「大きな物語」ってどのくらい?

歴史のなかの「大きな物語」って、どれくらいの大きさなんでしょうかね?

例えば、中国では18世紀に人口が倍増してます、ってのは「大きい」のかな?「小さい」のかな?同時期の日本では人口頭打ちです、はどうなんだろう。

もっとこう、日本の歴史は、「中国化」に振れるか、逆に振れるかですべてが説明できる、くらい大きくないとダメなの?
中国の歴史は、全部、専制政治です、みたいな?
これに文句言ったら、揚げ足取りで、重箱の隅をつつくなのかな?「中国化」という語は変じゃない?とか、「専制」とか「独裁」とかどういう意味なの?とか聞いちゃいかんのかな。

たとえば、西洋人、ずーっと中国に貿易に来てるけど、貿易に来るのは中国製品を買いに来るので、一度たりとも西洋商品の市場になった(輸出先として重要になった)ことはないよ、とかは、「大きい」の?「小さい」の?

そりゃもちろん、浙江の盆地のなかの宗族は、姓が同じってだけでどんどん合併してるから、厳密な意味では「血族」ではない、とかは、「小さい」のかもしれませんけどね。でもそれは、中国における「宗族」というか「血縁」は、想像上のものにすぎないけど、ほかの人間関係を束ねる表現が社会的には弱い、ということを示唆してるんだけど、どうなんでしょうかね?

人様を怒らせるのはよくないことだと、思ってるんで、できるだけ衝突は避けたいんだけどねえ。しかし、理論と実証の関係とか、よくわかんないなぁ。

読書:與那覇潤『翻訳の政治学』

最近、めっきり様子を見なくなってた與那覇潤先生が、数年に渡って体調を崩して、もう「歴史学者」をやめる、という文章が出ていました。

この文章を読んで最初に、「あ、これはつらそう…。でも、もともとこういう文章書くヒトでもあるよな」と思ったのですが、論旨について、細かいところ、そうねえ、となんとなく首肯するものの、全体に流れる「世間に疲れた」という雰囲気については、「大変でしたね…」と。そこまで責任を負わなくてもよかろう、と思う半面、この詩的とも言える繊細さがあるから、いろいろ文章かけたんだろうな、仕事し過ぎはよくないよねえ、などと思うのでした。

ま、そもそもの話として、普段の生活に「歴史」なんていらないよね、と。学問自体が、年中考えてるもんでもないし、普通に暮らしてたら、難しい事考えないし、二十歳前後の大学生に高望みしてどないするの。あと、安倍政権が出した談話は、参加してる先生方見たらわかるけど、妥協の産物にすぎんやん、とかも思いましたが、まあいいや(川島真先生が、あれで納得いくわけ無いでしょ?全体的に意味不明の妥協以外のナニモンでもない)。

あと、「歴史的に物事を語って、一本のすじを通そうとする心も自体に無理があるのであり、もはや有効ではない」といいますが、マルクス主義じゃあるまし、「一本のすじ」ってなに、という感じです。寧波プロジェクト終わってもう十年たちますが、あの成果のバッラバラで豊穣なことよ。ソ連が崩壊したときに一本スジやめたんじゃなかったっけ日本の歴史学、という思いを禁じえません。

東アジア海域に漕ぎだす1 海から見た歴史

東アジア海域に漕ぎだす1 海から見た歴史

さて、その文章についての反応を、ツイッタで見ていたところ、実証史学とおおきな物語の対立であり、後者に与する與那覇先生に対して、前者の人たち、揚げ足取りばっかでヒドすぎないか、という話が出てきて、一方で、こいつ実証わかってない、中国わかってない、みたいな論もありました。

基本的にみなさん、『中国化する日本』しか読んでおらず、與那覇先生の実証的な仕事を知らないようで、ぱっと読んで好きか嫌いか、という話になっており、こりゃ報われないね、という思いを禁じえません。というわけで、與那覇先生の最初の単著の内容について、とっても面白いので、ざっくり紹介する記事を書きました。

翻訳の政治学 近代東アジアの形成と日琉関係の変容

翻訳の政治学 近代東アジアの形成と日琉関係の変容

序章 「同じであること」と翻訳の政治
第I部 「人種問題」前夜 「琉球処分」期の東アジア国際秩序
第一章 外交の翻訳論 F・H・バルフォアと十九世紀末東アジア英語言論圏の成立
第二章 国境の翻訳論 「琉球処分」は人種問題か、日本・琉球・中国・西洋
間章α 国民の翻訳論 日本内地の言説変容
第II部 「民族統一」以降 「沖縄人」が「日本人」になるとき
第三章 統合の翻訳論 「日琉同祖論」の成立ト二〇世紀型秩序への転換
第四章 革命の翻訳論 沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政変
間章β 帝国の翻訳論 伊波普猷李光洙、もしくは国家と民族のあいだ
結論 翻訳の哲学と歴史の論理


序章 

「本書のスタンスは、国民国家の形成や人種・民族問題、地域主義などを扱う際に云々されるいわゆる「アイデンティティ・ポリティクス」とより広く「同じであること」(Identity)についての政治学(Politics)として解釈しようというものである。」(p.2)

 それは、政治学ではなく、政治思想史の範疇ではないか、と思われますが、それは些末な用語選択の問題です。「政治学」とはどのように定義しているのか、というのが疑問ではありますが、言わんとしていることはわかります。
 いずれにせよ、本章で議論されるのは、何かと何かを「同じもの」とする、それが異なる言語間であるならば「翻訳」することは、政治的に決まる、ということを指摘しています。まっとうな指摘です。
 そのなかで、東アジアにおいては「嘘」、「日本・朝鮮・ベトナムが独自に「中華」を辞任した「小中華主義」の体制」を併存させており、それを当事者間のきっちりとした合意で意味を定めている西洋的な論理とは異なるもので、それは漢文脈運用によって成り立っているとします。

第I部では、「自覚された『蒟蒻問題』(落語)」について、つまり、相手の言い分を互いに無視する関係が取り上げられます。そのうえで、以下の安富歩先生の文章が引かれたりします。

「人間どうし他人の頭や心は覗けない以上、互いに解釈の違いがある(かもしれない)としてもとりあえずは放っておくのが普通なのであり、逆に相違をなくし、お互いの認識が一致しているかを確かめようとするほうが、特殊な状態なのである。「それはこのよう意味にとっていいいのですよね」と聞き返されたとしたら、それはコミュニケーションが円滑にいっていないということなのだ。(原注:安富歩『複雑さを生きる岩波書店、2006年、pp.62-65)」

あれ、コミュニケーション取れてるの、取れてないの、よくわからん。

第一章では、北京の日本公使館に雇われたイギリス人バルフォアによる、1879年にはじまる英字新聞上での日本政府側の主張の代弁の内容(「琉球処分は、中国から琉球を強奪(Seizure)したのでも併合(Annexation)したのでもない」)をきっかけに展開される、各地の英語新聞上での議論のズレが活写されます。そのうえで、日本・中国・朝鮮などの国際関係が、英語で議論されるなかで、19世紀末にゆっくりと、しかし無理やりにズレを解消してゆき、重層的・多様な解釈を許さなくなっていく傾向が見て取れると指摘します。
第二章では、「琉球処分」がじつは「民族問題」、すなわち、日本政府側から「日本と琉球は同じ民族だから同じ国家となる」と主張されていないことが指摘された上で、そもそも1870年代において、住民の人種的・民族的な性格と国境線は結び付けられていないこと、そしてそれが変化してゆくことが論じられます。このときに念頭に置かれているのは「暗黒の近代=ナショナリズム=民族で国境線を引くムチャ」という議論への批判です。この批判はとても説得的なものであるといえるでしょう。
 民族と国家のマリアージュの端緒は、元米国大統領グラントによる1879年の日中交渉斡旋のなかで、米国側で、中国側が文字=漢字の話をした閩人三十六姓の話が琉球には中国人移民の子孫がいる、という話になったり、明治政府が琉球の単語はだいたい日本語だ、といったのを人種的に似てると言う話に読替えたりしたところにありました。というわけで、日中両国とも人種と琉球の帰属についてあんまり意識していなかったわけですが、グラントによって英語になってしまったおかげで、日本政府に批判的だった横浜で発行されてたJapan Gazetteに批判され、それに英語で「この問題では人種は関係ない!」と反論するに至ります。その結果、グラントなんかはむしろ「日本も中国も同じ人種(the same race)」と言い出すにいたります。(あれ、これ、「同文同種」の根本だったりするの?)さらに清朝のほうで、「琉球は福建とかとだいぶ近いんだよね」みたいなことを言いつつも、そのことと琉球の帰属については結びつけません。
 著者はこのような分析を経て、東アジアには確かに西洋近代的ナショナリズム=民族の境界と国民国家の境界の一致の萌芽になりそうな要素がそこらじゅうに存在していたにもかかわらず、それらを西洋近代的ナショナリズムに変換する契機が存在しなかったことを指摘しています。
 間章αでは、明治日本における「家」「人種」「文化」が、後世のナショナリズム論者がいうほどには「純血主義的」、あるいは「日本的なものは特別」としているわけではないことが論証されています。
 第I部の議論を、乱暴に総括するならば、19世紀の第4四半世紀は、後世から措定されるほどには厳密ではなかった、ということになるでしょう。このことは、しっかりした典拠に基づいた指摘であるとともに、欧米の人種論もまた、19世紀においてもなお、その「科学っぽい用語」のわりにユルユルだ、ということを想起させもします。このことは谷川稔『国民国家ナショナリズム』にあるように、19世紀第4四半世紀は、ヨーロッパに於いてなお、ドイツ人とかフランス人とかの「国民」を作っている時代だったわけで、当然といえば当然なわけです。著者の議論は、むしろ明治日本を過度に「ナショナリスティック」なものとして描き、批判する戦後歴史学のやりすぎ(小熊英二単一民族神話の起源』・『〈日本人〉の境界』とか)に対する批判として、非常に有効に機能しているといえるでしょう。
 
