社内研修で得たものは?

企業は人材の育成にどれくらい関与すべきか?OJTが、人材育成に最も効果的なのは言うまでもないが、ではOJT以外の研修は、企業はどの程度サポートするのが良いのだろうか?

効果と言っても、測定がそもそも難しい上に、効果の良し悪しは研修の内容によるし、本人の意識や能力にもよるだろう。日系によくある若手集合研修などは、企業風土やルールを根付かせるために一定の効果があるとも言えるし、逆に画一的な人材を育てるという意味で弊害を指摘する声も聞こえてきそうだ。

僕の知っている日系の社内研修事情は、90年代までなので既に古くなっている可能性が高い。当時は、グループ会社に研修を扱う子会社を持ち、自社のビジネスにマッチした研修を組み立てていた。講師は社内から人選する場合も多く、僕も何度か登板させて頂いた。その場合、講師の費用はタダだけれども、講師も業務時間を使って相応の準備をするし、受講生は外資系よりも多いゆえに、トータルのコストとしては高かったと思う。しかし、講師も受講生も、研修で共に考え、時に寝泊りも共にするため、その後の業務への影響はとても良かった。極めて日本風な効果であったとも言えるが、それはそれで貴重な経験となった。

例えば、ある投資理論の研修でのこと。15人くらいのクラスだっただろうか。僕が2日目の午後から3日目の午前まで丸1日を担当することがあり、夜中まで演習の面倒を見て、その後は終わったグループから飲み会になる。先輩後輩が混じったところで、上下10年くらいのレンジでわいわいとやる。これで仲が良くならない訳がない。

外資系では、とりわけ業務に関する研修については、新人研修を除き、あまり聞いたことがない。新人だと、本社に集めて、数ヶ月トレーニングを施す会社もあるそうである。その研修はかなりハードらしく、あるセルサイドの場合、その後の試験にパスしないと、仕事がもらえないところもあるそうである。

しかし、外資に新人で入る人はまだ少ない印象だから、大半の人はあまり研修というものを受けた経験がないのではないか。僕も、外資に入ってからの5年間ほどは、研修という制度とは無縁だったように記憶している。

最近の流行なのか、それともマネージャーになったためか、最近は事情が変わってきた。マネジメントの研修は2年に一回くらいの頻度で参加する機会があった。ちなみに、リーダーシップやマネジメントも業務の一環なので、それを業務研修と言ってよいのだが、それ以外の専門領域に触れる研修というのはいまだ聞いたことがない。専門性は、各自が自らの努力で身に付ける。一方で、リーダーシップなど、社内で共有する効果の高いものは、会社が手助けをするという考えがはっきりしているように思う。

リーダーやマネージャーの研修は、なかなか刺激的なプログラムだ。僕の会社は米系なので、米国で定評のある経営学に触れることができる。経営学は、それぞれの国の国民性を反映する必要があると思うと、米国流の経営理論は時に感覚が合わないこともあるが、日本では得にくい理論や、同僚との間で議論する機会は大変貴重なものだ。その瞬間こそ、グローバル企業で働くことのメリットを感じたものである。

しかし、米国に行って、その研修を受けることは容易ではない。仕事で日常使う英語ではないため、クラスについていくのは大変だし、議論はオープンなので、発言をしないと居心地が悪く感じられる。大抵、日本人は僕一人だったりするから、そうした状況を理解してくれる人も少ないし、とある講師が、「non nativeでこの議論についてくるのは大変だったでしょう」と言ってくれた心遣いが、なんと温かかったことか。

