ツーリング日和20(第20話)パエリア

 食べて飲んで堪能してたのだけど〆が欲しいかな。そしたら出てきたのがパエリアだ。パエリアぐらい知ってるけど、スペイン人も米を食べるのだな。

「良く食べるようです。スペインに米料理を持ち込んだのはムーア人だとされていますが・・・」

 ムーア人ってムール貝の親戚かと思ったけど、モロッコぐらいにいるアラビア人らしい。ムーア人はアラビア文化をスペインに持ち込んだらしいけど、

「アルハンブラ宮殿なんか有名です」

 なんか聞いたことがある。だけどさぁ、北アフリカに米なんてあったのかな。

「アラビア人がインドからエジプトに持ち込んだとなっています。今でもエジプト人は米料理を食べますよ」

 へぇ、エジプトで米がとれるのか。そのエジプトの米をムーア人がスペインに持ち込んだのか。

「これは言語からもわかります。スペイン語で米をアロスと言いますが、これはアラビア語のアル・アルスから来てるとされています」

 じゃあパエリア以外の食べ方もあるとか、

「もちろんです。スペインの米料理を書き並べたらドン・キホーテの本ぐらいになるとされています」

 しっかしなんでも瞬さんは知ってるな。

「これも接待の賜物ってところでしょうか」

 なるほど、食事をしてたら料理の話題は出るものね。その時に接待する側としたら、さらっと答えて場を盛り上げないといけないのか。

「まあそんなところです。ですからメシ食ってる気になれなかったのです」

 笑いながら話してくれたけど、その時だって蘊蓄をただ披露すれば良いってものじゃないそうだ。

「相手によっては自分の蘊蓄を披露したい人もいますからね。だからどれだけ知っていて、どんな話にしたいのかを常に探っておかないといけません」

 なるほど、なるほど。蘊蓄って人に語りたいものね。それなのにこっちが全部語ってしまったり、それ以上の蘊蓄なんて披露したら機嫌が悪くなるのか。

「それと蘊蓄を語らせる時にこっちが無知なのも良くありません。こっちだってそれなりの知識を持っていて、それ以上の蘊蓄を語るのが楽しみのようなものになります」

 なるほど、相手に教えさせてあげて、それで自慢させるってことか。理屈はわかるけど、そんなものどうやって、

「だからメシ食ってる気がしなかったのですよ。どんなタイミングでどんな話題を振られるかわかったもんじゃありませんからね」

 そのために接待前に相手の好きそうな話題とかの情報を集めて勉強してたって・・メシ食うのも大変だな。

「接待飯は食事じゃなくビジネスですからね。接待一つで大きな取引が成立したり、逆になくなったりするのは日常茶飯事みたいなものです」

 聞きながら思ってたのだけど、そういう事が接待飯で求められるのはあるだろうけど、瞬さんほどの手腕の人はそうはいないような気がする。多分だけど接待だけでもある種の技術と言うか技能と言うか、アートにまで仕上げていた気がしてきた。

 接待される側からしたら、ごくごく自然に気持ちよく飲んで、しゃべって、蘊蓄だって披露してるのだけど、実は瞬さんの接待技術の掌の上で踊らされただけだったんじゃないかな。さすがカマイタチの異名を取っただけの事はある。

「そんな呼び名を誰に聞かれましたか?」

 しまった。でももうエリート社員じゃないから良いよね。隠すような話じゃないからサヤカからだって言ったんだけど、

「サヤカって・・・もしかしたら明菱社長だとか」

 ああそうだよ。ライトスクエアの社長やってる。マナミの親友だし、離婚の時にも助けてもらった恩人だ。減らず口なのが欠点かな。瞬さんなら知ってるよね。サヤカだって知ってるもの。

「もちろんよく存じ上げています。ボクがカマイタチと言うのなら、明菱社長は皇帝陛下になられます」

 サヤカが皇帝陛下だって! そんな感じはないけど、良い機会だから聞いてやれ。サヤカも美人だ、悔しいぐらいの美人だ。男から見る目と、女から見る目は違うだろうけど、どっちから見ても美人のはずだ。

 それにお金持ちのお嬢様でもある。それは子どもの時からだし、今なら社長だもの。なのにだよ独身なんだよ。マナミでも結婚できたのにサヤカはバツイチですらない。サヤカなら政略結婚ぐらいならしていてもおかしくないだろ。

「明菱社長が政略結婚? まあ相手がいないでしょうね。もちろん明菱社長が美人なのは認めますし、狙っていた男だっていました。でもそれこそ釣り合いなんて取れるものですか」

 はぁ、どういうこと。

「マナミさんなら明菱社長にお兄さんがいるのを知っていますよね」

 ああ知ってる。二人いるけど・・・あれっ、妙だぞ。サヤカは兄とは十歳以上離れているはずだ。先に大学を卒業してるけど親の会社には入らなかったのか。

「いや二人とも入社しておられます。ですが、当時の明菱産業は業績不振で苦しんでいました。とりわけ失策をやったわけではありませんが、時代の流れに乗り切れなかったぐらいで良いと思います」

 サヤカの会社もそうだったんだ。

「そうなります。どんな老舗企業であっても左団扇で胡坐をかけるところなんてありません。常に時代の流れを読み、それに乗って行かないと業績だって傾きますし、倒産して跡形もなくなるところだっていくらでもあります」

 そんな感じで神戸のハンズもなくなったものね。そうなれば建て直しが必要になるのだけど、

「お兄さんたちは見切られたで良いと思います。この難局を乗り切るだけの手腕も才能もないぐらいでしょう。そこまではわかるのですが、そこで社長に抜擢されたのが妹さんだったのです」

