そもそも、そんなことを避けるために、本人の著書を読むのですから、あくまで原書を読む為のちょっとした手引きとお考えください。*4

◎四冊の主著

http://en.wikipedia.org/wiki/F._Matthias_Alexander#Works

にある通りの四冊です。いろいろな出版社から出ていて迷いますが、Mouritz版が校訂も一番しっかりしています。*5

F.Matthias Alexander著 Man's Supreme Inheritance(Mouritz) の商品写真  Man's Supreme Inheritance
F.Matthias Alexander著

Mouritz
260頁
アレクサンダー最初の著作。

F.Matthias Alexander著 Constructive Conscious Control of the Individual(Mouritz) の商品写真  Constructive Conscious Control of the Individual
F.Matthias Alexander著

Mouritz
280頁

F.Matthias Alexander著 The Use of the Self(Orion) の商品写真  The Use of the Self
F.Matthias Alexander著

事情は不明ながらこれのみMouritz版がなく、Orion版。
123頁

この三作目のみ日本語訳が出ていて、
フレデリック・マティアス・アレクサンダー著『自分のつかい方』(晩成書房)のAmazonの商品頁を開く『自分のつかい方』
フレデリック・マティアス・アレクサンダー著
晩成書房

そして最後、四作目が

F.Matthias Alexander著 The Universal Constant in Living(Mouritz) の商品写真  The Universal Constant in Living
F.Matthias Alexander著

Mouritz
416頁

これにプラスするなら、投稿記事&講演集の

F.Matthias Alexander著 Articles and Lectures(Mouritz) の商品写真  Articles and Lectures
F.Matthias Alexander著

Mouritz
244頁

主著四冊読むのも大変ですから、このArticles and Lecturesは手に入れても入れなくともよいような・・・。特別に目新しい内容とも思わなかったので、他に読むなら弟子筋の回想などをおすすめします。後述。

購入につきまして、Amazonでは在庫切れだったり、エラい馬鹿げた価格になっていることも多いと思います。そんなときには、英国のMouritzに直接注文するのが最善策です。私も数度直接購入経験がありまして、無事届いております。

◎アレクサンダーさんの著作は難解か?

その思想が読み手にとって新しいから難しいのであって、言葉や説明自体は懇切丁寧で簡明さを追求し、言葉自体平易なものを選んでいると感じました。序文をものしているジョン・デューイ John Deweyや時折引用されるオルダス・ハックスレー Aldous Huxley の文章の方がよほどややこしいです。*6

とは言え、アレクサンダーさんの著作は難解だとはよく言われることです。多分、処女作 Man's Supreme Inheritance の第一部がその印象を強めているでしょう。構文も幾分複雑で、センテンスは長く、いわゆるbig words(難解な言葉)も多め。私も難儀致しました。

著作を重ねるごとにアレクサンダーさんの文章はわかりやすくなります。特に三冊目のThe Use of Selfからは、かなり楽になります。

◎四冊の著書を読む順番は?

著者の思考の変化を追体験しやすいので、やはり順番通りをおすすめしたいです。ただし、上の項で書いたように、処女作 Man's Supreme Inheritance の第一部など読み難さに困ったら、この部分だけを後回しするのも一案です。

一番短くて、安価なThe Use of Self、邦訳『自分のつかい方』(晩成書房)もあるこの三作目からはじめるのが無難と言えば、無難でしょうか。

ただ、三作目のThe Use of Selfは、言葉づかいは簡単だけれど、初心者にはそのユニークな表現・思想の勘所がわかりがたいように思います。そこを考えると、最初の二作 - Man's Supreme Inheritance と Constructive Conscious Control of the Individual - の方が初心者にもとっつきやすい・・・けれど文章が難解、という困った具合です。一回読んでわかるものではないので、再読して、実際に体を動かして自分で考えて、また再読して・・・を繰り返すほか、どうしようもありません。「なんだかわからない」と諦めずにのんびり付き合う気持ちでいくのが肝要と思います。

ちなみにこの邦訳『自分のつかい方』(晩成書房)は、翻訳された鍬田かおるさんが丁寧な仕事をされていて、すっかり感服いたしました。問題があるとすれば、日本語で読むと、すーっと入るだけにわかった気になってしまうことでしょう。英語の原書とあわせて読むことをぜひにとおすすめしたいです。

逆に英語の原書だけ読んでいて、ところどころ理解に自信がない・・・という方は、ぜひこの日本語訳をお手にどうぞ!

◎四冊全部読まないといけないの?

著作によって、その章によって、その説明の仕方や切り口を変えてくれていますし、ちょっとした心身の運用法・練習法、その失敗談等々、あっちこっちにヒントが見つかるものですから、やはり全部読むに超したことはないと思います。

私の経験で言いますと、例えば、椅子から立ち上がる・座るの練習法は、方々に書かれてあるけれど、『Man's Supreme Inheritance』の第二部でもっとも詳述をされていて、それが理解の糸口になりました。

そんな次第で、あっちこっちのちょろっとした記述の中で、「はっ!」と思う事はひとそれぞれのはず。御予算やお時間がゆるされる限り、やはり全部読まれることをおすすめしますし、わたしもすべて読んで良かったと感じております。

◎実際にレッスンを受ける前に読むべきか?

アレクサンダーさん自身は、実際のレッスン前に著作を全部読むようにと指示していたそうです。

私の経験でいいますと、私は巷の入門書・解説書のみ数冊読んでからレッスンを受けましたが、アレクサンダー本人の著作を読んだ後、レッスン前に読んでおけば良かった・・・と感じたものでした。

◎その他

アレクサンダー氏は、1869生まれ、1955没の大英帝国臣民です。the savegeとthe civilizedといった侮蔑的な表現がそこかしこにあります。未開の日本があっと云う間に西洋流を身につけたのは人間の適用力を示してあまりある、といった記述も見つけられます。

この当時の人の思考・言い回しの癖があって、アレクサンダーもそこから逃れがたかったのだな、、、と、ここまで興味をもってお読みの方なら、広い心でうまく対処できるものと思います。

アレクサンダーさん自身、そういった癖をみずから気づいて直したようでもあります。ひとつ例を挙げますと・・・

処女作 Man's Supreme Inheritance の1918年増補・改訂版で、第一次世界大戦を背景にドイツと英国を比較していますが、いちおう軍国主義批判の体裁ではあるものの、傍目にはかなり乱暴なドイツ批判を繰り広げています。しかし、最後の著作The Universal Constant in Living の中で第二次大戦の前夜の経緯を語る際には、そういった自国優越主義はなりを潜め、自国は勿論、自分たち英国市民個々人に反省の目が向かっています。

チェンバレンの宥和政策、独伊への戦争指導者への批判が強いけれど、我々自身の対応はどうだったのか?独伊がどういう道に進むのか半ばわかっていながら、戦争直前まで彼らに軍需物資を売り続けていたのはわれわれ自身ではないか?だからこそ彼らは戦争を始める事ができたのではないか?アレクサンダーはそんな疑問を語っております。