 第II部は、20世紀に入り、「国家とは別個の民族という問題系が、ついに浮上」したあとの、「琉球弧」(本書では、琉球王国時代は「琉球」、それ以降は地域名称を「琉球弧」としているようです)の人々のアイデンティティをめぐる言説を検討しています。
 第三章では、まず向象賢(羽地朝秀)建議と為朝伝説という超メジャーな日琉同祖論の「根拠」とされたテクストが、べつに日本と琉球の民族的同一性を主張するものではないことが指摘された上で、1890年代になってもなお、日琉同祖論は、知られているけれども特に重視されていないことを明らかにしています。
 ここで、日琉同祖論の超重要人物である伊波普猷が登場します。彼は、「沖縄人が日本人樽資格はアイヌや生蛮が日本人たる資格と自ら別物であること」を主張するために、日琉同祖論を持ち出し、琉球処分を「二千年前に手を別つた兄弟」との「邂逅」であるとします(pp.172-173)。このほか東恩納寛惇もとりあげられますが、彼らのような沖縄の側から、むしろ日琉同祖論が、「琉球処分」や「本土復帰」を「民族統一」として「抱きとめる」(p.179)ために見出されたことが指摘されます。要するに、戦後歴史学的な、日本が強圧的に「琉球は同じ民族だから併合して当然!」みたいな態度をとっていたという歴史像は、実態とは異なることが明らかにされているわけです。
 第四章では、上の状況にさらなる分析が加えられ、日清戦争後も単純な日本一辺倒になったわけではない状況が明らかにされていきます。取り上げられるのは、もとの宗主国における辛亥革命についての認識です。様々な新聞の、それぞれの論調が紹介されて、必ずしも全体を包括する論調を見出すことは難しいのですが、ただ、辛亥革命と、それにつづく第二革命が、革命派の敗北と袁世凱の独裁に帰着したとき、進学悪名に大きな期待を寄せていた一部の沖縄の「青年」たちの目は、大陸から、日本の大正政変以降の「デモクラシー」と沖縄人の自己変革へ移っていく事になりました。

間章βは、同じ日本の植民地である、琉球と朝鮮が、伊波普猷李光洙を通じて比較するものです。1900年代、伊波普猷は、日琉同祖論を通じて、琉球の日本への同化を説きますが、プレセンジット・ドゥアラが指摘する通り、第一次世界大戦前においては帝国主義は「文明による野蛮の征服」でしかなく、文明江の同化でことは済んでいたを示す好例でした。そして、ドゥアラは20世紀の帝国主義には、現地における「民族」や「文化」に適合した「真正さ」が求められたことを指摘しますが、李光洙が直面した朝鮮と日本の関係は、その「真正さ」を意識しなければない時代のものでした。にもかかわらず李は総督府へ協力的な態度を取り、「親日派」として批判を受けることになります。

結論は、第一章から四章までの議論とは直接は関係しません。現代哲学のなかの「翻訳」を論評しながら、ざっくりいうと、現代が、東アジアの「近世」的な、「複数の「世界」がその認識を相互に交渉させることなく、併存する時代になっている(山下範久世界システム論で読む日本』講談社メチエ、2003年、pp.230-233)」(pp.256-257)状況を指摘しつつ、ネオリベラリズム的な能力差を唯一の基準として持ち出す現代を「中華帝国的」だとします。そのうえで、理念・理想がなくなりかねない「世界」においては、普遍的な理念をなんども「翻訳」し、無限に言い換えていくことが必要、「現実を理想へと翻訳する力が真に必要とされている」と主張します。

本書は、政治思想史にかかわる、極めて実証的な作業です。
東アジア近世の、日本・中国・朝鮮・ベトナムなどが、勝手に自称中華になって、相手と別にどっちが中華か争ったりしない、大人というかユルユルというか、はっきりさせずに相手を見ようとしない国際秩序が、欧米の外交の論理が入ってくると、ゆっくりとそちらに引きずられてゆく、という大きな物語を、日本と中国の琉球を巡る言説のありかたと琉球弧における自己認識を、新聞や筆記などを用いて、丹念に分析しています。終章の哲学紹介のくだりはともかく、それ以外については、スタンダードな政治思想にかかわる実証的な研究だと言えるでしょう。読み直して、「ああ、才気が横溢しているな、これは良い本だな」と再確認しました。

 もちろん、何でもかんでも納得行くわけではありません。これは、原著が出て以降、こちらで勉強したこともあるので、少し卑怯かもしれませんが、いくつか。
 
1:「小中華」は、朝鮮の自称で、あまたある「自称中華」の総称ではありません。朝鮮は、「大中華」である明は滅びちゃったけど、その遺風は「小中華」であるウチに受け継がれたのだ、という形で自らを「中華」化しました。ベトナムは、「我々は北の中華に並ぶ南の中華ですから」といい、日本は「将軍TUEEEE!」という論理で「中華」顔します。

2:「中華」同士はコミュニケーションしてない、というのは誤りで、公式の関係はないけれど、必要があれば商人とかにことづけたりして、いろいろ相手の意向を計って、対応を考えているというのが、岩井茂樹「沈黙外交論」です。むしろ、国家間ではコミュニケーションを取らず、勝手に都合よく解釈しあっているが、必要なときには商人などを介して、力を尽くして忖度しあっていた、といえるでしょう。
また、あいての「嘘」をそのままにする、というのも、少し違うかもしれません。明朝も清朝ベトナムビルマにいちゃもんつけて侵攻・占領して、撃退されています。必要ならいつでも「嘘」を暴き立てる、あるいは相手を攻撃するための「嘘」ならいくらでも生み出せるのです。このへんについては、以下の書物にあります。

中国東アジア外交交流史の研究

中国東アジア外交交流史の研究

3:「東アジアの近代」について議論しながら、「近代とはなにか」と格闘してねじ伏せた吉澤誠一郎『天津の近代』が引かれていませんが、別に引いても左証が増えるだけなので、別にいいのでしょう。また琉球・日本・清朝のビミョーな、相互の関係を知りながら黙ってる関係について、渡辺美季『近世琉球と中日関係』の元論文(著書になったのはこちらのが遅い)は引かないの、と思いますが、これも別に論旨に関係ないのでいいでしょう。
ちなみに、この一九世紀中葉から末期にかけての時期の、同じ事象を中国側から丹念に位置づけているのが岡本隆司先生ですが、こちらは引きまくりです。

天津の近代―清末都市における政治文化と社会統合

天津の近代―清末都市における政治文化と社会統合

近世琉球と中日関係

近世琉球と中日関係

属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運―

属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運―

以上のケチからわかるように、中国史について勉強したことがあると、本書の「大きな物語」について、アラがどうしても見えてきます。そして、このアラが見える部分に、前近代の日本と中国の「社会経済状況」についての肉がついて、一般向けにリライトされたのが、『中国化する日本』でした。だから、與那覇先生は、当初から大きな物語と実証をどちらもやっていたのが、途中から「大きな物語」の方を主に扱うようになったわけです。

『翻訳の政治史』には、人名索引しかついておらず、事項索引がありません。思想史の本ですから当然でしょう。そのつもりで読んでいれば、中国史についてのアラはあんまり気になりません。近世=18世紀的東アジア国際秩序から、20世紀初頭的西洋近代外交秩序への移行という大枠ではおかしいとは思いませんし、その以降にも結構いろいろある、という本書の物語は、とても説得的です。しかし、そこから、「日本社会とは」「中国社会とは」といくと、怪しくなってきます。

余計なことを言わなければよいのに、というのは、政治史にありがちで、例えば2CHで叩かれまくってた平野聡清帝国チベット問題』も、後半のほうがキモなのに、乾隆年間の話のチベットについて漢文で議論しようとしたので、エライことになってしまったように思います(書評書いた先生はもちろん読まれてるはずなんですが、周りでヤイのヤイの言ってる連中には通読されてないんじゃないか、と疑ってます)。政治学的には木村幹先生のいうように、「外れ値はアリ」なんですし、そのことはわかります。当たり前です、人間はみんな同じ方向を向いているのではなく、いろんな方向むいたベクトルを全部合わせると、結果的に集団として特定の方向を向くのです。ただ、それは「外れ値」がアリになるのは、「大きな物語」「マクロ分析」があたっている場合であって、それがあたってるように見えないとどうもこうもないのです。與那覇先生が、『中国化する日本』で叩かれたのは、近代日本思想史の専門家だから当然あまり詳しくない、中国の社会経済史や、日本の社会経済史について、「これが真実だ!」みたいな感じで語ってしまったからです。

まあ、『中国化する日本』の中国史理解、すべてすっかり正確かどうかはうーんと思うところはあるし、書き方が不用意かなと思うところもありますが、そんな激怒するほどおかしくなくない?(倉山満とかギルバートと同じレベルで怒っちゃダメ)、と思うのですが。
そもそも、與那覇先生の「中国」観、足立啓二以前に、山川出版社の『世界各国史3中国』の明清のところそのまま(中公『世界の歴史』とも同じ)なんで、中国史の「物語」をそのまま使ってるんで、90年代から中国史もだいぶ進んでその辺については確認してないのかもしれませんが、日本近代思想史のひとにその辺ちゃんと追っとけよ、とまでは言えないんじゃないですかね。彼らに漠北とか回族とか東南アジアとか無理だよ。79年生まれだと90年代末からゼロ年代初頭に勉強した口でしょうから、こんなもんだろう、と十分納得できるレベルだと思いますけど。そもそもゼニ勘定できてない、というのは思想の人なんだからしょうがないでしょう。

世界の歴史 (12) 明清と李朝の時代 (中公文庫)

世界の歴史 (12) 明清と李朝の時代 (中公文庫)

中国史 (世界各国史)

中国史 (世界各国史)

『中国化する日本』にカチンときてたのは、中国史クラスタなんだと思うんですよね。しかも、これは、別に『中国化する日本』だけではなくて、国史の中国に対する、なんというか、漢文くらいスイスイ読めるから、国際化して、中国についても勉強しちゃうよ★中国スゴーイ♪という態度が嫌なんだと思います。「それ、中国やなくて、清朝や!満洲や!」「蒙古旗人について理解されてない!」「明朝と清朝違う!ぜんぜん違う!」「清朝は海禁してねえ!」みたいな(最後だけ具体的)。他所の専門家に対して、どっちも失礼な感じですなあ。仲良くせえよ…。とにかく、喧嘩腰、よくない。

この点は、その昔、梶谷懐先生に
「東洋史界隈の人々とその外部にいる人々との間にある暗くて深い川のようなものが浮き彫りになった」
と書かれましたけど、べつに東洋史だけじゃなくて、学問分野ってそういうもんなんじゃないですかね。その辺は荒ぶることなく、冷静におかしいところをリストアップしたりしていったらいいんじゃないかな。