 これは驚きをもって捉えられたらしい。十年前ってサヤカだって大学を卒業したばかりじゃない。というか、サヤカはどこの大学だったっけ。

「明菱社長はハーバードです。それも大学院に進んでいましたが、会社の危機に呼び戻されています」

 ハーバードってアメリカの大学だよね。だったら英語だって話せるんだ。

「英語は当然ですが、フランス語も、ドイツ語も、イタリア語も、スペイン語、ポルトガル語も話せます。中国語も北京語ぐらいなら話せたはずです」

 そんなに話せるのか。海外旅行に行く時は付いて来てもらおう。通訳がいればラクチンじゃない。

「あははは、そうでしょうね。そんな時間があればですけど」

 かもね。でもさぁ、そんな小娘がいきなり社長になって上手く行ったの。上手く行ったのは結果からわかるけど。

「大変だったと思います。会社は実力主義ではありますが、年功序列的なところもあります。そりゃ、重役からしたら自分の娘ぐらいの年齢になりますからね」

 そうなりそうなのはマナミにもわかる。いくら社長の娘でも学生からいきなり自分たちの頭を飛び越えて社長になってるから反感どころか、

『この小娘が何を言う』

 これぐらいの敵意を持たない方が不思議だ。それも八面六臂じゃなくて、七転八倒じゃなくて、

「完全な四面楚歌です。ですから最初は苦労されたと思うのですが」

 瞬さんも言いにくそうだったけど、サヤカはある種の恐怖政治というか独裁政治を敷いたみたいだ。それこそ抵抗する者を情け容赦なく切り捨てたぐらいかな。

「あれもやりすぎって評判もありましたが、後から見ればすべて計算尽くで、社内改革、経営改革に邪魔になりそうな者はすべて社内から追い出したで良いと見ています」

 ひぇぇぇ、そこまでやってたのか。だから皇帝陛下か。皇帝陛下と言うより暴君にも見えそうだけど、

「結果がすべてを黙らせてしまいました。明菱社長は五年で経営を完全に回復させ、十年で今のライトスクエアに育て上げています。企業規模で言えば五倍ぐらいになるはずです」

 瞬さんの目が気になるな。あれは憧れの目じゃないかな。

「ああ憧れました。ボクにも雛形商事を建て直す課題もありましたからね。明菱社長の手法はだいぶ勉強させてもらいました」

 女としては、

「だから皇帝陛下だって言いましたよね。女性だから女帝でも良いでしょうが、女帝の夫になんかどうやったらなれるかってお話です」

 そりゃ、婚姻届けを出せばなれるけど、

「今はあの頃よりマシになってるかもしれませんが、ボクの知ってる頃の明菱社長のオーラは凄まじいものがありまして、近寄るのも怖かったぐらいです」

 あのサヤカがそんなに怖かったんだ。人には色んな一面があるものだ。それにしてもこのパエリア美味しいよ。食事も、お酒も、会話も楽しめた。

ツーリング日和20(第19話)スペインバル

 ツーリングの天敵は都市部の市街地走行だけど、他にも天敵がいる。それは季節だ。とにかく体を剥き出しにして走るのがバイクだから夏は照り焼きになるかと思うほど暑いし、冬は冷凍食品の気持ちが良くわかる。

 そんな季節をものともせずに走るのもいるけどマナミはゴメンだ。いや、走ってはみたけど懲りた。暑いものは暑いし、寒いものは寒い。冬なんて冬用グローブをしてたって凍傷になるのじゃないかと思うぐらい凍えるもの。

 そうなると瞬さんとのツーリングもなくなる。瞬さんも真夏や真冬はツーリングを避けてるみたいなんだ。

「その代わりに部屋に籠って書いてます」

 春とか秋のツーリング取材を踏まえて新作を執筆してるみたいだ。冬にツーリングが中断するのはわかるし、誘われたって行きたくないのだけど、そうなると瞬さんに会う理由がなくなってしまうのよね。それはそれで寂しいと思ってたのだけど、

「夕食でも如何ですか?」

 誘われた。聞いた瞬間に舞い上がった。だって夜のお誘いじゃないの。食事だってお酒が入るだろうし、夕食が終わってからだって『もう一杯』ぐらいはない方が不自然だ。その流れからホテルでドッキングだってあるのが女と男だろ。

 いきなりドッキングまではさておき、女と男が二人っきりで夜の街で夕食を取るのは、誰がどう見たって二人の距離がまた縮まる以外の意味はない。そりゃ、パンツまで厳選して待ち合わせ場所に行ったもの。どんな流れになっても対応できるようにしておくのが女の嗜みだ。

 待ち合わせは三宮駅だけど、ここも随分変わったな。三宮は現在再開発の真っ最中で、その一環として阪急の駅ビルを建て直しちゃったもの。それに伴って阪急三宮の東口改札口も大改装されてるんだよ。

 あれこれ変わった部分はあると思うけど、改装の結果として人の流れが少し変わった気がするな。三宮駅は待ち合わせのメッカでもあるのだけど、改装前は阪急の東口の階段を下りたぐらいのところも多かったんだ。

 えっと、えっと、本屋さんがあったと思うけど、その店の前にずらりって感じで並んでたもの。その辺の配置とかスペースもだいぶ変わってるけど、待ち合わせ風の人は少ないな。改装前より広々してると思うけど、なんでだろ。

 理由なんてわかるはずもないけど、指定されたのはエスカレーターを下りて突き当たったあたり。後ろにATMがあるな。そろそろ待ち合わせ時刻のはずだけど、

「待たせてゴメン」
「今来たばっかりだよ」

 我ながら定型句だ。ちなみに今来たばっかりじゃない。気合が入り過ぎて二時間前には着いてた。だって待たせたら悪いじゃない。さて、どこ行くのかな。まずサンセット通りを西に行くようだ。

 ここも変わったものだ。EKIZOになってるのもあるし、歩行者天国になってるもの。ここにクルマが当たり前のように走っていたなんてウソみたいだ。途中で曲がらないから生田筋まで行くみたいだ。

