横田増生「ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)」

山口の紳士服店を一大企業へと成長させた柳井社長、そしてその周辺へのインタビューを通して、ユニクロの経営手法と働く現場の光と影を浮かび上がらせたドキュメント。少々取材対象を悪く言う方向が強い部分がないではないが、全般としてはとても中立的に書かれていて、むしろ、大きな会社とはそんなものだろう、という納得感があった。この部分は人により感想が違うかもしれない。
なんというか、社長は、自分がほぼ一人で店長として切り盛りしていた山口時代の仕事の楽しさと厳しさ、自分で何でも決めてやっていく自律の精神、それを通じて成長していくことの楽しさを、社員にも感じて欲しいと純粋に思っているだけなのだろうと感じた。インタビューで言われていた「内気な青年」が変わった体験を、社員にもしてほしいのだろう。
もちろん、抱えているもの(家族だとか)や能力は一人ずつ違う。それを丁寧にフォローできるだけの小さい会社ではもはやないのだ。また、比較として出てきているZARAのようにそれぞれがオリジナリティを高めていけるカラーの商売でもない。
従業員に自律の精神と、自立できる能力を得てもらうのはとても難しい。ある程度のムダと試行錯誤できる余裕、もしくはそれに力を注げるほどの経営体系を作ることが不可欠だ。個人的に自分が社長の立場だとしたら、どれだけ自立した人を育てられるか、その仕組みづくりに興味がある。一方でそれは、自分で出来ることなどたかが知れているというあきらめの気分もあるのかもしれない。この本の社長のように、本当に世界を制覇できるような会社を作っていけるかもしれないという自負があれば、やはりそこに突っ込んでいってみたいのはわからないでもない。この本はそれで犠牲になっている人が多いのではと告発しているわけだし、そういう面があるのもよくわかる。
そもそも、細かいところにまでいろいろ口を出したくなるトップの下では、むしろ自分を殺し、何が楽しくて生きているの、くらいに感じられてしまうほどに奉公できる人でないと務まらない。個人的な小さい範囲の経験からもそれは強く感じる。そういうトップに直言し、自分のやりたいことを少しずつできるようにしていける人間も世の中にはいるし、それが一番賢く自分の得たい物を得られるやりかたではあるのだろう。しかし残念ながら、どうしても折が合わなかったり、トップに嫌われてしまったりということがあることは避けられない。この本で特に取り上げられている社長更迭劇には、そういう感情的な問題としかいいようがないようなものがあったのかもしれないと感じた。ここまでくると、一族経営しかみんなが幸せになる方法はないのかな、とも。
『ビジネスにおいては、辛いことがイコール正しいことなんです。(p303)』…わかる。実際そうでもしないと大きなことはできない。だからわかるのだが、辛いことをみんなできたら苦労しない。これでなくてできる方法がないかと考えるのも大事なのでは、と思ってしまうのは甘いのだろう。
とかくいろいろ考えさせられる一冊である。

