特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

そしてボクは途方に暮れる(ポリーニ氏の逝去)と映画『オッペンハイマー』

 週末は温かなお天気でした。夏日とか言ってましたが、いかにも春らしい麗らかな陽気でした。マンションの中庭も緑がまぶしくなってきました。


 現代最高のピアニストと言われるマウリツィオ・ポリーニ先生がこの3月に亡くなっていたそうです。この番組を見るまで知りませんでした。18年の最後の来日では『随分弱っている』とは思いましたが、ああいう芸術家は煩わしい世事に関係なく長生きすると思ってました(笑)。享年82歳。


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 この番組で見た若き日のポリーニはボクが生演奏で見た60代、70代の物とは全く違い、超絶技巧に加えて激しさが感じられるものでした。40年以上前ですから映像はショボかったけど、火が出るような物凄い演奏でした。

 それが歳をとるにつれて技巧と成熟のバランスが取れ、演奏が変わってきます。2012年に見た、演奏が白熱するにつれ、まるで天空に立ち上っていくかのようだったベートーベンの23番『熱情』は忘れられません。

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 昨年のムーンライダーズ岡田徹氏の逝去もそうでしたが、今まで心の支えになってくれていた作品を生み出していた人が次々と亡くなっていくのは辛いものです。それこそ途方に暮れてしまう
 嫌な事ばかりの世の中で芸術こそが慰めでもあり、希望です。ポリーニ氏の素晴らしい演奏を聴くことが出来て、ボクは幸せでした。
 導く灯を失っても、人間は生きていかなくてはいけません。RIP

和田誠氏がポリーニ氏のイラストを描いていたとは知りませんでした。


 さて、ファストフードなんか嫌いなので殆ど入ったこともありませんが、ドトールもボイコット決定です。

 社外取締役の収入はプライム市場の企業の平均だと年1000万くらい。中には数千万なんて人もいる↓。毎月1回くらい役員会に出席するだけだから、いくつもの企業を掛け持ちできる。社外取締役こそ『日本の“最”上級国民』と言われています(笑)。ま、立派な人も多いし、大多数はちゃんと仕事をしているんでしょうし、他人の収入をどうこう言う気もありません(笑)。


diamond.jp


 女性役員を増やさなくてはいけないから、上場企業の社外取締役として女性の著名人が引く手あまたなのは判ります。だけど嘘つきジャーナリストを起用するなんて、ドトールも見識を疑います。永遠にさようなら(笑)。


 と、いうことで 六本木で映画『オッペンハイマー

 理論物理学を学ぶJ・ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィ)はイギリス、ドイツへ留学、博士号を取得した。ナチス原子爆弾の開発を進めることをアインシュタイン博士が警告するなか、アメリカでも極秘プロジェクト「マンハッタン計画」が始まる。組合運動や共産党員との交友があるオッペンハイマーだったが、計画に参加し、世界初の原子爆弾の開発に成功する。しかしナチスが降伏したにも関わらず、実際に原爆が広島と長崎に投下されるとオッペンハイマーは苦悩する。冷戦時代に入り、核開発競争の加速を懸念した彼は、水素爆弾の開発に反対の姿勢を示したことから今度は米政府から追い詰められていく。

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 今年のアカデミー賞を総なめにしたことで話題の作品です。アメリカ本国のプロモーションで原爆を揶揄した?ことが日本で炎上、配給会社の東宝東和が降りてしまったことでも話題になりました。日本公開が半年以上遅れ、この時期になったのもその影響だそうです。

 日本は唯一の被爆国ではありますが重慶などの爆撃で大勢の市民の犠牲者を出す国際法違反を犯した点ではアメリカと一緒です。ショボいとはいえ、原爆開発にも着手していた。偉そうに原爆被害を訴えるような資格はありません。映画を見てもいないのに騒いでいた連中って、どういう頭の構造をしているのでしょうか。そんなくだらないことで騒ぎになるなんて、日本人の頭脳の劣化具合、精神年齢の幼さには呆れるばかりです。