日系、外資系ともにそれぞれの個性が反映された研修であると言えるだろう。いずれの場合も、研修が、日常の業務の問題意識と合致した場合は、大きな動機付けになる。

なお、社内研修については、以前にも書いているので併せてご参照ください。




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自らに課される競争

先日、同業(外資金融のアセット・マネジメント)で役員をしている先輩とランチをしていたときの話。

「採用って難しい…」
「若手で有望なのはいるんだけど、グローバルで評価されるかが一番の課題…」

というような話を延々としていた。

どの会社も同じ悩みを抱えているようだ。特に、日本では活躍もしているし、疑いもなく優秀なのだが、グローバルで比較されると、なかなか抜き出ることができない…。僕もそのうちの一人でした。

日本は金融に関しては発展途上だし、大学にしたって競争力は高くはない。悲しいかな、昔からよく見かける記事ですよね。それだから、自分たちが頑張り、そして次の世代に伝えていきたい…、そういう思いで普段仕事をするし、このブログも存在させている…。

しかし、これが現実なのです。僕は、製造業などでよく取り上げられる「現場の力、工夫」でグローバルと競争することを選んだ。みなさんは、何で勝負しますか?

日本人でも、競争に勝ち抜けるほどの仕事や教育を受けていて、そのまま評価に結び付けている人はたくさんいる。また、努力や苦労で勝ち取っている人もいる。しかし、若ければ若いほど、グローバルにいる競争相手を知り、そして自分の環境を変えたり、意識を高いところに向けたり、日々の努力を定めることは、大事だと思う。

若さに任せて仕事に没頭することは、誰しも一度は経験するだろうし、それによって得るものは大きいと思う。しかし、それだけで力がつくのを待つ、チャンスが訪れるのを待つのと、意識を持った上で仕事に没頭するのでは全然違う。

「競争」という言葉を多用するのはあまり好きではないが、国際化・自由化の進んだ金融では、その享受のコストとしての競争がある。競争なので、相手のことを知り、自分を磨く努力と戦略が大事なのである。



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先回りしよう

その人が必要、と思わせるスキルや仕事って何だろう?もちろん、ある分野の専門性や知識というのはその答えになる。しかし、「その人ではないと…」と唸らせるレベルというのは、もうダントツに勝てないといけない訳です…。

それはそれで究める道を選んでよいとしても、他に「その人」というオリジナルなものは何だろうか?僕は、先回りの能力であり、発想であり、行動力であると思います。

これはあらゆる仕事に当てはまるのではないでしょうか?

例えば、僕が事務部門で働いていたときの話です。事務部門は営業の方針や制度の変更に応じて動く受身の要素がどうしても強くなる訳ですが、それゆえに営業や企画部門の人たちに自分から積極的にコンタクトを取って、次に何が来るかを考えたものです。

情報や状況の把握を大きくしていくと、会社の状況や業界の動向などのマクロなレベルにどんどん高くなっていく。焦点をズームアウトして、全体を俯瞰する能力が養われていきます。このレベルで物事を見るのは、簡単には習得できないが、それゆえに意識することに効果があるのだと思います。僕が調査部門にいたとき、会社の1会計サイクルである1年よりも長期の仕事が多かったため、さらには会社が大きかったこともあり、会社の状況を理解することが上手くできなかった。そのため、会社の経理に近い部門から来た上司に、ずいぶんとお灸をすえられたものです。

この「先回り」する仕事は、クリエイティブと称して楽しむ人もいれば、誰かの役に立ちたいという気持ちに動かされる人もいるでしょう。それはきっとどちらでも良くって、その人の付加価値を一つ一つの現場で活かせれば、それで良いのだと思います。




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自由なチーム運営 〜 ビジョンと価値観を共有する

僕がチームを任されたときのことは以前にこのように書いているが、もう少し多くを話してみたい。

まずは、チーム運営のやり方について。日系でも外資系でも同じようだけど、チームの運営方法は完全にマネージャーに委ねられる。つまり、マネージャーである僕と、僕の上司が合意したビジネス目標さえクリアできれば、極端な話、チームに何を言おうが、どう運営しようが、一義的には指図を受けない。

