松平頼則 「序」(1989)「破」(1987)

1972年から90年、足掛け19年に亘って活動した5重奏団、サウンド・スペース・アーク(小泉浩:フルート、 鈴木良昭:クラリネット、 篠崎史子:ハープ、 高橋アキ:ピアノ、 山口恭範:打楽器)の委嘱作品には、武満徹「雨の呪文」、八村義夫「ブリージング・フィールド」、近藤譲「島の様式」、松平頼暁「アークのためのコヘレンシー」など、現在でも再演される現代音楽の名品が含まれるが、松平頼則の「序」と「破」もまた、この作曲家の美質を十全に表現した現代音楽の財産の一つといえるだろう。ちょうどこれらを作曲した頃から、松平は声楽家:奈良ゆみとのコラボレーションに重きをおくようになるので、純粋に器楽のために作曲された室内楽曲としては、このあたりが作曲家の到達点といって良いものではないかと思う。

なぜ、これほどの作品が演奏されないのか。それはまず、これらが作曲されて間もなく、委嘱団体であるサウンド・スペース・アークが解散してしまったことによるのだろう。コンサートを企画する立場に立てばわかるのだが、打楽器、ハープ、これらが編成に入ることで、企画の実行は確実に難しくなる。リハーサルのたびにこれらの楽器を運ぶか、これらを常設する特殊な会場を探すかするなら、演奏会の実現に必要な手間は3倍、4倍と増えていく。ゆえに、これらの再演は、サウンド・スペース・アークのような特殊な編成の演奏団体が自主企画で行えばこそ、ということになるわけだ。

また、実際に演奏する立場からすると、松平頼則の手稿はきわめて読み辛い。端正な筆致で描かれているものの、音符のタマが小さく薄く鉛筆書きされているため、5回もコピーを繰り返したら完全に読めなくなってしまいそうだ。さらに装飾音符を多用する作風ゆえ、その読み辛さは倍化する。かといって、フィナーレ等での浄書を行えば良いかといえば、その記譜の仕方がかなり独特で、場合によってはグラフィックなものになるのが悩ましい。今月はじめ、奈良ゆみによる3枚目の松平頼則作品集(遺作:鳥(迦陵頻)の急などを収録する)がリリースされたが、この滑るように上下する声の旋律線は、全て五線譜上の曲線として記譜されているのである。

《声の幽韻》 松平頼則作品集III

《声の幽韻》 松平頼則作品集III

となると、手稿譜を読みながら演奏を行うのも至難、浄書を行うのも至難ということで、演奏に辿り着くまでにクリアしなくてはならない問題が、通常の現代作品の10倍、20倍というオーダーで浮かび上がってくることになる。

とはいえ、第二次世界大戦後の世界音楽の歴史において独自の地位をしめている松平頼則の作品である。これらを演奏しようと意気込む演奏家は、少ないものの確実に存在する。しかしながら、そんな演奏家たちの前に、総音列技法を透過した、非常識な跳躍と込み入ったリズム書法をあわせもつ、演奏至難なフレーズ群へが巨大な岩壁のように立ちふさがる。松平頼則作品の演奏とは、8000メートル級の高山へ登頂するような、限られた演奏家にしか許されない、極めて高度な技術を必要とする仕事であるのだ。

こうした事情ゆえ、松平頼則作品、それも後期の未出版作品を実演で聴くという機会は、極めて限られたものになるだろう。今月26日、在京の作曲家と演奏家による団体、アンサンブル・コンテンポラリーαが、この「序」と「破」の演奏に取り組む。実演で聴く松平頼則作品は、録音とは別次元の感興を聴くものにもたらすに違いない。上記の理由ゆえ、この機会を失えば、今後20年、「序」と「破」の実演に接することは難しかろう。貴重な機会なのでぜひお出かけ頂きたい。

http://alpha.cside.com/schedule/schedule_index.htm

Ensemble Contemporary α
「舞曲・舞曲・舞曲」

日時:2013年3月26日(火)19:00開演(18:30開場)
場所:文京シビックホール・小ホール
丸ノ内線南北線 後楽園駅
三田線大江戸線 春日駅 →駅からホールまで直結

チケット:3,000円(一般券・全席自由)
     2,000円(学生券・全席自由) 

