歴史的仮名遣い

歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書)

歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書)

 歴史的仮名遣いといえば,現在使われる「あ」〜「ん」に,「ゐ」「ゑ」を加えた四十八字を用いる昔のかなづかい,ということはよく知られている。現代かなづかいに切りかわった今は,和歌・俳句などを除いてほとんど見られなくなった。同一音の「はわ」「いひゐ」「うふ」「えへゑ」「おほを」を,語に応じて書き分ける必要があるほか,「あふぎ(扇)」「さうだらう(そうだろう)」「けふ(今日)」「でせう(でしょう)」などオ列長音の表記や,「四つ仮名」とか「蜆縮涼鼓」と呼ばれる「じぢずづ」の区別にも注意が必要で,我々の祖父母の世代はこれを諳記するのに相当の労力を費やしたようだ。
 なぜこのようなややこしい仮名遣いが行われていたのだろうか。「歴史的」とはいかなる意味なのか国語学者の手によるこの本は,明快に解いてくれる。
「かなづかい」には実態と規範という二つの意味あいがある。実態とは,事実としてどのようなかなづかいが行われているか,という状況を指す。規範とは,どのようなかなづかいを使うべきかという表記のルールのこと,正書法の問題である。通常「歴史的仮名遣い」「現代かなづかい」と言う場合には,従うべき規範の話をしている。
 実態の意味での仮名遣いとして,上代特殊仮名遣いがある。これは,古事記など奈良朝以前の文献に見える万葉仮名の特殊な使い分けのことだ。これらの文献では,エ,キヒミ,ケヘメ,コソトノヨロの十三種+その濁音について,仮名としてそれぞれ二グループの異なる漢字を使っている。例えば今は同じ仮名コをあてる和語「子」「此」に対して,それぞれ「古」の類(甲類)と「許」の類(乙類)を使い分けていて,決して混用することがない。このことからいえるのは,どうもこの十三種+濁音は,上代においてそれぞれ異なる二つの発音をもっていて,のちに一つにまとまったのではないかということだ。どのように発音が異なっていたのかについては諸説あるが,甲類・乙類が異音であったこと自体は定説になっている。この異音関係は,万葉仮名の終焉までに解消したため,ひらがなカタカナには反映されていない。
 つまり,表音文字として成立した仮名は,初め発音と表記が一致するものだった。万葉仮名然り,ひらがな然りである。もしこの一致がそのままであれば何の問題も起こらない。しかし,口にすればたちまち消えてしまう発音というものは,時代と共にどんどん変わってゆく。一方,紙の上に長く残る表記というものは,なかなか変化しない。このズレが規範としての仮名遣いの必要を生み出した
 最古の規範的かなづかいとされているのは,定家仮名遣いである。藤原定家は,鎌倉初期の歌人新古今和歌集の撰者のひとりで,百人一首の成立にもかかわった。ひらがなができたころ,まだ「ゐゑを」の発音は「いえお」と異なっていた(だからこそ異なるかなが用意された)のだが,平安時代末にはもう区別がなくなってきた。よって,どういう語の場合に「を」をつかい,どういう語の場合に「お」をつかうのか等で混乱が生じていたのだ。平安後期の文献に基づいてこれに指針を与えたのが定家。以後,定家仮名遣いは和歌を作る際に広く用いられる。
 次に,江戸時代に契沖が出て仮名遣いを一新する。契沖は元禄期の学僧。著書「和字正濫鈔」において,書名のとおり濫れた仮名遣いを正すべく,従うべき規範を提示。平安中期以前の文献の仮名遣いを徹底的に調べあげ,定家仮名遣いの間違いを指摘した。これが若干の修正を受けつつ国学者を中心に普及して,二百年ばかりのち明治政府の採用するところとなる。かくて歴史的仮名遣いは学校教育を通じ,国民の隅々までいきわたる。
 契沖の復古主義は徹底している。もし彼の時代に上代特殊仮名遣いが解明されていれば,「ゐ」「ゑ」以外に十三の新たな仮名を用うべし,と空恐ろしい主張をしていたかも。実際は,庶民にまでよく知られたいろは歌の存在が大きく,仮名といえばいろは四十七字,という意識が根強かったため,そんな主張が受け入れられたかどうかは疑わしい。伝統重視も度を過ごすと革新的になるのです。
 歴史的仮名遣いは,読むのは簡単だが書くのはなかなか難しい。この本に巻末附録として,歴史的仮名遣いの要点が載っているので,歴史的仮名遣いを使ってみたい人にはとても便利。ってそんな人いませんかね。

4月の読書メモ(人物・その他)

『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』

毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)

毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)

