Facebook始めました

ひさしぶりに書きます!

メキシコ人の知り合いからの強いおさそいで
Facebookをはじめました。

よくわからなかったけれど、まぁMixiアメリカ版
みたいな感じですね。

これがやってみると意外に面白くて、友達をたどっていくうちに
10年前にルクセンブルグとイギリスに国際交流に行った時の
スペイン人と再開したり、メキシコのヒッポファミリークラブのメンバー
とつながって、今のインフルエンザの状況を心配して聞けたりしています。

写真や動画、このブログもアップできるので、活用できそうです。

興味のある方は
http://www.facebook.com/
で検索してみてください。

Digital Natives 〜デジタル ネイティブ〜

NHKスペシャル
「Digital Native デジタルネイティブ
を視聴した。

Digital Native〜でじたる ねいてぃぶ〜
子どもの時から、空気や水のようにインターネットを使いこなしてきた世代


アメリカやヨーロッパの大人のプロたちに
カードゲームの構築を依頼して数100万ドルの売り上げを上げている
15歳のインド人中学生。



彼は自分の「カードゲーム会社のCEOです」
と臆することなく公言する。



コンファレンスで彼が初めて発言した時のまわりのノンデジタルネイティブ
大人たちの嘲笑する様子がとても印象的だった。



子供のときからパソコンが遊び道具、小学生のときには自分のページを持ち、
世界中のあらゆる人々と交流を持っている。
ちなみに、テレビはほとんど見ないそうだ。



デジタルネイティブにとってはインターネットは情報そのもの。
人間関係の多くもインターネット上に存在する。


ネットの世界では年齢・国籍・性別、そして肩書は一切関係がない。



だから、15歳の子供が30歳の大人のBossになる、なんてことも普通にありえてしまう。


この現象を否定的にとらえようが、肯定的にとらえようが、
デジタルネイティブが世界を席巻する日がくる可能性が非常に高い、と感じた。



デジタルネイティブにとって、インターネットは自分の体の一部と化しているようだ。
ノンデジタルネイティブの神経系は、すべて、体の中に存在する。



しかし、デジタルネイティブは、彼らの体の外に「世界中とつながることのできる」
神経系を持っている。それはほぼ無意識に利用できるといってもいい。


インターネットが登場し、普及した時、多くの人は
怖いものだと思ったという。現に凶悪な事件を引き起こしていることもある。

しかし、車が登場したときはどうだっただろう?テレビが登場したときは?



けれど、そのどれもが今は「なくてはならない」存在にまでなっている。



インターネットがそうなる日は非常に近いと感じる。



あなたのデジタルネイティブ度、チェックしてみませんか??
http://www.nhk.or.jp/digitalnative/

ちなみに私は・・・85%でした!!!

以外に高いけれど、、、テレビの彼らとは程遠い気がしますねー苦笑


今日の一枚。

上に書いた、コンファレンスでインドのマンスール君が初めて発言した時の
様子。なぜか再生できません、、、でもYou Tubeで「Digital Natives」で検索すればみれますよ!

クラウドソーシング

クラウドソーシング 世界の隠れた才能をあなたのビジネスに活かす方法

クラウドソーシング 世界の隠れた才能をあなたのビジネスに活かす方法




大前研一さんが紹介されていたので、すぐに買いました!

クラウドソーシング[crowdsourcing]→
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
インターネット等を通じ、
社会の不特定多数の人々に対して、
アウトソーシングを行うこと。
知的生産力やコンテンツなどを、
多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的としている。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■

とっても魅力的な言葉だと思いませんか?

本著にはクラウドソーシングを実際に取り入れて楽しく成功した企業の事例が
いろいろと書かれています。

そして何より、この本自体がcrowd (群衆・集まった人々・大勢)によって書かれているのです!
その数なんと4000人!!