プログラム

清瀬 保二:郷土舞踊(1933) pf. solo
Yasuji Kiyose / Folk Dances(1933)

■松平 頼則:序(1988) fl. cl. perc. hp. pf.
Yoritsune Matsudaira / Jo(1988)

■松平 頼則:破(1986) fl. cl. perc. hp. pf.
Yoritsune Matsudaira / Ha(1986)

■近藤 譲:ウィンゼン・ダンス・ステップ(1995) fl. guit. vib.
Jo Kondo / Winsen Dance Step(1995)

■山本 裕之:東京舞曲[室内楽版]
      (2013 世界初演) picc. b-cl. trp, vlc.pf.
Hiroyuki Yamamoto / Tokyo Dance

  • version for chamber ensemble(2010/13 WP)

■斉木 由美:新作(2013 世界初演)fl. cl. vlc.
Yumi Saiki / new work (2013 WP)

■金子 仁美:新作(2013 世界初演)ob. fg.
Hitomi Kaneko / new work(2013 WP)

2010年の松平頼則作品演奏予定

2010年度は、企画制作者多忙のため、『101年目からの松平頼則』公演はお休みさせていただきます。

しかしながら、本年度には松平作品の注目すべき演奏会が幾つかありますのでご紹介させて頂きましょう。

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まず、第1に、7月9日(金)に東京文化会館小ホールで行われる、東京シンフォニエッタの公演が挙げられます。

この公演では、1988年に高橋アキを独奏者として作曲された、『ピアノと16楽器のためのコンチェルティーノ』が演奏されます。

ピアノ独奏は藤原亜美、指揮は板倉康明。

曲目は他に、金子仁美 『暮れなずむ頃』〜笙と弦楽四重奏のための(2009-2010)、石井眞木 『起−承−転−合』尺八ソロと6人の奏者のための(1998)、諸井誠『コントラディクション? 雲のある風景』(1987)。

開演19:00、入場料:全席自由 一般:4000円 学生:3000円 東京コンサーツ(03-3226-9755)などでお求め可能です。

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第2に、10月5日(火)にサントリーホールで行われる、「作曲家の個展」30周年記念コンサートです。

毎年一人、コンスタントに日本の作曲家を紹介してきたこのシリーズが30年を迎えることを記念し、これまでにこのシリーズで委嘱された3作品に、シリーズ開始の年の1981年に取り上げられた作曲家:松平頼則の未初演のピアノ協奏曲が加えられ、計4曲が演奏されます。

松平頼則には、ピアノ協奏曲と題された作品が3曲あり、1曲は1964年に作曲。これはイタリアのツェルボーニ社から出版する際に事故で行方不明になった、とされている作品でありますが、上野学園大学にスコアが収蔵されていることが確認されました。

次に、1979年から80年にかけて作曲された「ピアノ協奏曲第2番」で、これは「作曲家の個展」第1回コンサートで、高橋アキのピアノ、秋山和慶指揮のNHK交響楽団の演奏で初演されました。

今回演奏される「ピアノ協奏曲第3番」は、その死の年となった2001年の前半を使って作曲された93歳時の作品です。この作品については、今回のソリストとなる野平一郎が松平頼則病没の翌週に発表した追悼文に載っており、その存在のみ知られてましたが、残念ながらこの9年間演奏されることはありませんでした。この作品が、今回ようやく陽の目をみるということで、要注目の演奏会といえましょう。

演奏は、ピアノ独奏に野平一郎、梅田俊明指揮の東京都交響楽団

曲目は他に、望月京:インスラ・オヤ(2007)、北爪道夫:管弦楽のための協奏曲(2003)、近藤譲:夏に(2004)

開演は19:00、入場料:全席指定 S席:4000円 A席:3000円 B席:2000円 東京コンサーツ(03-3226-9755)などで7月1日の発売となります。

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第3に、10月16日(土)に門仲天井ホールで行われる、大井浩明 作曲家の個展 Portraits of composers の第2回コンサート

