年末年始に見た夢(暗いです)

『三島の子どもたち』校了から一ヶ月、忙しさに追われて、残った原稿をなかなか片付けることができなかった。とくに英語論集は査読者の提案に従って改稿する作業を私以外の全員が早々に終えているのに、筆頭編者の私だけが締切を三ヶ月過ぎても取りかかることができず、編者である同僚たちに迷惑をかけていた。罪悪感にさい悩まされていたからか、年末年始はあまり夢見がよくなかった。

そんな夢の一つが、亡くなった友人に偶然出くわすというものだった。数十人で満席になるような大衆演劇の小さなコヤの客席の暗がりに、大学生の頃、劇団の仲間だったIがいた。理系の学部を卒業して就職したはずなのに、会社を辞めてまた大学に通い出したという。「まさか文転したの?」と尋ねるとニヤリと顔に書いてあるような独特の笑顔でそうだという。「Iは理系って感じじゃなかったものなあ」と話しかけていたところで目が覚めた。

Iはそもそも今でいうコミュ障の典型のようなやつで、知らない人間には極端にオドオドしていて、社会性がまるでなかった。一度バイト先の塾での新入生募集のビラ配り要員として送り込んだら、経営者から「あいつ(言動が)最悪だな」と思い切り罵られたことがある。しかし、親しい私たちにはむしろ饒舌で、時折放つ毒舌も面白く、私たちはみんなIが大好きだった。唐十郎『愛の乞食』を上演した際には、自作の劇中歌をギターで演奏し、それがオリジナルにまさるとも劣らずともよかった。

大学を卒業する間際で、主宰していた劇団をプロ化することを諦め、後輩たちにその劇団の運営を任せてからも付き合いは続いた。Iは石油化学系の会社に就職し、あんなやつでも社会人が務まるのかとみんな内心驚いていたが、それでもなんとかやっていたようだった。東尋坊だったか、一人旅をして、今にも崩れそうな岩山の道を通ってきた、という絵葉書をもらった記憶がある。だがしばらくすると連絡が絶え、劇団の別の友人から、自殺したという噂を聞いた。

そのIが久しぶりに夢に出てきたのは、多分ひそかに抱いていた(そして二十年近く忘れていた)負い目のせいだ。今から考えると私の劇団運営には大いに問題もあったが、みんなそれなりに楽しくやっていたと思う。このまま十年続ければ、中堅劇団としてなんとか食っていけるぐらいにはなるのではないか、という当時の考えはそれほど間違っていなかったはずだ。だが私は結局日和って、辞めてしまった。Iやそれと同じぐらい社会性のない奴らと一緒に夢追い人を続けていれば、Iが死ぬことはなかったのではないか、いや、今記憶が定かではないが、Iはそもそも私が劇団を辞めるという前に自分からカタギになると言って辞めていかなかったか、と色々思いは錯綜するが、Iの死の遠因に自分の決断が関わっていたのではないかとずっと気が咎めていたのは間違いない。

それにくわえて、コロナ禍で死が突然訪れることにも私は怯えている。死者が自分に呼びかけ、近しい存在として私のそばに再びやってくるのは、自分の死が間近であると意識しているからだ。無性に懐かしくもあり、しかし生と死という無限の距離を隔てているはずのかつての友人が夢に出てきたのはそういうことだろう。

そんな夢をいくつか見ながら、年末の数日でなんとか仕事を片付け、数年ぶりに(直近の)仕事がない状態で正月を迎えた。年初の——日付が変わってから就寝したから、これが初夢だ——夢は、行き先がわかっているのに、その場所になかなか辿り着けないというものだった。

夢の中の私は、スティーヴン・ソンダイムと誰かの対談を聞きに行こうとしている。多分私の勤務先らしき大学だが、東大の文学部棟のようにも思える教員棟がもともとの会場。ところが直前になって、同じキャンパスにある別の建物で行われることになった。この土壇場の変更はきちんと告知されていないが、私は会場が変わったことを(内輪の催しだからか?)知っている。にもかかわらず、なぜか私は新会場ではなく、行き慣れている教員棟に行ってしまう。しかも、エレベーターで自分の研究室のある六階のボタンを押して降りてしまう。(もとの)会場はもっと上の階にあるのに。

