ささいな想像の喚起

 

 

 


晴れ。25度。
7時に起きる。
朝餉は、サラダ(オクラ・レタス・キャベツ・トマト・バジル・チーズ)、味噌汁(菜の花・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、バターをのせたトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
ときたま、テレビのワイドショーにチャンネルが合う。歩行者天国で通り魔にでっくわした気分になる。大谷選手の元通訳と胴元とのメッセージのやり取りを紹介しつつ、コメンテーターが話している。信じられない、と誰かが言う。おくびにも出さず大切な人の口座に手を付けるなんて、と。法廷での姿がどこか不気味だった、と。
元通訳が深刻な病に罹っていることを指摘する声はない。彼のテキストメッセージが自虐的なのは、その病の深刻さを物語っている。絡め取られて自らの意思ではどうにもならなくなったヒトの苦しみがそこにはある。彼は病に罹って苦しんでいる。病は、誰だって罹る可能性があるという単純な想像をしない。それが恐ろしい。
その病が完治する可能性は低く、その道のりはとても険しい。脳が覚えた快楽を、脳が忘れることはとても稀有なことだ。それくらいの想像は誰だってできる。
昼餉は、水餃子の中華スープ、菜の花とハムの焼きそば、コーヒー。
妻と買取店へ。ガラス食器・額縁・クラークスのサンドシューズなど。汗だくに。
査定の結果を待つあいだに市役所へ歩く。妻は店のそばの公園へ。マイナンバーカードの更新は数分で終わる。データの書き換えくらいのことで役場に行く。どこか本末転倒な感じがする。5年後にカードが新しくなるらしい。
行政の施策は、すべてプロシージャに帰結する。支えている法律がどれほど渇望されたものであろうと、プロシージャによっては悪法に姿を変える。役人にそういう自覚があるのか、ぼくらは不安を抱えて彼らを見ている。
そういう国民の視線を意識している役人はいるのだろうか。ぼくらは確認するすべをどこかに入れ込まなければならない。今の国家で欠落しているものの一つではないかと思う。
夕餉は、マカロニサラダ、味噌汁(菜の花・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チャーハン、赤ワイン。食後にコーヒー、クッキー。

 

 

 

 

 

 

 

カポーティのようなLaufey

 

 

 

 

 

晴れ。24度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(レタス・キャベツ・キュウリ・カニカマ・チーズ・バジル)、味噌汁(オクラ・小松菜・タケノコ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵トーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
妻がベランダでポットに種を蒔いている。リーフレタスっぽいそれは、ハンバーガーショップでもらったものだ。一時期の熱意が蘇ってくれたらと思いながら土をいじっている姿を見ている。
シンガーソングライターのレイヴェイ(Laufeyと書く。本名はレイヴェイ・リン・ヨンスドッティル)を聴いている。アイスランド人の父と中国人の母の娘だが、声は24歳だというのに老成している。そう聞こえるのは、彼女の才能が時空を超えていることの証左かと思う。文学ではトルーマン・カポーティがまさにそうだ。
昼餉は、ブルーベリージャムを塗った食パン、コーヒー。
ジョギング、5.05キロメートル。ハナミズキの花が五分咲き。一方でモクレンがまだ咲いている。妻によれば、天候はこれからどんどん狂っていくのに、ぼくらはその狂いさえいつしか忘れると。20世紀はこんな天気だったと語っても、そんなもの知らないという若者が今でさえいることを思えば、彼女の悲観も的を射ている。
夕餉は、冷奴、マカロニサラダ、蓮根の鶏ひき肉のはさみ揚げ、味噌汁(タケノコ・オクラ・油揚げ・豆腐・ネギ・人参)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、ロールケーキ。

 

 

 

 

 

 

 

 

更新するのはなぜ?

