L⇔R 黒沢健一さん死去

僕の気持ちを少しでも共有してくれそうな人を探して、閉じていたブログをもう一度開いた。
デビュー25周年を記念して、来年LIVE DVDが発売されることになっていた矢先の訃報。

泣けやしない。
酒さえ飲めない。

なんでこんなに悲しいんだ。
なんでこんなに。

文化は地形に依存する一面があるのでは?

http://d.hatena.ne.jp/gunzyou/20070921/p2
日本人が縛り好きになった要因に、日本列島の急峻さが上げられるのではないかと思う。
有効利用できる土地が限られている中で生活していかなければならなかったため、自然と生産効率を重視するようになった。

では、同じような島国のはずのイングランドが、日本的であるという話をあまり聞かないのはなぜだろうか。

グレートブリテン島 - Wikipedia
本州 - Wikipedia

同じ島国で大陸に程近い点など共通点の多いイギリスは、日本の本州よりも小さな島であるにもかかわらず、平坦な土地が多い。
人が住める領域は本州の2倍ほどあるうえに平野部がイングランドに集中しているので、より大陸的な土地活用が可能だ。

ほかにも要因はいろいろあるだろうが、文化を形作る要素として、地形というものが大きく影響しているのではないかと思う次第である。

三島に行ってきた(ポロリもあるよ!)

東京から45分で行ける日本屈指の清流地帯 - ココロ社
ようやっと天気が回復したので、かねてよりうわさのせせらぎのまち、三島に行ってまいりました。
交差点に立っていた鬼子母神?像

その像のあしもと。あれ?水がないゾ

駅前すぐの楽寿園の池にも、ない……

立派な建物。明治時代に皇族の方のために建てられたとか

立派な枯山水!(違います)おかしい、三島違い??

まさか……?

楽寿園を足早に駆け抜けた先に、ビワがたわわに実っていました。

おいしそう。そしてそのせり出した枝の下には……!

キレイな水の中を、魚が泳いでいました!

「せせらぎの道」として整備されてました。空中公園ならぬ、水中遊歩道という感じ

弁慶と牛若が出てきそう。かわせみがいるらしいですが、見当たりませんでした。御宿かわせみ

ケンケンパっ(ドボン)

キノコも生えてます。

夜には光るに違いない。ちなみに、夏はホタルが舞うそうです。

街中を流れています。生活に密着したところに流れている川のワリには、キレイです。

下に降りれたりするのかなー

アメンボがいました。

なぜかハトが中州でひなたぼっこ。

「今のうちに小麦色になっておくの」

「やだ、撮ってるわよ」「これだからマスコミは嫌いよ(ヒソヒソ)」

キレイに詰まれた植木鉢

ウメ??橋にくくりつけてありました。

お花が一杯。

水中梅。めっちゃ接写してます。お花の大きさは1cmくらい。

本日のポロリ、ウズメさんのセミヌード。


楽寿園を中心したせせらぎの道は以上で終了です。
でも、もっとたっぷりとした清流がみたいの!と思ったので
三島駅からバスで10分ほどのところにある、柿田川湧水(ゆうすい)公園にも足を伸ばしました。こちらは第二展望台の湧水。

澄んで深い青色です。

清流で洗われる藻

水が沸いているところはなぜか青く見えました

お魚。水が透明すぎて、地面の上を浮いてるように見えます。

緑も豊か

きっと新種に違いない赤い羽根のいととんぼ

ど根性の潅木

わくわくしながら上った階段。上った先は公民館でした。

「いーね、その表情」

「ちょっとスリムすぎない?」

陽だまりの中で

柿田川湧水公園もすぐ近くにショッピングセンターや国道が走っていて、車の交通量は半端ではありませんでした。にもかかわらず公園の中には清流や自然が一杯で、不思議な感じでした。
せせらぎの道もそうでしたが、かなりきちんと整備されている施設だと思います。どちらも結構栄えている街中にあるので、食事とかには困らなさそうでした。

東京から45分のところで、との触れ込みでしたが、こんな街中でこんこんと湧き水が湧き出ていようとは夢にも思いませんでした。
富士山は見ることが出来なかったんですけど、富士山の雄大さを感じるひと時でした。

