春の風のように、東へ

 

 

 

 

 

 

晴れ。16度。
7時に起きる。
朝餉は、ホテルのバイキングで卵料理・サラダ・パン・人参ジュース・コーヒー。
妻は近隣への挨拶、大家に鍵の返却とか。駅で待ち合わせて東海道線で東京へ。11時をすぎてからだったので、いっそゆっくり行こうという気分になった。
妻によれば近所の人々が寂しさをもらすという。過疎化の街は、離れていく人をそういう言葉で引き留める真似をする。手遅れのタイミングで口にするのは社交辞令にすぎない。妻は、故郷と縁が切れてしまった気がすると。いい歳してなにをセンチメンタルな、と言いかけて呑み込んだ。妻にはびっくりするくらいタフな一面と、ひっくり返りそうになるくらいひ弱な一面がある。誰だっておなじようなものだと思うが、その対比の妙が鮮やかすぎて笑いそうになる。感受性という言葉は、せいぜいハタチまでと思っているぼくはよほど無神経なのかもしれない。
昼餉は、豊橋で天ぷら蕎麦、ロイヤルミルクティー、桜餡と抹茶餡のロールどら焼き。
車内は春休みそのものだが、ぼくらくらいの人が心なしか少ない。若いカップルが意味もなく愉しそう。
熱海からダイヤが乱れる。横須賀線の沿線火事で上下線とも運行を数時間にわたって止めていた。僕らが熱海に着いた頃は再開されていた。途中からの雨模様で、富士山も見えず。ぼくはルテインの小説を少しずつ読んで、大橋トリオを聴いたり。
あれこれあって、帰り着いたのは9時半をすぎていた。
夕餉は、シジミの味噌汁、焼肉弁当、ビール、ロールどら焼きの残りなど。
iPhoneのキャリアをmineoからNUROモバイルに変えた。旅立つ前に届いていたSIMを入れ替えてプロファイルをダウンロードして開通した。
Appleは、macOSにもマイナーアップデートを施している。バージョンは14.4.1。

 

 

 

 

 

 

 

 

間に合わせる

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。11度。
7時に起きる。
朝餉は、ホテルのバイキングで。ブリ、肉団子、サラダ、豚汁、わかめご飯、野菜ジュース、コーヒー。
アパートへ行く。シェアカーを借りて妻と長浜の産廃処理場へ。布団や衣類を廃棄する。クルマはトヨタのヤリス。いちばん下のグレードだが、シャーシがしっかりしているのでそのことが伝わってくる。150万円なら納得できる。
妻は菓子折りを持って近所に引き払う挨拶に。
昼餉は抜き。
ピアノの運搬業者がアパートに訪う。クルマで5分とかからない小学校に搬入して2階の多目的ルームに設置してもらった。ピアノはそこで、子どもたちの合唱コンクールの練習なんかに付き合う。己れに相応しい後半生が待っている。
妻は悲しげだが、おもてには出さず。応対に出てきた校長先生としばし話す。
残ったモノを車庫に運んで、アパートは空になった。
シェアカーを借りて、妻と彦根のマスターの喫茶店へ。しばしの暇乞い。
借りたのは11万キロ走ったスズキのSwift。足回りが気持ちいい。もう先代になってしまったけれど、手に入れたくなる。
夕餉は、スーパーで求めた弁当とビール。

 

 

 

 

 

 

 

胸ふくらむこと

 

 

 

 


