ツーリング日和21(第6話)北へ

 ツーリングするのにネックになるのは実はマナミの方なんだ。というのも瞬さんはある種の自由業みたいなものだから時間に融通が利くし、ツーリングすることが作品の取材にもなるのよね。

「経費で落とせるからね」

 らしい。一方のマナミは会社勤めだから休もうと思えば有給休暇を取らないといけない。有給休暇は労働者の権利で自由に好きな時に取れるとはなってるけど、現実的にはそうはいかないところが多々ある。

 あくまでもたとえばだけど、職場の全員が一斉に同じ日に有給休暇を取ったりすれば業務が麻痺するじゃない。職場によっては何人か抜けるだけで回らなくなるところは幾らでもある。

 だから他の人とのバランスを調整しながらになるし、職場によっては有給休暇を取ること自体を敵視しているところさえある。だって両親の忌引きでさえ渋い顔をされまくったなんて話もあるぐらい。マナミのとこはそこまでじゃないけど、少なくとも、

『明日からツーリングに出かけますから有給休暇下さい』

 これは通じないぐらいかな。それでも温泉ツーリングのためだ。なんとか有給休暇を奪取した。なにがなんでも行きたかったんだもの。瞬さんとは同棲まで進んでるし、同棲になってるから関係は深めまくってる。

 やるために同棲している訳じゃないけど、やりやすくするために同棲している面はあるじゃない。ここを深めないと再婚なんて無理だし、ここの相性が悪ければ再婚なんか夢のまた夢だ。

 もっと言えばブサイクチビが気に入ってもらうためには必要にして不可欠なものだ。それぐらい他にアピールポイントが無いのがマナミなんだ。そりゃ、女なら男相手に誰だって出来るし、やるものだけど、なにがなんでも死守しなければならない生命線だよ。

「あれも知らなかった」

 マナミは子宮レスになってしまっている。だから子どもは二度と望めなくなってる。だけどそれは割り切った。割り切らないと次に進めないからね。けどね、子宮レス女にもメリットはある。

 避妊を考える必要も無くなったのもあるけど、なんとなんと生理から解放されたんだ。マナミのはかなり重かったんだよ。女の宿命ではあるけど、それでも辛いものは辛かった。こんなものが閉経まで延々と続くと思うと憂鬱になるぐらい、だって毎月あるもの。

 これが子宮レスになると消えてなくなる。マナミの場合は子宮全摘にはなったけど卵巣は残ってくれたのもラッキーだった。これも術後に言われた時はなんのことやらわからなかったけど、卵巣も失うと女らしさを維持するためにホルモン剤の注射が必要だとかなんとか。

 生理なんて殆どデメリットの塊みたいなもので、あれだって生理中は出来なくなる。これは元クソ夫に対してだけはメリットになった。とにかく性欲マシーンだったから、生理中だってどれだけやりたがったか。

 生理中でもやる女はいるらしいけど、やれば血まみれになっちゃうじゃない。それにこっちだって腹が痛いのよ。あんな不快な状態で誰がやりたいものか。衛生上だって絶対に良くないはず。さすがに断固拒否した。だから生理中は休憩期間になっていた。

 もっとも途中からピルにした。だってあんだけやられたらゴムじゃ不安過ぎた。破れたり外れたりしたらアウトなのがゴムだからね。ピルで生理が止まるからあの苦しみから解放はされるのだけど、今度は性欲マシーンに対する休憩期間が無くなってしまったんだ。あれはあれで参ったけどね。今から思い返してもトンデモないクソ野郎だった。

 トンデモない性欲マシーン相手は置いといて、生理から解放されればいつでもOKってこと。瞬さんは間違っても性欲マシーンじゃない。ここも誤解されたらいけないから付け加えておくけど、通常レベルの性欲は余裕である。

 二人しか知らないから最後のところはわかんないけど、むしろ強いぐらいの気もしてる。だからと言って連日連夜励んでるわけじゃないからね。瞬さんはそこまでの性欲マシーンじゃないけど、瞬さんが望む時には生理を理由に拒否しなくて済む。これは二人の関係を深めるには大きな武器になるはずだ。

 とにかく女の生理はメンドクサイけどあれは男には絶対わかってもらえないと思ってる。たとえばさ、今回みたいな旅行もそうだ。モロに当たったら悲劇にしかならないじゃない。もちろん生理をコントロールする方法はある。言うまでもなくピルだ。

 だけどね、あれだってメンドクサイのよ。ピルだってドラッグストアでホイホイ買えるものじゃない。産婦人科を受診しないといけないし、そのために仕事だって休む必要が出て来るじゃない。

 これが生理から解放されたら生理周期も考えなくて良くなるし、生理痛からも解放されるし、避妊も不要になり、その上いつでもウェルカムだ。この素晴らしさは子宮レス女の特権ぐらいに考えてる。それぐらいのメリットがないと子宮レス女の値打ちが無いじゃないの。

「そうは言うけど、失ったものは・・・」

 大きいに決まってるじゃない。だからマナミはメリットだけ見て生きてるんだ。ここまで来るのにさすがに時間がかかったけど、それだけの話ってこと。失ったものは二度と取り戻せないんだよ。

 そんな事はともかく素直に温泉旅行は楽しい。もっとも関西と言うか近畿で温泉は少ない。兵庫県もそうだ。数だけはあるけど、温泉旅行って温泉にさえ入れれば満足じゃないはずなんだ。そっちが趣味のディープな人を非難している訳じゃないけど、マナミはそうなんだ。

 武田尾温泉は悪いところじゃなかったけど、あれは秘湯過ぎた気がする。なんだかんだと言っても二軒しかなかったし、なによりその他が乏しすぎた。だから城崎にはワクワクしてるんだ。


 気合を入れて朝の七時に出発。まだ薄暗いな。でもそれが必要なぐらい遠いし、時間だってかかるから文句などあるものか。どういうルートを瞬さんが選ぶかと思ってたけど新神戸トンネルを潜るか。