 何という人生…。ユダヤ人として生れたドイツの偉大な化学者ハーバー。ドイツ人への同化を願った彼は,一次大戦で毒ガス兵器開発を中心になって進める。
 同じ化学者だった妻クララが抗議の自殺を遂げても,ハーバーはその使命を全うする。なんということだ…。彼には毒ガスは「人道的兵器」だという信念があった。戦線の膠着が続く中,毒ガス開発には敵味方双方が鎬を削り,ボンベから塩素ガスを放出する方式から,砲弾にイペリットを詰めて攻撃するものまでエスカレート。イペリットの名は毒ガス戦が行なわれた地名イープルに由来。皮膚をも侵し,ガスマスクで防ぐことができない。
 このように自分の能力を祖国ドイツのために捧げたハーバーだったが,ナチスの擡頭によって,ユダヤ人として排撃の憂き目に遭う。
 ハーバーといえば毒ガスで,本書タイトルもそうだし,1924年に来日した時にも「毒瓦斯博士」と紹介されている。しかし,ハーバーと言えば「ハーバー・ボッシュ法」でもある。空中窒素の固定法を発見し,農業生産を飛躍的に高めた,人類の大功労者なのだ。ここにも運命の皮肉が。
 その功績でハーバーはノーベル化学賞を受賞している。それも1918年のだというからすごい。中立国スウェーデンのアカデミーによるこの決定は,戦勝国からの非難にさらされたというが,勇気ある決定だと思う。ドイツ科学者は国際学界からはしばらくボイコットされていたというのに。
 (一次大戦の)戦後,ハーバーは殺虫剤としてのチクロンを開発している。彼自身はナチス政権下,異国で客死しているが,ドイツに残された彼の親族たちは,おそらくこのチクロンBで殺されている。ハーバーの研究所でドイツの毒ガス開発に従事したユダヤ系研究者にも犠牲者が出たそうだ…。
 ハーバーの伝記を読もうと思ったのは,今年初めにアインシュタインの伝記を読んで,友人ハーバーの数奇な運命に興味をひかれたからだ。平和主義で民族主義を嫌悪したアインシュタインと,国家主義で戦争に協力したハーバーは全く対照的。ただ二人とも時代に翻弄されたところは共通している。

ファインマンさんの流儀』

ファインマンさんの流儀―すべてを自分で創り出した天才の物理学人生

ファインマンさんの流儀―すべてを自分で創り出した天才の物理学人生

 天才ファインマンが,物理学に対してどのような貢献をしたのか詳しい。他の伝記にない特徴。
 数式などは出てこないのだが,結構難しい。常識とかけ離れた量子の世界の話題なので,丁寧に解説に分量を割いてくれているのだが。序盤の,スネルの法則からフェルマーの原理,最少作用の原理が経路積分の考え方につながっていくところは比較的明快。シンプルだけど,物理の考え方の重要なポイント。
 他にもファイマンダイヤグラム,液体ヘリウムの超流動量子コンピュータなど,ファインマン素粒子物理から物性物理,コンピュータ理論など多岐にわたる活躍をした。物理に関する直観がものすごく鋭くて,地道に理論を積み上げていくというよりも,ひらめきを検証していくという感じの仕事ぶり。
 彼は,実験によって確かめるのが難しい理論のための理論のようなものは好かなかったらしい。ひも理論の自信過剰・自己欺瞞に不満を感じていたとか。大天才だけど,融通がきかないところもあったということかな。アインシュタイン量子論を受け入れられなかったのに通ずるところだろうか。
 量子電磁気学の無限を解消する繰り込みの業績で,朝永・シュウィンガーとともにノーベル賞を受賞するのだが,そこに意外なエピソードが。実はダイソンがこの三人の業績を理解し,これらが等価であることを見抜いていち早く論文を書き,効果的に世に知らしめていた。
 もしノーベルが一部門の受賞者を三人に制限してなかったら,ダイソンも一緒に受賞したに違いない。ダイソンはもう90近くで存命だが,それ以降半世紀近くたってもノーベル賞を受賞していない。
 物理の業績に関する記述が大半とはいえ,私生活についても結構書かれている。カルテクに就職してブラジルで過ごした日々は,かなり奔放な性生活を送ってたこととか,不倫で人妻との関係がこじれて大変だったとか,三人目の妻グウィネスとは双方複数の異性と同時に付き合ってたけど結婚に至ったとか。
 最初の妻アーリーンとの関係は,ものすごく純粋でウィットにも富んでいて,結核による死で終わりを告げるまでとても幸せな結婚だったというのが定説だけど,その後の私生活との差は不思議。美化されているのか,ただ若かったのか。
 チャレンジャー号の事故調査についてはほとんど触れられていなかった。物理の仕事じゃないからかな。 天才物理学者ファインマンの本業を概観するには良い本。でもファインマンについて初めて読むには不適。『ご冗談でしょうファインマンさん』でファンになって,そのあと何冊目かに読むといいです。