晩年の著作になるほどに、スペンサー的進歩主義者の口調なども減るように感じます。

*****

かくなる次第で、楽器演奏でもしていないと関係ない体の運用法と思うなかれ!音楽鑑賞に必須な椅子の座り方だって改善させるものなので、音楽愛好家には必ず役立つその内容。

しかも、体の訓練を通じて、心や思考の柔軟性を取り戻すことも目論む、といったものですから、日頃ついつい「あれが絶対!これが絶対!」と頑固に言い張ったり、「もう自分の好みはこれで固定してます」なんて凝り固まってしまったり、批評家の意見に依存したりなんてことがある向きにも、アレクサンダー氏の著作はいろいろ改善のヒントを与えるものと思います。

毎度おはずかしい駄文ではございますが、

F.Matthias Alexander著 Man's Supreme Inheritance(Mouritz) の商品写真  Man's Supreme Inheritance
F.Matthias Alexander著

Mouritz
260頁
アレクサンダー最初の著作。

F.Matthias Alexander著 Constructive Conscious Control of the Individual(Mouritz) の商品写真  Constructive Conscious Control of the Individual
F.Matthias Alexander著

Mouritz
280頁

F.Matthias Alexander著 The Use of the Self(Orion) の商品写真  The Use of the Self
F.Matthias Alexander著

事情は不明ながらこれのみMouritz版がなく、Orion版。
123頁

この三冊目のみ日本語訳が出ていて、
フレデリック・マティアス・アレクサンダー著『自分のつかい方』(晩成書房)のAmazonの商品頁を開く『自分のつかい方』
フレデリック・マティアス・アレクサンダー著
晩成書房

そして最後、四冊目が

F.Matthias Alexander著 The Universal Constant in Living(Mouritz) の商品写真  The Universal Constant in Living
F.Matthias Alexander著

Mouritz
416頁

これらの著作にご興味を持たれる一助になれば幸いです。では!




追記その1:レッスン&自主練習

レッスンも先生によっていろいろ教え方も違うようですし、価格も安くはないですから、取りあえず懐具合を見て、3〜8回ほど受けて、そこで今後どうするか考えてみてはどうでしょう?

レッスンを受け続けたら高くなるし・・・と手を出さないよりも、試しにちょっとやってみる方がましかと思います。

その少ない回数を実りあるものにし、今後の自主練習に役立てるために、前もって、アレクサンダーの著作を読んだり、ネットで解説や映像をあれこれ探ってみたり、自分なりに練習してみて、あれこれ疑問を見つけておくのがよろしいかと存じます。

自主練習に役立つ教本はいろいろありますが、私の経験から幾つか挙げますと・・・

サラ・パーカー著『アレクサンダー・テクニーク入門』(ビイングネットプレス) の商品写真  日常動作でどう練習するかについて、このサラ・パーカー著『アレクサンダー・テクニーク入門』(ビイングネットプレス)が大きなヒントになります。その内に自分でもあれこれ思いついて、例えば、ちょっと頭を洗っていてもその姿勢や腕の動かし方が気になったりするでしょう。

大事なのは、なにかをしようと思った時に、できる限りきちんと次の姿勢を描いてみて、そこであたかも自動的に体がすーっと動き出してくるか、を観察すること。動いてこない場合、なにが障害(どこの筋肉が違う方向に引っ張っているか)か発見すること。次はうまくいくようにと慎重にやり直すことかな、と。

繊細に感じ取れるようになればなるほど、いままで不必要な筋力を用いて雑に動いていたとわかるでしょう。また、動き出す前の力の入り具合で「これはダメ。やり直し。」ともわかってくるものでしょう。最初はなんだかわからなくて当たり前です。私も鈍いので、数年はわかったようなわからないような感じしかありませんでした・・・

トーマス・マークほか著 『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(春秋社)の商品写真  自分体の構造に詳しくなるには、トーマス・マークほか著 『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(春秋社)がおすすめです。ピアニスト向けという体裁ですが、誰にでも使えるものなのでお気になさらず。

この本もなんのことだか最初はわからないし、読んですぐに書かれている通りに感じたり動けたりというものでもないでしょう。また、一度感じ取れたからといって、終わりではないはずです。何年も経って、あれこれやって、全体が改善された結果、前に良しと思った部分ももっと繊細に感じ取れて、「あぁ以前はダメだった・・・」と思い返しなどするはず。

初めの内は、「なんだかわからない」と思いながらも、地道に、書かれている諸部分を、それこそ一個一個の関節を感じて・静かにゆっくり動かして(上述の”動き出すのを待つ”ようなやり方で)、自分の不要な緊張はどこにあるのかなど感じ取っていけばいいのだと思います。その内、いろいろ要領が掴めたり、どうすれば良いかアイディアがでてくるでしょう。

原島 広至監修  河合 良訓文・イラスト 『肉単』(NTS) の商品写真  もっと解剖学的知識が必要な場合など、価格と内容を鑑みると、この原島 広至監修 河合 良訓文・イラスト 『肉単』(NTS)でひとまず十分と思います。自分の体で無駄に引っ張っている筋肉を発見した時に*7、この手の本でどこの筋肉か目星をつけると、もろもろ役に立つことがあります。

ジョン・スコット著『アシュタンガ・ヨーガ 』(産調出版)の商品写真  B.K.S.アイアンガー著『ハタヨガの真髄』(白揚社)  の商品写真  自分の体を感じる能力を高めるにヨガも有効です。前屈ができないのは、ゆるめられていない筋肉(=無駄にひっぱったままの筋肉)があるからで、そこに痛みが生じます。無駄にひっぱっている筋肉がどこにあるかを、痛さが教えてくれる。そこを無理して、とあるポーズになるのではなく、緊張が抜けてそのポーズに向けてじわっと動くのを待つ。

有賀誠司著『基礎から学ぶ! 筋力トレーニング』(ベースボール・マガジン社)  の商品写真  それを言うと、いわゆる筋トレも同じことで、うまく持ち上がらない時、左右前後にバランスが崩れたときなど、なにかの癖(=無駄にひっぱっている筋肉)がある。あまり負荷が高いと、練習後も力が入りっぱなしになりかねませんが・・・

感度が高い人なら、自分の日常動作を省みて、すぐに自分の癖に気づけるのでしょう。私が鈍いせいなのか、ヨガのような痛いポーズを取ったり、筋トレの重い負荷を掛けてはじめていろいろ感じ取れるようになります。

何十キロも走ったり、歩いて、すっかり疲れたことに初めて、片足が外旋気味だとか、背中が片方にヨレたりといった癖を発見するのと似たことかなと。

思うに、極端な状況で発見した自分の癖は、大概日常のささいな動作でも生じているものです。大切なのは、日常動作に潜むその癖を発見することと思います。ヨガのときの癖、筋トレのときの癖、走っているときの癖、などと分けて考えるとよろしくないでしょう。

極端な状況下で何度かその癖を感じた後だと、日常のささいな動作にもそれを発見しやすいと思います。

これら、合う合わないもあるでしょうから、類書の中身を書店でお確かめの上、あれこれ試されるのが宜しいかと存じます。



追記その2:かなり続けた結果、あれこれ疑問が生じたときに

ルーリー・ウェストフェルト著『アレクサンダーと私』(壮神社) の商品写真  練習をかなり続けていくと、「アレクサンダーさんの言っていることはほんとにそうなんだろうか?」ですとか、「どうもアレクサンダーさんのこの説明のニュアンスがわからない・・・入門書をいろいろ見てもなんだか・・・」といった疑問が生じてくると思います。