雨、のち曇り。13度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたりんご、サラダ(サニーレタス・キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ハム・卵トーストサンドイッチ、アールグレイ。
荷造りをして、妻と米原まで青春18きっぷでいくほぼ各駅停車の旅。乗り換えは最小の3度。雨で外はなにも見えず。客は多い。春休みだけとは思えず。
遅い昼餉は車内で、握ってきたオニギリ、ルイボス茶、菓子パン。
大橋トリオさんを聴きながら、ルヘインの『The Drops』をぼちぼち読み続ける。44駅を途中休みなく豊橋まで。腰が痛い。
春の雨が運んでくるのは、胸膨らむもの。具体的に書くとそれは少しずつ違ってしまう。たしかに膨らむのに、あいまいなままの方がいいことがほかにもたくさんある。好きな人の好きな部分なんかは最たるものかもしれない。
『わたしのどこが好き?』と尋ねられる。言いはじめるとすぐに落胆する。言うにつれて、その落胆が膨らんでいく。膨らむものが、変わってしまっている。
男の子は、そういう落胆を味わい。女の子は、男の子のそんな表情にさらに落胆する。賢明な女の子は、愚かな質問がこの世に存在することを学ぶ。そして以後二度と間違いは犯さない。
夕餉は、ホテルにチェックインしてから、スーパーで求めた弁当をビールとともに。サッポロのないビールコーナーで途方に暮れる。

雨、のち曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたりんご、サラダ(サニーレタス・キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)ビールコーナーで途方に暮れる。

三寒

 

 

 


曇り。8度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ・バナナ・メロン、サラダ(サニーレタス・キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玉葱・ピーマン・ハムのピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
NHKの来期の女流棋士枠決勝戦。戦いはとんでもない凡戦で、それに輪をかけた解説。思わずひどい言葉を画面に向かって吐いた。
昼餉は中華スープ、焼きそば、コーヒー。
大相撲は前頭17枚目の尊富士が優勝。前日に痛めた右足に痛み止めの注射をして勝った。記録より記憶に残る相撲取りになりたいと。
夕餉は、納豆、菊芋の梅煮、蓮根揚げ、塩鯖焼き、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、かりんとう。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトかけ

 

 

 

 

貧相なひとびと

 

 

 

 


晴れ、ときどき雨。7度。
7時に起きる。
朝餉は、メロン、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴとバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(蓮根・ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、卵焼きとハムのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
甲子園は雨で中止。
国会議員を政治家と呼ぶのは、ぼくらの権利を放棄するようなものだ。代議員で十分である。彼らの給与を10分の1以下にして、任期を最長で2年にできればどんなにかいいことだろう。
昼餉は、中華スープ、焼きそば、コーヒー。
買取屋へ。妻の古着を10着ほど。
妻とマクドナルドでコーヒー、わらび餅パイ。
夕餉は、納豆、菊芋の梅煮、キャベツ・ソーセージ・卵の野菜炒め、焼き鮭、味噌汁(蓮根・ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にほうじ茶、かりんとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

贈ることば

 

 

 

 

 


晴れ。11度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴとバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(菊芋・ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ピーマン・ハム・玉葱のピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
Audirvanaから勧誘メールが来て、以前のユーザーに最新のアプリケーションを味わってほしいと。トライアルの期間は20日だが、Spotifyに対応していないので使いようがない。どれくらい変わったのかダウンロードしてみると、ストリーミングラジオにNHK FMも入っている。画面の意匠は変わったけれど、複雑さというかまとまりの悪さはそのまま。細かい設定がもたらす恩恵にぼくはもう興味がない。そういうのは音楽を愉しむ邪魔にしかならない。でも、NHK FMはいい音で鳴っている。それはそうと、AudirvanaはMicrosoftの傘下に入ったのだろうか。
妻が学校に寄贈するピアノのことを友に話した。すると彼女は、妻に一句を送ってきた。

つばくらめ来て 貰われてゆくピアノ    知美

次の句会に出すとのこと。あのアップライト・ピアノは幸せものだ。
昼餉は、中華スープ、焼きそば。
Netflixでドラマ『3 Body Problem(原題:三体)』を3話まで観る。物語はイギリス・オックスフォードが舞台になっているので、原作とは趣きがだいぶ違う。本をぼちぼち読んでいる身としては、どんな設定でもいいかなという感じだ。Netflix版は『ゲーム・オブ・スローンズ』を制作したデヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスが担当している。そのコンパクトさは別の物語だと思うが、これはこれである。
夕餉は、小松菜のお浸し、蓮根・人参・こんにゃくの甘辛煮、じゃがいものフレンチフライを添えた鶏ささみのレモンバジル唐揚げ、赤ワイン。食後にほうじ茶、甘栗。
Appleは、iOSとiPadOSのバグ修正とセキュリティアップデートをリリースした。バージョンは17.4.1。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛するためにできること

 

 

 

 

 


晴れ。9度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・ニーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(菊芋・ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ハムと卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
札幌から親戚の香典返しが届く。姉と電話で話す。連名で手紙をしたためることに。
あるところまでは片付くのに、その先が途切れる。ぼくも妻も詰めが甘いのだ。片付かない引越し荷物がそこここに残っている。ぼくにある自覚は、妻にもあるだろうか。ぼくがその種の病に罹っているとしたら、妻のも重症にちがいない。その自覚が妻にあればいいけれど。出しっぱなしのものがそのままで、いつまでもそこにある。しつこく言うと機嫌を損ねる。妻はそういうたちだっただろうか。それが思い出せない。
昼餉は、コンソメスープ、ソーセージと玉葱をのせたピザトースト、コーヒー。
大谷翔平選手の通訳が球団から解雇された。ギャンブル依存症が原因という。本人が試合後のクラブルームで選手たちにそう語って去ったと報じられている。彼の苦しみは、依存症に罹った人でなければわからない。金額の大きさは病の深刻さを物語っている。
大谷さんは負債を肩代わりしたと報じられている。真偽は詳らかにならない可能性が高い。球団の弁護士や大谷さんの弁護士がよってたかって真実を見えなくすると思う。そういう利害はシビアに隠蔽される。大谷さんには、これからも巨万の富に群がる輩があとをたたないだろう。
なんにせよ、不法賭博の胴元に大谷さん名義で7億円近い送金があったのは事実らしい。それをどう糊塗するのだろう。通訳は、自らの罪が重くなるような発言をして前言を撤回した。大谷さんは、違法賭博のことはなにも知らなかったというのだ。
17番を背負っていたドジャーズの選手が彼の妻とともに、その番号を大谷さんにあげるから、チームに来てと懇願した。大谷さんは意気に感じて、その妻にポルシェをプレゼントしたという。美談として語られがちだが、ぼくの違和感は喉に刺さった小骨のように尾を引いている。
どんな背番号だろうが、与えられたナンバーでベストを尽くす。それが野球を愛することではないかと思う。
夕餉は、小松菜のお浸し、蓮根・人参・こんにゃくの甘辛煮、餃子・小籠包・春巻き、味噌汁(ネギ・菊芋・油揚げ・豆腐・玉葱)、玄米ご飯、赤ワイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨とほくろ

 

 

 

 


晴れ、のち風雨。13度。
6時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴとバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(ナメコ・油揚げ・豆腐・ネギ・人参・玉葱)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
妻はクワイアの稽古へ。夜に戻る。
注文していた画集本が届く。凪(なぎ)著『雨とほくろ 凪作品集』(芸術新聞社刊)。この画家の絵は、古来の日本画に息づくなにかを正統に受け継いでいる。絵を学んだという形跡はないけれど、絵はもともと学校で学ぶことではない。いくら学んでも、受け継げる保証はどこにもない。受け継いでいるなにかを言葉にする必要はないとぼくは思う。絵は、そのためにある。女絵に流れているこの国の凛々しさは、ぼくらの血に流れている。絵を見れば、その血が騒ぐからすぐわかる。
昔、この出版社の社長さんとはある会合で定期的に会っていた。画集を刊行されていることを知ったのは最近のことだ。とてもいい仕事をされている。求めた画集は著者のサインが入った版元直送のものだ。
昼餉は、ブルーベリージャムの食パン、コーヒー。
にわかに曇って、雨が降り風が吹く。春の嵐。うん、来たなと思う。
ベランダのムスカリに小さな花が付いている。妻が見つけて嬉しそうだ。
夕餉は、納豆、マカロニサラダ、梅干し、味噌汁(ネギ・ウィンナーソーセージ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、煎餅。
妻はデパートの惣菜コーナーで求めた中華モノ、玄米ご飯。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、ほっといて

