これ・・・

 「民意」ってやつなの? これが?

 この得体の知れないものの蠢きを見ていると、「そろそろ日本を脱出する準備しといた方がいいのかもしれん」と真剣に思った。

 とりあえず、自民に投票した奴&投票に行かなかった奴は、今後最低5年は、政治に文句つけること禁止。文句つけたらその場で死刑。

「子供は脳からおかしくなった」

 なるタイトルの対談が掲載されているらしい。まあ養老センセイに期待などかけるのも酷だとは思うが、それにしても「いかにも」というセンスのなさである。

 そんでその対談の相手を見て、口があんぐり。

 都知事珍太郎(大爆笑)。

 日本中で殆ど筆頭といえるほど脳のおかしな奴が・・・(^o^;)!!!!!

 文芸春秋社の冗談センスは、さすがの私でもついていくのが大変だ(笑)。

それがこちら。

 「サシ扱い」の意味を誤解していて、取り扱いがマズいようだったら携帯で注意して欲しい。すぐ削るし。
 で、こちらも以下私信モード。

 いや、エネルギーと時間を使わせちゃって申し訳ない。
 やっぱり余計なことは言うべきじゃなかったかなと思ったり。言っちゃったから仕方ないけど(^^;)。


 えーとね。読ませてもらいました。
 異論は特にないな。ただし、


 あくまで、「ある事象系の『あるべき様態』」(☆)についてのみ語る


 という大前提の下においてのみ、の話ね。つまり、最初からあまり変わらなかった感じ。


>>これを、明文化されていないルールで悪であるということも可能ですが、
(中略)
>>むしろ、これですら、ある意味実用上の平等性を保っているのではないか。


 ここはちょっと齟齬があるかな。ちゃめの誤解というよりは、私の説明が足りなかったかと思う。

 私も、なにもギチギチに明文化せよとは思ってはいない。むしろ私のイメージはかなり緩い感じ。

 要は、よくある「・その他、弊社が不適切と判断した行為」という類のアレ。アレを、たった一行だけ事前に公表しておけば、それだけでよかった。私も群馬大の措置に異議は唱えなかったろう。


 それだけの話。逆に言うと、私が噛み付いているのは、それがなかったから。

 それだけ。


>>ということで、問題の大学になるのですが、かの大学にその度量を期待す
(中略)
>>一流のところに行く素養があるなら、どこかで通っているでしょう。


 ここいらについては、悪いけど、論議の対象とする気がない。はっきり言って興味ないし、議論する意味があるとも思えない。これも既にコメントで述べている通り。結果としてのゲイン(またはロスト)がどれだけあるかないかはこの問題に関する限り全く関係がない。結果以前のルールが破られている以上、すでに論じる意味はない。


 察するに、逆にちゃめはこのへんに、何かすごくこだわりがあるんだと思う。
 本当に偉そうな物言いで恐縮だけど、その、ちゃめなりのこだわり自体は、またそのこだわりに則って自分の頭で物事を考えることは大事だと思う。


 けどね、私は「因果律の法則」は覆せないと思うよ。先に原因があるから結果があるのであって、その逆ではない。結果を無視せよというわけじゃない。だが結果から遡って原因をでっちあげるのは基本的に正しくない、と言っているわけだ。

 もちろん例外がないとは言わないのは既述の通り。いちいち繰り返さないが(人が獣に・・・のあたり)。


>>逆にくだんの大学だけが悪いと暴き立てる動きは、


 そんなこと言った覚えはないが(^^;)。「・その他弊社が不適切と・・・」って但し書きを入れている医学部が、他にあるのかな?
 なら、どこにだって起こりうる話じゃないか。今回問題になってるのは、その「盲点」があらわになった、ってことなんじゃないの? 私はずっとそういう主旨で書いてるつもりだけどね。「群馬大に天誅を!」とか私書いたっけ? どっちかと言うと文科省(と自治省もか?)の問題なんじゃないの?


>>平等性の確立に役立つというより、悪影響のほうが強いように思われます。


 もうちょっと説明が必要じゃないかな。本当にこれ、きっちり私を論破できるほど説明できる?
 これ小論文採点用語で「流れてる」って言うんだけど、書いている当人は論述したつもりでも、論じきれてないと思うよ。もちろん、「これくらい書けば、山葵ならヤボにゴタゴタ言わんでも話通じるでしょ」ってことで省略された可能性が高いとは思うけどね。すまん、充分に分かったとは言いがたいな。