あと、大きな物語実証主義者の永遠の戦いなんですけど。
木村先生のツイートを見て、歴史学にも、「大きな物語」はあるよなあ、という気がしました。とくに中国史の場合で言うならば、「社会経済構造が思想を規定する」という観念でしょうか。岡本隆司『「反日」中国の源流』は強烈です。あれは、日本の中国の明清史や近代史がもつ「大きな物語」そのものです。古くは田中正俊『中国近代経済史研究序説』だって、あるいはその弟子筋にあたる岸本美緒先生の著作だって、久保亨『戦間期中国〈自立への模索〉』だって、「外れ値」をあるときは排除し、あるときは包含しながら、「大きな物語」を力強く語っているものだと思います。たとえば、本野英一『伝統中国商業秩序の崩壊』なんかは物語ドーン!みたいな本だと思います。それを読み取るのに確かに手間がかかるかもしれませんが…。日本中世史とかだって、桜井英治『贈与の歴史学』なんて、時系列には沿ってないかもしれませんが、「日本中世っつうのはこういう時代だ!」というメッセージが迫ってくるものだと思います。朝鮮史だって、宮嶋博史先生の著作も「両班ってこれ!ドン!小農社会!ドドドーン」って感じじゃないですか。趙景達先生だって、「物語」ありきですよね(それしかしらん)。
その意味では、別に他の社会科学と歴史学に違いはそんなにないと思うのですよ。土足で入ると大変だけど。あと、いちいち「ドーン!」だな。そうか、このへんが、「ヒャッハー!」なのかな…。
でも、「大きめの物語」のどこに位置づけるのかが大事よ、というのは歴史学の講座ではちゃんとやるもんなんじゃないの?やんないの?全国の中国近代史関係の学部生(そんないないだろけど)が跪いて読むといわれる田中正俊『東アジア近代史の方法』も、岡本・吉澤『近代中国研究入門』も、実証は前提でちゃんとしてて当たり前、それをどこに位置づけるが重要なんだよ、と口を酸っぱくして言ってるから、実証だけが大事、みたいのはダメ、っていう教育受けるんじゃないの?日本史はしらんけど…。

というわけなんで、與那覇先生の著作について、叩かれるのには、大きくわけて2つの理由があると思うんですよね。ひとつは、上のような、他所の地域の歴史に首突っ込むと叩かれるか、スルーされるのは世の常、というの。もうひとつは、文体です。

『翻訳の政治史』でも、文体と言うか、若いなあ、というのを随所に感じるのですが、『中国化する日本』は、読みやすいんだけど、きれいとは言い難い文章でした。ブログっぽいというか、編集のサシガネだろ、あれ。文藝春秋社の書かせ方、正直言ってかなりキモいなあ、と思わざるを得ません。本人のキャラなんて存じ上げませんけど、アレは敵を作るだろうな、と。断言するのも多くて、「いや、それは含みもたせたほうがいいんじゃ…」みたいのをたびたび感じます。この点は、この間のYahooの記事でも影響が残っているような気がしますし、悪しき編集上の同類がKADOKAWAの呉座勇一『陰謀の中世史』で、いちいち、バカを断罪して、バカに毛が生えたヒトを喜ばす、みたいな感じで、編集のヒトなんなの?なんか読者も著者も馬鹿にしてる気がするよ…。それで、大人が、若い著者をおだてあげて使い倒して、病気にしたんでしょ、ホントなんなの???

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

国民国家とナショナリズム (世界史リブレット)

国民国家とナショナリズム (世界史リブレット)

清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解

清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解

中国近代経済史研究序説

中国近代経済史研究序説

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

明清交替と江南社会―17世紀中国の秩序問題

明清交替と江南社会―17世紀中国の秩序問題

清代中国の物価と経済変動

清代中国の物価と経済変動

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層 (中公新書)

両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層 (中公新書)

世界システム論で読む日本 (講談社選書メチエ)

世界システム論で読む日本 (講談社選書メチエ)

読書:『陰謀の日本中世史』

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 読みました。
 あれこれあって、二冊買っちゃったんで、「ドドーン…」となりました。なので、めっちゃ辛めの感想を抱いています(私怨 

 本書では、日本中世史にかかわる巷間に流通し、素人がしばしば主張する「陰謀論」を、『応仁の乱』で当てた日本中世史の専門家である筆者が、「「学界の常識」」からいえば「いちいち批判せずに黙殺すべき」「珍説トンデモ説」として、「猫の首に鈴をつけに行く」ために書かれたものです。そのため、叙述は、「こういうオカシナ「陰謀論」がありますよ、でも自分を含む専門家によれば実際はこうですよ」、という形になります。
 本書は、保元の乱平治の乱治承・寿永の乱、北条得宗家の権力掌握、鎌倉幕府成立、応仁の乱本能寺の変関ヶ原の戦い、とだいたいの日本中世政治史の有名な事件を取り上げています。日本中世政治史の概略も述べられていると言えるでしょう。取り敢えず読み始めて「いや、保元の乱についての陰謀なんて普通知らんやろ」となりました。つまり、誰でも知ってるヒトや事柄に関する「陰謀」だけを斬ってるわけではない(いや、みんな知ってるのかも?)のです。あと、説明が丁寧なので、概説的な位置づけにもしたかったんでしょうけど、その結果、分厚くなっちゃった(参考文献までいれて343ページ)感があります。まあ、値段の割にオトクなのかもしれません(肉じゃない)。

 しょうじき、日本中世史界隈は(研究対象も研究者も)「ヤバそう」の一言だし、著者も太字で「研究者は研究対象に似る」(41ページ)とか書いてて、ハハハ、そうかもしれんね、といろいろ想起しました。ただ、「そも似てるからヤバイのやってんじゃないの」「類友…」と頭によぎりましたが。全編、真面目な顔で冗談を飛ばしてる感じで、『応仁の乱』とちょっと雰囲気が違ったんですが、でもやっぱり読んで感じる違和感、というか、趣味あわない感は一緒です。

 本書4ページ(「まえがき」が始まってページめくったところ)には、「本能寺の変の歴史的意義は、織田信長が死んだこと、そして明智光秀の討伐を通じて豊臣秀吉が台頭したことにある」とあります。…え、どうでもよくない?そんなことに意義あるの?というか「本能寺の変」自体が、どうでもよくない?そこサービスしちゃうの?
 本書では、ずーっと、「陰謀論」を批判しつつ歴史上の人物の動機を取り上げています。
 本書が言う「陰謀論」は終章から抜き出すと、

  1. 「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え方」であり、
  2. 「因果関係の単純すぎる説明」や、
  3. 「論理の飛躍」、
  4. 「結果から逆行して原因を引き出す」などの特徴をもち、
  5. 「事件によって最大の利益を得た者が真犯人である」と考えがちだったり、
  6. 「起点を遡ることで宿命的な対立を演出する」などの傾向があり、
  7. 主唱者は「挙証責任の転嫁」をしがちで、
  8. 「やたら大げさで通説を全否定」し、「妙に使命感が強い。」

としています。これにはとくに異論はないす。個人的には下の本のほうが理論的だなあ、と思いますが、対象も違うしね。あと「歴史学は「確からしさ」を競う学問なのに、彼らは自説を100%信じて疑わない」なんて書いてあるのはそうだそうだと快哉を叫ぶところでしょう。(「競うの?」とは思いますが。(漢文的には「快哉“と”叫ぶ」だよな〜)

世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ (講談社現代新書)

世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ (講談社現代新書)

 ただですねえ、そもそもなんかの政局的な事件があって、トップが変わったとして、それに何の意味があるんですか。そこは否定しないんかなあ、と。ここ否定したらマズいのかなあ。このときの将軍は、これこれで、いついつ変りました。それで終わりじゃないですか。個人の動機なんてどうでもいいし、だいたい人間の心理なんてわかんないですよ。動機があって行動があるんじゃなくて、行動があって動機が跡付けで作り上げられるんだけど、行動自体はマクロには構造に規定されちゃって、てのが人間じゃないですか(そこもいろいろといえばいろいろだけどさあ。

 日本中世史研究ってのは、もっとこう参入障壁が高杉で荒んでるもんだと思ってました。というか、もっと構造的な議論をしていて、「生き生きとした人物の姿」なんて、とうの昔に素人の慰みと切り捨てたもんだと思ってました。日本中世史っつったら、内藤湖南の時代区分論が〜、から始まって、大名領国制だとか、兵農分離とか、村落論とか、銭建てか米使いかとか、中世と近世の社会の性質の違いとか、社会経済ドドーンじゃないですか。じゃなきゃマルクス主義を受容してそこから脱却してとかの20世紀末までの議論もできるわけがないじゃないっすか。政治だって、権門体制論とか儀礼研究とかだし、対外関係史もわけのわからん発展っぷりですよね。だって、勘合の復元とかしてるんだよ!デカイんだよ!(我ながら全般的に知識がちょっと古いね…)

日明関係史研究入門 アジアのなかの遣明船

日明関係史研究入門 アジアのなかの遣明船

 そこで、話題の本書ですけどね。「本能寺の変の歴史的意義とは」ときたので、「?」となりました。いや、そこは「本能寺の変には、ことさら取り上げねばならない歴史的意義なんかない」「にもかかわらず素人はどうでもいいことでギャアギャア陰謀だなんだと言ってやがる」「じゃあ、あんたらのレベルまで降りて、ちゃんと分析してやるゾ」と書かないとじゃないんですか。「畿内中部地方の権力者が、信長から秀吉に変わった」、だから、権力構造が変わって、政治も変わる、社会も変わる、経済も変わる、対外関係も変わる、というのならわかります。政局の次がないと、全く落ち着かないし、中世史研究者は、ずっと政局のその先を考えていたし、その政局の先の社会・経済・政治構造の変動のなかで、個々の事件や命令とか法令の位置づけを議論してきたんじゃないですか。