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。11度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・大根・キャベツ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(ナメコ・油揚げ・豆腐・人参・玉葱・ネギ)、ハムと卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
ちょっと不便なことと暮らす。ちょっとズレていることを見ながら暮らす。ちょっと納得できないものを受け入れて暮らす。ちょっと好きでないモノゴトをいつもそばに置いて暮らす——そんなことは言われなくてもやっている。それらのことを否定するような風潮はろくでもない。ちょっとなぁ、と思わない日はない。だからほっておいてと思う。その先には、次のちょっとなぁが待っているのだから。
昼餉は、コンソメスープ、ウィンナー・ソーセージと玉葱のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ。
ライフハックは知っているより、知らない方がいい。そんなことにとらわれない——それが究極のライフハックかもしれない。なにかを知っていることは、ちょっと得することにつながらない。得することは、大したことではない。ものごとは、損得とかかわりないところで動いている。
だれもが、それくらいのことわかっている。ほっといて、とだれもが思って暮らしている。
夕餉は、マカロニサラダ、大根の皮と人参のきんぴら、味噌汁(ナメコ・ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、シーフードとキャベツ・シメジの中華丼、赤ワイン。食後にコーヒー、かりんとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッカーシーの遺作と黒原敏行さん

 

 

 

 

 

晴れ。11度。冷たい風。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・チーズ・カニカマ・バジル)、スクランブルエッグ、味噌汁(ナメコ・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チーズをのせたバゲットのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
昨日までの陽気はどこへやら。
甲子園の春の高校野球が始まる。妻の故郷の近江高校は早々に敗退。
近所に救急車がけっこうな頻度で来るようになった。あちらこちらで老人が生死の境をさまよっている。札幌の父のことを思い起こす。姉はなんども救急車に同乗した。ぼくも一度か二度。
昼餉は、菓子パン、コーヒー。
予約しておいた新刊が届く。コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳『通り過ぎゆく者(原題:The Passenger)』(早川書房)。550ページを超えるとはいえ値段は4180円。マッカーシーの日本における読者数がうかがい知れる。黒原さんの翻訳にぼくはずっと感服してきた。著者の文体は独特で言葉の使い方も異彩を放っている。黒原さんはそれを見事に和訳されてきた。国境3部作でどれほど感嘆したことだろう。早川書房は遺作の2冊を刊行するにあたって悩んだに違いない。改行のほとんどない文章、カギ括弧のない会話、乾いていて比喩のほとんどない情景描写など、ないない尽くしと言っていい。読むなと言われているような気持ちにさえなる。だが、そこに描出されているものの巨大さには言葉を失う。ひとりでも多くの読者を獲得するにはすこしでも読みやすくしたいと版元が思ったとしても不思議ではない。その結果だろうか、今回の翻訳では会話はすべて改行され、普通の文学作品の作法というものに近づいた。黒原さんのお気持ちをおもんぱかると、哀しい気持ちになる。原書と同じように改行のほとんどないグッと圧縮された文章で翻訳していたら500ページを切っていただろう。4000円以下で刊行できただろうに、早川書房は読みやすさを選んだ。改行された会話を見て鬼籍に入った著者はどう思うだろう。本が届いてから、ぼくはそのことばかり考えている。黒原さんがどれほどの思いやりを込めて翻訳してきたか、それも片時も離れない。
不思議なことに、ぼくはこの改行だらけのスカスカした字面が読みにくくて仕方ない。マッカーシーの遺作なんだぞと言い聞かせ、暴れそうになる気持ちを鎮めながらページを繰っている自分がおかしい。
良い悪いということではもはやない。日本の出版事情がここに現出しているだけのことだ。早川書房は頑張っている。刊行することの意義を護ろうとしている。たとえ原著とはほど遠い見栄えになったとしても、書店に並ぶことを選んだ。ぼくらは忸怩たる思いを抱えつつ、この遺作を味わう。それが遺作にかかわったすべての方々への謝意になると信じながら。
夕餉は、コンニャクと竹輪の甘辛煮、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・ネギ・人参)、シメジとシーフードのドリア、赤ワイン。食後にコーヒー、かりんとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

