どこまでもアリ

プノンペンです。今回で二回目の滞在になるホテル。前回は、客室を間違えられて、明け方三時くらいに起こされること二回、という苦い記憶。しかも二回のうち一回は、その手のお姉様でした。私が男だったらね…。

今回は何事もなかったものの、アリに悩まされておりやす。大きい赤アリがホテルにでることはないものの、小さいアリさん達がスーツケースや洋服をいったりきたり。行列をつくるわけでもなく、本当にランダムに出没。気づくと、服のなかや靴からでてきて、パソコンにも……。甘いものなんていれてないのに、不思議。

とりあえず、さ来週のインドネシアにも、日本経由で連れていかないように、気をつけます。

蛍とドイツ

あっという間に季節がすぎて、帰り道に蛍がみえる時期になりました。

帰り道に、ズラッーと「奈良ムジークフェスト」の看板が並んでいて、ずっと気になっていたが、先週火曜日に、その看板にはビニール製の袋が取り付けられていることに気づいた。「鹿が食べてしまうのできちんと閉めてください」というような注意書きに笑いつつ見てみると、中にチラシが。なんと、樫本大進氏がくるではないかっ!

樫本大進氏といえば、若くしてデビューして話題になったが、たまたま2001年にある財団がつくったCDをもらうことがあって、そこに彼の演奏がはいっていたのを覚えている。昨年ベルリンフィルコンマスに就任したと聞き、頑張ってるんだなぁ、とぼんやりと思っていたが、徒歩5分の会場にくるなら、ぜひとも聴きたい。で、次の日、会場のチケットセンターに電話したところ、前日にも関わらず、まだチケットがあるとのことだったので、同僚と仕事帰りにいくことになった。

演奏中にお腹が鳴っては大変、と軽くつまんでいこうか、という話になって、きたまちにあるハンバーガー屋さんにはいった。手作りのバーガーで、非常にボリューム満点。夏日だったせいもあり、ビールまで飲んでしまい、自業自得とはいえ、コンサートに行くには、かなり危険な状態で会場入り。

会場に着いてみると、満席でひと安心。だって、この人の演奏だったら、あっという間にソールドアウトになってもおかしくないと思うのに、前日にもまだチケット買えたから、ちょっと心配してしまいましたよ。私も鹿が食べてしまう、という注意書きがなかったら、スルーしてたかも。笑。

この演奏会、実はメインは、ミハイル・プレトニョフ指揮の「ロシア・ナショナル管弦楽団」。いやぁ、これがけっこうよかった。実は、ロシアの管弦楽団の演奏を聴くのは初めてだった私です。しかも、チャイコフスキーグラズノフ。逆に樫本氏のベートーヴェンに違和感感じるくらいロシアでした。しかも、最後には「白鳥の湖」。
THE ロシア。
白鳥の湖」も、バレエ以外で聴くのは初めてでした。バレエは2回観てるけど、これがおかしくて、人生で最初に観た「白鳥の湖」は、ロンドンで。これは、白鳥が男だった・・・。二度目はシドニーのオペラハウス。ここでは初めて「あ、こういう話だったんだ、本当は」と学んだ。で、今回は演奏だけだったけど、演奏も充分楽しめる内容になっていた。すごいなぁ、チャイコフスキーさん(そこ?)。来週から出張でしばらくロシアだから、良い予習となりました。
樫本氏もよかったですよ。ただ、当たり前なんだけど、落ち着いたなぁ、という感じ。なんだかベルリンフィルが後ろにみえました。はい。

で、最初に、何故この音楽祭名がドイツ語なのか、ということを知事が説明していらっしゃいました。「ドイツの大統領が奈良にいらっしゃいまして・・・」ええっ?理由、それ?!

アカダマの閉店

昨年末、奈良の老舗の喫茶店アカダマが閉店した。長く、この事実を受けとめられなかったが、今日、アカダマで購入した最後の珈琲を淹れて、自分なりの区切りがやっとついた。どーーしても、最後の1杯が飲めなくて、悪くなるのはわかっていながら、今日まで先延ばししていた次第である。

最初にお店にいったのは高校生の時。高校生ながら愛読していたサライか何か旅の雑誌に載っていたのが、最初のきっかけだった。大学で関西に来たのを機に、毎月珈琲豆を買い、お茶をするために通った。もうこの頃には注文するものも決まっていて、キームンを飲んでいた。マスターの淹れ方がまた絶妙なんである。珈琲豆を買った日は、同居していた友人たちとともに、挽きたての珈琲を楽しんでいたのもいい思い出である。

大学院で東京に戻ってからも、機会をみては通っていた。一昨年、念願かなって、やっと奈良に引っ越してきて、再度通い始めたところなのに、一年しか猶予がなかったのは非常に寂しい。

時がたつにつれ、なくなっていくものがあるのは仕方ない。十数年馴染んできたこの味を忘れることはないと思いつつ、それでも私も、じきにいなくなるのも世の中というものである。これから一年、次に桜が咲くその時まで、やるべきことをやる、と決意しつつ、ふと会津八一を思い出し、改めて奈良をもっと楽しもうと思う春。

あめつちに われひとりいてたつごとき このさびしさをきみはほほえむ(会津八一)

仲麻呂の月

天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に いでし月かも

いわずと知れた百人一首にでてくる阿倍仲麿(阿倍仲麻呂)の歌である。唐へ渡り、科挙試験に合格し、玄宗皇帝の信を得て登りつめた仲麻呂は、さぁ、帰ろう、と思ったら今度は帰国許可がおりない。何度かお願いして、やっと帰れることになったが、今度は船が難破して安南へ流れ着いてしまう。恵まれた才をもつ努力の人で、難破しても生き残る強運の持ち主であるようなのに、悲劇の人である。