『独裁者の教養』

独裁者の教養 (星海社新書)

独裁者の教養 (星海社新書)

 中国ネット掲示板の翻訳ブログで注目され,二年前に出版界デビューを果たした著者が,脱「中国ネットウォッチャーを目指して取組んだ意欲作。ここ百年の独裁者の群像と,ミャンマーのアヘン軍閥統治下の町への潜入ルポ。
 取り上げられる独裁者は,スターリンヒトラー毛沢東ポル・ポトニヤゾフリー・クアンユーフセインカダフィ。ほかに著者が密入国したワ州の軍閥,鮑有祥。主に彼らの若き日の肖像を中心に記述して,独裁者になる素質のほどを分析。歴史の専門家というわけでないにしてはよく書けてる。
 スターリンがDV父をもち,閉鎖的な神学校での教育を受けて,それが権威主義的な管理体制構築に寄与した,みたいな話や,ヒトラーの歪んだ価値観は,実はドイツ社会の底に流れてて,知識人たちもそういう議論をしていたとか,一人の特異な人物が出るだけでは独裁なんて起こらないんだろう。
 ポル・ポトが立ち居振る舞いは結構上品な人間で,「弱者の味方」として好意的に評価されていたというのも面白い。20世紀後半は共産主義にシンパシーを感じる知識人が多かったから,批判が盛り上がるのが遅れたのは確かなのだろな。金日成,ホーネッカー,チョイバルサン然り。
 トルクメニスタンの独裁者,ニヤゾフはなんだかお茶目だ。自分の大好物メロンを讃える「メロンの日」を制定したとか,月の名前を変更して一月を自分の尊称に,四月を自分の母の名にするとか,お前はカエサルか?みたいな。
 ワ州に密航した著者は,独裁は必ずしも悪でないとの感想をもつ。「政治や社会を論じる素地が根本的に存在しない環境では、最初から存在しない『言論の自由』なんかより、衣食住や身体の安全を保障してくれる政府の方が、庶民にとってはずっとありがたいはずだろう」(pp.254-255)実際そんなものかもしれない。そうでなければ独裁体制は起こらないし続かないんだろう。でも歪みを修正する機能に欠ける体制というのも事実で,終焉のときは破滅的にやってきたりする。ちなみに本書はカダフィが死ぬ前に書かれてるみたい。
 あと「中国で最も有名な日本人」である加藤嘉一氏へのダメ出しが印象に残った。テレビ番組で同席した印象を「共産党の高官との交友を誇らしげにアピール」「身分の低い相手には視線も合わせず、権威を盾にして偉い相手にだけ握手を求める人間」「中共人という禽獣どもの仲間だ」とまで…!(p.106)
 最終章「日本人」でうまくまとめたつもりのようだけど,あれはちょっと蛇足だった。日本には独裁者こそいないものの,「空気」に支配される雰囲気は巧妙な独裁だという。そこには日本版「阿Q」がうようよしている。原発震災で放射能の危険を否定する言説を例に出して論じてるけど,牽強付会な感じ。

 どうでもいいことだけど,ルビにこだわりを感じた。「偏執」には「へんしゅう」,「遺灰」には「いかい」と振ってあって,正しい字音で読めってことらしい。「執」が「シツ」なのは,「立」が「リツ」とか「雑」が「ザツ」になったのと一緒で,本来「執」の字音は「シュウ」。フツ相通。

『震災と鉄道』

震災と鉄道 (朝日新書)

震災と鉄道 (朝日新書)

 タイトルにひかれて読んだが,ダメだった。最初は震災からの鉄道復旧の話だけど,後半になるにつれて震災とほぼ関係ない新幹線やリニアの批判になるとか,説得力のある根拠を示さずにローカル線を持ち上げ存続を訴えるとか。
 著者は日本政治思想史が専門の教授のようだが,鉄道は趣味?三陸鉄道支援のために震災からひと月後に乗りに行き,1000枚,60万円の切符を購入して配りまくっているとか。熱意は感じられるが,現実的で冷静な考察が全くできていないと感じた。JR東日本JR東海が嫌いらしい。
 というか,根本的に,権力とか体制が嫌いなんじゃないかな。著者は。「反原発」が盛り上がっているのに「反リニア」が盛り上がっていないと嘆いてる。鉄道関係の本をいろいろと書いているようだけど,専門の政治思想史では見るべき著作があるのだろうか?

