NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

HLA(ヒト白血球抗原)とHPVワクチン「副作用」の関連は確認されていない

HLA(ヒト白血球抗原)は免疫系に関係する遺伝子で、白血球をはじめとして多くの細胞に発現しています。多型に富み、自己免疫性疾患を中心にさまざまな疾患との関連することが知られています。2015年から2016年にかけて、HPVワクチン副作用疑い患者集団において特定のHLAの対立遺伝子(DPB1*05:01)を持っている人が多い、という信州大学医学部池田修一教授(当時)の研究班の報告および報道がありましたが、その後の研究では再現性は確認されていません。HPVワクチン副作用疑いとHLAとの関連は無いか、あったとしても弱いと言えます。

予備的な研究で統計学的有意差が見つかっても、サンプルサイズを増やすと有意差が消えてしまうことはよくあります*1。副作用疑いとHLAとの関連を調べることは病態の解明のための第一歩となりえた、まっとうな研究手法です。結果的には空振りに終わったけれども、研究自体は何も問題はありません。

しかしながら、池田班による発表と一連の報道には、多くの問題点がありました。いまだに誤解している人も散見されます。問題点についてまとめておくのは無駄ではないでしょう。


HLAと副作用疑いの間に関連が存在したとしてもワクチンと副作用疑いとの因果関係は証明されない

もし仮に、HLAと副作用疑いに何らかの関連があったとしても、HPVワクチンと副作用疑いとの因果関係はわかりません。ワクチンとは無関係にさまざまな病気は起こります。ワクチンが原因でなくても、たまたまワクチン後に生じた病気は有害事象として報告されることがあります(いわゆる「紛れ込み」)。HLAと関連する病気が多く紛れ込めば、ワクチンとの因果関係がなくてもHLAと副作用疑いの間に関連が生じます。因果関係を知りたいのであれば、ワクチン接種群と対照群において、副作用疑いの発生率を比較しなければなりません。バイアスが小さく大規模な複数の研究において、副作用疑いの発生率の差は観察されていません。よって、HPVワクチンは十分に安全であるというのがコンセンサスです。

にもかかわらず、池田班の予備的な研究結果が報道されると、HPVワクチンが原因であることが示されたとの誤解が多くみられました。私が把握している範囲では「因果関係はないと詐病扱いしていた人がたくさんいたよなあ」といったブックマークコメントや「HLA型が特定の型で占められてることから、副作用疑いは心因性などではなく本物の疾患だとわかる」といったツイートもありました。そもそも、副作用疑いを詐病扱いしていたというのが事実誤認ですし、心因性の疾患が「本物の疾患」ではないかのような表現も問題です。「心因性の疾患は本物の疾患ではなく詐病だ」という偏見が背景にあるのかもしれません。


予備的研究にニュースバリューはあったのか

2015年7月には、特定の対立遺伝子を持つ患者の割合が12人中11人(92%)だと報道されました。前述したように、病態の解明のための第一歩となりうる研究ではありますが、サンプルサイズは小さく、ほんの予備的な研究に過ぎません。とくにHLAは複数の遺伝子座があり、それぞれの遺伝子座には多くの対立遺伝子があります。試行回数が増え、容易にタイプ1エラーが起きる状況です。にもかかわらず、複数のメディアで大きく報道されました。同じように予備的な動物実験も大きく報道されました。

HPVワクチンの安全性は世間からの大きな関心を寄せられているがゆえに予備的な研究でも報道する価値があるとメディア関係者は考えたのかもしれません。しかし、それならばHPVワクチンが安全だとする情報も同じくらい報道すべきです。ですが、ワクチン接種を推奨する内容はほとんど報道されませんでした*2

また、予備的研究にニュースバリューがあるなら、その後、サンプルサイズを増やした研究はもっとニュースバリューがあるのではないでしょうか。池田班は対象者を80人に増やした調査をしましたが「副反応群において HLA の特定の geno-type との相関関係を見出すことは出来なかった」としています*3。私の知る限りでは、この結果は一般メディアでは報道されていません。


対立遺伝子保有割合と対立遺伝子頻度が混同されて報道された

ワクチン副作用疑い神社集団において特定の対立遺伝子を持つ患者の割合が12人中11人(92%)だとして、対照集団ではどれぐらいなのでしょうか。毎日新聞では「日本人に最も多い型だが、全体では4〜5割とされ」*4とありますが、92%と4〜5割を比較してはいけません。