平城宮から東を臨むと、大仏殿と三笠山がみえる。阿倍仲麻呂が、思い出した月は、いつの季節にみた月で、何時くらいの月で、どんな月だったんだろう、と時々考える。夕方、生駒山のむこうに夕日が消えて、まだ薄明るい中、ぼんやりと薄くみえるあの月か、凍える漆黒の冬空に、冷たくかかるあの上弦の月か。もちろん、遣唐使の航海の安全祈願は春日であったというから、そういう意味もあっての歌なんだろうけど、ふと空をみた時に、素直に心に残る月だったのかもしれない、と妄想する。興福寺境内くらい近いところから振り仰いだんだろうか、それとも、平城宮くらいの位置から遠くみたのだろうか。

唐でみる月も同じ故郷にでる月と同じ月。ものすごい遠くまで来てしまっていて、何もかも違っている土地なのに、見上げるあの月は同じ。実は、奈良に来るまで、その感覚がよくわからなかった。というのも、私が故郷では、そんな心に残っている月がなかったからである。高層ビルの隙間にみえる月、というのはあったが。お、きれいだな、とは思っても、そんなに印象に残らなかった。ただ、今夜、三笠の山にでた満月をみて、ふと仲麻呂を思い出した次第である。

平城宮出土の瓦をみて、この瓦は仲麻呂が歩いた時、上にあったのかもしれない、と想像する。ベトナム北部で出土した安南の時期の瓦をみて、これも彼と同じ空間にあったかもしれない、と思う。物質は変化するものだから、彼のみた何かと私のみた何かは同じものではないけれど、1300年後の私たちも、やはり、ふと足をとめて月を仰ぐ、そんな瞬間がある。

【東福寺】水を司るもの


ベトナムからのお客様を連れて清水寺東福寺、東寺へ。普段なら、私の方から簡単な歴史紹介をするところだが、今回は木材専門の先生が同行しているので、私も一緒に歴史的建造物の木材について講義を聞く。うーん、面白い知識ばかりが増えていく今日この頃・・・。
東福寺は、たまたま国宝の三門が公開中。上に登れる、ということだけかしら、と思って登った私は大馬鹿者です。棟高22メートルに達する門の二階には、お釈迦様が悟りを開いた瞬間と、極楽浄土が展開していたのです。全く知識なしで挑んだ東福寺だったので、大仏様式のドドーンとした門の中に、あんな世界が存在するギャップに目を見張った次第。
建物内では、ご案内の方による説明が定期的に行われていて、仏像、天井画などを丁寧にご説明していただけた。天井画は、明兆とその弟子によるものらしいが、龍や迦陵頻迦などの想像上のものたちが生き生きと描かれている。実は、日本で描かれるマカラを初めてみた。マカラはヒンドゥー教にでてくるが、ジャワの遺跡でも門などの装飾に使われたりする、魚のような鳥のような想像上の生き物である。水を司るものでもあるので、どうやら火除けの呪いとして描かれたらしい。これが日本ではよく建造物の棟上にある鯱に転じたらしいが、まぁ、そのへんはどっかに研究している人がいそうだ(と人任せ)。ぱかっー、と口を開けて、なかなか、かわいい。
写真は有名な通天橋の奥にある開山堂。銀閣寺を少し思い出させるような佇まいながら、画期的な二階の構造が珍しい。紅葉の時は、1日数万の人が来ることもあるらしいが、人がいない時こそ楽しみたい東福寺でした。

【萬福寺】インゲンさんのお寺

出張、出張、海外からのお客様、そして出張、という今日この頃だが、その隙間(?)をぬって、東京から友人が1泊だけやってきた。「どこ行きたい?」と聞いた私に、「岡崎に中華寺院が確かあったよねぇ」との言葉。え、そんなのあったっけ?と首をかしげる私に、「あ、違った。黄檗だよ、黄檗」と彼女。うーん、先月長崎に行った時に、そういう漢字見た気がするけど・・・とググッてみたら、京都の宇治市にありました。萬福寺。最寄りの駅は黄檗黄檗宗大本山だそうです。長崎にあったのは、興福寺と、崇福寺だった。えらい福々しいね。
開創したのは17世紀に日本に渡来した隠元禅師。そう、あのインゲン豆をもたらしたといわれている中国のお坊様です。これはやっぱり、寺院周辺では、インゲン豆の料理が食べれるのちがいないよ!と向かったが、もちろんそんなことはなく、どうやら有名なのは普茶料理といわれる中国風精進料理であった。3名以上で要予約とのことでしたので、食す機会はなかったが、なかなか凝った料理らしい。
現在ちょうど大阪高島屋で開催されている展覧会のため、十八羅漢像や他の像もいくつかは出展中で拝観できなかった。宣伝ポスターで使用されていて、出展中で拝見できなかった韋駄天像がなかなか凛々しくて印象的で、ぜひ機会があれば拝見しに参りたい。
韋駄天といえば、白州正子を思い出す。「韋駄天夫人」。韋駄天は常に動き回っているイメージだけがあったが、こういう面影の韋駄天ならば、凛々しさと厳しさをあわせもつような、それでいてユーモアも忘れない彼女のイメージにピタリと合う。
写真は、本堂である大雄宝殿の前にある七宝の香炉に、ちょこんと乗っていた獅子さんです。