>>判例として残ったなら、それが、好ましい未来を保障しているとは思えな
>>いのです。


 既述の 「・その他、弊社が不適切と判断した行為」的なものを加えときさえすれば、何の問題もないと思う。

 理想をいえば、入試が終わった直後くらいに、「来年受けようと思うんだけど、アタシこんな感じなのよ。ぶっちゃけ、『その他不適切』になるの?」とかいうヒアリング期間を設ければ完璧。最初の一回は裁判起こされるかもしれんが、それで「大学の裁量の範囲内」と判例取れば終了(これは取れるでしょうよ! 取れなきゃおかしい)。

 こんなところかな。


 ひとつ非常に印象に残ったのは、ちゃめは


「その事象系に属する『ある一事象』を、現在どのように処理すべきか」(★)


 ということに関しては、基本的に興味がないんだろうな、ということ。(☆)と(★)の二つを混同している、というより、(☆)こそが重要なのであって、(★)なんかにかかずらってる意味が理解しずらい、ってところなんじゃないかな。だから我々の話が噛み合わなかったんじゃないかと。

 いや分かるけどね、(★)ってつまんないからね。

 ただ、「理想の形とは大きく異なってはいるけど、法の定義がない以上、この現象は今の時点ではこう処理しなきゃしょうがないでしょう」ということを無視しちゃマズいと思うのね。

 私みたいな小心者は「そりゃマズいでしょ」って思っちゃうんだよね。いつか、手ひどいしっぺ返しを喰らいそうな気がしてさ。

 とか思ってたんだけど、ちゃめも流石っていうか何というか、その辺を認識して、「考えを改めた」って書いてくれたんじゃないかと思ってる。要するに「建前」の領域をちゃんと認めてはいる、ということを改めて明示してくれた、というかね。

 だから今回「サシ扱い」でちゃめから投げられたボールは、「『建前』をないがしろにするのはやはりマズい。だから考えを改めたと書いている。でもだからと言って、建前だけに安穏として、その後ろに蠢く諸々の問題の方をないがしろにするつもりじゃないよね?」という、クロスカウンターだと思ってる。

 ひと言で強引にまとめると、「後ろに蠢く諸々の問題については、おばちゃんの合否問題とはあくまで別個に、そして充分に論じられるべきである」というのが私の見解。

 こんなとこかな。
 私としては、これ以上のレスポンスを特に求めはしない。
 もちろん、コメントを寄せられれば誠実に反応するつもりではある。当然。

 以上ですだ。

それはchamekanのブログから始まった

 えーまずは・
こちら
をお読みいただきたい。

 これ書いたchamekanはパソ通時代からの友人で、私がネット上で知り合った中で最も頭の切れる人のうちの一人だと思っている。だがこれには首をかしげざるをえず、私は彼のブログで反論をしている。

 だがあちらで引っ張りすぎるのも無理があるし、別にギャラリーの耳目を集めることが目的ではないので、手前のとこで続きを書くことにした。

chamekanは「本意がつたわらないのが、めんどうくさい」と書いているが、問題はその手前にあるんじゃなかろうか。

 物事は何でもそうだと思うのだが、「ある事象系の『あるべき様態』」と、「その事象系に属する『ある一事象』を、現在どのように処理すべきか」とは全く違う(勿論、完全に乖離してしまうことはなかろうが)。


chamekanの文章は、その二つがごちゃごちゃに語られてしまっているように見えるのだ。これが問題の根源。


 ↑これもう一度、虚心坦懐に省みて欲しい>chamekan
 この二つ、ついごっちゃに扱ってしまっていないかい? 


 前者に関してなら、確かにchamekanと私の意見はさほど遠くない形で簡単に一致を見るだろう。だが後者を含めての話だと、結構難しいものがありそうな気がする。


 法の下の平等を覆すってのは、そんなに簡単な話じゃない。というか、簡単な話にしてはいけない。


 たとえばsiwaさんは、北関東の医師事情に鑑みれば、大学側の選択もやむなき範囲では、と書かれている。これは一つの見識だと思う。

 が、私はこれにも与しない。siwaさんの(そしておそらくは群馬大の)立場としては、「法の下の平等」と「一人の若者が医師への道のとば口に立つのが一年遅れる」ということを天秤にかけ、後者が重いとみなしているわけだ。


 対して私は、圧倒的に前者が重いと見る。これは程度問題なので線引きは難しいが、

  1. 「一人の若者が医師への道のとば口に、永久に立てなくなる」
  2. 「十人の若者が医師への道のとば口に立つのが一年遅れる」

 といったことなら、先の前者側を持ってもいい気がしている。

 しかし今回のケースでは、結果的に代わりに入った学生が医師への道のとば口に立つのが一年遅れたとして、それが重大な社会的損失となる(あるいはその受験生に対する重大な人権侵害が発生する)ほどのこととはどうしても思えない。