4月の読書メモ(税金)

国税記者  実録マルサの世界』

国税記者  実録マルサの世界

国税記者 実録マルサの世界

 近年の脱税事件の手口から,国税当局の組織,取材の様子まで。著者は共同通信国税庁記者クラブを経験し,テレビマンに転身してまた国税の取材をしたそう。四十路でも若い記者に混じって活き活きしてる。
「申告漏れ」「所得隠し」「脱税」には区分があるらしい。手続上のミスが「申告漏れ」,意図的な仮装・隠蔽行為があって重加算税が課せられるようなのは「所得隠し」,査察部が地検に告発した事案が狭義の「脱税」。一億を超えないと査察部は扱わないから,「脱税」とは報道されない。(p.46)
 査察部が強制捜査する対象は,ほどんと個人か中小企業だという。中傷ならワンマン社長が自分で帳簿も操作できる。大企業だと内部告発されるのが関の山。急激に業績が拡大した中小企業は,脱税の誘惑も大きく,手を染めてしまう
 査察部には強制捜査を担当する通称ミノリという部署のほかに,内偵を行なうナサケという部署があるのは知らなかった。ナサケからミノリに事案を送ることを隠語で「嫁入り」って言うんだって。勿論,国税局には査察部のほかにも調査部があって,そこでは調査官が大企業とかの帳簿を淡々と調べてる。
 査察部は仕事きついらしくて,最近は若い職員に人気がないらしい。同様に時間的・体力的にきつい社会部の記者も,最近は若者に敬遠されるそうだ。華々しい活躍を夢見る若者が減っているということだろうか。職務内容が変に美化されず見えるようになってきたための,合理的判断なのかも。

『脱税のススメ―バレると後ろに手が回る』

脱税のススメ―バレると後ろに手が回る

脱税のススメ―バレると後ろに手が回る

 タイトルがすごいけど,脱税を奨励してるわけではなく,税務調査の実情や,よくある脱税手口の紹介。一応。これらの手口は犯罪だし,税務当局に既知だから失敗の可能性もあると釘を刺す。
 ただ,所得や在庫を意図的に隠したり,経費をでっちあげたりしなければ,いかなるやり方で課税を逃れていても「脱税」とはならず単なる「課税漏れ」になるという。脱税の立証責任は当局にあるから,証拠が残らないようにやれば見逃されることも多いそうだ。 本当に勧めているのかもしれないな…。元国税調査官だけに,いろいろと詳しい。
 やはり税金は取りやすいところから取るのが基本らしく,ノルマを抱えた税務調査官も,易きに流されがちなのは仕方ないんだろうな。それだけに,知識をもたず,税務署を極端に恐れるようなのは,「税金をもっと取ってください」と言ってるようなもの。
 査察部が活躍するのは,脱税額が高額で悪質な特殊なケース。この本は,もっとつつましい納税者に役立つ税務調査の話がメイン。といっても特別調査班の「無予告調査」なんてのもあって,恐れられてはいるらしい。
よく「修正申告」したというのがニュースになるけど,あれば税務署の指摘を受けた納税者が自発的に申告額を直すこと。税務署は半強制的な「更正」という手段も取りうるけど,それに対して納税者は不服を申し立てることができるので,税務署は好まない。やっぱりトラブルは避けたい。
 飲食店など,客として利用した調査官が伝票に印をつけておき,後の調査でなくなってないか調べるとか,取引先を調べてちゃんと売上に対応する取引があるか調べる「反面調査」とか,怪しいと思われるといろいろと詮索される。期末に焦って税金対策をするのは愚の骨頂。知識と冷静沈着が肝心とか。

4月の読書メモ(原発)

原子力発電がよくわかる本』

原子力発電がよくわかる本

原子力発電がよくわかる本

 原発に関する情報が網羅されていて,技術的にも詳しくためになる。著者は東大の原子力工学科を出て東電に就職,原子力本部長まで行った人だから,今だとバッチリ原子力村の村人認定か…。三年前の本。
 原子炉の制御の話いろいろ知らなかった。原子炉の出力って必ずしも制御棒で制御するわけでなくて,ホウ酸濃度とか冷却材の流量を変化させて制御したりするんだ。
 BWRの場合,冷却材である水の流量を上げると,燃料棒表面に分布する気泡の分布が変って,燃料棒付近の水の量が増える。そうすると水は減速材でもあるので,中性子がより減速されるようになって核分裂が増え出力が上昇する。制御棒を小刻みに動かすのは悪影響が大きいので流量変化で制御するといい。
 内容が偏向しているかというと,それほどひどくは感じられなかった。ただ廃棄物問題等,やっぱり楽観的。原子炉一基が一年稼働すると,ガラス固化体が30本にもなるとは「そんなに?」驚いて読んだのだけど,著者は十万世帯一年分で一本だから少ないと強調(p.204)。うーんちょっと感覚が違うかも。いやでもそれだけ大量のエネルギーを使っているということなんだな。と後ろめたさを感じたりする。
 著者のように,原発に「携わっている」という事実は認知的不協和を生むのだろう。ゼンメルワイスの説を受け入れようとしなかった医師たちと何だか似てる。原発の場合は批判者のレベルが概して低かったり,推進者向けでなく市民向けのアピールに偏っていたりして。
 原発側であれ反原発側であれ,批判に耳を貸さない方が仲間内での評価アップにつながることはあるのかも。未知のこと,不確定のことが多いので,科学的論理的に破綻してなくてもかなりの裁量の幅があって,その範囲内での極端には行ってしまいそう。