 「日本史学専攻の学生が、卒業論文では「織田信長の楽市政策」を扱いたいと申し出ても何の問題も起こらないが、「本能寺の変の黒幕は誰か」について書きたいなどと言おうものなら、指導教員に叱られるのがオチである」(4ページ)って言うけど、そりゃ「陰謀だからダメ」なんではなくて、「黒幕がわかりました」「だからなんだ」と事件の展開追うだけじゃ広がりがないからでしょう。本書みたいに「「黒幕」は誰とされてきたのか、歴史叙述の分析がしたい」ならOKが出るんじゃないですか。しらんけど。出ないのかな、日本史だと…。

 『応仁の乱』読んでもわかりませんでしたが、本書を読んでも、やっぱり日本中世がどんな時代かちっともわかりません。一揆の権力性とか検討してきてる著者はわかってるに決まってるんですが、本書にはそういう視点がない。なんか今の政局話を読んでるみたいでした。あと、服部隆二『日中国交正常化』読んでるときの感じも思い出しました。なんか昔読んだ櫻井英治『贈与の歴史学』とか、東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』みたいな、今と違う常識/社会が動いてる感じがしないんですよね。今と同じ、自分と同じ人間がゴチャゴチャやってる最近の時代劇見てるみたいで…。

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

 市井の「歴史愛好者」と研究者の違いは、たんなるドラマではなくて、その裏側にある社会背景とかへの視座ですよね。政治史では、誰が誰と手を組んで、誰を殺したとかは前提として明らかにすべきことで、そこが目的なんではなくて、それらのアクターはどのような政治的・経済的・社会的(あるいは文化的でもいいかも)な背景と利害を背負っていたのかが大事なんじゃないですか。一緒になって、政局の裏側をああでもないこうでもないして、「普通に史料読んだらこうなるだろう」とか言ってたら、レベル批判してる相手と同じじゃないですか。だいたいふつうのひとは「普通に」読めないよ。臆断で決め打ちしちゃうよ?社会背景とか全部理解して、社会史やってきて人間感覚も優れてる著者だから「普通に」史料を読めるんで、素養のない素人には絶対無理でしょう。そこは、当時の社会背景とか、価値観とか、人間の感覚とかを総合すると、このように読むべきで、参照軸が足りないよ、と諭すべきなんじゃないですかね。
 あと、全般的に、「Aだろ、Bだろ、はい論破」的な感じで、ちょっと『中国化する日本』っぽさも感じるんですよね(著者お二人の学年同じくらいだな。むしろ編集の問題か。太字とか。)。俗説を斬るのは良いし、それ自体は別に間違っちゃいないんだけど、それに対して、自説をどうやっても揺るがない無謬のものみたいな感じで出して、「どう考えてもこうなるだろJK」みたいな。謬説をぶった切るまでは良いんだけどなあ。その先にでてくる代替案がどうもね。結局、動機の議論だしなあ。

 というわけなんで、違和感を感じたのは著者の人間観かもしれません。だいたい、出てくる歴史上の人物を常識がある、それなりに論理的な人間として取り上げてるんですが、実際、人間そんなに常識やら論理性ありますか?だって、ワタミの社長が議員先生やってる国だよ?他にもヘンなのがウヨウヨいて、信じられないような発言や行動をしまくってるじゃないですか。ツイッタの狂ってる度すごいでしょ?21世紀の日本がこれだよ。昭和初期の新聞とかいい感じで狂ってるんですよ。本書で出てくるマッドネス、秀吉くらいですけど、中世日本なんてそんな生っちょろいわけ無いでしょう。ほんまもんの狂人だらけ、というかなんか狂いそうな社会だな、という気がしてるんですが、そうすると、「常識的に考えて」というのも、それらしいけどそうかなあ、という感じになっちゃうんですよね。とくに政局的な話だと。まあ、これは経験主義的に考証せざるを得ない歴史学のネックなのかもしれませんけどね。だからこそ、読みきれない動機ではなく、構造の方を重視してきたんじゃないのかな。つっても、一時期のマルクス主義歴史学だいぶ荒唐無稽だから、こういう「常識的に考えて」アプローチで説明するのもおかしいのかもしれん。…「生き生きとした人間模様」とかどうでもええやん、とか昭和史論争の逆やんな。

 著者の「ちゃんと学術的な内容のものを読めよ、バカ」「普通に考えたらこうだろ、バカ」「バカにもちゃんと言ってやんなきゃだろ」という主張はわかりますが、そんなん無理やろ、バカはそういうの読めないからバカなんだし、バカにバカって言ったら角が立つやんけ、つか論理とかないんやからバカにバカいうたらムキーってなって普通に危ないか、向こうが謎の勝利宣言して終わりやん。バカのとこに降りても動機で議論してもしかたなくね、と、ここまで書いて気づきました。あ、そうかこの本のターゲットは、バカじゃなくて、「ちゃんと学術的な内容のものを読めよ、バカ」といいたい専門家じゃないヒトだったな、そうかじゃあ、良いんだ(納得

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

誰のために書くか

岩波『思想』で、グローバル・ヒストリーの特集やってました。

思想 2018年 03 月号 [雑誌]

思想 2018年 03 月号 [雑誌]

つっても、岸本美緒「グローバル・ヒストリー論と『カルフォルニア学派』」しか読んでないけど。もう痛快。痛快なんだけど、モニョるところがないわけでもありませんでした。

ポメランツとか、フランクとか、結局、誰を対象に書いてるかといえば、英語しかできない、あんまり世界が広くないアメリカのインテリさんを相手にしてるんであって、世界全体のシノロジストとか経済史家とかを相手にしているわけではないんだな、ということがよくわかりました。

そういう意味では、ドイツの人が言うグローバル・ヒストリーとか、イギリスの中国史研究とか(フランスはしらん)と、ちっともかみ合わないのは当然だし、よくわからんけど蓄積がやたら厚い日本の支那学・東洋学の人たちが、「グローバル・ヒストリー」を実証性に欠けるっつってバカにするのも仕方ない、というか、顧客が違うんだからしゃあないやん、という話なんでしょう。

グローバル・ヒストリーの可能性

グローバル・ヒストリーの可能性

この話は、昨今話題の、科研費でやった研究は誰のものか、みたいな議論ともかかわるんだけど、研究が行われる社会のニーズを無視して、研究者の趣味だけで研究が進むっていうのもあんまりない気もするんですよね(地域社会論だって、80-90年代の日本の状況が反映してるんじゃ…)。研究者も社会で生きてる人間だし、カネも取らないといけないし。以下のようなカリフォルニア学派に対する批判も、中身はその通りなんだけど、彼らもアメリカ合衆国というバカばっかりの(バカしかいない?)国で生きてかないといけないので、英語ではできないよな、という話なのかもしれませんね(日本語とか中国語ならいくらでも言えるし、それなら多分先方も実証性をめぐる議論とかで受けて立ってくれる気もする)

18世紀以前のアジア、特に中国の先進性を強調するカリフォルニア学派の主張が現在なぜ影響力を拡大しているのか、を考えてみる時、20世紀末以降の中国の経済成長、大国化という事態がその背景にあることは否定できないであろう即ち、水島司が前述の説明で、「東アジア諸地域の急速な経済成長や、中国やインドの近年の経済大国化という現実の世界での劇的な変化」をグローバル・ヒストリーの背景として指摘している通りである。このような問題関心は、とくにフランクの『リオリエント』などには、はっきりと表明されている。とするならば、「既知の結果」から出発して歴史の中にその原因を探る、という点では、「西洋の勃興」に関する旧来の通説とカリフォルニア学派との間には、それほどの違いはないといえるのではないか。両者の違いは、方法の相違というよりも時勢の変化に規定されたもので、今後もし、新たに勃興する地域が出てくるならば、その地域の歴史のなかにその原因が探られることになるのであろう。そして、歴史学の関心の焦点は、いわば現実の強者・勝者の後に追随してめぐってゆくということになるのかもしれない。(岸本、89ページ)

まあ、科研費いらんやん、と言い切った論者だからなあ、という気もするが…。しかし、スポンサーがいるからね、という話は、本来は学究としてはおかしいよね、と言うのは正論すぎる正論ですが、一方で読者はいるわけだし、狭義の専門家のなかで支持を受ければ良いというものでもないのでしょう(しかし、支持されてないのは言語道断。「学界の連中はわかってくれない」とかダメだろう)。グルグルまわっているんですけど、学術研究の成果(特に人文・社会科学)はスポンサー・読者と、狭義の専門家の理解をバランス良く獲得していくしかないんだろうねえ、というヌルいことしか思いつかないのでした。それができるヒトはあんまりいない。岸本美緒先生はその稀有な例外なんでしょうけど、でも新書はないしねえ…。リブレットがあるからいいのか。でも市定は偉大だったね、がファイナルアンサーなんかな。しかし、今上が若い頃に取り上げても雍正帝現代日本では別にメジャーじゃないしな。あ、それとも、「そういう余計なこと考えないで分析すんのが研究者だろ」という話かね。そうするとウェーバーに戻るのか…。100年変わってないんですかね、この世界。

読者のほうとしては、出て来るものを楽しく読んでればいいので、気楽なんですがねえ。


グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

グローバル・ヒストリーとは何か

グローバル・ヒストリーとは何か

大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―

大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

『塩とインド』感想追記


まあ、こういった言及を受けて慄然としたんですけども。まさに一年塩漬け。すいません…。でも、書いといてよかった。読み返したら楽しいというか、刊行当初とはちょっと受け取り方が変わって、新しい発見もありました。ほんと勉強になったというか、いろいろ見る目が変わった気がするので、ありがたいことです。

ところで、インドの金融なんですけど、あれ「近代的」なんですかね。まあ塩切手とかはそれっぽいなとは思うんですけど、投資の集め方としてはあんまり中国と変わらんで小規模(大規模な蓄積ができない)というか、やっぱりイギリスとかオランダの集め方とはだいぶ違うよな、という気がしました。結局、集めた金もザミンダリーになって土地にしちゃうわけだし…。あと、金融商品への投資にかかわってるの、やっぱり金持ちだけですよね。この点は、貧乏人でも株買っちゃってバブル起こしまくるイギリスやオランダとの違い(決して「欧米との違い」ではない)だと思います。

あと、『塩とインド』読んででいまいちわからなかったのが経済規模です。岡本隆司中国経済史』だったと思いますけど、身売りした未亡人が数元もらって生活立て直すみたいな話があって、かなり零細でも経営が廻る証拠みたいなことが書いてあった気がする(確認してません)が、インドだとどうだったんでしょうかね。構造的にはよくわかったんですが、塩商人の上と下の規模がよくわかんないな(でもそれは、『塩とインド』の守備範囲とは違うよな)、という感想を抱いたのを追記しておきます。

