特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『悪は存在しない』

 今日の東京は大雨。ただでさえ、週初めでブルーになりそうですが(笑)、豪雨の中でも歩いて身体を使えば気持ちが良くなります。
 雨さえ降らなければ、今の時期は快適な気候です。夕方になると、ベランダでぼんやりと空を眺めることが多くなりました。


 国連総会でパレスチナの国連加盟支持の決議が圧倒的多数で可決されました。全193か国のうち143か国が賛成。反対はアメリカ、イスラエルなど僅か9か国に過ぎません。
 内容は『現在は国連で投票権を持たない「オブザーバー国家」であるパレスチナの加盟を支持し、正式な加盟に向けて安全保障理事会に協議するよう求める』ものだそうです。
 実質的な拘束力はないし、イスラエルの虐殺も止められないけれど、世界の大多数の国、いや世界の大多数の人がパレスチナを支持していることが示されました。
パレスチナの国連加盟支持の決議。反対・棄権・無投票だった国は?143カ国の圧倒的賛成多数で採択 | ハフポスト WORLD]

 イスラエルの代表は怒り狂って国連憲章をシュレッダーで切り刻んで退席しました。まるで松岡洋右が現代に蘇ったみたいです。ファシストは国籍も時代も問わず、似たようなことをする
 この世界には『悪は存在する』。それが現実です。

 今回の決議には日本も賛成しました。G7で賛成したのは日本とフランスのみ。アメリカは反対、他は棄権。今回の日本の行動は立派でした。

 ネットをみてたら、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロがイスラエルに抗議する学生の所へ行って演奏していました。尊敬できる人がいざと言う時でも普段の言行と一致した行動をしているのを見ると勇気づけられます。及ばずながらボクも彼と同じ側に居たいと思います。

 ま、彼はこんなこともやってますが(笑)。


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 と、いうことで 渋谷で映画『悪は存在しない

 豊かな自然に恵まれた長野県の町。次第に移住者が増えているこの町で便利屋を営む巧(大美賀均)と娘の花(西川玲)は、自然のサイクルに合わせたつつましい生活を送っている。ある日 巧の家の近くにグランピング施設を作る計画が持ち上がる。 経営難に陥った芸能事務所が政府からのコロナの補助金を得て計画したものだった。その説明会の席で彼らが町の水源に汚水を排水しようとしていることが判明するが。

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 昨年のベネチア映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した話題の作品。
 濱口竜介監督は前作『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ映画祭脚本賞アカデミー賞国際長編映画賞を受賞しています。『ドライブ・マイ・カー』は大好きな映画でしたが、最も良かったのは石橋英子の、内省的だけど外を向いている独特な音楽でした。このサントラはずっとハイレゾで聞きまくってます。日常生活で嫌なことがあると、このメロディを思い出して、耐え忍んでいます(笑)。

 今作も前作と同様 石橋英子とのタッグです。というか、もともと石橋英子のライブ用の映像として作った作品が発展して映画になったものだそうです。雑誌『ミュージックマガジン』の最新号で、濱口監督と石橋英子は共に『ゴダールの映画のような音楽を作りたかった』と言っていました。果たしてどんな映画でしょうか。


 映画は森の中を映す映像から始まります。バックに流れるのは流麗なストリングス。しかし、どこか不穏な雰囲気も漂っている。まさにゴダールの世界です(笑)。

 そして、自然豊かな村で暮らす巧の生活が描かれます。
 森の中で黙々と薪割りをしたり、村に移住してきた蕎麦屋の若夫婦のために湧水を汲んだりする毎日です。巧は作業に夢中になって、一人娘を預けている保育園に迎えに行くことを忘れてしまうこともしばしばです。
 そんな時は娘は森の中を歩いて一人で帰ってくる。森の中に亡くなった鹿の骨が転がっているのがまた、何かを象徴しているかのようです。

 登場人物たちの口調は抑揚がなく平板です。特に巧は棒読みの台詞をぼそぼそ喋る。感情を殆ど露わにしない。作業服を着た村のあんちゃんだけが唯一、時折剝き出しの感情をあらわにする。

