オールタイムベスト2014

SFマガジン700号で結果が発表されていました。ちょっとうろたえるような結果。
飛本人は『象られた力』で日本SF大賞をいただいたときから全然進歩していません。そのときの「受賞のことば」を再掲して、お礼の言葉に代えます。

 受賞の報せは船上で受けた。

 飛は今、本土から約七〇キロ離れた日本海の離島に棲んでいる。日本SF大賞の選考がその日の午後だとは承知していたが、飛は所用で三時過ぎにはフェリーに乗り込んでいた。それに乗らないと翌日の仕事に間に合わかったのだ。
 全長一〇〇メートルもある立派な船だが、二等船室は広い桟敷が何区画かあるばかりである。みな我れ先にと乗り込み、お花見の席取りをするように自分の寝場所を確保する。二時間半もあぐらをかいていられないので、みんな一枚三十円の貸し毛布にくるまって、棒のように寝っ転がるわけだ。
 たちまち、桟敷は毛布色のフィンガーチョコをならべたような景色になる。
 その日は海もけっこう荒れていて、右隣の同僚も含め、だれもが速攻で睡眠体制に入った。左どなりのおじさんだけは、どういう訳だかクロスワード雑誌を攻略している。飛も船酔いはしない方だが、ここまではしない。なかなかの人物だと思った。
 さて銅鑼が鳴って三十分かそこらが経過し、だれもが夢の中に漂いだしたころ、ポケットの中で携帯が(おごそかに)振るえた。
 受賞の報せだった。
 しけに揺れる船の上、ぎっしりと敷き詰められた人を踏みそうになりながら(踏んだかもしれないが)ロビーに出て、通話を続けようとするが、悲しいかな日本海のただ中ではアンテナが一本しか立たず、それも頼りなげに点滅するのみである。
 何回通話が中断したか、もう覚えていられないほどだった。
 ふたことみこと話すと、すぐ切れてしまう。
「や、すみません切れてしまって」と言うだけで、もう無音になる。
 しまいには船上の衛星電話にテレカ(久々に買ったよ)を突っ込み、飛の声はいったん軌道まで上がり東京に舞い降りて、それでようやくまともな会話ができた。
 用件がすべて終わり携帯を見ると、アンテナは完全に消えている。
 なんか、みっともないなあ自分……と、うな垂れながら、ゆっくりと桟敷に帰った。
 同僚は眠りこけている。
 左のおじさんはまだクロスワードを続けている(実話です)。
 飛も毛布にくるまる。
 だれにも携帯は通じない。
 同伴する編集者も、肩をたたき合う友人も、びっくり顔の家族もいない。
 みんな棒になって寝ている。夢を見ているかもしれない。おじさん以外は。
 フェリーは灰色の波と灰色の空の境界を、冷凍睡眠宇宙船のように粛々と進んでいる。
 なんとまあ――
 なんとまあ、飛にお似合いなシチュエーションだろうか。
 変な話だが、なんだかほっとしたのだった。
 たぶんこれからもずっと、こんなみっともない調子だろうな、と思った。
 速く書くことも、沢山書くこともできない。
 書きたい話のストックもない。
 ずっとそうなのだ。
 小学生が石ころを蹴りながら下校するときのように、その時つま先にある一個の石だけを大事に、田舎で、ひとりで、とぼとぼとSFを書いてきた。
 たぶんもう変わらないだろう。
 でもこの日、「まあそれでもいいでしょう」と、承認されたような気がしたのだ。
 あんたはまあ、そんな感じでいいよ、と。
 毛布に包まった棒状の飛は、安心し、かといってさすがに眠れるわけもなく、日本海のうねりを背中に感じながら、天井をぼおっと眺めつづけた。

 SFを書く場所は、「夢」と「クロスワードパズル」に挟まれたどこかに、ちゃんとある。
 その場所なら、もう知っている。
 書き上がったらそれを送ろう。アンテナが消えかけたらテレカを挿せばいい。衛星が届けてくれるだろう。
 だからこれからも、急がず、遅れず、ころころと蹴っていきたい。

