ツーリング日和20(第16話)波賀城

 あれからも何度も秋野先生はツーリングに連れて行ってくれたんだ。秋野先生って呼び方も嫌がられて、嫌がられて今では、

「瞬さん」

 こう呼ばせてもらってる。なんが慣れないところもまだあるけど、名前呼びするだけで距離が縮まった気がしてる。言っとくけど何も起こってないからね。マナミにその気はテンコモリあるけど、そんなものは夢であるぐらいは知ってるから。

 今日は回数も重ねたからロングツーリングだ。まずは山麓バイパスで西に向かう。それから国道一七五号バイパスで北上だ。三木、小野を過ぎ、加東市に入ってから国道三七二号、さらに県道三七一号、県道二十四号と走り、加西市内で県道二十三号に入る。あっさり書いてるけど加西を抜ける道に国道が無いからややこしいんだ。

 県道二十三号は福崎で市川を渡り、夢前で夢前川を渡り、揖保川を渡って山崎だ。山崎から揖保川沿いに国道二十九号で北上。一宮を越えて、波賀まで行く。この一宮だけど播磨一之宮である伊和神社があるのだけど、素朴な疑問があるんだよ。

 一之宮は日本各地にあるけど、その謂れは国司なりが赴任したら一番に参詣する神社って意味もあるそうなんだ、簡単に言えばその国で一番格式が高い神社であるで良いと思う。神社だから国の中心部になくても良いようなものだけど、それにしてもハズレ過ぎないかな。

 播磨の国府は姫路の飾磨にあったのは瞬さんに教えてもらったけど、それでも遠いよ。今だって遠いけど、昔なら何日かかるのだろうって思うぐらい遠いもの。それとこれは歴史的変遷があるだろうからなんとも言えないけど、現代の播州人でも播磨一之宮である伊和神社は有名とは言えないところがあるじゃない。

「その話になると神話レベルの話になりますね」

 播磨の国名の由来は播磨風土記に書いてあったはずだけど失われているそうなんだ。だけど昔は播磨じゃなく針間であったのはあるそうなんだ。なんかみみっちい名前だな。

「これは国の地形を表しているとされています」

 どこがだ。播磨と言えば姫路平野でしょうが。小学校の社会で覚えたぞ。あれだけ広々してるのに針の間なんかにどうやったら見えるんだよ。

「だから神話レベルですって」

 出雲が古代の先進地域だったぐらいは知ってるよ。今だって出雲大社があるし、国引き神話だってあるもの。宍道湖のスズキの奉書焼は一度ぐらい食べてみたい。

「そのうち一緒に食べに行きましょう」

 やったぁ、でもどこまで本気かな。さすがに松江まで行くとなるとモンキーでは厳しいな。そうなるとクルマか飛行機になるけど、日帰りじゃもったいないから・・・泊りになるじゃないの。泊ったりしたら過ちが起るかもしれないじゃない。そりゃ、望まれたら応じるけど、望まれなかったら複雑だぁ。

「その出雲の勢力ですが播磨まで伸びて来ていたようなのです」

 へぇ、こんなとこまで伸びてきていたのか。

「その播磨に入った出雲勢力ですが、どうも揖保川に沿って南下したと考えられています」

 古代の交通ルートがどうなってかなんてわからないけど、鳥取あたりから南下してきたとすれば、佐用ぐらいから千種川を南下しそうな気がするけど。

「そこもわかりませんが、ひょっとしたら千種川流域には吉備勢力が先に入り込んでいたのかもしれません」

 吉備団子の吉備か。吉備も古代王権があったぐらいは知ってるから可能性はあるかも。揖保川沿いに勢力を広げた出雲勢力はそこを国だとしたぐらいって話か。

「これも想像の世界ですが千種川流域の吉備勢力は負けて追い出されたのかもしれません」

 出雲だとか吉備だとか、ホントに神話の世界だな。それでも播磨の国の成立を考えると揖保川から始まると考えるのはありかもしれない。だって揖保川は龍野から網干に流れていくから、そこから播磨平野に進出だ。

「そんな簡単な話じゃないと思います。その頃だって主要産業は農業で稲作のはずです」

 だから揖保川の水を使って、

「そうは簡単じゃありません」

 稲作は日本に伝わってから弥生文明を興し、広い意味で今に至るみたいなところはある。稲作をするには豊富な水が必要で、だから大きな川があった方が。

「水は下から上に流れないのです。ですから稲作で利用されたのは揖保川の水ではなく、揖保川に流れ込む小川の水になるはずです」

 さらに大きな川になると洪水が起こりやすいのか。とくに河口部に近いほど起こりやすいし大規模になるはずだから、

「姫路平野は揖保川、夢前川、市川、さらに加古川ぐらいが流れ込んでいますが、流れ込んだ川が作った平野が、いつ頃にどれぐらい出来上がっていたかぐらいまで話は遡ると考えています」

 こりゃ壮大過ぎる話だ。瞬さんは揖保川流域に進出してきた出雲勢力は揖保川支流を開墾しながら南下していき、山崎ぐらいまでまず進出したのじゃないかと考えてるよう。理屈はわかるけど、なんだか細長い国だなぁ。

「だから針間の国って呼ばれたのではないでしょうか。もっとも景行天皇の頃には加古川まで広がっていた可能性はあります」

 そこの話は長くなりそうだから置いといて、そんな針間の国の守り神として伊和神社があるぐらいで良さそうだ。そんなことを話しているうちに波賀についたぞ。お城はこっちに入るみたいだ。

 案内表示に従って走って行ったのだけど、なんじゃこれ。こんなところ大型のワゴン車だったらどうするつもりだって道じゃないか。こっちは小型バイクだから問題ないけどね。そこから山道をクネクネと登ったら駐車場だ。