92%は対立遺伝子保有割合である一方で、4〜5割は対立遺伝子頻度(アリル頻度)です。仮に対立遺伝子頻度が5割とすると、特定の対立遺伝子をホモで持つ人は25%、ヘテロで持つ人は50%で、対立遺伝子保有割合は75%です。複数の遺伝子座の多くの対立遺伝子をかたっぱしから調べたら、その一つで対照群では75%であるところ、患者群では12人中11人(92%)だったとして、偶然でも十分に起きうる範囲内であり、言えることはあまりありません。いずれにせよ、「日本人に最も多い型だが、全体では4〜5割とされ」という表現はきわめて不適切です。私は誤報だと考えます。そして私の知る限りでは訂正報道はなされていません。保有割合と頻度の混同は、毎日新聞以外のメディアにも見られますたので、もともとの池田班の発表が不適切であった可能性が高いと思われます。

なお、対立遺伝子保有割合と対立遺伝子頻度との混同についてはaggren0xさんによる


■HPVワクチン副作用(仮)とHLA遺伝型との遺伝的関連についてのメモ - aggren0xの日記


がたいへん参考になります。


HLAは日本でだけHPVワクチン「薬害」が起きた理由にならない

サンプルサイズの小さい予備的な研究にもかかわらずHLAとHPVワクチン副作用疑いとの関連が興味を集めた理由の一つは、日本においてだけHPVワクチン「薬害」が起きたわけを説明できるように見えたからでしょう。もちろん、他国でも有害事象は起きますが、メディアを巻き込んで大きな社会問題となり、HPVワクチンの積極的勧奨が差し控えれるようにまでなった国は日本だけです。WHOからは「弱いエビデンスに基づく政策決定は、安全で効果的なワクチンの不使用につながり、実害をもたらしうる」と名指しで懸念を表明されました*5。現在はもちろん、2015年当時も、HPVワクチンは十分に安全だというのが専門家のコンセンサスです。

そこに日本人に多い対立遺伝子がHPVワクチン副作用に関連しているかもしれない、という報道があったのです。HPVワクチンに否定的な人たちの一部は「日本人に多いHLA型だから海外ではあまり問題にはならなかった副作用が日本では大問題になった」と主張しました。結局のところ、サンプルサイズを増やした追試ではHLAと副作用疑いの関連は確認できなかったのですから、この主張は誤りです。ただ、追試の結果がまだ出ていない2015~2016年当時であっても、「相当規模の薬害」と言えるほどの害が海外で見落とされていた理由にはとうていなりえません。国民が多様なルーツを持つ国においてもHPVワクチンは定期接種されていました。非アジア系では少ないのにアジア系の人たちに多くHPVワクチンの有害事象が多く発生したのであれば、いち早く注目されていたはずです。


なぜ日本でだけHPVワクチン「薬害」が起きたのか

HLAが理由にならないのなら、なぜ日本でだけHPVワクチン「薬害」が大問題になったのでしょうか。日本人と遺伝的背景が似た韓国や台湾での大規模な観察研究でもHPVワクチンと重篤な副作用の関係は示されていません*6。日本でだけHPVワクチン「薬害」が起きたのは、生物学的要因ではなく、社会的・政治的要因によるものです。たとえば偏向報道を行ったメディア、責任回避を図った官僚、副作用疑いを「気のせい」扱いするなど不適切な診療を行った医師など、複数の要因が複雑に関係していると考えられます。日本に限ったことではなく、ワクチンに対する不信が社会的・政治的要因で起きることは海外でも事例があります*7

政治がうまく対応できた事例もあります。デンマークでもメディアがHPVワクチンに否定的な報道を行い、一時的にHPVワクチン接種率が低下したものの、保健当局が十分な情報提供を行い、ワクチン接種率が回復しました*8。日本をはじめとしたワクチン行政の「失敗」を、デンマーク当局は教訓にしたものと思われます。ワクチンや新薬に対して懐疑的な意見が出ること自体は健全なことであり、止めさせるわけにはいきません。正確な情報を提供し続けていくことで対抗するしかないのです。HLAとHPワクチン「副作用」の関連についての情報を参考にしていだければ幸いです。


HPVワクチンの「相当規模」の薬害が存在するのなら、WHOやCDCがなぜ無視しているのか、合理的な理由を説明して欲しい

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。平岡さんは「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」しておられます。具体的にはワクチン接種者の「数千人に1人」が「POTS, CRPS, ME/CFS, 繊維筋痛症などの症状が入れかわり立ちかわり現れ、認知障害なども絡む」症状を呈するとしています。