 予想通り生田筋から山側に上がったけど、東急ハンズもなくなっちゃんだよね。何回も行ったことあるし、いつ行っても混雑してたから儲かってたはずだけど、

「最近は行ってないのじゃないですか」

 結婚してからは行ってないな。いやその前から随分行っていない気がする。

「ネット通販に負けたで良いと思います」

 ハンズの売りは値段じゃない。むしろ割高だったで良いはず。その代わりにハンズじゃなければ買えないものが多いのが魅力だったけど、

「ハンズが栄えてた頃はそうでした。だけど今ならネット通販で探せますし、値段だって安くなっています」

 言われてみればそうかもしれない。そうなってしまってるのはハンズだけじゃないはずだ。ネット情報だけで買う人も多いし、どうしても実物を確認したい時には、

「店舗に見に行きます。そこで値段も確認してネットで探して買っているのじゃないですか」

 そ、そうなってる。そうやってお目当てを探してるうちにもっと魅力的な商品が見つかって、そっちを買う事だってあるものね。だから家電量販店すらかつての勢いはなくなってるのか。

「安さで勝負するならドンキクラスになりますからね」

 これも時代だな。でもここにハンズがないのは寂しいのだけは本音だ。かつてのハンズ横を通り過ぎて生田神社の鳥居の前で右に入った。東門街に入るのかと思ったら、

「ここに行きます」

 二階に階段で上がって店内に。席に案内されたけど、なんの料理の店なんだ。

「スペインバルです」

 そうなるとスペイン料理か。初めてだな。というか神戸でもスペイン料理は珍しいかも。

「多くはありませんがカセントはスペイン料理です」

 その店、名前だけは聞いたことがある。神戸ミシュランの三ツ星だよね。予約を取るのさえ困難な店って話だ。そんな店に行ったことあるの?

「何度かは・・・ただし接待でした」

 そんな店で接待なんてあるのか。接待でも羨ましいな。

「人にもよるでしょうが、接待飯って気ばかり使って食べた気がしませんでした」

 経験ないけどそうかも。そりゃ、接待した客をもてなさないといけないから気を遣いそうだものね。それでも接待される方になれば、

「あれも人によって変わると思います。どっちも経験しましたがメシぐらい気楽に食べたかったです」

 まあ接待って接待する人は良い気持ちにさせないといけないだろうから、それこそ歯の浮くようなお世辞を並べ立てるんだろうな。接待される方だって、そうされるのを期待してるだろうし、少しでも機嫌を損ねようものなら、

「まあそういうことになります。これは接待される方も接待する方の機嫌を損ねるのも良くないですからね」

 あくまでもビジネスとの延長と言うか、一環と言うか、

「もろビジネスですよ。あれこれ失敗談もたくさん残されています」

 でも上に出世するほど接待飯は増えるのか。まあそうだろうな。食事をともにすることで個人的な親密度を上げたい人はいくらでもいそうだ。

「それもありますし、接待できるほどの関係であるの横並びの競争意識もありますから」

 それはそうと食事だ。メニューを見てるけどなんだこりゃ。フレンチや、イタリアンでもそうだけど料理名のカタカナがわからん。それとだけど、今日はアラカルトだけどスペイン料理の組み立てってどうなってるんだ。

「カセントぐらいになればフレンチと基本は同じと言うかコース料理になりますが、ここはバルですよ」

 そのバルってなんだと聞いたらバーのことらしい。でもバーって女の子をお触りするどこのはず。

「スペイン語のバルの意味は居酒屋で良いと思います」

 居酒屋ということは、酒の肴で食事をしながら酒を飲むところって良いみたいだ。

「タパスは小皿料理の意味ですが、和風でしたら枝豆とか、厚揚げ豆腐とか、お刺身の盛り合わせとか、鶏の唐揚げとかで良いはずです」

 焼鳥はないのかな。

「この店にはないみたいですがピンチョスという串に刺した料理があります。その大皿が並んでいて、食べたいものを取って食べるスタイルのようです」

 それは楽しそう。今日は五種盛りのタパスにして、

「アビージョも欠かせません」

 アビージョってなんだと聞いたら、ニンニクを入れたオリーブオイルで煮込んだ料理らしい。それと店に入った時から気になっていたのがカウンターにあった生ハム。スペインにも生ハムがあるのか。

「ありますよ。有名なものならハモンセラーノかな。それにスペインにはイベリコ豚だってあります」

 ハモンセラーノなら聞いたことがあるし、イベリコ豚もスペインだよね。スペインも美食の国なんだ。

「今日はカジョスも食べてみませんか」

 カジョスってモツの煮込み料理らしくて、スペインではポピュラーなものなんだって。作り方も地方ごとに特徴があるらしいけど、ここのは牛の胃袋なのか。

「スペイン語でトリッパ、日本語ならハチノスになります」

 タパスとか、アビージョとか、ハモンセラーノだとか、スペインチーズだとか、カジョスとか楽しみなら飲むのはスペインワインだ。スペインもワイン大国らしくて、栽培面積なら世界一で生産量なら三位だとか。特徴は赤ワインが主体らしいけど、講釈はともかくこれは美味しいよ。

 ところでさ、スペイン料理の特徴ってなんだろう。まあフレンチとかイタリアンって言っても違いがよくわからないところがあるんだけど。

「ああそれですか。ボクも自信はありませんけど、レストランなら似たようなものになる気がします」

 この辺は技法が似たようなものになってるというか、混じり合って融合している部分もあるそう。

「だから和食と中華みたいに見ただけ、食べただけで違いがわからないと思います」

 日本人ならひっくるめて洋食にしてしまいそうだものね。

「強いて言えば魚介類を多く使うぐらいでしょうか」

 これもヨーロッパでも国の位置で変わるそう。ごくごく大雑把にいうと地中海に面しているかどうかぐらいかな。大西洋だって魚は獲れるはずだけど、

「イメージとして地中海は瀬戸内海ってところでしょうか」

 えらいスケールに差があるけど、そんな感じかな。そう言えばフレンチでも南仏はまた違うっていうものね。

ツーリング日和20(第18話)カマイタチ

 今夜はサヤカと夕食だ。

「やっぱりそれ狙いだったんだ」

 なにがやっぱりだ。バイクに乗ったのはツーリングを楽しむのが目的で男をハントするためじゃないぞ。あれはたまたまツーリング先で出会いがあって、そこからたまたまで付き合いが続いてるだけなんだ。手段と目的をゴッチャにしてもらったら困る。