 監督はクリストファー・ノーランアイルランド独立戦争に引き裂かれた兄弟をケン・ローチ大先生が描いた『麦の穂をゆらす風』のキリアン・マーフィオッペンハイマー博士を演じる他、エミリー・ブラントマット・デイモン、アカデミー助演男優賞をとったロバート・ダウニー・Jr、今を時めく演技派、フローレンス・ピューなどのオールスター映画でもあります。


 難解、複雑、という前評判でしたが、ボクは非常にわかりやすい映画だと思いました。
 最初にいきなり『人類に火をもたらしたプロメテウスはその代償に一生拷問の責め苦を受け続けた』という一節が引用されるからです。上映時間3時間のこの映画の内容はこの一節に集約されています。

 お話は3つの話が平行で進んでいきます。原爆を開発するマンハッタン計画オッペンハイマーの歩み、54年にオッペンハイマーのスパイ容疑を取り調べる査問会、59年のオッペンハイマーを追い落としたストローズ原子力委員会委員長の閣僚就任にあたっての議会公聴会

 これさえ判っていれば問題ない。安心して楽しめる映画でした。

 原爆開発は当初はナチの方が進んでいたんですね。オッペンハイマーがドイツに留学した描写がありましたが人材は豊富だったし、研究成果も蓄積されていた。ナチが先に原爆を開発していたら この世の終わりです。オッペンハイマーが原爆開発に死力を尽くしたのは当然のことです。

 伝記映画だから当然ですが、映画の中心はオッペンハイマーの描写です。
 彼はある意味 欠陥人間です。科学者としてはある意味致命的で実験は下手くそで理論、閃きだけ。

 私生活では人間には興味がないどころか、自分の子どもにすらあまり興味がない。育児放棄しても何とも思わない。精神も弱くて、イギリスへ留学すれば、ホームシックで引きこもる。男女を問わず人の気持ちには全く忖度しないから、敵が多かったのも判ります。おまけに女性関係もかなりかなり問題がある。

 

 天才描写も上手いです。幸い数式描写は少なかったですが、様々な言語をあっという間に覚える超天才ぶりなどはお見事です。

 彼が政治的にあんなにリベラルな人だとは知りませんでした。弟がアメリ共産党員だったのは知ってましたけど、婚約者(フローレンス・ピュー)や奥さん(エミリー・ブラント)が元共産党員で、本人は共産党には頑として入らなかったけど組合活動を主導していた、とまでは思いませんでした。赤狩りに引っかかるのも無理はないかも(笑)。

 オッペンハイマーが果たした役割は技術者というより、プロジェクトリーダーだったんですね。軍側の責任者、グローブス将軍(マット・デイモン)と二人三脚でナチと開発競争を続けた。

 これも意外でした。よく考えればこのような巨大計画ではプロジェクト管理は最も重要で、まさにリーダーの仕事です。しかし、それには技術、理屈が判っていなければ判断できない。オッペンハイマーは科学者の理論や技術を捨て、管理と判断に徹した。ここも勉強になった。

 

 なんといっても見事なのは演出です。
 原爆描写がないなんて文句を言ってる奴は真正のアホでしょう。原爆のテスト=トリニティ実験の恐ろしさは音も色彩も驚くような描写でした。専用のフィルムを開発したって言うんでしょ。これにはびっくりしたし、原爆の実際はこういうことなんだろうと思いました。現実を体験した人は生きていないわけですが。

 それに度々オッペンハイマーを襲った心理的な責め苦。地獄の描写と言っても過言ではない。幻想の中で焼けただれる人間を演じたのは監督の娘さんだそうです。これで文句を言ってるような奴は人間はどこまで頭が悪くなれるのかの限界に挑戦しているんでしょう(笑)。