原発のコスト――エネルギー転換への視点』

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)

 原発が経済的にお得という宣伝の根拠にされてきた政府の算定に意義を唱える本。原子力村は「村」どころの生易しいものではないという認識から,「原子力複合体」という呼称を採用。原発方向にバイアスがかかっているので,話半分に読んだ方がよさそう。再生可能エネルギーにはだいぶ好意的。
 著者は経済学者なんだけど,金銭に換算できない「被害の総体」のすべてが賠償されるべしと主張しているのは何だか不思議(p.46)。
 もちろんコストの計算はしていて,減価償却費・燃料費・保守管理費等の直接コストのほかに,高速増殖炉・再処理技術等の技術開発や立地対策に支出される政策コスト,環境破壊や事故処理を通して外部が負担している環境コストも考慮する必要があると強調。それはそうだろうな。
 結局,事故を計算に入れなくても,脱原発による便益は年平均約2兆6400億円で,脱原発にかかるコスト年間約1兆4700億円を上回るとしている(pp.196-199)。この数値が妥当なものかどうかは皆目見当がつかない。よもや結論ありきの計算ではないだろうけど。
 原子力に関するすべての情報を公開し完全に透明にすることで,エネルギー政策を民主化せよとも主張。まあ正論だろう。
 難しいのは,市民が市民がと言っても,たいていの人はあんな事故があってもあんまり関心をもって調べたりウォッチしたりしないし,公開情報を駆使して発言できるのは意識の高いプロ市民か,そうでなければ「原子力村の村民」か「準村民」ってことにされちゃいそうなところかな。もっと冷静に情報を媒介してくれるメディアがあるといいんだけど。

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

 放映されて大きな反響を起こし,シリーズ化されたあの番組の舞台裏。しかし,この本では政府や東電や原発の専門家を批判し,疑問を表明するばかりで,読者が冷静に放射線のリスクを検討するための情報がまったく欠けている。こういう情緒に訴えかける本は(番組も),役には立たないな。悲観的過ぎる。
 事故直後から測定を始めた科学者の木村真三さんの経歴が興味深い。チェルノブイリの調査を,所属する研究所に止められてて,不本意だったところに原発事故が起きたらしい。速攻で辞表を出して(妻には事後報告!),測定へ赴く。熱血だなぁ。番組にかかわったNHKの人たちも,同様に熱意がこもっている。小出助教も関わっていると聞いたNHK幹部は,偏向しているのではないかと難色を示したというが,うまく押し切って放映にこぎつけたそうだ。
 もちろん,「行政がやらないならば、自分たちで調べて公表する」という姿勢は立派で,この番組スタッフがそういう雰囲気の先鞭をつけたのは評価していいと思う。得られたデータも貴重だろう。ただ,本の内容は(番組の内容も)やはり理性でなく感情に訴えかけるだけで,いまいちだった。

4月の読書メモ(科学)

『海底ごりごり地球史発掘』

海底ごりごり地球史発掘 (PHPサイエンス・ワールド新書)

海底ごりごり地球史発掘 (PHPサイエンス・ワールド新書)

 微化石,特に珪藻化石が専門の著者による,海底掘削調査の紹介。海底調査の概要から船上生活の実際まで,なかなか詳しいわりに肩肘張らずに読める。地層は地球環境のタイムカプセル。
 日本の「ちきゅう」やアメリカの「ジョイデス・レゾリューション」といった科学掘削船で,海底を何千メートルも掘り,コアを採取して堆積物を分析すると,地球の歴史の様々なことがわかる。過去に北極と南極が反転していたことも,この種の調査で確証された。地磁気反転説は日本人(松山基範)の業績。
 掘削用のドリルピットの仕組みや,「ちきゅう」が世界で初めて導入したライザー掘削システムについても図や写真を交えた説明。コアを収容するための筒,コアバレルの「最先端」にはコア脱落を防ぐ弁「コアキャッチャー」がついてるそうだ。それでもときには回収率は二割を下回る。厳しいんだな。
 専門の微化石研究についても熱く語る。珪藻,有孔虫,放散虫,渦鞭毛藻などの小さな海生生物は,「進化速度が速く、世界中に広がりやすく、繁栄しやすいと同時に絶滅しやすい」(p.107)ため,地層の年代を詳細に決められる。示準化石の優等生。おまけにコアから採る試料の量も少なくて済む。
 掘削船の生活にも興味津々。飲酒は禁止だけど何かにつけてパーティ。二交代のシフト制で,一番の楽しみは食事とか。研究者だけでなく,屈強な体格のドリラー,運搬や半割などコアの取扱をしてくれるテクニカルスタッフ,コックさん,清掃スタッフ,カメラマンなど裏方の紹介も忘れない。
 他の分野の研究にも一通り触れてくれる。堆積学,古地磁気研究,地球化学と微生物学。物性物理では,回収が不完全なコアだけでなく,掘削孔に直接センサを入れる調査もするそう。乗り組む人々の国籍も様々で,活気があって楽しそうだなぁ。喧嘩など多少のトラブルはあるようだけど。
 一つ間違った記述を発見。K-Ar法の説明で,「岩石中に含まれるK40とAr40の量が等量であれば、岩石が固まってから『12億5000万年経った』ということがわかりますし、K40の量がAr40の量の2倍あれば『6億2500万年経った』とわかります」(p.109)。
 半減期の半分の間に元の量の1/3が崩壊していることになるってわけないよね。半減期の半分では,1/√2が崩壊しているはずだから,「K40の量がAr40の量の2.414倍あれば」でないと。あるいは,log2/log3≒0.631だから,「K40の量がAr40の量の2倍あれば『6億2500万年経った』とわかります」じゃなくて,「K40の量がAr40の量の2倍あれば『7億8900万年経った』とわかります」じゃないと。