グローバリゼーション=産業・市場・製造の最適化の過程 と大前さんは定義されていましたが、
クラウドソーシングはまさに「グローバリゼーション」の完成系に近いような気がします。

今、私の職場においても「今まで通りでやってもうまくいかない」「がんばってるのにうまくいかない」という声が蔓延しています。
私もしょっちゅう「必死さが足りない!もっと必死になればお客さんはくる!要は気持ちの問題なんだよ」と毎日のように
言われています。

「必死」=「必」ず「死」ぬんですよ笑 

死んでしまっては元も子もない気がしますが、、、。


「今まで通りや」っても、
「がんば」っても、
「必死でや」っても、

うまくいく時代は終わってしまっていると思います。

会社の外をもっと見て、今、社会が求めているものを見つけ出し、それを達成するための
チームをアウトソースしながら瞬時に編成して、形にできる企業が買っていくと思います。

自分もそんな会社にしていきたいと思っているんですが、
なかなか、組織の中にいるとうまくいきません。

まずは上司との闘いです、、、。

そもそも組織にいる時点で間違っている気もしますが笑

○○語の範囲 〜音の「ゆらぎ」〜

これは何々語だ、というものの範囲ってどこからどこまでなんでしょう?


先日面白いことがありました。
ボーリングでストライクをとってゲットしたおもちゃのボイスレコーダー
先日ぼくが「おかえり!」という声を吹き込み、再生しました。



それを妻に聞かせたところ、
「何て言ってるかわからない。」と、言われました。
そのあと、何回も再生しましたが、いくら聞いてもわからない。



私「じゃあ、あなたには何て聞こえてるの?声に出して言ってみて」



妻「なんか、”ンコーンイ”って聞こえるけど・・・それって日本語?」



私「”おかえり”って入れてるんだよ!聞いてごらん」と言って再度再生すると、、、



妻「ほんとだ!!”おかえり”だ!」

その後は、何度かけても「おかえり」にしか妻には聞こえなくなっていました。

そして、今日仕事を終えた私に妻が、





妻「ちょっとちょっと、これ聞いてフフフ」
といいながら、ボイスレコーダーをピッ



そこには妻の声で「おかえり」との声。



私「うん?”おかえり”でしょ?」



妻「ちがうよ。よーーーく聞いてみて」といいながらピッ



私「”おかえり”にしか聞こえないけど・・・」



妻「ほんとに??」



私「うん」



妻「正解は・・・・・”ンコーンイ”です!!」



私「!!!、マジで!?」



明らかに”おかえり”にしか聞こえない音が実は「ンコーンイ」という全く意味不明の音だったなんて。


人間の言葉にはどうやら音の「ゆらぎ」というものがあるのではないかと思います。



たしかに、「日本語」一つをとっても関西弁から沖縄弁、名古屋弁ズーズー弁といろんな方言があって、
音も大分違います。でも、私たちはそれら全てをひっくるめて「日本語」と呼んでいます。

では、どこから「日本語ではなくなる」のでしょうか?どこから「日本語になる」のでしょうか?

今回の「おかえり」という音もゆらいでゆらいで、「ンコーンイ」にまでなっても、私には「おかえり」と
認識されました。

どうやら人は「自分の持っている音や経験を通して言葉を聞き、理解している」ようです。

仕事を終えた夫に妻がかける言葉、、、それが「ンコーンイ」と発音された時にも夫の私には
「おかえり」として聞こえる。今までの経験と自分の持っている音が「ンコーンイ」の音のゆらぎをとらえてくれるのです。


