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  映像研究

豊か

・業務の一日。頭がぼんやりとして授業前にキューピーコーワゴールドを投入するもさしてうまくはたらかなかった。それでも事故なく終えたから安心。こうした出来事未満の時間が自信を育てるかもしれない。帰宅して頭痛。

 

・日々「貧しさ」についてのメッセージが飛んでいる。国の財政の問題を判断なく事実を事実として伝えているように思う。そうした言葉や言葉にともなう映像が拡散することで、どのような気持ちがつくられていくか。

 

・豊かであるとはどういうことかと問うてみる。忘れていた問いを拾い上げて、埃をはらい手の上にのせてみるように、考えたい。かつてよりも少しだけ視野が広い。睨むような局所的な視力が落ちて、その目でこそ見つけられる場面がある。

つけて、消す

・気温が前の日と比べて10℃上がると予報が伝える。ウールから綿へ着替える。薄手のコートは折り畳んで持っていても着る必要がなかった。

 

・午前中早めに家を出て、国立新美術館「遠距離現在」を鑑賞。遠足の下見でもあった。空いている美術館で贅沢な鑑賞。ヒト・シュタイエルの映像作品をもう一度鑑賞したい。

 

・水道橋に移動してランチは友人のお店でカレーを食べる。その後神保町で少し古本屋を見る。このまま夕方まであちこち歩きビールを飲めたならば。

 

・夕方から業務。何年か続けている小説を読む授業。継続していると定点観測として浮かび上がってくることもある。暑さを感じて冷房をつければすぐに身体が冷えたから消す。春にようやく馴染んだ身体は、まだ暑さがどういうものなのか、思い出していない。

かんばりたい

・がんばりたい、と声に出す習慣。この数年。

 

・水曜日は春からの新しい仕事だがこの日は自分の担当の授業ではない。オリエンテーションを聴講する。どこにも学びはある。

 

・前後に実家へ。雨だったこともあり車で移動する。週末に掘って家族が茹でてくれていた筍を母親に届けるなど。おまけにヴェリタスブロイ。帰宅は早い夜の時間にドライブになる。最短距離は新小金井街道だが、あえて府中街道を南下する。その街道には自分の生の最初の20年ほどが圧縮されている。レコードの針が溝を滑るように、街道をなぞり記憶を再生する。

 

・帰宅して夕食しながら『虎と翼』。振り落とされずに視聴できている。「特別ではなく普通」という言葉にはっとさせられつつ、病院の待合室の場面が良かった。人が人の言葉を聴き、気遣いながらも正直に言葉を返す時間が映し出されていた。この世界の色々な場所で、このような時間が生まれてほしいと思いながら。

時間

・忘れないように書いておく。4月の後半の火曜日。連休期間を健やかに過ごすべく、連休期間後の波を乗りこなすべく、業務に関わる諸々の準備する火曜日。

 

・会議。夏のイベントに向けて、何ができるのかと話し合う。インタビューの動画をつくりたい、とただ本当に思っていることを言ってしまった。面白そうと思っていることを口に出して、その結果仕事が増えても、それはそれで仕方ない。これは程度の問題。同僚と協力して実現したい。

 

・会議の前後にパワーポイントの資料を作成する。20分程度の説明のための資料作成には4時間かかり、その資料を見せながら話をする人に説明して渡す。数年の間この資料を説明する担当だったが、それは必ずしも自分でなくても良い。というよりも、誰もが説明できた方が組織としては有益である。そのことに気がついたのは昨年のはじめで、その引き継ぎを実現するのに一年以上が経っていた。こうした小さな一歩が未来を拓くと思いながら。

 

・行き帰りの電車で、バークリー『視覚新論』を少しずつ読んでいる。読むべき本読みたい本が渋滞していて、それを整理して夏までの課題を積み上げることも連休期間にすべきこと。時間は有限と思いながら。