これってこわい話でもある。昨日までチームを率いたことのない人が、突然チームを任せられることは、誰しも必ず1回はある。もし、チーム長になる前に、当時の上司が教えてくれたり、チームマネジメントの一部を委任してくれれば良いのだが、外資の場合はそれがないケースも珍しくない。その点、日系の方が、マネージャー研修やOJTなどで、次のリーダーやマネージャーを組織的に育てようとする気運が高い。

僕の場合は、チームを率いる前から、「チーム長になったらこうしよう」という強い思いがあった。それだけ反面教師が多かったのである。「これは良いマネージャーだなぁ」と思えた経験が少なかったから、過去の特定の上司のイメージを強く引きずることにはなったけれども。

リーダーシップとマネジメントの違いについても、あらかじめイメージはできていた。リーダーはビジョンを語らねばならず、共有すべき価値観を明確にし、皆の理解を求めなければならない。求心力である。

そのため、就任早々に、目指す方向とチームが大事にする価値観を箇条書きにし、チームミーティングで配って話した。しかも、ビジョンや価値観は話が大きいゆえに、日常の業務で思い続けることは難しい。僕は、最低限6ヶ月に1回、チームの目標と達成度合いを確認する会議を開くのだが、その時間の半分以上をビジョンと価値観の確認作業に充てる。

外資系は、個人主義が強いと思われがちであるが、今どき1人でできる仕事などたかが知れている。チームワークは不可欠で、それゆえにチームの人と共有するゴール、そして価値観を合わせていく作業というのはとても大事だ。

しかも、国籍が違う人がいる。なので、日本的な「頑張って行きましょう」とか「普通はこうやるものです」といった曖昧さは何の役にも立たない。はっきりと、「自分はこう考える」「優先順位はこうだ」ということを伝えないと、そこで迷いや誤解が生まれてしまうのだ。

そういう論点は、会話でも文書でも、英語の方が向いている。日本語が話せる外国人がいても、この手の話は英語で行うと、曖昧さが排除されてよい。特に、僕は微妙な表現の英語が話せないから、尚のこと良いようである。




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経済物理学

先週の日経朝刊の連載ページ、「経済教室」と今でも言うのでしょうか、経済物理学の記事が何回か取り上げられていました。

企業の取引関係を分析し、「この企業がないと生産が成りたたない」という「ハブ企業」を割り出す話は大変面白い内容です。

こういう情報は、ある程度企業を取材したり分析すると分かるのですが、それを大量の企業や取引データに対して効率的に行うと、まだその価値が正当に評価されていない企業が見つかるものです。

一方で、こうした技術や発想を、新聞などに公開するということは、既に同じようなことを思いついてやっていることを示唆するし、公開した時点で真似する人が必ず出てくるから、投資の世界では、有効性が急激に落ちるということが出てきます。このあたりが、学会での研究成果と、実務での成果の異なる部分です。

分析をするということと、投資で成果を上げることは、一見同じように思えますが、実は全然違うという例だと思います。しかし、だからと言って、物理や数学的なモノの見方が否定されるものではないでしょう。


計量的なアプローチには夢が感じられないと僕は思います。

一方で、企業を丹念に調べ、経営者と何度も会い、それを世に紹介していく証券アナリストの仕事には、夢があると思います。ただし、企業が既に上場していたり、人気の銘柄にでもなっていると、夢を売る度合いは薄いのではないでしょうか。例えば、大型銘柄だから分析をしない訳にはいかない、有名企業間の相対価値をつけないといけない、と分析のスタンスが偏ってくるために、夢を追うのが難しいくなるのでしょう。

計量アプローチは、分析する企業のヒトや社長が抱く夢を代弁することはできないけれど、物事を大局的に見ることで、見逃されていた価値や価値評価のメカニズムを解明するという夢があると思います。それによって、価値を認めてもらえた企業は、夢がかなったと言っても過言ではないと思います。


