今年のフジロックのこと その一 Lettuceのこと


フジロックではいろんなバンドがいろんな場所でブチ上げてくれるけど、今年のLettuceはここ数年で言ってもどこの誰よりもブチ上げてくれたと言ってしまっていいと思う。以前Lettuceがフジに出たのは、3年くらい前だと思ってたけど実は2008年だからもう5年前のことになる。もうそんなに時間が過ぎてしまったのか。。その5年前にヘヴンのトリを飾ったときよりも今回のライブの方が素晴らしかったのは間違いない。特にAdam Deitchのドラムがキレまくっていた。今までこの人のドラムは「うまいのはわかるんだけど、あまりピンとこないんだよなー」と思ってたんだけど、私が完全に間違っていました。Adam Deitchヤバ過ぎ!


さて、今年のフジロックのLettuceのライブでは、二つの"想定外"があった。ひとつは、Nigel Hallがライブに参加したことだ。彼はLettuceの正式メンバーではなく、ゲストミュージシャンという立ち位置である。故にフジロックオフィシャルサイトのアーティストデータでは、Lettuceのメンバーとして彼の名前はクレジットされていない。しかし、アメリカではLettuceがライブをするときはほぼ必ずNigel Hallも参加しているので、彼はLettuceの一員であると言って何も問題はないだろう。今回、Nigel は日本に来るのが初めてだと言っていた。今までLettuceのレパートリーにおいて、無茶苦茶イイ歌もののアレやコレが、今までボーカリストがいなかったため日本のライブではできなかったのだが、今回ついに日本のライブにおいてLettuceが歌ものを演奏することができたのだ。「今回初めて日本に来たんだけど、いろんな人に『あの曲はやるのか?』と散々聞かれて、今日はその曲を、日本のオーディエンスのためにスペシャルバージョンで演奏します(俺の意訳)」というMCから始まったWe're the WinnerからのMove on Up(どちらもカーティスメーフィールドの曲)。俺はこの5年間、ずっとずっとこれが聴きたかったんだよ!!!まさに夢かなったりである。


そしてもうひとつの想定外。「なんで誰もこれに触れないの?」って思うんだけど、フジロックオフィシャルのアーティストデータでは、Lettuceは「ソウライヴのギタリスト、エリック・クラズノを中心に〜〜」という書き出しで紹介されている。その中心人物であるEric Krasnoが最初から最後までライブに姿を表さなかったのだ。いや、Krazが不在であったとしても、Lettuceのライブはあまりに素晴らしかったんだけど、でもなんで、なんで??これはあくまでも推測なのだが、メンバーにクレジットされていないNigelが来日して、正式メンバーであるKrazは来なかった。メンバーの合計はプラスマイナス相殺されることになる。Nigel Hallをちゃんと呼んできたSmashを褒めるよりも、Krazを置いてまでNigelを日本に連れてきたLettuceのその心意気に拍手をするべきだろうか。


今回ついにNigel Hallという存在が日本においても「ヤバいやつ」として認知されてしまった訳である。今後Lettuceが来日するときには、ぜひとも、Krazを含めたメンバー全員に、プラスNigel Hallでライブをやってほしい。そしたら俺は絶対に行く。願わくば、SouliveのときにもNigelを一緒に連れてきてほしい。もちろん、SouliveでKraz抜きっていうのはあり得ないけど。


さてと、もっと色々思ったことがあるんだが、次が書けるかな。

「今年朝霧に行くの、私と○○ちゃんだけだからさ、一緒にいかない?」


と誘われるまでは、あまり朝霧に行くつもりはなかった。最後に行ったのが2004年だから、もう8年もいってない。それだけ行ってなければ、自分から好き好んで「行こう」とはなかなか思わない。せっかくさそってもらって、あとちょっとした用もその友人にはあったので、行ってもいいかなと思って、なんとなく以前の朝霧の写真を見返してみた。そしたらそこに写っていたものは、2012年の今では完全に忘れ去っていた光景であった。


フジロックには毎年行っているけれど、所謂「Fujirockers」を自称する気にはさっぱりなれない。その(逆説的な)理由がそこに写っていた。10代の自分を含めて、そこにいるみんなが生き生きとして写真に写っている。みんな飛び跳ねまくってる。なんだ、この写真は!?ここ数年、この人たちには毎年会っているけれどこんな飛び跳ねてるところは全然見てないぞ。その写真に写っていたのは僕が大好きだった野外フェスの光景だった。もう何年も見ていない。