そういった疑問には、第一世代のお弟子さん筋の回想録を読むことが、私には一番参考になりました。

Walter Carrington & Sean Carey, Explaining the Alexander Technique: The Writings of F. Matthias Alexander(Mouritz) の商品写真  Walter Carrington & Sean Carey, Personally Speaking(Mouritz) の商品写真  ここでは試みに三冊挙げてみましたが、どれも大変おもしろい本でした。

この三冊の英語の原書であれば、出版元の英国Mouritz社のサイトで直接購入するのが確実です。

自分の解釈で良かったのだと思うこともあれば、直弟子の間でも意見がわかれるなら、こりゃ曖昧と思うほかないだとか、いろいろ発見がありました。

アレクサンダー・テクニックの講師になるのでもないならば、アレクサンダーさんを絶対視する必要もありません。自己観察&改善の一手段としてつきあうのが健全と思います。

彼の良いところも悪いところも含めて、自分の心身の観察力・コントロールを日々地道に向上する良い有益なヒントとするのが大事で、その為には、信じるのではなく、自分できちんと感じ・考える姿勢が必要なのでしょう。*8 *9 *10

*1:例えば、横から見た際に、くるぶし、膝関節、股関節、肩関節、耳が一直線、という姿勢を理想とするのは、アレクサンダーだろうと、ヨガだろうと、バレエだろうと、ウェイトトレーニングだろうと一緒。はっきりそう書かれた伝書は見たことはないですが、古武術でもそうでしょう。

*2:そもそも、止まった姿勢が、ほんとに動いていないと言えるのか、考えどころです。まったく動いていなかったら、立ってもいられずに床に崩れ落ちてしまいます。

*3:もっとすすめていくと疑問を持つこともあるでしょう。それは後述。

*4:ちなみに私の英語力は、何年も前にTOEIC900点以上を出しましたが、その後は何年も自分の興味で英語に接する程度です。日頃ネットで英文を読んだり、年に数冊程度でも英書を手にする習慣のある方ならそれほど苦労はないと思います。

*5:安いものには、デジタルデータを適当に製本したものがあるのでご注意を!乱丁、頁折れなどおかまいなしで私もひどいめにあいました。

*6:インテリほど言葉に囚われている己が見えないまま、自分は言葉の熟達者などと思い込んでいる。他山の石であります。

*7:ちなみに筋肉は押すのではなく、引くだけです。引いて力を発揮します。押すような動きも、常にどこかが引くことで作られています。

*8:例えば、アレクサンダー・テクニックは、頭と首あたりのゆるやかさ・自由さを第一義で「ここだけやってればよろし」に聞こえるのですが、実際どうなのでしょう?アレクサンダー自身、体の方々を動かして注意してそれこそ脚やあばら骨と注意が向かう。その時、部分部分に注意を限定させずに、頭と首あたりのゆるやかさ・自由さも思い合わせられる - これが大事なのでしょう。では、実際の練習でそれができるかというと、あっちこっちに行ったり来たりなのだと思います。頭と首重視がどうもいまいちで、足の裏・膝・股関節・背中となったり、そんなことしていたら、また頭と首もより注意出来る様になったり。結局、頭と首も体の他の部分との影響の中にある一部なのだ、と思います。

*9:アレクサンダー・テクニックは元より自分できちんと感じ・考えることを主眼においた訓練と思います。ヨガでも合気道でもなんでも似たような部分のある違うものに接して、”あわせて考える”ことなどすると、無闇な信奉を防ぎやすいやも。

*10:多分、この段階に至ると、言葉を使うこと、話すこと、書くこと、表現することについて、いろいろ思うことがあるのでは?なにを読むか・なにをするかのアイディアはいま考えることでもなく、その頃には目星がつけられると思います。

音楽から脱線するようですが・・・小松 英雄著『徒然草抜書』

小松英雄著『徒然草抜書』(講談社学術文庫)のAmazonの商品頁を開く今回音楽の話と脱線するようなのですが、きっと興味を持たれる方も多かろうと、こちらの書籍をご紹介です。

講談社学術文庫の一冊、小松英雄著『徒然草抜書』。

さてこの本について著者が意図するところは、著者自らの言葉をお借りして紹介しますと・・・

 『徒然草』から、従来の解釈では理解しにくい五つの短い章段を選んで文献学的方法に基づく解釈の手段を踏みながら表現の解析を試み、導かれた帰結を従来の解釈と比較することによって、古典文学作品の文章を解釈する方法について、基本から考えなおしてみようというのが小冊の主たる目的です。

〜p.19〜
 この小冊では、解釈における文献学的方法の必要性と、その有効性とを一貫して強調し、また実践を試みてきました。その趣旨をくだいて言いなおすなら、既成の解釈に依存せずに、伝本を重んじながら最初から自分で読んで、作品と対話してみよう、ということにほかなりません。

 自分の判断で読めと言われても、専門家以上の読みかたができるわけがないと信じこんでいる読者がいたとしたら、この小冊を執筆したわたくしの目的は残念ながら達成されていないということになります。この小冊のどの部分をとってみても、そこに述べられているのは常識的な考えかたばかりだということを再認識してみてください。むしろ、われわれにとって肝要なのは、いかにして常識の軌道を踏みはずさないかということです。もちろん、その常識とは世間常識ではなく、考え方の筋道についての常識ということです。それを難しく言いなおして方法とよぶだけのことです。

〜p.401〜

それこそ「あやしうこそものぐるほしけれ」のあの冒頭から俎上に挙げて、世間の解釈を批判検討。いくつもの資料をきちんと示し、推論もはっきり書き表して、自らの考えを述べる・・・この冒頭の解釈だけでも、全体400頁のこの書籍の1/3以上にあたる150頁が割かれますが、退屈することなどなくて、なにかのミステリーの謎を解き明かしているような面白さです。

冒頭の ものぐるほし が「気違いじみて」などと現代語訳されているのにびっくりした方、「天才の孤独と狂気」といった月並みで解釈したエッセイなどを読んで、煙にまかれた方には、ぜひぜひとオススメしたい一冊。

主眼が、解釈するに当たっての方法を示すことにある・・・これが良書と思う所以です。著者小松氏の狙いは、私が見つけた正しい解釈を知って欲しいというよりも、みなみながより正しく解釈する方法に意識的になって、自分で尽力することにある。*1

小松氏の方法は、例えば、こんな風に一般化できましょうか・・・なんだかうまくいきませんが・・・

  • 自分で虚心に原文を読んで、「これこれはこういう意味だろう」と自分が素直に感ずることを大切に。そして、その正しさを検討して確かめよう。
  • (解釈本でも辞書でも)世間に流通している解釈を無批判に受け入れないこと。
  • 原書・原文も、多種の異本があるので、さまざま検討しましょう。
  • いま検討している部分だけに囚われないこと。例えば、とある言葉も、その書籍の中、その著者の他の書籍、同時代の文章などに用例を探して、それらと共に意味を考えることが重要です。