 そこから豊地に行って桃坂か。この道を進むとひまわりの丘公園の北側から国道一七五号バイパスに出られるものね。そこから北上するのだけど、

「ジョイフルでモーニングにするね」

 社のジョイフルは今どき珍しくなった二十四時間営業なんだ。お味は可も無し不可も無しぐらいだけど嬉しいのはドリンクバーも付いてること。まずはコーンポタージュを頂いて、食事が終わればコーヒーだ。

 今日は長丁場だからこの辺でしっかり休憩を入れとくのは大事なのよ。ついでに生理現象も解消させて出発だ。中国道を潜り、滝野を過ぎ、加古川を渡ったところで、

「次の信号を左に曲がります」

 この道も知ってるんだ。波賀のツーリングの時に逆から走った国道四二七号だ。ゴチャゴチャしてる西脇市内を抜けて多可町を目指す。多可町で、

「次の信号を左です」

 国道四二七号とお別れして県道八号だ。ところでだけど曲がる前にあった足立醸造ってお醤油屋さんだと思うけど美味しいの?

「どうだろう。気にはなってるけど醤油は重いし」

 お土産に買ったりすれば重いだけでなく嵩張るものね。そのうち通販で探してみるか。さて完全に田舎道だ。この先にあるのは高坂峠になる。一番高いところにトンネルがあるけど、それを下れば神崎だよね。

「神河町だ」

 神崎町と大河内町が合併したんでしょ。それぐらい波賀ツーリングの時に覚えたんだから。公立神崎病院の信号を右に曲がればついに国道三一二号だ。クルマならバイパスである播但道になるのだけど、小型バイクだから旧国道ってやつだな。

「でもこっちが生野街道だし銀の馬車道になるよ」

 銀の馬車道は銀張りの馬車が走っていたとか、ましてや銀張りの道路だったのじゃなく、生野銀山で採れた銀鉱石を飾磨まで運んでいた道だそうなんだ。それだけって言われそうだけど、当時としては画期的な道路だったとされてる。

 馬車道と言うぐらいだから馬車で銀鉱石を運んでいたのだけど、こんな山奥まで馬車が走れる道を整備したぐらいで良いはず。これは今の感覚なら高速道路を作ったぐらいのものなんだって。はて、江戸時代の道路の幅ってどれぐらいだったんだろう。

「たとえば代表的な街道である東海道は大街道として六間と定められていたみたいだけど、実際のところは川崎宿から保土ヶ谷宿までは三間ぐらいで、そこから西になると二間から三間半ぐらいだったらしいよ」

 あのね、二間とか三間って言われてもわかんないじゃないの。

「一間は六尺だから百八十センチぐらい。畳の縦幅と同じだよ」

 畳の長い方が一間か。それならイメージできるけど、三間って五メートルちょっとぐらいか。道路の車線幅は、

「三メートルだよ。高速で三・五メートル」

 だったら対抗二車線で六メートルぐらいか。三間でも人が歩くだけだった十分だろうけど、そこに馬車が走ると狭いよね。

「銀の馬車道は馬車専用だったらしいよ」

 そんな歴史街道を走ってると思うだけでテンションが上がってくる。山が近づいて来て登りになったけど。

「生野峠だよ」

 ここは但馬と播磨の国境ぐらいになるそうで、嘉吉の乱の時には但馬から攻め込んだ山名軍が赤松軍を突破してるし、

「赤松政則が大敗を喫したのもこの峠で、当時は真弓峠と呼んでたそうだ」

 ああここが真弓峠だったのか。あれから赤松政則とか、別所の則治の事を少し調べたりしてたのだけど、山名軍に赤松軍が大敗したのが真弓峠の合戦と書いてあったけど、それがどこかわかんなかったのよね。

 ちなみに赤松政則は嘉吉の乱で滅んだ赤松氏を播磨守護に復活させた人だけど、山名軍に敗れて亡命生活を送っていた時に頭角を現したのが別所則治。地元の英雄別所長治の四代前の先祖だよ。

 ただ峠道自体はラクチンだ。ヘアピンなんかないし、カーブもそれほどじゃない。だらだら登って下りるって感じかな。だから赤松軍は山名軍を支えきれなかったのかも。

「天険とか難所とは言えないよな」

 非力なモンキーにはありがたい峠だ。生野峠を下ると生野の町だ。銀山の遺跡はあるけど先を急ぐから今日はパス。その代わりにコンビニ休憩を取ったよ。ジュースを飲みながら思ったのだけど、ここって但馬だよね。ついにマナミのモンキーも但馬に足を踏み入れたんだ。ちょっと感動。

ツーリング日和21(第5話)旅行の誘い

 瞬さんはクルマを持ってるだけで、なんの役にも立たないから二人のお出かけはバイクだ。そんなツーリング中に二人は出会ったし、恋に落ちたし、なんとなんと同棲にまで進んでる。

 バイクのツーリングは好きだし、そのためのバイク女子にもなっている。だから瞬さんとのマスツーは楽しい。ヨタハチと違ってちゃんとエンジンはかかるし、故障だって滅多にしないはず。

 だけどモンキーにもネックはある。小型バイクだから高速どころか自動車専用道も走れない。だから緑の道路案内は通行止めのサインと同じになる。

「ボクも無料の加古川バイパスや姫路バイパスが走れないと知って驚いたもの」

 そうなのよ。新しいバイパスにもちょくちょくあって、ウッカリ走ってると、ここはダメだったになるんだもの。だからツーリング前に自動車専用道かどうかの確認は欠かせないぐらいかな。

「ツーリングの王道は下道だよ」

 そうは言っても下道ではどうしても距離が稼げないから、ツーリングの範囲に限界が出て来る。道路状況によって変わる部分はあるけど、だいたいで言えば一時間に三十キロぐらいが目安になる。