半分以上は、読みどおりに

 

 

 

 


晴れ、のち曇り。21度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、鶏胸肉と玉葱の玉子丼。食後にコーヒー。
ぐんぐん気温が上がり、ソワソワする。
NHKの将棋トーナメント、決勝は藤井聡NHK杯と佐々木勇気8段。びっくりするくらい進行が速い。佐々木8段は考えるまもなく次の手を指す。解説の羽生善治9段が、最後まで読んでいてもおかしくないと話す。羽生さんの解説は、現代将棋における両者の凄みを緩むことなくつまびらかにしてくれる。
中盤以降、一手ごとに僕が声を上げるので妻が驚く。AIの予想になかった銀打ちを藤井さんが指して、ひょっとしたらと思わせたけれど、最後の最後に佐々木さんはAIの予想どおりに指し切った。羽生さんも途中で図らずも大きな声を張り、両者の読みの深さを印象づけた。8割がたはシミュレーションどおりの差し回しで、その速さは将棋が次の段階を迎えていると実感する。
昼餉は、菓子パン。
妻と買い物がてらの散歩。ヤマザクラだろうか、8分咲きはそこだけ空気も淡い桃色に。
昨年末に収穫し、土中に保存したのを掘り上げた菊芋がJAショップにならんでいる。
夕餉は、切り干し大根煮、菊芋のフレンチフライ、玉葱とシーフードのマカロニグラタン、味噌汁(小松菜・ナメコ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バゲット、赤ワイン。食後にほうじ茶、かりんとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハクモクレンの香り

 

 

 

 

 

 

晴れ。20度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(キャベツ・油揚げ・豆腐・玉葱・大根・人参)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
妻とあちらこちらのハクモクレンを観て歩く。春を迎えていることの軽やかさが染み入ってくる。日差しは初夏のそれだ。
昼餉は、妻と公園で桜だんご・ズンダ団子、天ぷら丼、コーヒー。
池のマガモの夫婦が気持ちよさそうに泳ぎ、僕らが座っているベンチのほとりにやってくる。
夕餉は、切り干し大根煮、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐・人参)、サバ缶カレーの残り、赤ワイン。食後にほうじ茶、ピーナッツとおかき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉が伝えないもの

 

 

 

 

 


晴れ。16度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、ハム・目玉焼き、味噌汁(小松菜・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
料理の後片付け中に、軽いぎっくり腰。段ボールを持ち上げたりしていたせいだろうか。ウッ、ツゥゥ、動いた拍子にうめく。心配する妻の声が気に障るのは、ぼくが疎ましく思っているからで、その心持ちはかならず伝わる。ヒトは言葉よりはるかにたくさんの粒子を発散させたり、光子として届けたりしている。感情は、ただ感情として伝わる。言葉はかえって邪魔なのだ。当たり前のことだが、言葉はかならずしも真意を伝えはしない。心配する声を疎ましく感じるのは、それがまことの心配ではない、不純物が混じっているとわかるからだ。
昼餉は、天かす・小松菜・竹輪の温かい蕎麦。
小学校に寄贈するピアノの調律師と日程の調整を。僕らの同席はかなわず。
文字は手書きに限る。コンピュータを使うと、片っ端から嘘っぽくなる。手書きはすべてをそのまま伝える力がある。言葉の背後のものごとほど、はからずも伝わる。このごろではAIが代筆している。そのシリコンのような金属のような言葉からは、はからずも伝わるものがないと思う。ぼくらは、伝わってこないことに苛立つようになる。それが世情を覆うようになるまで時間はそれほどかからない。
妻の作った夕餉は、野菜スープ、サバ缶のカレーライス、赤ワイン。食後にほうじ茶、歌舞伎揚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三体のこと