「自由には責任が付いて回る」確かにその通り、でも、あの頃のあの空気、なんていうかね、あれは今では許されない「無責任な自由」だったと思うんだよな。「無責任」だと表現が悪いかもしれない。でも、とにかく「てきとう」だった。だけど、朝霧で言ったらそういうことが許されたのは第2回目(2002年)の時まで。2003年から、突然来場者が増えて、自分が求めている自由がなくなってしまった。自由な空間を期待してそこに行ってるのに、なんかガッカリだったんだよな。今でもフジロックに行っているのは、不自由なのがわかったうえで、じゃあどうすればいいかが少しずつわかってきたから。あのときのあの空気を求めてはいけないと、自分には言い聞かせている。


だから朝霧に行っても、そんなに期待はしてなかったんだけど、結論、面白かった。あの頃とはもちろん違うけど、朝霧にはフジロックと違うものがやっぱりある。ひとつは、ステージとテントがとても近いから気軽に外に出てライブを見れる手軽さ。もうひとつは、やっぱり好きな人たちが集まっているんだなっていうこと。フェスを作るのはやっぱり人なんだと、つくづく思った。フジロックTシャツとかを着てる人が少ない(というか全く見なかった)あの感じがいい。(フェスファッションがつまらない。という話はまた別の、ちょっと長い話になるので割愛)着るものって結構大事だよね。


来年以降、フジと朝霧だったら、どっちか選ぶとしたら朝霧だな。でも、自分の好きなIt's a beautiful dayがそこにあるかどうかは、やっぱり出演者にかかっているとこが大きいだろう。出演者目当ての客が割と少ない、地味めのラインナップだったから、自然と客が選別されていい客がほどほどに集まってたんだろう。人気バンドをまた呼んでしまったら、それはまた別のフェスになってしまいかねない。だから、今の時点では来年また朝霧に行くかどうかはやっぱり未定。



続けるつもりはなかったけど、もうひとつフジロックネタ。


今年のフジロックで、Buddy Guyが2年越しの登場でバリバリに弾きまくっているその裏で、単なるサイドメンバーとしてBernie Worrellがさりげなく演奏していた事実を知っている人は非常に少ないのではないだろうか。そもそも、メンバーにクレジットされていない上でのフジロックへの登場なのだ。


Stive KimockのサイドメンバーとしてのBernie Worrell。Kimockと言えば、Grateful Dead系のギタリストであり、方やBernieはP-Funkのレジェンド。この組み合わせ、最初僕はとても不思議に感じた。あまり接点がなさそうな二人が、どうして一緒にやっているんだろうと。それで実際にKimockのライブをみてみると、Bernie Worrellのインプロヴァイザーとしての資質、才能が溢れんばかりに放出されていたことにガツンとやられてしまった。あ、なるほど、そういうことね。お互い演奏家として、強いシンクロニシティを感じ取ったうえでの、このバンドであるのね。


さて、そんなフジロックはもう数週間も前の話。昨日、それとは全く別にたまたまFunkadelicのCDを買ったのだが、そこで気付いたことがもうひとつ。曲によってそれぞれ演奏の印象が異なるものの、一部の曲ではFunkadelicがガンガンのJam Bandになっているのだ。そしてライナーノーツを読んでいても、「俺たちは、JimiやCreamみたいなことをやりたかった」というメンバーの発言も記述されている。ここにきてさらに「あー、なるほどねー」感が強くなった。


意外そうにみえても、歴史は意外なところでひとつに繋がっているものなのね。


P-Funkの印象も人によってそれぞれだろう。はじめ僕はチープなシンセ音が飛び交っているのがP-Funkの特徴だと思い込んでいたんだけど(Atomic Dogみたいなやつね)、だけど、ギターがギュインギュイン唸りまくっているFunkadelicの音を聴いてから、P-Funkの印象がガラっと変わった。ものすごくヘヴィーなグルーヴでありながら、しかし同時にファンキー、かつサイケデリック。それが今の僕にとってのP-Funk像である。