内田和俊「最強チームのつくり方 「依存する人」が「変化を起こす人」に成る (日経ビジネス人文庫)」

献本御礼。七年前に書かれた単行本の増補改訂版とのことだが、仕事の現場で問題となってくる人間関係への目配りの良さは、全く古さを感じさせない。
けっこうな意欲作、人によっては問題作だな、と感じさせられたのが、仕事には「職務遂行能力」だけでなく「精神的成熟度」が重要であると最初で述べているところ。もっと直截的な言葉で書くと、精神的に子どもだと仕事はちゃんとできない、ということだ。
これはさすがに、自分は子どもではない、と怒る大人がたくさんいるのではないかと感じる一方で、あるレベル以上の世界に通じる仕事を展開していこうとすると、そうとしかいいようがない部分があるのは確かだ。そして精神的にチームワークが苦手な人々は、たしかに「(立場や道具だてなどの)自分にふさわしいものを得ること」「自分にふさわしいことをすること」、という著者が述べるところの「Have」「Do」が先にあり、「自分で自分をそのままで承認できること」という「Be」が決定的に欠けている。大きな立場に立って大きな仕事をするには、どうしても「Be」のステージに達して、「こうありたいからやる」「こういうスタイルでやる」という内部的なエンジンによって他人を動かしていく必要がある。この考えが一貫してこの本を貫いており、インタビューで話してくださる方々のステージがまさにそういった、精神的成熟度の高い段階におられることがよくわかる。
この「精神的成熟度」を持ち出すと、どうしてもテクニック的なところ、こういう本で読者が知りたいような、ではどのようにチームを作っていけばいいのか、というあたりがお留守になってしまいそうに思われるがさにあらず。著者は、どのようにして異質なメンバーたちと気分的な一体感を形成していくか、というところを「ペーシング」という概念で説明してゆく。このあたり、とても実践的で役に立つ。言葉を変えれば、他人行儀で客観的に他人を動かしていこうとするのではなく、自分はこう思う、自分も一緒に仕事をしたい、という率直で直球なコミュニケーションが大事なのだろうと読んでいて感じた。考えてみれば、そういう態度こそ、自分に自信のない人が避けてしまいがちなものである。自分のプライドを守るため、どうしても対人関係でも理が先に立ち、ドライに対応してしまうのだ。しかしそれだとどうしても人を動かせない。ここにおいても、やはり「精神的成熟度」により他人を動かしていけるかが変わってくるように思われる。
他人とともに仕事をするとは、自分の精神を見つめ直すことでもある。肚の太い人間になって、大きな仕事がしたいものである。

浦久俊彦「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)」

タイトルがもっと直球だったら目に留まる人も多いのでは、少しタイトルで損をしているな、というなかなか面白い一冊。
何年か前にブタペストを訪れたことがある。そこにフランツ・リストが弟子をたくさん育てた「リスト音楽院」があり、非常にその展示と、リストという人物自体に興味をひかれた。ぼくは旅行するとき、したあとに、ひとしきり見るものや見たものについて勉強したくなる性質があるのだが、驚いたことに、著者も書いているとおり、有名な人であるにもかかわらず、リストに関する本は本当に少ないのだ。著者はそれは、ポーランドの国民的音楽家であるショパンと、本拠地をあちこちと変えて仕事をした、ハンガリー生まれのドイツ人であるリストの違いによるのではとしているが、一理ある気がする。この本は、リストとは一体何ものだったのか、という個人的興味に、とてもよく答えてくれて、ますます彼について知りたくさせてくれた。著者に心から感謝したい。
天才でありながら夭折もせず、晩年に有名な曲があったわけでもない。若き日の恋愛談、派手なヨーロッパツアーなどもこの本では触れられるが、ピアニストは30代で引退しており、その後は教育活動がメインであったことはあまり知らなかった。個人的に抱いていたトータルのイメージよりずっと、リストの人生の後半は地味であった。しかし逆にそこにぐっとくるものがある。地味かつ精力的な活動が、音楽を目指す多くの若者を生み出した。もう、自身の万能など信じないぼくは、むしろそこにこそ惹かれる。最後の最後まで、命尽きることなど考えずにレッスンに精を出していたリスト。演奏活動で得たお金を慈善活動に使い続けた彼の、『天才は、社会に奉仕しなければならない(p190)』と述べた人生のスタイルは、もっと知られてもいいはずだ。
本文最後の彼の言葉がしびれるので、書き留めておきたい。未来は、現在よりよい姿であるべきだ。それを心から信じ、自身の才能をとことん使い尽くしたリストが、とても好きになった。

私の音楽上の望みは、私の槍を未来という漠然とした空に飛ばすことでしたし、これからもそうするつもりです。この槍がすぐれたもので、地面に落ちてさえこなければ、ほかのことはどうでもいいのです(p198)