 駐車場は広々してるな。ここだけ見てると途中の道が大変だったなんて想像も出来ないかも。バイクを停めてここから歩きだ。へぇ、石垣もあるぞ。道の両方が石垣だから門でもあったのかな。

 さらに進むとちゃんとトイレまで整備されてるじゃないか。それもかなり立派な気がする。そこに木戸みたいなものがあるから、この先が城内って事かもしれない。城内と言うより本丸って感じかな。

 一度下ってから登るのだけどこの木製の階段の先にあるみたいだ。それにしても立派な階段だよ。えっちらえっちら登ってるとお城が見えてきた。えっ、ウソでしょう。こんなところに本物のお城があるじゃないの。

 元気が出てきた。よっしゃ頂上に着いたぞ。これは間違いなくお城だ。二階建てで小さいけど天守閣で良いはずだ。こんなものがこんなところにあるなんて初めて知った。連れてきてもらって感謝だよ。ウソでしょ。中にも入れるなんて。でもこれって、

「最近出来たものです」

 再建でもすごい。

「う~ん、再建と言うより模擬天守、いや模擬櫓で良いと思います」

 それでもちゃんと二階まで上がれるんだ。改めて外から見てたのだけど、なんか違和感があるな。形はお城の櫓で間違いないけどあの屋根って、

「桧皮葺きでしょうか」

 それって神社とかにあるやつだけど瓦じゃないのよね。

「この辺は林業が盛んみたいですからそのアピールもあると思います」

 そう言えば麓にあった神社も妙に立派そうだったものね。でも模擬櫓ってことは石垣も模擬だよね。

「それはここを読めばわかります」

 なになに、石垣は本物なのか。なんか古い積み方みたいで、特徴は角が丸いのか。言われてみれば、お城の石垣の角ってビシッと折り目が付いてるものね。それでも、ここまでこれだけの石を運び上げてるなんてたいしたものじゃない。

「それですが、下から運び上げたのではなく、山の上にあったと思います。登って来る途中にもゴロゴロありましたからね」

 たしかにそうだった。それとどうもだけど石垣をこれだけ積んでるのは門みたいなところと櫓のあるここだけの気がするけど。

「石垣を積むのは大変ですからね。とくに櫓のところは外から見えるところですから、これだけの守りがあるぞのアピールの意味の気がします」

 この城も良くわからないところが多いみたいだけど、播磨を制した秀吉が因幡とかに攻め込む拠点になってた可能性があるんだって。石垣もその時に積まれたで良さそうだけど、それだったら櫓だってあったかもしれないじゃない。

「技術的には安土城もありましたし、秀吉時代の姫路城にも三層の天守閣はあったとなっています。ですから石垣の感じから櫓はあっても不思議ない気はしますが、本当はどうであったかの資料はないようです」

 もしあったら物凄い宣伝効果になった気がするし、秀吉ならやらかしそうな気がするけどね。

「ここも当時の交通の重要拠点ではあったようですが、史実として反撃されて争奪戦にはなっていないで良さそうです。秀吉が鳥取城を攻めた時の補給拠点ではあったでしょうが、さすがに櫓まで予算をかけて作るのはしなかったのではないでしょうか」

 構想ぐらいはあったかもしれないけど、石垣が出来た時点ぐらいで、そこまで予算をかける意味が無くなったのかもしれないな。でもあったら嬉しいな。

ツーリング日和20(第15話)三木の殿様

 金鑵城での取材が終わったらお昼ご飯にGOだ。こういう時に男とマスツーなのは心強いんだ。それも秋野先生と一緒だからどんな店だって遠慮なんかいるものか。

「そうでもないですよ」

 金鑵城から県道七十九号線に出てひたすら北上してた。かなり走ったけど、潜ったのは中国道のはずだ。そこから連れて行かれたのは、

「かいな製麺所です」

 製麺所ってなってるけどうどん屋だ。あははは、秋野先生でもライダー飯なんだ。不満じゃないよ。秋野先生もバイク乗りだって思っただけ。バイクならこういう店が良いよ。かなり人気のある店だから並んだけど二人なら全然苦じゃないもの。讃岐うどんみたいだったけど、味も余裕で合格だ。

 そこから帰り道になるのだけど、途中のサンマルクでお茶にした。そのまま帰っちゃうのは愛想がないものね。そこから聞かされたと言うか教えてもらったのが三木の殿様の話だった。

「おもしろくないと思いますけど・・・」

 三木の殿様ぐらいは地元だから知ってる。だって秀吉を迎え撃って大籠城戦をやってるからね。大河で太閤記のような秀吉が活躍する話なら多かれ少なかれ出て来るもの。それだけじゃない、落城した時に城兵の命を救う代わりに切腹してるんだ。

 だから今でもその時の城主である別所長治の事は地元の人間なら誰でも知ってるし、それを称える祭りだってあるぐらい。全国的な知名度は高くないけど地元では英雄で良いと思う。上の丸公園に行けば、長治の辞世の句の碑だとか、長治が馬に乗っている石像なんかもあるよ。

「その別所氏のお話なのですが・・・」

 昔からの大名じゃないの?