投資社会の勃興―財政金融革命の波及とイギリス―

投資社会の勃興―財政金融革命の波及とイギリス―

読書:『日本と中国経済』

梶谷懐『日本と中国経済:相互交流と衝突の100年』(ちくま新書、2016年)

 2007年毒入り餃子事件のあと、2010年に人民共和国のGDPが日本を抜いて世界第2位になり、土管にハマる少年とか、監視カメラに映った種々の犯罪などの映像がニュースに流れるようになったころ、中国モノの本は何か増えた気がしてて、ツイッタなんかを中心に色々論客が出てきてました。その後、爆買いブームがあって、それが落ち着いて昨年あたりから、一気に中国モノの書籍やツイッタでの中国関連についての言及は減った気がします(たまに習近平袁世凱論とか燃料は投下されはしますが)。その落ち着き始めた頃に出たのが、本書です。いやまさに、ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛ぶんだな、と実感しました。中国の経済的影響力の現出が誰の目にもあきらかで当然のものと映ったときに、決定版が出たわけです。…ヘーゲルなんて読んだことないけど。
 というわけで、内容を紹介します(新書なんで、内容紹介すんのが良いんだかどうか知りませんが)

はじめに
 本書は政治と経済の関わりについて、日中間の「経済交流」と著者のご専門の中国経済から見ていくという本書の軸が書かれてます。短い。

第1章 戦前の労使対立とナショナリズム
 1 中国の近代化とナショナリズム
 2 近代中国経済が不安定な理由
 3 在華紡のストライキの背景
 4 在中日本人のなかの捻じれ

 辛亥革命から2018年で107年目(要するに台湾では民国107年)になります。辛亥革命については、フランス革命みたいにあんまり断絶か否かが議論になってない気がしますが、いずれにせよ、本書は、意識的かどうかはわかりませんが、辛亥革命が起点になっています。
 この章の軸になるのは「在華紡」でのストライキという、中国近現代史(近代史でも現代史でもないんだな、これ)のひとつのハイライトです。これ、その筋の人にはスーパー有名な事柄なんだけど、絶対世間で知られてないよな。「在華紡」ちゃんとグーグルでもIMEでも変換候補にでるけど。
 在華紡というのは、日本資本の中国で操業してた(「在華」)紡績工場のことで、当時からこの呼名があります(戦前は、中国の略称は「中」よりも「華」とか「支」が多い)。在華紡は外資ですから、中国資本の紡績工場(「民族紡」)と競争することになります。民族紡は、おおむね合股制(無限責任・短期出資金持ち寄り)で資金を集めていたため利益配当率が高く、資本蓄積ができないという問題がありました(初期の英・蘭東インド会社みたいですな)。一方、企業・工場所有者と経営者を分離する租廠制度(レンタル工場制度)が一般的で零細業者の参入が比較容易でした。ただ、所有者も経営者もあんまりリスクを取りたくないからこの経営・所有の分離が起こってるわけで資本を蓄積して新しい技術を導入みたいな方には行きませんでした。加えて国家権力による法規制などが機能していないため、契約は二者間の信用に依存せざるを得ず、やはり技術革新への投資ができませんでした。
 しかし、民族紡は在華紡とはことなり太糸でざっくり編む「土布」という中国農村部などで人気のある布を作ったりしていたため、在華紡とは鋭く競合せず、棲み分けが起こっていましたし、技術協力とかもあったんで経営的には対立してるというより、「ウィン・ウィンの関係」(p.36)だったんですが、当時の政治状況においてはそんなことはどうでもよいことでした。
 在華紡に限らず戦間期の工場はどこでも労使間の対立を抱えていたんでしょうが、在華紡の労働争議には中国共産党も関与して、「反帝国主義資本」のための闘争に読替えられていき、さらに日本製品ボイコットなどと組み合わされて日本をターゲットにした運動に変わっていきます。在華紡関係者はこれを労使対立ではないと誤認して強硬策にでて反感を抱かれたりしています(ありがち。こういうときは労働者にアメを与えて離反させないとだろ…JK(古い 「常識的に考えて」であって「女子高生」ではない)。
 さて、本書は労働争議が在華紡で頻発した理由を在華紡の日本型労務管理に求めています。民族紡(と言うか、当時の、あと21世紀初頭の中国の工場でも)では、人集めは包工頭というのが請負でやっていて、給料のピンはねもする代わりに会社との交渉をやってくれたり、全体的にゆるっと働けたのですが、在華紡では工場が直接労務管理を、日本式にやっていて、労働者側がだいぶ不満を溜め込んでいた、という話が書かれています。社畜文化の輸出ですな。何も変わってないね、この国。
 あと、在華紡で中国人役付き労働者が、中国人一般労働者を締め上げちゃうんで恨まれてるんだけど、同じ構造が今もあるよ、と書かれていて、買弁階級乙。英語を話す中国人乙。
 結局、日本の方でも、支那は生意気だという話になっていき、日中戦争とあいなるわけでございます。
 この章で引っかかったのは、在華紡と民族紡のウィン・ウィンの関係は、経営者には利益があっても、普通の人にはその利益が還元されてるかわかんないよな、というところです。昨今話題のアンチ・グローバリズムというか、経営者たちってのは、国際的な資本提携やっててウイン・ウインなんだけど、それがナショナルなところに落ちてくるのかといえば、落ちてこないわけですよ。むしろ、海峡植民地の金持ち華人みたいにイギリス人と仲良くやってて英国籍とっちゃったりしながら、華人労働者を使い倒すみたいなのがいるわけで。そう思うと、経営上の利益がナショナリズムに押し流されるのは、その結末が悲劇的であったとしても、一概に否定は出来ないんだよなあ、と思ってしまいました。

第2章 統一に向かう中国を日本はどう理解したか
 1 国民政府の成立と日本の焦り
 2 満州事変以降の路線対立
 3 新興国としての中国への態度

 蒋介石率いる国民政府下での経済政策の成功が扱われるのが本章です。これは、ここ20年位の民国研究の進展によるもんですよな。なんか、「民国にいい評価を付けるとは何事が、この反動め!」みたいな書評がある若い人が書いた民国史研究の書評に会ったみたいな話を仄聞して、近現代史ほんと怖えな、と思った事がありますが、時代は変わったんですね。
 基本、1930年代の財政制度の話です。まずは民国前半の雑種幣制は、実際には袁世凱銀元を軸にする銀本位だったのでバラバラでもない(これ、黒田明伸『中華帝国と世界経済』じゃないんですね…参考文献に入ってなかった)とか、外交交渉による関税自主権の回復や財政の中央集権化、浙江財閥との協力でおこなわれる国内債の発行(これ、岡本隆司『近代中国と海関』ですね)など、宋子文を中心とする国民政府の財政当局について高い評価を与えてます。さらに、国民政府は、1930年代前半の景気冷え込みに対応すべく幣制改革を断行して管理通貨制度の移行し、経済のV字回復を達成します。
 一方、日本は中国のナショナリズムを嫌い(支那のくせに生意気だ、とジャイアンじゃあんめえし)、満鉄を軸に中国東北部への投資を強化し、さらに満州事変とその後の満州国建国によって中国ナショナリズムと決定的に対立していきます。この日本の強硬論の背景には、金融恐慌・昭和恐慌など日清戦争あたりからずっと続いてきた経済成長が曲がり角を迎え、危機感が横溢していたことが指摘されています。また、戦争が投機のタネになっており、あまり深刻に捉えられていないことも指摘されています(まだこのころは(中世以来)日本本土が戦場になったことないんで当然ですよね)。
 ただ当時の日本には選択肢がなかったわけではなく、たとえば財政緊縮or積極、植民地拡大or対外貿易新興、社会主義者のなかでは当時の日本経済失速の原因を前近代性の残滓とみる講座派or社会主義実現を主張する労農派など、論争が色々ありました。
 とくに日中関係において重要だったのが、幣制改革に成功し、政治経済に於ける統一を進める中国をどう見るか、という論争=「統一化論争」でした。著者は、この時の対中認識を、①どうせ中国は遅れたままという「「脱亜論」的中国批判」、②中国もそれなりにうまくいきそうだからビジネスやっていこうという「実利的日中友好論」、③共産党が新しい中国を作ろうとしてるんだから、停滞なんてしてないし、ビジネスとか帝国主義的でダメという「「新中国」との連帯論」の三つに纏めています。結局、1930年代の日本は①のほうへ流れ、長江流域・沿岸部への軍事的進出を本格化させていくのですが、現在でもこの類型が利用できるとします。

第3章 日中開戦と総力戦の果てに
 1 日中戦争の開始と通貨戦争の敗北
 2 「総力戦」がもたらしたもの
 3 日本の敗戦と国民政府の経済失政
   
 1937年の盧溝橋事件で始まる日中戦争において、日本は占領地に傀儡政権を置き、日本円と等価交換可能な現地通貨(占領地ごとに傀儡政権が違い、通貨の名称も違う)を発行して、日本円経済圏に取り込もうとします。ところが、日本は、現地通貨については乱暴に言えば日本側の銀行の通帳に金額だけ書いとけばいくらでも発行できるようにして軍費調達に利用します(ドラえもんの円ピツみたいだな)。こうすると日本円は1銭も発行されないので日本本土ではインフレになりませんが、占領地ではハイパーインフレになります。これに対し、国民政府のほうは自国の貨幣である法幣の流通量を抑制したり価値の維持に努め、さらに日本占領地域でも価値が維持されている法幣を利用することが多かったために、貨幣戦争は国民政府のほうに軍配が上がります。
 1941年12月、日本はアメリカに宣戦布告をすると、上海租界が日本のものになり、中国経済は「有機的なつながりをズタズタに切り裂」かれます(p.110)。蒋介石が日記で書いているように、対日宣戦布告と大東亜共栄圏構想に基づく南進政策の本格化はアメリカのみならず東南アジアに縄張りがある英仏蘭など、ドイツ・イタリア・ソ連以外のすべての列強を敵に回してるのと同じで戦局的には日本の負けは運命的になっちゃうわけですが、やってる当事者はそれどころではなく、上海租界が日本の手に落ちて以降は、国民政府のほうも財政は火の車、法幣もインフレしまくり経済はボロボロになります。徴兵・徴発は立場が弱い農民にしわ寄せが行きまくり、国民政府は日本に勝つには勝ったが国内の不平不満は頂点に達し、戦後の国共内戦で装備などでは劣勢の共産党に逆転勝ちを許す前提が形成されてしまいました。
 国民政府の失策は戦後も続きます。日本占領地を接収した際に日本側傀儡政権が発行した通貨を回収し法幣に交換して周りますが、その価値を低く見積もりすぎ、いやいや傀儡政権通貨を使っていた民衆を敵に回します。敵の通貨だろうがなんだろうが自分の通貨に対して「そんなん価値ねえよ」と言われりゃ頭にも来ますよね。また、国内産業は戦争で被害を受けていましたがアメリカは貿易バンバンやろうといってきたもんで、色々輸入するんですが売るもんがなくて貿易赤字ばかりが増えます。かくて中国の人々の指示を失い、アメリカにも呆れられた国民政府は共産党に破れ、台湾へ逼塞するのでした。
  