 一時間に三十キロって遅く感じるかもしれないけど、時速三十キロではない。信号で停まったり、昼食を食べたり、コンビニ休憩をする時間も含めての一時間に三十キロってことだ。マナミももっと走ってるはずと思ったけど、実際にはそれぐらいになるのは実感してる。

 そうなると一日に六時間走っても百八十キロになってしまう。田舎道ならもうちょっとペースが上がるけど、それでも二百キロぐらいかな。波賀へのツーリングで二百六十キロ走ったけど、あれぐらいが下道の一日の限界の気はしてる。

 とは言っても中型やましてや大型に買い替える気はない。モンキーはお気に入りだし、免許だって小型自動二輪しか持ってないものね。

「信州とか行って見たいけど、道のりを考えるとさすがに遠すぎる」

 というか、高速なら名神走って、中央道走ってぐらいはすぐに思い浮かぶけど、下道でとなると、どこをどう走ってのイメージすら出来ないよ。

「そこで相談なんだが、お蕎麦は好きか」

 どこに質問が飛ぶんだよ。そりゃ、好きだよ。二人が初めて出会ったのは篠山の蕎麦屋だったじゃないの。まさか忘れたの。

「忘れるものか。あそこの蕎麦屋も良かったけど、兵庫県の蕎麦と言えばどこになる?」

 兵庫県は広いし、美味しいものもたくさんあるんだけど、麺類はあんまり強くないイメージだな。

「そんなことないよ。揖保乃糸があるじゃないか」

 そうだった、そうだった。素麺は奈良の三輪素麺とか、香川の小豆島素麺が有名だけど、実は兵庫県がダントツの一位なんだよね。

「長崎が二位なのは意外だったけど」

 いやいや、話は素麺じゃなくて蕎麦だ。うんと、うんと、兵庫県の蕎麦で有名なのは・・・わかった、出石の皿蕎麦だ。皿蕎麦ってなんだになるけど、簡単に言えばざる蕎麦の一種で、蒸籠じゃなくてお皿に盛ってある。

「いくらなんでも簡単すぎるぞ」

 他で似ているものなら、あてて挙げれば盛岡のわんこそばかな、

「ちがうと思うぞ。近いのなら割子蕎麦だろうが」

 そ、そうだよね。割子蕎麦って、三段ぐらいの筒型の重箱みたいなものに蕎麦が分けられて盛ってあって、そこにツユを入れて食べるけど、出石の場合はそれが小皿になり、蕎麦猪口のツユに入れて食べるんだ。

「出石の皿蕎麦も割子蕎麦から変化した説があるよ」

 らしいね。割子は洗うのも大変だった説もあるけど、マナミはそうじゃない気がしてる。あれはお蕎麦をより多く食べると言うか。

「より食べさそうと工夫したとはボクも感じることがある」

 お蕎麦ってね、量としては、そうだね、せいぜい並盛と大盛りぐらいじゃない。だけど出石の皿蕎麦には上限がないのよね。食べたいだけのお蕎麦を注文できるのよ。その注文単位がお皿なんだ。

「だから大食い大会までやってるものな」

 お店にも、これまでどれだけの枚数を食べたかの記録を張り出しているところもあったもの。お店の方もたくさん食べれる人こそ蕎麦通だと扱う感じかな。似たようなシステムに盛岡のわんこ蕎麦があるけどだいぶ違うのは瞬さんの言う通りかも。

「盛岡のは店によって違うかもしれないけど、あれって最初から無制限一本勝負みたいなところがあるものね」

 マナミも出石に行ったことあるけど、あそこの皿蕎麦は美味しかった。変なことを思い出させないでよね。食べたいけど、あんなところまでモンキーで行けるものじゃないでしょうが。そっか、バイクじゃなく電車で行くつもりなんだ。

「いやツーリングで行きたい」

 はぁ、出石って豊岡の近くだよ。豊岡ってどこにあるか知ってるでしょうが、あそこは但馬なのよ。出石も今は豊岡市になってるらしいけど、神戸から何キロあると思ってるのよ。

「ざっとだけど百三十キロぐらいかな」

 往復で二百六十キロか。一日の限界に挑戦しますの世界だな。

「それに出石まで行けばコウノトリだって見れるぞ」

 コウノトリは見てみたいな。絶滅状態からだいぶ数が増えたらしいけど、さすがに見た事ないのよね。出石のお蕎麦を食べて、コウノトリを見るのは悪くないプランだけど、往復の距離と時間を考えると無理あるよ。

「そうだそうだ、マナミさんは玄武洞に行ったことがある?」

 無いな。あれも一度ぐらいは見てみたいけど・・・ちょっと待ってよ。どれだけ回る気なの。それだけ回ったら帰りは夜になっちゃうじゃない。モンキーにも当たり前だけどライトはある。けどね、あれって暗いのよ。あんなもので夜道なんて、それこそ事故するぞ。

「ボクも夜道は避けたい。だから城崎はどうだ」

 まだ回る気なの。近いと言えば近いけど、城崎温泉と言えば外湯巡りじゃない。そりゃ、ツーリング先で足湯どころか日帰り入浴するツーリング動画もあるけど、あんなところでそんな事をやらかしちゃったら帰れなくなるじゃないの。

「だから帰らないんだよ」

 乗った! そうだよ、泊まってしまえば良いんだ。それだったら片道百三十キロって言っても四時間ぐらいのはず。七時に出れば十一時ぐらいには出石に着くはずだ。そこからコウノトリを見て玄武洞に寄れば、

「夜は城崎温泉だ」

 それ良い。絶対良い。温泉なのがとくに良い。武田尾温泉も気持ち良かったけど、城崎温泉だって負けてないはずだ。ツーリングの疲れを温泉で癒し、夜は御馳走だ。なんかワクワクしてきた。

ツーリング日和21(第4話)瞬さんのクルマ

 瞬さんもクルマ持ってるけど、それこそ口をアングリさせられたかな。それもロールスロイスとか、ベンツとか、ポルシェとか、フェラーリとか、ランボルギーニだったからじゃない。