 あと登場人物の描写もお見事です。元婚約者役のフローレンス・ピューはいつもながらに燃え滾るような演技だったし、

 妻役のエミリー・ブラントも素晴らしい。

 ロバート・ダウニーJRはアカデミーの授賞式でミソを付けましたが、この映画では見事だった。人間、これだけ陰険になれるのか(笑)。

 学者たちの立場も様々でした。ナチスが敗北した後 原爆の使用に反対し、署名を集める学者もいました。オッペンハイマーはその署名には参加しなかった。しかし戦後は水爆の開発に反対し、軍拡競争に警鐘を鳴らした。一方 ソ連の脅威に対抗するために水爆開発を推進するべきという学者や政治家もいました。アメリカが開発しなくてもソ連は水爆を開発するのは明らかだったからです。

 査問会で科学者の誰がオッペンハイマーを裏切り、誰がかばおうとしたか。ドラマとして単純に面白いです。
 あとでググってみるとノーベル賞を受賞するようなすごい科学者だらけです。ノーベル賞を取るような学者でも、いざとなると人間はどういう行動をとるか。現実の仕事などでも良くあることではありますが、考えちゃいますね。

 ちなみにナチから逃れ、アメリカに亡命していたアインシュタインはキーパースンとして出てきますが、ナチの原爆開発を警告した彼は左翼過ぎてマンハッタン計画には参加させられなかったそうです。オッペンハイマーだって、普通だったら参加させないと思います。性別、国籍、政治思想を問わず、優れた頭脳を動員、活用したアメリカにも改めて恐れいりました。

 上映時間3時間は全然長くありません。見事な演出(演技、音、映像)で、これぞ映画、という感じです。原作本は『アメリカン・プロメテウス』というノンフィクションだそうですが、神話的な色合いさえある、見事な作品でした。考えさせるし、面白い。日本人こそ見なければいけない映画じゃないですか。大画面で(笑)。


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NHKスペシャル『Last Days 坂本龍一 最期の日々』と『夜桜中華』

 新年度になって、宴会が増えてきました(笑)。
 とにかくボクは人と話すのが恥ずかしいし、話すこともないので、宴会、会合、パーティーの類は大嫌いです。若い時は勿論、歳を経るにつれて益々嫌悪は増してきた。

 宴会の8割くらいは出席を拒否していますが、どうしても断れないものは乾杯だけして5分で退席、それでも逃げられないものはウーロン茶だけ頼んであとはニコニコしながら無言で時間が過ぎるのを待つ、で対処しています。我ながらアホらしくて仕方ない。

 飲みたい奴は勝手にすればいいけど、巻き添えは迷惑です。こんなくだらないことばかりやっているから日本の生産性は低いって言われるんですよ。
 最近の若い人には『職場の宴会になぜ残業代がつかないのか』という子もいるそうですけど、尤もな話です。

 日本の若者はこの国の将来を悲観している人の割合が他の先進国に比べてずば抜けて多い、というニュースがありました。


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 無理からぬことだと思います。与野党含めた政治家、学者に至るまで、日本の将来の羅針盤を示すような人は立場を問わず、殆ど見かけたことがありません。

 せいぜい、経営者が時折、将来のことを語るくらいでしょうか。オーナー系や長く続く企業の経営者は少なくとも自分の会社の行く末は考えていますからね。
 自社が史上最高の決算でも『円安が日本にとって良いわけない。円安になること自体を喜ぶような人は、ちょっとおかしいんじゃないか。』と断言できるユニクロの柳井の方が、未だに円安に繋がるバラマキや金融緩和を主張している与野党の政治家より遥かにマトモです。

newsdig.tbs.co.jp

 ま、経営者でもこういう低能はいますけど。

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 政府がやっているのは誰が見ても判るその場しのぎと高度成長のリバイバル、一方 野党と支持者の市民や学者の多くは環境の変化を見ようともせず、これまた昭和のやり方を墨守するだけです。あとは消費税廃止やバラマキのような訳の判らないポピュリズムやデマばかり
 それでは誰だって将来に希望なんか持てるはずなんかありません。

 

 冷静に考えれば、今は昔よりは良くなったことは沢山あります。セクハラ・パワハラは言うに及ばず、今の季節なら公共の公園で酔っぱらったバカじじい連中が薄汚い宴会を繰り広げていた花見一つとっても昭和なんかロクなもんじゃなかった、とボクは思います(笑)。