第4章 毛沢東時代の揺れ動く日中関係
 1 中華人民共和国の経済建設
 2 「政経分離」と「政経不可分」との対立
 3 文化大革命期の民間貿易
 4 国交回復に向けて

 1949年に人民共和国の成立が宣言され、国共内戦共産党の勝利に終わると、中国の経済構造は大きく変わります。国民政府系金融機関や旧満洲国の鉱工業は国営になり、朝鮮戦争に伴う軍需増加により、それ以外の私企業も国との関係が密接になります。さらに1950年代にはいると私企業の国営化、農業集団化が進行しますが、初期を除き、中央の財政統制は行われず、むしろ地方政府が一定額を上級政府に上納するという形になっていきます。
 米ソ冷戦にともない、中国と西側諸国の貿易もだいぶ抑制されることになり、当然、日本と中国の正式な国交は結ばれませんでしたが、両者は民間貿易を通じて経済交流を模索します。はやくも1950年代から日中相互に相手国で見本市を開催しています。
 ただ、両者の経済交流は、岸内閣が東南アジア諸国や台湾の中華民国との関係を構築していくなかで、中国側に不信感をもたれ、微妙な空気が流れます。これは、日本側は基本的に「政経分離」を原則としたのに対して、中国側は「政経不可分」を念頭においていたからです。とくにこの時期、毛沢東の独自の社会主義経済建設が進められて、相対的に日本との関係改善を否定しない周恩来の政治的地位が後退したため、中国側の態度が硬化していたことが背景にあるのではないかと示唆されています。加えて、長崎国旗事件という、[reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/1089/1/v6p11_qi.pdf:title=長崎浜町のデパート(浜屋中華民国在長崎領事館がやらせたって話だけど(PDF)] ホントなら大成功やん)で五星紅旗が引きずり降ろされる事件が起こると、鉄鋼・化学肥料などで進められていた長期・大量契約が保護になってしまい、日中経済交流は一旦頓挫しました。
 1960年代にはいり中ソ大陸が深刻化すると対日貿易抑制も解除されます。貿易のにないては日本共産党なども噛んでいたため、文革に対する評価にともない日本側も色々ゴタゴタしますが、日本側が中国側の要求を飲む形で貿易自体は増加傾向を辿ります。このときにできているチャンネルが1972年の日中国交正常化を前提を形成していきます。
 アメリカはベトナム戦争泥沼化に伴い、ニクソン大統領は就任(1969)から大統領補佐官キッシンジャーとともに共産圏との関係改善に動きます。1970年の国連における人民共和国の中国代表政府認定決議は決定的だったのかもしれません。1972年、ニクソン大統領の北京電撃訪問により米中関係は大きく代わりました。これにともなって、1972年9月田中首相・大平外相の北京訪問、日中国交正常化、台湾との断交と相成ります。(本書では1972年3~5月に中国側から調査団が来て色々交渉していることが示唆されていますので、べつにニクソンショック(ドルじゃない方)→慌てて日中国交正常化、という話ではなかったのが味噌です。また、この日中国交正常化を推し進めたのは毛沢東周恩来(と一部廖承志など担当者)だけで、中国国民世論の支持を受けたものではなかったトップダウンのものだったので、あとで中国の人々の中ではわだかまり反日感情が残り、その後の日中関係に影を落とします。
 この章で、国交正常化以前の貿易関係について紹介して、そこに国交正常化に至る交渉のチャネルの存在が示唆されているのはとても重要だと感じます。どうも政治史界隈は、佐藤がどうの、田中がどうのという話になりがちですが、それだけでは外交は動きません(それが重要でないとは言いませんが)。この間、BSでやってた「日中“密使外交”の全貌」でも、佐藤榮作がやってた対中交渉の話が出てて(すっごくおもしろかった)、色々水面下で探り合うチャネルがあって外交交渉はやってるんだよな、ということを気づかせてくれます。この辺の話は2010年代になってから整理されたんですかね。昔読んだ本にはあんまり書いてなかった気もするがなあ(ちゃんと読めてないダケか)
 そういえば、ドルのほうのニクソンショックと、米中国交正常化は大きな文脈では関係ある気もするなあ。米ソ冷戦のほころびというか。

第5章 日中蜜月の時代とその陰り
 1 市場経済へと舵を切る中国
 2 緊密になる日中経済関係と対中ODA
 3 天安門事件による対中感情の動き
 4 「日中蜜月の時代」の背景
 中国の対日貿易が拡大するのは、1978年に訒小平が実権を握り、改革開放が進んでからでした。要するに四人組が消えないとダメ、という話で対外貿易増やすぞっつうのはやっぱり走資派なんだな。
 改革開放期の中国経済の特徴は、「政経分離」がなされていた、つまり、共産党の政治的権力の独占が続いているのに、市場経済へ移行するという、一昔前だと不可思議なところにあるといいます。改革開放においては具体的には、農業生産責任制開始、国有企業の経営者の裁量拡大、地方財政請負制開始、中国人民銀行中央銀行にし、商業銀行を別途設立するなどが行われ、全体としては地方政府が地方経済へ積極的に介入して、銀行や不動作業者と結びつき積極的に投資を行っていくかたちになっていきます。これをやると、経済成長はするのですが、地方政府が無理に投資しまくり、マネーサプライが伸びまくりになるので、80年代末にはインフレ年率20%を記録します。で、これが経済政策の担当者趙紫陽の失脚とその後の民主化運動につながるのはまたあとの話。
 対外貿易も開放的になり、経済特区での貿易の拡大、外資導入の枠を広げ、農民工などの安い労働力をつかった労働集約的軽工業産品を輸出するという比較優位原則を地でゆく構造ができあがります。
 この頃の日中関係は、訒小平の訪日(新幹線乗って喜ぶて、西太后か)などにもあるように基本的に良好でしたこれは、アメリカ・ソ連とも微妙な関係の中国にとって日本は付き合いやすかったからでした。この頃の経済担当者は、胡耀邦趙紫陽で政策については少し異なるかもしれませんが、国際主義・市場経済を重視する政治家だったように見えます(そこまで本書では書いてませんが)。このころの中国の言い方は、「日本は近代化の先輩」みたいな、日清戦争直後みたいなことを言って、褒めてくれるわけですが、ちょっと前に日本を冷静に見ようみたいなヒトはこれに影響を受けるというか、日本の褒めるとこはそこしかないというか、すぐに「日本は明治維新が上手く言ったのに、中国がダメだったのはなぜだ、侍がいないからか」とかよくわかんないこと言い出すので、これもあんまり中身のない定型表現なんだな、ということを思い出したりします。
 当時は日中経済関係も良好でした。これは、日本と中国で競合する製品はなく、貿易不均衡が問題にもならず、くわえてODA(とくに長期有償援助、いわゆる円借款)も拡大します。日本にとってODAは二次大戦の戦後賠償としての意味もありましたが、同時にアジア地域の経済復興・成長を促進し、高度経済成長を迎えていた日本の工業産品の市場拡大としての意味もありました。
 このような状況を急速に冷え込ませたのがいわゆる天安門事件でした。趙紫陽は「解明的」な改革案を提示して共産党内の保守層の反感を買っていたのですが、加えて、前述の高いインフレ率=物価上昇の責任を問われます。保守派がここで経済政策を担当する事になりますが、金融政策について無知であって失策を重ね、スタグフレーションを引きおこしてしまいます。これが、天安門前で行われていた保守派批判を軸とする民主化運動の背景になります。天安門前の学生が鎮圧されたのち、趙紫陽は2005年まで生きながらえたものの、その存在は歴史から消されてしまいます(光緒帝みたいだなあ)。
 天安門事件は、ちょうどゴルバチョフが北京を訪れていたもので、世界中に緊迫した事態が中継されてしまいます。西側諸国は中国の強権的な態度を強く批判しますが、日本は素早く、中国を孤立させない、として経済関係は早期に回復しますが、日本世論の対中感情は著しく悪化しました。かくて、国交正常化以来の「蜜月時代」は終わりを告げます。
 この章では、天安門事件を経済的背景から説明していて、とても説得力があります。結局趙紫陽が祭り上げられたりしてるわけで、学生たち民主派が本当に民主主義を実現するつもりかあんまりよくわかんないんですよね。反体制ってそういうもんかもしれんけど。政権取ってから考える、みたいな。結局、香港の雨傘革命も台湾の太陽花運動も、経済的な背景があるので、政治と世論だけで考えるのは良くないということをよくよく思い出させてくれます。

第6章 中国経済の「不確実性」をめぐって
 1 さらなる市場化へ
 2 経済的相互依存関係の深まり
 3 中国共産党反日ナショナリズム
 4 中国経済はリスクか、チャンスか?
 
