ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

古処誠二「敵前の森で」

うーんうーんうーん、この人はもっと評価されて欲しいと思うのだけれど、実際文章はいいし展開も面白いしPIATも出てくるし、なんだけど、全部終わってみたら「なんかいい話」に落とし込んじゃうのはなんでだろうな。昔はもっと「綺麗だけど悲しい」「気持ちのやり場に困る」ような話が多かったように思うんだけど、なんか最近は特定の読者層に受けるような話を書いてるんじゃないかって危惧が。

まあ喜ぶ読者がいてそれを読んでくれるなら、作家冥利に尽きるのかもしれません。

イギリス人のキャラは相変わらず慇懃無礼で良い(笑)

 

ファインモールド「 1/35 軍馬輸送隊セット 三九式輜重車 甲」キットレビュー

ファインモールド待望の新製品・完全新規金型の日本軍アイテム「三九式輜重車 甲」のキットレビューです。合わせて「野戦炊事セット 九七式沸水車」のキット内容も見て行こうと思います。(基本はツイッターに挙げたことの再編集です)

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中村融・編「黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選」

創元SF文庫の未読を読んでみるキャンペーン(まだやってたのか)、中村融による日本オリジナル・アンソロジー。刊行当時「言うてもビーグル号はずいぶん前に読んでるからなあ」でスルーした俺バカバカバカ。表題作こそ「宇宙船ヴィーグル号の冒険」の1エピソードであるものの、その他は全部未読でした。おまけにヴァン・ヴォ―クトの「黒い破壊者」も初出の短編版は改稿されたヴィーグル号版とは全然……だいぶ違う話だった!と思う。ほとんど忘れているぞヴィーグル号。今度ちゃんと読み直そう(´・ω・`)

そんでアレね、表題からてっきり「宇宙怪獣SF」みたいな内容を想像していたんだけれど「宇宙生命SF」なのであってモンスターパニック的な話は全然無くて、生命体の在り方や生活環境を提示する話、黎明期エコロジカルな話が主か。こういう中に混ざるとクァール(本書では「ケアル」表記)も、厳しい生存環境のなかで必死にサバイバルしている生物だと捉えられる。こっちの版だと自力で宇宙船作り出すところは「影が行く」(=遊星からの物体X)みたいでもある。そして思う、高千穂遥ダーティペアでやったようなオマージュを、いま新しくやることが出来るんだろうか?むしろやれてほしい。出典を明示し原著にリスペクトを表明し、魅力的なクリーチャーやガジェットを転用することに寛容なSF界であってほしいなあと思うわけです。クトゥルフ神話なんか基本それで回してるんだしね。

その他の収録策では、肉体を持たないエネルギー生命体である馭者座生命「ルシファー」と人間女性(いわゆる、醜女のタイプ)との精神的なつながりによるブラックホール探査、その悲劇的な結末を描いたポール・アンダースン「キリエ」がよかった。ジャック・ヴァンスの「海への贈り物」はアザラシ的な生物が出てくるけど、これ捕鯨とかペンギンから油を採取するとかそういう背景からの発想だろうなあ。ちょっとラストの絵面に笑ってしまったのと、本編の肝心なところが「俺は見てきたんだ」的な語りで済ませてしまうのがイマイチ。ロバート・F・ヤング「妖精の棲む樹」は珍しく(もないか)ロリ趣味ではない作品だけど、ヤングの非ロリ作品ってだいたい「別れ」だよなーとか思ったりしました。

ロダーリ「羊飼いの指輪」

「ファンタジーの練習帳」というサブタイトルに惹かれて読んでみる。童話というか寓話めいた短めの短編(重複表現)が20本、すべて結末が3通り提示されるマルチエンドの作品集。そういう構成の短編小説もあるけれど、1冊全部がそれというのも珍しい。だいたいハッピー・バッド・トゥルーみたいに3つあるんだけれど全部が全部そうでもなく。また最後には「著者の結末」としてそれぞれの3つのうちどれが一番いいと(自身が)思っているかが明示される。

巻末解説によるともともとはラジオ番組だったそうで、途中まで朗読を行いそこから先にどんな結末を繋げるのかを、スタジオで子どもたちとディスカッションして作り上げたものなのだそうな。原題は「遊ぶためのたくさんの物語」、邦訳も1981年の筑摩書房版では「物語遊び――開かれた物語」で、お話を考えることを「遊び」として捉えた練習帳なのですね、これは。なので読んだ人間が新たに自分自身の結末を考えてもいいのでしょう。お話を考える原点ってたぶんそういうものだ。それを「ごんぎつね」でやらすなニッポン(´・ω・`)

解説には同著者による「ファンタジーの文法」からの引用があってこれも興味深いもの、読んでみようかなとも思うけれどこれ小説書くというより児童教育に関する本らしい。ただ「ファンタジー」には当然そういう役割もあるのだし、「日本のファンタジーは似非ヨーロッパばかりだ」なんて言う人は正直視野が狭すぎる。

 

 

ジョン・スコルジー「怪獣保護協会」

やー、面白かったですよ。最近は手癖で書いてるんじゃないかって危惧もあったスコルジーですが、やはり上手い人だなあ。ユーモアとウイットに富んだ会話で回していくところ、山あり谷ありのストーリー・アーク、それになにより爽快感あふれるところがあって、これ一冊で綺麗に完結してるところもありの、初スコルジーに良いかも知れません。主な舞台となる基地の名前が1954年版「ゴジラ」の登場人物から採られていたり飛行船の名前がショウビジン号だったりと、そこかしこにオタク要素がゴロゴロしてるところも含めて……だな。

まあね、人間コロナ真っ盛りの2020年に納期も締切もスケジュールも決まっている暗くて重くて複雑で陰気な野心に飛んでいた長編小説を3千語以上書いたところでデータファイル消失しちまったら、そりゃあ怪力乱神を語るしかないよ(´・ω・`) ネ!