その他、漢字の当てられ方、濁音の処理等々で、細かい事はいろいろありますが、上の四つをひとまず根っことしてよいかな、と。

・・・さて、この段に至ると、皆様もそれぞれご専門の分野を考慮して、「これはなんについても一緒のことでは・・・」とお感じになったのではないでしょうか? ここで無理矢理音楽に話をつなげると、私自身が音楽的無教養にもかかわらず背伸びして読んでみた下の本など、小松英雄先生とやることは一緒だなぁと身近に感じられました。*2

ニコラウス・アーノンクール著『古楽とは何か - 言語としての音楽』(音楽之友社) の商品写真『古楽とは何か - 言語としての音楽』
ニコラウス・アーノンクール著

音楽之友社 326頁

パウル・バドゥラ=スコダ著『バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ』の商品写真『バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ』
パウル・バドゥラ=スコダ著

全音楽譜出版社 687頁

古典のテキスト解釈も楽譜の解釈も、どのみち、文章・記号の解釈だから、似て当然と言えば当然でしょうか。

では、こういうものは専門家にまかせておけばいいのか?

それは、小松氏の意図 - 「自分の判断で読めと言われても、専門家以上の読みかたができるわけがないと信じこんでいる読者がいたとしたら、この小冊を執筆したわたくしの目的は残念ながら達成されていないということになります。」- に反します。

私のような音楽的に無教養な聞くだけの物好きにも改善のヒントになりうるのではないか?

一般に音楽の善し悪しは、蓼食う虫も好きずきと相対論でただただごまかされたり、「数々苦難を乗り越えて・・・情熱が云々」といった人生人情ドラマ化の価値評価になったり、「○○には本質が、精神がどうこう」などと大仰な単語だけが飛び交うナンセンスだったり、自分の趣味が世間の評判に流されているとも気づかぬ浮き草等々、そんなもので終わることが多いのではないでしょうか?

そこを乗り越えようと素直に本音を言ってみると、ずいぶん丁寧に書いたつもりでも、狂信者が食って掛かってきたり・・・。狂信的なファンとなると、それしか聞いていなかったりするもので・・・。そのジャンルが好きなのか、曲が好きなのか、演奏者が好きなのかも多分ろくに感じていなかったり・・・。*3

そんなこんなも、上述の本など読んでみると、改善することになるのでは?それが今回、ご紹介した理由です。

自分の趣味が、どういう条件・判断のもとで成立しているか?それを検討し、表現し、今後変化させることにもなれば、それはやはり豊かになる可能性が多いことではないか?

少なくとも、自分の判断を自覚し、それを説明することに慣れていたら、意見の違う人とのコミュニケーションも随分ましなものになるものでしょう。

*1:先日のhttp://d.hatena.ne.jp/Look4Wieck/20091124/1259057193の記事にも関連しますが、パッケージ商品を誰かから買って、楽しみを得るという方法も実は新しいもので、各人が各人で楽しみを作る方法・その質を上げる方法を教える・・・これがちょっと昔までは主流でありました。そうやって自分自身の日常の運用を改善しなければなんにもならないのではないか、、、そんなことを思います。

*2:実は先日、この文章とまったく同じ事を某所で話してみた所、とある演奏者の方が「音楽もおなじことが言えますね」と仰って、面白いなと感じました。ブログに書いてもいいかなと思った由であります。

*3:勿論、金銭がらみの風評操作もありましょう。

クリスマスの贈り物に!その2 ベルリオーズ:幻想交響曲 ミンコフスキ指揮/マーラー室内管弦楽団&Les Musiciens du Louvre

Berlioz: Symphonie fantastique - Herminie, Import の商品写真  12月となりました!クリスマスの時期も近づいております。弊ブログで時折やっております

 こういう機会にクラシックCDの贈り物は如何でしょう?

の企画です。ちょっと間が空きましたが、本日第二回は、タイトルにある通り、

Berlioz: Symphonie fantastique - Herminie, Import
アーティスト: Hector Berlioz,Marc Minkowski,Mahler Chamber Orchestra,Les Musiciens du Louvre,Aurelia Legay
レーベル: Brilliant Classics

このCDをおすすめいたします!

この録音、元々はグラモフォンから発売されて居りましたが、しばらく絶版状態。良い演奏なのにあれれ・・・と思っておりましたが、中身はまったく一緒に Brilliantから再発売です!

Berlioz: Symphonie fantastique - Herminie, Import の商品写真  Berlioz: Symphonie fantastique - Herminie, Import
アーティスト: Hector Berlioz,Marc Minkowski,Mahler Chamber Orchestra,Les Musiciens du Louvre,Aurelia Legay
レーベル: Deutsche Grammophon

この演奏は、はじめて幻想交響曲を聴く方にもおすすめできますし。もう散々聴いていて、「今更、幻想、、、大体最近はベルリオーズも聞かないし・・・」なんて方にも興味を持っていただけるかと思います。

収録曲は以下の通り、

・・・と、実はここまで書いて、どう宣伝しようか迷って数日過ぎてしまったのですが、自分に書ける事などたかが知れているし、といって演奏者やこの曲の蘊蓄をちょこっと調べて書くのもなんです。背伸びせずに、正直に感想をいいますと・・・

このミンコフスキ指揮の演奏は、ことさらな奇抜さはないにも関わらず、こういう響きがあったのか!?こんな曲だったんだ!と思わせられる部分が多々。ちょっと目立つ特徴というと、古楽器と現代楽器の混成オーケストラ、遅めの演奏というところですか・・・

ミンコフスキも、「今更、幻想・・・」という問題を前にして、“自分の個性”なんてものにいきなりとっつかないで、楽譜を正面にきちっとどういう曲なのか、よくよく考え直したのではないか・・・。楽譜を読めない私が言ってもなんですが、そういう気が致します。

ちょっとした唱わせ方など、別に違和感を感じないのに、なんだか新鮮で楽しくまた興味深い演奏。さまざまな録音を聴いた方も、幻想交響曲にはこういう面白さもあるのかと驚きながらも、素直に受け入れられると思います。

奇抜ではないから、はじめての人にもおすすめ。

リンク先ご覧の通り、だまされてもという価格と思いますので、よろしければお試しのほどを!

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序でながら、昨年ベルリオーズ関連の著作をいくつか紹介しましたが(旧ブログの記事です http://sergejo.seesaa.net/article/111124660.html)旧字体のえらい古本でしか手に入らないとは言え、『作曲家の手記』はやはり是非にとおすすめしたい一冊。

ベートーヴェンシューマンドビュッシーバルトークなどなど、「あのような曲を書く人なら、まさにこういう文章だろう」と感じさせる作曲家がおりますが、ベルリオーズのこの自叙伝は予想を超える破天荒さを見せます。

文章でのベルリオーズは音楽以上に劇的なのか、それともベルリオーズの音楽は、まだまだおとなしく演奏されているだけなのか。「どこの活劇ヒーローですか!?」と呆れるほどのスタイルです。

誰だって武勇伝は盛るものですが、ここでのベルリオーズは9割は盛っていると疑わせます。そうであっても面白い。

私は中身を確かめていませんが、白水社音楽之友社に『ベルリオーズ回想録』と題された翻訳もあり。同じく古書しかありませんが、なぜこれが絶版中なのか!?