「植物の軸と情報」特定領域研究班「植物の生存戦略―「じっとしているという知恵」に学ぶ (朝日選書 821)」

「動かない」植物が、どのように環境に合わせて生きているのか、その生存戦略がさまざまな研究により明らかになってきている。本書は、そうした研究に関わる植物科学系の研究者が、その知見を広く一般に向けてまとめたものである。
と書くと普通だが、この本は、科学者がその研究成果をまとめて編集した一般書として、これ以上ないレベルのものに仕上がっている。もちろん、ある程度遺伝子とかタンパク質について、生命科学の知識があったほうがよくわかることは間違いない。実際、個人的には、現在の研究の基礎となるような知見がちゃんと紹介されていたのは、先端の研究を勉強する手がかりとしてとてもありがたいと感じた。もちろんそういう知識がなくても、きちんと分かるように書かれていることは保証できる。例えば、さすがに「ABCモデル」という花の形成モデルは若干難しくならざるをえないが、「花粉管ガイダンス」という受精の仕組みのところなどは、載っている写真とあいまって、実に直感的でおもしろい。しかも、多くの研究者が執筆しており、その研究テーマもバラバラでありながら、きっちり分かりやすさの質がある程度以上になっているのだ。これはすごいことだ。

日本の植物科学の研究者は、学会をあげて広報活動などに熱心で先端的なイメージがある。実際この本も、あとがきにあるように、植物の葉の形について研究している、多くの一般書の書き手である塚谷先生がアイディアを出して、彼の日ごろのサイエンスライティングのやりかたを充分に生かした一冊となっている。
研究者には、今後このような、一般向けに本を書いてわかってもらう、などの活動がますます求められていくことになるだろう。学会という気心知れた仲間で進めていくのは、一つのモデルとしてとても有力だ。その際に、サイエンスコミュニケーションに長けた人材がどれだけ近くにいるかも大きい。宇宙科学の分野などで先行しているイメージのある一般書、科学コミュニケーションの取り組みの中で、生物系でもっとも成功した成果の一つといってもいいかもしれない。参考にして、自分の分野でもぜひ取り組んでみたい。

手塚眞「父・手塚治虫の素顔 (新潮文庫)」

実際に読んだのは2年以上前。子どもができて今、あらためてぱらぱらとめくると、仕事が大好きな人間が、どうやって自分の子どもと向き合うか、ということについて考えさせられる。

本当に忙しい時、父は家族の前に滅多に姿を現しません。まるで天然記念物のようです。父の仕事中は家族といえども仕事場に近寄らない、仕事の邪魔をしないというのが暗黙のルールになっていました。それでも家族の信頼を失わなかったのは、父が何の仕事をしているか、それがどんなに大変か、全員が熟知していたからでしょう。(p47)

自分の仕事への厳しさ、こだわりと豊富なアイディア、同業者への意識と負けず嫌いさ、マンガ業界全体への強い愛情…。この天才については語られ尽くされていることとは思いながらも、その仕事への常人ではありえないほどのコミットぶりに、自らを振り返って身体が震えるほどだ。実際の業界への功罪などはおいておいて、個人として、好きなことを仕事にできたら、ここまでできてもいいはずだ!と思う気持ち半分。そこまでやったら普通は身体がもたない、と思う気持ち半分。
実際、それほどの仕事好きでありながら、周囲にとことん優しく気をつかい、サービス精神旺盛で、その忙しさゆえにやさしさが『半分くらい裏目にでていました(p167)』というエピソードは、それほど仕事が好きでありながら家族にも愛されていた理由を十分に物語っている。これで悠々と長生きなど無理な話なのかな、とすら感じられてしまう。
そんな手塚治虫の、仕事がやる気になる名言を最後にメモっておいて、自分への戒めとしたい。

連載がひとつでも、十本あっても、時間は同じだけかかるんです!(p77)

その通りだ!十本あればそれをハイクオリティでこなす方法は十分にある。そこまでして、ほんとうに世に影響を与える仕事なのだろう。

木村俊介「「調べる」論 しつこさで壁を破った20人 (NHK出版新書)」

インタビュアーの達した一つの結論として、これほど「話を聞くこと」「話をすること」の面白さに迫ったものはないかもしれないと思った著者の言葉から。

「相当な大物であっても、話が目の前の人にも興味深いものかどうかと不安を感じがちである」(p268)