 確かに少子高齢化に、テクノロジーの変化、格差の拡大、おまけに日本の周りはきな臭いことばかり、では、気分が暗くなるのはわかります。

 希望を見つけるのは自分自身の問題だから若い人が明るい見通しを持てなくてもボクの知ったことではありませんが、それでも大人の最低限の責任として、女性の社会進出にしろ、テクノロジーにしろ、何か糸口くらいは見つけなければならない。多少は(笑)そう思うんです。
 今の現役世代は残念ながら、政治にしろ、経済にしろ、社会にしろ、落ち目のものしか若い人たちには残せそうもありません。それでも何も手渡せるものがない訳でもありませんから。


 日曜日に 放送されたNHKスペシャルLast Days 坂本龍一 最期の日々』。 
 いつも日曜日は9:30には寝るようにしているのですが、見始めたら目が離せなくなって、つい最後まで見てしまいました。

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 番組は23年春に亡くなった坂本龍一の生活に約2年間、正確には死の1時間前まで密着したものです。正確には遺族が提供した材料を編集したものが多くを占めています。

 ボク自身、坂本龍一と言う人にはさほど関心はありません。無駄な音を使わない彼のピアノソロは好きなのでCDは何枚か持っていますが、それだけです。YMOも殆ど興味がない。

 坂本はNY在住だと思っていたのですが、日本に帰ってきていたんですね。数十年前(笑)ボクが実家に居た頃は坂本が犬の散歩で明治公園に来るのをたまに見かけていたのですが、また明治公園脇の数億ション(笑)に仮住まいをしていたようです。
 恐らく通っていた慶應病院が近いからだとは思いますが、人間は死期が近づくと勝手知ったる場所へ戻りたくなるのかな、とも思いました。彼は近くの新宿高校の出身でもあるし。

 20年の12月には余命半年と診断され、21年1月に手術、その後も転移が見つかり、ずっと入退院を繰り返しました。22年1月の段階ではもう、坂本は非常に苦しそうに見えました。
 それでも3,4日に1冊のペースで漱石哲学書、それに荘子西行などの古典を読み、自らの死を考え続けた。なおかつ身体の循環を良くするという野口整体を続け(ボクもやってます)(笑)、滑稽なポーズをするなど身体に良いと思われることを試し、生きようとした。驚くべき意思の力です。

 同時期に闘病生活をしていたYMO高橋幸宏とのエピソードも心温まるものでした。高橋が軽井沢に住んでいるのは知りませんでしたが、穏やかな自然の中で犬と暮らしていたのは如何にも彼らしい。坂本と高橋の直接の再会は叶いませんでしたが存在はお互い感じていたようです。

 それにしても坂本や高橋より5歳も年長なのに、一人残された細野晴臣の心中はいかばかりか。『まだまだできることは幾らでもあった』という彼の述懐は嘘偽りのないところでしょう。


 坂本は抗ガン剤の治療の影響で、ピアノを弾くと電気が走るような痛みが走っていたそうです。CDを聞いている時はそんなことまで想像もできませんでした。

 以前NHKで放送された22年9月の演奏が休み休みの収録で5時間もかかったというのも良くわかりました。

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 もともと坂本のピアノはド下手にしても(本人談)、ハンディを抱えていた晩年の演奏が無駄な音がない、より研ぎ澄まされたものになっていったのも頷けます。 

 晩年に至っても、ロシアの侵略を受けたウクライナの音楽家との共作や外苑の銀杏並木伐採反対などの運動にも関わり続けた彼は『無数にある全ての社会問題にコミットすることはできない』と、より音楽を突き詰めようとしていたようです。

 彼が言う『音楽だけが正気を保つ唯一の方法』とは世の中の不条理に対してだけでなく、彼自身にとっても、だったのでしょう。彼が指導、サポートしていた東北ユースオーケストラなど人前ではにこやかに振舞っていましたが、カメラの前で一人で音楽に携わる時の彼の表情は鬼気迫るものがありました。