「でも期待ぐらいしてたでしょ」

 だから手段と目的をゴッチャにするな。ツーリングの目的はバイク旅を楽しむことだけど、楽しむ中に旅先での出会いは余裕で含まれるだろうが。ツーリングする時に出会いを禁止する法律とか、バイク乗りのマナーなんてあるものか。

 ハントするってのは、最初からハントを目的とした行動だろうが。たとえば街中で見境なく声をかけたり、少々嫌がっても強引に飲みに連れ込むとかだ。

「それはハントいうよりナンパでしょ」

 ハントもナンパも同じだろうが。出会いはハントでは断じてない。あくまでも偶然だし、その時の流れがそうなった結果だよ。恋ってそうやって始まる清らかなものだ。

「結果として恋人を作る目的は同じだよ」

 作ろうとして作ったものと、たまたま出来たものを一緒にするな。それにまだ恋人関係になってない。あくまでも異性の仲の良い友人だ、

「そこはまあ良いとして秋野瞬とは驚いた」

 サヤカも作家の秋野瞬を知ってたものな。

「秋野瞬って雛形商事に勤めてたよね」

 なんでそれを知ってるんだ。著者のプロフィールでも元会社員までは書いてあっても、勤めていた会社までなかったはずだぞ。

「知ってるに決まってるじゃない。わたしを誰だと思ってるのよ」

 サヤカだけど。

「そうじゃなくて、これでも社長なんだよ」

 それも知ってるけど、それが秋野瞬の勤めていた会社を知っているのにどんな関係あるって言うんだよ。

「関係あるに決まってるじゃない」

 会社の社長って、よその会社のすべての従業員まで名前まで記憶しないといけない商売なのか。

「そんなこと出来る訳ないでしょうが。世の中にサラリーマンがどれだけいると思ってるのよ」

 知らないけど何千万人だろうな。だったら、

「業界ってなんだかんだとお付き合いがあるのよ」

 バカにするな。それぐらい知ってる。経団連とかそういうところだろ、

「あれもその一つだけど、交流会とか懇親会とか色々あるのよ」

 それも聞いたことはあるな。でもそういうのって、会社員なら全員参加とか、希望すれば誰でも出席できるようなものじゃないだろうが。会社員だって色んなクラスがあり、交流会とか親睦会だって同じぐらいのクラスの会社員しか出席できないぐらいは知ってるぞ。

 会社員のクラスでも特に大きく別れるのは従業員であるか経営者なのかはある。経営者だって会社の規模で変わるし、元受け下請けでピンからキリまであるぐらいは知ってるけど、サヤカの会社なら上位グループだろうが。

 瞬さんはエリート社員だったけどまだ部長ぐらいだったはず。いくら雛形商事が大きいと言っても経営者じゃなく従業員だ。サヤカが出席するような交流会なり、親睦会に顔出すはずがないじゃないか。

「意外と詳しいのね。マナミの言ってることは間違ってないけど、経営者と従業員のグループ分けはさらにってのがあるのよ」

 はぁ?

「経営者グループに入れるのは社長とかだけじゃなく、その予備軍も含まれるの。秋野瞬が入ってない訳ないじゃない。彼は次期次期社長になるはず、いやならなければならない人だったのよ」

 たしかに次期社長有力候補の専務派だったし、その専務の娘婿だったけど。

「ちょっと長い話になるけど・・・」

 雛形商事は世襲会社だったのか。今は三代目か四代目ぐらいらしいけど、

「世襲だからトップの能力にムラが出るでしょ」

 名君も出るけど凡君や暗君も出るってやつか。だから世襲は悪なんだ。

「そうでもないのよ。世襲だから会社の継承がスムーズに行くメリットはあるわ」

 でも凡君や暗君が出ちゃうじゃないの。

「だからと言って世襲にしなかったら優れた経営者が必ず出るってわけでもないのよ。世襲じゃなくても実態的に世襲みたいになってる会社だって多いのよ。政略結婚だってそうだもの」

 雲の上の世界は複雑だな。それは置いとくとして、

「今の雛形商事がどうなってるかぐらい聞いたことがあるでしょうが」

 あんまり興味はないけど、赤字が出たとか、株主総会でもめたぐらい読んだことがある気がする。なんたらファンドがって話もあったはず。

「実態は倒産の危機に瀕してるよ。これは秋野瞬がいた頃には既に始まっていたの。社内でも危機感が高まっていて社長交代だけでなく、世襲打破が盛り上がってたぐらい」

 会社再建の切り札として期待を一身に集めていたのが専務だったのか。

「そうよ。とにかくカミソリって異名があるほどの切れ者だったからね」

 そんなに凄かったのか。

「でもね、専務が期待されていたのはそれだけじゃない。専務の後継者が秋野瞬だったのもある。専務が社長になればその次は秋野瞬じゃない、切れ者社長が二代続いてくれたら雛形商事は立ち直るし将来だって安泰じゃない」

 瞬さんってそんなに期待されていたのか。

「だからわたしも良く知ってるの。専務はカミソリだったけど、秋野瞬になるとカマイタチって呼ばれたぐらい」

 カマイタチって褒めてるのか貶しているのか微妙な異名だな。

「まあね。強いて言えば畏怖されてたぐらいかな。専務のカミソリの意味は良く切れるって意味なんだけど、いくら切れると言っても皮とかせいぜい肉まででしょ。骨なんて絶対に切れないじゃない」