六階で次のエレベーターを待つことにするが、やってくるエレベーターは上りも下りもどれも満員で、六階を通過していく。仕方なく階段を使って一階に降り、もう一度エレベーターに乗る。そこではじめて会場変更のことを思い出し、自分の間抜けさ加減にうんざりしながら途中の階で降りて、タイミングよくやってきた下りのエレベーターに乗り換える。エレベーター内は満員で、高齢のアメリカ人カップルがソンダイム対談の会場が変わっているがどこだろうと言っているので声をかけて一緒に行くことにする。私は当日になって会場を変更し、しかも告知も十分でない運営の不手際についてひとしきり説明し、老夫婦に同意を求める。

そのときはじめて、アメリカ人夫婦が私の英語をなんとか苦労して聞き取ろうとしていることがわかる。どんなに発音に気をつけても、アメリカ人以外の発音を聞いたことがないアメリカ人に私の言っていることをわからせることは難しい(イギリス人は割とよくわかってくれる)。日常生活でいつも味わっている落胆——長年英語を読み、聞き、話していても、英語話者と同じように英語を話すことはできない——を夢の中でも味わっているうちに目が醒めた。

五十をとうに過ぎてもこの不全感——世界は自分に厳しくあたるし、どんなに努力しても自分は世界になじむことはない——を俺は抱き続けるのだ、と気持ちが暗くなった。いいかげん、己の器量を知ってそこに安住すればいいのに、今でも私は幼児的全能感をもう一度得られるのでははないかとどこかで思っている。家族もふくめて周囲の人間よりずっと自分は頭がいいのだと思えていた小学校低学年までの記憶を引き摺っている。そのせいで、何かを成し遂げても、それだけで満足できない。もっと先がある、と思ってしまう。いや、本当にそういう思いを抱いて実際に偉業を成し遂げる人々もいるが、もう私は五十過ぎで、これからやれることなど高が知れている。この不全感が嵩じたから私はうつ病になったのだし、今もまたそうなりかけているのかもしれない。

まあ、結局仕事をするしかない。仕事に熱中しているときだけが、この不全感から逃れられる。私にとって仕事は現実逃避なのだ。幸い、書きたいことだけはたくさんある。ひと様に読んでもらえるように書き続けるしか救済の道はない。新年早々、そんな思いを新たにしたのだった。

 

 

アメリカっぽいできごと

なんと10年ぶりのエントリーだ。Twitterだと長くなるのでどこに書こうと思って少し悩んだが、話題的にはここがしっくりくる。

 

先日、研究室からの帰りにクロネコヤマトの営業所に立ち寄り、宅急便を出した。そのとき応対してくれた中年の女性店員が、すぐ外に止めてある私の自転車のライトが「すごく明るくてかっこいいですね」と話しかけてくれた。

 

私はこういうとき照れてしまってあまりうまく反応ができない。そのときも「いや、これ明るくていいと思って買ったんですけど、すぐバッテリーがなくなるんですよ。充電式なんですが、一週間に一度以上充電しないといけない」と世間話モードにしては詳しすぎる情報をベラベラと喋ってしまった。

 

その女性はそれを聞くと頭を振って、「いやあ、私は明かりがついてる、ってわかるだけで十分。おまわりさんに止められて怒られないのであればいいわ」と噛み合ってるんだか噛み合ってないんだかわからない返答をした。

 

で、にこやかに笑いあって私は営業所を出ていったのだが、家路に向かって自転車を漕ぎながら、ああ、これ、アメリカっぽいな、アメリカで何度も遭遇したパターンだな、と思った。

 

どこがアメリカっぽいか。そもそも店員が業務以外のことで客に話しかけてくるのが日本ではめずらしいが、だからと言って全くないわけではない。

 

ただ、客とのコミュニケーションをとるのに、客のアイデンティティと密接に結びついた属性を褒めるのではなく、ほとんど関係のない属性(ここでは自転車のライト)を褒めるってのがアメリカっぽい。言うまでもないが、「美人だね」「いい男だね」はおろか、「その髪型格好いいね」「その靴素敵だね」でも客がキレて訴えると騒ぎ出す可能性があるところなので、アメリカの店員は客を褒めるのに慣れているとはいえ、かなり変なことを褒めてくる。たとえばトートバッグとか傘のように、あきらかに持ち主が気に入って買ったわけではなくたまたま手近なものを持ってきたようだ、と判断できるものを褒めてくる。

 

