今年も「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」が始まりました。
どうも、教採浪人講師ことOkkunです。「勤労学生の大学日記」から名前が変わって全然更新していませんでしたね。
今年も「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」
が始まりました。エスカレーターの歩行と片側空けに10年以上私は反対しています。
リンクはここ。http://www.jreast.co.jp/press/2015/20150716.pdf
駅では、大型荷物を持った人や歩行困難者がいっぱいいます。
さらに、ほとんどの人は「エスカレーターで歩かない人」。
私の見立てだと 歩く人:歩かない人=2:8 くらいと感じています。
2割の人の為に、片側を空けると、エスカレーターが渋滞します。
エスカレーターの処理能力の大部分を片側明けで失っています。「1段空けて2列乗車」が一番人が捌けます。
そもそも、エスカレーターは歩いて歩行することを前提に作られていません。非常に不安定な機材です。
だから、手すりがあるわけです。
あと、歩行は思わぬ事故が発生します。
昔、名古屋で歩行している人がぶつかって、お年寄り2人がエスカレーターから転げ落ちたことがありました。
私は緊急停止ボタンを押して事なきを得ましたが、非常に危険です。
もはや「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」ではなく、
「みんなでエスカレーターは立ち止まって使おうキャンペーン」
さらには「エスカレーター歩行禁止キャンペーン」にすべきでしょう。
「エスカレーターで歩くのは本当はダメ」という当たり前を浸透させていきたい物です。
あ、東京で、エスカレーターの右側に立ち止まって乗っているのは私です。
歩きたければ階段を使えば良い、それだけのことです。
でも関西では左に立つ勇気はありません(´д`)
田母神さんのTwitter
田母神さんのTwitterを見てちょっと考えてしまった。
やはり、面白くて賛成できることも多い人だが、えーって思うこともある。
旧民法の家制度の肯定(?)、それは現代の人権レベルには全く耐えられないものなのを理解してのことなのだろうか?
戦前の日本に過度な希望を見いだすのはもうやめないか?
「日本を取り戻す」って、取り戻すものじゃないだろう。
これから、つくっていくものだろう?
戦前は、今よりもずっと不衛生だったし、危険も多かったし、殺人事件も多かった。そんな時代に戻りたいか?
学校では教師に問答無用で殴られ、人権意識のかけらすらない時代に、本当に戻りたいか?
今よりも遙かに犯罪が多かった日本に戻りたいか?
戸主制と家督相続の時代、すなわち長男たる戸主に絶対服従の時代に、個人の自由はあったか?
家のために生きることを強要されて個人の自己実現は制約されていた時代だ。結婚するにも親の同意が必要だとか、現代の人権レベルでは許されることではない。
そんな時代を手放しで、受け入れられるか?俺には無理だ。
確かに戦前に学ぶ事も多い。明治や昭和の文学や様々な技術革新、そして国として良い国を作ろうと頑張ってきた先人には敬意を表したい。
しかしながら、人権意識も社会規範も変わっている。そこに「取り戻して得たい日本」は存在していないことに、なぜ気づかないのか。
ラーメン二郎目黒店のメルマガ
ラーメン二郎目黒店のメルマガが配信されました。相変わらずのクオリティですw
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クリスマス商戦もそっちのけで日本全国選挙モードになっちまいました。政局の風
向きがなかなか読めません。個人的に気になるのが、その昔、弊店のほど近くにお住まいだった東国原秀夫氏。開店間もない頃にご来店されて『ニンニク入れますか?』の問いに『そのまんま』と呟かれた氏の動向が気になります。ネタじゃあないです。事実です。こんにちは河西智美です。
さて申し訳ありませんが臨時休業のお知らせです。明日17日土曜日、目黒店は終日お休みさせて頂きます。2017日間の長き営業日に渡り、醤油溜めとしての酷使に耐えてきたホーロー器がとうとう壊れてしまいました。そろそろ買い換えの『時間ですよ』とは思っていましたが、寿命には勝てませんでした。あす島忠ホームセンターで探して参ります。ご理解下さいませ。
なお長らくご不便をかけていました券売機ですが、新台設置で解決しました。ソフトにも小気味よいボタンの押し心地を、皆様にも是非味わって頂きたいと思っております。ペコリ。
疲れた
何か疲れた。
ユンケル2本のんだ。別にワイルドじゃないです。
勤務校は今日から文化祭。
明日も文化祭。
おやすみなさい。
何か疲れた。
ユンケル2本のんだ。別にワイルドじゃないです。
勤務校は今日から文化祭。
明日も文化祭。
おやすみなさい。
交通取締・交通違反・反則金を避ける方法
ヤフオクのネタ。
これってどうなんだろ?
反則金は任意っていうけど???
以下引用。。
「あーあ、またつかまっちゃった…」
こんな人多くありませんか?
交通違反で止められる、切符を書かされて、納付書をもらい、18000円も振り込まなければならない…
でも、素直に交通違反に捕まって、お金を払うことが正しい行動なのでしょうか??
もし、交通違反から逃れられたら、もし取り締まりから逃れられたら?
いいんです!反則行為は逃れられます!!
