組織と団結について

組織について

 現代は情報化時代であり、スピード時代である。“情報戦”が社会の一実相である。この傾向は、ますます強くなっていくに違いない。正確な情報を迅速に手に入れ、入念に検討し、的確な手をすばやく打っていく。その積み重ねに、勝利が生まれる。学会が、ここまで発展したのも、そうした緻密な“連絡・報告”とスピーディーな“決断・実行”があったからである。この原理は、企業をはじめ、あらゆる組織に通ずる。逆にもっと恐ろしいのは、不正確・不明瞭な情報である。また、あいまいな処理である。

輝きの明日へ —昭62・10・20

 学会は“人間共和”の世界である。信心を根本に、皆、御本尊の前に平等である。またこれからの時代は、一人のリーダーの力というよりも、ますます皆の力で、皆の意見を大切にしながら、“合議”と“共和”で進んでいく傾向性が強まっていくに違いない。

同上 —昭62・11・2

団結について

 「団結」の心なくして、人間としての成長も飛躍もない。麗しき同志との“絆”なくして、個人の幸せもない。一人一人が立派な信心即生活の姿を示しながら、社会での大成の道を歩めるか否かも、「団結」が大切なカギとなっているのである。

同上 —昭62・10・20

 信頼の心と心で結ばれた、異体同心の団結。ここに、戸田先生の心があり、学会精神の神髄があった。幹部であっても、いつのまにか信心を忘れ、妙法の正道をはずれていった退転の徒(やから)は、この先生の深い心がわからなかった。ゆえに、信仰の年数を増すとともに、徐々に“慢”の心が高じて、信心が手前かってとなり、麗しい団結の心をなくしていったのである。

同上 —昭63・3・12

よくよく胸に刻み込んでおきたい。

民衆こそ王者 池田大作とその時代 1 [人間革命の奔流]篇 第1章より(2)

〜あらすじ〜
池田会長一行は1974年(昭和49年)5月30日に初訪中。
当時、日本から中国への直行便はない。イギリス領の香港から急行鉄路に乗り、第一歩を踏み出した。
日中国交正常化から1年8ヶ月であった。

人間は、わかり合える


 「こんにちは!」
 流暢な日本語が響いた。
 池田たちを最初に出迎えた中国人は三人。葉啓ヨウ(さんずいに庸)と殷蓮玉。ともに中日友好協会の一員である。そして広州市の関係者が一人。
 深圳駅の控室。広州行きの列車を待つ。
 殷蓮玉は、ある日本語の一節を暗誦してみせた。北京外国語学院を卒業したばかり。大勢の日本人を前に少し緊張していた。
 しかし、よどみなく口にした。


  「一人の偉大なる人間革命は、やげて一国の宿命の転換をも成し遂げ、
   さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」


 小説『人間革命』の主題である。
 驚いたのは学会側だ。
 「すごい! 書いた私でも、覚えていないんですよ」
 池田のユーモアに笑いが弾ける。同行メンバーの、「中国は怖い」という思い込みが吹き飛んだ。葉啓ヨウもまた、『人間革命』を熟読していた。広州へ向かう車中、対話が弾んだ。
 のちに殷は述懐している。
 「池田先生にお会いしたとたん、大変な親しみを感じたのです……言葉を教えていただきながら、いろいろなお話をしました。
 その時、先生が言われた“自分のありのままの姿で、人民に人生を捧げていくのです”との言葉を自身の支えとして中日友好一筋にやってきました」
 人間は、わかり合える。国境、言葉、イデオロギー。人類を分断する多くの壁を越えて、池田はただ「人間」を見つめていた。


—中略—


 初訪中の7日目。
 池田は「万里の長城」を歩いていた。正午前。緑がまぶしい。急な坂も多い。白いポロシャツが汗ばんでくる。中日友好協会の金蘇城理事が、一行を丁寧に案内した。
 はるか彼方まで、うねる石の砦。池田は、金に語り始めた。
 「私の師匠である戸田城聖先生は、生前、よく私に、『いつか二人で中国に行き、万里の長城に立ってみたいな』と言われました。
 今日は、先生と一緒に、ここに立っている心境です」
 「今から5年前。私は小説『人間革命』の中で、『日中平和友好条約』の締結を訴えました。あの当時、日本国内の状況は、どのようなものだったか―」
 金理事は深くうなずき、耳を傾けていた。