次に、返答で「自分語り」してしまうところ。客に話しかけることで距離を詰めてきたのに、いつの間にか自分のもといた位置にスッと戻って、自分の話に変えてしまう。これもアメリカでは店員によくやられた。私の経験でいうと、これをよくやるのが黒人の気のいいオバちゃんふうの店員。頭の振りかたも既視感がある。まるで自分の人生にはいいことないよ、と言っているかのように軽い絶望を込めた頭の振りかた。なんなんだろう、あの年季の入った頭の振りかたは。

 

「自分語り」になるのは、要するに相手とコミュニケーションをこれ以上続けたくない、という無意識に抱いている気持ちの表明でもある。上っ面だけでは他人とつながろうとするが、本気のコミュニケーションはなかなかとらないのが大多数のアメリカ人の心性というべきものだ、ということが実感できるまで、私は時間がかかった。店員が話しかけてくれるものだから嬉しくてこちらが反応すると、これ以上お前と話したくない、という含意が伝わってくる自分語りをされて、アメリカで暮らし始めた頃は内心傷ついていた。俺の英語が下手だから、向こうにきちんと伝わってないのかな、とも思ってた。そうではなく、それがアメリカ社会のコミュニケーションなんだってことを理解するには時間がかかった。

 

そんなことを思い返しながら、なんかアメリカぽかったな、日本の社会もアメリカみたいに上っ面のコミュニケーションは大事だ、とみんなが無意識に思うようになってきたのかな、と思った。

 

『やけたトタン屋根の上の猫』

新国立劇場公演『やけたトタン屋根の上の猫』に一年生ゼミの学生を連れて行く。学生を芝居に連れて行くときにはいつもナーヴァスになる。つまらなかったらどうしようと思うからだ。芝居を見に行く機会が少ない学生が、たまたま見たものが退屈だったり面白くなかったりしたら、しばらくは芝居を見に行こうとは思わないだろう。あるいは永遠に。

井上ひさしは、観客のなかには芝居をはじめて見るという人たちが必ずある割合で存在する、その人たちが芝居をもう二度と見に行くものかと思うことがないように自分は芝居を書いている、と言っていた。芝居に携わる人が全員そう思ってくれるといいのだが、残念ながらそんなことはない。とくに翻訳ものは、芝居を見に行こうという気をなくさせるものに出会うことがよくある。

もちろん、大半の学生にとっては開演前の劇場の独特の雰囲気は新鮮なものだし、目の前で生身の俳優が演じているという事実に興奮して、こちらが思うほど退屈に感じていないことがあるのも知っている。しかしそうでないことも当然ある。学生が座席で退屈そうにしているのを見るのは、自分の大学の講義で寝ているのを見るよりも身を切られる思いがする。とくに自分もつまらないと思っている芝居だとなおさらだ。

三・四年生のミュージカルゼミの学生であれば、何度か連れて行って慣れていることもあるし、普段映画の名作ミュージカルをいやというほど見せているから、ひどい作品にあたってもそれほど気にならない。もっとも、この前『ワンダフル・タウン』に連れていったときは、そのひどさにさすがに気が引けたけれど。だが今回は一年生なので一切言い訳がきかない。

というわけでどきどきしながら見ていたが、かなりよかったので一安心。見ながら学生の反応もときどき伺っていたのだが、みんな熱心に見ていたようだ。

寺島しのぶの独擅場の前半(第一幕)は、サブテキストの作り込みがまったく感じられず、表面上の台詞のやりとりに終始していたので、どうなることかと暗い気持ちでいた。だが、後半(第二幕)の木場勝己のビック・ダディと北村有起哉のブリックのやりとりで木場が自分のペースでどんどん芝居をするので引き込まれる。

アメリカ演劇研究者としては、南部の匂いがしないビック・ダディなんてあり得ないと文句もつけたくなるのだが、木場の「オレ流」の強引な解釈はたしかに舞台で説得力を持っていた。いつもは自信たっぷりの木場節は鼻につくのだが、今回はそれがかえってビッグ・ダディという人物の臭味にも通じるところがあったのが面白かった。

北村は受けの演技が中心なのであまりあらが目立たなかったが、スキッパーとの「混じりけのない」友情について語るところは空々しく聞こえてしまう。歌舞伎ふうにいえばニンが合っていないということになるのだが、生への情熱を失った現在を演じることはできても、失う前の生への情熱を演じることはできていない。

メイの広岡由里子はいい。バイプレーヤーとしてのこの人の器用さは前々から注目していたが、やり過ぎてクサい芝居になるのも気になっていた。しかし今回は抑えめの演技でメイという人物の屈折した心理が浮き彫りになった。