 みなさん、どうもありがとうございました。

御目出度うございました。

円城塔氏が芥川賞を受賞。なにがといってこんなめでたいことはない。というわけで、氏が〈ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション〉でデビューした『Self-Reference ENGINE』の、その帯に飛が書いた推薦文をここに載せます。(読みたいという人がいるようなので)

ソラリスの海〉がじつは単一の生命ではなく無数の個体からなっていて、しかもその境界線で海同士がわけのわからぬ会話を交わしていたとする。本書は、そんな波間から釣り上げた会話の断片集といってよい。いや、比喩ではなく、これはマジでそういう本なのであり、しかもその「会話」ときたら、SFファン同士の愚にもつかぬバカ話とうりふたつなのである。というわけで、謹んで「爆笑ソラリスジョーク集」の称号を進呈したい。そして、もちろん、この本の中身はそれだけではないのである。

以下自慢ですが(^^)、この推薦文(同書をとりあえず「複雑系+シンギュラリティもの」と見立てたもの)は結構評判が良かったです。

お断りとお詫び

長期にわたってだらだらと連載していた「零號琴」が完結したから、というわけでもないのでしょうが、ここ一月ほどのあいだに、短文や小説の依頼をいくつかいただきました。

大変申し訳ないのですが、そのすべてをお断りいたしました。

御存じの方もあられるでしょうが、飛は兼業作家です。この秋からその本業が多忙を極めており、また以前に書いたとある作品の改稿にもほどなく着手することになります。この改稿作業は(おそらく全面的な書き直しとなるため)どう少なく見積もっても、半年を要すると考えております。

そのようなわけで、現在、新規のご依頼はすべてお断りしている状況です。

さらに心苦しいのですが、個人的にはその改稿作業が終わり次第、えんえんと逃げ回りつづけている『空の園丁』の執筆に専念したいと念願しております。

以上をまとめて申しますと、今後、少なくとも2年ほどは、これ以外のいかなるご依頼も(発表済み短編の書籍化なども含め)お引き受けすることができないということであります。

なお、すでにご依頼を頂き、執筆をお引き受けしたもの(及び検討する旨をお返事したもの)はもちろんこの限りではありません。

以上、身勝手ではございますが、お断りとお詫びを申し上げる次第です。

日本SF大賞選評

1年前に書いたものです。

 豊饒の年だった。最後まで順位を決めらぬまま、選考会に臨むこととなった。

 上田早夕里は緊密な構成と文体、実在感ある世界の現出に長じ、それが暗めの情調とあいまって「くさびらの道」などたいそう魅力的だが、上出来な作品と仕上げるためにはどこかで守勢に回らざるをえず、捨て身で書かれた作品とならべれば、そこが不満となる。表題作は世評高いが、私を「そう、この小説はこうでしかあり得ない」と説得してくれなかった。ああもコスト高な生活環がなぜ採用されたのか、どうして人の側は「進化」しないのか、などの瑣末事はさておき、前半で布置された登場人物の喪失感が、壮大な進化の話に紛れて、正面から取っ組み合われていない、と感じる。「朋」はもっと「業の深い」アイディアであるはずだ。――さて「傷つき病んだ男特集」とも言うべき本書としては、白眉はやはり「小鳥の墓」だろうか。私としては「饗応」の、トリビュートの意地悪さ、ガードの程よい緩さが実は好きだ。

『アンブロークン・アロー』は「雪風で『猶予の月』をやる」という恐るべき試みである。小説を書く上で手がかりとなる前提をごっそり取り払ったうえで、作者は知力を振り絞り、ありとあらゆる手を試し、何度破れても立ちあがってついには素手で作品世界を再構築してみせる。地図もテントもザイルも捨てた、作者の命懸けの縦走そのものがこの作品となる。何たる蛮勇! 単体作品として評価が難しいこと、次なる展開が予想されることから贈賞は見送られたが、このベテランの怪物的なスタミナと闘争心には感服するほかない。神林長平がここに産み落とした「リアル」に震え上がらぬクリエーターなどひとりもいまいが、それこそが世界の実の姿であることを忘れてはならぬ。