「そんな簡単な話じゃないのです」

 室町時代の播磨の守護が赤松氏ぐらいは聞いたことがある。足利尊氏に味方した赤松円心からそうだったはず。

「よくご存じですね、赤松氏は嘉吉の乱で一度は滅亡します」

 それも歴史の授業で習った気がする。たしか時の将軍を暗殺したとかしないとか。その時に滅亡した赤松氏だけど、あれこれあって政則って人の時に復活したのか。

「政則は赤松氏中興の祖と言われてはいますが、なかなか波乱万丈の生涯を送っています」

 そりゃそうだろ。一度滅んだ家を復活させてるんだものね。とにかく余計な枝葉が多いみたいだけど、話は別所氏の先祖に絞ってくれているみたいだ。話は三木合戦で切腹した長治の四代前の則治って人の話になるみたい。あれっ、政則と則治って名前が似てるな。

「片諱といって、主君から一字を頂いたはずです」

 ある種の御褒美みたいなもんだろうな。さて赤松政則は播磨守護に返り咲いたのだけど、世は応仁の乱が始まり戦国時代に突入としようぐらいで良さそうだ。応仁の乱と直接関係してるかどうかはわかんないけど、山名氏が播磨に攻め込んできたみたいなんだ。

「政則は播磨にいられなくなり堺に逃げ込むことになります」

 また滅亡したのかよ。その時に堺まで逃げた政則の側近として頭角を現したのが別所則治だったのか。則治たちの尽力もあって赤松政則は山名氏を播磨から追い出すのに成功するのだけど、

「その時に東播八郡の守護代になっています」

 それまで守護代は宇野氏だったのだけど、則治は東半分の守護代になったんだな。そこから別所氏は栄えて長治の三木合戦になるってことか。

「シンプルにはそれで良いのですが、則治の出自がはっきりしないのです」

 別所氏って赤松氏の一族、それも名門だったと聞いたことがあるけど。

「なんにも裏付ける資料が残っていないのです」

 則治が台頭してからの記録はあれこれあるそうだけど、則治がどこから出てきた人なのかはっきりしないってどういうことだ。

「そもそもになると、何故に別所氏だったかまでになります」

 元が赤松氏だったとしても、分家とかになると領主になった地名を家名にするのはポピュラーだそう。それぐらいは聞いたことがあるよ。徳川家の親戚だって松平っているものね。

「松平はまた違いますが、藤原氏だって近衛家とか、九条家とかあるでしょう」

 あれって全部藤原氏だったのか。道理で途中から藤原って苗字が教科書に出て来なくなったのかやっとわかった。だったら赤松氏の一族の誰かが別所ってところの領主になっただけなんじゃない。そうだそうだ、三木にも別所ってところがあるぞ。

「別所氏が別所を名乗った説の一つに加西に別所城を作ったからと言うのもあります」

 聞いたことがないお城だな。

「今でも河内城としてハイキングコースにもなっています。伝承では・・・」

 赤松氏は堀川大納言定房の孫の源師季から始まって、その子どもの季房の時に佐用に移り住んだそう。その季房の孫の頼清が加西の別所に住んだから別所氏を名乗ったになってるのか。

「それはあくまでも伝承と言うか先祖伝説みたいなみたいなもので、師季は定房の孫であるのは間違いありませんが、季房は定房の祖父の子です。季房も実在の記録のある人物ですが、さして出世も活躍もしなかった人物であり、佐用に移り住んだ記録もありません」

 えっと、えっと、要するに源定房とは一族ではあるけどかなり遠い親戚ってことか。それとさぁ、ホンマに赤松氏の先祖なんかいな。

「完全には否定できないぐらいですがとにかくマイナー人物です。それと佐用は播磨でも西の端になります。赤松円心も出自がはっきりしない人物ですが、赤松氏の勢力が東播にも及んだのは円心が播磨守護になってからで良いはずです」

 佐用ってそんなところだもの。赤松氏は鎌倉幕府滅亡の時から活躍しだすけど、その遥か御先祖様の時代の頼清の時に加西の領主であったは無理があり過ぎる気がする。だったらどこの別所だったのよ。

「わかりませんが、播磨の別所姓のルーツは姫路の別所の説があります」

 播磨の別所は鹿島神社の麓ぐらいになって、そこは大徳寺の塔頭の寺領だったらしい。秋野先生の説に過ぎないけど、円心の時代に赤松氏の誰かが領主になって別所姓を名乗った可能性があるかもしれないって。

 でもね、赤松氏は嘉吉の乱で一族総崩れみたいになって一度は滅んでるのは史実だ。その時に別所氏だって巻き込まれて共倒れになってるはずだろうって。それはそうだろ。そこから政則による復活劇が起るけど、

「政則が播磨守護に返り咲いたのは長禄の変になりますが、この時に政則はまだ三歳なのです。だから復活は有力重臣の手で行われています」

 まだ三歳だって! そうなると、

「政治の実権は政則にはなかったはずです。そして山名氏の侵攻があったのが二十九歳の時で、この時から則治が突如のように出現します」

 なんかありそうだけど、わかんないな。

「政則は決して凡庸な人物ではありません。成長するとともに自分で実権を揮いたくなったと考えています」

 そんな時に起こったのが山名氏の侵攻で、

「堺に逃亡した時には側近だけだった可能性はあると見ます」

 そうなりそう。そこで才覚を現したのが則治なのか。だとすると、

「政則は他の勢力を抑え牽制するために則治を東播の守護代まで引き立てられたと見ています」

 それならわかる。ドサクサ状態だし、それに応えるぐらいの才能も則治にはありそうだ。でもさぁ、なんで別所なんだ。

「政則の側近になるのは出自が重んじられます」

 そういう時代なのは聞いたことがある。才能があっても生まれが悪いと見向きもされない時代だったらしいものね。この生まれとか出自ってやつは今だってウルサイ人はウルサイぐらいだから、当時なら絶対だったと思う。