 
 このドキュメンタリーを見ながら思い出したのは、先月に見たフランスの映画監督J・L・ゴダールの遺作『遺言 奇妙な戦争』です。彼は坂本に先立つこと半年前、22年の秋に亡くなった。自ら選んだ安楽死です。


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 遺作は架空の映画の予告編という形式を取りながら、画面に鮮やかな映像のコラージュを並べることで、資本主義に抵抗する人間像を表現しようとしたものです。映画のスポンサーは資本主義の権化みたいなケリンググループのサン・ローランですが(笑)。
 20分程の映像の中に時折、死を目前にした彼のレマン湖畔での生活が挿入されます。

 穏やかな生活、ではあります。時折かなり苦しそうな表情を見せますが、彼は映画を作り続ける。ゴダールも坂本も思想的には非常に近いけれど、ゴダールは自ら死を選び、坂本は最後まで懸命に生きようとした。どちらも意志の人、ではありましたが、この違いはどこから来たのだろう。
 坂本もゴダールも私生活では色々あった人ですが、ともに最後は家族に許されたのは幸せでした。自分が自分自身を許せたのかどうかは判りませんけど。

 ちなみに番組の中で映された、坂本が選んだ自分の葬式用の選曲リストにはサティやフォーレドビュッシーなど如何にも彼らしい曲の中に、ゴダールの『軽蔑』の中の曲が入っています。ボクも流麗で憂鬱なこの曲、大好き。

坂本龍一が「Funeral」に選んだフランス音楽を解説! “教授”のフランス音楽愛が見えてくる|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」


 いよいよ死期が迫り、意識がなくなりつつも、病床の坂本がピアノを弾くかのような手の動きをしていたのも印象に残りました。ボクの亡くなった大叔父は画家でしたが、彼も死の間際、意識を失くしても病床でずっと絵筆を動かす仕草をしていました。あれにはビックリした。

 ああいう人たちは、最後はカネも名誉も愛も他人も要らない、もしかしたら自分という存在もどうでもいいのかもしれない。大事なことは芸術だけなのでしょう。芸術への執念こそが彼らの生、だと思いました。

 芸術家にも、バカの癖に威張り腐っている政治家にも、我々のような凡人にも、死は誰にとっても平等です。この番組を見れば誰もが死を身近に感じるし、それを通じて自分の処し方を考えさせられる。
 美しい映像、60分間完璧に決まった編集も特筆すべきですが、あれを撮らせた坂本も撮ったNHKも偉い。人間の生と死を雄弁に物語るドキュメンタリーでした。 


 今年は 毎年恒例の六本木の桜がいまいちだったので、近所の桜でもう一度 お花見をしました。と言っても昼間は仕事ですから夜にしか桜を見ることができません。

 この辺りは街灯だけでなく、マンションや個人宅でもライトアップしている家が多いです。

 桜を見ながら散歩がてら、碑文谷へ中華を食べに行きました。

 コリアンダーと押し豆腐のサラダ。中華の押し豆腐って美味しいです。生で食べても良し、煮込んでも良し、もっと手軽に手に入れば良いんですが。

 ニンニク風味の冷やした蒸しナス。これは絶品です。柔らかいナスがまるで飲み物のように口に入っていきます(笑)。

 ニラ饅頭。ぷりぷりのエビが入っています。30年くらい前から変わらない味です。

 海老の唐辛子炒め。これは始めて頼んだ料理。ニンニクの芽と海老を唐辛子で炒めてあります。この店はお上品なので?それほど辛くありません。海老がやたらとデカい(笑)。

 鶏と青菜の土鍋煮こみそば。昨年食ったものの中でこれが一番うまかった料理です。スープが最高なのと麺が段々スープを吸い込んで味が変わってきます。麺が伸びた方が美味しいという珍しい料理(笑)。


 こちらは違う日。
 ローストダックと鶏飯。渋谷と恵比寿の間に新規開店したシンガポール料理の店。御主人はマレーシア人で英語しか通じないので異国気分が味わえました(笑)。野菜が少ないけど、店はお洒落だし味は美味しかった。焼いた鴨はとても柔らかかったし、鶏のスープはかなり美味しかった。