『いちばんやさしい地球変動の話』
いちばんやさしい地球変動の話

いちばんやさしい地球変動の話

 マグマ学者が語る地球科学。図が豊富で良い。意欲的な中高生なら読めそうな感じ。時が来たら子供に薦めたいかも。地球と生命の歴史,日本列島の形成,地震と火山。プレートテクトニクスが重要な鍵。
 海洋地殻と大陸地殻は組成が異なる。玄武岩質の海に対して,大陸は安山岩質で二酸化珪素に富み,軽い。両者はマントルに浮いているから,軽い大陸地殻は海洋地殻より厚みがあって,そのため標高が高くなる。
 海洋地殻は,プレートの裂け目(海嶺)から,マントルが上昇してきて冷え固まってできる。大陸地殻は,その海洋地殻が,沈み込み帯でマントルに落ち込むときにできる。海洋プレートから絞り出された水が,マントルを溶かしてマグマとなり,それが上昇して冷え固まることで大陸地殻ができる。
 38億年前から始まったこのプレートテクトニクスが,大規模な地球変動をもたらしてきた。日本は,11あるプレートのうち4つがひしめき合う世界でも稀な場所。地震や火山の活動が激しいのも無理ないな。
 もちろん地球のすべてが分かったわけではないが,かなりのことが分かってて,興味深い。

『科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか』
科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか (新潮選書)

科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか (新潮選書)

 イギリスの「ネイチャー」とアメリカの「サイエンス」。この二大科学雑誌を中心に,科学について語る。両誌の歴史,科学にまつわるスキャンダル,日本の科学の未来まで。
 なぜ英米のこの二誌が抜きんでたのか,アインシュタインの人生を概観することで要領よく説明。ドイツ語の凋落はやはり戦争のせいだな。
 ピアレビューの制度が20世紀の初めの方まではなかったというのは意外。南方熊楠はネイチャーに51本も論文が掲載されてるが,それは査読が始まる前。
 著者の竹内氏には確か遅くできた子供がいたけど,その出産のときホメオパシーに遭遇した体験談があった。助産師が妻を産気づかせるために砂糖玉をくれて,それで陣痛が強くなったんだって。そんなホメオパシーを肯定する論文がネイチャーに掲載されたこともあるらしい。1988年。
 でも著者は擬似科学にすぎないからという理由で掲載しないという態度はいけないという。有力な科学誌が掲載したおかげで,その検証が行なわれ,ホメオパシーが科学的にダメであると決着がついたんだから良いではないかと。うーむ,そんなものかな??
 福一原発震災についても熱く語っている。科学不信がはびこる状況にいたたまれないらしく,悪質な危険デマを糾弾。昔から行なわれてきたイデオロギッシュな立場からのダメ批判が,反原発の声をすべていっしょくたに「狼少年」と切り捨てる風土を産んできた。そのことが,今回の惨事につながったとしてる。

4月の読書メモ(社会)

『「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 』

 絡み合う「しがらみ」の総体である「社会」に出る前の高校生向けだけど,大人が読んでもためになる。「心でっかち」の罠の危険性を説き,「予言の自己実現」についても丁寧に解説。
心でっかち」という造語は面白い。少年犯罪や離婚率の上昇といった社会問題を,個々人の心の問題に還元して説明してしまう現象をそう総称している。80年代後半に離婚率が一時的に下がった事例を挙げてる。実はそれは心の問題などではなく,単に団塊世代が離婚適齢期を過ぎただけ。
「予言の自己実現」は「自己成就」だと思ってたがどっちもありなのかな。取り付け騒ぎのように,「予言」を信じて行動する人が一定数超えると,「予言」を信じていない人まで同様の行動をとらざるを得なくなり,結果として「予言」が成就してしまう現象。これが歴史的にも社会を大きく動かしてきた。
 社会はミクロに見ていても分からない。総体的な構造をしっかり把握して議論していくことが重要。本書ではその導入として二つのパズルを出して,「全体を眺めること」の大切さを教えてくれる。そのパズル,二つとも間違えてしまったよ…。ジントニックとスキー場のパズル。無念。

