河馬には悪いけど河馬の集まり
馬鹿馬鹿しいことだった。
絵手紙教室のSさんより電話で、
絵手紙終了後の食事会は自粛となったのだ。
講師を囲んで、有志だけの食事会、
今年は、会のまとめグループに入っていたので、
親交をかねてと思い、ときどき参加していたのだったが、
なんだか不都合な状態になっていたらしい。
おばちゃんの集まりって、だから嫌なんだよ〜!
軍人勅諭
そう、教育勅語なのだった。
叔母は長い間透析をうけている。
透析中のベッドの上で、何か癒しになる読み物が欲しいということで、
般若心経やら小倉百人一首やらを用意しているらしい。
そこまではわかるが、
教育勅語や軍人勅諭にまで、癒しを求めるとなると、
若い頃に培われた精神、脳構造を改めて思い知る。
そうだった。叔母は従軍看護婦だったのだ。
十年ほど前、どこかで入手した夫が、教育勅語の書いた紙を、
叔母に送ったことがあるそうだ。
紛失したので、また送ってほしいという依頼の手紙、
単身赴任中の夫に電話したら、当然のことながら絶句状態。
パソコンで検索してみる、という返事で切れた。
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義母にも妹がいたことを、しばらく忘れていた。
我が家から歩いて五分ほどの家庭菜園の草抜きを、
ヒロコと一緒にやりたいから、といつのまにやら連絡済だったようで、
買い物から帰ったら、
隣町に住む義母の妹のヒロコさんが、居間にちょこんと座っていた。
何泊かするのだろうが、当然飯炊き当番はスミレなのであった。
教育勅語
実母の妹のばあさまの存在を、
すっかり忘れていた。
母より三つ年下だから八十三歳、
叔母から突然かかってくる電話や手紙には、
かつてどれだけ驚かされたことだろう。
その叔母から、やっぱり突然の手紙、
嫌な予感がして封を切る。
はぁ〜、きょういくちょくごぉ〜?