 

 

 

 

おおむね晴れ。22度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(レタス・キャベツ・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(筍・オクラ・小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、たまごサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
妻は横浜のコンサートの手伝いに。夜に戻る。
マイナンバーカードの更新案内がくる。アクセスに際してこれほど面倒臭いプロシージャを考えた専門家と、それを形にした開発者たちには呆れるばかりだ。更新する理由は、世界的にこの種のカードは5年更新だという。新しい機能やらシステムのブラッシュアップが行われるらしいけれど、そういう説明はない。ハッキングのリスクを抑えたいらしい。
昼餉は、ピスタチオ・スプレッドの食パン、コーヒー。
Netflixで英米制作の6話ドラマを。脚本はサラ・ヴォーン(原作者でもある)やデビッド・E・ケリー、監督はS・J・クラークソンで『ある告発の解剖(原題:Anatomy of a Scandal)』。イギリスの上流階級が舞台だが、法廷劇かと思いきやミシェル・ドッカリー演じるところの検事役のお粗末な論告求刑で馬脚を露わす。
夕餉は、鶏ひき肉・キャベツ・玉葱・人参のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

 

 

自動巻きのローターが……

 

 

 

 


曇り、のち晴れ。20度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ハムと卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
ジョギング、5.91キロメートル。桜の花が散っている。
昼餉は、豆パン、コーヒー。
バイクを漕いで隣駅の時計屋へ。店の居心地のいいソファにはさまるようにして座っていた先代店主の奥さんに、ローターが外れた腕時計を見せて修理を頼もうとしたら、もう修理はやっていないと言われる。息子が帰ってきたら、とりあえず見せてみますと言われ預ける。先代は亡くなられたとのこと。
散髪へ。いつものツーブロックなのだが、人が替わればスタイルも変わる。
時計屋の店主から電話。すみません、とのこと。こちらこそ、と返事する。
夕餉は、枝豆、納豆、冷奴、ヒジキ煮、野菜・ハム・厚揚げ・竹の子の中華炒め、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、ビール、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、クッキー。

 

 

 

 

 

 

説明は死んでもするな

 

 

 

 

晴れ。18度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大豆煮・大根・チーズ・バジル)、目玉焼きとハム、味噌汁(菜の花・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
マッカーシー著『通り過ぎゆく者』より抜粋——

 我々が量子の世界を充分に理解できないのは人間が量子レベルの世界で進化してきたのではないからだという考え方はいいとしよう。本当の謎はダーウィンを悩ませた例の問題だ。なぜ人間は生き延びるのに役立つわけでもない難解な事柄を理解するようになったのか。ディラックやパウリやハイゼンベルクといった量子力学の創始者たちは世界はこうなっているはずという直感以外のいかなる導きの糸もなしに理論を考え出した。存在していることすらほとんど知られていないスケールで探究を始めた。幽霊のような異常を出発点に。なんだこれは。ああただのアノマリーだ。アノマリーだって? そう。ううむ。そんな馬鹿な。アインシュタインはボルツマンといっしょに仕事をしたことがあるのかな。
 知らないですね。アインシュタインがボルツマンから得たのは熱力学の法則はあるスケールでは成立しないかもしれないという普通に持ち得る疑いでした。

マッカーシーが小説でこういう知見を披瀝して死んでいったことが大きな驚きだ。この会話はずっと続いていく。それは大雑把な内容で、深くも浅くもなく、ただ文字として流れていく。発見も確認もない。披瀝しているだけだ。それは主人公の造形にさえなっていない。
昼餉は、中華スープ、焼きそば、ルイボスティー。
妻と買い物がてらに散歩へ。いつもの公園は吹いてくる風に桜の花が盛大に散っている。テーブルに座って米粉のパン屋で求めたパンをルイボスティーで。近くの中学校の生徒たちが、そこここで語らっている。クラス替えでもあったろうか。
まだはじまってもいない人生について、キミたちが語ることはそう多くはない。すべてに反抗することでしか衝動を収められない季節。
夕餉は、冷奴、納豆、ヒジキ煮、餃子、味噌汁(菜の花・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、クッキー。
腕時計が壊れる。自動巻きをつかさどるローターからなにかが挟まったような音。裏蓋のガラス越しに見えているローターが回らなくなる。義父の腕時計をオーバーホールする時期がさらに先送りになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Big FishとMockingbird