 濱口監督の映画で、登場人物がこういう喋り方をするのは以前にもありましたが、何を象徴しているのかボクには理解ができません(笑)。煙草や自動車に対するこだわりも前作と同じですが、これもいまどき古臭い、と思います。

 でも、それは些細なことです。映像も音楽も美しい。美しいだけでなく、音楽を唐突に挿入するなどゴダールのようなコラージュ的な手法も使われている。そうやって観客に予定調和のイメージを与えないようにしている。それでも中盤までは物語はどこか牧歌的、幻想的なイメージが感じられます。
 
 やがて、コロナの補助金目当てに芸能プロがグランピング場を作る計画が持ち上がります。ここで急に話がリアルになる(笑)。悪く言うと下世話、人間臭くなる。今度は説明会でやり玉に挙げられる芸能プロの社員二人にスポットライトが当てられます。

 この二人の描き方は本当にお見事でした。

 クライマックスは突然です。美しい長野の自然の中で不条理な事件が展開される。『ここで話が終わったらカッコいいな』と思っていたら、本当に話が終わってしまった(笑)。少し笑いました。

 映画が観客を急に突き放すのもゴダール流かもしれません。想像以上に死は、我々の近くにある


 お話自体にはそれほど意味がないと思いました。濱口監督の人物描写は本当に上手だと思うけれど、それより見る人のイメージを膨らませる作品です。ヨーロッパでウケるのも良く判ります。邦画にありがちな、特定の価値観を押し付けてくるような作品より、この方が遥かに良い。余白がある分だけ、心に残ります。
 あと俳優陣、特に芸能プロの男女の社員役の俳優さんはとても良かったです。

 美しい映像と音楽がこの映画の主役です。『ドライブ・マイ・カー』とはまた違うけれどサントラを聞きたいと思って、帰宅後ネットで探したら6月発売でした。4月末公開の映画を見てからそんなに間隔が空いてしまうのは無粋ってなものです(笑)。それだけは残念でした(笑)。


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読書『女性の階級』と『キアニーナ牛』

 今日は爽やかなお天気。気持ち良いです。仕事始まりの憂鬱が多少は癒されます(泣)。

 ちょうど先週『あと10年もしたら自動運転が普通になるかも』と書きました。すると今週『ホンダがGMと組んで26年から東京で無人タクシーを始める』というニュースが報じられました。

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 ボクは自動車関連で働いている訳ではありませんし、自動運転なんか興味ない。個人的には徒歩で十分(笑)。
 しかし、世の中の動きは想像以上に速い10年くらい先かと思っていたことが、2年後に始まろうとしている

 政治家やマスコミの妄言、左右を問わずネットのデマに踊らされずに生きていこうとしたら、市井の個人でも世の中の動きを読む努力だけはしなければいけません。本当に大変な時代だと思います。

 この時期 勤務先で、来年の新卒採用の面接をやることがあります。最近の子はやたらと『成長』って言います。『自分が成長できる職場だと思って志望しました』とか『成長して自分の市場価値を高めたい』みたいなことを言うんです。

 流行りなのか意識高い系って言うのか知りませんが、今年は面接した半分くらいの子が『自分が早く成長したい』と言ってた。会社や事業、それに社会を成長させたい、というのは聞いたことがありませんが(笑)、それを責める気はない。誰だって自分が優先です。

 ただ、そう言われると『お前の成長とは何か定義してみろ』って言いたくなります(笑)。ボクはパンク・ニューウェイブの影響をもろに受けていますので、成長や進化より DEVO(De Evolution=脱成長=退化)の方がカッコいいと思っています。斎藤幸平のご高説以前に、脱成長なんて80年代から言われている話です(笑)。

●絶対この方がカッコいいですよ。LAのパンクバンド’’DEVO’’。


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 若い人たちが言ってる『成長』っていうのは転職会社が言う成長なのか、自分の市場価値なのか、自分の内面的な成長なのか、良く判りません。
 市場価値は大事ですが別の物差しも持っておかないとまずい、とは思います。政治家やマスコミが言ってる価値観を自分で内面化してしまうなんてサイアク、奴隷じゃないですか(笑)。
 この国は民主主義ではなく、セルフ奴隷臣民の国だから仕方ないのかもしれませんが、こういうアホ↓を見ると死んでしまえ、と思います。こういう奴が面接に来たら絶対落としてやる(笑)。

