DOOM ドゥーム

悪くない出来。設定語りはおざなりにどんどん突っ込む展開がゲーム原作映画っぽくていい感じ。モンスターとの直接対決までをとことん引っ張ってなかなかの緊張感が演出できてるし。このへん暗闇の使い方が巧いと思った。ただ、少し引っ張りすぎちゃって、出たー!となってから終盤まであまり間がなかったのはちょっと肩透かし。あ、噂の「ゲーム画面をそのまま再現」なシーンは正味10分もなく、挿入の仕方にも結構工夫があってそれほどテンション下がらなかったです。人間同士の戦いとなる終盤は、何故か途中から銃を捨てて肉弾戦になるあたり首を傾げたくなったけど、まあロック様だから仕方ないのか。
主演のカール・アーバンは男臭い面構えがよく映える好演。『リディック』のときよりもこういう頭悪そうな役のほうがずっと合ってる。対するロック様も貫禄は十分なんだが、鬼気迫る悪役演技というには微妙に足りないか。脇では、下半身消失男役のデクスター・フレッチャーが相変わらずチャーミングでとてもよろしい。そしてヒドいのがヒロイン(でも姉)のロザムンド・パイク。この人ホラー系に向いてないよ。悲鳴も顔の歪め方もすごく下手。ちょっと腹が立った。

ナイト・ウォッチ

楽しい楽しい楽しい。あんまり楽しくてエンドクレジットでは座席で軽く踊ってしまったくらい。ウザいくらいに視覚効果てんこ盛りな映像がカッコつけにも小賢しいテクニックにも見えなくて、ほとばしる興奮をそのまんま体現してるように見えるところがいい。一番好きなのは主人公アントンが光組のリーダーの元へ連れ込まれる一連のシークエンス。未来予知を目から目へ伝える方法がわけわからなくて良かった。挿入されるアニメも。
ただ、ストーリーテリングの面ではもうダメダメ。アントンが抱える昔の女絡みの心の傷とナイト・ウォッチという生業への屈託がオチへ繋がるのだけど、全然流れとして見せられてない。あと、脇役の扱いがひどい。「虎に変身できる」という設定のキャラが一度も変身しなかったりする始末。それでも一応オチが決まったのはやはり映像のおかげか。いやはや素敵なことで。
主演のコンスタンチン・ハベンスキーは本国では人気俳優らしいんだが、そうとは信じられないショボくれたルックスが役にぴったり。強大な力を秘めた少年役ディマ・マルティノフ君の不穏な表情も良い。闇組のリーダー役ヴィクトル・ヴェルズビツキーは笑えるくらいカッコよくて、実際笑ってしまった。あと、フクロウ娘はフクロウのままのほうが可愛かったよな、と。

平山瑞穂『忘れないと誓ったぼくがいた』

みんな言ってるけど、これは平山瑞穂版『世界の中心で、愛をさけぶ』ですね。終盤の展開なんか映画版セカチューに酷似していて、わざと似せたんだろうけどその意図がわからない、というのはどうでもいいとしても面白くない。
主役二人が捻りのない平坦なキャラで魅力に欠け、あまり二人の仲の進展に興味が持てないのでもうどうしようもない感じ。特にヒロインが死ぬほどどうでもよくて、この設定ならもう少し儚げな魅力とかがないとダメなんじゃないだろうか。普通に長生きしそうだもの、この女。主人公の元彼女がちょこちょこ出て来て不穏な空気を醸し出すあたりは面白かったので、そのへんの人間模様がもっと面白いオチを引き起こしてくれるとよかったんだけどなあ。