経済物理学」という言葉は、新聞記事を読むまでは知りませんでした。本もたくさん出ているようです。昔から物理学は、経済の世界で既に使われてきましたが、最近の研究にはとても興味があります。夢のある研究、それが研究者の手にのみ残るのではなく、経済や企業に落ちていく夢のある研究は、どんなものがあるのでしょうか。




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無形の力を身に付けよう

なかなか回復しない経済、大勢の人が吸い込まれていく大手町・丸の内の金融街、どうみても新卒としか見えない人たちが連れ添ってランチに行く「これからの人たち」の光景、金融機関の合併のニュース、…そんな景色や音に身を任せていると、ふと、金融という仕事について振り返りたいと思った。

僕が金融の門をたたいた理由は「経済を分析したい」ことにあったとに書いた。今、思えば自分本位な動機だが、若いというのはそういうものなのだろう。一方で、当時は、金融で働く人が輝いて見えたのも事実である。丁度、自由化の波が押し寄せ、そして何よりバブルの絶頂期であったことも無関係ではなかっただろう。

それから20年もの間、日本の経済はいまひとつの状況が続いている。その間、金融業界以外に身をおいたことはないから、他の業界と比較をするのは僕にとっては難しい。しかし、経済がいまひとつとは言っても、技術は格別に進み、グローバル化がモノだけでなく、資本もヒトも動かしてきたから、金融業界は絶えず変化に富み、それはこれからも廃れることはないだろう。

やはりこの業界は、資本と技術、そしてヒトによって支えられている。なにしろ工場やモノと言える商品がない。それゆえ、国境を容易に越え、水は高いところから低いところへあっという間に流れていく。その間に、さらに高い頂を見つけ、あるいは作り、サービスという形で世に出していく、そういうスピードの世界でもある。

それゆえに、時代を創るセンスが必要だと強く思う。何かを体系的に学んで、あるいは職人の域に達するまで繰り返し努力し、というやり方が駄目とは言わないが、金融業界でそういう生き方があるのならば、それは本流ではない。何かを組み合わせたり、変化を加えたり、見方を変えるといった、「工夫」が求められる職業ではないかと、20年の経験から思うのである。

それを「無形」の力と呼ぶことにしたい。これは、野村監督が「野村ノート」の中で書いていたことである。

「無形」の力を習得する方法はどこにも書いていない。いや、実は最近のビジネス書にはいろいろ書いてあるのだが、それを自分のものにするためには、普段の仕事での工夫、昨日よりも少しリスクをとって提案する勇気、いつも昨日より良い一日を過ごしたいとする欲、が効果的だと思う。

そこに、世の中のため、お客のためという視線が加われば、さらに深みを増すだろうが、若いうちは、自分本位でも良いと思う。ただし、同僚や上司と、競争にあけくれたり、自分のこだわりゆえに衝突することはエネルギーの浪費だと思う。


あなたが、一番輝いていると思える瞬間は何でしょうか?

その瞬間、どんな力が発揮されていると思いますか?「有形」でしょうか?「無形」でしょうか?

自分の強みを、伸ばすためには、何をしたら良いでしょうか?




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外資っぽくない縁の切り方

いきなり誤解を与えかねないタイトルですみません。しかし、一般的に外資は冷淡だと言われ、縁(人)を切るのもあっさり行うというイメージがあるようです。

確かに、日系と比べれば明らかにそうだと思う。しかし、僕が前にいた日系では、社員をクビにする代わりに、違う部門に配置したり、閑職に追いやることを行っていた。違う部門で復活する人もかなりいるが、閑職が続いた結果、本人のやる気もすっかり削がれ、周囲への影響もゼロではない、という状態を見てきた。冷淡と言われる外資とどっちがいいのだろう。


