まとめ

このように、インターネット普及前ではそもそもパクリかどうかを判断する人が少数であり、かつその情報の共有化も限定的であった一方、インターネット普及後は、多くの人が容易に判断をおこなう土俵に上がることができ、かつその情報はネット上にて共有されるといった環境へ激変しているのである。

つまり、インターネットの普及前であれば、パクリか否かは一度それらの情報を集約する組織(メディア)等を通じて、そこから社会全体としてのコンセンサスを形成するという流れに依存せざるをえなかった。しかし、そのメディアは作品の作り手の窓口であり、作り手の価値を毀損させる行為である類似性やパクリの指摘を行うことに対してはネガティブインセンティブを持つ立場でもあった。

しかしインターネットにより個人が不特定多数と相対できる現在社会においては、そのようなメディアに依存しなくとも、パクリか否かについて一定の社会的なコンセンサスを形成することが可能になっているのである。

いかなる形のクリエーターであれ、まずはこの、そもそものパクリを判定する社会構造の変化を認識しなければ、自己のオリジナリティとパクリとの境界線を見誤る一歩を踏み出しかねないことを認識する必要がある。<追記メモ>
インターネット普及前にも不特定多数の人が接続する、BBS(NIFTY等)が存在していたが、PCの普及度(インターネットはPCだけじゃなくて携帯も使えるしね)やスペック、回線速度、接続コストの問題から、結局は一部の人が限定的に利用するものであり、多対多のネットワークとしてのの密度は今のインターネットとは比較にならないほどのものである。そのため、社会の声といえる程の不特定多数の意見が醸成される場としてはまだまだ役者不足であったと言わざるを得ない。

判断の共有

パクリかどうかという判断は、日常においては(裁判ではなくてね)結局は個々人の主観的な判断の問題である。しかし、社会においてパクリであるという判断をした人が多いほど、そして、そして、パクリであると判断した人の数が多いということが確認できるほど、パクリを行ったとされる作り手の創作能力や、クリエーターとしての職業倫理は低いものと判断され、クリエーターとしての仕事はできなくなっていく。ゆえに、上記の2つの点、パクリだと判断する人の数と、それを確認できる環境は重要なポイントである。

インターネット普及前
ある個人がパクリであると感じたとしても、それを確認できる範囲は直接コミュニケーションをとりうる範囲に限定されるため、社会全体でどれだけ多くの人がパクリと感じたのかを確認することは難しい。

インターネット普及後
ある個人の感覚は、すぐに不特定多数の判断を仰ぐことが可能な状況にあり、その反応についてもネットに接続する全ての人たちが共有することができる。

判断素地の問題

そもそも、パクリかどうかを判断するためには、パクリを行った作品と、元ネタの作品の両方を知らなければできない。インターネットはその環境そのものを大きく変えた。

インターネット普及前
両者を知る人がパクリだと感じたとしても、それを確認する範囲は、直接コミュニケーションをとりうる範囲内に限定される。
また、それを確認してもらおうとしても、両作品を知る人しか、パクリか否かを判断することができない。片方しか知らない人が、別の作品と似ているといわれた場合においても、出版・発行されているメディアに直接触れなければそれを確認することができず、なかなか手間のかかる作業である。特に片方がマイナー(もちろん両方がマイナーも含めて)な作品である場合は、パクリかどうかの判断をすること自体が、ごく一部の人たちにしか行うことができない。

インターネット普及後
ある個人がパクリであると感じたという情報は、インターネットにより不特定多数の人間に瞬く間に知らしめることができる。
その際には、とりこまれた文書、スキャニングした画像、音楽ファイルは誰でもネットに簡単に流すことができるため、それまでは両作品を知らなかった者ですら、パクリか否かを判断する土俵に乗ることができる。また、画像については両者を重ねて検証を行うなど、判断をサポートする情報もあわせて提供されていることもあり、その場合にはより幅広い層の判断を仰ぐことになると期待される。

パクリを認識する社会構造の変化

この辺の問題に触発(インスパイアって書きたいんだけれど、微妙な表現にされてしまったからなぁorz)されて書いてみた
アドレスが変わりました。
マンガ家の描写盗用問題についての私見: たけくまメモ


パクリか否かを考えるにあたっては、インターネットの普及前後で大きく前提が変わっていると考えている。それは、判断素地(パクリといわれる作品とオリジナルであるとされる作品を知ること)と、判断の共有の問題(みんながそう感じているかどうかの確認)の2点から考えることができる。