 豚の角煮そば。こちらも新規開店した新宿の中華麺専門店『百味麺館』で食べたもの。パクチー大盛の混ぜそばです。目玉焼きが載っているのも珍しい。肉もデカいし、味も美味しいんだけど野菜が少なかったのは我ながら失敗でした。こういうものを食べると確実に太る。

 ここもお店の人もお客も中国人だけ。テーブルにはこんな宣伝が(笑)。時代を感じます。同じ日本に居ても彼らは希望を感じているんだろうなあ。

「福田村事件2」か「人間喜劇か」(笑):映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』

 この週末で東京の桜も満開になりました。60年代 ’’Violets of dawn’’という美しいフォークソングが有りましたが、夜明けの桜も美しいです。

 


 昨晩日曜夜のNHKスペシャル、『Last Days 坂本龍一 最期の日々』、文字通り珠玉のようなドキュメンタリーでした。NHKすごいと思いました。この感想は次回に(笑)。

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 それにしてもこの週末、日本が変わるには外圧しかないな、と改めて思いました。台湾と日本の地震への対応の差を見れば、日本の為政者のレベルが著しく低いことがわかる。

 ボクも最初は石川あたりだと道路事情も大変だろうなーくらいにしか思っていませんでした。我ながらマスコミに流されていたんですね。

 他国と比べなければ、同調圧力の強いムラ社会、日本のおかしさは中々可視化されない。そのためにも日本は世界に向けて社会を開いていかなければいけないと思います。たとえそれが平和主義だろうと世界の中で孤立するのが一番よくない。

 明治維新にしろ、太平洋戦争にしろ、日本人は自縄自縛のムラ社会に住んでいる奴隷民族で自浄能力はないと思います。戦前と戦後、日本人のフィロソフィーは変わってない。

  今の日本の現実はこういうこと↓。アメリカの51番目の州だって分不相応でしょう(笑)。

 冷静に考えたら戦後民主主義自体、アメリカからもらった借り物なんだから、時が経つに連れて劣化していくのは当たり前かもしれません。

 映画としてはあまり評価できませんが、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が象徴的に描いています。この中国版のポスターが描いているように崩れていく小さな理想世界(戦後民主主義)に閉じこもり心中するのか(宮崎)、過去のノスタルジーに逃避するのか、不確かな新しい世界に自ら出ていくのか今はそのことが問われていると思います。
 どの扉を開けるのか、選択は我々の手の中にある

 日本の政治家がダメなのは間違いありませんが、問題はそれだけではない。昨晩の坂本龍一のドキュメンタリーもそうでしたが、我々自身の生き方や生活そのものが問われているのだと思います。 


 と、いうことで、新宿で映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2

1980年代の名古屋。映画監督の若松孝二井浦新)は自分の映画を自由に公開したいと、名古屋でミニシアター「シネマスコーレ」を開業する。池袋の映画館「文芸坐」を退職してビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治(東出昌大)が支配人として雇われる。経営は厳しいが、映画に魅せられた若者、金本法子(芋生悠)や井上淳一(杉田雷麟)らが集まってくる。

www.wakamatsukoji.org

 60年代 若松孝二監督が若者たちと映画作りに奮闘する日々を描いた『止められるか、俺たちを』の続編。今作は80年代の名古屋に若松監督が作った映画館で現在も存在する『シネマ・スコーレ』の支配人やそこに集まってきた実在の若者たちの姿を描いています。

 監督は前作や『福田村事件』の脚本を担当した井上淳一。前作同様 若松監督を井浦新が演じ、東出昌大、芋生悠、杉田雷麟、コムアイなどが共演。


 前作の『俺たちを止められるか』は大好きな映画です。
 井上淳一の脚本は古臭いし説明がくどいのですが、60年代のそういう人たちのドラマだからそれ程気にならない(笑)。
 それを名手、白石和彌監督がうまくまとめ上げた。女性助監督の眼から描くことで現代にも通じる普遍性を獲得していたし、何よりも井浦新門脇麦が素晴らしかった。
 実質的には若松監督ではなく、夭折した実在の女性助監督を演じた門脇麦の青春映画になっていました。まるで水のように透き通った、それでいてヒリヒリやけどするような感性が表現されていた稀有な映画です。