一方で、HPVワクチンは十分に安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスです。平岡さんの主張は主に有害事象報告に基づいたものですが、■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできません。有害事象報告ベースとは異なるバイアスの小さい研究では、ワクチンを接種していない集団と比べて、ワクチンを接種した集団において、有害事象として報告されたさまざまな疾患、たとえばPOTS(体位性頻脈症候群)、ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)、CRPS(複合性局所疼痛症候群)といった疾患が増加したという証拠は得られていません*1

平岡さんとの対話において、いくつかの疑問が生じました。その一つが、相当規模の薬害が存在すると仮定すると、世界において日本の何十倍も生じているはずの薬害被害について、WHOや米CDCをはじめとした世界中の公的保健当局が無視しているのはなぜか?という疑問です。ご存知の通り日本ではHPVワクチンの積極的勧奨が中止され、長い間、HPVワクチンの接種率は低迷していました。しかしながら海外ではHPVワクチン接種が続けられており、早期に導入した国においてはすでに10年以上もの実績があります。女子だけではなく男子に対するHPVワクチン接種が開始された国もあります。平岡さんがHPVワクチン「薬害」に効果があるとみなしている免疫吸着やステロイド投与は、海外ではほとんど行われていません。平岡さんの主張が正しければ、海外では(平岡さんが有効であるとみなしている)治療も行われないまま、「薬害被害者」はどんどん増加しているはずです*2

よくいる反ワクチン主義者なら、この疑問に「WHOは巨大製薬会社に買収されて奴隷化している」*3などと答えるであろうと、容易に推測できます。典型的な陰謀論であり、こうした主張をする論者とは建設的な議論は望めません。しかし、平岡さんはこうした凡庸な陰謀論者とは一線を画しており、建設的な議論が可能あると私は期待していましたし、いまも期待しています。しかし、平岡さんには何度もお尋ねしましたが*4、いまだ十分なお返事をいただいていないと私は認識しています。

お返事らしきものとして、「海外では、『HPVワクチンは安全である』という命題が正しいということが実質的に確定しており、反対意見は相手にされないのではないか」というご意見をいただきました*5。「少数の反対派がこれを覆す成果を挙げるには予算不足で必要な研究体制を取れない」、「WHOの指導部も『パブリッシュバイアス』*6のような現象の影響下にあるため、HPVワクチンの問題点を無視・軽視することになっているように見える」とのご主張です。

しかし、平岡さんの「パブリッシュバイアス」理論を用いれば、どのようなニセ医学的な主張も可能です。やってみましょうか。


「【B型肝炎ワクチン】は安全である」という命題が正しいということが実質的に確定しており、反対意見は相手にされないのではないか、と推察しています。原因は、多くのそれなりの量と質を備えた諸論文(統計処理に問題はあっても)の存在であり、そのために「パブリッシュバイアス」のような現象が起きているのではないかと思います。少数の反対派がこれを覆す成果を挙げるには、それなりの研究体制が必要ですが、一番のネックは予算不足であろうと思います。WHOの指導部も当該「パブリッシュバイアス」の影響下にあるので、【B型肝炎ワクチン】の問題点を無視・軽視することになっているように見えます。

【B型肝炎ワクチン】の部分に、自分の気に入らない医療介入を挿入すれば任意のニセ医学のできあがりです。「(いまは証明されていないけれども)将来、正当性の証明がなされることが可能である」などといった主張*7。と組み合わせると、どのような証拠によっても反証不可能な主張ができあがります。こうしたニセ医学とどう違うのかを何度も質問していますが*8、いまのところ平岡さんから納得できる返答はありません。

そもそも予算不足のせいで反対意見が無視されているのではありません。確かに大規模な疫学研究は予算の制約があって難しいでしょう(そうした研究はHPVワクチンの安全性を示しています)。しかしながら、撤回されたHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)のモデルマウスの論文の再投稿や、あるいは、HANS仮説についてPubMedで検索可能な論文として発表することもできないのですか。平岡さんは「ニセ科学的な主張は、然るべき学術誌における、主張→反論→答弁→ーーの流れを形成できないであろうので、その外で何を言われても逐一対応する必要はない」と述べています*9。その主張に則れば、HANS仮説こそがニセ科学的な主張であり逐一対応する必要はない、ということになります。