 それはともかく、最近の子は短期でも留学している子が多いから英語はある程度喋れるし、真面目で優秀、特に女性はやる気と能力に満ち溢れている。ボクの勤務先だけかもしれませんが、海外へ赴任したいというのもたいていは女性です(笑)。

●セルフ臣民揃いの日本とどっちがまともか、一目瞭然

 ただ社会に入り、特に結婚するとモラルダウンしていく女性が結構いるのは何なんだろう、と思うんです。一部にはまだ偏見などはあるでしょうが、今は制度上は昇進や給与で男女差別なんかありません。だけど組織や仕事の壁にぶつかったり、家事や子育ての負担だったり、年を経るにつれ疲れた顔の女性が増えてくる気がする。

 仕事の壁は仕方ないにしろ、家事や子育てを押し付けるようなバカな男とは結婚なんかしなければいいとは思うんですが、それも個人の勝手だからとやかく言う話でもない(笑)。
 ここまでではないにしても↓、概して今の若い人たちは前の世代より賢い、とは思います。彼らは彼らなりに生きていくのでしょう。


 前置きが長くなりました。ゴールデンウィークのベランダ読書の感想第1弾です。『女性の階級

 社会的格差、階級論を研究している早稲田の橋本健二教授の新著です。
 彼の論考は実際の調査研究を基にした『現代の日本は資本家階級(中小零細から大企業までを含んだ経営者)、新中間階級(企業の管理職や専門職)、旧中間階級(自営業)、労働者階級(一般の正規労働者)に加えて、労働者階級より厳しい状況にいるアンダークラス非正規労働者)という階級社会になっている。』という考え方がベースになっています。


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 今回はその観点に加えて、階級ごとに女性を分析したもの。内容の紹介がてら、本の帯を引用します。

 今の日本の社会は落ち目とは言え、物質的にはある程度充足されていますが、生きづらい社会であるのも間違いないと思います。この国がこれから衰退していくのは確実ですが、政治がまともに機能していないから前途に希望が全く見えない。

 その一方 市場競争は年々厳しくなり、個人としての生き残りも大変です。アンダークラス非正規労働者)や正規労働者の労働者階級だけでなく、衰退しつつある自営業(旧中間階級)、生き残り競争に駆り立てられる専門職・管理職(新中間階級)も皆厳しい。

 資本家階級だって人数的には大多数を占める中小企業の経営者は言うまでもありません。
 大企業の経営者だってマスコミや電力会社のように国の規制や権力に守られた独占企業やオーナー経営者でない限り、大変です。アメリカのように一生遊んで暮らせるほど給料がバカ高い訳ではないし、何かあれば一発でクビが飛んだり、株主代表訴訟の被告になってしまう。
 何でもかんでも経営者や資本家のせいにして済むほど世の中は単純にできていません

 この本を読むと、現代日本の過酷さは女性に対して一層強く降りかかってきていると言うことが良く判ります。日本は女性にとって大変リスキーな国であることは間違いありません。女性が疲れてくるのも当然です。

 自らの階級だけでなく配偶者のリスクにも影響されるのですから、日本の女性は階級とジェンダー、複合的な格差にさらされていることになります。言い換えると、二重に差別されていると言っても良い。

 一方 希望がない訳でもありません。
 調査結果を見ると、女性でも資本家階級の多くは保守的な価値観を持っていたり、自民党の応援団だったりします。資本家と言ってもこの本では平均世帯収入は1000万そこそこ、殆どが厳しい中小企業主です。それでも自民党や維新を応援する。
 過去のイタリアやチリ、ドイツなどでファシズムの支持層は自営業主が多かったのと同じメンタリティです。

 他の階級も野党を支持する割合が多い層はそんなにない。労働者階級(正規労働者)は比較的野党を支持する人が多いですが、アンダークラスは案外 自民を支持したり自己責任論を内面化する人が多い