ここで演奏されるのは、松平頼則のピアノ組曲『美しい日本』(1970)。「前奏曲」「朗詠的な幻想(七夕)」「わらべ唄(手まり唄)」「草刈り唄」「平曲のパラフレーズ(横笛)」「箏曲風の終曲(茶音頭)」の6曲からなるこの作品は、企画物のような題名に反して、錯綜する前打音が複雑怪奇な様相すらみせる難曲で、クセナキスをはじめとした現代音楽のみならず、近年は古楽演奏にも積極的な大井がどのようにこれを捌いていくのかが注目されましょう。

開演は19:00ですが、入場料など詳細は未定なようです。演奏者のblogに後日案内が載ることと思います。

101年目からの松平頼則 II 終了いたしました

101年目からの松平頼則 の2009年度公演は、成功裏に終了いたしました。なお、次回公演の予定につきましては現時点では未定です。ご希望される方には公演案内を差し上げますので、以下のアドレスまで、「公演案内希望」のサブジェクトにてご連絡先をお送りください。

住所をお知らせ頂く必要はありませんが、お知らせくださった方には、公演のチラシをお送り出来ます。

matsudaira101@live.jp

公演についてのご感想、ご意見ご希望(取り上げて欲しい作品など)もありましたら、上記アドレスまでお寄せください。

また、今回お送りした公演案内の一部が不着にて手元に戻ってきております。思い当たる方がいらっしゃいましたら、上記のアドレスまでご一報ください。

101年目からの松平頼則 II

第25回<東京の夏>音楽祭2009 参加公演
101年目からの松平頼則 II
日本音楽史上の奇蹟・松平頼則再び 〜大編成室内楽作品を交えて〜

2009年7月16日(木) 19:15 開演 (18:45 開場)
杉並公会堂 小ホール (荻窪駅北口徒歩7分)
全席自由(チケット発売中):前売り3000円、当日3500円


主催:<101年目からの松平頼則>実行委員会
後援:上野学園大学
協賛:<東京の夏>音楽祭 SONIC ARTS
助成:財団法人 野村国際文化財団 財団法人 ローム ミュージック ファンデーション
 1907年、東京に生まれた松平頼則(まつだいら・よりつね 1907年5月5日−2001年10月25日)は、ほぼ独学で作曲を修めた作曲家でありましたが、雅楽と西欧音楽の様々な語法を融合させた極めて質の高い作品を書き続け、ついには西欧音楽の嫡子たるメシアンブーレーズにすら影響を与える地平に立った、日本音楽受容史上の奇蹟とすら評せられる作曲家です。
 昨年7月に開催した第一回公演では、ソロ作品やデュオ・トリオといった小編成の室内楽作品を中心に松平の創作史を俯瞰し、好評をもって受け入れられました。今回の第二回公演では、松平が雅楽を作品に取り入れた最初期の作品である「チェロ・ソナタ」から、松平の1980年代を代表する作品である「雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」まで、現代音楽演奏の一線に立つ奏者の演奏にてお聴き頂きます。
プログラム

「セロ(チェロ)・ソナタ」(1942/47)
多井智紀(vc)、萩森英明(pf)
「フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ」(1950)
木ノ脇道元(fl)、塚原里江(fg)、井上郷子(pf)
「弦楽4重奏曲第1番」(1949)
甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)
「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」(「律旋法によるピアノのための3つの調子」)(1987/91)
井上郷子(pf)
雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」(1982)
木ノ脇道元(fl)、宮村和宏(ob)、中秀仁(cl)、塚原里江(fg)、川崎翔子(pf)、甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)、溝入敬三(cb)、石川星太郎(cond)

ローソンチケット Lコード 35524
0570-000-407(オペレーター対応 10:00〜20:00)
0570-084-003(自動)

各曲の演奏時間

各曲の演奏時間をご案内いたします。
「チェロ・ソナタ」(27分)
「フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ」(20分)
休憩
「弦楽4重奏曲第1番」(28分)
「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」(20分)
雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」(20分)

後半は、20時25分頃の開始となる予定です。

ローソンでのチケット販売が終了いたしました

ローソンでのチケット販売が14日中をもって終了いたしました。これより演奏会当日である16日の午前2時7時まで、

matsudaira101@live.jp

にてチケットの予約を承ります。

1、お名前
2、連絡先(電話番号)
3、枚数

を明記し、送信頂けましたら、当日、窓口にて前売り料金にて精算させていただきます。ただし、開演10分前までにはチケットをお引取り下さいますようお願い申し上げます(チケットがキャンセル待ちのお客様へと廻る可能性がありますので、ギリギリ、あるいは開演後のご来場となりそうな場合は、前もってその旨をご連絡頂くか、当日会場:杉並公会堂03−3220−0401までご一報下さい)。

