肉刑廃止について

あれ?



昨日取り上げた太倉公の事件に端を発する肉刑廃止について、『漢書』刑法志では「外有輕刑之名、内實殺人」と、肉刑がほとんど死に至る笞刑になったことを批判的に記してるけど、『史記』ってそういった部分が載ってない・・・?



それとも見落としてるかな・・・?




載ってないんだとしたら、司馬遷漢王朝に忖度したのか、それとも司馬遷自身がそのあたりを批判的に感じてなかったのか、ということになるが・・・。

淳于公

史記』扁鵲倉公列伝に載る太倉公淳于意と、『漢書』刑法志に載る淳于公って、同一人物のはずなのに全く印象が違うというか、『漢書』では名医だという話が出てきてないんだよな・・・。



というか、『史記』扁鵲倉公列伝でも肉刑廃止の一件と、医者としての部分が独立してるよな・・・。



肉刑廃止の太倉令と名医の太倉公って、本当に同一人物?