 佐藤哲也は読み手に尻尾をつかませない、なんだかいつもけむに巻かれてしまう気がするのだが、ことコアSFにちかい場所ではきわめてシリアスな顔を見せてくれる。思えば『妻の帝国』もそうであった。あの作品に対しては後半の展開に不満を述べる声が多かったが、『下りの船』はそれがただの不見識だったことを見せつける。ここでは『妻の帝国』の後半が、世界総体――すなわち理不尽の巨大な堂々巡りとなって、立ち上がってくる。この作品世界は現実の悲惨の知的戯画都も見えるが、私には、むしろ作者の気質と生理にふかく根ざした――村上春樹の“世界の終わり“にも似た――内面そのものなのではないか、と感じられた。作者は誠実に、忍耐強く、呪文のごとき文体を駆使して、この世界を生動したままずるずると掴み出し、私の前に広げる。魚たちの吐息、後頭部を殴られた衝撃、そして船の煙突が立ちのぼらせる黒々とした煙りは、もう私の中にも植えられてある。いまもまだ動いている。

 長谷敏司の『あなたのための物語』を読んで、最初に連想したのは、奇しくも〈雪風〉であった。小説家がみずからの危機と立ち向かうために書かれた書物であること、そして〈記述を目的とする人工知性〉が主題となっていること、の故である。あちらにあってこちらにないのは〈ジャム〉であり、代わりに迫ってくるのは現実の死だ。これを綴る文体は作者自身の闘病記のごとき即物性記録性にみち、読者に極度の緊張を強いる。知性と意識を扱うSFの多くはパズルの遊戯性に安住し、物語の意義を問うお話しなら臆面もない自賛となりはてる。しかし本書は、SFについに死を超えさせないことで、数少ない例外となった。未読の方に告げておく。世評と異なり、本書にダウナーな文は一行もない。ここにあるのは厳粛さと廉潔さで磨かれ研ぎ澄まされた文章である。主人公の傲岸さ、醜悪ささえもが長谷のペンの下ではいとしく美しい。居ずまいを正して読み給え。

 〇八年の暮れに『ハーモニー』を読み終えたとき、首を傾げた。etmlの種明かしが腑に落ちなかったのだ。これは本当に、結末で示されたとおりの記号なのだろうか。
 読書中、むしろ私はそこに語り手トァンの声を聴いていた。生きてあることがすなわち多様な(医療を含む)システムと接続され情報をやりとりすることと同義であるような、つまりいまの私の生きる実感、速度感がそこにそのまま打刻されていると思ったし、もっと言えば、私はそこに、作者伊藤計劃のぱちぱちいうキータッチを聞いていたのである。
 そのリズムは、作品のトーンとはまた別に、たしかな歓び、どうだいま俺の書いているケッサクを読んでくれ! というご機嫌なグルーヴに満ちていた。ゴタクと思索、ゴミと宝石をひとつの山に積んで、ジョーカーのように笑う伊藤の声、呼吸が聴こえたのだ。
 世界が自縄自縛のすえ千々に引き裂かれるさまが、このように巨大で哀切で、そうして犀利で厨臭い一大ジョークとなりおおせたことはない。あらゆる方向に引き裂かれ、なおその空無の地点にふみとどまりつづけたこと、それはひとえに作者の聡明さと精神の健やかさ、そしてなにより彼がこの作品を真の喜びとともに生み出したゆえであろう。
 迷った末、最終的に私は『ハーモニー』を大賞に推した。作者には心からの感謝を捧げる。 

 銓衡委員の任期は3年間でしたから、これで最後です。選評は候補となった作者本人が読むことを意識して、というより作者に向かって書いていたつもりです。(喧嘩売ってんのかといわれても申し開きできません。)しかし、この年だけはそうもいかず、だれに向かって書けばいいのか少し迷ったものです。(少し、でした。)
 