「則治は政則の側近になれるぐらいの出自はあったことになりますが、当時だって出自は捏造できたのです」

 それ知ってる。美濃の蝮の斎藤道三だ。

「これもあくまでも仮説ですが、則治は側近になれるだけの出自を得ることは出来ましたが、赤松氏の一族であるとするのは無理だった可能性はあると考えています」

 さすがに地元だからバレるかもしれないよね。えっ、そうであれば則治って赤松氏と関係なかった人になるじゃないの。でも別所氏だし、赤松氏の一族ってなってるよ。

「そこなのですが、赤松氏でも別所氏は名門の家名だったと見ています。政則は則治を引き立てるために別所の家名を継がさせた可能性があると考えています」

 播磨の斎藤道三みたいな話じゃないの。道三も、

 松波 → 西村 → 長井 → 斎藤

 こんな感じで名跡を受け継いだはず。

「あれは小説の創作部分が多いと今はなっていますが、則治が別所氏を名乗った、もしくは名乗れたのに似たようなカラクリがあったと考えています」

 これは蛇足みたいなものだけど、家系伝説では頼清って人が別所氏の初代にはなってる。だけど赤松円心の弟の円光って人が別所氏の名跡を継いだともされてるそうなんだ。赤松円心は中興の祖と言うより実質的に赤松氏の初代みたいな人だから、

「この辺は円光でなくその子であるとなっていたり、円心を継いで赤松家の当主となった則祐の子の持則って説もありますが、注目して欲しいのは誰であっても赤松氏の嫡流に非常に近い家柄なのです」

 江戸時代なら御三家みたいなものか。

「円心より前から別所氏が存在していたかどうか伝説の彼方ですが、円心以降は名門の家柄として扱われているのは間違いないと考えています」

 もちろんだけど殆どが仮説と言うより推測とか、憶測みたいだって秋野先生は笑ってたけど、だからと言ってこれを否定できる証拠もないのが歴史ってことか。こりゃ、面白いわ。こんな授業だったら熱中できたし、歴史だってもっと興味を持てたのに。

「そうは言いますが、今日の話だって、ある程度の歴史の基礎知識がないとチンプンカンプンの話になってしまいます。マナミさんにあれほどの歴史知識があったから楽しんでもらえたのです」

 そ、そうだよね。その基礎知識を覚え込むのが歴史の授業になるのだけど、あんなものどこで応用に使えるんだ。

「それは人それぞれでしょうが、たとえばこうやってマナミさんと話が出来るのに使えます」

 さらに付け加えて、それこそ趣味として楽しんで人生を豊かにすることも出来るのか。学校の勉強なんてなんの役に立つのかってことが多かったと言うより、学年が上がるほどそんなのばっかりにしか思えなかったよね。それこそ、

『こんななんたら公式とか方程式を覚えるのに何の意味があるんだ』

 たしかにあれだけ苦労して覚えた知識のほとんどはその後の人生の役には立っていないと思う。でもまるっきり無駄かと言えば、

「とくに高校ぐらいまでなら活用されずに終わるものは多いと思います。しかし高校生ぐらいなら将来のどこで活用されるかは未知数だと考えています。大学でもそうですし、社会人になってからでも、思わぬ知識が必要になったり、思いもよらないことに熱中するのはありますからね」

 その言葉は今ならわかる気がする。あの頃には、

『勉強できるのは今しかない』

 事あるごとに言われたものだ。反発と反感しか出てこなかったし、ひたすら勉強は苦痛だったけど、こんな時に役に立つものなんだって。

「人生ってそんなものだと思いますよ」

ツーリング日和20(第14話)金鑵城

 ありえないと思っていた連絡が秋野先生からあったのには腰が抜けるほどビックリした。誰かの悪戯だと思ったもの。内容はマスツーへのお誘いだ。どうしようか悩んだけど、どう考えたって乗らない手はないだろ。

 待ち合わせをしたのだけど、本当に来てくれるのかドキドキしながら言ったもの。ドキドキし過ぎて一時間前に行ってしまった。早く行ったからって、早く会えるわけじゃないけど、秋野先生相手に遅刻は論外だろ。秋野先生は待ち合わせ時刻の十五分前に来てくれたのだけど、

「お待たせして申し訳ありません」

 そんな事なんかない。まだ待ち合わせ時刻の十五分も前だし、早く来たのはこっちの勝手だ。今日のマスツーだけどインカムも仕込んでる。出発前に調整して、

「調子は良さそうですね」

 バッチリだ。今日行くのは金鑵城らしいけど、聞いたことがないな。

「どうしても仕事がらみになるので申し訳ありません」

 いえいえトンデモございませんだ。秋野先生の仕事にお付き合いできるだけでも光栄だもの。それと歴史だって嫌いじゃない。歴女じゃないけど興味はある。嫌いなのは歴史のテストだ。

 どうやって行くのかと思ったけどまずは新神戸トンネルか。箕谷から呑吐ダムの湖畔の道を走り抜けて御坂だ。信号のところに御坂神社があるけど行ったことはない。そこから三木の方に向かうのだけど、志染中学の先の信号で右折か。

 この信号のところにうどん屋があるのだけど、あそこって美味しいのかな。だいぶ前からあるけどお世辞にも綺麗とか、立派な店じゃないのだけど潰れてないものな。もちろん行ったことはない。

 この道はネスタリゾートの前を通るのだけど、ここは行ったことがある。あそこはマナミの時に成人式の会場だったんだ。でも不便だったな。だってクルマじゃないと行けないじゃない。

 それにあの頃はグリーンピアだったけど、スポーツレジャー施設みたいなところじゃない。あんなとこに晴れ着で行ってどうするのかと思ったもの。この辺は当時の幹事と言うか実行委員の考えがあったみたいで、

『普段着で参加しよう』

 あの頃は成人式が華美すぎるって声があったのよね。それに実行委員が乗っかったのか、市の意向があったのかはわからないけどとにかくここが成人式会場だったんだ。だけどさぁ、成人式の晴れ着って見栄とは言い切れない部分があると思うんだよ。