  • ベルリオーズ回想録〈1〉(1981年) 著者:ベルリオーズ 翻訳:丹治 恒次郎

  • ベルリオーズ回想録 音楽文庫(1950年) 著者:ベルリオーズ 翻訳:清水 脩
  • 上のURL先旧ブログの記事に少し引用を載せましたのでぜひご覧下さい。音楽家の自叙伝というより、ピカレスク物冒険譚と思われませんか!?

    Amazonや日本の古本屋のサイト(http://www.kosho.or.jp/top.do)で古書を見つけてくださいませ。

    いやほんと・・・作品は作品として独立した存在として扱うにしても、この自叙伝を正とするならば、聴衆はベルリオーズの演奏にもっともっと破天荒な大活劇を求めてもいいんでしょうね。毛並みの良い文化としてのクラシック音楽ではないのでしょう。

    *1:エルミニーは、言語のフランス語のみでスリーブノートに歌詞の記載あり。

    クリスマスの贈り物に!その1 ウルズラ・デュッチュラー演奏 ウィリアム・バード:フィッツウィリアム・ヴァージナル曲集から

    ウルズラ・デュッチュラー演奏 ウィリアム・バード:フィッツウィリアム・ヴァージナル曲集からのAmazonの商品頁を開く12月となりました!クリスマスの時期も近づいております。弊ブログで時折やっております

     こういう機会にクラシックCDの贈り物は如何でしょう?

    の企画で、本日より不定期に数回に分けて、幾つか思うままにおすすめのご紹介を致します。弊ブログですから、よくご存知の方にはなんの参考にもならず、すごく気軽に聞かれる方にはいまいち購買意欲がわかない・・・という立ち位置でありますが、そこは開き直ります!

    特に新譜にこだわらず、また、CD、DVD、書籍等々も織り交ぜて思いつくままに挙げて参ります。ご紹介したものそのものでなくとも、なにかお探しのきっかけになればと考えております。

    勿論、クリスマスでなくとも、お若い方にはお年玉の機会にどうぞ。

    ******

    さて、今回ご紹介するものはCDは、ウルズラ・デュッチュラー演奏 ウィリアム・バード:フィッツウィリアム・ヴァージナル曲集から Import。以前、聞いた事があって面白い!!と思ったのですが、自分でCDを持っていないので、注文したところ在庫なし・・・のままもう一年近く経ったでしょうか。これが先日、突然入荷の上に到着。やっぱりすばらしい内容でした。今現在、Amazonに一点在庫あり。マーケットプレイスでは少し高くなりますが、新品が買えるようなのでぜひどうぞ。

    そもそも、このCDを知ったきっかけは、とあるチェンバロも弾かれるプロの演奏者に質問してみたことでした。

    チェンバロも楽器そのものに演奏スタイルも随分変わっているでしょう?いまだに○○や△△などの先駆者だけが名人ってことはないと思うんですが、誰かおすすめな人居ます?」

    「こういうジャンルって、いい演奏者も世間的にはそんな有名でもないからねー。ウルズラ・デュッチュラー Ursula Dütschler やヴワディスワフ・クウォシエヴィチ Wladyslaw Klosiewicz なんか良いと思うなぁ。」

    クウォシエヴィチ氏の方は、在庫切れやらなんやらタイミングが合わず、私はまだ聞いていないのですが、

    Scarlatti: Sonatas Import の商品写真  Scarlatti: Sonatas Import
    アーティスト: Wladyslaw Klosiewicz
    レーベル: Accord

    Johann Jakob Froberger: Melancholy Pieces for Harpsich, Import の商品写真  Johann Jakob Froberger: Melancholy Pieces for Harpsich, Import
    アーティスト: Wladyslaw Klosiewicz
    レーベル: Accord

    それに比べればデュッチュラーの方が手に入りやすいです。

    デュッチュラー女史の録音は、チェンバロに限らず、フォルテピアノもいくつも聞いてみましたが、一枚もので誰が聞いても楽しめそうなものならば、この

    William Byrd: Pieces from the Fitzwilliam Virginal Book, Import の商品写真  William Byrd: Pieces from the Fitzwilliam Virginal Book, Import
    アーティスト: Ursula Duetschler (Harpsichord)
    レーベル: Claves

    など、おすすめしやすいなと。収録曲は、Fantasia C / The Carman's Whistle / Pavan and Galliard F / The Woods so Wild / Fantasia G / The Queen's Alman / Pavan and Galliard G / The Bells / Walsingham / All in a Garden Green / Lavolta / Pavan and Galliard g / Ut re mi fa sol la の全13曲。

    バードはイギリスの16〜17世紀の作曲家、ヴァージナルはチェンバロと思っておけばまぁ宜し・・・と専門的なところは、ちょっと調べれば様々なサイトがあるのでおまかせしましょう。

    この曲集、楽しげな舞曲、清澄なパヴァーヌ等々さまざまな曲があって聞きやすいのですが、デュッチュラー女史の演奏の力もあるのでしょう。それぞれの曲は、くっきり違った性格をもって聞こえます。

    この時代の曲には、聴いてみる前からなんとなく「古風な素朴さ・静謐さ」といったイメージがあると思いますが、デュッチュラー女史の演奏はそれにとどまらない豊かさを感じさせます。

    バッハのトッカータの録音などもあり。

    Ursula Dütschler - J.S.Bach: Toccatas Bwv910-916 Import の商品写真  Ursula Dütschler - J.S.Bach: Toccatas Bwv910-916 Import
    Ursula Dütschler(Harpsichord)
    レーベル: Claves

    「メジャーレーベル」の「有名演奏家」でないとなかなか手が出ない方にこそ、ぜひお手にとって頂きたいと思います。

    バードの曲を一般に有名にしたものと言えば、やはりグレン・グールド

    バード&ギボンズ:作品集 の商品写真  バード&ギボンズ:作品集
    アーティスト: グレン・グールド(ピアノ)
    レーベル: SMJ

    でしょうか。合わせて聞いてみると面白いです。収録曲やピアノとハープシコードの違いを超えて、随分演奏者によってアプローチが違うものだなぁと今更ながら。

    ******

    デュッチュラーに興味を持たれた方には、下のリンク先からどうぞ。Look4Wieck.comの検索機能でAmazonを探した結果が開きます。

    >> ウルズラ・デュッチュラーの録音を探す

    どちらが正しいのか綴りが二通りあるので、双方で検索した結果となっております。では。

    鍵盤楽器を弾く / 体全般の感覚・気付き / 自分でやる

    すっかり間が空きましたが、不定期連載でほぼ週、ほぼ月も辞さないいい加減さで、駄文をつらねております。

    先日書いたことが(http://d.hatena.ne.jp/Look4Wieck/20091104/1257311404)、ひらたく言ってしまうと、「すごい専門家の妙技をただ単に享受するでいいのか?」なんてことも含まれていたのですが、なにを隠そう私も大人の再挑戦で(電子)ピアノの蓋を開けてはまごついています。