第41回星雲賞日本短編部門を「自生の夢」に与えていただきました。感謝。授賞式あいさつのうち、脳内編集でカットした部分は以下に掲示しました。
(日付を間違えたのですが、まあ、そのうちこっちへ移します。)
http://d.hatena.ne.jp/TOBI/20090808

日本SF大会 TOKON10

ところで2007年のNIPPONCONでセンス・オブ・ジェンダー大賞を戴いたときに、スピーチをしたのです。
それは、ハヤカワ文庫JA版『ラギッド・ガール』で巽孝之氏が紹介された「受賞のことば」とは別なもので、そういえばあんとき喋ったきりでしたが、探してみたら原稿が出てきたのでアップしときます。

飛浩隆です。あいさつがヘタなので、失礼ながらメモを読むこととします。

私のかわいい娘である『ラギッド・ガール』に大きな賞を授けていただき、ありがとうございます。当の娘の感想はまだ聞いておりませんが、たいそう喜んでいるに違いありません。

このメモを書いた時点では、選考委員の皆様が、わが娘のどこを気に入っていただけたのかまだ教えていただいていません。この娘は、私にとってはかわいいことはもちろんなのですが、正直に白状すれば、なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませます。

『ラギッド・ガール』は短編集であり、さまざまなキャラクターが登場いたしますが、私にとりましては、娘といってまず頭に浮かぶのは、表題作の主人公のひとりである阿形渓であります。
阿形渓をひとことで言いあらわすことは難しいのですが、たとえば「接続された女」ならぬ「接続させる女」であると言えるかもしれません。彼女のラギッドなテクスチャを見た者は、どうしてもその膚に触れたくなる。触れることで、自分に決定的な変質がもたらされることが予感できるからです。

このテクスチャの危険性は私にとって、SFというジャンルの魅力とぴったり重なります。なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませる、そんな圧倒的で魅惑的なテクスチャが、SFというジャンルいちめんに敷きつめてあること、みなさんもとっくに知っておいででしょう。
人はSFというジャンルに触れずにはいられません。なぜなら触れることによって、みずからが変質すると知っているからです。一刻の停滞もなく変質を余儀なくされること、それがSFを生きるということにほかなりません。

Wikipediaの日本語版によりますと、「ジャンル」ということばは「ジェンダー」と同じ語源を持つのだそうです。生まれ落ちたときに持った性質、といえば共通しているようにも思えます。
私は、物心ついてからというもの、SFというジャンルを、そうしてSFというジェンダーを生きてきました。このジェンダーはその中に安住することを許しません。SFはわれわれに求めます。つねにその蠱惑的な膚ざわりとこすれあえと、絶え間なく変質してゆけと。
SFを生きるとは、このようにセクシュアルな体験であると考える私にとって、娘が〈センス・オブ・ジェンダー賞〉をいただいたこのはこの上ない喜びです。
娘に代わり、もういちど、心からお礼申し上げます。

ありがとうございました。

2007.9.2 ワールドコンNippon2007にて
飛浩隆

日本SF大会 TOKON10

参加します。夜行で往復するし、たぶん暑いし、もともと体力もないので初日(8月7日)は{あまり/ぜんぜん}会場にはいません。ホテルでぐうぐう寝ていようと思います。
その分、ふつかめ(8月8日)は休みなく企画に。

2606 サイバーパンクパネル 8/8 9:30-11:00
http://www.tokon10.net/programs/2606.html
2730 TIP&SOG賞パネル 8/8 11:30-13:00
http://tokon10.net/programs/2730.html
サイバーパンクジェンダーもよく分かんないので司会のひとに頼ろうと思います。
このあと、サイン会(13:05〜)てのがあるので、早朝から13時半頃までは休みなしですね。あと、もしかしたら15時30分からも何か{します/しません}。(未確定)
ここで何もなければゆっくり会場を見て回ろうかな、というところ。
めんどくさがりなので、シールは作りません。初日夜の懇親会もおそらく欠席いたします。島根のSFイベント「雲魂」のチラシを持参するのでほしい人はお申し付け下さい。
つねに座れる場所を探していると思います。血圧低いです。耳が遠いです。よろしくお願いいたします。