かたち三昧


東京大学出版会のPR誌『UP』に5年間(63回)連載された高山宏の「かたち三昧」が、同時期に書かれた漱石論を付し、『かたち三昧』(羽鳥書店、2009)として出版された。聞き馴れない書店名だが、東大出版会を退職し、書肆経営に第二の人生をスタートさせた羽鳥氏が設立した「羽鳥書店」であり、7月に三冊刊行された。三冊の内、もう一冊、山口晃『すゞしろ日記』を注文しているが、現時点では未入手。


かたち三昧

かたち三昧

超人高山宏のつくりかた (NTT出版ライブラリーレゾナント)

超人高山宏のつくりかた (NTT出版ライブラリーレゾナント)


『かたち三昧』は著者も言うとおり、高山版『思考の紋章学』*1になっている。『超人高山宏のつくりかた』(NTT出版、2007)が、著者の自伝的作品であるとすれば、本書は著者の思考のルーツを披瀝した「マニエリスム」入門書の体をなしていると言えるだろう。見開き2頁が一つのテーマで埋められ、上半分弱に図版を、下半分に文章を収めた、驚異の「たかち博物誌」になっている。


表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)

表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)


高山氏がこれまで参照し、翻訳してきた著書の紹介をしながら、テーマを小気味よくまとめた各章は見事なエッセンスとして、博覧強記かつ豪華であり、示唆的・秀逸な内容になっている。連載時に拾い読みしていたが、一冊にまとまると壮観である。読み方として、後半の漱石論から入った。『猫』『夢十夜』『明暗』についての高山解釈に圧倒されながら。


NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ

NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ


ところで、『思想地図vol.3 アーキテクチャ』(日本放送出版会、2009)の浅田彰東浩紀磯崎新宇野常寛濱野智史宮台真司による「共同討議、アーキテクチャと思考の場所」を読み、一種のむなしさとも思える徒労感に襲われた。浅田彰ニューアカ時代の『構造と力』『逃走論』から変っていないと言う。一方、東浩紀宮台真司は『批評空間』の時代は終わったとして、基本的スタンスの違いが明確にされる。*2


ウッブ社会は、所詮、タコツボ文化にほかならないことを実感した次第。つまり、日本の現代思想の視野の狭隘さに失望したのが6月であった。拙ブログ記事が6月空白となっているのは、この空虚感によるものである。ルーマンハイエクなど、相変わらず外来思想に依拠した新しいカタカナ言葉を駆使し、世界を解釈してみせる方法にうんざりさせらたのがいつわらざる心境だ。


アリス狩り 新版

アリス狩り 新版


一転、高山宏も同じく西洋の書物に依拠しているが、対象範囲の広さと時間軸の長さは、普遍的なマニエリスムを指向する点で、日本の<現代思想>家たちを超えるものと思料する。よって『思想地図』には介入せず、高山宏ワールドにかかわりたい。


実体への旅―1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記

実体への旅―1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記



バーバラ・M・スタフォードやバルトルシャイティスなど高山世界の本を徐々に揃えつつあるので、『かたち三昧』を楽しみながら読むことができた。例えば「キャラクター」についての次のような言説。

問題は神の工作がうみだした記号や形こそが永らく「キャラクター」の意味であり、これがそっくりヒトの性格だの小説他の登場人物の謂(いい)だのに化していく絶妙に面白い歴史過程である。コンピュータ学習のお蔭で我々は「キャラクター」が人の性格という意味以前のずっと長い時間、かたちとか文字といった意味であったことを知らされる。若者たちのケータイ絵文字がヒトも文字/かたちであることを改めて思いださせる。(「ヒトはこれノミ」p65)


「キャラ」はいまや現代社会のキーワードとなっているが、実は「神の工作がうみだした記号や形」であったことを明解に解説している。


クラリッサの凌辱―エクリチュール,セクシュアリティー,階級闘争 (岩波モダンクラシックス)

クラリッサの凌辱―エクリチュール,セクシュアリティー,階級闘争 (岩波モダンクラシックス)


また、サミュエル・リチャードソンの『クラリッサ』には草稿がない。そのわけを以下に引用する。

自分の家に印刷機を有して、活版活字を自らひろいながら『クラリッサ』を書いた。いや、書いたと言うより、「ひろった」と言うべきだろう。・・・(中略)・・・作者/印刷者が自分の家の印刷工場で物語をつくりながら、いきなり字を「ひろう」。故に草稿無用。小説メディア論としても面白い瞬間だが、その刹那の脳の中の構想する作用と組まれていくテクストの間に、文字通り「媒介者」(中間存在、が原義)としてある「手」に無限の興味が湧くはずだ。(「「知」塗られた手首の話(3)」p127)


活字を拾いながら文をつくるという発想は刺激的ではないか。まさにワープロ機能そのものである。このように、高山宏『かたち三昧』は興味尽きない。


■追記

高山宏『かたち三昧』には、巻末に索引として「人名索引」と「文献索引」がしっかり付いている。書物の価値は、このような「索引」によっても決まる。とりわけ「文献索引」が詳細で良い。邦訳のないものは、原書が掲載されている。「索引」を丁寧につくるのは、出版社や著者にとって大変な作業である。しかし、本来書物というものには、必ず「索引」が付いているものである。その点、創業したばかりの「羽鳥書店」は、良い本を出版していると言える。


また嬉しいことに、高山宏が数年前から言っていた『新人文感覚 1・2』も、この羽鳥書店から12月〜1月頃刊行される予定になっていることを申し添えておきたい。


思考の紋章学 (河出文庫)

思考の紋章学 (河出文庫)

*1:『思考の紋章学』とは申すまでもなく、あの澁澤龍彦氏の名著であり、種村季弘氏とともに「マニエリスム」や「幻想文学」を確立にさせ、一時代を劃した。

*2:『思想地図vol.3』で唯一有用なのは、濱野智史氏作成の「アーキテクチャの生態系マップ」(p017)であったことを附言しておきたい。