 

 

 

 

 


晴れ。16度。
7時に起きる。
朝餉は、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(菜の花・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、たまごサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー、どら焼き。
妻は残り1枚となった青春18きっぷを使い切る小さな旅へ。栃木県の足利あたりをめぐって、夜に戻る。
映画はティム・バートン監督『ビッグ・フィッシュ(原題:Big Fish)』。原作者のダニエル・ウォレスは奇想天外な物語の旗手らしい。寡聞にして知らなかった。ディム・バートンが原作に魅了されたのはとてもわかる。ウォレスの育ったアラバマあたりでは、こういう物語が今も語られている感じがする。なぜだろう。ハーパー・リーの書いた『アラバマ物語』がすぐ思い起こされるのは、なによりアティカスを演じたグレゴリー・ペックが脳裏に深く刻まれているせいかとも思う。アラバマの風物が映画では魅力的に描かれていた。『Big Fish』は実際にアラバマで撮影されたのかわからないが、『アラバマ物語』のほうはすべてがセットだと言われている。映画しか見ていないので、原作を注文しようと思ったら暮しの手帖社版はすでに絶版になっており、早川書房が新訳を昨年に刊行したばかりだった。なんと、原作に忠実な書名が付いているではないか。これはこれでとてもいいことだが、簡潔なタイトルで生きてきたぼくらには若干の躊躇が残るのだった。こういうのを本末転倒というのだ。Mockingbirdはこの物語にとって大切なキーワードになっているというのに。
昼餉は、ピスタチオのスプレッドをぬった食パン、コーヒー。
夕餉は、シーフードヌードル、いなり寿司、ウィスキー・オンザロック。食後に歌舞伎揚、ルイボスティー。妻の土産の藤色まめはフラワーパーク限定という触れ込み。一個口に入れると止まらなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花開けば風雨多く

 

 

 

 

雨、のち晴れ。18度。昼まで強い雨。
8時に起きる。
朝餉は、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ)、味噌汁(むかご・菜の花・油揚げ・豆腐・サツマイモ・玉葱・人参)、卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
シェアカーを借りて、妻をお茶会の家まで送る。途中で、友人も乗せて。強い雨がすこし落ち着く。クリーニング屋とスーパーに寄る。スプリングコートの汚れはそれほど目立たないくらいに。高価なオリーブオイルを奮発。オリーブオイルとバルサミコ酢が我が家のドレッシングの主役。
昼餉は、ピスタチオのスプレッドを塗った食パン、コーヒー。
ふたたびシェアカーで妻と友人を迎えに。雨のあがった薄桃色の道、花に嵐のたとえあり。
井伏鱒二は、花発多風雨(花開けば風雨多く)を花に嵐のたとえもあるぞと読んだ。続く人生足別離(人生別離おおし)を「さよなら」だけが人生だとして、それが去り行く日本人の背に桜吹雪を舞わせる風景となった。
さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう、と読んだ寺山修司はよほど血気の時だったのだろうか。最後の段落は、さよならだけが人生ならば人生なんかいりません、と青森人は言い放っている。若さの気概ともとれる。温厚を絵に描いたような井伏鱒二をしてさよならだけが人生と言わせた。その対比が、花に嵐の情景を鮮やかにしている。寺山修司はそこを見る猶予を持っていない。ひねくれているぼくは、若いときから井伏鱒二がしっくりきたものだけれど。
古書が届く。ジョー・ラ・バーベラとチャールズ・レヴィン著、荒井理子訳『ビル・エヴァンス・トリオ 最後の二年間(原題:Times Remembered)』(草思社)。謹呈と書かれた真新しい栞がはさまっている。読まれた形跡がない。作家とか翻訳者、またはどこかの版元か編集部に贈られたものらしい。
夕餉は、味噌汁(菜の花・むかご・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ささみ肉と玉葱・菜の花のドリア、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、どら焼き。
花がついていなかったのに、冷蔵庫の暗がりで眠るうち菜の花は開花しはじめた。旬がみなぎっている、不味いわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