三上市朗のグーパーはマナリズムに流れすぎ。脇役だから役を作りすぎずに型通り演じようという判断はある程度まで正しいのだが、さすがにウィリアムズは脇役を平板な性格にしておくことはない。グーパーが抱えている鬱屈をもっと作り込めば面白いのだが。

明日は叔父の告別式だ。二週間前に病院にお見舞いに行ったときには、顔つきの変わりようにびっくりもしたが、こちらが名乗ると手を挙げて反応してくれたので、まだ大丈夫だと思っていたのだが。

ようやく脱稿、その他仕事のこと。

新国立劇場『やけたトタン屋根の上の猫』公演プログラムをようやく脱稿。たかだが六枚のために三日間を費やした。軽い自己嫌悪に陥る。二十枚ぐらいまでなら仕上げるまでの時間はほとんど変わらないのだ。だったらあまり短い原稿の依頼を受けるな、ってことになるのだが。

『国文学 解釈と鑑賞』井上ひさし特集号は来年二月号だそうで、締切を過ぎたのであわてて出したのに、一週間たってもゲラすら戻ってこない。これは早まったか。でも、手元で暖めていてもあれ以上は出てこないよな。

とにかく、これでようやく依頼原稿はなくなった。いや、本当は岩波人名辞典の新規項目執筆分があるのだがあれはしばらくなかったことにしよう。

岩波をのぞけば、年内に仕上げるべき論文はあと二本。それなりに大変だが、好きなことを好きなだけ書けると思うと心は浮き立つ。できれば一月に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』論と『掠奪された七人の花嫁』論を仕上げてしまう。

『笑いと創造 第六集』に掲載される「金馬・正蔵はなぜセコといわれたか」五十五枚を九月に脱稿して以来、憑き物が落ちたように落語熱が醒めてしまった。昭和戦後期落語の美意識について自分なりの解答を出してしまったからだ。この七年間ぐらいかなり集中してCD・DVDを視聴してきたが、その日々がなんだか遠い昔のように感じる。私の落語への情熱は、論文一本書いて燃え尽きてしまう程度のものだったのかなあ。とりあえず馬生の落語名人会DVDはAmazonで予約購入した。

と、久しぶりに真面目に自分の仕事について書いてみました。そうそう、今日は昔の教え子がミラノからたずねてきてくれたのでお昼を「一鐵グランデール」で一緒に食べた。特撰和牛ステーキコースというやつを頼んだのだが、コストパフォーマンスはあんまり高くない。そのあと草間彌生展に。シルクスクリーンが中心だったが、松本市の常設展と違って初期作品などもあり、思っていた以上に楽しめた。

昨日は娘の文化祭に行った。展示物を見て、娘の友だちのご両親たちと一緒にピクニックシートを広げて昼食を食べたあとは家に帰ってきて(妻および友たちご両親たちはそのまま校舎に戻って最後のダンスまで見たそうだ)仕事をやってました。

酒井直樹『日本/映像/米国 共感の共同体と帝国的国民主義』

井上ひさし論を書く関係で酒井直樹『日本/映像/米国 共感の共同体と帝国的国民主義』(青土社、二〇〇七)を読んだ。全体の感想はここには書かないが、歴史学者とあろうものが「一九八九年九月昭和天皇危篤の知らせが世界中に広がった」(二二三頁)と書くのはまずいのではないか。一九八八年九月の間違いだ。

まあ、そういう悪魔に魅入られたような凡ミスというのは時にはあるかもしれない。ただ、続いて『ニューヨーク・タイムズ』に投稿した自分たちの手紙を紹介しているのだが、それが「フォビオン・パワーズ氏の回想文に抗議する手紙」となっている。パワーズではない、バワーズだ。「ダグラス・マッカーサー将軍の秘書を勤めて戦後天皇制の演出に重要な役割を果たしたといわれる」(二二四頁)と書くのは間違いだとは言えないのかもしれないが、ファビオン・バワーズ(Faubion Bowers)といえばまず「歌舞伎を救った男」であることを知らないのではないか。ちなみに「歌舞伎を救った」というのも言い過ぎであることはバワーズの自己宣伝癖とともに演劇研究者のあいだではよく知られている。

また、注に掲載されている『ニューヨーク・タイムズ』掲載時の記事の日付はそれぞれ September 30, 1989(バワーズの回想文) October 11, 1989(酒井と山口二郎の抗議文)となっている。もちろんこれはどちらも 1988年のことだ。念のため『タイムズ』のサイトで確かめたが、月日は合っている。掲載月日は覚えていて、相手の名前と掲載年を間違えた、ってことがあるのか? 原稿を書くために記事を再読していればこんな間違いはしないはずだ。