 今作は、その(笑)井上淳一が脚本だけでなく監督も手掛ける、しかも井上本人のエピソードも入る、とのことで見る前はかなり不安でした。
 もともと、この人のセンスはかなり問題があります。井上が脚本を書いた昨年の『福田村事件』はオールスタードラマとしての面白さはあったけど、台詞はくどいし、やたらと言葉で説明するし、何よりも人物描写が上っ面だけでドラマとしては酷かった。物語のキーとなる主人公のトラウマとなった事件を映像ではなく台詞で説明してしまうし、朝鮮人を虐殺する側の内面は殆ど描かれなかった小学校の学芸会か、と思いました(笑)。

 この映画は福田村事件と同時期に企画され、出演者も被っています。両作とも主役が井浦新であるだけでなく、共演者は東出昌大コムアイ田中麗奈と共通する人も多い。東出とコムアイに至っては『福田村事件』と同様、カップルの役です。内容も在日朝鮮人の問題など共通する部分がある。プログラムによると井浦は撮影中、この映画を『福田村事件2』と呼んでいたそうです

 見る前は悪い予感しかない(笑)。さあ、どんな映画でしょうか(笑)。


 舞台は80年代初頭。TVは全盛で家庭用ビデオも発売された時代。TVに押されて映画はヒット作もなく、どこの映画館も閑古鳥。60年代に一世を風靡した大島渚や若松の映画は名画座以外では公開されません。

 その中で若松は家賃が安い名古屋の風俗ビルの一角に自分の映画館を開こうとします。自由に映画を公開するためです。支配人として抜擢したのは池袋の文芸坐で働いていた木全純治(東出昌大)。妻(コムアイ)を養うためにビデオカメラのセールスをやっていた木全を若松は口説き落とします。
●木全(東出昌大)(右)と若松(井浦新

 映画館は『しねま・すこーれ』(映画学校)と名付けられます。木全は木全で、自分の好きな映画をかける理想的な映画館を作ろうとします。バイトに映画好きの学生、金本法子(芋生悠)や井上淳一(杉田雷麟)も集まってくる。しかし名画座でかかるような映画ではお客さんは来ない。映画館は大赤字が続きます。

 経済的な観念も発達している若松はあっさり当初の理想を翻し(笑)、木全に当時流行っていたピンク映画を中心に興行するよう命じます。
 ところが当時のピンク映画は滝田洋二郎周防正行黒沢清など後年 名を成す映画監督がやりたい放題に作った作品が混じっていました。木全たちは映画の新しい可能性を見出していきます。

 この映画の題名の『青春ジャック』はいかにもセンスがないですが、かって若松監督が70年に作ったピンク映画『性賊 セックスジャック』という作品のもじりだそうです。

 ボクは未見ですが、題名の『セックスジャック』は当時頻発したハイジャックのもじり、内容は(井上のような)おとなしい青年が日本共産党の本部を爆破するものだそうです(笑)。其の頃からすでに、共産党は体制側の存在だったからです。でも、そんな映画、ピンクでもなんでもないじゃないですか(笑)。

 しねま・すこーれでバイトする金本も井上も映画を作ることが夢です。しかし、自分が何を描きたいかすら判らない。その挙句、井上は名古屋を訪れた若松に衝動的に弟子入りを志願します。

 最初はどうなることかと思ってみていたんですが、面白いです。出演者がめちゃくちゃいい。魅力的です。東出昌大黒沢清監督の『スパイの妻』などで素晴らしい俳優であることは判っています。この映画でも独特のキャラクターである木全(もちろん 実在の人物)を魅力的に演じています。

 また『福田村事件』でも素晴らしい雰囲気を出していたコムアイが木全の妻を演じていて、またいい。元『水曜日のカンパネラ』のボーカルですが、演技をしている方が全然素晴らしい。妖艶だけど強固な意志を垣間見せる、自立した女性像を表現しています。定型的にはとらえきれない不可思議な人間像です。