 この辺に「たかが群馬大レベルでおばちゃんに蹴落とされたレベルの受験生」という要素が関わってくるのだ。


 「建前」というものが実は決してそう簡単にないがしろにしてよいものではないのと同じように、「法の下の平等」というものも、そんなに簡単に手放すもんじゃない。


 それが「建前」と同じように、現実社会では極めてたやすく恣意的に曲げられるものだとしても、いやそれだからこそ尚更、簡単に手放すことを潔しとすべきではないのである。

(なんか民主党あたりから立候補しそうな勢いだな、我ながら(^^; )


 あと、ここまで厳しく言うのはちょっとやりすぎかなという気もするが、他ならぬchamekanほどの人だから、あえて言ってみることにする。

 最初のchamekanの文章には、アンフェアな記述がある。こういうのには敏感(過敏とも言うか?)にならざるを得ない性分なんでね。


 「いや、全部アンフェアですよ。私の主観ですから。そもそも完全にフェアな立場で文章なんか書けるんですか?」

 という、程度の低いはぐらかしは、きっとchamekanはしないと信じている。


 今夜はここまで。「アンフェアな記述」については後日書かせてもらいます。

肉食獣になった日

 先日、仕事先の歓送迎会があった。六月末というのも結構異動がある。

 今いる部署は一癖二癖ある人が多く(人のことは言えんが(^_^; )、会場は御徒町の小さなコリアン料理店。店の中はほとんど日本語が聞こえないようなところだ。そこで羊の串焼きをメインにいろいろと。客連中(私ら)と違って料理の方は癖がなくジューシーで、なかなか美味しい。

 で宴も半ば辺りで、管理職のテーブルの方からチンジャオロースーみたいな風情の皿が回ってきた。主に女性に向けて「冷え性にいいよ」とかなんとか言いながら。

 まあ会場が会場だったし、私もウブではないのですぐに察しはついた。だがこれも経験だし、こういう状況では乗せられる振りをするのが役どころだろうと。
 そういうわけでパクパクいただいてみた(こういう出さなくてもいい要らん漢気だけは持っているのだ(^_^; )。

 スパイスが強かったせいもあるだろうが、匂いはほとんど感じなかった。ただ繊維質の食感がやや独特。噛んでいるうちにゆっくりほぐれていく感じだった。たぶん一般的な食肉用動物でも、アキレス腱とかの部位だったら近い感じがするんじゃなかろうか。好きな人は癖になりそうな感じだ(ハラミっぽいかも、と言ってる人もいた。あれも横隔膜だから、分らなくもない)。
 全体的に、知らなければそんなに食う人を選ぶ料理ではなさそうだった。やはり何と言っても心理的な抵抗感が、ハードルの高さのうちの圧倒的な割合を占めるだろう。

 女性に軽く「食べない?」と振ってみたが、「・・・小さい頃飼っていたので、ちょっと・・・」とのこと。そりゃそうだな、ってキミちゃんと分かってたのね(^^;)。

 でビールは当然として、韓国焼酎もちょっといいやつが出てきたのでストレートでそれなりに(一般の人のレベルだと「パカパカ飲んでた」と言われる状態)。
 で、お開きになって店を出たのだが、そこで異変が起きた。


 雑居ビルの三階の店だったのだが、階段で降りたのかエレベーターで降りたのか記憶がない。そして店の前の路上にいたときのことだ。


 理由は分らない。まったく分らないのだが、何かの刺激に反応して、私は突然大声でシャウトした。往来の雑踏の中でである。何かひどいことをされたわけでもないのに。
 空に向かって、シャウトしたのだ。ほぼ全力の声で。


 「これこれ」とたしなめられると、ますます叫び出す。自分がシャウトしているのは分っていた。ただ、「何を」「なぜ」叫んでいるのかはさっぱり分っていなかった。三回、四回と、盛り場の路上で私は声を張り上げていた。


 ご存知の方はご存知だが、私の声は(滅多なことでは出さないが、もし本気で出せば)相当デカい。また自分で言うのもなんだが、声質もよく通る方だ(すぐ枯れるけどね)。それが声を限りに叫んでいるのだ。まだ九時頃だというのに。 しかも歌舞伎町でも新橋でもなく、御徒町でである(笑)。

 結局、職場でもガタイがよくて精神的にもしっかりしている人に(はいはい、ここ往来だからねー、駅まで送ってくから)という感じで肩を抱かれ、地下鉄の駅まで連れて行ってもらってそこから帰った。さすがに肩を抱かれてから後は叫ばなかったが。


 一体何だったのか、自分でもさっぱり分らない。


 そうか。胃袋で消化され始めていた、食べ慣れていない種類の肉が私を肉食獣に変えたのだ(爆)。きっとそうだ!