 お、表6−1の出典、書名が一部イタリックになってないですね(いやな性格。
 さて、1992年の訒小平の南巡講話といわゆる「社会主義市場経済」路線によって海外からの投資はふたたび活発になっていきます。また、地方に移譲されすぎていた財政上の権限を中央へ戻す改革を朱鎔基が始め、インフレ率を押さえ込むことに成功します。さらに非効率な国有企業の株式化や合併買収などで再編を行い、リストラを伴いながら、国有企業の割合を減らしていきます。ドル元為替レートの調整なども行い、輸出主導型への路をさらに進めていくことになります。
 日中経済関係は中国側の工業構造の変容もあり、緊密化します。1980年代には中国からは原材料や一次産品が輸出され日本からは工業製品が輸出されていました。ところが、1980年代の中国では工業化が進み、日本と中国は商品ごとに棲み分け、相互補完が進みます。さらに2001年の中国のWTO加盟以降は、日本から中国へ中間財(部品など)が輸出され、中国から欧米などへ最終財が輸出される、つまり中国の輸出が増えるほど日本の輸出も増えるという構造になっていきます。
 一方、日中関係は、中国における愛国教育の進展による反日感情の悪化、日本側の対中感情悪化により曲がり角を迎えます。具体的には日本では対中ODA批判と中国脅威論が結びつくようになり、中国では毛沢東周恩来が押さえ込んだ戦時中以来の反日感情共産党主導のナショナリズム教育のなかに組み込むことで、社会の中の不満と反日感情が結びつきやすくなります。この傾向は2005年の中国各地で起こった反日デモによって決定的になり、その後も続くことになります。そのまま、日本では、中国でのビジネスはハイリスク、という認識が刻み込まれることになり、2010年の尖閣問題などで両者の関係は冷え込んで行きます。
 日本での対中ビジネスのリスクは、「チャイナ・リスク」と呼ばれたりしますが、そのなかで問題になるのは、中国経済が不安定、日中関係が不安定という要素です。後者は上述の通りですが、前者については、従業員の賃金上昇が、日本企業にとっては問題だと考えられました(今や日本のほうが給料安いとか言われちゃうわけだけど)。また、地方政府がダミー会社をつかった「隠れ債務」が結構あって、これがそのうち問題になるのではないか、という懸念もあります。これを規則を上手くくぐり抜けて融資を獲得しているという意味で「したたかさ」と捉えることもできるかも知れませんがいずれにせよ先行きは不透明です。
 この章の最後に、中国経済全体のマネジメントのあり方が確認されています。中国政府は、AIIBや一帯一路政策を通じて、海外への投資を強化し、余った外貨を還流しながら新興国経済を活性化しようとしています。一方で、国内インフラへの投資による農村と都市の格差是正もかんがえているので、両者の「資金の奪い合い」が起こりかねないという懸念も示しています。
 この章の評価は少し難しいです。日中政治関係については基本的に世論の一時的な吹き上がりに左右されます。一方、経済関係は、だいぶ緊密になっており、これが分裂することはあんまり考えにくい、というのもわかります。で、中国経済は賃金上昇や対外投資、国内投資のバランスなどいろいろな要素があり、今後どう転ぶかいまいちわかりません。それはそうなんですが、じゃあ日中関係とその中国の状況はどう関係するのかな、という話なんですが、現状はわかるんですけど、今後はわからんなあ、といったままでした。まあ、先のことはわからんので、書き方としてはとても誠実なんですけどね…。

第7章 過去から何を学び、どう未来につなげるか
 シメに紹介されるのは現在の労働環境・対中認識・ダイナミズムの三点です。これは、第一章で取り上げられた100年前の状況と相似しているものとして提示されます。
 日系企業における労働環境はハッキリ言って悪いわけですが、この理由として、労働組合的なものがないことが指摘されます。つまり、政権を握っているのは共産党なので、実際の労組にあたる「工会」は上意下達機関にすぎず、さらに出稼ぎ農民労働者などはそこに救われることはほとんどなかったのです。民間のNGOで労働問題に感心を寄せても、そもそもNGOの活動は共産党に睨まれているので何もできず、ということになります。その意味では、労働者が不満をためこみ、それを例えば政府が反日デモとかに向けさせて誤魔化そうとすると、デモが暴走して、反日ナショナリズムが暴発したりするかも、という懸念を示しています。
 これに対し、日本の方は中国についてちっとも理解が進んでいないとします。たとえば、GDP統計は嘘だ、で済ましたり、AIIBは怪しい、と済ましたり、そういうことしてるとむしろ国際社会で孤立するのは(と言うか100年前にしたのは)日本じゃないか、と指摘します。
 ダイナミズムの方は、深圳の事例が紹介されます。深圳経済特区に指定され労働集約的なアパレル産業などの委託加工貿易で繁栄していた地域ですが、現在では中小企業が寄り集まって、技術知識を共有しながら、「安上がりなイノベーション」をどんどん出してゆく(その中には大当たりもある)、という構造が生まれています。これは、民国期の租廠制度を彷彿とさせます。一方で、当局の管理をすり抜ける技術やサービスもうまれ、これが不確実性を増す要因とみられる場合もあることを指摘して、可能性と不確実性を内包した中国経済の姿を描いて、本書は終わります。
  この章は、現状についての紹介で、本書が出版されて、まだ1年ちょっとしかたってないのに、「深圳万歳」とか言い出す変な若者(でも26とかだったよね?)とかでてきて、状況が変わっていて、評価が難しいです。元ネタになってそう(でも参考文献には入ってない?)伊藤亜聖『現代中国の産業集積』を読まないとかなあ、なんて思います(ところで、このかた著者名が孟子…)。


 というわけで、新書の紹介のくせに長くなっちゃってるんですが、本書はねえ、すごい詰め込んであるんですよ。1文も無駄にしない感じ。これ読むの大変ですよ。高校世界史の知識で読めるかなあ。なんか、最近の中国関係の新書、まだ難しくて、これではやっぱり素人には訴求しねえよな、素人はケント・デリカットギルバートの方行くわなと思ってしまいました。たとえばp.94には以下のように日本の勢力範囲内における経済方策がスッキリまとめられていて、その後内容が詳しく述べられるのですが、これを中韓の陰謀とかアベ政治とかに行っちゃう輩には理解できず、以下のように思うのではないでしょうか。
 「英米に対抗して自立的な経済圏を構築することを目指す」←わかる
 「日中戦争開始以降、」←わかる
「日本(軍)は中国大陸において複数の傀儡政権を押し立て、」←傀儡ってなに
「戦費を調達するために」←わかる
「日本円とリンクさせた」←リンク?ゼルダ
「現地通貨と流通させようとする」←現地通貨?流通させる?
いや、その後丁寧に説明されてるんでしょうけど、でも素人には難しいよなあ。なんか中国関係の話、本書みたいなすっごい詰め込まれた良書があっても、素人には遡及しないんですよね。まあ、学術研究ってそんなもんかもしれんけど、井上純一氏に漫画にしてもらうとかでもないと、中国理解はすすまんかもしれんなあ、なんて事はおもいました。(でも
「キミのお金はどこに消えるのか」
も文字が多くてどうかと思うけどね…(いや楽しく毎回買ってますが))

すこし、本書の内容に話をもどすと、在華紡におけるストライキのなかに、現在の日中関係との相似形を見出すんですが、これと似たような構図を歴史教科書問題でも見て取れたんですよね。中国で新しく整備されてく教科書が反日的だぞー、つって日本が吹き上がるわけで。でも、中国の教科書、今のはともかく、民国期のは結構抑えた記述で、自省に満ちてていい感じだと思うんだけど、どうせ日本で吹き上がってる連中は中身なんか見ていないからね。(川島真「日中韓歴史教科書問題」Nippon.com

 そうすると問題になってくるのは、相手のことを見ないで文句ばっかい言ってる人々の存在で、勉強してたりエリートリーマンみたいな高みから見てるとウィンウィンなんだけど、人民同士はよく知らんまま文句言い合ってるみたいな構図のような気もします。これが日仏関係とかだと人民同士が何やっててもどうでもいいんだけど、日中(あと韓朝)はすぐとなりで、一応、領土をめぐる問題も抱えてるんで、こまっちゃうナというところなんでしょうね。そうすると、問題は、日中関係というよりも、グローバル資本・知識人と、ナショナルな枠組みの中にくらす人民のギャップなのかもしれないなあ、という気もしてきます。
 じゃあ、中国関係の話を(中国では日本を)、どうやって上手く人民のみなさんにお伝えするか、有り体に言えば啓蒙するか、なんですけど、やっぱりメディアを上手く使うしかないんだろうな、と思ったりします。とはいえ、今の日本の対中感情、かなり改善したと思うんだけどな。梶谷先生が、『「壁と卵」の現代中国論』で毒入り餃子の話をされてたころとだいぶ違って、大陸のドラマとかもやってるわけです(比較的人気があった「宮廷女官 若曦」の主演の呉奇隆が台湾人なのはご愛嬌)。そう思うと、なんか「啓蒙」みたいのはなかなか難しいので、しっかり学術的に分析結果を蓄積して、たまに新書出して、みたいな感じで行くしかないんでしょうし、それを本当に着実にやってる梶谷先生、偉いなあ、と思います。(京大の明清史の先生とか、ちっとも新書書かないじゃん?岡本先生だけじゃん?)
 

「壁と卵」の現代中国論: リスク社会化する超大国とどう向き合うか

「壁と卵」の現代中国論: リスク社会化する超大国とどう向き合うか

熱狂と動員: 一九二〇年代中国の労働運動

熱狂と動員: 一九二〇年代中国の労働運動

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」

読書:『塩とインド』

神田さやこ『塩とインド:市場・商人・イギリス東インド会社』(名古屋大学出版会、2017年)

塩とインド―市場・商人・イギリス東インド会社―

塩とインド―市場・商人・イギリス東インド会社―


感想:塩に違いがあるのか!
いやこれ、「やさしお」使ってなんでも食べる雑食性のナマモノに違いなんてわかんない、という話ではなくて(もちろんわかんないんですが)、ブランド化された高級品ではなくて、安価な日常コモディティであるにもかかわらず産地の違いで流通状況が違うというのが、一番の驚きでした。

さて、一年まさに塩漬けにしたんですが、この本、全然知らない話のオンパレードなんだけど、いろいろ細かくて面白かったです。ミャー大出版会はうまいよなあ…。インド、ほんと知らん世界なんだけど、経済合理性がちゃんとあるんだよなあ。すげえなあ。第1部は塩専売制度をイギリス東インド会社がどうマネジメントしたのか、第2部では塩取引に従事してた商家が検討されます。以下、だいぶ端折ってますが章ごとの内容です。