Public Image Limited, "This is not a long song" from Live in Tokyo

ゼミ合宿のコンパはカラオケ付で、三年生のなかにたいへん巧い人たちが数人いてびっくりした。私はといえば、「君にジュースを買ってあげる」から「嫁とロック」へ、さらに「リンダリンダ」まで歌って、なんちゃってパンクバンドをやってたという話をしたら Sex Pistolsを歌えというリクエストももらったのだが、知らない若者のほうが多いだろうと思ってさすがにやめておいた。

まあ、そんなことも無意識に引っかかってたはずだが、今日、学内資金の研究会の発表をようやく終えて、夏休みの宿題は6つのうち2つがようやく片付き、多少心が晴れたこともあり、いろいろ音楽を聴いているうちに頭の中でPILの "This is not a love song" が鳴り出した。しかも Live in Tokyo 収録の、テンポが速いやつ。CDは昔は持っていたのだが、売ってしまったのか、手元にはもうない。早速Youtubeで探したら、なんと映像つきのがあった。

軽い気持ちで視聴しはじめたが、舞台俳優よろしく観客の花束に大げさにキスしてみせる冒頭の仕草で早速打ちのめされた。すべてを達観したようなジョン・ライドンの道化ぶりがとてつもなく格好よい。おどけているが卑屈ではなく、たくさんのものを失っているが絶望はしておらず、たいへんキュートだ。

東京公演は1983年だそうだから、56年生まれのライドンは27歳!? こんなに老成した27歳がいたのか。20歳にならずして世界のロックシーンの台風の目となった男にとって、希代の詐欺師であるマルコム・マクラーレンをマネージャーとして相手にしなければならなかった男にとって、人生はあっという間に過ぎていったのだなあ。

もとはレーザーディスクで、DVDも91年に出ていたようだが、今日までこんな映像が残っているなんて知らなかった。それは私にとってよいことだった。おそらく若い頃にはライドンのこの「軽み」はわからなかっただろう。AmazonのCDのレビューでライドンの態度が「金のためにやっていて投げやりだ」と評していたものがあったが、そうではないのだ。自分に才能があることはわかっていて、人も評価してくれている、それでも人生には満たされないものがあり、その喪失感は何をもってしても埋められないという現実を生きるとはどういうことか、をこの映像は如実に示している。

…そんなことを43歳になった翌日に考えた。

iPadとKindle DX所感

結局どっちも買ってしまったので所感を。

iPadは半分お遊びのつもりで買い、そしてその通りになっている。

ソフトキーボードはiPhoneより多少入力が楽だという程度のもの。外付けのキーボードも買ったが、結局日本語変換ソフトがないから変換効率は悪いし、入力時に待たされるので、快適にはほど遠い。Mac/PCでのキーボード入力に比べるとストレスがたまる。

iPadKeynoteは、私のように動画をふんだんにとりいれたプレゼンテーションをする場合は全く役に立たない。Mac上で作った動画入りKeynoteファイルは、見事に動画なしのファイルに変換される。静止画もサイズがあまり大きいとだめなようだ。

辞書ソフトは画面が大きい分見やすい。Macで使えない&使っていない辞書を見るときには重宝する。ただし、多くの英英辞典やOxfordのミニ百科事典シリーズはまだiPad画面にネイティブ対応してないので見にくい。物書堂の一連の辞典は便利。最近アクセス独和も出たので、これで英仏独伊は揃った。あとはスペイン語ポルトガル語か。科研のテーマが南米なので、この二つは今後は重要になってくるのだ。

i文庫HDは便利。デザインは今ひとつだが、青空文庫やPDFファイル化したテキストを読むのが大変快適である。今後はあまり読まなくなった本は裁断・スキャンして電子化、いわゆる「自炊」するのがよいかもしれない。

Apple謹製iBooksも、じつは Bartleby, the Scrivener なんかが無料ダウンロードできて、言われているほど悪くはない。Voyager Booksも無料で読める津野海太郎ガリ版の話」は、津野ファンであることを差し引いても面白かったが、有料で購入できるラインナップが少なすぎる。ebiReaderはまだiPad画面にネイティブ対応していない。Kindle for iPadはそれなりに読めるが、Kindle DXに比べると雲泥の差。あとで詳述。