 北九州市とかはそうかもしれないけど、この辺だったら大人の晴れ着と言うか正装を整えるって意義もあると思うんだよね。男子のスーツなんてそうだろ。女子の着物は微妙なところもあるけど、あれだって結婚式とかの正装に使う事だってあるじゃない。

 そりゃ、そのたびにレンタルにすれば良いようなものだし、成人式だってレンタルで参加してるのはいるけど、日本人なら振袖の一枚ぐらい持っていたって良いと思う。まあ、着るのが大変だから普通は実家のタンスの肥やしになるのは否定しないけどね。

「そういう機会でもないと着る事もありませんよね」

 そういうこと。成人式だってある種の伝統行事だし、その時には晴れ着なのが風習だと思ってる。済んだことだからもう良いけどね。さてとネスタリゾートを過ぎたら突き当たって左か。

 星陽中学が見えて来たけど廃校になったのに驚いた。少子化の影響なんだろうけど、統合先が三木中だそうなんだ。あんなとこまでどうやって通うんだろうな。バスもあるけど不便だし、自転車で通うにも結構な距離だもの。

 豊地の交差点に出て来たけど、えっ、左に行くの? てっきり右に曲がって桃坂ぐらいからだと思ってた。となると三木まで出るのかな。そう思ってたら八雲神社のところに入るのかよ。金鑵城ってそんなところにあるのかな。

 この道は丘越えのワインディングだ。丘を越えたらまた左に行くのか。もうどこ走ってるかわかんないよ。えっ、こっちに入るのか。なんかゴルフ場があるぞ。ゴルフはやらないから良くわからないけど、なんかややこしいな。

 と思ってたら国道一七五号バイパスだ。それも越えるのか。小野の市役所があってイオンがあるってことはあの辺だ。これも通り過ぎてまた田んぼの道になったけど、この調子なら前に見える山と言うか丘に行きそうだ。

 やっぱりそうなったけど、丘を登るとここは知ってるぞ。子どもの頃にブドウ狩りに来たことあったはず。てなことを思ってたら加西市だ、

「右に入ります」

 えっ、こんなとこ。夢の森公園ってなってるけど、今日行くのは城跡のはずなんだけどなぁ。でも入ったのは公園の駐車場。ちゃんと自動販売機もあってトイレも整備してあるよ。でも城跡はどこだ。

「あそこです」

 あれなの。木の柵みたいなのが見えるけど、あれが城跡だって。お城ってさ、石垣があって、白い壁があって、櫓があってじゃないの。歩いていくと空堀みたいなのに橋がかかってるけど、

「ここは城跡と言っても中世の山城ですから」

 なんかお城っていうより、そうだな、西部劇に出てくるような砦って感じだ。でもよく整備されていて、

「見晴らしも良いでしょう」

 うん、これは一望って感じだ。当時の物見櫓みたいなものも復元されていた。そっか、そっか、こういう感じからマナミも知っているお城に発達していったかもだ。ここには土塁も残ってるけど、これが石垣になり、木の柵が壁になり、掘っ立て柱の物見櫓が白壁の櫓、さらに天守閣になったのかもしれない。

 秋野先生も興味深そうにあれこれ見て回ってるのだけど、どうも一番興味があるのがこの城の名前みたいなんだ。えらい難しい漢字なんだけどあれは、

『かなつるべじょう』

 こう読むんだよ。そいでもって、

『つるべ = 釣瓶』

 これで良いみたいだ。これにちなんだ井戸の復元みたいなものもあるもの。金釣瓶っていうぐらいだから黄金の釣瓶でもあったのかな。

「秀吉でもそこまでしないと思います」

 それもそうだ。秋野先生がいうには、金属の桶を使っていたんじゃなかと考えてるみたい。当時の井戸から水を汲み上げる方法は時代劇で見たことがある。たしか上から水桶を放り込んで、ロープで引っ張り上げてたはずだ。

「ここもそうだったと考えていますが、その水桶が金属製だったはずです」

 まずだけど当時は金属製の水桶なんてなかったはずだけど、鋳物だから技術的には作れたはずだとしてた。だけど、

「金属と言っても鉄か青銅ぐらいでしょうから水に強いと言えないかと」

 鉄なら錆びるだろうし、青銅なら・・・どうなるんだろう。どっちにしても水桶に使うには贅沢品だったのは理解した。そもそも重そうだものね。それでも使っていたから城の名前になったのだろうけど、

「そこも妙だと思いませんか」

 城の名前の由来はあれこれあるだろうけど、戦争の拠点みたいなところじゃない。だったら金釣瓶ってしたからには、なんらかの軍事的とか政治的なアピールの意味があると考えるのか。でもさぁ、水桶を金属製にしたって強そうな感じなんてないじゃないの。

 それが武器になるわけじゃないし、金属製だからって井戸水の汲み上げ効率が良くなると思えないよ。防御兵器と考えても何に使うって言うのよ。

「その通りだと思います。だからまず考えたのは富力のアピールです」

 富力って経済力とか、ぶっちゃけお金持ちアピールだよね。なるほど、他では使うなんて考えもしない金属製の水桶を使うぐらいリッチだってアピールか。それも無いとは言えないけど無理あるな。

「もう一つは武力の誇示と言うか、戦功の宣伝ぐらいです」

 なんだそれって思ったけど、戦利品の活用って意味か。たとえばだけど、どこかの城を攻め取った時に、その城に金属製の桶があったとするじゃない。その存在が有名だったとして、それを奪い取って井戸の水汲みに使ってるぐらいか。

 でもさぁ、でもさぁ、それだったらそれで、それにまつわるお話がセットであるはずよ。だってだって、その金属製の水桶が有名じゃないとならないじゃない。それとそれを持ってる大名が強いとか、大きいとかだよ。そこに勝って、奪い取ったからこそ名前が轟くはずじゃないの。そんな話はあるのかな。

