・考える月曜日の夜。この世界それ自体には一切の区切れめも、単位も、決定的な輪郭も、絶対の静止も、ないと考えている。しかしそれを、本当に知っているのだろうか。
法
・法事の日曜日。朝晴れて暑く午後曇り夕方にはざっと雨が降る。業務を同僚にお願いして喪服を着る。親戚を車に乗せて運転し懐石料理を食べる。このような日々の生活から見て少しだけ外に立つような時間を貴重とも思う。生徒や学生と呼ばれる年齢の人たちが視界を占める自分の生活に対して、この社会の標準的な光景が広がっていると感じた。人は変化し続ける。それを老いと呼ぶこともできる。一人の人間の内にある時間を引き出すように、偶然向かいに座った人の顔を見る。一旦家に帰り少しだけ横になり目を閉じて、目を覚ませば再び自分の時間が始まった。
借り
・この日のメモ。
・借りを返すようにただ業務の金曜日。夏のスケジュールを締切ぎりぎりに提出しつつ夕方からの授業の準備と会議。そして授業および面談。
・そうしているうちに4月のカレンダーが埋まり気持ちは連休期間とその先の地平へ向かう。週末には車が車検から戻ってくる。車や電車に乗り行きたい場所がいくつもある。
ゆるむ、眩しい
・4月18日。17日の初回の授業さえ終えれば、ひとまず、と思って、その時間をめがけて一か月ほど過ごしてきた、から、その日を越えれば、別の感じになる。単純なこととして、自分にとっての通常業務の遅れを巻き返さなければならない。並行して観たい映画が多くある。展示も観たい。会いたい人がいる。そうしてゆるめつつ必要な物事を拾い集めたらきっと連休期間に突入しているに違いなかった。
・ベランダの鉢で死んだように完全に乾いて立っていた山椒の木から芽が出て嬉しい。今年こそは死んでしまったのではないかと思い、しかし毎年芽を出す。その驚きと不思議に鼓舞されるようにして春を突き抜けている。
・教材として購入してみたピンホールカメラを使い適当な露出で撮影してみたらかなり適正に映っていて嬉しい。モノクロームのフィルムで撮影をしたのは、もう20年ぶりくらいかもしれなかった。映ることの不思議を伝えるべく、まずは自分がその感動を掴んでいなくてはならない。
・毎日何かしら新しい服を着て過ごし、あるいは新しい組み合わせで服を選んでいることに気がついて、あらためて自分が新しい時間に生きていることを思い出す。今、かろうじて、もう少しだけと思いながら、最前線にぶち当たり続けながら生きている感覚を掴んでいる。想像を未だない時間のあちこちに飛ばしながら、跳ね返る視線で現在を見れば眩しい。