東大立花隆ゼミ、ほぼ日刊イトイ新聞で活躍されてきた著者が、さまざまな分野の人々の仕事のしかたに「調べる」という観点から迫ったインタビュー集。
個人的にその本を実際に読んだことがある人の、本には書いていない本音みたいなものが垣間見えて、とても興味深い内容となっている。それは例えば、『自分の議論は我ながら細い線を辿っているなとも思う。(p66)』と語り、その主張への批判の苦しさを話す本田由紀さんであったり、データの取り方やその伝えかたを中心に研究について深く語ってくださっている佐藤克文さんであったり。
さらには、そうした自分の仕事のやりかた、葛藤などについて話されるとともにポロリと漏れてくる仕事上の名言のようなものが、とてもいい。人の話を聞く時に、「評価をせず、整合性も求めず、まるごと話を聞き続けることが大事」と語るグリーフケアワーカーの?木慶子さん。医師に大事なコミュニケーションとして、『相手にとっての聞きたいことを想像すること(p88)』を教わったと語る内科医の本田美和子さん。仕事のストレスを、仕事自体で解消できるのが嬉しいと話す漫画家の東風孝広さん。どれも、ひとしきり話をして、話が熟してきたとも言える後半に出てくるのが印象的だ。
著者自身が、「調べる」「話を聞く」という自分の仕事と重ね合わせるように聞いていく話のなかで、そうしたことの極意のようなものがさまざまなプロフェッショナルから語られる。話を聞く人々の仕事は別々だが、一本筋が通るテーマのために、一つの本として面白くよめた。

遠山顕「脱・「英語人間」 (生活人新書)」

いいかげん、海外の研究者と国際学会などで積極的にコミュニケーションを取る必要に迫られている。立ちはだかるのは、英語という壁。単に、不安なだけなのかもしれないと思いながら、足を踏み出せずにいるのだ。
この本をたまたま再読したのは実にぴったりなタイミングだった。『「英語人間」とは、英語をかじったために、いろいろな疑問や不安の縛りにあって悩む日本人のことです。(p4)』…まさにぼくのことじゃないか。
NHKラジオの英語番組でフレンドリーな英語をぼくらに教えてくれた(なんと、今も教えてくれている)著者は説く。英語は『水平感にあふれた人間関係の世界(p6)』の言語であると。ぼくには、その水平感あふれる文化のようなものを受け入れられるかどうかで、英語への苦手意識がかなり減るのではないかと読者に語ってくれているように読めた。そういう水平関係の表れとして、ファーストネームでの呼び合いや、「Hi.」という呼びかけ合いがある。買い物やホテルくらいなら、短い言葉でも、交わせばそれで充分。そんなもんだと思えば何も怖くない。ちょっと演技がかるのは、英語の特性だと思えばいい。

実際に内容のある会話をする場合はどうか。頭でっかちにどういう言葉を使えばいいかを考えるのではなく、相手との言葉のやりとりを重視すること。日本で、あまり親しくない人に自分を伝えようとする場合に心がけていることと、やることは一緒なのだ。自分は英語ができない、という心の縛りが、会話をぎくしゃくさせてしまう。It’s difficult to explain.などと前置きして、I…と何度出てきてもいいから短い文で、具体的な言葉をつないで「会話して」いけばいいのだ、というアドバイスは、間違いなく英語に不慣れな人間の肩の力を抜いてくれる。

肩の力を抜いてくれるという意味では、著者がある本から紹介してくれている「海外生活をするにあたって重要な3つの能力」などはとてもよい。最後にそれを書き留めて終わりにしたい。

1. Sense of humor(ユーモアのセンス)
2. Low goal/task orientation(目標や課題を高く掲げすぎないこと)
3. Ability to fail(失敗できる能力)
(p152)