HPVワクチンが定期接種になってわずかな間に、然るべき学術誌に論文をほとんど投稿していない日本のごく一部の「専門家」でもすぐに何十例もの症例を集められる「薬害」について、WHOや米CDCやNIHやそのほか多くの公的機関の専門家がそろいもそろって10年間以上も見落としているのはなぜですか?これは質問と同時に説得でもあります。B型肝炎ワクチンが十分に安全であることについては、平岡さんと共通の認識を得られています。「パブリッシュバイアス」理論をはじめとしたご自身の論法を使えばB型肝炎ワクチンによる薬害も否定できなくなってしまうことを平山さんにご理解していただくことで、ご自身の論法の妥当性に疑問を持ち、自説を撤回することを期待しています。科学ではよくあることです。私と平岡さんの対話が建設的な科学的議論であると示されることを望みます。


*1:そうした研究のごく一部を■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないの参考文献で紹介した

*2:平岡さんは採用していないが、人種・民族差があるのでは、という反論が想定できる。しかしながら、人種・民族多様性のある国においてもアジア人種でHPVワクチンの重篤副作用が多いという報告がないこと、台湾や韓国における大規模な観察研究でもHPVワクチン接種と重篤な有害事象との関連を裏付ける証拠が見つからないなどことから、人種・民族差を理由にする反論には無理がある

*3:https://twitter.com/sawataishi/status/1340997553957965825

*4: https://twitter.com/NATROM/status/1701390120803614818 https://twitter.com/NATROM/status/1701872444213272930 https://twitter.com/NATROM/status/1702558996476080229 https://twitter.com/NATROM/status/1704062446074524012 https://twitter.com/NATROM/status/1705069306068001068 https://twitter.com/NATROM/status/1708734627589046779 https://twitter.com/NATROM/status/1709012613638816111

*5: https://twitter.com/pinggangho44374/status/1709086014206267738

*6:「出版バイアス」とは少し意味が違うが平岡さんの用語に従う

*7: https://twitter.com/pinggangho44374/status/1707698907948671086

*8: https://twitter.com/NATROM/status/1719368432330944611 https://twitter.com/NATROM/status/1724277981978505447 https://twitter.com/NATROM/status/1749647687333687644 https://twitter.com/NATROM/status/1759230046869533140

*9:https://twitter.com/pinggangho44374/status/1712291620887105772

撤回された論文は根拠にならない

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。HPVワクチンは安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスですが、平岡さんはHPVワクチンの深刻な副反応・薬害が相当規模で存在すると主張しています。


HPVワクチン接種の有無にかかわらず血液脳関門の異常で害が起きるのは当然

平岡さんが提示する仮説の一つは「日常的に抗体値を高くさせられている人は、血液脳関門に異常が生じた場合、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さをするのでは」というものです*1。しかし、私のみるところでは平岡仮説はとくに根拠がない思い付きに過ぎないように思われました。

「日常的に抗体値を高く」するのはHPVワクチンだけでなく、他のワクチンだって同じです。B型肝炎ワクチンはHBs抗体価を高くしますし、麻疹ワクチンは麻疹ウイルス抗体価を高くします。なんならワクチンを接種しなくても免疫系は常に外来抗原にさらされていますので、正常なBリンパ球は24時間365日、抗体を産生し続けています。とくにHPVワクチンが危険だと主張するためには別の根拠が必要です。

平岡仮説を支持する根拠の提示を求められて平岡さんが提示した論文がMatsunoらによる2022年の論文です*2



■Association between vascular endothelial growth factor-mediated blood-brain barrier dysfunction and stress-induced depression - PubMed



しかしながら、Matsuno論文はストレスによって誘発された血液脳関門の透過性の増加に関与する因子をうつ病モデル動物で検証した研究であり、HPVワクチンにはなんら言及はされていません。Matsuno論文からはHPVワクチンの危険性については何も言えません。血液から有害物質の侵入を防ぐバリアである血液脳関門に異常が起きるとさまざまな障害が起きることは既知の事実です。HPVワクチンを接種しようと接種しまいと、血液脳関門に異常が生じると、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さするのは当たり前です。


HPVワクチンに特異的に害がある根拠の提示を求められると平岡氏は撤回された論文を提示した

平岡仮説に必要なのは、他の抗体と比べてHPVワクチンに誘導された抗体に特異的に害があるという根拠を提示することでした*3。重ねて質問すると別の根拠を提示してくださいました。



ですが、科学的な議論において、撤回された論文は根拠として使えません。倫理的な問題や不正や重大な誤りがあるときに論文は撤回されます。平岡さんは、撤回されたことを知らずにうっかり撤回論文を提示したのではなく、撤回されたことを承知の上で提示しました。