以外に役だっているのがPapers。Mac版はレジストしないままほとんど使わなかったが、iPad版との連動が便利でどちらも購入してしまった。これはアメリカの大学のように図書館でJSTORやらProject MUSEなどから電子化された論文がダウンロードし放題というころになると大変な威力を発揮する。この手の電子ファイルは整理分類が面倒になるわけだが、Papersでは"Match Paper"という機能を使うと、Google ScholarsやJSTOR, Project MUSEを検索して、わずかなキーワードをもとにすべて書誌情報を補ってくれる。

Good Readerは出先でメールに添付されたPDFファイルを確認することが頻繁にある人にとっては便利なのだろうが、私の今の仕事の形態ではそれほど使う機会はない。PrintCentral は研究室や自宅のMacにある書類をプリンタに印刷することができるが、出先でそんなことをする必要があるときはほとんどないだろうな。ACTPrinterはMacからPDFファイルを送るときに使う。飛行機のeチケットとか、都内路線図などをこれでiPadにためておく。

TodoはRemember the Milkとの連携ができなくなったのが悲しいが、Toodledoを使うことでなんとかGTDのまねごとをしている。

Google Reader連携のアプリとしてNetNews Wireを購入し、さらにその補助アプリとしてInstapaperを購入した。これらは電車のなかのような、通信状態のよくないときには重宝する。
ThicketやBubble Harp, Gravitariumのような、一昔前ならばメディアアートとしてICCとかで「体験」するものであったものがiPad上でできるのには少々感動したが、まあ毎日いじるものではない。

あとは娘のためのゲームをいくつか。そうそう、はじめて太鼓の達人というのをやってみた。なかなか難しいので最初はむきになってやっていたが、すぐに飽きた。私は大人になってからコンピュータゲームにほとんど耽溺した覚えがない。11歳から14歳までゲームセンター狂いをしていたからだと思う。子供の頃に耐性ができるとそれ以降あまり刺激的だと感じなくなるのだろう。あ、でも留学中にネット麻雀にはかなりはまっていたな…あれは現実逃避だった。

とはいえ、以上のようなことを知るためにアプリをダウンロードしてはいろいろ使い道を探る
のがいちばん楽しいので、半分以上遊びというのはそういうことだ。初期のPCと同じで、労働生産性を上げるための努力に時間をとられて結局は労働生産性は上がらないという。

それにたいして7日に発売されたばかりのKindle DXの新ヴァージョン、これは素晴らしい。研究者は必携だ!

電子ペーパーの視認性は聞きしに勝るもので、紙媒体で読んでいるのとなにも変わらない。

ウェブブラウジングやMP3の音楽を聴くこともできるが、ブラウザは死ぬほど遅く、日本語は使えず、音質はお粗末なので、二度と試そうという気がなくなる。つまり、本を読むことに集中できる。iPadだと、i文庫HDやiBooks、あるいはPapersで本や論文を読んでいても、つい飽きると他のことをしてしまうが、Kindle DXではそんなことはできない。

読み進んだ割合を示すインディケータがあるのもゲーム感覚でよい。紙媒体のようにときどきページ数を確認して「あと何ページ」と思いながら読むより、リアルタイムで数字が増えていくほうが読み進めていくとき楽しい。

ただし、Kindleファイルに変換した青空文庫や、読み込んだPDFファイルの表示はどうもお粗末だ。英語フォントがスタイリッシュであるのに比べてどうもデザイン性が悪く、またPDFファイルはサイズ調整がうまくいかないので、これならiPadでi文庫HDを使っていたほうがよい。

つまり英語を読むという目的のみに徹すれば、これほど素晴らしいものはない。Kindleバージョンの本は案外高いものが多いので、ダウンロードしまくる、というわけにはいかないが、読みたいと思った本をその瞬間から読み始めることができる(こともある)、という体験は何物にも代えたがたい。

ページ数の表記がないために、論文に引用するときにはページ数の確認のために紙媒体を照会しなければならない、という問題は抱えるものの、勤務先の図書館などに該当の本があれば、照会そのものはそれほど時間がかからないわけだし。いまにMLAとかでKindle版の本のページ数の表記ルールができるかもしれないし。

絶対に引用する、とわかっている本は紙で買い、とりあえず目を通せば十分、という本はKindleで買う、というのが現状での最適解かな。とにかくこれ以上本が増えるのはなんとしても避けたいというのもある。

そんなわけでみなさんKindle DX買いましょう。アメリカから二日で届きましたよ。