 だけど、価値観の面では男と比べると明らかに女性はリベラルです。同性婚や男女別姓は資本家階級を除き、女性はどの階級でも支持が多いし、格差拡大や自己責任論を否定する人の割合も多い。

 結局 今の日本を変えていくには政治に女性の声を反映させていくのが有効と橋本教授は結論付けています。その昔のルーズベルト連合(南部の労働者+北部のリベラル+マイノリティ)のように、政治勢力としての中間階級+労働者階級+女性の連合を成立させよう、ということです。
 勿論 女性だって山谷えり子杉田水脈のようなクズや小池百合子丸川珠代のような権力亡者もいる。だけど女性の方がマシな確率はたぶん(笑)高い。

 今の野党がいまいちなのも、女性候補者の数が少ないだけでなく、政策に女性の声を取り入れていないことも大きいでしょう。
 共産党女性候補者数が多いと威張ってますが、書記局長の小池が現委員長の田村に公衆の面前でパワハラをやったのを見れば、正体は一目瞭然。共産党は男社会のファシスト集団です。

www.jcp.or.jp

 立憲民主だって神奈川かどこかの県連のパワハラ・セクハラで女性候補者が降りる騒動があったし、社民党でもセクハラ・パワハラで将来を嘱望されていた八王子の佐藤市議が引退する事件があった。市民運動だって総がかりみたいなオールド左翼の上層部は肩書大好きの頭が悪いジジイだらけじゃないですか。市民連合だって主だった面子はジジイばかり。
 正直、どいつもこいつもどうにもならないんじゃないですか。

●これが男社会、Boy’s Clubの典型

 ということで、この本は実証データの分析から学ぶべき点が多々ある、説得力のある本でした。さっと読めますが、とても良い本です。


 さてゴールデンウィーク後半は中目黒のイタリアンへ行ってきました。普段は行かない店ですが、1年半くらい前にたまたま入ったら結構おいしかったので、たまには気分を変えようかな、と。夜は珍しや、キアニーナ牛/キアーナ牛を出すというんです。

 キアニーナ牛トスカーナの希少種で肉牛の原型ともいわれています。イタリアでも月当たりの生産数が規制されているので滅多に食べられません。これは『良い規制』です(笑)。
 それでも最近は日本でも出す店が出てきました。日本人が現地へ行って、パッキングまでやっているそうです。もう和牛みたいなものは食べたくないのですが、キアニーナ牛なら食べた~い(笑)。

 最初は泡、フランチャコルタ。

 アミューズは手前からライスコロッケ、ヤシの若芽と桜肉のタルタル、パプリカのマリネをトウモロコシの皮で巻いたもの。この店は日本人シェフがベネズエラ生まれで、イタリアンに南米テイストが混じっているのが特徴です。

 トウモロコシと言っても紫のもの。香り高い。

 白アスパラと真鯛のセビーチェ。セビーチェとは生魚などをレモンとオイルでマリネにした南米の料理です。

 新玉ねぎのズッパ(スープ)。トーストの上にコクのあるチーズ(名前忘れた)がプラスされてアクセントになっています。

 合わせるのはシャルドネ

 バナナの葉で蒸したポレンタ・ボロネーゼ・サルシッチャ・こごみなどの山菜

 合わせるのはオレンジワイン。

 もちもちしたパスタにハマグリとフレッシュトマト。デカいハマグリです。左上はグアサカカという南米のアボカド。

 この店のスペシャリテアニョロッティ ダル プリン。15種類の野菜と肉がつまったラビオリです。バターソース。

 合わせるのはナポリかどこかのロゼ。

 じゃーん。キアニーナ牛のロースト。部位はヒレ。これもココットでバナナの葉の香りをつけています。

 切り分けられて出てきました。やっぱり赤身の味が濃い。美味しい!和牛みたいに脂っこくないし。これならいくらでも食べられます。

 合わせるのはバルバレスコ。この頃はもう、天国状態です、酔っ払っているし(笑)。 


 デザートはチョコのテリーヌ。左上にはパッションフルーツのブリュレ

 カモミールとお茶菓子。

 やっぱりキアニーナ牛は美味しい。本当に赤身の味がするキアニーナ牛を食べちゃうと、脂ギトギトの和牛なんかゴミみたいなもんです。
 この店の料理はお皿の上に載っているもの全部の組み合わせで味が決まって調和する、という面白いものでした。だからunitoという店名なのでしょう。