僧よりよほど修道のごとし

 

 

 

 


曇り、少し雨。19度。
7時に起きる。
朝餉は、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・カニカマ・チーズ・バジル)、味噌汁(小松菜・むかご・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
『All The Things You Are』を聴いていて、ああそういえばと調べたら、やはりジェローム・カーンはこんなことを語っていた。
「芸術家なら無頼な生活をするのが当たり前で、気の向いたときに好きに仕事をすればよい」というような神話を信じておらず、「インスピレーションが突然肩をたたくのを待ってるような人間は仕事を変えたほうがいいだろう。毎日何時間かピアノの前に座っていれば、たとえすぐには名曲が生まれなくとも、いいアイデアや何小節かの良いメロディを生み出すことができる。それが集まって良い曲ができていく」。
Wikiからの抜粋だが、 井上一馬著『ブロードウェイ・ミュージカル』(文春新書)からの孫引きらしい。原典はわからないものの、カーンがもし言っていなかったとしても、それならそれでいいかという気になる。なぜなら、カーンはそうやって『All The Things You Are』の芳しい音を紡いだと思うから。昨夜の坂本龍一さんのドキュメンタリーを見ていて、カーンの言葉が思い出された。レイモンド・チャンドラーをはじめとして多くの作家も異口同音に書いている。彼らの暮らしは、外見には修道僧もかくあるやであったろう。

昼餉は、菓子パン、コーヒー。
ジョギング、4.21キロメートル。降り出しそうな雲。
コーマック・マッカーシー著『通り過ぎゆく者』より——

(前略)いいかい、ダックレサンスと彼は囁いた。世界が何でできているかきみは決して知ることができないだろう。一つだけ確かなのはそれが世界でできていないってことだ。現実を数学的に記述することを突き詰めれば何が記述されているかを見失うことが避けられない。どんな探究もその対象を押しのけてしまう。時間のなかの一瞬は可能性じゃなくて事実だ。世界はきみの命をとるだろう。でも何よりもそして最終的に世界はきみがここにいることを知らない。きみはそれを理解しているつもりでいる。でも理解しちゃいない。心の底から納得しちゃいない。理解していたら恐怖に駆られるだろう。だけどきみは恐怖に駆られていない。今はまだ。さて、それじゃ、おやすみ。

夕餉は、フレンチフライを添えたささみ肉のレモンバジル唐揚げ、味噌汁(菜の花・むかご・玉葱・人参・サツマイモ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、クッキー。

 

 

 

 

 

 

坂本龍一と田中泯

 

 

 

 


曇り、のち晴れ。22度。
6時に起きる。
朝餉は、蓮根とサツマイモの揚げ甘辛炒め、ピスタチオのスプレッドをつけたサンドイッチ、コーヒー。
妻から写真が送られてくる。稜線がくっきりした富士山。御殿場の朝は空気が澄んで見える。
NHKの将棋と囲碁トーナメントが新年度。
ジョギング、5.06キロメートル。桜がほぼ満開。今年は心なしかスカスカして見える。脱色したというか。アルビノっぽいというべきか。ソメイヨシノの花心は、もともとそんな色かもしれない。


