予約していた時間に美容院へ向かう。神経痛を患った件を話したら、去年同じ症状を経験したと美容師のTさんが言う。そうなの、Tさんも背が高いからね、と言うと、はい私、姿勢悪いんです…と返され、いや、そうは言ってないが、まあ、たしかに僕も猫背で、姿勢悪いから…やっぱり普段から、首だの腰だのに、負担かけてるんでしょうね……と。Tさんは治癒まで三か月かかったと言うので、これから我が身におよぶかもしれぬその時間にやや絶望的なものを感じたが、いや自分は半月ないし一か月以内の快復を目指すと宣言する。

この病気は、朝の目覚めた直後の痛みと共に意識が戻る感じはやはりキツイなと。ああ、わかりますわかります、とTさん。身体を少し動かすだけで、苦痛が炎のようにのたうち、上半身を起こすだけでも痛みに呼吸が乱れ、力を加えるのに難儀し、朝からいきなり生きてるのが嫌になってくる。横たえた身体を起すときの、負荷とか重力に逆らう力の反作用の全部が、ダイレクトに返ってくる。あれはじつに辛いと。

で、ここは美容院なのだから、洗髪のときは仰向けにならねばならぬ。いまそれが自分に可能かわからないけど、とりあえずやってみる。無理せずに、痛かったら言ってくださいと言われて、おそるおそる寝そべって、頭をいつもの場所に置いて、あ、行けるかも、大丈夫。お願いします。と伝える。しばらくしたら、思ってたよりも、なかなか本格的な痛みが沸き上がってきて、でもこういうときにカッコつけるのが自分の悪い癖なのだが、すでにOKを伝えた手前もう我慢するしかないと思って、黙ってじっと耐える。たぶんいつもより手早く、ちゃちゃっとやっていただいて、はい、お疲れ様でした、やっぱり、けっこう辛そうでしたね…と言われる。平気な態度を装っていたはずだがバレていたらしい。

自宅から徒歩数分のところにある整形外科を訪れる。数年前に開業したらしい、まだ新しい建物の入口をのぞくと、朝九時だというのに待合室には座る隙間もないほどたくさんの人が。受付のスタッフらは忙しさで殺気立った雰囲気である。前の通りは歩行者もまばらで静かな朝だと言うのに、そのギャップにおどろく。

診察の結果、五十肩ではなくて頚椎のどこかの炎症による右肩から上腕にかけての神経痛とのこと。なるほど、それなら合点が行くというか、色々な辻褄が合うような気もしたし、そのための薬を服用して様子を見る方法にも納得である。そんな、もっともらしい説明を受けて、自分なりに理由を理解したと思うだけで、この苦痛と不快さを耐え忍ぶだけの何かを得たような気になるのが不思議でもある。耐える力というよりも、目的とゴールを与えられたよろこびということか。

人間なんて弱いもので、得体のしれない苦痛や悲しみには、何らかの「言葉」が与えられることを望む。鼻先のニンジンと言ったら言葉が悪いけど、それなしでは耐えられないし、とくに病気を患った者にとって、その病名と原因と対処方法を示されることは、それが場合によっては心の支えとなり、生きる目的にもなりうる……。

薬の服用と週一の診察とリハビリでしばらく治療を続けることになる。二階はリハビリ施設になっていて、ベッドに横たわって施術してもらう。しかし印象としては、寝そべって患部を適当にさすられながら雑談してるだけで、これ正直意味あるのかと感じる二十分前後。まあ、まずは病院側の言う通りにしておこう。

で、帰宅後ひとしきり考える。今夜開催の古谷利裕連続講座の会場へこれから向かうか否か。無理すれば、行けないことは無いのじゃないか。というか行きたい。しかしこの体調であの場所に長く座っているのを想像すると、なかなか厳しいのではないかと、逡巡しているうちに出発予定時刻となり、妻とも協議の上やむなく自宅待機を決断した。無念だが後日展開されるであろうアーカイブ映像を待ちたい。