 そのクルマはマナミも聞いた事があるし、見たこともある。とは言うものの、モンキーに出会うのも少ないけど、そのクルマはもっと少ない。それこそ人生で何度かぐらいの珍しさ。

「少ないと思います。生産台数が三千台ぐらいで、現存して言うのが千台どころか九百台も無いとされてるぐらいですから」

 製造台数がたったの三千台しかないんだよ。モンキーも出会うことが少ないけど、それでも年間で三千台ぐらいは販売されてるもの。しかも現存しているのが九百台ってなんなのよ。だから見ることがそれだけ少ないのはわかるけど、

「でもスタイルはお気に入りです」

 それは認める。可愛いし、キュートな感じがするもの。それと驚かされるのは、そのクルマが作られたのが一九六五年って何年前なんだよ。どんなクルマだって? トヨタのスポーツ800、通称ヨタハチだ。

「古いだけに我慢も必要ですが、それもまた良いところです」

 あのねぇ、我慢って言うけどレベルが違うでしょうが。まずだけどエアコンがない。これは冷房だけじゃなくヒーターすらないんだよ。だから夏はサウナみたいに暑くなる。冬だって。

「当時のタルガトップですから、どうしても隙間風が入ります」

 タルガトップって何かだけど脱着式の屋根のこと。つまりオープンカーにもなるらしいのだけど、

「あれを外すとなると・・・」

 そういうこと。脱着式だから付けたり外したりは出来るはずだけど、それをやるだけで途轍もない手間と、なんらかのトラブルが発生するとかなんとか。だから外さないらしいけど、とにかく年代物だから隙間風は平気で入ってくる。だから寒い時期に乗る時には半端じゃない防寒装備が求められる。

 そんな年代物だから静粛性なんてどこの国のクルマだって世界なんだ。走ってるとあちこちからガタピシ言うし、エンジン音だって壊れかけの洗濯機を回してるのじゃないかと思うほどウルサイ。

「あれも慣れれば楽しいですよ」

 言うまでもないけどナビどころかカーステ、いやラジオすら無いのよ。

「付けられない事もないですが、オリジナリティにこだわりがあります」

 オリジナルにこだわるのは悪い事じゃないと思うけど、シートだってよくこんなもの使ってるか思うほど古びてるのよね。クッション性なんか初めからあったのかな。

「あれを使えるようにするのも大変でして」

 とにかく年代物と言うより骨董品みたいなものだからレストアはされてるらしい。レストアは復旧って意味のはずだけど、しょっちゅう故障する。故障と言っても一度起こすと月単位の修理が必要なのよね。

 なんかさ、クルマを所有して乗り回してると言うより、クルマを所有して常に修理しているとしか見えないもの。だってだって、やっと修理が終わって、ちょっと走ったら、すぐに修理になってしまう感じだもの。そこまですぐに故障を起こすのだったら、乗らないって選択もあるとは思うのだけど、

「クルマは乗らなきゃ意味がないし、乗らないと余計に故障が増える」

 その言葉にウソはないと思うけど、あれだけすぐ故障をするのだから、乗っても乗らなくても同じの気がする。でもね、故障は置いとくとして快適性とかはマナミはそれほど気にはならないの。これでもね、マナミはバイク女子なんだ。暑い寒いは当たり前だし、静粛性とか乗り心地だってだからどうしたぐらいだ。

「そうだよ、屋根もドアもあるから雨には強い」

 あのね、クルマで雨に濡れたら存在価値はどこにあるんだよ。もっとも隙間風がビュンビュン吹き込むぐらいだから雨漏りも当然のように起こす。なかなかのクルマなんだけど、このクルマって高級車じゃないけど高額車なんだよね。

 買う時も五百万円ぐらいしたらしいけど、それより走らせるようにする維持費は想像しただけで寒気がするぐらい。それだけあれば、ロールスロイスでも、ベンツでも、ポルシェでも、フェラーリでも、ランボルギーニでも余裕で買えるはずじゃない。

「でもやっと手に入れたお気に入りだから」

 そうなのよ、絵に描いたようなお金持ちの道楽なんだ。瞬さんは無駄遣いとか、浪費とかとは縁が遠い人だけど、こういう道楽に熱中する一面があるのがわかったぐらいかな。さらに言えばクルマも好きだったぐらいだ。

 クルマは好きなんだけど、嵌ってしまったクルマがこんな状態だからクルマとしての役にはまったく立たないのよね。ドライブデートもやったことがあるのだけど、まずエンジンがかかりにくい。

 瞬さんに言わせると気温とか、その日のエンジンのご機嫌とかでコツがあるらしいけど、それこそやっとこさ状態なんだ。走行中の状態はもう良いと思うけど、目的地に着けばエンジンを切るじゃない。

 そうなると次なる試練が襲ってくる。当たり前だけどまたエンジンをかけなければならい。でさぁ、同棲前だったからドライブして、ランチを食べてラブホのコースをやったのよ。恋人同士だからありきたりのパターンだ。

 ベッドで頑張って帰ろうとしたらエンジンがかからなかったのよね。瞬さんは慌てもせずにレッカー車を呼んだけどラブホだよラブホ。レッカー車が来るまで駐車場で待たないといけないし、レッカー車にクルマを載せる作業だって、駐車場から押し出してみたいな騒ぎになったもの。

 あれは結構恥ずかしかった。だって、ラブホの駐車場に停めてるってことは、やりましたって言ってるようなものじゃない。なんか作業員の目が、

『リア充め爆発しろ』

 そう言ってる気がしたもの。クルマはレッカー車で京都の旧車専門の業者のところま’で運ばれたらしいけど、神戸から京都だぞ、

「あそこじゃないと無理だ」

 これも修理に時間がかかる理由の一つ。近所の業者では手に負えない代物なんだ。腕は良いらしいけど、依頼も多いらしくて、一度修理に出せばすぐに月単位になるのよね。とにかく手間とヒマとカネがどれだけかかってるか怖いぐらいのクルマだ。