交通取り締まりと反則金の制度のからくりを解説し、「交通取り締まり・違反・反則金を避ける方法」を伝授します。
何も、悪いことをするわけではありません。
市民としての、正当な、当然な、公正な行為をするだけなのです。
ぜひ、あのうんざりする取り締まりから逃れてみませんか。
■乱用×■交通取締・交通違反・反則金を避ける方法?■
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d130437373
引用ここまで。
うーん…気になる。
あきらめのすすめ
震災から1年経ちました。私はこの1年、極めて普通に暮らしました。
地元で取れた野菜を食べ、4年暮らした第二の故郷であり、地震の被害も大小問わずあった福島に想いをはせながらも、仕事をして、食って、寝て、遊んで、勉強して、そんな毎日を過ごしてきました。
繰り返された「がんばろう日本」「つながろう日本」…なんだろうこの違和感?と。このフレーズに違和感を感じた人、いますか?
繰り返されるフレーズが、重く、とても軽々しいのです。
そして震災一色に染まる報道… わたしは辟易していました。
だから、普通に暮らすことが、今回の地震の諸々の復興などを支える一番の方法だと、感じざる得ませんでした。だから私は3月の段階で「あきらめよう東北」「あきらめよう日本」というメッセージを出していました。勿論、顰蹙を買うことを承知で。
「諦め(あきらめ)」の「諦」は、「真理」という意味です。それは「四苦八苦」「一切皆苦」というように、苦しみから逃れられない、生きていること自体が苦しみである我々の、「苦」を軽減し、乗り越えるという意味があります。これを四諦と言い、簡単に言うと
「苦を知り尽くし」(遍知)
「苦の原因を滅し」(滅除)
「苦の軽減を実現し、」(成就)
「苦の軽減を実践すること」(修習)
の4段階です。成就・修習は意味がなんとなく分かりますよね。
だから、「あきらめよう東北」「あきらめよう日本」は地震災害を、苦しみを軽減しながら乗り越えよう、というメッセージです。
地震も、苦しみも、悲しみも、喜びも、なにもかもをありのままに受け入れる。それが「あきらめ」の意味するところです。「あきらめ」をすることで、人は再スタートを踏み出せる。心の負担を軽く出来る。そう想ったからです。
「諸行無常」という言葉があるように、全ての物は変わらずにはいられないし、いつかは消えて無くなるのだから、それをコントロールすることは、私たちにはできないだけなのです。
昨日は震災から1年ということで、各地で集会なりデモなり行われていたようです。テレビ局も「一周忌法要」モードでした。
でもテレビ局にも日本人にも「感傷的になりなさいよ」「弔いなさいよ」という空気を強制するような違和感が線香のようにぷんぷんとそんな匂いを感じてしまったのです。
私はそこに「大衆迎合的で盲目的な日本人」の怖さを見てしまったような気がしてならないのです。「がんばろう日本」と言えば「がんばろう日本」と言い、「つながろう日本」といえば「つながろう日本」という。「原発廃止」といえば「原発廃止」という。こだまでしょうか?
いいえ、私には「無邪気な愚かさ」しか感じられません。
「がんばろう」って何をがんばるのでしょうか。がんばっている人はたくさんいるでしょうが、私には愚かな「キャッチフレーズ」のようにしか聞こえてこないのです。がんばるは「我を張る」という意味です。「自分を貫き通す」という意味で、頑固な意味の言葉なのです。「がんばる」は津軽弁で「じょっぱる」と言います。「じょっぱり」は頑固者の代名詞です。良い意味もありますが、頑固も行きすぎると苦しくなってしまいます。苦しみを軽減するどころか、新しい苦しみを生み出します。
「つながろう」の「つなぐ」は、つなぐものは何でしょう。日本語の語源では、「鎖」ですし、英語の語源でも "link""chain"…鎖です。 無理につながろうとしても、がんじがらめになって、動けなくなってしまいます。無理につながらなくていいのです。
「原発廃止」、まるでインフルエンザのレベルでみんな原発廃止というのですが、根拠はなんでしょう。原発の何が危ないのか、原発のリスクは何なのか、原発で得られる利益は何なのか、多くの人はそこを気にせずに、ただ「廃止」「反対」と言います。まず、賛成反対の前に、疑って欲しいのです。「なぜ危ないのか」、「なぜ必要なのか」、と。
日本人は「大衆迎合的」と言われます。
右向け右、左向け左のように。
「まわりが『○○』っていいよね」と言っていると、自分は好きじゃ無くても「いいよね」と同調する。反対したらつまみ出される。仕打ちをくらう。それが日本です。
「どうせだれかがやるだろう」 だれが?
「どうせだれかが責任を取るだろう」 だれが?
そんな日本人の姿勢の縮図が、今の日本の政治だったり、経済だったりするわけです。
「政治家がバカ」なんじゃなくて、「私たち日本人が愚かで、学習しない」
それだけのことなんです。だから政治の現場では、ちゃんと対応出来ないし、諸外国に見放されるのです。
「愚痴」という言葉があります。これは「知恵の無い愚か者の行動」という意味があります。愚痴を言っている限りは前に進めません。
私たちは「賢く」ならなければなりません。「知恵」を付けなければなりません。地震を「あきらめ」、復興を成就させるためにもです。
1年前の地震は、日本人に「賢くなる」「知恵を付ける」機会を与えたと、解釈しても良いのかもしれません。
私も、高田の親戚が甚大な津波被害に遭いました。全員無事だったとき、本当に本当によかったと、頭を垂れました。
かけがえのない人たちのためにも「あきらめ」…地震も、苦しみも、悲しみも、喜びも、なにもかもをありのままに受け入れ、前に進んでいこうではありませんか。
「あきらめよう東北」「あきらめよう日本」と。