起きたら首回りに激痛、上体を起こすのにしばらく難儀する。起きてしまえば首回りの痛みは液体のように上腕部へ移る。ただ昨日までの、肩から二の腕にあったはずの痛みが、その裏側へ回って、今は肘の少し上あたりに痛みの中心がある。患部が安定しないので、湿布などどこに貼れば良いのか戸惑う。しかも腕を上げられないとか、そういうことはない。動きに関係なくただ痛みが続いている。そしてまるで飛び移ったみたいに、右人差し指の先に痺れがあり感覚が麻痺している。これは五十肩じゃない可能性がある。もう一日だけ我慢して出勤、ウェブで近所に整形外科を探し、明日午前中で予約する。

DVDで、D・W・グリフィス東への道」(1920年)を観る。リリアン・ギッシュをはじめとして、各登場人物たちの、俳優らの演技と表情がまるで方向案内のようにその先を示し、迷いや苦しみにおいてはその場で一緒に留まることを示す。サイレント映画の、無駄なく確実に話の流れを伝えていく組み立ての強靭さ。観ている我々はその物語を充分に理解し、没頭しながらも、ほんとうに肝心な「言葉」は、字幕にも説明されておらず、字幕説明と役者の表情や仕草のどちらでもない、その間に読み取るしかなく、映画もそれを読み取れと言う。だから常に、決定的な瞬間はどこにも映っていない。それは記憶を思い返して事後的に確かめるしかない。すべてがそのためにある。それがサイレントで、しかし映画はそもそもサイレントを原理とした表現手段にほかならない。

ラストの息詰まる大スペクタクルな割れる流氷シーンは、ロケで本物の流氷を使って撮られた、氷上にうずくまるリリアン・ギッシュの髪はほんとうに凍ってしまった、みたいな逸話を聞いたけど、そうなのだろうか。そういえばそんな風にも見えるし、でもそれを知らなければ、なんと本物らしく見事に撮影したのだろうと、そのことに驚きたくもなる。まあ、とにかくこのクライマックスは何も言葉が出ない、とんでもなく素晴らしいものだと掛け値なしに思う。

未明より、首および肩から二の腕にかけて、痺れと痛みが広がり、ああこれは五十肩だと思う。いやだな、九年前にも同じ症状が出て、あのときは数か月くらい、そこそこ不自由な思いをしたのだった。とくに診療も受けず、自然治癒まで我慢したというか、我慢できる程度のことだったので、あのときはまだ良かったのだけど、今回はどうだろうか。現時点でけっこう痛みが強いように思われ、どうもこのまま、やり過ごして済ますわけにはいかなそうな、嫌な予感もするのだが。。

職場近くの薬局で、まずは湿布を買い求め、会社の多目的トイレ内にて患部に貼り付る。しかし効果は感じられない。退勤時に同じ薬局に寄って今度は痛み止めの飲み薬を買い求め、その場で服用するもやはり依然として効果ない感じ。

丸一日経って、朝より悪化していると思う。就寝時、横になってからの、頭の位置と枕の高さを調整するのにひとしきり苦労する。どうやっても痛みが、まるで太い針のように、肩から首筋をつらぬくようで、もぞもぞ布団内を蠢きながら、我が身がほとほとイヤになってくる。なんとか痛みの空白になる枕位置を見出し、そのまま仰向けの姿勢を維持しつつ、ようやく眠りへおちる。

RCサクセションの「the TEARS OF a CLOWN」が発売されたのは1986年10月。当時は中学生だった。通っていた塾の向かいにあった貸しレコード屋でそのジャケット(当時はLP)を見て衝撃を受け(ぼくは当時まだ「Cheap Thrills」というアルバムの存在を知らない。「BEAT POPS」収録"エリーゼのために"のおかげで、ジャニス・ジョップリンという人物名だけはかろうじて知っていたが)、さらに一曲目"IN THE MIDNIGHT HOUR"で、ほとんど殴られたようなショックをおぼえた。

ウィルソン・ピケットによる原曲を聴くと、本ライブ盤でのカバーの「忠実ぶり」に驚かされる。今でこそこの年代の古いソウルは、新たな世代によって何度となくピックアップされたことで、今でもまったく魅力を失っていないけれども、80年代はまだそこまでではなかった(愛好者が今ほど裾野を広げてはいかなかった)はずで、あの時期にここまであからさまに、これをオープニングにしてしまうところにRCサクセションの懐深さがある。ことにホーン・セクションが素晴らしく、梅津和時と片山広明によるブルーデイ・ホーンズはまさに、この曲を演じるためだけにRCサクセションに加わっているのではと言いたくなるほどだ。