 夜になって風も涼しくなってきました。帰り道 目黒川沿いの緑が美しかったです。

これは恋愛映画じゃない:映画『パスト ライブス/再会』

  楽しかったゴールデンウィークもお終いです。ああ(嘆息)。
 この時期 お天気も良く、新緑が美しい。これは映画を見に行く途中に通った邪教神社(笑)、明治神宮

 マンションの中庭ですら、普段より美しく見えます。日頃の憂さを新緑に慰めて貰っている(笑)。

 昨日の子供の日はもう、こんな感じなんですね。子供の日、という言葉も死語になりつつある。

そういえば町で鯉のぼりを見かけることも随分減りました。

 少子化になれば、経済は悪化する。経済が悪化すれば婚姻や出産も減り、更に少子高齢化が進むという負のスパイラルに今の日本は突入しています。おまけに国民の頭も劣化している。
 40年も前からこうなることは判ってきたのに、誰も手を打たなかったわけですからね。政党や役人だけでなく、殆どの男どもも家事すらしなかった。声を挙げることすらしなかった。

 自民党への逆風が話題になってますが、国民はどうせ直ぐ忘れてしまう可能性も大、じゃないですか。

 どんなタレントだか知りませんが、こんなバカにつける薬はさすがにない。

 それに自民党が酷いのは勿論にしても、野党に代わってもどうにかなるわけじゃありません。

 仮に野党に優秀な政治家がいてアベノミクスの後始末ができたとしても、あと10年はかかる。まして少子高齢化なんて今から対策をしても効果が出るのは50年後です。まして自民党も酷いけど野党の思考停止だってロクなもんじゃありません。

 新緑でも眺めながら、せめて静かに朽ちていく、というのが、これからの日本のあるべき姿でしょうか(笑)。 

 まじで日本人なんか地球上に存在する必要ないんじゃないの(笑)。


 と、いうことで、渋谷で映画『パスト ライブス/再会

 ソウルで暮らす12歳のノラとヘソンは互いに惹かれ合っていたが、ノラ一家が海外に移住したことで離れ離れになる。12年後、ニューヨークとソウルでそれぞれの道を歩んでいた二人はオンライン上で再会するが、遠距離ゆえのすれ違いでまた、離ればなれになってしまう。さらに12年が経ち、36歳で舞台作家になっていたノラ(グレタ・リー)はユダヤ人作家のアーサーと結婚する。ヘソン(ユ・テオ)はそれを知りながらも彼女に会うためにニューヨークを訪れるが

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 ベルリン国際映画祭ゴールデン・グローブ賞、アカデミー作品賞&脚本賞などにノミネートされるなど非常に評価が高い作品です。監督は韓国系カナダ人のセリーヌ・ソン。これが初監督で、ソウル出身でNYに移住した監督本人の実体験が元になっているそうです。

 お話は3つに別れています。
 12歳のノラとへソンが互いに惹かれあうも、ノラの一家がカナダへ移住することによって離ればなれになるまで。

 その12年後 二人がネット上で再会するも遠距離のすれ違いで疎遠になってしまうまで。

 更にその12年後 NYで結婚しアメリカ市民権を取得したノラの元をへソンが訪れる。

 詳しい説明はありませんが、へソンは優秀な成績で大学を卒業、それなりの大企業に就職している。大企業とそれ以外には処遇がずいぶん差があると言う韓国社会の格差の大きさはよく言われるところです。
 ヘソンはプレッシャーに耐えながら兵役に就き、大企業に就職し、韓国人男性に要求される『一人前の男性としての責務』を果たしている。恋人ができたこともありましたが、遠く離れたNYにいるノラのことを忘れられない。

 ノラの夫のアーサーはアメリカ国籍のユダヤ人。作家です。

 彼は舞台脚本家のノラと同じクリエイターとして彼女の意志と自由を尊重している。家事も分担、同居人のような関係でもある。ソウルからへソンがやってくるとノラから聞いて心配はするものの、彼を喜んで家に招き入れ、夕食も共にする。