序章
 インド史研究も、近世(「長期の18世紀」)と近代(1858年以降の「直接統治期」)の研究のはざまになってる19世紀前半がよくわかんないみたいなんですよね。で、もうここ20年はアジア間貿易論が流行ってるんで、アジア間貿易のなかでの塩の動きから空白の時期の実態を明らかにする、という本書の目的が書いてあります。
 塩税収入は東インド会社/植民地政府にとってだいぶ重要で、地税(50%)に次ぐ主要収入源(10%強)でした。でも、中国みたいに貨幣制度とか物資調達とかとリンクしてるわけではなくて付加税収だけが目的だったようです。

第一部(東インド会社の塩専売制度と市場)は専売制を運営している東インド会社視点です。
第1章:インド財政と東部インドにおける塩専売
 塩専売・塩税について制度的な説明がされています。インド財政は本国に吸い取られる分赤字だとか、東インド会社(EIC)は軍事力(会社軍)維持のための収入(+本国へ送る分)が確保できれば後は現地有力者に丸投げ、とか、専売塩の値段高めに設定して利潤を確保しようとするんだけど高すぎて密造・密輸塩が横行したとか確認されてます。
 あと、重要なのは、フランス領コロマンデルから入ってる天日塩で、EICが塩を確保出来ないときに輸入してるんだけど、これが質が悪くてベンガルでちっとも売れない、辺疆の普段から塩が足りないところではなんとか売れる、という状況になっていたと書かれていました。ここから本書では、塩の多様性が重視されるようになります。

第2章 東部インド塩市場の再編
 ベンガルにおける塩取引の実態が書かれています。塩は、河川輸送で流通して、塩商人は川沿いに蔵建ててるとか、現地の商人にも色々あるし、イギリス人やポルトガル人商人が参加しています。あと問題になるのは禁制塩なんですが、禁制塩にも密造したもの、余剰分、密輸したものがあったようですが、問題は密輸したやつで、中でもコロマンデル塩は質が悪いので良い(むしろ売れなくて困る)んですが、質が高い煎熬塩であるオリッサ塩が後で問題になります。アラカン塩はビルマ方面なので別。

第3章 専売制度の動揺:高塩価政策の行詰まりと禁制塩市場の拡大(1820年代後半〜36年)
 キモの部分です。
 ざっくり言うと、EICは流通量を抑制して塩価格を高止まりさせ利益を確保しようとしていたのですが、密造・密売塩が多く流通したため塩市場価格が安く、EICから塩を落札した商人が実際に引取にこない(引き取っても原価が高くなって売れない)ことすら起こります。加えて、EICが正規ルートで輸入していたコロマンデル塩の品質が改善して価格が上昇し、辺疆などではむしろ安い密造塩の流通が増える。加えて、EICはオリッサ塩の輸入もするんだけど、輸送費がかさむので値段を下げられず、利益も減る。アラカン塩も入ってきて、競争が激化し価格は低下。加えて、輸入塩を取り扱うヨーロッパ系商人がEICに色々要求をして、EICの塩専売・塩税収入はどんどん減るばかり。

第4章 専売制度の終焉:燃料危機、嗜好、そしてリヴァプール流入1840年代〜50年代) 
 ここもキモの続きです。
 インドの専売塩は、煎熬塩なので製造にあたって煮沸するので燃料が必要。薪が一番上質に仕上がるらしい(ほんと?)ので、薪が良いんだけど、足りないと当初は石炭をつかったりした。これは炭田開発などで可能になったが、あまり生産量は延びず、むしろ蒸気船の利用増加により石炭価格は上昇、アヘン戦争以降は蒸気船が軍用にも使われて、燃料価格はさらに上昇。塩製造費用が高くなりすぎ、また価格統制も出来ず。ここに追い打ちをかけたのが、リヴァプール塩の登場でした。石炭を使って煮沸する割には品質がよく、バラストにして持ってくるので輸送費も安いリヴァプール塩はベンガルを席巻。かくてEICは塩専売制度を放棄することになりました。

第二部(ベンガル商家の世界)は、経営者視点です。
第5章 塩長者の誕生から「塩バブル」 へ:1780年代〜1800年
 塩専売制度の開始は、上手く落札することで塩長者を生み出し、彼らは新興商人層を形成していきます。彼らの出自は特定の階層に求めることは出来ず、割りと多様だったようです。これは当時の社会流動性上昇を表してもいるようで、当時の社会的流動性の高まりは、EICが邪魔なザミンダーの活動を抑制したことにもよるとしています。塩は陶器商品となり、そのうち落札・支払証明だけが流通し投機対象となります。興味深いのは、この塩長者たちは、その後土地経営に進出し、むしろザミンダール化していくことですが、この塩が投機対象になっているうちは、カルカッタのエリートたちはみな塩に投資をします。そのため、塩バブルが発生したのでした。

第6章:「塩バブル」の崩壊とカルカッタ金融危機:1810〜30年代前半
 塩投機が盛んになり、バブル化が進むと塩価格は上がります。その結果、落札しても現金を用意できない場合が増えてきます。その結果、禁制塩流通が増え、塩価格は低下します。さらに落札分を受け取れない塩商人が増えます。さらに、1820年代末、塩専売当局の役人と商人が結託して、支払いをしていないのに落札・支払証明を受け取って居たというスキャンダルが起こり、落札・支払証明の価値は下落。塩バブルは崩壊し、経営不振に陥った塩商人が続出し、塩落札者の顔ぶれはバブル崩壊以前と全く様変わりしてしまいました。

第7章:変化は地方市場から:地方商人の台頭
1830年代前後から塩買付け人・塩商人はおおむね出身地域と製塩地域を結ぶ以前にくらべて小規模化した地元の有力商人によって占められていきます。その結果、取引構造は地域ごとに分かれ、価格傾向もバラバラになります。また、塩取引による利潤があまり見込めないので、ある程度の財を気付くと、官吏・弁護士・医者など英領植民地統治下で生まれたエリート職業に子弟を送り込んで行ったり、土地を取得しザミンダールとして土地経営を中心にして、塩取引から撤退する傾向がみられました。塩は投機対象としての魅力を失ったといえるでしょう。

第8章:市場の機能と商人、国家
 理論的な話になります。
 18世紀以前のインドの王権は、市場への介入などできません。EICも現地の反発と、コストを嫌うロンドン本社の意向があってやはり市場への介入はしませんでした。第一部にも見られるように、政府は経済の変動に対して受け身だったと言えるでしょう。
 一方、市場の方もバラバラでした。地域で価格動向はバラバラ、地域間取引とローカル取引の担い手もバラバラで、市場の統合は進んでいないとされています。

第9章:塩商家の経営:経営史的アプローチ
 ここ、だいぶ盛りだくさんです。
 まずはビジネスの単位として商家が取り上げられます。だいたいひとつの屋敷に済む三世代同居一族で、ひとつの商家を形成していたようです(財産分割で裁判沙汰になるので記録に残っている)。ビジネス・パートナーを選ぶ際にはカーストや血縁をあまり考慮していなかったようです。経営の特色としては、リスク軽減のための多角化垂直統合(生産者に生産費用を貸し付ける)、水平統合(同業者で価格調整をする)などが一般的で、加えて土地所有で地域市場の支配も図っています。中国と違って政府との関係、捐納で買う科挙資格などは必要とされてないですね。
 実際の経営の担い手は、ゴマスタと呼ばれた雇われ経営者・支店長がおこなっていました。自分の資本で経営するのではなく、商家からの報酬を受け取ってくらしており、当地の事情に詳しく、土地経営も担っていたようです。市場でブローカーとなっていたのがダラールと呼ばれる人々で、情報提供・仲介を行い手数料で利益を得ていたようです。EICは取引の邪魔だと目の敵にしていたようですが、著者は多様な商人を結びつける重要な存在だとしています。
 経営に際してカーストはあまり重要ではなかったようです。ただしバラモンが絡むと、バラモンに恥をかかせないように気を回す、というのがあったようですが。いずれにせよ、カーストを超えた「ドル」と呼ばれる社会的派閥が形成され、そこには多様な出自を持つ富裕層が参加していました。
 塩取引は、前述のように落札しても支払い不能になることがありましたが、このような失敗は不名誉であるとされ、塩取引で成功しても、塩取引からすぐに手を引き、EICの行政職やザミンダールへ移行する傾向が見られるとします。塩専売制度当初とは異なり、ザミンダールになった後、塩取引に参加することはあまりなかったようです。
 これらの経営者たちの競争のなかで紛争がしばしば起こりましたが、そのなかでEICは調停の主体として認められていきました。もともと異なったカーストの間では紛争・調停が避けられていましたが、「ヒンドゥー法」を“発明”していたEICは、ここまで紹介してきたようなカーストを越えた経営・競争・紛争を調停してゆくのに好都合な存在になったのでした。

終章では以下のように、本書の内容を位置づけています。すなわち、1830年代、EICは地域市場の管理を断念し、結果的に脱商業化を達成することになり、1850年代以降の立場を準備することになりました。また、この時期の塩バブル崩壊や不況は、商人をザミンダール化させ同時にEICの裁判所を利用する彼らには、むしろ「近世的反動」と呼ばれる、カーストや宗教による分断を再強化するような傾向が見られたといいます。つまり、厳格なカースト制度などを前提とする近現代のインドの社会構造を決定づけたのは、この1820−30年代だったともいえるのでした。

本書は、塩を通じて19世紀初頭のベンガルの社会経済の展開を手に取るように教えてくれます。はっきりいって日本語では類書はないと思います。結構マジでみんなに読んでほしい。ただ、おや?と思うこともないわけではありません。
たとえば、本書の前半はEICの話なんですが、史料は全部EICの内部文書だとおもいます。ということは、全部EICの担当者の目を通して見ているわけで、地域ごとに人気のある塩の種類が違う、とかカーストがどうの、とか全部EIC社員の認識なんですよね。この辺、現地語史料なんてないでしょうから、相対化できるんかなあ。
あと、専売制なんですけどそもそもEICはなんで専売制をやるんですかね。全体としては塩高値維持政策は無理、という話で、そりゃそうなんですけど、なんでその無理な政策やるのかな、という気がするんですよね。アヘンもそうですが。むしろ19世紀に入ってくると自由貿易主義とかに批判されてますよねえ。それでもなお、海峡植民地とかではアヘン専売やってるしなあ。まあ、これはインド史の話とはちょっとズレますが。
いまCiniiみたら、書評出てないんですね、この本。まじ?かなり面白いんだけどなあ。