今年もフジロックに行って来て、思ったことは色々あるけれど、ここに書くのはひとつのことだけ。今年は渋さ知らズのこと。


そもそもまず今年は、暑過ぎる。人が多過ぎる。という、この二つが大きかったのだが、とはいえ、記憶を遠くまでさかのぼれば晴天の苗場は初体験ではないし、人が多過ぎると、どういうことが起こるかも経験したことがあるので、個人的にはそれでそんなに困ったことはなかったかな。まぁ、確かにどっちも凄かったんだけど。天気のことはさておき、入場者数についてはやはりRadioheadをブッキングしたことがただひとつの理由であろう。このブッキングが呼び出したのは、「ロックフェス行ったこと無いけど、Radioheadが来るなら行ってみようかな」という人よりも(そういう人もいるだろうけど)、それよりなにより「ここ最近フジロック行ってなかったけど、Radiohead来るんだったら久しぶりに行ってみようかな」という人なんじゃないかな。


特に人が多かった3日目の日曜日。Field of Heavenがもしも人で溢れかえってしまうと、さすがに僕もグッタリして嫌になってしまうんだけど、さすがRadiohead効果だけあって、案の定夕方過ぎになると奥まったステージはボチボチの人の量になった。だけど、極端にいつもより少ないということではなく、だいたいこの辺はいつもこんな感じだよな。という印象。Field of HeavenでDirty Dozen Brass Bandのライブが始まる。いい具合に日が落ちて暗くなり、気がつくと野外会場の中心にあるミラーボールがまわり出す。あぁ、やっぱりこういうことなんだよな。いつもと違うことなんて、何一つ無いんだよな。


そして、更に奥にあるステージ(Orange Court)の、この日のヘッドライナーが渋さ知らズ。ステージに向いながら横に歩いてる人が「うわ、すげー人多い」と言っていたが、それはオーディエンスが多いということではなく、ステージ上の人が多過ぎる。ということである。ここもやっぱりオーディエンスの量は例年と同じくらい。今年最大の注目であるRadioheadに対してさっぱり関心を示さず、そして奥の方のステージにいるこの人達はきっと、誰が出演するかなんて全然関係なく毎年フジロックに来て、そしていつもこの辺の奥まったステージで自分の時間を過ごしている人達である。来年もきっとここに夜来れば、同じ人がきっといるんだろう。


しかしながら、である。この日の渋さ知らズは、なんかちょっと違った。去年の11月頃に一度ライブを見ているのだが、そのときは「あぁ、いつもの渋さ知らズだなぁ」と思ってたんだけど、この日はそれとは少しだけ印象が違った。メンバー全員がステージ上で寿司詰めになってPA、モニターのセッティングをして、そのままなだれ込むように本番が始まるのはいつもと同じ。しかし、一曲目がYen Town Band(swallowtail butterfly)のカバーである。確かにいい曲である。そして、渋さが演奏すればそれは渋さの音楽としてしっかりと消化される。ちなみにその次はライディーン。この選曲に「あれ?」と肩透かしを食らいつつも、それが渋さ知らズであることはやはり変わらない。いつも同様にガンガンの大盛り上がりだ。


Sandiiさんがゲストボーカルで登場したり、その他カバー曲をとりあげつつ、そしていつもおなじみの曲も演奏しつつ、ライブ本編終了。この時点で「あぁ、今年もよかったなぁ」という気分になってしまっている。Radioheadを見なかったことは微塵も後悔していないし、ここに来て本当によかったと思ってしまっている。もう大満足なのだ。ライブ本編終了後、アンコール待ちをしていると少し長めの時間を置いて、諦めかけた頃に再度オーケストラが登場。「いつも長くやり過ぎてアンコールはしないのだけど、今日は、演奏がしたい」と不破氏のMCが入ってから演奏されたのは、さっきも聴いたswallowtail butterflyのイントロだった。「アンコールいつもしないから、もう曲がないということなの?」という苦笑いがオーディエンス皆の顔に滲みでたのだが、気がつくとステージ中央には、小柄な女性が顔を布でかくしてコソコソと立っていた。


え、、、、えーーーー!!!


