初めての手術のこと

数年前から背中に何かのしこりがあって、先月やっと重い腰を上げて病院に行ったら良性の脂肪腫疑いということなので局所麻酔で取ってきた。膨らむ速度は人によって違うけれど、大きくなりすぎると全身麻酔になるそうだ。

検査でMRIを初めて受けた。狭い筒の中に入って周りからコンコンガンガンガガガガと音がするので確かにやや怖いが、慣れればしばらくうとうとする程度の余裕はあった。

外科手術は生まれて初めてだった。それほどでもなかったが、初めの麻酔注射が一番痛みがあった。背部に痛みを加えられている最中に、力を抜いてくださいね、と言われても、無理ですアハハ痛えという感じで何も出来るものではなかった。手術中は確かに麻酔が効いているところは全く痛くないが、何か押されたり引っ張られている感触はあるので、見えないところで何かされているようだが何をされているのかさっぱりわからん、という状態が何分も続いて不安なのか何なのか妙な気分になりつつ、脇腹に近いのでむしろ時々くすぐったいのだけれど、痛みはありますか、としか聞かれないので、ありませんウググ、と答えるしかなくさらに妙な気分が追加された。

吸収糸とテープでの縫合なので抜糸の必要はないが、組織検査の結果通知にもう一度病院に行った。ただの脂肪細胞でとくに問題ないとのことだった。

はてなハイクのログから引き揚げ

私は大学生になってしばらくの頃から難しい小説があまり読めなくなって、今はweb小説やマンガを娯楽として読むくらいで、それさえ積んでおくことも多いのだけれど、自分自身でもわりとこれにはわだかまりがある。しかし、自分にとって読書というのは読みたいから読むものであったので、読む気の出ないものを無理に読むこともしたくないのでそのままになっている。

なぜ文学(語弊はあるけれどこの言葉を使う)に向かっていけなくなったのか自分で考えると、私にとっての文学といったものは、倫理や人生かなんかの答えのようなものを期待して読んでいたようなフシがあって、そこで二十代半ばで価値観がだいたい固定された(思い返すとそのころから前には今の基準とそこそこの差があるようである)から、あえて知らない本に向かっていく意欲が減退したような気がする。あるいは逆に、体力や欲のピークがそこで、新しいものを取り入れなくなったので、意見が固定されたのか。なんとも人間の程度が低くはあるが。

ともあれ、私が読書に求めていたものとは違って、世の読書子は物語や文章の綾そのものを楽しんでいるから長く読み続けられるのかもしれないなどと、週に数冊の文庫本を読んでいる私の母を見ていて思う。

父方の祖父について 

私に少なからぬ影響を与えた彼が死んで一年経った。幼いころに父親を亡くして親戚の家で育てられた祖父は、高等小学校では優秀だったそうだが、面倒を見てもらっていた家の都合で希望する中学校に進学できず、それを一生の屈託にしてしまった。官公庁関係の仕事を続けながら、家計を省みずに子供をみな大学にやった。勉強しろが孫に対する口癖だったが、祖父が本のようなものに向かっている姿は記憶に無い。
目をかけた人に対しては柔和で面倒見がよかった。いつもあちこちに出かけては人と会っていた。家族には高圧的で、たまに猫なで声を使って機嫌をとるような振りをした。世のため人のためになるようなことをしろ、物事に本気で打ち込んでみろと平然と言っていたが、それで家族に向かって不機嫌や気まぐれを撒き散らす分にはかまわないようだった。自室で寝たり起きたりしている私を、あのままでは何にもならないと言っていた(父に対して大声で話しているのを聞いた)。食生活から体を壊し歩行や運転がうまくできなくなってから、何にもならなかった私が主に車を出して祖父の足になっていたことについては、とくに何とも思っていないようだった。
率直に言えば、私は祖父を愚かだと思っていた。勉強を口癖にするものの、自分の言動を省みず、家族に甘え、他人には立派な顔をした。農家に生まれたにもかかわらず、食べ物も高価な品物も買っては無駄にした。祖父は私に立派な人間になれというようなことを何度となく言ったが、つまりそれは、彼の思うところの大学教諭や医者のような、地位と名誉の塊だった。もしそのようなものになったとして、彼のごとき生活でさえ立派なのだというのなら、そんなものに意味は無いと私は思っていたが、とくに彼にそれを理解させようともしなかった。私は祖父の望みを理解したような気になっていたし、祖父は結局私の望みを理解しないままだった。
葬儀の参列者は多かった。大変世話になったと話す人も何人もいた。遠方から心のこもったお悔やみの手紙が届いた。良い友人のいたことは、彼の人生にとって幸運だったと思う。