蕎麦の出前か

4週間前にストックセンターに注文した種子がまだ来ないので、ついに問い合わせてみた。すると、「今まさに送ったところだ」的な返事が来た。そば屋の出前みたいだが、それでもAppologies for the delay. と謝られた。本当はAが来るまでに来ていてほしかったのだが、土の購入や栽培条件の検討もしなくてはいけない。

技官2日目

Aとともに植物栽培の準備に取りかかる。隣の技官や、温室のKに相談して必要なものをそろえていく。
ここの研究所は、農薬をあまり使わず、線虫を毎週まいてハエの幼虫を食べさせたり、ダニをまいてアブラムシを食べさせたりしている。線虫を殺す薬かと思ったら、あえて線虫をまくとは驚いた。ドイツのK君にもいろいろ相談にのってもらったが、ハエの根絶は無理なようなので、この方法を採用することにした。

4ヶ月かかった技官募集

決まるまでこの日記にはあまり書かなかったが、技官募集から4ヶ月ほどかかり、この期間の主要な仕事の1つだった。まず、研究所の人たちに募集広告のテンプレートをもらい、求人広告を見る人がどこに着目するかを検討。募集経験のある人たちに何度か添削してもらった。6月頃には、応募者の参考にもなるよう、研究室ホームページを含めて準備した。これがまた大変。
http://d.hatena.ne.jp/Shimiken/20060613


広告を出す場所は、オンラインのtelejob http://www.telejob.ethz.ch/telejob/offers.xmlを薦められた。スイスの研究関係の求人がかなり集められている。また、Zurich-Basel Plant Science Centerにも掲載してもらった。しばらくで10を超える応募が来た。修士号もちの応募が多く、ヨーロッパでPh.D.コースに入る難しさが伺われる。外国からの応募も多い。また、スイスは4年コースの技官学校があり、実習として大学や研究所などで働きながら資格をとるようだ。


募集のポイントの1つは、英語とドイツ語の両者に堪能で、大量のドイツ語事務書類を英語にできること。そもそも、チューリヒ大学のofferのネゴシエーションのときに、山のようなドイツ語を出されたので「こんな状況ではとてもオファーを受けられない」といったら、大学予算で技官がついたのである。


そこで、募集はあえて英語で書き、英語で応募するように書いた。しかし、ドイツ語で送ってくるものも少なくない。読めない以上検討できない。


応募書類を見て難しいのが、スイスやヨーロッパの教育システムがよく分かっていないために、経歴を見ても判断がつかないこと。高校や技官学校で、生物6点、化学5点といわれても、いいのか悪いのか(実は6点が最高点なのでとてもよい)。


ついで面接。会ってみると、どの人も一緒に研究できたらいいなあと思う人ばかりである。ここでのポイントは、ドイツ語と英語の両者に堪能なこと。もう1人教授に同席してもらえて助かった。


このあたりで7月に入ってしまったのが痛かった。大学予算事務や就労許可関係者が、夏のバカンスに入ってしまって手続きが進まない。これはアメリカにも似ているが、ある特定の担当者がいないと、他に誰もわからないのである。一度決めかかった人が、予算手続きに時間がかかっているうちに他の職をみつけてしまった。学んだことは、7,8月に事務手続きをするのは無理だということ。外国にいったら、1つずつ痛い目に遭わないと分からない。


このころに応募してきたのがA。決まるときは簡単に決まる。結果的に、非常によい人が見つかったと思う。

技官1日目

ついに研究室が1人だけでなくなった。今日が技官のAの一日目である。スイスには技官学校があり、チューリヒ大学で4年ほど実習兼仕事の経験をしてきたという。

午前中をまたDepartment head会議に時間を費やしたあと、急いで昼食を食べ終え、Aを迎える。まずは事務室へ。仕事内容や、年金などの書類にサインする。仕事内容など改めて文章にすることもないと思うのだが、書かなければいけないので、他の研究室の技官を参考にして、試薬注文10%、実験講習10%などといった書類をつくる。技官はカフェテリアの昼食券をもらえる(=私の研究費から自動的に減る)ということを初めて知った。