雑感 靖国/愛国心

靖国
首相の靖国参拝の是非について、僕はまだ、個人的にどういう判断が妥当なのか結論を見出せていない。
でも、マスコミの首相の靖国参拝に対する報道には疑問を感じる。

というのは、
首相の靖国参拝は、首相個人の信条のみの問題。すなわち、首相の靖国参拝によるメリットは首相の個人的満足と、「首相が靖国参拝するるべきだ」というポリシーを持つ人たちの満足のみみたいな報道。
一方、デメリットは、日中、日韓の政治、経済の両面の多大な損失として報道されているなぁと感じるところ。

デメリット面については、たしかにそうだよねと思うんだけれど、メリット面についてははたしてほんとにそれだけなのかなという疑問がどうしても引っかかる。
過去、首相として靖国を参拝した首相は多いけれど、首相たる人が報道されているような小さなメリットで参拝を続けているのかなぁというところ。
そこんところがどーしてもわからない。

日本人が、過去とどのように付き合っていくのか(取り込んでいくのか、決別するのか・・抽象的な表現で申し訳ないけれど僕の整理がついていない)という点、これは世界の中での日本人としてのアイデンティティをどう確立するかって問題と強く結びついていると思うんだけれど、この観点の整理(いろいろな人の意見やアンケート)してくれる新聞はないかなぁと思っていたり。

あと、個人的にも首相が靖国参拝を辞めれば、中国や韓国との歴史問題が解決するとはまだ思えないって感じているところもあって、首相の靖国参拝問題を整理しきれていないんだよなぁ。


"愛国心"という言葉
風邪で早めに帰宅してテレビをつけると、TBSの筑紫哲也の番組で、「愛国心」というテーマのコーナーを放送していた。
愛国心という言葉(日本語)イコール思考的に右よりという認識が結構幅広くあるような気がする(僕自身も、パッと聞くとそういう印象を感じたりもする)。でもそうすると、一般的に自分の所属する組織(家族や部活や会社)を好きになるっていう気持ちはあるだろうし、その組織を国という範囲に広げて、右や左なく、日本を好きになるという気持ちを表す言葉がないんだよなぁ..

確かに僕は日本は好きだけれど、積極的に、僕の全てを捧げて愛する!という感じはないなぁ。でも、日本に住むことの安心感はあるよなぁ..考えてみれば、日本とはもうもう30年近いお付き合いなのだ。付き合い始めたころのような熱烈な愛はなくてもいいじゃないか...ってなに言っているんだろ orz

あと、愛国心って言葉は日本に限らず、様々な国で危ない使われ方をしてきたって側面ももっているから、やっぱりその辺への警戒心ってのもあるのは間違いないと思うけれど。

阪神の上場問題 〜 村上ファンドの、阪神の上場問題についてのメモ

株式会社であれば、株式を公開して上場することで不特定多数の出資を募ってお金を集め、さらに事業を拡大するということはごく自然な流れ。

でもね、

上場に向く法人と向かない法人ってあると思うんだよね。

球団経営って毎年莫大な金(選手の年棒とか、移籍金とか、裏(ry)がかかるもので、その金を株式市場を通じてたくさんの人から集められるなんてこと言う人もいるけれど、上場したって会社に金が入るのは会社が新たに株式を発行したときだけ。上場しているだけで年から年中会社に金が転がり込む訳じゃない。

球団経営者にしても、どこを見ればいいのかっていうすごく難しい問題を抱えることになる。株式を上場するってことは、不特定多数の株主の利益を考える必要も出てくる。今であれば、親会社(阪神なら、阪神電鉄ね)のイメージを損ねず、経営に打撃的な影響となる程の赤字を出さない範囲で、ひたすら強いチームを作ること(ファンに応えるチーム作り)を考えていればいいんだけれど、上場したとなると、これに加えて株主への利益還元も考えなくちゃならない。

上場している会社の株主って、好きなときに株主になって、好きなときに株主辞めることができるから、例えば、有力選手に対して、他球団から移籍金がっぽり出すからトレードしてくれって話が来たとき、球団の強さの維持のためにはマイナスであっても、その時の株主から、金を取れという圧力が発生することも当然ありえるワケ。逆に、目玉の外人選手ひっぱろうと思っても、そのときの株主がそんな高いのダメーなんて圧力かけることもありえるのね。

