眼鏡を掛けた人=真面目、という印象は……

世界共通か? 或いは世代共通か?
どうでもいい。
でも軽く考察してみると、少なくともアメリカでは通用するイメージかと。例えばスーパーマンクラーク・ケント。あれは「眼鏡=真面目」というイメージを使ったキャラ設定を利用してますね。他にも映画を思い出せば幾つか思い浮かぶキャラが……では、他の国ではどうなのか? すぐに他国の映画が思い浮かべばいいんですが、生憎と私はそれほど多くの映画を見てはいないので……。
暇があれば、ネットで軽く調べると出てきそうですけどね。

また朝日vs産経? これが捏造と言えるのか?

http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070831/1188528795
http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070831/bbl070831002.htm
単純に言っていることが対立しているだけのように読み取れる。少なくとも、
「戦争を想起させるという投書が元で」と言った側:応援団の生徒、チアリーダーの生徒、学校関係者
熱中症対策」としている側:校長、高野連
この2つの言い分がある。記事を書くまでの取材の際に校長などから話を聞かなかったのは、確かに落ち度と言えるかも知れない。しかし「生徒」と「学校関係者(どれほどの関係者なのか説明して貰いたいというのは納得、でも学校側に身元がバレるとまずそうな話でもありますね)」に話を聞いたなら、そこで事実だと納得してしまうのも一応は頷ける。例えば生徒が言ったことに教師が裏付けるようなことを言ったとしたら、充分に信頼に値する情報と信じてしまうのも無理はない。
もちろん都合のいい関係者を用意して、という捏造説もアリだとは思いますが、この点は当該メディアを何処まで信頼できるかの問題でしょう。
現在出ている事実から考えると、校長&高野連側と、応援団顧問など&生徒側の対立があっただけ。そんな風にしか見えない。徹底的に産経の記事を捏造と決めつけるには、生徒と関係者、さらに削除された記事にコメントが載せられている教諭とやらもすべて疑わないといけない。全員の発言を捏造或いは脚色したのか、となると、さすがにそこまでするのかと考えてしまう。
直接に学校に行って確かめでもしない限り、これ以上は考察できませんな。だから足を運んでくれるメディアが信頼できないと困るんですが……それはまた別の話。


ところでこの騒動、結局のところどちらが得をしたんでしょうかね。「戦争想起させるから止めろ」側の人たちは、間違いなく多少なりとも打撃でしょう。投書などで生徒たちの意思を縛ろうとした、実際の目的がどうあれ、そういった印象を記事を読んだ人たちに抱かれたでしょうし。産経側はどうなんでしょうね。大した騒ぎにはなっていないようですが……記事を書く際に多少の落ち度があったと認めざるを得なかったのは打撃でしょうか。でもメリットの方が大きいんじゃないかな。完全に捏造だと認められない限り、高野連や学校の遣り方に一石を投じたのは確かなワケだし。

情報弱者の気持ち

上のエントリーとも少し絡む話。最近、少しだけ情報に疎い人の気持ちが分かった気がした。というか怖いのです。自分が知らぬ間に取り残されていそうで。かつてはネットで情報を集めて「知った気」になっていた自分が、情報に取り残された側に回るかも知れない、その怖さ。例えるなら……マラソンで先頭を走っていたつもりが周囲に観客が一人もいないことに気づいたような? 好きな本の新刊がいつの間にか出ていたような? ちょっと違うかな。
RSSとか、最近は名前もふと思い出せないような所謂ネット徘徊情報収集便利ツールが色々と出回ってますね。RSSだけは少し前に手を出してみましたが、「必要ないな」というのが正直な感想。話題になりそうな情報が欲しいなら、ポータルとなるサイトを幾つか「お気に入り」へ追加しておくだけで事足りてしまうから。たまに見落としてしまうニュースがあっても、それは仕方ないかな、くらいに考えてました。
でも現在の情報収集の最先端はどんな感じなのか? 聞くところによれば、幾つものツールが集めた記事を何十ものウィンドウで一斉に表示、さらにそれらをまとめて流し読んで……という人もいるとか。もしやそれが普通なのか、とも思えてしまう。
別段「知らない」ことをそんなに恐れる必要はないのかも知れませんし、日常を過ごすにはニュースサイトを軽くチェックするだけで充分でしょう。でも周囲に本当に情報に疎い人がいるとね、そういう人みたいにはなりたくないなーってのがあるんですよ。
実際に「知らなかった」ことで衝撃的な事件が身近にあったんですね。当事者は自分じゃないので詳しくは書きませんが、「知らない=損」から「知らない=危険」な事柄が増えてきている。ネットやパソコンなど、汎用性の高いツールが出回った部分では特に。


ちょっとまとまりそうもないので、これは引き続き検討課題に。

imidas、知恵蔵休刊

どうでもいい。
かつて図書館や書店で背表紙だけは見た覚えがあります。当事はちょっと面白いかも、とは思ってました。でも手を出すまでには至らなかった。あれを便利と思って使ってる人もいたんでしょうけどね。よく知りませんが、辞書みたいなものなんでしょう? 辞書を引くのは嫌いじゃありませんが、わざわざ買うほどのものかなーとも。当事は、ね。
んで現在、ネットに押されて休刊ってことですが、当然の流れですね。紙資源の無駄だし、いっそ情報系の書籍はすべてデータ化してしまえばいいかと。紙媒体を読み楽しさは理解できますが、そういうのは物語性のある書籍だけでいいんじゃないかな。

世論調査と空気の触れ合い

倫理綱領実践規程に違反しているマスメディアの世論調査報道


こんなことで今更驚きませんが、そもそも私は「電話調査」という形にほんのちょっとだけ否定的です。人が人に物事を尋ねる以上、そこの聞く側の「期待」や「失望」とかいった意識が多少なりとも含まれるはず、だから。所謂「空気を読む」ってことが、短い質問の間にも起こるんじゃないかってこと。もちろん質問文章は予め、そういった流され易い回答が作られないようにできているんでしょうが。
例えば「〜〜を支持しますか?」にしても声にすると、言い方ひとつで印象が変わってくる。「支持しませんよね?」「支持してますよね?」なんてあからさまな質問ではないにしても、質問単体では「空気」が伝わらないとしても、質問を幾つか続けていく内に「相手が嫌がってるな」「あれ、こう答えてよかったのかな?」なんてことが起こるんじゃないですかね。敏感だったり臆病だったりする人は相手が望む回答を送ってしまうんじゃないかな、と。
そんなこと言ってたら調査なんて出来ないじゃん、何事も人との接触は避けられないってーの、なんてことは百も承知。でも手紙とか、ネットでの調査なんかだったらどうなるのか。丸きり同じ相手に、同じ質問をした際に結果は違ってくるのか、一度検証してみたいところ。



ところで、というか本題、リンク先の「朝日RDD方式」とやら、確かにどんなものか気になりますね。一度電話でもして聞いてみたいところですが……。
確かめるべきは「朝日新聞購読者に限定」なのか、或いは「購読者が多く含まれる」のか、はたまた「関係者〜〜」になるかも知れません。質問する際にはここらの点に注意しないと言葉のトリックで騙されるかもですね。
「朝日読者に限定してますか?」
「いいえ」(9割読者になるような方式ですがね)
なんてことがあったり……いや、ここまで疑われてるメディアもどうかと思いますが。私みたいにやたら何でもかんでも疑う人間相手だとしても。
はっきりと質問票なんかを提示してくれるといいんですけどね。どっかに朝日から質問されましたって人のブログは転がっていないものか……。