 なんといっても最強なのが芋生遥小泉今日子が製作した映画『ソワレ』でも素晴らしい演技を見せていたし、

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 少し前に見た『夜明けの全て』でも強烈な存在感を放っていました。

 この映画でも素晴らしかった。この人が金本というキャラを演じることで映画全体のレベルがワンランク上がった不安定で、脆くて、でも逞しさを感じる役柄をよく表現したと思う。

 『ソワレ』でも感じたんですが、ボクはこの人、本当に好き💛

 井浦新の若松監督役もいよいよ堂に入ってます。モデルでもある美形の井浦新とヤクザ・キャラの若松監督はどう考えても対照的な存在です(笑)。
 ここでは適当で金にうるさいけれど、映画が大好きで常に後進のことを気にかけていた若松監督を、井浦は本当に楽しそうに演じている。乗り移ってるのかも(笑)。

 ここで描かれていた80年代の風俗や自由な表現が許されていたピンク映画が下火になってアダルトビデオに置き換り、今度はミニシアターが輩出する映画界の流れも興味深かった。東京の人間嫌いの学生だったボクが過ごしてきた80年代とはずいぶん違う、とは思いましたが、これはこれで面白かった。当初はピンク映画中心だったしねま・すこーれはミニシアターとして活路を見出し、現在に至っています。

 若松が河合塾のPR映画を作っていたり、そこに竹中直人が出ていたのも全く知らなかった。この映画では竹中自身がそれを再現しているんです!
 国外脱出してパレスチナゲリラに加わっていた元若松プロ足立正生と若松監督が秘密裏に連絡を取り合っていたエピソードも面白かった。若松も公安の監視下にあったようです。もう、何でもあり!(笑)。

 後半描かれる井上自身のエピソードはどうでもよかった(笑)。しかし金本と対比させることによって、うまく相対化されていたからOKです。表現することへの情熱は伝わってきました。金本も井上も映画の名を借りて、自分探しを続けている。一方 若松や木全はそんなところを超越している(笑)。

 映画全体を見れば演出の感覚は垢ぬけないし、相変わらず台詞も説明が多い、日経の映画評でも『台詞で説明して済ませようとするラストシーンを泉下の若松監督が見たらどう思うだろうか』と苦言が載っているほどです(笑)。

 映画の中で若松監督は『人を殺す側の痛みを描かない映画はだめなんだよ』とか『映画は映像で伝えるもので、説明するものではない』と言っていました。本当に若松の言葉でしょうけど、まるで『福田村事件』の欠点を挙げているかのようです。井上監督は自分でもわかってるのか(笑)。

 それでも、この映画は面白いんです(笑)。自分でも不思議でした。見終わってから、その理由をずっと考えていました(笑)。
 まずは俳優陣が井上のダメ台詞を乗り越える素晴らしい演技、熱気を醸し出しているから。井浦新や芋生遥、東出昌大コムアイと主な出演者はどれもサイコーです。出演者が19人も集結した舞台挨拶の記事を見れば、現場にはそういう演技を引き出すような磁場があったに違いない。

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 何よりも、この映画には若松監督を始めとした登場人物に対する深い深い愛情が感じられます。バカで性急で視野は狭いけれど、一生懸命 80年代を生きていた人たちをコミカルな視点で愛情を込めて描いている。その根底にはこういう人たちがいたことを伝え、存在を肯定する使命感があります。
 まさに人間喜劇サローヤンみたいです。

 『福田村事件』と脚本、主な出演者は全く同じだけど、見終わった感覚は全く異なります。すごく気持ちが温かくなるユニークな映画です。
 面白いだけでなく、ボクはこの映画が大好きです。この映画には人間への愛がある。もしかしたら今年のベスト1かもしれないと思うくらい好き(笑)。

 井浦新は『止め俺3は俺が作る』と言っています(笑)。それもまた、楽しみです。
 ボクはバカは嫌いなんですが、正確にはバカには2種類ある(笑)。こちらのバカは断固支持します(笑)。


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