101年目からの松平頼則? 曲目解説

松平頼則音楽史の中で占める位置は、溝口の映画史における位置と重なるように思う。いうまでもなく、溝口とは、海外で黒澤・小津以上の評価を得、トリュフォーゴダールロメールタルコフスキーといった錚々たる作家たちが賞賛を惜しまない、偉大な映画監督であるところの溝口健二(1898-1956)である。

 今でこそ、日本映画のモダニズムを代表していたかのように語られる溝口であるが、彼が拘った長廻しといった技法、それから扱う題材ゆえだろう、海外では早い時期から熱狂的な支持者を生み出したのに反し、国内では時代遅れの映画監督であるかのような不当な評価を受けていた時期がある。筆者はそこに、まさに松平頼則との共通点をみる。ブーレーズメシアンのような作曲家からの賞賛を受けながらも、いまなお、松平のモダニストとしての業績は正確に評価されているとは言いがたい。1950年代以降、12音技法から総音列技法へと、猛烈な勢いで西欧前衛を追いかけ、独自の方法で吸収した後のことはまだしも、1940年代までの新古典期的な作品にもまた、モダニスト松平の足跡が刻まれていることに、はたしてどれだけの方が気付かれているのだろうか?

 系図を辿れば徳川家康にも行き着く旧石岡藩主松平子爵家の嫡子が、日本伝来の雅楽を素材とした典雅な作品を作曲している。安易に出来上がってしまうだろうこうしたイメージから、20世紀屈指のモダニストの相貌を理解するのは確かに難しい。だが思い出してみてもらいたい。音楽と情念が分かち難く結びついてしまっているこの国の中で、音を情念の呪縛から解き放ち、音の動きの愉悦としての音楽を追い求めるために、どれだけ激烈な抵抗を松平が行ってきたことか。こうした新古典主義的な革命を、モダニストの仕事と呼ぶことに何を躊躇する必要があるだろう?新古典期においても、松平は音楽の前衛であることに変わりは無かったのだ。

 ゆえに今日、溝口健二の「残菊物語」が日本を代表するモダニストの作品と評価されているならば、松平頼則の「セロ(チェロ)・ソナタ」もまた、同様に評価されなくてはならないだろう(それゆえに、このコンサートシリーズは今後も続いて行く)。そして、この作品に続いて生まれた、典雅で、だがその実相当奇妙なギミックに溢れた作品群を聴くとき、その新古典主義モダニスト松平頼則の姿を再定義することが出来るはずだ。そしてそれは、40代も後半に入った作曲家が、12音技法の習得とともに、かくも過激で見事な変貌を遂げることが出来た理由ともなる。松平の変貌は決して突然変異ではなかった。この変貌は、彼がはじめて雅楽を露わに素材として用いた「チェロ・ソナタ」の頃から、人知れず連続していたのだった。

さて、1907年5月5日、松平頼孝子爵の一人息子として東京に生まれた松平頼則は、1925年秋にフランスのピアニスト:ジル・マルシェックスによる連続演奏会を聴いたことにより音楽を志した。この音楽史を俯瞰していくかのような演奏会にて、彼は音楽作品を音楽史のダイナミズムの中で捉えることに開眼し、以後、突端の作曲家としての矜持を持ち続け活動して行く(詳しくは、第一回の曲目解説をご覧頂きたい)。

1940年代とは、松平がラヴェルプーランクに代表されるフランス新古典主義に傾倒し、その展開の行く先に音楽史の突端を見出そうとしていた時期にあたる。今回、演奏会前半から後半に1曲目で演奏される作品は、何れも新作曲派協会の作品展にて初演されたもの。戦後、1946年に発足したこの会は、1952年に最後の作品展を行うまで、音楽学校出身者はただの一人も加入することのない、非アカデミズム志向の、そして幾らか民族的な、在野の作曲家の集まりであった。グループの代表的な作曲家としては、早坂文雄清瀬保二、そして松平頼則が挙げられる。後に、武満徹や鈴木博義もここに加わり、武満が「二つのレント」を発表し、批評家:山根銀二より「音楽以前」との評を書かれたのは、まさにこの会の第7回作品展でのことであった。