昼餉は、ピスタチオのスプレッドをぬった食パン、コーヒー。


夕餉は、マカロニサラダ、即席のキャベツ塩ラーメン、玉子丼、ウィスキー・オンザロック。食後にチーズスナック。
NHKスペシャルで坂本龍一さんの『Lasy Days』を。癌と闘いながら、少しずつ死へ向かう日々。坂本さんの日記を朗読する田中泯さんの声と間合いが絶妙で、連れていかれそうになる。
田中さんの舞踊は、ずいぶん前に池袋で拝見した。たしか自由学園の明日館だった。鍛えたというより、削ぎ落としたという身体が空間をひらひら舞っていた。己れのものではない、どこかで借りてきたような肉体と、それに戸惑う精神の狭間で懊悩する姿。そんな気分を味わったのは初めてのことだった。覚えているのは、その狂おしさだ。
映画『たそがれ清兵衛』で拝見した田中泯さんの浪人は、その延長にあった。あれは、憑依というものをフィルムに収めたはじめての作品ではなかろうか。
夜遅くに妻が帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイスミスがリプリーを愛したわけ

 

 

 

 


曇り。15度。
6時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、卵サンドイッチ、アールグレイ。妻がクワイアの合宿でご天板へ。卵サンドイッチを作って持たせる。帰りは明日の夜。
Netflixで8話ドラマ『リプリー(原題:Ripley)』を観続ける。監督はスティーヴン・ザイリアンで脚本も担当している。原作はパトリシア・ハイスミスの『トム・リプリー』シリーズ。全編モノクロで描いたこのドラマは久しぶりに見応えがあった。アラン・ドロンが主演した『太陽がいっぱい』へのオマージュもあるものの、リプリーという青年は欧米で超のつく人気者である。誰のうちにもトム・リプリーは潜んでいるという証しだろうと思う。もちろん、ぼくのうちにも彼は棲んでいる。でなければ、この世は単色でひどく退屈に見えることだろう。リプリー役のアンドリュー・スコットは、過去に主演したアラン・ドロンやマット・デイモンより少し歳を取っているところに難があるものの複雑な主人公の内奥を好演している。
昼餉は、ピスタチオのスプレッドのサンドイッチ、抹茶ラテ。
パトリシア・ハイスミスは遅れて日本に紹介された作家といっていい。主な翻訳をしている河出書房新社はもう少し力を入れてもいいと思う。ちなみに、映画『シンドラーのリスト』でアカデミー賞を取ったスティーヴン・ザイリアンは本作でもその嗜好をいかんなく発揮している。
ハイスミスを読んでこなかったツケが回っている。短中編集は目が飛び出る値段がついている。最初に翻訳したのは吉田健一らしい。彼の慧眼には驚かせられる。
夕餉は、マカロニサラダ、コロッケ、シジミの味噌汁、キーマカレーの残り、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その血がなせるもの

 

 

 

 


雨、のち曇り。11度。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(菜の花・むかご・油揚げ・豆腐・人参・玉葱)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
眼鏡のレンズ専門店から配送キットが届く。妻がいたく気に入ったので、それならとやることにしたClayton Franklinの小ぶりの黒いフレーム。そこに妻の処方箋でレンズを入れるのと、ぼくの処方箋でサングラスにモスグリーンのレンズを入れてもらう。ずいぶん昔に買ってコンタクトのときに使っていたサングラスはMax Maraがデザインしたオーストリー製のもの。どちらもちょっと古いので作りがいい。
昼餉は、菜の花と鶏ひき肉のペペロンチーノ、コーヒー。
古書が届く。幸田文著『流れる』(新潮文庫)。冒頭をちょっと引いてみる——

 このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。
 往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。すぐそこが部屋らしい。云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。待ってもとめどなかった。いきなりなかを見ない用心のために身を斜によけておいて、一尺ばかり格子を引いた。と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮まった。どぶのみじんこ、と聯想が来た。もっとも自分もいっしょにみじんこにされてすくんでいると、
「どちら?」と、案外奥のほうからあどけなく舌ったるく云いかけられた。

どぶのみじんこ、という喩え。この段落はこのみじんこによって命を与えられている。だが、切り餅のみかげ石二枚分という描写こそ決まっている。実際の景色がすっと入ってくる。お父上の血のかよったものの見方。
夕餉は、菜の花のお浸し、さつまいもと蓮根の揚げ甘辛炒め、味噌汁(むかご・菜の花・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、キーマカレー、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オレンジピールチョコとハンマー不良の関係