 

Wilson Pickett - In The Midnight Hour (1965)

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しかし(関係ないけど)、植木等は、なぜここまでカッコよくなかったのか…

 

IN THE MIDNIGHT HOUR / RCサクセション / 忌野清志郎

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それにしても、日比谷の野音のもっとも蠱惑的な夜の色だな

DVDで川島雄三「貸間あり」(1959年)を観る。とにかく、すべての人物はじたばたと大騒ぎし、右往左往し、すべての鳴り物は音を立てる。あらゆる要素を詰め込めるだけ詰め込んで、電源を切らないかぎりいつまでも鳴り響き続ける自動楽器のような映画だった。これはこれで、ここまでやるのはすごいというか、見ごたえはあると思った。

また当時の集合住宅に設定された舞台の面白さというか、日本家屋の各間や離れの間にばらばらに住人たちが暮らしていて、ほとんど壁一枚、障子一枚の仕切りしかない、物音も筒抜けの、開いた裏口や開け放された窓からお互いの姿が丸見えで、中心にある広間に住人全部が集まることもある、そのような外と内の、昔ながらの曖昧さ、あるいは境界の強引な瓦解の面白さもある。

貸間の管理人で、才人で、何でも屋でもあるフランキー堺と、個性豊かな住人らのキャラクターによって、次から次へとギャグ的エピソードが連なっていくのだけど、こういう感じとは、たとえばその後の少年/青年漫画などに引き継がれて、学園ものとか仲間うちの関係をもとに、おかしな人物ばかりが織り成すギャグコンテンツとして、さまざまに発展していったものじゃないかな、などと思いながら観ていた。

僕はそういった漫画などのコンテンツをあまりよく知らないので、大御所タイトルしか思い浮かばないのだが、それこそ「めぞん一刻」とか、ああいった集合住宅ものを思い浮かべたくはなる。というか、画面を奪い合うように入り乱れるわけのわからない登場人物たちの姿に、つい高橋留美子的なものを思い浮かべてしまった。

わりとあっさり乙羽信子を自殺させてしまったり、そのへんの割り切り方もすごい。一応話の中心にあるはずのフランキー堺淡島千景の恋愛の行方も何ら結実されないまま映画自体は終わってしまう。庶民性とか人情味に回収する気などほとんど無いようで、ドライで空虚な空騒ぎ的笑いが、テンポよく畳み込まれることで得られるだけの成果が、目指されたのだろうと思う。

古沢憲吾「ニッポン無責任時代」(1962年)を観る。観始めてすぐ、相当昔だけど、前にも観たなと思った。「3-4×10月」もそうだったが、自分の頭の中ですでに粉々になっている破片のような記憶で、もはやそれ単体で想起されることはないが、こうして再見すれば、ああこの断片がこの場面と合わさるのか、とわかる程度に残存している感じだ。

植木等は、色々あるけど最後はきちんとおさまるべきポストにおさまり、結婚の約束もして、無責任男と言いながら一応けじめは付いてるというか、彼のやってることはさほど荒唐無稽でも破天荒でもなくて、じつに緻密に戦略を練り調整し相手を折衝する、文字通り優秀なエージェントであり、関係者誰もの立場もきちんと考慮していて、おかげで誰もの地位や階級や立場も大きく変動することなく、ひとりも脱落させることなく、組織の継続に貢献する。だから組合は結成できても階級闘争としては失敗で、かろうじて雇用が守られたことで周囲は安堵し、植木等だけが自らをもっとも高く価値づけできた。金に目のくらんだ女たちからはいったん見切られたが、きっと彼女らは再びすり寄ってくるだろう。組織内においては誰もが、多かれ少なかれ植木等的ではあるのだろう。世の中の構造自体は変わらないことを承知のうえで、自分だけやや多めに利ざやを得る方法を探るしかない、と。