HPVワクチンについてまったく言及されていないMatsuno論文以外には、平岡仮説を支持する証拠は撤回されたAratani論文ぐらいだと平岡さんもお認めになりました*4。つまり、血液脳関門に異常が生じることでHPVワクチンにより特異的に害が生じるという平岡仮説には科学的根拠はなかったのです。平岡さんが、誤りを認め、仮説を取り下げたのならよかったのですが、平岡さんは仮説を繰り返します*5。これでは論点が同じところをグルグル回って、建設的な議論になりません。

Aratani論文の撤回をめぐる問題点

科学的議論における基本的なルールについて、平岡さんと私との間で重大な認識の差異があることを示したところで今回の記事を終わらせてもいいのですが、撤回されたAratani(2016)の経緯についても興味深いのでご紹介します。

著者らはHPVワクチンに特有の副作用に対し「HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)」という疾患概念を提唱し、そのメカニズム解明を目的に、モデルマウスに対しHPVワクチン(Gardasil)および百日咳毒素を同時に投与した群と対照群を比較しました*6。この論文はいったんはScientific Reports誌に掲載されたものの、1年半後に撤回されました*7。理由は投与されたHPVワクチンの濃度が高すぎることおよび百日咳毒素の同時投与が適切ではないと判断されたからです。不正や倫理的問題ではなく、方法論に重大な誤りがあったとみなされたのです。

撤回に著者らは同意していません。掲載誌の編集部と論文著者の意見の相違はたまにあることです。そういう場合、たいていは論文著者は医学雑誌を変えて論文を再投稿します。実際、論文著者の一人が「向こうに撤回の権利がある以上、抗議しても意味がないので別の論文誌に再投稿して日の目を見るようにしたい」と話したと報じられています*8

Aratani論文は撤回から5年経っても再掲載されていない

撤回された当時、HPVワクチン支持者から「Arataniらの実験方法は適正であり、論文撤回決定は間違い」という意見もありましたが、もしその意見が正しいのであれば医学雑誌を変えれば論文は掲載されるはずです。しかし、2024年1月の時点で、該当する論文はPubMedでは見つかりません。そのような論文があるなら、平岡さんはわざわざ撤回された論文ではなく、その論文を提示すればいいはずです。Aratani論文は再投稿されていないか、あるいは再投稿されても掲載されるだけの水準に達しておらずリジェクトされたかです。

医学論文誌は数多くあり、多少の欠陥がある論文でも掲載してもらえる、レベルがあまり高くない雑誌もあるので、掲載誌を選ばなければ論文にはなるはずです。あるいは指摘された方法論の欠陥を踏まえて実験をやり直して、あらためてレベルの高い雑誌に挑戦することもできます。平岡さんは「彼等が百日咳毒素を用いない別な系で再実験したらどうか」と言いました。「百日咳毒素を用いない別な系」とは限りませんが、少しでもよい雑誌を狙って条件を変えた再実験が行われても不思議はありません。再実験でHPVワクチンの危険性を示す結果が出たならば、論文にしているはずです。

あるいは実験をやり直したところ当初の仮説に否定的な結果が出たとしても、それを公表することには意味があります。科学的議論よりも面子を保ったり裁判に勝ったりすることを優先し、患者さん・ワクチン接種者の命や健康はどうでもよいと考える研究者であれば自分の不利になる情報をお蔵入りさせて知らんぷりするかもしれませんが、真摯にHPVワクチンの副作用の問題を解明したいと願う研究者であれば、実験の結果をいずれは発表することでしょう。


そもそも動物実験のエビデンスレベルは低い

そもそもの話をしますと、Matsuno論文もAratani論文も動物実験レベルの話です。エビデンスレベルや健康情報の信頼性を評価するためのフローチャートについて知っていれば、たとえAratani論文が撤回されていないとしても、HPVワクチンの危険性を示す根拠としては心もとないことがわかるでしょう。HPVワクチンの安全性を示すランダム化比較試験のメタ解析や複数の大規模な観察研究による結論は、一つや二つの動物実験で覆すことはできません。

「日常的に抗体値を高くさせられている人は、血液脳関門に異常が生じた場合、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さをするのでは」という平岡仮説を支持する根拠は、動物実験レベルですら、現在のところありません。科学的議論では、新たな証拠が出てくるまでそのような仮説を引っ込めます。反論がなかったかのように仮説を主張し続けるのは科学的とは言えません。以上のような指摘を踏まえて今後は平岡さんと科学的議論ができることを望みます。