    わけあって詳述できませんが、立ってやるいわば踊りのような稽古ごとをやっておりまして、これと座ってやるピアノを比較していると、道具による専門的な違いはあれども、なんだか体の運用法としては随分似た所があるなぁとつくづく思う日々です。

    弊ブログでは何度かご紹介している御仁なので、ご覧の方もいらっしゃると思いますが、そんな中で読んだ大井浩明さんの

    汎用・クラヴィア奏法試論 [2009.11.07]

    http://ooipiano.exblog.jp/12662198/

    が、大変面白いものでした。

    試論作成にあたってのテスト生としてセッションに参加したり、その前からアレクサンダーテクニークについて教えていただいたり、どんなものになるのか気になっていたので、こうやって形に纏められたのは誠に慶賀すべき以下略。

    *****

    ピアノの奏法というと、指で弾くな、体全体なんてことは、ほうぼうで聞きますが、ではその記述を見ると結局指の話、せいぜい肘辺りか、いっても肩までとなっています。折角、「指でひくのではない」といいながら、映像が示されていても、なんだかんだと手首辺りまでしか収めていない・・・一体全体体全体はどう使うのか?そんな疑問を持った方も多いのではないでしょうか?*1

    大井さんの汎用・クラヴィア奏法試論の面白さは、『指先成分を可能な限り排除した鍵盤奏法』を目指して、じゃー手首なのか、肘なのか、腕なのか・・・といった指じゃないなら、体の他の「部分」にまかせる手軽な解決法をこばみ、体全体*2の気付き方・運用法に切り込んでいること。

    モダン楽器、昔の各種楽器の特性の違いなども随所に出てきて、聞いているだけだと判らない話も楽しいです。

    そこで伸べられているこまごまとしたことは、体の観察法、発見法、自分勝手に動かさない動かし方等々、自分もピアノ以外の習い事向けに

    ボディ・ラーニング―わかりやすいアレクサンダー・テクニック入門 の商品写真  ボディ・ラーニング―わかりやすいアレクサンダー・テクニック入門
    著者: マイケル・ゲルプ
    出版社: 誠信書房

    サラ・パーカー著『アレクサンダー・テクニーク入門』(ビイングネットプレス) の商品写真  実践講座 アレクサンダー・テクニーク入門 能力を出しきるからだの使い方
    著者: サラ・パーカー
    出版社: ビイングネットプレス

    トーマス・マークほか著 『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(春秋社)の商品写真  ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと
    著者: トーマス・マークほか
    出版社: 春秋社

    ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク―心身の不必要な緊張をやめるために の商品写真  ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク―心身の不必要な緊張をやめるために
    著者: ジェレミー・チャンス
    出版社: 誠信書房

    プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本) の商品写真  プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本)
    監訳: 坂井 建雄, 松村 讓兒
    出版社: 医学書

    などを片手に、あーでもないとこーでもないと頭を悩ましていた所で、いろいろと参考になっております。*3

    *****

    試論は、

    自分の体のことは、自分で調律するしか無い、と再度申し上げて、取り敢えずの結語とさせて頂きます。

    という言葉で結ばれています。世間の教授法というものは、先生がお手本を見せて、ダメだしはするけれど、実際生徒がどうすべきかは五里霧中というものが多くはないでしょうか?「自分でどうやるか?」の内発的な発見法といいますか、運用法といいますか、そこの解明しようとしている点も一見些細な事ながら風変わりな試みと思います。

    そして、その改善が、小手先の間に合わせを避け、体全体の協調性を探すなら、多分ゆっくりとしか進まないであろう事に注意がなされていることは、決して見逃すべきでない点と感じました。

    ピアノに限らず、ほんとの教育は自習の仕方なんじゃないかな・・・と、そんなものは生徒が自らが発見すべきではあるのでしょうが、教育が生むものが、先生に頼らざるを得ない信奉者 or 先生に反発する自己確立者に二分されているとしたら、それはそれでなんだかおかしい気が致します。

    ピアノ・チェンバロ教室も開設されたそうで、ご興味あれば。 *4

    では。

    *1:これは面白いことです。スポーツなら全身を見るのは当たり前と思いますが、そうでもない。例えば、ボクシングなど選手本人やコーチはともかく、それを撮影している方は上半身しかカメラに収めていないなんてことはざらにあります。

    *2:座っているので、座骨から上の体全体、、、と言ってしまっていいと思います。

    *3:私自身の動き方、気付き方なんてレベルが低いので、比較になりませんが!

    *4:試験的セッションの際は、私が堕落しているもので、いろいろな方のものまねを見せて貰って時間をつぶしてしまったり。これがまた大笑いで・・・

    成熟した観衆向けか、未成熟なその他大勢を惹き付けたいのか

    『上岡龍太郎かく語りき―私の上方芸能史 (ちくま文庫) 』のAmazonの商品頁を開くクラシック音楽の話から離れるようですが、先日YouTubeで、上岡龍太郎氏が芸人論という題目で語っている映像を発見致しまして、これがなかなか面白いなと。YouTubeで、「上岡龍太郎 芸人論」で検索すれば見つかると思います。

    さて、上岡氏がどんな話をしているか・・・いつもの氏一流の語り口のおよそ10分の映像。噺家・漫才師などのいわゆる芸人の話で、大体骨子はこんなところでしょう。

    • かつては寄席が芸人の舞台であったが、1960代以降TVが登場し、芸人の世界にも大きな変化が生じた。
    • 例えば、かつての寄席の時代では、名人は寄席だけで食べられる人間だった。そして、そんな者は希なので名人は崇められた。名人は表に出てこず楽屋にひっこんでいるのがたいがいで、周りの者にとりとめのない話を聞かせているようで、その中に芸の教えがまじえてあった。年功序列なり人気順に並んだ後輩、若手は名人を囲んで熱心にその話を聞いたものだった。楽屋は修行の場であった。
    • しかし、TVの時代では、次から次へと番組に出れば、若手であっても寵児として扱われる。収入も楽屋に引き込む名人を越すほどになった。
    • 芸の質も変わった。当初のTVは寄席の芸を映していただけだが、その内にTVで受ける芸というものが隆盛となった。寄席の芸は、演じ手とお客さんの間で空気を揺り動かす芸である。かっこたる訓練を重ねてものにした話術である。対して、TVで受けるのは素人芸である。年寄りは、素人芸を身につけ難いが、若手はみごとにその流れに乗じた。
    • かつての芸は、上品だけど、洗練されていて無駄がなく、インパクトに乏しいが、持続力がある。いまのTV受けする素人芸は、無駄が合って、その分リアルに見え・聞こえ、インパクトがあるが持続力がない。
    •  
    • ここで芸人はどちらの道を取るか、悩むのである。TVは、結局、素人の芸を見せるか、さもなければ、プロが私生活を語る場となってしまった。いいかえればドキュメントがそのままが一番面白い、という価値観だ。
    • とは言え、TVとしての話芸が洗練されてくれば、かつての寄席の芸と一致してくるものもあるのではないか。そこに希望をもつほかあるまい・・・