教師に求める資質

はてなブックマーク - bn2islanderのブックマーク / 2008年5月25日

教師失格の例というタイトルなら、具体的にどの辺りが教師失格かを書くべきだとは思う/「ネット」だけで教師の能力を推し量れる訳がないと思うんだけどね。判断できるのは意見の質であって、教育の質ではないでしょ

いわゆる教師というものにボクが要求している資質があることに気がついたので記しておく。


1.生徒を侮辱しない
2.生徒の可能性を信じ、才能を尊敬する
3.生徒のやる気を削がない
4.生徒の未来を奪わない
5.風紀、倫理、規律を厳格に守る(守らせるではない)
6.生徒の安全を保障する


子供に限らず、生徒というものは教師よりは経験や知識において劣ることが一般的で、優れた生徒が教師に教えを請うということはまずない。
また、一般の教育現場であれば生徒の生殺与奪の権利を持つのが教師といっても過言ではない。あまりに無茶なことはできないようになっているとはいえ、圧倒的に教師のほうが上の立場におかれていることは事実である。なによりそのことを生徒がよく知っているから、教師に対し本心からではなくても敬意を表わすようつとめるだろう。
そういった環境下に置かれていることで、教師は傲慢になる傾向があるらしい。
お客様相談センターから困ったお客様として扱われてしまうのは、世間で”先生”と呼ばれている人に多い。文字通りの先生である教師達が傲慢になりがちであることの証左のひとつと言えるだろう。


実際のところ、教師が好む生徒というのは少数派で、大多数は教師から見ればヒトクセもフタクセもあるならずものぞろいであろう。
しかし、知識や経験が不足しているから教師の教えを請うわけで、至極当然なことなのである。そもそも、自分が無知であることすらわかっていない生徒だっているだろう。
人間誰にも可能性というものはある。
生徒が若ければ、本人すら気づかない隠れた才能を持っている可能性は大いにある。
教師をなりわいとするのであるならば、そのような才能や可能性、将来性を開花させることに血道を開いて欲しいと思うのである。


また、そういった意味では教師というものは生徒にとって見れば自分の人生を形成する上のツールのひとつでしかない。
使い物にならないツールは(無理やり使わされることはあったとしても)敬遠され、放置され、捨てられてしまうだろう。
生徒は成長する。子供や若者ならなおさらのこと、いとも簡単に教師を追い越してゆく。追い越しまではしないでも、すぐに教師の影響下を離れる。
そのときに教師として生徒に対しどれだけのことが出来たか、真価が問われる。
恩師に生徒が向けるものが、敵意であったり、そこまでいかなくても若かった生徒自身への郷愁のかけらだったり、儀礼と虚礼だけだったとしたら、その教師は生徒に使い捨てられたのであろう。


教師は生徒を評価する立場なので忘れがちになるが、生徒もまた教師を評価する立場なのである。
教師による生徒の評価より、よほどシビアで直接的な判定を生徒は教師に対し下す。
ネットに生徒の不出来を嘆くエントリなぞ挙げた日には、文字通り電光石火で生徒の信頼を失うこと必至である。
もちろん、生徒もバカではない。そのような態度をおくびにでも出せば、教師の逆鱗に触れることは知っている。
むしろブログが炎上し動揺している教師を(それもネット上で!)見れば、激励のひとつでもして点数を稼ぐことも辞さないだろう。
そこまでしなくても、表面上は平静を保ちつつ、心の中で軽蔑するぐらいの芸当は朝飯前である。


礼は礼で返ってくる。
非礼は非礼で返ってくる。
軽蔑もしかりである。
尊敬されない教師など、もはや教師ではない。

記者の心得

ブックマーク代わりに。
IT分野の記者はレベルが低すぎる | 日経 xTECH(クロステック)

 結局,近道はないのだ。新入社員のころに先輩にたたき込まれた記者としての基本動作を愚直に繰り返すしかない。

「これから起こりうる事態の仮説を10個挙げる」
「仮説はすべて取材でつぶす」
「必ず裏を取る」
「足を使う」
,そして
「自分の考えは決して信じない」。

いつも忘れそうになるのでここに書き留めておく。

 加えて,専門知識を少しずつ積み上げていかなければならない。それが記事を書く際の基礎体力になる。方法の一つは,実際に手を動かすことだ。コードを書く。電子回路を組み立ててみる。今は,そんな入門者レベルから始めるしかないのだろうと思っている。