 えらい喩えだけどカミソリで骨まで切れないだろうな。

「それにカミソリで切られたら、誰にどうやって切られたぐらいわかるじゃない」

 レディースの喧嘩みたいな話だけど、カミソリじゃなくたってそうだろ。

「でもね、カマイタチになると、いつどうやって切られたかもわからないし、腕どころか胴体だって真っ二つにされるんだ」

 それって実際に人を切るって話じゃないけど、瞬さんの凄みがなんとなくわかる。でもさぁ、そこまでの切れ者だったら専務が飛行機事故で急死したって専務派を引き継いで社長になれたのじゃないの。

「そうなると思ってた。でもね、秋野瞬はまだ若すぎた。専務が長年培って築き上げた人望や求心力がなかったからね。世襲派の猛反撃を支えきれなかったぐらいで良いと思う。奥さんのこともあったし」

 専務が急死した二年後に奥さんが亡くなっているのか。

「たぶん、もうウンザリしたんじゃないかな。あの時点からだって巻き返せないことはなかったとは思うけど、そのためには世襲派と熾烈な社内抗争を戦い、これに勝たないといけないじゃない」

 想像しただけでドロドロの世界だ。

「雛形商事だって経営が傾き出してるでしょ。それなのにノンビリ社内抗争なんてやってる時間なんてないじゃない。雛形商事が立ち直るには専務の時点でギリギリだったのじゃないかと思ってる。秋野瞬は内部にいたから、それが良くわかってたはずよ」

 火中の栗に手を出さなかったのか、

「あらマナミにしたら難しい言葉を知ってるじゃない」

 うるさいわ。

「あれは火中の栗と言うより泥船から逃げ出した気がしてる。雛形商事は秋野瞬に見切られたのよ」

 ところで奥さんも知ってるの。

「知ってるよ。専務に連れられて顔を出していたもの」

 セレブの世界だ。社交界へのデビューってやつだろ。

「美人だったのは認めるけど、絵に描いたような高慢なお嬢さんだったかな。わざわざあんなのと思ったけど政略結婚だから仕方ないかな」

 なんかそんな世界なんだろうな。今の日本に身分制はないし、誰だって平等の実力主義が原則にはなってると思う。

「そうだな。部長ぐらいまで出世するのは実力主義で良いと思う。だけどそこから経営者サイドを目指すと世界が違うのよ。あそこは魑魅魍魎が蠢く世界になるのよね。秋野瞬があの若さであそこまでの地位になろうと思ったら、どんな相手であっても結婚ぐらいするよ」

 それはそれで嫌な世界だ。となるとサヤカもそんな魑魅魍魎の眷属の一人だ。

「そうならないと食い殺されるだけ。マナミもそうなりたい?」

 ゴメンだ。もう結婚で地獄を味わったから、これから魑魅魍魎の世界なんて誰が行くものか。

ツーリング日和20(第17話)バケモノ燃費だろ

 目的の波賀城も見れたから帰るのだけど、来た道って都市までいかなくても市街地走行が多かったのよ。来た時は朝早くからだったから空いてたけど、今からなら混みそうなのがちょっと憂鬱だな。だってあの距離だもの。

「それはボクもそうです」

 あれっ、まだ一宮だけど曲がるのか。神河に行けるとなっていて、県道八号って書いてあるけどどこに行くんだ。そうそう瞬さんもボヤいてたな。市町村合併が全部悪いとは言わないけど、覚えてた地名がわからなくなると言うか、

「山崎だって、一宮だって、波賀だって今は宍粟市なんですよ。こんなデッカイところを宍粟市って言われたってイメージできないじゃありませんか」

 神戸だって広いけど、それでも市街地として続いてるものね。北区とか、西区はさておきだけど。これが宍粟市となると、そもそもどこが中心なんだろ。

「市役所は山崎ですからそこになるのでしょうが、マップによっては宍粟市って表記が波賀になっているのもあります。波賀は宍粟市の真ん中ぐらいには位置しますが、あんなところを中心とされたら変な誤解をされそうな気がします」

 市町村合併って色んな理由はあるみたいだけど、住民に宍粟市民なんて意識なんてあるのかな。そんなものは時間とともに慣れるって言われればそれまでだけど、

「出来ないところは出来ない気がします。たとえば兵庫県がそうではないですか」

 あははは、そうかもね。マナミも兵庫県で生まれ育ってるけど兵庫県民って呼ばれてもピンと来ないもの。これじゃ、わかりにくいか。他の県の人と話すと最後のところでどうしてもギャップというか違和感があるのよね。

 もちろん都道府県で温度差はあるだろうし、すべての都道府県の県民意識を知ってるはずもないけど、

「それわかる気がします。漫才とかで県をイジったり、自虐ネタが出てくる時がありますが、あれのどこがそんなに面白いのか最後のところがわからないのですよね」

 大学の時も他の県からの入学者がいたけど、出身県を自慢したり、逆に謙遜してるのを聞いても何が言いたいのだろうって思ったぐらい。

「わかります。出身を聞かれたって兵庫県がすぐに頭に浮かばないですからね」

 瞬さんもそうなんだ。今は神戸に住んでるから神戸って言っちゃうし、出身地ってなったらまず故郷が浮かんで、それから、そんなとこ知らないだろうから、あれこれ考えて・・・

「マナミさんのところだったら、神戸の近くぐらいにするのじゃないですか」

 そんな感じ。兵庫県ってのもどこかにあるけど、なんかそう答えるのが変な感覚になるのよね。

「おそらくですが、兵庫県なんて使うのは住所を書く時ぐらいじゃないでしょうか」

 たぶんだけど他の県の人から見たら妙だとか、変だと思われるんだろうな。兵庫県は明治に現在の都道府県が形成された時に、神戸港を発展させるために周辺の地域をかき集めて作られたなんて話を聞いたことはある。