    人によって異論もあるでしょうが、あれこれ考えさせられるなかなか面白い話でした。このエントリー冒頭に写真を載せた『上岡龍太郎かく語りき―私の上方芸能史 』(ちくま文庫) に、この話が載っているかどうか中身を確かめておりませんので、その点、ご留意のほどを。

    ******

    こんな話を聞くと、ついついTVが悪い、と言ってすませてしまいますが、ほんとうにそうなのか考えをすすめることができます。

    TVは不特定多数の視聴者にアプローチするメディアである。つまり、とある分野に興味のない人にまで広くアクセスしやすいものである。TVの聴衆は素人なのだ。だからこそ、インパクト重視になってしまう。視聴者は、いまこの瞬間に「つまらない」と感じたら、チャンネルを変えてしまう。寄席にお金を払って行った人は、そうそう寄席から帰らないものだ。寄席ならば、じわじわと理解することが期待できるのだが・・・。そう考えると、根幹は

    • 出来る限りたくさんの人々に
    • 手早くウケる
    • その方が手っ取り早く儲かる

    という仕組みが問題なのでしょうか。

    この話は、メディアの変遷による芸の質の変化というならば、クラシック音楽であれば、1920年代以降のレコード時代の到来による変化が考え合わせられます。*1

    こう考えてみると、またいろいろ想像が広がって、今現在、音の強弱、テンポの緩急に派手な対比がある演奏がもてはやされたり、やたらと主情的にうっとりと思い入れをたっぷり込めた”楽譜からも自由”な演奏がもてはやされるとしたら、それは門外漢にも受けやすいからではないか・・・

    スポーツ中継でも、とある選手の周辺の状況はもちろん、その選手自身の体全体の動きさえ映されず、顔のアップが目立ちます。とある選手のドキュメントを見ても、聞こえてくるものは多分にドラマ化された人生讃歌だったり、それこそたわいのない私生活のなんだったり・・・。音楽でも、演奏家や作曲家に関する、誰にでも理解しやすい人生ドラマの喧伝が、マーケティングの一手法としてすっかりなじんでおります。

    ものを知らない人からさーーっとお金を集めた方が儲かってしまう短期的なビジネスのまわし方となると、20世紀のマスメディアの登場に限らず、19世紀に中産階級にマーケットが広がった頃から問題は生じたのでしょう。経済問題なんてどの時代も骨格は変わらないだろうから、18世紀だって似たようなものを見つけられるかも知れない。どの時代でも、うさんくさくミステリアスで、スキャンダルを抱えた人が、一時的には人気を集めるものですし・・・

    過度の商業主義が、ニッチなマーケットも押しつぶしてしまうように見えますが、今でもニッチなマーケットで“本物”は守られていればそれで良いのか・・・。クラシック音楽で言えば、欧州のような本場と日本とでは、いろいろ事情が違うことでしょう。人気がなくても、本物が生きのびることができるならまだ希望は持てる・・・

    ******

    やわな想像をすると話は膨らみすぎてしまいますが、このあたりの話は、ここ最近の三つの記事で紹介した書籍

  • いろいろと考えさせられる本でした 1of 3:中藤 泰雄 著『音楽を仕事にして』

  • いろいろと考えさせられる本でした 2 of 3:アルトゥール・シュナーベル 著『わが音楽と音楽』

  • いろいろと考えさせられる本でした 3 of 3:岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』 (中公新書)

  • のほかにも、私が読んだものでも例えば、

    大崎 滋生 著『音楽史の形成とメディア 』(平凡社選書) の商品写真  『音楽史の形成とメディア 』
    大崎滋生 著

    平凡社選書
    354頁 *2

    園田高弘 著『ピアニスト その人生 』(春秋社) の商品写真  『ピアニスト その人生 』
    園田高弘 著

    春秋社
    284頁 *3

    自伝『ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯』(春秋社) の商品写真  自伝『ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯』
    ビルギット・ニルソン 著

    春秋社
    501頁*4

    などなど、それぞれ陰に陽に、興味深い事実・視点をもたらしてくれるものと思います。ご興味あればぜひどうぞ。

    本日はこの辺りで。では!

    *1:TVがでてきてからの変化は、「玄人向けのややこしい音楽」としてクラシック音楽は衰退し、ポップス主流の時代となったということでしょうか?

    *2:この書籍、内容の紹介が難しいですが、リンク先のAmazon頁の商品紹介がよくできてますのでご参照のほどを。

    *3:ヨーロッパで修業し、プロとしてもヨーロッパで生活した園田高弘。数々の演奏家の思い出や、日本帰国後にかかわった音楽コンクールや公開レッスンの話を通じて、自分が信ずる音楽とその伝承・育成方法を語っております。

    *4:ニルソンの自伝ですが、大変ユーモラスな語り口で、楽しく気軽に読めることうけあいです。本人が相当なスター歌手だっただけに、スター指揮者の共演も多数。思い出話のなかで、スターの虚像がはがされたりなんなり・・・

    いろいろと考えさせられる本でした 3 of 3:岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』 (中公新書)

    岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉(中公新書)』 のAmazonの商品頁を開くまたまた間が空きましたが、前回・前々回と

    中藤 泰雄 著『音楽を仕事にして 日本の聴衆に、この感動を伝えたい』

    アルトゥール・シュナーベル 著『わが生涯と音楽』

    と二冊の書籍を紹介いたしました。音楽の売り方や聞き方の姿の20世紀辺りの変遷を見ながら、普通の音楽好きはどうしたらもっと“良く”(?)聞けるのだろう・・・などということを私の頭は考えていたようです。

    本日ご紹介するのは、そのものズバリ

    岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉(中公新書)』

    前回の原稿を書いた後にこれを見つけて、読んでみた次第。ここのところ自分の中でグルグル回っていたテーマを考えるにうってつけのものでした。今年の6月が初版ですから、もうお読みの方も多いでしょうか?

    前書きにもある著者執筆の動機を私流にまとめてみますと・・・好き/嫌い、良い/悪いを個人の趣味とかたづけるといかにもな相対主義で今ひとつ。考え、語り、知ることで、趣味と一言で片づけたていたことごとの詳細に知り、”より良く”することができるのではないか?その方が、聴いていて、楽しみ方も豊かになるのではないか?そんな音楽受容の問題を取り扱った一冊、などとなりましょうか。

    中藤泰雄氏の著作は売る側の立場のものであり、シュナーベルの自伝は弾く側。 岡田暁生氏は聴く側の立場で書いてらっしゃいますから、三つあわせてなかなか良いあんばいです。

    *****

    著者のいつもの判りやすい口調の故、さらっと読んでしまいますが、トピックは非常に多岐に及んでいて、すでにさまざまに書籍を読まれた方にも、細部に面白い指摘が見つかるはずです。

    トピックが多用である上に、著者も思いを素直につづって・・・つづり過ぎ!!と言ってもよいくらいで、つかみがたい書籍でもありますが、あとがきに本書のとりあえずのまとめとして、27項目のstatementsが挙げられております。書店でお買い求めの方は、この27項目が書かれてある6ページ分をまず読んでみて、興味を惹かれたらお買い求めの上にじっくり読んでみると良いでしょう。