「見つかりませんでした」

 この辺はそういう話と言うか伝承が消えてしまった可能性もあるとしてた。どうみたって大名とか言っても小さそうだし、元の城主は滅ばされたってなってるからね。なんだかんだと言って残ったのが金鑵城の名前だけみたいだもの。

 でも話として面白かった。そういう目の付けどころもあるのかって思ったもの。言われてみれば不思議な城の名前だもの。そんな名前になったのはなんらかのドラマがあるはずだよね。

「歴史はですね、わからないところの方が多いですし、わからないところをあれこれ考えるのが楽しいと思っています。それを事実として立証しようとするのが専門家ですが、あれこれと勝手な想像を膨らませるのが歴史オタクです」

 上手いこと言うな。学校での授業が詰まらなかったのはまさにそこの気がする。だって歴史なんて考えるものじゃなくて、覚えるだけの教科だったじゃない。過去の歴史を知るという意味では嫌いじゃなかったけど、テストになったら暗記量の競い合いだけだったもの。

「どんな教科でも基礎知識は丸暗記になりますが、高校ぐらいまででしたら丸暗記しかしならないですよね」

 その通りだ。勉強自体が嫌いだったのは置いとかせてもらうけど。歴史だってこういう応用部分があれば楽しいじゃない。

「マナミさんも嫌いじゃなくて嬉しいです」

 わぁ~い、褒められちゃった。

ツーリング日和20(第13話)まさかの人

 男は一流企業のエリートだったようだ。いわゆる同期の出世頭で、期待のホープとか、次代を背負うとされてたぐらいかな。イメージだけはマナミでも出来る。

「あの頃は出世レースに血道を挙げてたのですが・・・」

 この辺は会社によって変わるのだろうけど、出世とは椅子取りゲームみたいなものだ。だって誰もが座れるわけじゃないもの。たとえばだよ、社長の椅子なんて一つしかないものね。

「出世もある段階からは様々な要素が絡んできます」

 たとえば同期前後に飛びぬけて優秀なのがいたとしたら、そいつが出世の壁になるのか。それだけじゃなく、社内派閥まで出てくるのか。まるで島耕作の世界だな。

「近いと言えば近かったのかもしれません。重役クラスになると社長の座を巡る争いになりますからね」

 だからある時期になると、どの派閥に属するかの選択が迫られるみたいだ。副社長派とか、専務派とか、常務派みたいな色分けなんだろうな。でもこの選択を失敗すれば、

「親カメがこけたら子カメも転ぶの世界になります」

 それはそれでシビアな世界だ。それとどの派閥を選ぶかは、

「それこそ若手の頃にお世話になったとか、大きなプロジェクトを一緒に成し遂げたなんてのはあります」

 人脈ってやつだろうな。トップを目指す連中はそうやって子分を増やして派閥を作るぐらいで良さそうだ。マナミの勤めたてたような小さな会社じゃ想像もしにくいけど、

「色々あったのですが専務の娘と見合いさせられて結婚です」

 出たぁ、政略結婚だ。話には聞くけどその実行者と話すのは初めてかも。でどうだったの、やっぱり愛のない結婚だったとか。

「経緯はともかく温かい家庭を望みました。父親を中学の時に亡くしましたからね」

 えっ、えぇぇぇ、そうなると中学からは母子家庭だよね。

「それでも大学まで進ませてもらって感謝しています」

 頑張ったんだ。

「高校までは部活していたのでバイトで家計も支えなかった親不孝者です。それなのに東京の大学に進学して下宿でしたから、それぐらいは当然です」

 そういうけど特待生になって奨学金で進学して、バイトして生活費も学費もすべて賄っていた苦学生じゃない。

「大学を卒業したらボクが支えてやるって意気込んでいたのですが・・・」

 お母さんは体が弱かったみたいで、

「母には苦労をかけたと思っています。社会人になって間もなく亡くなってしまいました」

 サラッと話してるけどお父さんが亡くなった後は大変だったはず。きっとお母さんは優秀な息子にすべてを懸けてたんじゃないかな。それに応えようとしてこの男も頑張ったで良いはずだ。

 これからと言う時にお母さんも亡くなってしまったけど、その遺志を継いでエリートコースを驀進してたんだろう。底辺からの這い上がり物語みたいなものじゃない。

「まあ、それはありましたね」

 その専務の娘だけど、まず美人は美人だったみたい。ヘチャムクレを押し付けられたわけじゃなかったみたいだけど、

「どうにもヒステリー体質でして・・・」

 聞いていると半端なヒステリーじゃなくて、そこまでなら病気じゃないかな。さらにみたいな話だけど、何かがあれば実家を持ち出してマウントを取ろうとするタイプだったのか。

「随分言われましたよ」

 それ以上は笑って話さなかったけど、

「そうそう子どもがいない話もしましたが、あれも参りました。検査したら種無しだったんですよ」

 そうなるとなおさらみたいな状態に。だからと言って離婚なんてすれば、

「ヘタレだったと笑って下さい。そんな事をすれば出世レースから落伍しますし、良くて閑職に左遷。たいていはクビと言うか自主退職に追い込まれますからね」

 やっぱりそうなるのか。ここまで苦労して這い上がって来たんだものね。出世のために冷え冷えとした家庭を維持してたのだけど、

「あれも計算外みたいなみたいなものです」

 えっ、えっ、あの関空の飛行機事故に専務夫妻が巻き込まれたのか。言われてみれば、そんな会社の重役の名前が出ていた気がする。着陸時のトラブルで機体は炎上して死者が多数出たやつだ。専務の家は資産家だったらしいけど遺産は、