「そもそもですが、兵庫県の名前の起こりのはずの兵庫津も、今では神戸市の区名に過ぎませんし、神戸市民ですら柳原のえべっさんとノエビアスタジアムぐらいしか知らない人が多い気がします」

 神戸のえべっさんもノエビアスタジアムも兵庫区だったのか。それは知らなかった。もちろん小学校の社会ぐらいで兵庫県も授業で習うのだけど、せいぜい自分が住んでるところが兵庫県ってところの一部ぐらいしか思わないものね。


 てなことを話してるけど、道は田舎道だ。この辺はどこを走っても田舎道だけど、そんな田舎のさらに田舎を走ってる感じ。信号も無いから快適だけど、道は段々と細くなってるな。それでもクルマも殆ど走ってないから問題ないし、こっちはバイク、それも小型バイクだから問題なしだ。

 だけどこの先は心配だ。瞬さんが選んでるからだいじょうぶと思うけど、知らずに入り込んだら行き止まりを心配しそうな道だものね。そんな事を言ってるうちに山道に入ったぞ。うわぉ、ヘアピンの連続じゃないの。これはキツイぞ。

 ヒーコラ走ってたら、ここは坂の辻峠って書いてある。でも通行止めはなさそうだ。だって何台かバイクとすれ違ってるものね。クルマだって前から来てるし。それでもやっと登りは終わってくれたんだけど、登れば下るのがこの世の定めだ。あれっ、さっきの別れ道だけど峰山高原リゾートって書いてあったぞ、

「スキー場です。夏場はキャンプ場もやってるはずです」

 ひぇ、冬に雪が積もってる時にこんなところを登って来るかのか。スキーが好きな人って根性あるな。バイクじゃ絶対無理だ。そもそもバイクでスキーに行くやつなんていないだろうけどね。

 それにしても登りはエンジンの限界に挑戦してますって感じだったけど、下りは下りで怖い。こっちもヘアピンぐねぐねだもの。こういう時には必殺エンジンブレーキなんだけど、それはそれでやっぱりエンジンの限界に挑戦してますだし、ブレーキの耐久試験をやってます状態だ。

 六甲山トンネルだって相当な峠道だし坂はキツイ。だけどここまでのヘアピンの連続はないし、それよりになにより距離がもっと短いはずだ。それでも家が見えてきたからそろそろ終わりみたいだ。

 坂を下り切ったらウソみたいに快適な道になってくれた。でもこんな道で要注意なのはネズミ捕りだ。小型だって注意しておかないとヤバイのよ。その辺は瞬さんもわかってるみたい。

 峠道の緊張が解けたら腹が減ってきた。もうお昼だものね。それにそろそろ生理現象が・・・ちょっと一休みしたいけどなんにもなさそうだな。道が空いててクルマが少ないってことはお客さんも少ないになるものね。家だってまばらだもの。

 とはいうものの生理現象は待ってくれないよ。だけど、なんとかしてくれって瞬さんに頼んだって、どうしようもないものね。瞬さんだってトイレ抱えて走ってないもの。当たり前か、とにかく無いものはどうしようもないってこと。

 それにしてもどの辺を走ってるのだろう。一宮から東向きに走ってるのだけはわかるけど、ここがどこで、どこに向かっているのかさっぱりわかんないもの。それでも、それでもだ。なんとなく街っぽくなってなってる気がする。

「左側の駐車場に入ります」

 あそこか。おお、天は我を見捨てなかった。立派なトイレがあるじゃないか。ようやく生理現象を解消して見回すと、なんて言うかミチチュア版の道の駅みたいな感じのところみたいだ。トイレの隣に店みたいないところがあるけど、

「お昼しにましょう」

 こっとん亭ってなってるけど、そばうどん定食か。バイク乗りにはぴったりだ。店に入ってメニューを見ると、どうも山芋が名物みたいだな。二人で手打ちそばとろろごはんセットにしてみた。ところでここはどこなんだ。

「神河町です」

 それは道路標識にも書いてあったけど、

「神崎町と大河内町が合併したところって言えばわかりますか」

 聞き覚えはある地名だけど具体的にどこになるかと言われるとイメージないな。

「神河町で有名なところとなると、そうですね、ススキで有名な砥峰高原があります。さっき見た峰山高原の北隣です」

 砥峰高原もいつか行ってみたいけどあれってどの辺だっけ。

「どういえば良いでしょうか。福崎の北側で、もうちょっと北に行けば生野になるぐらいのところです」

 なるほど、少しはイメージできた。お昼ご飯を堪能して出発だけど、福崎に下るのじゃなくてまた東に走るみたいだ。コメリとかマックスバリュがある街っぽいところを抜けたらまた郊外だ。

 郊外と言うより田舎道なんだけど、ここも空いていて見晴らしも良いから走りやすい。だけどさぁ、前に見えるのは山だ。どう見たってそっちに向かってる。またさっきみたいな峠道ってことはないだろうな。

 あちゃ、こういう悪い予感は当たるんだよね。また峠道だよ。でも、トンネルがあるぞ。ということはトンネルを抜けたら・・・下りだ。さっきの坂の辻峠よりはるかにマシだ。峠を下ってきたら、だいぶ街になってるけど、

「多可町です」

 県民だから地名ぐらいは知ってるけどどこだっけ。だいぶクルマも増えて来たけど、どこだ、どこをマナミは走ってるんだ。なんとなく南に向かってるけど、西脇って書いてるじゃない。ごちゃごちゃした市街地を抜けると、

「この信号を右折したら一七五号バイパスです」

 そうなってるのか。というか、どうもここから国道一七五号のバイパスは始まってるみたい。片道二車線だから流れが速いな。そうこう言ってるうちにここは見覚えがある滝野だ。ラーメン屋さんに行く時に走ったもの。