松平頼則は、全9回の作品展のうち、第1回から第6回、第8回で、計7曲の作品を発表し、新古典主義の先にあるモダニズムの探求に明け暮れた。昨年、本シリーズ第1回にて取り上げた「ピアノ・トリオ」(1948)は、この第3回作品展で演奏された作品。1940年代後半から、50年代初めに書かれた松平の室内楽作品の多くは、この会にて発表されたものということになる。

「セロ(チェロ)・ソナタ」は、1942年に作曲。1947年、大規模な改作を施された上で、12月12日の新作曲派協会の第1回作品展にて、鈴木聰のチェロと谷康子のピアノで初演された。元々は、日本音楽文化協会(戦時中の国内の音楽演奏を統制した団体)の公募に入選。1942年の3月16日の協会の第一回室内楽演奏会において初演されたもので、松平が、そのキャリアにおいて初めて、雅楽的素材を露わに使用した(第2楽章)記念碑的な作品でもある。第1楽章と第3楽章は、1947年に抜本的に書き直され(第2楽章にも部分的な改作の手は入っている)、二調の伸びやかで清冽な響きの中に、松平が偏愛した増4度の響きと、音楽の進行を曖昧にし、瞬間毎に凍らせていくかのような平進行とが、少しずつ忍び込まされている。本日使用の楽譜は、上野学園大学所蔵の手稿譜より起こされたものである。

「フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ」は、1950年に作曲され、同年6月7日に開催された新作曲派協会第6回作品展で、高橋安治、三田平八郎、田中立江によって初演された。田中立江は、新古典期の松平が最も篤い信頼を寄せていたピアニストで、作曲家:田中カレンの叔母に当たる人物である。2本の木管楽器とピアノという編成においてプーランク(「オーボエ、バソン、ピアノのためのトリオ」)、「プレリュード」「フーガ」「アリア」トッカータ」による組曲という体裁においてラヴェル(「クープランの墓」)という、松平が若き日より規範としてきたフランス新古典主義2つの精華へのオマージュである。ピアノが奏する深みのある和音の中で、2本の管楽器は互いに小さな齟齬を孕みながらも寄添うように動き、雅楽的なヘテロフォニーを志向して行く。第3楽章はまさに雅楽の松平的和声付け。なお、この楽譜もまた、上野学園大学所蔵の手稿譜より起こされたものである。

さて、元来ピアニストで、1934年までに4回のリサイタルを開いたこともあった松平にとって、最も親しみがあり、かつ精通していた楽器といえばピアノであった(そのことは、ここまでで演奏された2曲の時代を超越したピアノ書法をみても明らかだろう)。それ故に、1949年の段階で作品表に載っている室内楽曲で、ピアノを使用しないものは「フリュートクラリネットのためのソナチネ」(1940)1曲を数えるのみ。しかし、上野学園大学には2601年(皇紀、西暦でいうところの1941年)の日付とともに、南部民謡の採譜者:武田忠一郎への献辞が記された弦楽4重奏曲の手稿譜が現存する。「音楽之友」1942年4月号清瀬保二署名記事において、近々演奏予定の作品として「チェロ・ソナタ」とともに挙げられている「弦楽4重奏曲」が、上記の作品であると推定されるが、慣れ親しんだピアノから離れて弦楽4重奏を発表するのは時期尚早だと判断したのだろう。この作品はついに発表されることがなかった。