 同棲してから瞬さんに言ったことはあるのよね。同棲って夫婦生活の予行演習みたいなものだし、買い物とかでクルマがあれば便利なのよ。いくらバイク女子だと言っても、バイクじゃ物が本当に載らないし、雨でも降ろうものなら最悪だ。

 だからもう一台買ったらどうかって。瞬さんのヨタハチこだわりは理解したし、それぐらいの費用は瞬さんの収入からなんでもないはずだけど、日常ユースのためにセカンドカーを買ったって良いじゃないの。

「それは贅沢と言うものだ」

 そりゃ、二台目を買うとなれば購入費から維持費、駐車場代のモロモロの費用が発生するけど、どんだけヨタハチに注ぎ込んでると思ってるのよ。一回の修理代だけで余裕で買えるでしょうが。

 贅沢に関係してるかどうか微妙なところもあるけど、修理中って普通は代車が来るじゃないの。代車があればヨタハチが修理中も困らないと言うか、修理中の方がクルマの有効活用が出来るはずだ。なのにだよ、

「浮気は良くない」

 なにがだ。だったらモンキーに乗るのは浮気じゃないのか。

「クルマとバイクは別物だ」

 それって本妻と現地妻の関係かよ。そこから妙な話に思いっきり脱線した。江戸時代のお殿様は正式の奥さん以外に側室と呼ばれる妾を持つじゃない。でもそんな妾でもわざわざお国御前と呼ばれるのがいると聞いた事があるのんだ。

「お国御前と言っても一様じゃないはずだけど・・・」

 江戸時代のお殿様の正式の奥さんである正室は江戸屋敷に住んでたそう。これは幕府への人質の意味もあるそうなんだ、ついでに言えば正室の子どもも江戸屋敷で育てられる。これは武家諸法度たらで厳重に取り締まられるほどだったらしい。

 けどさぁ、一年おきに国元と江戸を参勤交代で往復してるじゃない。見ようによっては一年おきに単身赴任をしているようなもの。ぶっちゃけ、国元でやれる相手がいないことになる。だから国元にも愛人と言うか、妾と言うか、側室が置かれる。女としては腹が立つけど、

「跡継ぎを増やす意味もあるからね」

 江戸時代の大名の鉄のルールに嫡子がいないとお取り潰しがあるぐらいは知ってる。正室がポンポン産んでくれれば良いけど、江戸時代の妊娠も出産も命がけ。さらに息子が生まれたって無事育つかどうかはロシアンルーレットの世界だ。

 愛情とか性欲からもあるだろうけど、家臣にとってはお殿様に息子が生まれてくれないとお家断絶になり、失業のピンチに立たされてしまう。だから国元にも奥さんを配してお殿様に励ますのも仕事の内ぐらいだったとか、なかったとか。

「正室に比べたら側室はウルサクなかったからね」

 正室はお殿様との釣り合いがすべてだそうだ。釣り合いは年齢もあるけど、それより家柄とか、結婚する妻の家との関係性とかだ。そこに結婚する二人の意志とか意向はまったく配慮されず、問答無用の決定事項として押し付けられてしまう感じかな。

 一方の側室の条件はそこまでウルサクない。時代劇なんかでよくある、お殿様が腰元に手を付けるってやつ。あれはお屋敷の腰元になれる程度の身分であればOKと見るらしい。なるほど正室より条件が広くなるな。

 ここでだけど側室は正室の支配下に置かれる掟もあるそうなんだ。だけど国元の側室となると実効性はないのか。だよな、正室の顔を見る事さえあり得ないのが江戸時代だもの。

「ここなのだけど、お国御前は国元の女から選ばれるだろ」

 そ、そうなるよな。それも家来の娘とかに限定されそうな気さえする。

「国元の家来はお国御前の息子が跡継ぎになって欲しいになるじゃないか」

 あっ、そこか。お殿様商売もお姫様商売もラクじゃないな。

ツーリング日和21(第3話)故郷のお祭り

 マナミの故郷はどこにでもある少子高齢化で苦しむ地方都市って感じかな。かつては大工道具で栄えていたし、今でも有名な職人さんはいるらしい。けどね、大工道具も今は電動工具の時代で、その波に乗り損ねちゃって、はっきり言わなくても斜陽産業になってしまってる。

 だから旧市街なんてホントに活気が無くて、マナミの子どもの頃に比べても寂れ行く街をヒシジシと感じちゃうぐらい。だけどそんな街だって活気づく日があるんだ。それは秋祭りだ。

 地元では屋台と呼ばれるダンジリみたいなものが何台も出てきて、お宮さんに集まって来るのだけど、この宮入の時がお祭りのクライマックスかな。だってだって、八十七段の急な石段を担いで登るんだ。

 マナミのお祭りが大好きだったから、屋台を担いでみたかったけど、あれを担げるのは男だけなんだよね。これは神事だからって理由もあるとは思うけど、そりゃ重いのよ。あんなものか弱いマナミじゃ絶対に無理だ。

 結婚してた頃はお祭りを見に行くヒマも余裕もなかったけど、久しぶりに見に行きたくなったんだ。瞬さんも誘ったら一緒に行こうとなって、今日は故郷へのマスツーだ。いつもは瞬さんが先導だけど今日はマナミだ。

 ルートはシンプルに新神戸トンネルを抜けて、呑吐ダムの湖畔の道を走り、御坂神社を左に曲がるだけ。後はひたすら道なりに走れば旧市街に行けるからね。走りながら考えていたのはどこにバイクを停めようかだった。

 小型バイクだからどこだって停めれるようなものだけど、それなりにでもちゃんとしたとこに停めたいのはあるのよね。これはマナーの問題もあるけど、変なところに停めて悪戯されたくないのも大きい。

 そんな人は少ないんだけど、やられたら後味悪すぎになるじゃない。今日だったらお祭りを楽しんだ後に帰ろうと思ったら・・・なんてなったら最悪だもの。地元だからあれこれ考えたのだけど、とりあえず目指したのは旧市役所の跡だ。