結核という文化―病の比較文化史』

結核という文化―病の比較文化史 (中公新書)

結核という文化―病の比較文化史 (中公新書)

 19世紀から20世紀前半にかけて,欧米や日本で猛威を振るった結核。芸術の分野では極度に美化され,美人や若き天才が儚く消えていくような,ロマンチックなイメージがまとわりついてきた。
 結核のロマン化という現象に興味をもって読んだが,古代からの結核の歴史,医学的な概要,現在も決してなくなっていないことなど,広く扱っている。広すぎて少し散漫な感じもした。この病気の,文学などでロマン化され強調されて人々の記憶に根付いている部分というのはやはり虚像なのだろう。

暴力団

暴力団 (新潮新書)

暴力団 (新潮新書)

 半世紀にわたって,山口組や他の暴力団について取材し,書いてきた著者の集大成。…にしてはあっさり軽く読める本。ですます調だし。今や暴排条例で暴力団は青息吐息のようで,著者も自分の役割は終わったと感じている模様。
 暴力団のビジネスモデルは,組から許されて代紋を使うことで(すなわち虎の威を借って),子分が自己の努力でシノギをするというもの。代紋使用料として上納金を納める関係が,何次にもわたって階層構造を作り上げている。フランチャイズチェーンのオーナー店長に似ている(p.74)。
 伝統的なシノギの手口は,覚醒剤,恐喝,賭博,ノミ行為や管理売春だが,覚醒剤や売春は組として禁じているところも多いそうだ。バブル期には地上げや総会屋なども盛んだったが,今は見る影もない。社会からの圧力が強まり不況が続く中,シノギは厳しく,産廃処分や解体などで食っていくことも。
 産廃処分などで彼らに競争力があるのは,違法行為も敢行するから。不法投棄を厭わなければコストを下げられる。警察も,「奴らも繰って行かなくてはならないから」ということで目こぼしするとか(p.63)。暴力団警察の間にはある種の共生関係も
 ただやはり昨今暴力団は明らかに落ち目。末端組員の羽振りはまったくいいとは言えず,かつて人材供給源だった暴走族の少年から見ても魅力に欠ける。それに暴走族自体,規模が縮小している。不動産も借りられなくなるなど,暴力団は生活するなと言わんばかりの暴排条例が追い打ちをかける。
 海外のマフィアと日本の暴力団の比較,暴力団とは異なり秘密性・匿名性を重視する「半グレ集団」などの分析も興味深い。反社会的集団の主力は,暴力団から「半グレ集団」に移ってきているようだ。暴力団の構成員と会う際の注意なども参考になる。要するに,毅然とした対応が肝心。

4月の読書メモ(戦争)

『インテリジェンス: 国家・組織は情報をいかに扱うべきか』

インテリジェンス―国家・組織は情報をいかに扱うべきか (ちくま学芸文庫)

インテリジェンス―国家・組織は情報をいかに扱うべきか (ちくま学芸文庫)

 非常に読みやすいインテリジェンスの入門書。CIA等に代表される各国情報機関は,何を目的に何をしているのか。過去の豊富な事例を見ながらインテリジェンスの基礎が学べる。
 政策サイドの要求に基づいて収集した厖大な情報を,適切に評価分析して,外交・安全保障に役立てるのがインテリジェンス。このほかに,他国による情報収集に対抗するカウンターインテリジェンス外交以上・戦争未満の秘密工作,インテリジェンスの統制・監視についても触れられている。
 導入部分で,米英の情報機関によって,イラク大量破壊兵器保有を示す誤った情報が報告されてしまった例が挙げられている。これに代表されるような「情報の失敗」がいかにして起きるのかにも紙幅が割かれてる。インテリジェンスを必要とする政策サイドとインテリジェンスを供給する情報サイドの見解の相違と不十分な意思疎通が「情報の政治化」を招き,問題を複雑化することがある。インテリジェンスが正確でも,それが政策に合致しないと無視されたり,歪曲されたりしてしまう。このギャップを埋めるのに情報機関の長の役割は大きい。情報の正確さだけでなく,政策側との人間関係も重要。
 情報機関の活動でも,特に秘密工作は,国益のためなら手段を選ばないところがすさまじい。ロシアのFSBやイスラエルモサド今でも要人の暗殺を辞さないし,性を利用して情報を引き出すハニートラップも昔からずっと行なわれてきている。プロパガンダや政治工作の例も多い。
 1955年の「カシミール・プリンセス事件」には驚く。中国政府のチャーター機が台湾の破壊工作によって爆発したが,中国はこれを事前に察知。搭乗予定だった周恩来の予定が「偶然」変更される。他のメンバーは予定通り搭乗して墜死。気付かぬ風を装って,台湾の工作を大いに批難したという。
 著者は防衛省防衛研究所の研究官。たまに彼のブログを読むんだけど,アニメとか好きらしくて,聖地めぐりとか,そういうネタを書いたりもしてる。なんか不思議。でも結構そういう趣味を隠さない研究者って最近多いみたいですね。
http://downing13.exblog.jp/