 やがて滝野ICを潜って完全に見覚えのある道に戻って来た、ここまで来たら小野から三木を走って目指すは西神中央だ。そこまで行けば、山麓バイパスに繋がってるから神戸まで一直線みたいなもの。

 ふぅ、やっと神戸に戻って来たぞ。瞬さんともバイバイして家路に着いたけど今日は走ったぞ。なんとなんと二百六十キロだよ。さすがにくたびれた。そうだそうだガソリンも入れて帰ろう。

 随分前から給油サインになってるものね。さ~て、どれだけ入るのかな。満タンで五・六リットルのはずだけど・・・ウソでしょ、冗談でしょ。あれだけ走って四リットルも入らないじゃない。

 これもモンキーの欠点と言うかクセみたいなものだけど、どうにもこうにも給油サインが出るのが異常に早い。今日だって一時間以上前に点いてるぐらい。そりゃ、早く点けばガス欠を起こしにくいだろうけど、どう考えたって早すぎるだろ。そうそう、そのせいか燃料計が減るのも異常に早いものねえ。まさに見る見る減って行く。

 それにしても二百六十キロ走って四リットルってことは、えっと、えっと、リッター六十六キロじゃないの。モンキーの公称燃費が七十キロぐらいのはずだから、ほぼそれぐらい走ってることになる。

 これだって帰りに走った二つの峠、とくに坂の辻峠がなければもっと伸びてたはず。まさにバケモノみたいな燃費だ。誰かがモンキーの燃費を、

『こいつはガソリン使って走ってるのか!』

 こうしてたけど今日は実感した。最近はクルマの燃費も良くなってるらしいけど、一般的にはバイクの方が良いはず。もちろんバイクの燃費だってピンキリだろうけど、それはクルマだって同じだ。

 それでもリッターで三十キロも走れば良い方じゃないのかな。もっとも五十CC時代のスーパーカブはリッター百キロなんて代物だったらしくて、そんなスーパーカブの故障で多かったのが、

『ガス欠』

 あまりにも燃費が良すぎて、ガソリンが無くなったら走らないのを忘れてたって話さえ残ってるぐらい。今でもやってるかどうかは知らないけど、エコランてな競技もあった。要するに燃費競争で、あれこれ車体は作ってたけど、エンジンはカブエンジンだったらしい。

 その辺はエンジンから作るとなったら手に負えないからだろうが、それぐらいカブエンジンの燃費は優秀だったことになる。だから世界の名車なんだろうけど、さすがに一二五CCになったからそこまでは走れなくなったみたいだ。それでも余裕でバケモノだ。

ツーリング日和20(第16話)波賀城

 あれからも何度も秋野先生はツーリングに連れて行ってくれたんだ。秋野先生って呼び方も嫌がられて、嫌がられて今では、

「瞬さん」

 こう呼ばせてもらってる。なんが慣れないところもまだあるけど、名前呼びするだけで距離が縮まった気がしてる。言っとくけど何も起こってないからね。マナミにその気はテンコモリあるけど、そんなものは夢であるぐらいは知ってるから。

 今日は回数も重ねたからロングツーリングだ。まずは山麓バイパスで西に向かう。それから国道一七五号バイパスで北上だ。三木、小野を過ぎ、加東市に入ってから国道三七二号、さらに県道三七一号、県道二十四号と走り、加西市内で県道二十三号に入る。あっさり書いてるけど加西を抜ける道に国道が無いからややこしいんだ。

 県道二十三号は福崎で市川を渡り、夢前で夢前川を渡り、揖保川を渡って山崎だ。山崎から揖保川沿いに国道二十九号で北上。一宮を越えて、波賀まで行く。この一宮だけど播磨一之宮である伊和神社があるのだけど、素朴な疑問があるんだよ。

 一之宮は日本各地にあるけど、その謂れは国司なりが赴任したら一番に参詣する神社って意味もあるそうなんだ、簡単に言えばその国で一番格式が高い神社であるで良いと思う。神社だから国の中心部になくても良いようなものだけど、それにしてもハズレ過ぎないかな。

 播磨の国府は姫路の飾磨にあったのは瞬さんに教えてもらったけど、それでも遠いよ。今だって遠いけど、昔なら何日かかるのだろうって思うぐらい遠いもの。それとこれは歴史的変遷があるだろうからなんとも言えないけど、現代の播州人でも播磨一之宮である伊和神社は有名とは言えないところがあるじゃない。

「その話になると神話レベルの話になりますね」

 播磨の国名の由来は播磨風土記に書いてあったはずだけど失われているそうなんだ。だけど昔は播磨じゃなく針間であったのはあるそうなんだ。なんかみみっちい名前だな。

「これは国の地形を表しているとされています」

 どこがだ。播磨と言えば姫路平野でしょうが。小学校の社会で覚えたぞ。あれだけ広々してるのに針の間なんかにどうやったら見えるんだよ。

「だから神話レベルですって」

 出雲が古代の先進地域だったぐらいは知ってるよ。今だって出雲大社があるし、国引き神話だってあるもの。宍道湖のスズキの奉書焼は一度ぐらい食べてみたい。

「そのうち一緒に食べに行きましょう」

 やったぁ、でもどこまで本気かな。さすがに松江まで行くとなるとモンキーでは厳しいな。そうなるとクルマか飛行機になるけど、日帰りじゃもったいないから・・・泊りになるじゃないの。泊ったりしたら過ちが起るかもしれないじゃない。そりゃ、望まれたら応じるけど、望まれなかったら複雑だぁ。

