素の劉禅

ふと思ったが、最近話題にした劉禅が安楽公の後継者に「淫乱無道」の人物を選んだ件って、劉禅からすると諸葛亮とか黄晧とかといった周囲の声に指示や左右されることなく、自分の気持ちと判断によって選択できた「領主としての初めての決定」だったのかもしれないな・・・。



何にも染められていないと、そういう決定をしてしまう系君主・・・。

ひとこと

昨日の話だが、劉禅は反対を押し切ってまで、「淫乱無道」とまで言われるような人物を敢えて後継者に選んだってことなんだよな・・・。



王朝全体の皇太子と違って選んだ劉禅自身の評判と祭祀の存続くらいしか問題はないとは言えるが、それにしたってどういう選び方してるんだ、ってのは思われるよな・・・。

蜀漢3代目(仮)と安楽公2代目の父

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劉禅の後継者は、皇太子も安楽公を継いだ子も、どちらもガチの諫言を受けるタイプだったらしい。



皇太子の方は実際に後を継いでいないからまだ分からないと言えないこともないが、まあ何というか劉禅は子の教育や後継者選びでは凡庸とすら言えない(婉曲)ようだ。

蜀漢3代目(仮)

後主立太子(劉)璿、以(霍)弋為中庶子、璿好騎射、出入無度、弋援引古義、盡言規諫、甚得切磋之體。
(『三国志』巻四十一、霍弋伝)


蜀漢の霍弋は皇太子劉璿(劉禅の子)が狩猟好きでやたらと出かけるのを諫めたという。



つまり皇太子劉璿は魏の文帝のような狩猟大好き御曹司だったということらしい。



仮に蜀漢が長く続いたとしても、少々不安を感じる人物が後継者になるところだったようだ。



この諫言で心を入れ替えた可能性はあるが(ただ、彼が諫言を受け入れたかどうかについては記されていない)。