 そこが無料駐車場になってるのは調べてたし、あそこからならお宮さんも近いのよ。だけど入ってみたら、やっぱり満車だった。そらそうよね、地元に人なら歩いて参加できるけど、遠方の人も集まってくるもの。ここがダメだったらって次を考えてたら、

「マナミさん、こっちに停められますよ」

 なるほど! 駐車場は一杯だけど、バイクだから停められるスペースさえあれば良いのか。ここは観光協会にだったはずだけど、たしか移転して閉鎖されてるはず。だったらこっちに入り込んで停めといても良いだろ。ここに停めたって誰も文句を言わないはず。

 そこから歩いて行ったのだけど、あるある、あるある、夜店がズラリだ。お祭りを見に来てる人だって多いよ。各町の法被を羽織った人なんて見ると、いかにもお祭りに来たってテンションが上がってくる。さて、まずはお参りだ。そのために石段を登るのだけど、

「その屋台って、本当にこの石段を登るのか?」

 そう言いたくなる気持ちはわかるよ。それぐらい急な石段だものね。瞬さんと幸せになれるようにしっかりお願いしてお祭りタイムだ。タイ焼きでしょ、たこ焼きでしょ、ベビーカステラでしょ、おでんでしょ、フランクフルトでしょ、それから、それから・・・

 ビールぐらい飲みたかったけど、さすがにバイクだからそこは我慢だ。そうやって過ごしているうちに聞こえて来たぞ、

『ドンデドン、ドンデドン』

 屋台は太鼓を打ち鳴らしながら進むのだけど、その音が段々と大きくなってくると、周囲のテンションも上がってくる。やがて参道にハタキを振る人が見えてくる。これも昔からそうだったとしか言いようが無いのだけど、屋台の前後を付いて歩く人はハタキを振るのよね。子どもが多いかな。マナミも振ったことあるよ。

『ヨイヤサ~、ヨイヤサ~』

 掛け声も聞こえてきて先頭の屋台が見えてきた。へぇ、水引とか座布団を新調したみたいだ。これは綺麗じゃないの。綺麗と言うより豪華絢爛って感じだけどね。

「座布団って?」

 高欄掛けの事よ。石段下まで屋台が進んできて、そこに石段の上からロープが下ろされる。命綱って言うんだけど、これを屋台に結び付けてみんなで引っ張るんだ。マナミも引っ張ってた。

「ホントに登るんだ」

 登らなきゃ宮入できないでしょうが。こんな屋台が全部で八台あるのだけど、

「おいおい、あの屋台はロープを使ってないぞ」

 そうだよ。最後に宮入する屋台は命綱なしで登るのが伝統なんだよ。お宮さんの熱気は最高潮になる。轟く太鼓の音、威勢の良い掛け声、観衆のどよめき。これこそ祭りだ。来てみて良かったよ。

 祭りはこの後も境内での練りがあり、休憩時間を挟んで石段を下りまで続くのだけど、そこまで付き合ったら夜も遅くなるから帰らせてもらった。帰ってからだけど瞬さんがあれこれ調べものをしてた。瞬さんが調べものをするのは商売の一環みたいなものだけど、

「わからんなぁ」

 瞬が関心を持ったのは屋台、それも屋根の形みたいなんだ。故郷の周辺で屋台と言えば布団屋根なんだけど、屋根の形は反り屋根型と平屋根型あるのよね。故郷なら二台目と四台目が反り屋根型だけどそれの何がわからないの?

「どうしてマナミさんの故郷の祭りに反り屋根型の屋台がいるかだよ」

 な~んだ、そんな事か。それぐらいは知ってるよ。二台目の先代は台風の時に屋台蔵がぶっ壊れて、その時に北条町の屋台を買って来たんだ。四台目も理由まで知らないけど北条町から買ったって聞いた事がある。

「なるほど、そうだったのか。マナミも知ってると思うけど播州の屋台は・・・」

 播州で代表的な祭りと言えば灘のけんか祭りだけど、あそこの屋台は神輿屋根型なんだ。灘のけんか祭りだけではなく播州全体で言えば西が神輿屋根型で、東が布団屋根型の分布になってるぐらいは知ってるよ。

 これはマナミも知らなかったのだけど布団屋根型は泉州で発生して瀬戸内海沿岸に広がったみたいなんだ、播州の布団屋根型はおそらく淡路から広まったと考えられてるようだけど、泉州にも淡路にも反り屋根型は無いみたいなんだって。

 播州のオリジナルになるようなんだけど、この反り屋根型は分布を見ると神輿屋根型地域と布団屋根型地域の接触するところが多いらしい。故郷の祭りは平屋根型地域なのにそこに反り屋根型があったのが最初の疑問だったんだろうな。

「どうして播州が神輿屋根型と布団屋根型に分かれたのかはわからなかったな」

 この辺は地域の好みぐらいにしか言いようが無いって。布団屋根が発生したのは泉州だそうだけど、

「泉州にしろ、摂津にしろ、担ぎ屋台じゃなく、引っ張るタイプのダンジリが主体なんだよ」

 泉州と言えば岸和田の喧嘩祭りだものね。それはそうと播州オリジナルの反り屋根型ってどこから生まれたの。

「そこまでは調べ切れかったけど、どうしてああなったかの仮説ぐらいは立ててみた」

 瞬さんの見るところ、神輿屋根型と反り屋根型には幾つか共通点があると言うのよ。

「平屋根型は虹梁だけど反り屋根型と神輿屋根は井筒になってて・・・」

 妙に細かすぎてわかんないよ。マナミでもわかったのは神輿屋根型屋台にもバリエーションはあるけど、屋根の四隅に上向きの派手な金具を付けているものが多いそう。反り屋根はそれに似せようとしたんじゃないかって。

 それと反り屋根型は屋根の真ん中が盛り上がってるのだけど、あれは神輿型屋根を似せた名残じゃないだろうかって。言われてみれば類似していると言えば類似してる。でもさぁ、でもさぁ、そんなに神輿屋根型にしたいのだったら素直に神輿屋根型にしたら良いのじゃないの。