「一人娘である妻が相続しています」

 他に行き場所がないものね。

「後から思えばみたいなものですが、あの頃から妻はさらにおかしくなっていました。両親の突然の死亡のせいだと思ってはいたのですが・・・」

 ある日に倒れたそう。病院に担ぎ込まれたのだけど、

「手の付けようがないぐらいの脳腫瘍でした」

 三か月もたなかったのか。でもそうなると、

「妻の遺産を受け継ぐのはボクだけです。もっとも社内にも居場所が無くなってましたけどね」

 この辺も良くわからないけど、専務の娘と結婚したぐらいだから、この男が専務派の後継者だったのかもしれない。だけどまだ若かったと言うか、

「さすがに次の次の次ぐらいでしょう。もっともそんな先の事は誰にもわかりません」

 結果で言えば専務派はなくなってしまったのか。そうなれば無派閥になるのだけど、無派閥じゃ、

「冷や飯しかありません」

 だから会社を辞めたみたいだ。でも遺産はガッポリじゃない。

「少ないとは言いませんが、短期間に二回も遺産相続をしたものですから・・・」

 ああ、相続税にガッポリ持っていかれてしまうのか。あれも色んな計算があるらしいけど、

「大雑把にいうと一回の相続で半分以上なくなりますから、残ったのは四分の一ぐらいです」

 それでもかなりの額で良さそうだけど、今はどうしてるの。

「ライターです」

 ダンヒルとかカルチェとかデュポンとか、

「そっちじゃなくて書く方です」

 こうやってあちこち見て回りながら、紀行文見たいなものを書いてるのか。なかなか優雅な仕事だな。うん、ちょっと待て。バナナイエローのモンキーに乗ってそういう仕事をしてる有名人を知ってるぞ。まさか、まさかと思うけど、

「よくご存じですね」

 名刺をもらったけど秋野瞬じゃないの。ビックリしたなんてものじゃないよ。こんな有名人と話していたんだ。それにしてもだけど、

「脱サラですよ」

 それはそうだけど脱サラでちょっと成功したってレベルじゃないもの。でも正体がわかってしまうとなんて呼ぼう。やっぱり秋野先生だよね、

「先生なんてやめてください。瞬で良いですよ」

 ちなみにペンネームでなくて本名だって。だけどさ、瞬なんて呼べるわけないじゃないの。そもそも年上だし、こっちは無名のバツイチ女だ。身分が違うよ。身分は変か。住んでる世界が違い過ぎる。

「まあライターの世界も特殊と言えば特殊ですからね」

 そういう意味じゃない。それにしても気さくだな。

「普通のサラリーマンでしたからね」

 どこがだ。ガチガチのエリートサラリーマンだろうが。大会社の社長だって夢じゃなかったぐらいだ。

「あの世界はやっぱり肌に合わなかったと思います。人間模様を書くのは好きですが、その渦中で生きていくのは疲れました」

 それはわかる気がする。政略結婚だってそのままみたいな世界だし、冷え切った夫婦関係だって出世のためには離婚すら許さないものね。この際だから聞いてやれ。再婚は考えていないのかって。

「さすがにね。少なくともあんな結婚生活はもうコリゴリです。それに種無しまでわかってしまいましたから無理でしょう」

 種無しでも秋野瞬ならいくらでも集まって来るって、

「そういうのはもう良いです。それでも、もし再婚するなら、心がホッとするような人が良いですね」

 そうなるだろうね。いずれにしてもマナミの眼は間違っていなかった。まさに飛び切りのイイ男だった。見た目は渋いし、ダンディだし、インテリジェンスも高い。そのうえカネも十分に持っている。

 だって遺産だけでもタップリありそうなのに、売れっ子の小説家でもあるんだよ。言うまでもないけど死別したから独身だし、コブも付いていない。種無しなのもマナミには無関係だ。

 残念なのは飛び切り過ぎたところだ。世の中は釣り合いがどうしてもあるものね。それから神戸までマスツーさせてもらって帰ったんだ。連絡先も交換はさせてもらったけど、これきりだろうな。

 突撃したいけど、さすがにね。こっちだって身の程ぐらいは心得てるつもり。でももったいなかったな。せめて著書にサインでもしてもらったら良かった。とは言うものの、そのために本屋を探して立ち寄るなんて出来なかったもの。

ツーリング日和20(第12話)福住

 ちょっとだけときめいた蕎麦屋だったけどもう会えないだろうな。まずだけどあの男が次に目指すのは九分九厘篠山だ。ここからならそうなるはずだ。だから再会を目指して篠山に向かうのはありだけど、まず篠山で再会できるかはある。

 そんなに大きな街ではないけど、それなりの規模はあるからね。それに再会したって既婚者ならアウトだ。不倫とか略奪愛は趣味じぇねえ。ぐたぐた考えずにもともとの目的地に行こう。今日は篠山じゃなくて福住だからね。

 最近は古い街並みに人気が出てるじゃない。昔から有名なのは飛騨高山とか、馬籠とか妻籠だけど、それ以外も売り出しているところがあるんだよ。福住もその一つかな。ここも宿場町で昔の風情が楽しめるってなってるんだ。

 篠山市街を遠くに見ながら東に東に走ってく。思ってたより遠いな。ナビで十二キロぐらいなんだけどな。突き当たったら右に曲がって、なんか案内が出てるぞ。伝統的建築物保存地区は左となってるから、ローソンがある信号を左に曲がったら良さそうだ。

 えっとえっと、右側に見えてるのが福住の宿場町のはずだから、どこかから右に入らないといけないはずだけど、ここを右に入れってなってるから曲がってみよう。左側にえらい年代物の倉庫みたいなものがあるけど農協の倉庫って書いてあるな。

 どっかにバイクを停めたいのだけど、こんな案内板があるぐらいだから駐車場もセットになってるはず。そりゃ、バイクだし、モンキーだからどこでも停めれるようなものだけど、出来れば駐車場なり駐輪場が良いんだよね。