実際、ストーリーもイマドキだなあと思います。主人公のジェレミーはケータリング・デリバリーサービス会社の(かなり上層部の)地位を突然追われて、そこのデリバリー配達員として、当然非正規雇用者の底辺的な立場に貶められます。たまたま配達先で出会った旧友が、たまたまスタッフに欠員を出していたことで、謎の組織KPS(KAIJYU PRESERVATION SOCIETY)に勧誘され……という流れ。ジェレミーをクビにしたCEOは後々悪役となって再登場するんですが、これがまたドナルド・トランプイーロン・マスクを足して親のコネと若さ馬鹿さを加減なくマシマシマシマシにしたようなクソ野郎だというのもイマドキだ。ただ、大金持ち対底辺のような構図でも、ジェレミー自身はホワイトカラーから落ちてきた存在なのであって、ガチの経済格差テーマではありませんね。あくまでエンタメ的な物。さて怪獣保護協会とはこことは違う並行世界の地球で、そこに生息する巨大な怪獣を保護観察する組織であって、長い歴史を持ち国際社会の政治経済の権力中枢から支援を受けて存在している……という設定はレジェンダリーゴジラみたいだ。そのチームに属する同期生4名を中心にお話を回していくのはちょっと「老人と宇宙」シリーズを思い出したりもします。ユーモアとウイットに富んだ会話というのは先にも書いたけど、日本人がフリでやってるわけではない、本物のアメリカ人作家が書いた本物のアメリカンジョークが、微妙に面白くないところも含めてやっぱりいまの作品ですねえ。

主要メンバーに一人いつまで読んでも男か女かわからない「ニーアム」というキャラがいて、実はもとから性別を明らかにしていない(原文では代名詞に ”they” を当ててる)そうな。ちなみに主人公ジェレミー自身も性別は明記されないので、そこは読者の感性で読んでしまって良いんだろうなあ。恋愛要素は一切ない、けれど友情は人を動かす。そんなお話だから、人の在り様は性差を超えたところにあるんでしょうね。あと、主人公一味とはちょっと離れたところにいるヘリコプターパイロットのサティが出鱈目に格好いいオヤジなので、脇にそういう人物を配することも大事だなあと。

そしてこの話に出てくる怪獣は死ぬと大爆発することにいちおうの理屈があって、そのことがストーリーの根幹に関わってくるのがよかった。だいじょうぶです、核爆発もちょっとしか起こりませんから(え

まあねえ、怪獣はいいよねえ。

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」⑰

修学旅行編、つづき。既に人間関係の構築が完全に出来上がっているので、浮かれ騒ぐ小学生をひたすら見せられる話になります。それでいいんじゃないかなあ、この作品はさ。最近の小学生ってこんなにマセているものなのか。という疑念もなくはないけれど、そういうところを考える話でもなく。

 

ジーン・ウルフ「書架の探偵、貸出中」

前作を読んだときには心底長生きしてほしいと思ったジーン・ウルフですが。ご存知の通りシリーズ第2弾のこちらが遺作絶筆となりました。残念なことです。前作の感想はこちらに。

abogard.hatenadiary.jp

作家の複製体(リクローン)が図書館の書架に収められている世界で、なぜか借り出される先で事件解決を依頼されるミステリー作家(の複製体)E・A・スミスの推理行。今回は人探しなんだけど、探してる人間はすぐに見つかるわ、その人物の秘密もすぐに明かされるわでまだまだ執筆途上の状態だったんだなあと思わされます。謎めいた伏線が謎でもなんでもなく回収されたり、意味ありげに登場してくるキャラがあんまり意味なくふるまったり。また推敲も完全ではなく前後で矛盾する記述が散見され、それらには訳注がフォローを入れていく感じ。例によって唐突に異次元世界?に続く扉が出てきたりと割と一筋縄ではいかなそうな話が、やはり途中でばっさり終わってしまいます。完成していない分、最後まで書き続けていたんだなあと思わされる。この辺り、「巨匠久々の新作」が、こじんまりと纏まっていて面白くもなんともなく、死期が近いんで没原稿で小商いしようと出された本みたいなおとはまあ、違いますわな。本文末のあたりでは死んだはずの人物が唐突に再登場して「いや死んだのは弟の方で」などと言いつつ数ページ後にはその死んだ当人が普通に出てくるなど、完成原稿ではあり得ないような混乱も生じているのですが、孫パタリもまあ、味でしょう。しかしそういう内容を「超絶技巧文学のジグソーパズル」などと巻末解説で称えるのはうーむ、それはどうなんだろうなあ。

 

しかし複製体のアールさんが同じく貸し出された複製体の女性作家オードリーと、アッという間に肉体関係を結びおせっせに生じ続けるのは、お盛んでございますな(///)