「マナミの言う通りなのだが、そこは地域性の縛りぐらいしか今は言えないな」

 平屋根型を反り屋根型にするぐらいは許容されても、布団屋根を神輿屋根にするのは地域のルール破りみたいな感じかな。事は祭りだからあるかも。

「この辺はマナミの故郷でも神幸祭のためにお神輿が出るから、それと似ている神輿屋根型が拒否されたはあるかもしれない」

 言われてみれば・・・神様が乗り間違えたら良くないぐらいかも。だったら神輿屋根型の多いところはどうだの話は出て来るけど、

「そもそも神輿屋根型のルーツもはっきりしなかった」

 そうなのか。そうそうこれも反り屋根型発生の仮説みたいなものだけど、屋台って豪華になっていく傾向があるのは同意だ。その豪華さで神輿屋根型が先行していたのじゃないかって。

 お祭りは見栄の張り合いの部分が大きいから、布団屋根型を豪華さで先行していた神輿屋根型に近づけようとして反り屋根型が発生したのかもしれないって。お祭りの屋台一つにしても歴史ありだよな。

「それにしても面白いネタが見つかったよ。この辺のルーツを探るためにお祭りツーリングなんて面白そうじゃないか」

 そこか! ライターって大変だな。こうやって新しいネタを常に探しておかないと食って行けないのかも。でもお祭りツーリングは面白そうな気がする。マナミもお祭り大好きだし、灘のけんか祭りみたいなメジャーなところはともかく、お祭りならバイクの方が行きやすい気がする。マナミも行くぞ。

ツーリング日和21(第2話)同棲へ

 恋人関係が深まれば次に目指すのは同棲だ。絶対じゃないけどこのステップを通らないと再婚に進めないじゃない。これはステップと言う意味もあるけど、お互いをより深く知るのも重要ではある。

 ごくシンプルには同居する事で互いの生活習慣がわかるじゃない。生まれ育った環境が違うから相違点は必ず出て来るし、相手の本性だって見えてくる。たとえば実はDV男だったり、モラハラ男だったり、浪費癖が強くて借金があるとか。

 エラそうに言ってるけど同棲経験もあるし、そこから結婚もしてるけど、どこまで見抜けたかと言われると失格なんだよな。元クソ夫はマザコンだったし、モラハラ夫だったし、浮気男だったし、浪費癖さえあった。

 それぐらい結婚って難しいからあれだけ離婚するってこと。同棲したからって相手のすべてなんか見えるものか。それでもステップとしては重要だから待ってたんだ。だって女から言い出すのは、はしたないって思われちゃうじゃないの。

 瞬さんが同棲を持ち出して来るかどうかは、試験でもあるんだ。セフレに留めたいのなら持ち出しもしないだろうし、再婚の意志があれば出すはずだろ。もちろん同棲しないと再婚できない訳じゃないけど、二人とも同棲できない理由はないものね。

 そしたら出た。もっともベッドの上だったのは笑ったけどね。実はってほどの話じゃないけど、元クソ夫もベッドで誘ったから、瞬さんも同じなのが意外だっただけ。いつものようにラブホでトロトロにされた後に改まった感じで、

「一緒に暮らしたいと思うんだ」

 うんうん、もちろんイイよ。待ってましただ。

「そのために三か月待ってくれ」

 はぁ? なんだ三か月って・・・これも気にはなってたんだ。瞬さんがマンション暮らしなのは知ってたけど、まだ部屋に行ったことがなかったんだよ。なにが普通か知らないけど、同棲前にまず自分の部屋に連れ込みそうなものじゃない。

 そうなると三か月の猶予って、同棲のために必要な部屋の準備期間になるけど、考えられるのは他の女性関係の整理しか思いつかないよ。それが無い方が不思議と言うより不自然だけど、他に女がいるのはさすがに複雑だ。

 モヤモヤしたけど、まだ証拠をつかんでる訳じゃないし、他の理由の可能性もゼロじゃない。もし他に女がいたとしても、そいつらを整理してまでマナミを選んでくれたのかもしれない。モヤモヤだけでお別れにするにはもったいなさすぎるだろうが。

 三か月後に行ったよ、瞬さんのマンションに。これが広いんだよね。4LDKにウォークインクローゼットまであるんだもの。でね、部屋を見て回るとちょっと違和感があったんだ。妙なとか、変なじゃないし、他の女の影でもないよ。

 他の女の影は気になって仕方が無かったから、それこそ目を皿のようにして探したし、同棲してからも探し回ったけど結論から言えばゼロだ。それぐらいはマナミも女だからわかる。

「だから三か月待ってもらった。片付けるのに手間がかかってしまって」

 瞬さんの今の本業はライターであり、小説家だ。こういう職業の人は書くための参考資料が必要なんだ。ネット時代になって減ってる部分はあるかもしれないけど、それこそ書けば書くほど溜まっていく感じで良いみたいらしい。

 瞬さんの場合はそれが部屋三つ分を埋め尽くし、積み上がっていたみたいだ。だから生活スペースとしては、寝室兼書斎とリビングだけ。でもそれじゃ、いくら4LDKあっても同棲なんか出来ないから、

「一部屋だけは資料庫にさせてもらうけど、残りはトランクルームに運び込んだ」

 それだけじゃないんだ。マナミの部屋も用意してくれたけど、二人の寝室まで用意されてた。ダブルベッドが鎮座していたし、部屋の内装だってまさにマナミ好みそのもの。

「こういうのが好きだと思って・・・」

 三か月も準備期間が必要だったのは資料の整理だけじゃなく、マナミを迎え入れるためにリフォーム工事までやってたんだよ。だから二人の寝室だけじゃなく、マナミの部屋も、リビングも、浴室も、トイレだってマナミの好みどころかマナミの理想にド真ん中のストライクなんだよね。