 若い女性を中心に映画館はお客さんは結構入っていました。きっと韓流の純愛もの?みたいなイメージでお客さんが入っているのでしょう。ボク自身はそれ自体はピンと来なかった(笑)。監督が描きたいことは、恋愛ではないと思ったからです。

 終始 映画で語られているのは主人公ノラのアイデンティティの問題です。
 3つのエピソードにはどれも、韓国特有の社会の現状が色濃く反映されています。
 軍事独裁政権が続いた韓国の将来を悲観して多くの韓国人がアメリカへ移民として渡ったこと。70年代、80年代から移民は盛んだったようですが、ノラの場合は90年代の通貨危機も関係しているのかな。
 現代は民主化はされましたが、今度は過度な学歴社会で子供の時から競争に追われている。大企業に就職するかしないかで、社会的な格差も大きい。中国との繋がりが韓国にとって重要になり、今度はアメリカではなく中国の影響力が強まってくる。
 そうやってグローバル化しつつある中でも儒教の男尊女卑的な発想が残っていて、男は充分な収入がないと結婚できない、という奇妙な強迫観念に囚われている。

 映画の中でノラが夫のアーサーに、ヘソンが持っている韓国人男性特有の男性性の魅力について語るシーンがあります。彼女はまんざらでもなさそうです。アーサーは思わず物憂げな表情を見せるのですが(笑)、元々ノラの気持ちは決まっている。

 劇中 24歳の時のノラの『韓国語なんて母親にしか使わない』と言うセリフがあります。彼女は韓国を捨ててアメリカで暮らすことを選びました。郷愁はあっても、自由に生きたい自分は韓国的なものを否定しなくては生きていけない。
 だけど、郷愁に多少は心が揺れる。人間ですから(笑)。

 この映画、そのノラが抱える矛盾が面白いんです。純情な韓流イケメンの恋物語に見えなくもないけれど、主人公の心の揺れの描写と比べたら、へソンのイケメンぶりとか純情ぶりとか単純すぎてつまらない(笑)。善人ではあるけれど、ただのバカじゃん(笑)。いや、へソンだって判ってはいるんでしょうけど。

 ま、ボクは、ヘソンの抱える『稼ぎが悪いと妻を養えないんじゃないか』と悩むような(マヌケな)『男性性』みたいなクズの発想が死ぬほど嫌い(笑)というのもあります。所謂 『マチズモ』ですかね。ボク自身はそういった『男性性』とは絶対に両立できない。死ぬまで闘ってやる(笑)。

 題名のPAST LIVESとは前世のことで、映画では前世からの宿縁のことが何度も語られます。ノラもヘソンも、そしてアーサーも自分たちの過去を肯定し、お互いが知り合ったことに感謝すらしている。でもノラの気持ちは最初から決まっているからこそ、そんな話が出来るんです。

 ラストシーンは登場人物たちの間の開け方といい、感情の爆発といい、本当に素晴らしい。この、心の揺れの表現はなんと言って良いのでしょうか(笑)。ノラはヘソンではなく、自分の過去のために泣いているのです。それを敢えて言葉にしない、これぞ映画です。
 この映画、恋愛映画ではありません。人間を描いた映画。だから普遍性がある。

 完成度は非常に高いです。脚本も良く練られているし、テンポも良い。ノラを演じるグレタ・リーが可愛かった(笑)。瑞々しいばかりの24歳と落ち着きがでてきた36歳の演じ分けもお見事。

 何と言っても出色なのが、映像も音楽も非常に美しいこと。音楽は全然知らない人ですが、『ドライブ・マイ・カー』の石橋英子ジム・オルークなど近年の邦画でよく使われるような、美しくクールな現代音楽で一発でボクは気にいってしまいました。アメリカっぽくない。

 普遍的なテーマを問う、美しい映画です。良い映画の常として、人によって色々な感じ方ができるとは思いますが、一人の女性のアイデンティティの物語としてボクはとても共感できました。


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