次は、コンピュータ担当者のところへ行ってメールアドレスなどを作る。鍵を作ろうとしたら、depositが必要なのでまた今度。


続いて、研究所のいろいろな人に紹介していく。重要な人に限って忙しく、5回訪れてやっと話せるということもあり、ずいぶん時間がかかった。まわりの人々の助け無しではとてもやっていけないが、大丈夫そうだ。


さて、空っぽの研究室をどうしよう? まずは電話をつけようということになる。事務室に行くと、国際電話は私のオフィスからかけられるので、研究室はヨーロッパ内のみにするよう薦められた。そういえば、ある研究室で電話を借りようとしたとき、国際電話はこっち、といわれたことを思い出した。


少し仕事らしい仕事として、ドイツ語の3つの事務書類を読んでもらった。これで非常に楽になった。語学の才能があり、母語がスイスドイツ語と英語で、ドイツ語、フランス語も堪能なのがありがたい。他のラボの人に、さすがに日本語は話せないよね、とからかわれていた。

数学者を招く

京都での旧知の数学者Oさんをお招きして、生物寄りの数学のセミナーをしていただいた。スペインとロシアの学会の通り道で、題はStudy of Integers Inspired by Biological Growthアンモナイトや花の形態やネズミの増殖をもとに、フィボナッチ数列などの話であった。


セミナーホストは初めてでである。あいにく今日は午後から休日なので聴衆は自分だけとかと心配だったが、30人も聞きに来てくれてうれしかった。自分が話すより緊張する。セミナー後は、とくに植物系統学科で葉序を研究している人たちと、昼食まで話が盛り上がった。

夕食は(当然)フォンデュ。パンに加えてやはりジャカイモがおいしい。Oさんとは10年以上前に、高校生の理数教育に携わるNPO法人数理の翼」夏季セミナーhttp://www.npo-tsubasa.jp/tsubasa/を通じて知り合った。この法人では異なる分野の人と話す機会が多くて面白い。

高山植物の自然史

高山植物の自然史―お花畑の生態学

高山植物の自然史―お花畑の生態学

飛行機では「高山植物の自然史」を読んでいた。熱帯に行ってまで高山植物はないだろうと思うかもしれないが、アンデスの植生パラモは、高山ツンドラである。


本が出た10年ほど前は、形態や系統に興味があり、あまりおもしろみを感じられなかったが、いま見ると、次の一歩のための使える情報がつまっている。研究経験を重ねてはじめて、総合的視点の生態の面白さがなかなか腑に落ちたように思う。


ラクティカルに気になるのが、発芽のための環境条件。種子を集めてきても、発芽しなくては困る。プレート上で発芽せず困っていたものを、机の上に置き忘れていたら発芽したということもある。温度の変動がトリガーになっているのかもしれない。シロイヌナズナの論文を探してみたところ、古くから発芽の生態学が研究されている。きっと強い自然選択がかかっているだろう。
BASKIN JM, BASKIN CC
ECOLOGICAL LIFE-CYCLE AND PHYSIOLOGICAL ECOLOGY OF SEED-GERMINATION OF ARABIDOPSIS-THALIANA
CANADIAN J Bot 50: 353-360. 1972

ボゴタ出発

Shimiken2006-09-09

空港に行く前に、町を見下ろすモンセラーテの丘に連れて行ってもらった。口々にGoogle mapみたいだといっていた。


いろいろな人に会うことができた。それが仕事で来たのである。意外なつながりというのも多い。


ブラジルからの参加者に「京都から来た」と自己紹介したら「Sさんを知っているか? アメリカでルームメートだった」といわれた。知っているも何も、5年もご一緒にセミナーをしていた方だった。世界はそれほど広くないのである。


京都時代にセミナーで面白い話を聞かせていただいた方が、アリゾナ大学からノースカロライナ!を経て、コロンビア南部の研究所にいらっしゃることがわかった。今回は直接はお会いできず残念。


NCで同じラボだったスーパーポスドクA(今月からU Mass Amherstに独立)がコロンビアの出身で、Aの知り合いだというと話が盛り上がった。彼女は年末になると、コロンビアのクリスマスのゲームをするといって皆を巻き込んで盛り上げていた。こちらにきてわかったのは、コロンビアでも彼女は特別に社交的だということ。コロンビアゲームというより、A's gameと呼ぶべきだと。