    試みにその27項目からほんの少し挙げてみますと・・・


    • 世評に注意。「看板に偽りあり」のケースは意外に多い。そもそも人と意見が違っていたとしても、そこには必ず何か理由がある。「他人との違い」を大切にすること。
    • 自分のクセを知る。そして、客観的事実と自分の好みはある程度分けて聴く。そのためにも、自分がどういうものに反応しやすく(過大評価しやすく)、どういうものに対して鈍いか(過小評価しやすいか)、よく分かっていた方がいい。
    • 有名な音楽家を神格化しすぎない。彼らにも「駄作/駄演」はある。また「傑作/名演」として名高いものでも、隅から隅まで完璧に仕上がっているものは、そうはない。
    • 最終的には「立ち去りがたさ」を大切にすること。何度も繰り返すが、途中で中断することがどこかでためらわれたとしたら、それこそあなたのための音楽だ。
    • 音楽を言葉にすることを躊躇しない。そのためにも音楽を語る語彙を知ること。音楽を語ることは、音楽を聴くことと同じくらい面白い。まずは指揮者のリハーサル風景の映像などを見てほしい。

    前掲書 P.208〜213

    その他にも、音楽についての本を読むことですとか、自分でも楽器を弾いたり、合唱に参加して、音楽をすることのすすめですとか、あれこれ書かれた27項目。もっぱら聴くだけですごしてきた私も納得し、反省し、あれこれと考えさせられました。

    27項目はそれなりに整然としておりますが、本書本体を読みますとあちらとこちらで意見が矛盾したり、思いつきを並べただけにも見えることも多々あって、不満がでるやも知れません。ですが、それもまた自分で考えるきっかけになりますがゆえ、つっこみやすくて網羅的な本は実はありがたいものだとわたしは思います。

    すっごくダメだといけませんが、なんかちょっと「あれ?」というくらいですと、自分で考えるにたいへん都合が良い。「なに言ってんだ〜!」という思いから、自分の考えを構築し、ぜひご友人との語らいでご披露くださいませ。

    さて、最近いろいろ聴き始めたという方に、本書が

    岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉(中公新書)』 の商品写真岡田 暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』
    中公新書

    難しいとすれば、西洋音楽史的な内容かも知れません。スリーブノートや各種の伝記を読んだり、ネットであれこれ読むうちに、段々と知れるものですが、知識修得を急ぎたい向きには、同著者の

    岡田 暁生 著『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)』 の商品写真岡田 暁生 著『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 』
    中公新書

    などもおすすめできるかと・・・とは言え、こういうものは一冊二冊で済む話でもなく、のんびりマイペースかつ着実にどうぞ。

    いずれにせよ、本書のような内容が、主に聴くだけを主とする一般愛好家向けに書かれるようになったのは良いことだと思います。自分自身に取って西洋音楽を聴くことは一体なんなのだろう、面白くないなら聴く気にならないけれど、それだけだとどうにも足りない気がする・・・そんな悩みもあまり教養主義的にならずに、すなおに個人レベルで考える。日本も西洋音楽を吸収・崇拝し続けて一世紀半、ようやく肩の力が抜けはじめてきたのだろうかとも感じます。

    自分でも楽器を・・・と言えば、わたしのド下手なピアノ再挑戦も数年をすぎて、単なる指の運動に過ぎなかったと最近思い至りました。音階やアルペジオからしずしずやり直しながら、そもそも一音一音の違い、それらの重なりを、感じ直そうなどと・・・。一度、半音、三度、五度といった差が、なまなましく量的に感じられないのはおかしい、、、といまごろ気づきました。おはずかしい。そんなことを続けると、音楽の聴こえ方も変わってくるのかななどと淡い期待を抱いております。

    *****

    序でながら、岡田氏が上述書の中で、「まずは指揮者のリハーサル風景の映像などを」とすすめておりますので、私がいままで見た中でこれは!と面白かったものを、幾つか並べますと、

    名指揮者の軌跡 Vol.2 フェレンツ・フリッチャイ/スメタナ:交響詩<モルダウ> [DVD]の商品写真名指揮者の軌跡 Vol.2 フェレンツ・フリッチャイ指揮
    スメタナ:交響詩<モルダウ> [DVD]
    ジェネオン エンタテインメント

    名指揮者の軌跡 Vol.1 カルロス・クライバー J.シュトラウスII世:喜歌劇<こうもり>序曲、ウェーバー<魔弾の射手>序曲 [DVD]の商品写真名指揮者の軌跡 Vol.1 カルロス・クライバー指揮
    J.シュトラウスII世:喜歌劇 <こうもり> 序曲、
    ウェーバー <魔弾の射手> 序曲 [DVD]
    ジェネオン エンタテインメント

    アーノンクール指揮の秘密~《こうもり》を振る[DVD]の商品写真アーノンクール指揮の秘密~《こうもり》を振る[DVD]
    ウィーン交響楽団
    1999年ウィーン芸術祭週間のリハーサル映像
    キングレコード

    音楽DVDはすぐに在庫切れになりますが、たいがい数年すれば再発致します。高い中古に手をださずに気長に待つことをおすすめ致します。

    指揮者ではないのですが、現代ピアノでのマスタークラス。

    DVD Barenboim on Beethoven Masterclassesの商品写真DVD Barenboim on Beethoven Masterclasses
    EMI Classics

    これはバレンボイムが若手ピアニストと一緒に考える・・・という内容。楽譜の読み方とその表現方法のレクチャーですから、聴き手にも曲の聴き所・勘所がわかるというもの。バレンボイムもやさしく丁寧な口調ながら、鋭く細かく指摘しております。しかし、別売りのバレンボイム自身による演奏録音を見ると、必ずしも自分が指導した通りにはできないものなのかなぁ・・・などと生意気ながら感じてしまいました。言うとやるとは違うということでしょうか。

    日本語版がなく、英語のみですが、比較的ゆっくり話しますし、話題も音楽のことしかなく当て推量も聴きやすいので、英語の勉強がてらにもぜひどうぞ!

    忘れていました。マスタークラスの名映像をもう一つ

    ボロディン弦楽四重奏団 [DVD]2枚組  の商品写真  ボロディン弦楽四重奏団 [DVD]2枚組
    ボロディン弦楽四重奏団の名演奏と貴重なマスタークラス・レッスンの実況を収めた2枚組。
    販売元: アイヴィーシー

    マスタークラス講師は、創設メンバーでチェロ担当のベルリンスキー。ベートーヴェンのカルテットを指導します。これが素晴らしい内容で、室内楽が苦手な方にも楽しめるきっかけになるかと思います。

    交響曲ピアノ曲、ヴァイオリンのソロは聴くけれど、室内楽はあまり・・・という方は結構多いようなので、ぜひぜひどうぞ。

    近年はYouTubeでも、レッスン映像がいろいろあるものです。例えば、こういうものがありますが・・・

    先生は横山幸雄さん。うまいに決まってますけれど、こうさらさらっと指摘して、さらさらっと見事にやってみせを見せられると、いまさらながらに驚きます。他にも、いろいろありますので、お時間のある折りにぜひどうぞ。

    ではまた次回。