 カマイタチ恐るべしだ。ここまで人を見抜けるかと思ったけど、瞬さんなら朝飯前かもね。そうやって同棲生活が始まってしまったのだけど、これも変わってると言えば変わってるかも。共同生活だから家事分担が出て来るけど、

「洗濯とか注文があったら言ってね」

 マナミは会社勤めだけど、瞬さんは作家だから自宅が仕事場じゃない。だから家の事はすべてやるって言うんだよ。この辺は学生時代から自炊してたし、前妻と離婚してたからやってたのはわかるけど、マナミもビックリさせられるほど手際が良いのよ。

 家事と言えば炊事、洗濯、掃除って事になるけど、料理は美味い。それもマナミの好みにピッタリなだけじゃなくヘルシーなんだ。良く女が男を落とす時に胃袋を掴むって言うけど、マナミの胃袋も鷲掴みにされちゃったもの。朝夕だけでなくお弁当まで作ってくれて参っちゃった。

 掃除だって隅々までピカピカだし、洗濯だって、それこそ服のたたみ方、整理の仕方までマナミ好みなんだ。掃除はまだしも、洗濯はさすがに抵抗があったんだよ。だって下着まであるじゃない。それも言ったけど、

「分けると手間がかかるじゃないか」

 押し切られてしまった。そうそう同棲って共同生活じゃない。生活費をどうするかも当然ある。マンションは瞬さんの持ち家だから家賃は良いとして、光熱費とか、水道代、言うまでもないが食費もある。この辺の分担だって、

「マナミさんだって欲しいものはあるだろうから・・・」

 すべて瞬さんが出してくれた上にお小遣いまでってなんなのよ。マナミだって働いてるし、お給料だってもらってるし、そのお給料で今まで自活して来てる。それがだよ、もろもろの家計も、家賃も、光熱費も、水道代も、すべて負担がなくなった上でさらに小遣いってなんなのよ。


 同棲期間の捉え方はあれこれあるけど、相手が結婚相手に相応しいか見極める意味もあるけど、一方で自分がいかに結婚相手に相応しいかの最終アピール期間でもあると思ってる。これは二人の関係であれこれ変わるだろうけど、マナミならその部分は大きいのよ。

 女なら家庭的な面のアピールは必要だと思うのよ。この辺は、女だから家事全般を引き受けるのは昭和の古い考え方って意見も強くなってるし、マナミだって家事分担はそれなりに必要ぐらいは思ってるよ。

 もちろん家事分担と言っても相手によりけりだ。家事分担が必要になる前提は女もちゃんと仕事をしているのはある。もうちょっと言えば女の収入が家計のために必要不可欠になってるもあるからだ。

 けどさぁ、瞬さんならマナミを余裕で専業主婦に出来る経済力はある。だから同棲になればマナミの家事能力を試されると思ってたんだ。だってだって、他に何を見るって言うのよ。だから気合を入れてたし、これでも専業主婦経験者だから自信もあったんだ。

 なのに蓋を開けてみれば、それこそ一緒に住んでるだけ状態じゃない。これでは良くないと思ったから、退路を断つために仕事を辞めて専業主婦に専念する相談もしたんだけど、

「どうして仕事を辞めないといけないんだ。まだ同棲させてもらってるだけじゃないか。もし別れる事になったら困るだろ」

 それはそうなんだけど、これじゃあ、完全過ぎるお客様扱いじゃないの。同性のはずなのにニート状態にも思えてしまうぐらい。そりゃ、居心地は文句の付けようがないぐらい良いけど、ふと思った。マナミって何者なんだって。

 たかがブサイクチビのアラフォーのバツイチ、子豚体型の子宮レス女に過ぎないんだよ。それなのに、まるでどこぞのお嬢様どころかお姫様扱いじゃない。皇室のモノホンのお姫様より丁重に扱われてる気さえする。もしかして前妻との結婚時代も、

「あの頃か。家政婦さんがいたからね」

 ガチのお嬢様だったから、一切家事が出来なかったそう。だから家政婦と言うより専属の執事みたいな人が付いて来ていたみたい。

「執事というより爺やと婆やみたいな人でした」

 それも代々の爺やと婆やで前妻の子どもの頃からって・・・どんなセレブの世界なんだよ。前妻の実家は資産家だって聞いていたけど、どうも半端な資産家じゃなかったみたいだ。

「戦後の財閥解体とか、相続税問題には苦労されたみたいだけど・・・」

 よくわからないけど投資かなんかで資産を築き上げたとか何とか。その資産のトンデモなさは、瞬さんの前妻時代の新居はマナミが聞く限り、実家の別邸だったみたいなんだ。そう別宅なんて規模じゃなく別邸だ。だったら実家はってなるのだけど、

「遺産相続の時に売り払ったのですが、ここです」

 はぁ?、はぁ?、はぁ?、このタワマンがかつての実家のお屋敷だってか。

「庭にかつての名残がありますかね」

 あそこか。タワマンなのに妙に年季の入った立派な池がある庭があるのだけど、あれがかつてのお屋敷の庭の一部だったのか。そうなると、

「その通りです。当時の庭の片隅だけ残っています」

 片隅っていうけど、元は金閣寺の庭園ぐらいあったんじゃないかと思うぐらいだ。

「家を売った代償の一部としてこの部屋をもらっています。あれこれ相続税対策もありましたし、一人暮らしならこれで十分です」

 このマンションはタワマンの一室だけど、これじゃわかりにくいよね、タワマンと言っても一棟じゃないんだよ。タワマン群なんだ。それが全部前妻の実家の敷地ってどんだけなんだよ。

 どこまで聞いても現実感が無さすぎる話なんだけど、そんだけのセレブの家から政略結婚を持ち出されたら断れる男はいない気がした。女だってそうだろ。マナミには縁遠い話だけど、かなりどころでないぐらいビビった。

「前の妻の家がセレブだっただけで、ボクは庶民の育ちですから」

 そ、そうだと信じたい。