今日の話は、僕の中ではマネージャーとして育ててもらった出来事で、自分勝手に言えば良い経験談なのだが、相手は快く思っていなかった可能性も高いし、それゆえに人に勧められるようなテクニックでも何でもない。そういう断りを入れた上で、誤解をおそれずに話してみたい。もし、不愉快に感じる人がいたら、最初に謝っておきます。ごめんなさい。

◆◆◆

以前に、採用活動には時間がかかるというの中で、退職勧奨の実態について書いた。外資に入ってきた訳だから、少なくとも一芸に秀でた何かが縁となったはずで、その一芸が時代やチームになじまなくなってしまったケースが多いだろう。また、一匹狼的な人の場合、チームが大きくなるに従って、チームプレイが発揮できず、浮いてしまうケースもある。僕がマネージャ−になって、始めての退職勧奨はこのタイプの人に対してだった。

この人は頭が良い。しかし、社内に敵と味方を作り、メールを使って攻撃したり、比喩を利用してイメージ戦略に出たり、と僕らの頭を休ませる日はなかった。仕事はできる方だったが、それ以外のことに神経と時間を費やしてしまったためか、仕事そのものに精彩さが足りない。

当然、僕の期待を伝えたり、「なぜギャップがあるのだろうか」ということについて考える時間を共に過ごした。昔の話なので忘れてしまったが、1回1〜2時間のミーティングを何度行ったことだろうか。極力、本人に話をさせ、意識や潜在意識を探っていったから、毎回長時間にわたって話し合った。

しかし、せっかく理解が得られたように見えても、同じようなことが続くため、「これが最後のチャンスですよ」というトーンで、3回ほど話したように記憶している。3回というのは、1〜2ヶ月おきに3回という大きな括りの回数で、1つの括りでは数回に分けて面談したから、会って話した回数は10回は下らないだろう。

今思い返して見ると、「せっかく理解が得られた」と思ったのは僕の勝手な解釈で、実はまったく理解されていなかった可能性も高い。

一方で、職場の雰囲気も悪化していったから、その状況はなんとかしなくてはならなかった。「敵」とラベルを貼られた人たちは仕事がやりにくいし、それを周囲で見ざるを得ない人もたくさんいたのだ。

僕は、本人に「なんとか解ってほしい」「本当に力を入れて欲しいのは、社内の競争でも敵味方の論争でもなく、その人の持っている力を出し切る仕事なのだ」という思いで話を続けた。僕の上司も、僕以上に忙しいはずなのに、何度か一緒になって話してくれた。そこで、僕らが抱いていたのは、偽りなく、「なんとか頑張って欲しい」という願いであった。

このことは、最近自身のブログで紹介した「箱」の本の中で、『人は、言葉だけでなく、態度や雰囲気でも察することができる』ことだったのではないか、と思う。最終的に変化は起こらなかったが、本人から、「僕と話すことは良かった」という言葉を退職のときに頂いたのは自分が救われた感じがした。依然として「あなたは”味方”でした」とも言われたのには、ちょっと複雑な想いもしたけれど。

「自分が救われた…」と言うあたり、まだ自分ができていないなあと思う。本人の想いがどうだったのか、本当は何を望み、なぜ周囲を傷つける行動を取ったのか、は謎のままである。

しかし、このことを通じ、何事も誠心誠意取り組むことを学んだ。それは今に至るまで、大変に役立っていると思う。

余談にはなるが、この話をビジネス・コーチにしたときの反応は、別の意味で忘れられない。「コーチは、人を救うことはできない。それはカウンセリングや診療になってしまう。コーチは成長を手伝うことはできる。」というものだ。

ジレンマになるが、人を助けたいという一心で投じたエネルギーは、時に力にもなるし邪魔にもなる。それはエネルギーを受ける側も、与える側も同じだと思う。カウンセリングも、コーチも、プロではないマネージャーがそれを行うのはさらに難しさが伴う。それでも、コーチのアプローチは、本人の力を引き出すサポートの役割に特化するから、お互いが納得さえすれば成立しやすいのだろう。




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