人は言葉を聞くときに自分の体にある音とその「場」、すべてを察知しながら自分の中で「意味」として理解するというプロセスを
瞬時に行っている。


これが日本語がネイティブでない人に聞いてもらうと「ンコーンイ」に聞こえたかもしれない。


いろんな音を持っている人はきっといろんな言葉に対する「ゆらぎ」に対応できるのだろう。 続く

自然に多言語が育つ場

昨日のヒッポの活動の場で、ゲストでこられたメンバーの
体験談がとても面白かった。

彼女は、何語を特にがんばっているわけでもない、一生懸命日々の活動でCDを無理に聴いているわけでもない。


でも、12年の活動への参加の中で、いつの間にか体の中にいろんな言葉の音がたまっていることに気づいたそうだ。


まったく意識もしていなかった中国語の音や、韓国語の音がその言葉を話している人と出会った時に自分の中でスイッチが入る


そしてそれをすぐに使える


という現象。普通に考えてすごい。。。

スクールで学んだ言葉でそんなことがおきることはまずない。
しっかり意識して学んで、無意識でなく、意識的に使ってみて、
使えない。。。
 ということが多い。


人の力ってすごいなと思った。

そして人がだれでも持っている、出会った人とどんな言葉でも話すことができるようになる、という力を自然に引き出す場を作っているのがヒッポ

ヒッポのメンバーは自分も含め、ほとんどが「普通の人」。

普通の人にもこれだけの力が自然から与えられている。
人間の力って無限大に近いんだな、と改めて思った。

英語のネイティブの人だって。。。

英語が通じる人 ってどんな人でしょう?

#1英語圏で暮らしている(暮したことのある)人
#2英語圏で暮らしてはいないけど、英語を話せる人


この二人の人たち、どっちの人の方が私たちのような
ノンネイティブの英語が、より通じるでしょう?



そんなもの1の人達に決まってる。
1、はネイティブってことでしょ?
英語をよりわかっている人たちってことなんだから、自分たちの英語をしっかり拾ってくれるんじゃ。。。


と思うことなかれ。実はアメリカの人たちは英語のネイティブだが、
「あるグループネイティブ」の人たちには意外にノンネイティブの英語は通じにくいのだ。

それは、
「自分のエリアをほとんどでたことがない」ネイティブの人たち

である。彼らはもちろん「英語のネイティブ」できっと英語はカンペキだと思う。
ただし、それは相手が英語のネイティブの場合

先日ヒッポファミリークラブのメンバーと、はじめて自分たちの生活エリアを飛び出して
日本にきたアメリカ人よりも、今まで複数回海外旅行などを経験しているアメリカ人の方が
ノンネイティブの英語が通じやすい、という話題になった。

外に出て、英語以外のことばやノンネイティブの英語を聞いているアメリカ人も、アメリカを出たことがないアメリカ人も
同じレベルの英語が話せるし、聞けるはずだけれど、その奥にひそんでいる、コミュニケーションに必要な奥行き
みたいなものに差があるのかもしれない。

シンガポールやインドの人はたしかに独特の英語を話しているが、こっち(日本人)の独特の英語も意外に
よく通じる。


数年前にラスベガスに行った時に、泊まったホテルが「Luxor」という名前で日本語では「ルクソール」と発音するが、
タクシーの運転手には「ルクソール」では決して通じなかった。(想像してよ!って思ったけど、通じなかった)
クソール」と発音しないと通じない。


ネイティブ=そのことばの「コミュニケーション」を行える


という式は成り立たないのかもしれない。

いつの間にか。。。?

仕事上の付き合いのあるお客さんから
海外ブラジルに商品を販売したいんだけれど
手伝ってほしいという相談を持ちかけてもらい、

ちょっとのつもりでお手伝いをしていたら
いつの間にか、
「今の仕事とは別に個人的に手伝ってほしい」
とまで言っていただくようになり、
プチ・貿易コンサルタントのようになってしまいました。

英語・スペイン語が(日常会話程度)話せる、
職種上、「普通の人よりちょっと」輸出入に詳しい。

それだけの理由なんですけれど、それでも自分で受けて
学びながらやっていけば、いつの間にか「プチ」はつきますが
専門家みたいなことになっていくんですね。

なんでもやってみるもんですね。


今日の一枚

アップルのスティージョブズさんの「伝説のスピーチ」
3つのシンプルなテーマで人生を語ってらっしゃいます。