「その出雲の勢力ですが播磨まで伸びて来ていたようなのです」

 へぇ、こんなとこまで伸びてきていたのか。

「その播磨に入った出雲勢力ですが、どうも揖保川に沿って南下したと考えられています」

 古代の交通ルートがどうなってかなんてわからないけど、鳥取あたりから南下してきたとすれば、佐用ぐらいから千種川を南下しそうな気がするけど。

「そこもわかりませんが、ひょっとしたら千種川流域には吉備勢力が先に入り込んでいたのかもしれません」

 吉備団子の吉備か。吉備も古代王権があったぐらいは知ってるから可能性はあるかも。揖保川沿いに勢力を広げた出雲勢力はそこを国だとしたぐらいって話か。

「これも想像の世界ですが千種川流域の吉備勢力は負けて追い出されたのかもしれません」

 出雲だとか吉備だとか、ホントに神話の世界だな。それでも播磨の国の成立を考えると揖保川から始まると考えるのはありかもしれない。だって揖保川は龍野から網干に流れていくから、そこから播磨平野に進出だ。

「そんな簡単な話じゃないと思います。その頃だって主要産業は農業で稲作のはずです」

 だから揖保川の水を使って、

「そうは簡単じゃありません」

 稲作は日本に伝わってから弥生文明を興し、広い意味で今に至るみたいなところはある。稲作をするには豊富な水が必要で、だから大きな川があった方が。

「水は下から上に流れないのです。ですから稲作で利用されたのは揖保川の水ではなく、揖保川に流れ込む小川の水になるはずです」

 さらに大きな川になると洪水が起こりやすいのか。とくに河口部に近いほど起こりやすいし大規模になるはずだから、

「姫路平野は揖保川、夢前川、市川、さらに加古川ぐらいが流れ込んでいますが、流れ込んだ川が作った平野が、いつ頃にどれぐらい出来上がっていたかぐらいまで話は遡ると考えています」

 こりゃ壮大過ぎる話だ。瞬さんは揖保川流域に進出してきた出雲勢力は揖保川支流を開墾しながら南下していき、山崎ぐらいまでまず進出したのじゃないかと考えてるよう。理屈はわかるけど、なんだか細長い国だなぁ。

「だから針間の国って呼ばれたのではないでしょうか。もっとも景行天皇の頃には加古川まで広がっていた可能性はあります」

 そこの話は長くなりそうだから置いといて、そんな針間の国の守り神として伊和神社があるぐらいで良さそうだ。そんなことを話しているうちに波賀についたぞ。お城はこっちに入るみたいだ。

 案内表示に従って走って行ったのだけど、なんじゃこれ。こんなところ大型のワゴン車だったらどうするつもりだって道じゃないか。こっちは小型バイクだから問題ないけどね。そこから山道をクネクネと登ったら駐車場だ。

 駐車場は広々してるな。ここだけ見てると途中の道が大変だったなんて想像も出来ないかも。バイクを停めてここから歩きだ。へぇ、石垣もあるぞ。道の両方が石垣だから門でもあったのかな。

 さらに進むとちゃんとトイレまで整備されてるじゃないか。それもかなり立派な気がする。そこに木戸みたいなものがあるから、この先が城内って事かもしれない。城内と言うより本丸って感じかな。

 一度下ってから登るのだけどこの木製の階段の先にあるみたいだ。それにしても立派な階段だよ。えっちらえっちら登ってるとお城が見えてきた。えっ、ウソでしょう。こんなところに本物のお城があるじゃないの。

 元気が出てきた。よっしゃ頂上に着いたぞ。これは間違いなくお城だ。二階建てで小さいけど天守閣で良いはずだ。こんなものがこんなところにあるなんて初めて知った。連れてきてもらって感謝だよ。ウソでしょ。中にも入れるなんて。でもこれって、

「最近出来たものです」

 再建でもすごい。

「う~ん、再建と言うより模擬天守、いや模擬櫓で良いと思います」

 それでもちゃんと二階まで上がれるんだ。改めて外から見てたのだけど、なんか違和感があるな。形はお城の櫓で間違いないけどあの屋根って、

「桧皮葺きでしょうか」

 それって神社とかにあるやつだけど瓦じゃないのよね。

「この辺は林業が盛んみたいですからそのアピールもあると思います」

 そう言えば麓にあった神社も妙に立派そうだったものね。でも模擬櫓ってことは石垣も模擬だよね。

「それはここを読めばわかります」

 なになに、石垣は本物なのか。なんか古い積み方みたいで、特徴は角が丸いのか。言われてみれば、お城の石垣の角ってビシッと折り目が付いてるものね。それでも、ここまでこれだけの石を運び上げてるなんてたいしたものじゃない。

「それですが、下から運び上げたのではなく、山の上にあったと思います。登って来る途中にもゴロゴロありましたからね」

 たしかにそうだった。それとどうもだけど石垣をこれだけ積んでるのは門みたいなところと櫓のあるここだけの気がするけど。

「石垣を積むのは大変ですからね。とくに櫓のところは外から見えるところですから、これだけの守りがあるぞのアピールの意味の気がします」

 この城も良くわからないところが多いみたいだけど、播磨を制した秀吉が因幡とかに攻め込む拠点になってた可能性があるんだって。石垣もその時に積まれたで良さそうだけど、それだったら櫓だってあったかもしれないじゃない。

「技術的には安土城もありましたし、秀吉時代の姫路城にも三層の天守閣はあったとなっています。ですから石垣の感じから櫓はあっても不思議ない気はしますが、本当はどうであったかの資料はないようです」

 もしあったら物凄い宣伝効果になった気がするし、秀吉ならやらかしそうな気がするけどね。

「ここも当時の交通の重要拠点ではあったようですが、史実として反撃されて争奪戦にはなっていないで良さそうです。秀吉が鳥取城を攻めた時の補給拠点ではあったでしょうが、さすがに櫓まで予算をかけて作るのはしなかったのではないでしょうか」

 構想ぐらいはあったかもしれないけど、石垣が出来た時点ぐらいで、そこまで予算をかける意味が無くなったのかもしれないな。でもあったら嬉しいな。