フジの会場からradioheadネタを呟いたのは推定約1万人以上いるだろうけど、「swallowtail butterfly」を呟いたのはたぶんその1/100くらいの人ではないだろうか。


フジロックベイベー!!

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渋さのほかにもうひとつだけ。


僕は3日目は必ず朝まで踊り過ごすことにしている。朝方のRed Marqueeで疲れ知らずで踊り狂っている人や、Palace of Wonderで底なしで飲んでいる人や、眠いしもう疲れて足も動かないんだけど、それでも音楽に合わせて体を揺すっている人、もうこの時間が終わろうとしていることを感じながらも、とにかくみんな最高の笑顔。みんなニタニタしている。この光景もやっぱりいつもと全然変わらない。そして頭に浮かぶ台詞だって例年とまるで何も変わらない。


みんな、また来年もここで会おうね。

HipHopにもちょいちょい飽きが来てしまい、最近はJazzGuitarをちょいちょい聴いていて、でもこの辺りはJazzが好きな人でもちゃんと聴くのは少数派である。「そもそもJazzにGuitarっていらないよね」みたいに思われな楽器でもあるし。


Pat Martinoの「We'll Be Together Again」。Pat MartinoがGuitarで、Gil Goldsteinという人がElectric Pianoで、この二人だけの完全デュオアルバムである。1976年のアルバムで、補足として、Martinoは1980年に脳腫瘍の手術を受け、記憶を失ってしまうのだが、これはまだその出来事が起こる前の録音。このアルバムは、一度出会ってしまったが最後。今ではとても大切な一枚になっている。


プレイヤーは二人ともJazzの人間だし、扱っている曲もJazzのスタンダードなんだけど、このアルバムからはあまりBluesをルーツとするJazz的なイデオロギーを(少なくとも僕は)感じることが少ない。そして、デュオの時って、プレイヤーが少ない分、一人ひとりの演奏における負担が増えて、それに伴って音数も多くなることが多いのだけれど、この二人は全くその逆。例えばエレピのバッキング。サステインを思いっきり延ばして、音数はとても少ない。二人とも、和声的にも、旋律的にも、Jazzをイメージさせる響きや歌い回しをほとんど引用せず、極端なまでに、シンプルに曲を、旋律を聴かせる。


あまり有名なアルバムではないけれど、いつでも聴けるし、いつまでも聴き続けられる、とても、とても、特別なアルバムです。


We'll Be Together Again

We'll Be Together Again

久しぶりに土日共に何もやることがなかったので、たまにはDVDでも見ようかなと、色々と物色して借りてきたのが『その街のこども』。TVドラマは一度見ているが、劇場版を見るのはこれがはじめて。


阪神大震災をテーマにした物語で、TVドラマの放送が確か2010年の1月。劇場版の公開がその一年後の2011年の頭。東日本大震災前のこと。TV版と劇場版ではそれほど構成に大きな変更はない。実際に阪神大震災を体験した主役の男女二人が、震災を振り返りながら夜の神戸の街を歩く物語。何も考えずにボケーッと見ていたのだが、ところどころに出てくる台詞が、不意打ちのように心に入り込んでくる。どういうことかって、要は東日本大震災前に見たときと、今見るのとで、台詞の意味合いが違って聴こえるのだ。割とポジティブな側の佐藤江梨子と、ネガティブな側の森山未来の、そのどちら共が。その二人だけではない。序盤にでてくる子供達の絵であったり、風車に書き記された震災体験であったり、それら諸々や印象的な映像シーンとか、みんなそう。


1995年に起きた90年代を代表する二つの大きな出来事、阪神大震災オウム事件。2010年代に入り、阪神大震災はより大きな東日本大震災に飲み込まれ(15年以上前の震災を振り返っている場合ではなくなってしまった)、オウム事件はまさかの急展開により容疑者が全員逮捕。これにより90年代はようやく完全に終わったかのような空気が流れ始めている。でもさ、こうやって今、阪神大震災の映画を見ることによって、また気付かされることっていうこともあるんだよ。あの時サトエリが言ってたこと、森山未来が言ってたこと、この映画ともう一度ちゃんと向き合ってみることで、今後僕らがどうやって現実と向き合っていけばいいのか、考え直すきっかけになるんじゃないかな。



その街のこども 劇場版 [DVD]

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