 

 

 

 

 

曇り、陽射しあり。20度。
7時に起きる。朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・バジル・カニカマ)、味噌汁(小松菜・ジャガイモ・人参・玉葱・油揚げ・豆腐)、妻が昨夜買ってきたまい泉のカツサンド、アールグレイ。食後にコーヒー、妻の友人が作ったオレンジピールチョコレート。半年くらい前にもいただいた覚えがあって、その時も美味かった。妻に彼女への礼の言伝を頼む。ちなみに彼女は俳句詠みで、妻のピアノが小学校に貰われていくに際して一句を詠んでくれた人だ。
昼餉は、スーパーのイートインで小豆とずんだのおはぎ、リンゴパイ、ミルクティー、ほうじ茶。
米原の調律師さんより妻のもとに調律代金の見積もりメール。彼は昨日小学校へ行き、ピアノの状態を見てからハンマー部分を持ち帰った由。ハンマーの状態が悪いとのこと。見積もりは2年前とほぼ同じだった。その頃からピアノの状態は悪くなり続けていた。なんにせよ、ピアノはもうじきよみがえり、子どもたちと音楽を奏でることになる。想像するだけで気分が軽くなる。
夕餉は、菜の花のお浸し、味噌汁(むかご・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、妻の作ったキーマカレー、ビール、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、塩キャラメル。

 

 

 

 

 

 

 

称号にふさわしい男

 

 

 

 


曇り、のち雨。16度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・ジャガイモ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
妻はクワイアの練習で代々木へ。夜遅くに戻る。
ジャズの録音でBlue Noteとルディ・ヴァン・ゲルダーは一里塚を築いた。それは間違いない。だが好みでいえば、ぼくはVerveが肌に合う。Verveの50年後半から60年前半に録音されたオスカー・ピーターソン・トリオしかないと思っている。この時のThe Trioは鉄壁である。選曲もいいし、企画も粒揃いだ。ノーマン・グランツが録音に投じた情熱は音に刻まれている。嫌味がないし、すべてに彼の穏やかさが行き渡っている。そういう中庸を情熱とは呼ばないのかもしれない。世の中は、ベンチマークをどこかで軽んじるものだ。
とりあえずなにかを聴こうと思ったら、Verveから1枚選んで(多くの場合はPlaysからコール・ポーターとかエリントンとかガーシュウィンなのだけれど)、ウィスキーをちびちびやるのが歳を取ってからのお約束になった。耳がそんなふうなところへ落ち着くことになろうとは、となんど感慨にふけったことか。
レイ・ブラウンのE弦の開放音はスピーカーの低音に対するベンチマークであるし、エド・シグペンのハイハットシンバルは高音に対するベンチマークであることに異論を挟む人はいないと思う。マイクスタンドの設置が偏っているという指摘はあながち嘘ではない。左のスピーカーを占有しているレイ・ブラウンは、それに相応しい演奏をしているのだから仕方ない。レイ・ブラウンをステージで紹介するとき、ノーマン・グランツは「The Man、Ray Brown!」と控えめに言ったものだ。グランツがつねにそう紹介したベーシストは彼だけだと思う。
ぼくは、ロサンゼルスのオレンジ郡に開店したばかりのROAという店で、レイ・ブラウンに触れられそうな椅子で聴いたことがある。泣きそうになり、それから笑いそうになり、最後はしんみりした。彼は、ステージの合間にぼくらの席にやってきて来月の日本公演を愉しみにしているんだ、と穏やかな声で語った。
昼餉は、ピスタチオのペーストを塗ったサンドイッチ、コーヒー。
古書が届く。デニス・ルヘイン著、加賀山卓朗訳『コーパスへの道』(ハヤカワ文庫)。注文してからハッとしたのだが、この本は棚のどこかにひょっとして眠ってはいまいか。
夕餉は、梅干し、鶏ひき肉のハンバーグの残り、シジミの味噌汁、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、煎餅、キャラメル。
AppleはOS群の開発者バージョンを更新してβ1をリリースした。macOSは14.5、iOSは17.5。このあとはWWDCで新しいOS群の発表がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸田文全集との邂逅