「弦楽4重奏曲第1番」は、1949年に作曲。同年4月26日の新作曲派協会第4回発表会にて、岩切博、板橋順、北爪規世、三鬼日雄によって初演された。余談であるが、ヴィオラの北爪規世はクラリネット奏者北爪利世の弟で、つまり、作曲家の北爪やよひ、北爪道夫姉弟の叔父ということになる。さて、上記の習作の作曲を踏まえて、戦後、弦楽4重奏という編成に再び取り組むに当たって、松平が手本としたのがラヴェルの弦楽4重奏曲である。戦前、戦中と、海外から輸入される音楽作品を筆写することで最新の音楽語法を吸収していた松平らしく、この作品の第1楽章で、松平はラヴェルの弦楽4重奏曲という鋳型の中に自分の表現を流し込もうとした。楽曲の構成は極めてラヴェルに似ているが、松平が好んだ増4度の音程がここでも頻出し、作品に独自の陰影をもたらしている。増4度の多用は、松平の複調/複旋法志向によるものといえるが、続く第2楽章のスケルツォでは、4つのパートが各々異なる調性で書かれ、重ね合わせられるという松平好みの実験が試みられている。第3楽章は、越天楽を主題にしたアリア。第4楽章はプロコフィエフのように絶え間なく疾走するフィナーレ。なお、本日使用の楽譜については、作曲家の小内將人氏より提供を受けたものである。

さて、本公演では、作品は1950年代、60年代を飛ばして一気に1980年代へと向かう。1951年以降、雅楽と12音技法に代表される西欧前衛の音楽語法とを結びつけ、独自の世界を構築した松平であるが、情念とは無縁に漂う音世界の創造へと向かったという点については、新古典期志向の延長線上に理解できよう。

1987年に作曲された2台のピアノのための「6つの調子」から、井上郷子のために音を選び出して1991年に再作曲された作品という点で、この「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」は昨年演奏の「呂旋法によるピアノのための3つの調子」と双子の関係にある。ゆえに、今回の公演パンフレットでは、「律旋法によるピアノのための3つの調子」と告知してしまったが、松平はこの双子ともいえる作品に「呂旋法」の3曲とは異なる名前を与えていたのだという。というより、同一素材の改訂、書き足し、再作曲を繰り返す松平ゆえに、もう題名のことなどどうでも良くなっていたのかもしれない。この作品は、1991年の井上郷子最初のリサイタル「SATOKO PLAYS JAPAN」にて、1991年2月6日に初演された。基本的には音列技法によって書かれているものの、特定の音を引き伸ばすことによって薄い旋法性を作品へと与えている。一音の中に潜む様々な音の要素が際立たされる、松平が到達した音世界の中でも、極めて禁欲的で厳しいもののうちの一つ。

雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」は、エリザベス・スプレイグ・クーリッジ財団の委嘱によって1982年に作曲された。スコア表紙の自筆サインによると、完成は11月。エリザベス・クーリッジ(1864-1953)とは、アメリカの有名なパトロンで同時代の室内楽作品作曲への援助で知られる。バルトーク「弦楽4重奏曲第5番」、シェーンベルク「弦楽4重奏曲第3番」「同第4番」、ヴェーベルン「弦楽4重奏曲」、そしてラヴェルの「マダガスカル島民の歌」といった錚々たる楽曲が、彼女の援助によって作曲された(彼女の遺志を継いだ財団も、プーランクに「フルート・ソナタ」を書かせたという点で音楽史に銘記されてよい)。

 作品は、雅楽「輪鼓褌脱」を素材とした自由な音列技法による。序奏と12の変奏曲、そして終曲からなり、全曲の大部分がピアノかそれ以下の音量にて演奏される。極めて厳格な記譜により、ほとんど非常識とすらいえる跳躍音形があらゆる楽器に出現するが、奇数連符を多用した独自の構成が、これらを漂うような音風景のうちに纏めていく。厳格なシステムが、未分化なまま漂うような柔構造の音風景を生み出していく、新古典期から一貫した松平の志向がある意味極限へと達した瞬間の記録。その音風景は、あたかもヴェーベルンとフェルドマンの美学が、雅楽とともに鼎立しているかのような、極めて個性的なものとなっている。

 初演は1983年10月30日、アメリカ議会図書館(日本の国会図書館はここをモデルに開設された)、クーリッジ・オードトリウム(ワシントンDC)。ちなみに、初演時の録音と、スコア・パート譜一式はこの議会図書館に収められ、ワシントンへ行けば閲覧することが出来る。翌秋のISCMの音楽祭(カナダ)にて入賞し、再演。日本初演は1985年3月16日、日本現代音楽協会のコンサートにおけるムジカ・プラクティカによるもの。使用楽譜は、自筆譜のコピー(スコア)と、初演時に作られ松平の手元に残されたパート譜のコピー(日本近代音楽館、蔵)である。