(まあ牛肉だって豚肉だって食えば肉食のはずだが、一般的な食材だとまだ「雑食」の範囲を出ないような気がする。)

 論理的に考えれば、「アルコール」+「複数(相当量)出てきていたスパイス類」の相乗効果によって、一種トリップした状態になっていたのだろう。私の身体は、薬物やスパイスには結構すなおに反応するし。


 思い返してみれば、あのときの状態は覚醒剤を使用したタガの外れ方に似ていた。って「何で知ってんねん」だけど、いや知りまへんでマジでマジで。

 あ、何その疑ってるような目つき。ちゃうて、「見聞の範囲から推察するに」やがな。


 あの異常な高揚感と失見当識具合、インプットされてくる五感への情報が脈絡なくリンクされて、それをそのままアウトプットするものだから、本人以外には統合が失調しているとしか見えない状態。
 単に「酒に酔った」だけでは、いくらなんでもああはならない。


 薬に手を出したら、間違いなく自分はあんな感じになるだろう、としみじみ思った次第。

 反省しましたので、当分酒はストレスのたまらない人としか一緒に飲みません(反省しとらんがな)。
 「酔ってダメになる奴は、元々ダメな奴」が身上の私としては、自分のダメさ加減を改めて実感した夜だった(^^;)。なんせ未だにロッド・スチュワートばりのハスキーボイスやし。

 しかし今朝は、二日酔いとか体調がとかいう以前に、「恥ずかしくて」仕事場にいくのが嫌だった(^^;)(行ったけどさ)。はぁ・・・スパイスには気をつけよっと・・・。

アイツが帰ってきた!

 最近、なんだかんだと文章書きタスクが溜まりがち。


 一つ一つは大したものではない場合が多いのだが、そうなると尚更のこと、出先での細切れの時間で片付けられないか・・・ということになってくる。


 とはいえノートPCとなると大げさでフットワークが重い。そもそも既に持ってるし(バッテリー死にかけだけど)。
 かといってPDAとなると、ココを読んでくださっている山葵マニアの方ならご承知の通り、入力のインターフェイスが重大なネックとなってくる。


 そんなこんなでフウ・・・とため息をついて遠くを見ると、ふと蘇るのである。追憶ってやつが。


(・・・アイツは良くできた奴だったなあ・・・)


 シンプルにして堅牢、自分の持ち場をわきまえつつ、その範囲内では最大限の融通を利かせてくれた奴。だからこそ最後には「使いつぶす」っていう状態にまで行き着いた訳だったが。


 とはいうものの。奴はもう鬼籍に入っちまったんだ。死んだ子の年を数えるのはやめよう。最近じゃもうオークションにすら滅多に出てこなくなっちまったみたいだし、出てきても私みたいな者の足元を見透かしたような価格を設定してきやがる。


 もう型落ちのclieとかpalmとかに折りたたみキーボードをつなぐしかないのか・・・とも思い始めていた。そうとなれば友人関係の中でPDAの大家である某氏に意見を求めようか・・・とも。


 てな感じでダラダラ過ごしていた先週の金曜日、なぜか急に「仕事帰りに秋葉原に寄って『視察』してこよう」と思ったのだった。


 雨のそぼ降る平日午後7時の秋葉原。そこで最初に入った店に、あったのだ。


(・・・え・・・?)


 今や貴重品のDOSモバ。程度もいい。それが5Kちょっととは!
 モバギ特有の弱点はこちらも周知している。ヒンジは? キーのヘタリは? 液晶画面の黒ずみムラは?
 すべて良好。


 即買いだった。ヤフオクなら10Kスタートで最安落札15Kとか平気で言ってそうな品。


 これはもう、コイツが私を秋葉原まで呼んだのだろう。あるいは使いつぶして、未だに捨てきれずに押し入れにしまっていた先代が後押ししたのかもしれない。

 そんなわけで、帰ってきたのである。
 「モバギのある生活」が!


 嬉すぃ。ボキャ天が復活したときくらい嬉すぃ。


 先代はもう末期だったため充分に力を発揮できなかった「DOS化」を本格的に追求してみるかな? などと思っているところである。


 濃紺だった先代のボディが青緑になっていて、またDOCOMOのロゴが入っていたりして、幼馴染の優等生に再会したら「髪が茶色になってピアスとか入れてるけど、本質は変わってなかった」というところか?


 さーて、どうしてやろうかねえ、ぐふふふ。