 

 

 

 


晴れ。14度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(大根の葉・油揚げ・豆腐・玉葱・人参・大根)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
『三体』という小説が世間でどう評価されていようと、ぼくはどうかとおもう。彼の国の体制がどれほど不幸な道を辿ったかは、今の姿を見ればうかがい知れる。そこで作家となることの決意は想像もつかない。だが、感心しないのだ。この作家のヒトというものへの眼差しが。SFというジャンルをわざわざ設けて、そこで展開される物語のありようにぼくはさほど興味がない。物語をジャンルに刻むことは己れに対する過小評価だと、作家自身は思っていてほしい。なにはさておき、ヒトが描けない作家がアイデアに頼って書く物語にぼくは呆れてしまう。
昼餉は、豚まん、パン、コーヒー。
大昔、『Star Wars』か『Close Encounters of the Third Kind』かで論争が起きた。面白いと思う方を選べ、と。どちらも荒唐無稽の物語だが、SFという土俵でのことだ。おおかたは前者を選び、それは伝説となり、大きな樹へと育った。
ぼくは後者に与する側だ。それは今も変わらない。焦燥というものの具体的な描き方はウィリアム・ワイラー監督の『The  Collector』やマーティン・スコセッシ監督の『Taxi  Driver』とともに語られるべきものだと思うからだ。衝動や焦燥を描くことは、物語の大切な扉なのだ。それはSFというジャンルに身をやつしても隠しようがない。
夕餉は、こんにゃくと竹輪の甘辛煮、マカロニと鶏胸肉のグラタン、味噌汁(小松菜・玉葱・大根・蓮根・人参・油揚げ・豆腐)、フランスパン、ビール、ウィスキー・オンザロック。食後にルイボスティー、甘栗。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご勝手に、どうぞ

 

 

 

 

 

晴れ。12度。北西の強い風。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・大根の葉・油揚げ・豆腐・玉葱・人参・大根)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
宅配便が訪う。段ボール2個を本の買取店へ。20キロくらいありそうな箱を重ねて、ひょいと持ち上げて行ってしまった若者の背に、気をつけてねと声をかける。鍛錬のたまものというべきか。
普段着の数を4分の1以下に減らそうとしている。ユニクロなんかの安物をすべて処分して、残りは買取店へ。それでもまだ多い。素朴で簡素でわかりやすい——身の回りをそんな状態にまでもっていくのに費やす日々のことをおもう。
手元にあるレイバンのウェイファーラーは往時のボシュロム社製でアメリカ時代のヴィンテージだ。リムやテンプルはセルロイドなので、もちろん劣化している。ヴィンテージを買ったわけではない。使い続けるうち歳月が流れていったのだ。持っている人にしか価値はわからない。モノの物語はそんなものだ。処分するとなると二束三文である。使い続けるうちはいいけれど、その先には哀しい結末しかない。懊悩するのは、物語との決別がままならないからであって、もったいないというのとは違う。工業社会の徒花と言ってしまえば、なるほどそうなのかもしれない。
昼餉は、妻とモスバーガーへ。ハンバーグとフレンチフライ、コーヒー。
その足で散髪へ。いつものツーブロック。ずいぶん伸びていたのでスースーする。
金継ぎした陶磁器を見ていると、どうひっくり返っても敵わない孤絶感に驚くことがある。ヒトによって生み落とされ、ヒトによって甦らされた。たまたまそこに在るという、諧謔にも似た放心が器から見え隠れする。アンタが何を読み取ろうと、それはアタシにはどうでもいいこと。どうぞ、ご勝手に。そう言われたような錯覚が、器からゆらゆらと立ち昇っている。
徒花もそこまでいけば大成である。これも「ご勝手に」の一つだろう。
夕餉は、納豆、マカロニサラダ、フレンチフライ、焼き鮭、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・大根・油揚げ・豆腐・大根の葉)、玄米ご飯。