レジナルド・ヒル『ダルジール警視と四つの謎』

一見地味な雰囲気ながら、あちこちへ飛躍する自由な発想が楽しい本格ミステリ中篇集。シリーズ探偵であるダルジールとその部下パスコーが登場する中篇×4を収録する中、まずは二人の“出会い篇”である「最後の徴収兵」がすごい。
逆恨みに凝り固まったムショ上がりの暴漢に軍隊プレイ仕立ての虐待に遭うダルジールとそれに巻き込まれるパスコー、ってどんなシチュエーションだよ。ミステリとしての肝はこの地獄を抜け出すためのダルジールのトンチにあって、これは大したことないんだが、事件を通して二人が互いの“見所”に気付いていく過程の描かれ方が丁寧で素晴らしい。シリーズファンにはたまらないんじゃないでしょうか。
もう一つ素晴らしいのが「小さな一歩」。“サザエさん現象”問題と後期クイーン問題を同時に扱ったミステリなんて史上類を見ないだろう。後期クイーン問題の扱い方についても、二人の探偵役の関係の変化の問題と融合されていて、シリーズ的にちゃんと意義がある。タイトルに関連した終盤の一シーンはすごく素敵だった。
他2篇についても、本格ミステリのお約束へツッコミ入れる姿勢は一貫していて、ヒルってこういう作家なのかと納得できた。完全にファンになったので、他作品も読む予定。

怪談之怪(京極夏彦、木原浩勝、中山市朗、東雅夫)『怪談の学校』

ダ・ヴィンチ」誌上に連載された「投稿怪談小説の合評及び添削及びその他」な企画を一冊にまとめ、ついでに著者4人による座談会を冒頭にくっつけたもの。投稿作品40作もそれなりに粒揃いで面白いのだけど、やはりそれら投稿作のどこにケチをつけるか、どうリライトするか、によってメンバーそれぞれの怪談に対するスタンスが見えてくるところが面白い。
例えば、京極は物言いが4人の中で一番批評家っぽく、投稿作に当たっても分析好き。木原はとにかく職人的にビシバシ添削。中山は落語好きで、怪談についても“語り”の技術を重視(いまいちキャラが弱い)。そして東は真面目で素直な意見が多く、関連文献の紹介が得意。個人的には京極の指南に納得するところが多く、一番参考になった。木原のリライトには不満も多々あるけれど、実作者にはなかなか興味深いんじゃないだろうか。

竹宮ゆゆこ『わたしたちの田村くん』

主人公田村くんが一人目のヒロインと恋に落ちてそれから一時的に別れ、その間に二人目のヒロインと恋に落ちる、という二部構成のラブコメ。両ヒロインそれぞれの個性が上手く立ち切らず、結局似たようなトラウマ持ちという点に頼って物語を引っ張ってるあたりがつまらない。続巻の展開は知らないけれど、結局主人公は「より可哀想で、より助けが必要」なほうの女を選ぶんじゃないの、と思わされてしまうようなつまらなさでした。
ただ、『わたしたちの田村くん』というタイトルの付け方はとても好き。同じ一人の男の子を通じてヒロイン二人が繋がっているようで(中身はそんな趣向じゃなかったわけだが)。あと、主人公の妙にオヤジ臭い口調とか、松澤編のラストシーンも悪くないかな。

サウンド・オブ・サンダー

ちょ、ひどすぎる。本来必要な制作費の半分くらいで頑張っちゃったとしか思えない雑な画面に口あんぐり。室内のシーンはまだしも、一歩屋外に出るとCG安すぎブルーバックばればれで悲惨な有り様。後半はそのへん誤魔化すためにずっと夜の場面だし。歴史改変の影響で出て来る変な生き物達のデザインもなあ。マンドリルと小型肉食恐竜のハイブリッドみたいなアレはもうちょっとカッコよくならなかったのか。それと、あのしょぼいタイムマシンは許せない。あれなら『タイムライン』のタイムマシンのほうが数倍マシだぜ。
というわけでお話以前にツッコむポイントがありすぎるものの、脚本にも一つツッコんでおくと、死人が出る際に愁嘆場が発生するときとしないときの落差が激しすぎ。こいつらは何故途中から仲間が欠けるのを気にしなくなったんだ、と思ってしまった。
キャストは全員可哀想な限り。一番哀れなのはベン・キングスレーで、映画全体の安っぽさと競い合うかのような安っぽい演技が痛々しくてならなかった。こんなZ級映画に違和感なく溶け込んでしまうキャサリン・マコーマックもヤバい。一番まともに見えたのは主演のエドワード・バーンズなんだが、もしかしたらこの人は単にやる気がなかったのか。