 突き当たったところが宿場町を通る道のはずだけど、なんにも案内が無いな。とりあえず左に曲がってみるか。古い家もあるけど、新しい家も混じってるな。それはともかく停めるところをどうしようか。

 おっ、あそこにえらいクラシックな郵便ポストがあるじゃないか。それも茶色の板塀の前ってイイじゃない。あそこにモンキー並べて撮ったら絵になるぞ。インスタやってないけどインスタ映えするはず。

 写真の前にスマホのナビを確認しておこう。ここが福住の宿場町なのは間違いないはずだけど、そのどの辺なのか、バイクをどの辺に駐車できるかさっぱりわからないんだよね。でもさぁ、スマホって思うんだけど昼間の明るいところって見にくいんだよね。えっと、えっと、現在地は・・・

「どうされました」

 また声をかけられたけど、この声ってもしかして・・・やっぱりそうだ。あの男も福住に来てたんだ。駐車場を探してるって答えたんだけど、

「だったらこの裏ですよ」

 ホントだ。黄色のモンキーの隣に停めさせてもらって、

「一緒に行きましょうか」

 行く行く。このままホテルだって行きます。男は下調べもしっかりしていたみたいで、

「中心地と言うか、見どころは西側みたいです」

 福住って宿場町だけど、篠山から近いのよね。

「篠山から三里ってところでしょうか」

 おいおい里ってなんだよ。昔の距離のことのはずだけど、たしか一里は四キロぐらいだったはず。篠山から十二キロぐらいだから合ってるのは合ってるみたいだけど、

「よくご存じですね。だから篠山から三時間ぐらいになります」

 はぁ、どういう計算でなぜわかる。一里が四キロなのは間違いじゃないそうだけど、長さは地形によって変わるって初耳だ。そりゃ、昔の事だから長い距離を正確に測るのは難しいとは思うけど、

「あれって成人男性が一日で歩ける距離を十里としたものなのです」

 だったら昔の人は一日に四十キロも歩いていたと言うのかよ。

「それはあくまでも平地でのことです。たとえば東海道なら・・・」

 江戸から京都まで五十三次じゃない。これは宿場町のことだから五十三日かかると思ってた。だって江戸から京都だぞ。二か月ぐらいはかかるはずじゃない。でも実際は二週間ぐらいだったらしい。でもって江戸から東京まで五百キロぐらいだそうだから、えっと、えっと、

「一日に三十キロ強ぐらいになります」

 ただこれはあくまでも現代の距離換算だから、里でいうと百二十四里八丁ってえらい細かいな。

「だいたい九里ぐらいになります」

 十里になっていないのは、その日の歩いた都合の宿場町の関係があったり、どこだったかな、橋が無いから人足に背負ってもらう川があったり、

「海路もありますからね」

 桑名で焼き蛤を食べるやつだ。それに二週間も歩くのだから、早めに休憩にして休んだ日だってあったはず。

「他には日の長さもあると思います」

 なるほど! 冬は夜明けが遅くて、日が落ちるのが早いものね。なるほどホントに十里も歩いてたんだ。だから篠山から三時間ってことになるのか。それはわかったけど、だったら篠山から近すぎるじゃないの。

「この辺は様々なのですが、城下町と宿場町は別のことがあります」

 江戸時代と言えば天下泰平みたいなものだけど、それでも他国からの来訪者には警戒してたのか。あれだな、公儀隠密がその大名の陰謀を暴くってやつだろ。

「薩摩飛脚なんてそうでしょう」

 飛脚って江戸時代の郵便屋さんのことだよね。

「薩摩はとくに厳しくて他国からの侵入者はシャットアウト状態だったそうです」

 そこをかいくぐって侵入に成功したらお手柄だけど、見つかれば捕まってスパイとして首を切られたっていうの。

「だから行ったきりで帰らない人の事を薩摩飛脚と呼ばれるようになったそうですよ」

 この男は本物だ。歴史に詳しい人は単なる歴史オタクの場合もあるけど、知識人の教養と言うらしいからね。

「いえいえ単なる歴史好きで歴史オタクです」

 本物の歴史オタクが自分でオタクって言うはずがない。そんな話をしていると福住の中心街に入って来たみたいだ。だいぶ感じが良くなってきてるけど、

「そう簡単に高山になりませんよ」

 だよね。だってここはちゃんと人が住んでるし、住んでたら建て替えだってするよ。高山クラスに仕上げるには時間と投資と規制が必要なはず。もっとも行ったことないけどね。それでもこれはこれで悪くないし、来て見るだけの価値はあると思う。

「良かったらお茶でもしませんか」

 来たぁ、お茶への誘いだ。もちろんOKだ。ここも古民家だけど薪焼きピザとジェラートの店なのか。お蕎麦を食べたばっかりだからピザはもう良いけどジェラートは楽しみだ。なににしようかな。自家製ゆずジュースに無添加ジェラートにしてみよう。

 そこから待望のおしゃべりタイムだ。なにより確認したいのは既婚者かどうかだ。既婚者ならそこで話が終わりだものね。でもどうやって切り出そうか。エエイ、ここはストレート勝負だ。

「今日はお一人みたいですが、奥様は?」

 さてなんと答える。さあ、さあ、さあだ。

「バツイチじゃありませんが、今は一人身です」

 えっ、どういうことだ。結論は独身で良いと思うけど、

「もう亡くなって五年になります」

 なるほど離婚じゃなくて死別だからバツイチじゃないのか。だったらお子さんは、

「出来なかったですね」

 奥さんとは死別してコブも無しか。これでなんとかスタートラインに立てたぞ。ただそこからの話はマナミの想像を超えると言うか、そんな世界が本当にあるんだみたいなものだった。