ファンが株を買えばいいなんていうけれど、上場したらファンであろうとなかろうと株を買えるわけだしね。だから、極端な話になっちゃうけれど、大金持ちの他球団のファンが阪神の大株主になって、トレードに応じるように圧力をかけるなんてことも想定しないといけない。

イロイロな株主(短期的な利益のみ追求する株主や、球団が強くなることと反対のインセンティブを持つ株主など)との利害調整をあらかじめルール化しておかないと、また大株主が〜なんてパニックがおきかねない。ついでにいうと、ルール定めても、ルールのあいまを縫ってへんなことする人が出てこないとも限らない。

そんなことを考えていると、球団は上場には向かないんじゃないかなぁというのが今の僕の考えかなぁ

でも、野球球団単独じゃなくて、プロ野球機構みたいな運営の胴元の上場なら、検討の余地はあるかもと思ったりはする。でもそれはまは別の話だぁね。

テレビ局とネット企業につてだらだらと

楽天ライブドア、その昔はソフトバンクとインターネットで商売をする新興企業のテレビ局の取り込みを目指す動きが続いている。

インターネットで商売側の言い分としては概ね、

1.テレビ局はオールドメディア。このままだと衰退する一方。
 そこんとこいくと、うちらはこれからのネットワーク網であるインターネットに大きなアドバンテージを持っている。
 だから、ウチと一緒になると、グッツ販売とかタイアップ広告とか、イロイロいいことあるよ。

2.ウチら金もってるの。金で株買うのってあたりまえ。文句ある?

なんてところを持ち出してきている。

で、ここからは私見だけれど、インターネット側の企業の本音は、テレビ局がこれまで蓄えてきたコンテンツを独占したいってことだと思っている。
だって、グッツ販売やらタイアップ広告なら株買わずに、提携しましょって話をすればいいだけ。わざわざ数千億もの金を用立てるなんてことせんでもよろし。

テレビ局の持つ過去に放送した映像コンテンツは、著作権やらなんやらイロイロがんじがらめでまだまだ使いにくい部分もあるのだろうけれど、いずれ、新しいメディアにおける利用についても法律や慣習なんかが整ってくるものと考えている。

ネット環境についても、光による大容量化に加えて、携帯端末のネット接続も大容量化。どこでにいても、利用者が動画を「拾い出す」ことができる時代がもうすぐそこまで来ている。

で、上記の文章で書いた、「拾い出す」ここがポイント。これまでのテレビのように、放送局が送っているものを受け取るんじゃなくて、いろーんなモノ(映像コンテンツ)が詰まったハコから欲しいものを選び出す時代(ビデオオンデマンドってやつやね)になるっていうこと。

つまり、今、ヤフー(ソフトバンク)や楽天ライブドアは、文書や画像をベースとした情報が詰まったハコ(ネットショップとかも含めてね)を抱えていて、そこに利用者が手を突っ込むたびに、(利用者もしくはショップ、広告主から)お金がハコの持ち主に転がり込む仕組むになっているのね。
でも、ここで次の一手を考えると、ネットの高速化は必然。そこで今の立場(たくさんのモノがつまったハコを抱える状態)を失わないためにはいうとき、動画コンテンツをしこたま抱えているテレビ局をとりこんでしまおうという発想が出てくるわけね。

でも、もうすぐ動画がネットをあたりまえに行き来する時代では、テレビ局がこれまで放送してきた膨大なコンテンツが大きな価値をもつであろうことはやっぱりテレビ局側も分かっているだろうし、そのときには、欲しいという人たちを競わせてなるべく高い値段で売りたいと考えているハズ。
それを、青田買いと呼んでいいかわからないけれど、まだ安いうちにまとめて買おうなんていわれてもそうは問屋がおろしやせんぜっていう気持ちもあるのだろう。(テレビ局側の職員の本音としては、給料の安いネット企業なんぞとくっついたらどーなるもんかわかったもんじゃないって方が大きいだろうけれど)

そんな訳で、あまりまとまらなかったけれど、個人的には今、テレビ局をまとめてネット企業に売ってしまう(経営統合しちゃう)ことは、テレビ局側の株主にとって、良い戦略とは思えないと考えています。
もちろん、株式上場している企業に、まっとうな手続で買収を仕掛けることはなんら悪いことじゃないけれどね。
でも、なんとなく本音を隠しているような気がして気に食わなかったのでだらだら書いてみたという次第。