『核を超える脅威 世界サイバー戦争  見えない軍拡が始まった』

核を超える脅威 世界サイバー戦争  見えない軍拡が始まった

核を超える脅威 世界サイバー戦争  見えない軍拡が始まった

 サイバー安全保障の重要性を説く本。著者の一人はレーガンから子ブッシュまでの政権に仕えた国防の専門家。核を超えるはちと言い過ぎ?
 DDoS攻撃論理爆弾,厖大な量の情報窃盗,コンピュータネットワークに依存した現代社会は,サイバー攻撃に対してとても脆弱だ。特にアメリカはそう。中国のように,有事に即インターネットから遮断できるシステムになってないし,民間企業は政府の規制を嫌い,サイバー安保の足並みが揃わない。
 特に危ないのが電力網らしい。平時からマルウェアを忍ばせておいて,遠隔操作で送電線や発電機を破壊することも可能だという。サイバー戦争で狙われやすい国のインフラを,だれが守るのか,未だに政府と産業界は責任の押し付け合いをしている。スマートグリッドも考えもの?
 様々な理由から,サイバー軍縮も難しい。サイバー攻撃力を減らすことは事実上できず,行為を監視して制限することができるのみ。それにサイバー攻撃があったとしても,それを誰がやったのか突き止めることも困難だ。サイバー戦争は直接血を流すことはないが,インフラの破壊は経済・人命を損なう
 サイバー攻撃を受けた側が,通常兵器で報復することも正当化されてしまうだろう。恐ろしい話だが,脅威をやや強調しがちな感じはする。仮想敵が思いのままにサイバー攻撃を仕掛けてくる感じの描写が続くし。でも,ちゃんと備えなければならないんだろうな。アメリカよりロシアや中国の方が有利かも。
 誤訳じゃないのかもしれないが,「動的兵器」という訳語が気になった。かなり頻出。「kinetic weapons」だと思うけど,要するにサイバー兵器でない通常の物理的破壊をもたらす兵器のことだろう。「動的」じゃわからないと思う。
 あと,本論と関係ないけど,「現代の”フライ・バイ・ワイヤ”式の飛行機においては、航空管制システムがフラップや補助翼、方向舵に信号を送る。」(p.239)の「航空管制システム」は誤訳。「管制」は「traffic control」の方でしょう…。

『はじめてのノモンハン事件

はじめてのノモンハン事件 (PHP新書)

はじめてのノモンハン事件 (PHP新書)

 1939年に起こった,モンゴルと満洲国との国境紛争。戦ったのは実質ソ連と日本で,ソ連の圧倒的な戦力の前に日本が敗退した「事件」。細かい戦況の描写が多くあんまり「はじめての」って感じじゃなかった。
 ノモンハン事件の概要をつかむのにはあまりいい本ではない気がする。 Wikipediaの記事の方が要領良く書けていて,分かりやすいかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件
 ノモンハンはハルハ河畔のだだっ広い草原地帯(緑の沙漠)で,人も住んでいない。満洲側はハルハ河が国境だとし,モンゴル側はハルハ河の東岸地帯も自国領と考えていて衝突に至った。日本の参謀本部は消極的だったが,例によって関東軍が強硬で,結果として甚大な損害を蒙ることに。
 この戦争では戦車がかなり活躍したそうだが,日ソ双方とも相手の戦車を無力化するのにうまいことやっている。ソ連の戦車に火炎瓶を投げつけて燃やす戦法は,結構効果的だったようで,日本の新聞は「空壜報国」なんかを呼びかけてる。逆にソ連はピアノ線を張って日本の戦車の進行を阻んだ。
 最終的にはソ連の八月大攻勢で日本は敗退。奮戦むなしく敗れた現場の指揮官の多くは,自決を強要されて果てた。戦場で自決した指揮官とのバランスなのだろうか,嫌な話だ…。日本の敗因は,自動車輸送能力の欠如が大きいようだ。兵站が強かったソ連は,兵力を集中して攻勢に出ることができた。