 

 

 

 

 

晴れ。18度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
注文しておいた古書が届く。幸田文著『幸田文全集 第一巻』、『同 第四巻』(岩波書店)。
第一巻の冒頭『菅野の記』の書き出しはこんな感じである——

 なんにしても、ひどい暑さだつた。それに雨といふものが降らなかつた。あの年の関東のあの暑さは、焦土の暑さだつたと云うよりほかないものだと、私はいまも思つてゐる。前年の夏だつてその前の夏だつて暑かつたのだらうが、日本はまだ戦つてゐた。誰の眼にも旗色は悪く、戦争の疲労と倦怠になげやりになつてゐたとは云へ、それでもみんなそれぞれの親を子を兄弟を砲弾の下に送つてゐ、自分たちもいつ空襲に死ぬかわからない恐怖で、暑さなんぞに負けてはゐられなかった。

刊行は30年前だが、届いた古書は新刊のよう。頁を繰ると三菱製紙が抄造した紙のいい匂いがする。月報を書いているお三方がこれまたすごい。三省堂が前世紀末に送り出した全集本は老舗とそこに集う紙屋、印刷屋、製本屋の息づきがある。作家の嗜好がちゃんと映っている。
前の持ち主は有隣堂でお求めになったと見えて、丸背の上製本は布装に書店カバーがかかっていた。立派な外函も誇らしげ。職人の腕が存分にふるわれている。お売りになったわけは想像に難くない。売却したのは子どもさんたちだろう。
妻と公園へ。桜はぼちぼち咲いている。
昼餉は、妻の握ったおにぎり、ピスタチオのペーストを塗った食パン、コーヒー。
数日前に他界されたマウリツィオ・ポリーニさんのバッハを聴いている。さらさらとして、滑らかで、遅滞とはおよそ縁遠いのに、余韻は打ち込まれた楔のごとし。合掌。
夕餉は、味噌汁(シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、フレンチフライと人参のグラッセを添えた鶏ひき肉のハンバーグ、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

 

その名は……

 

 

 

 

 


曇り、パラつく。18度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(シメジ・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ポテトサラダのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
シェアカーを借りて、妻と荷物を積み込み買取店へ。引越しのついでに出たモノをあれこれと。査定に1時間もかからないと言われて、それでも外へ出てコーヒーを飲みつつ電話を待つことに。
昼餉は、スーパーのイートインで菓子パン、コーヒー。
1時間半くらいかかったけれど、びっくりするくらいの値付け。ぼくのフライトジャケットやグレゴリーのバックパック類、Garminのランニング時計が寄与した。
夕餉は、冷奴、大根の皮のきんぴら、ポテトサラダ、味噌汁(小松菜・シメジ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、かぼちゃのコロッケをのせた玉子丼、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、チョコレート。
深夜に目が開く。『失われた時を求めて』の著者の名前が浮かばない。なぜ去来したのかわからない。そんな愚問をうっちゃろうとして、逆に取り憑かれる。枕元のスマホを使えば10秒とかからない。それが癪に触る。
どれくらい悶々としただろう。チョーサーがしきりと出てくる。なぜなんだと自問する。声に出そうになる。空が白んできたような気がする。妻の寝息が恨めしい。
諦めてスマホを手にするのにどれくらい費やしたのだろう。まったく。今、これを書いているときにも、その名がまた出てこない。『カンタベリー物語』の著者が横からしゃしゃり出てくる。イギリス人らしい意地悪ではある。
癪に触るから、今度は調べない。
今年の大嘘は、誰がついたのか。ニュースになったのだろうか。