民衆こそ王者 池田大作とその時代 1 [人間革命の奔流]篇 第1章より(1)

歴史の真実を求める旅へ

 詩人は謳った。
 「民衆は海である」
 「常に民衆とともに歩め」
      ◇
 ここに、一人の人物がいる。
 池田大作
 一九二八年(昭和3年)生まれ。
 十九歳、太平洋戦争の敗戦から二年後の夏。師と仰ぐ人に出会い、「民衆の海」へ船出した。
 いまだ、誰も成し遂げたことのない大航海。
 「こんな島国で、そんな絵空事を」
 嘲笑う人は数知れなかった。
 三十二歳の五月、師の後を継いで立った。
 以来、五十星霜を超える。
 嵐の朝も、霧の夜も、舵を取り続けた。
 「それが師匠との約束だから」と。
 迫害があった。中傷があった。裏切りがあった。分断を謀る者たちがいた。無数のレッテルが貼られ、デマが飛び交った。
 —しかし、ある文人は綴った。
 「虚構は、事実を以て粉砕される」
 「乳液のように曇らされた磨硝子のむこうの歴史を、可能なかぎり鮮明に呼び戻そう」と。
 船の名は「創価学会」。
 その航跡を辿ると—
 「日本」が見えてくる。
 「世界」が見えてくる。
 「人間」が見えてくる。
 池田大作と、その時代。
 歴史の真実を求める旅へ、読者の皆様とともに出発したい。
      ◇ 
 まず、池田のライフワークである小説『人間革命』をテーマに据える。『人間革命』は、池田の師・戸田城聖の伝記小説であり、創価学会の歴史が綴られている。
 その連載の日々は、それ自体が、人間の生命そのものの変革=人間革命によって、具体的に平和の国土を創ろうとする挑戦であった。
 本稿第一回の舞台は、『人間革命』で論及された一衣帯水の国「中国」、そして執筆開始の地「沖縄」。
 では物語の扉を開こう。

 小説「人間革命」を書かれた背景は以下をご参照ください。
 小説 「続・人間革命」と「新・人間革命」に学ぶ - 一生涯師子の道を!!

新たな船出

 信心の境涯を開くのは、“一歩”また“一歩”の努力である。止まってはならない。行き詰まったら題目をあげ、行動して開いていく。その、たゆまぬ繰り返しによって、初めて宇宙大の境涯へと一歩一歩近づいていくことができる。 

希望の明日へ P42 —昭63・12・10

 人生には、必ず行き詰まりがあるだろう。そのときには唱題である。そうすれば雲が晴れていくように、必ず無限の境涯が、いつしか広がっていくものである。行き詰まりとは、いわば、より以上、広々と自分の境涯と福運を開いていける山の頂上を前にしたようなものだ。それを乗り越えれば、あたかも、白馬にまたがって人生の広野を楽しく走りゆくかのようになる。そしてまた、新たな“行き詰まり”という山に出あう。そこを唱題によって再び乗り越えれば、さらに大境涯が広がっていく。信心とはこの繰り返しである。そして最後には、永遠にして広大無辺、自由自在の成仏の境涯に入っていくことができるのである。

同上 P42 —平1・12・28

平成23年3月は私にとって、忘れられない月となった。
3月11日 東日本大震災
3月31日 職場の団体が解散になり、退職。

東日本大震災によって、自分の中で揺れ動いたものがあった。また、退職に伴って、転職活動へ勤しむ日が始まった。
まもなく震災から満3カ月になろうとしている。
政局は相変わらず迷走している。
しかし、政治に文句をいっても就職はできない。

大事なことは、自分自身の気持ちが常にどこを向いているかであった。
退職した当初は、「新たなステップアップにしていくための試練だ」と思っていた。
失業保険を受けながらの転職活動。定められた、失業保険をもらえる期間内に必ず決めると決意。
だからアルバイトを一切せず、就職活動に力をいれる。
就職決着を“6月30日までに”と決着目標を定めて転職活動を展開。

転職活動、学会活動、プライベートすべてをやり切ることを決意。

  • 6月8日 某社団法人の面接を受ける。4対1の面接であったが、学会本部でガッチし唱題して挑む。
  • 6月10日 採用担当者の方から内定のTELあり。就職活動に勝利!

6月10日は「婦人部結成の日」。前職も内定をいただいた日は6月30日「学生部結成の日」であった。

決着するまでに、不安がなかったといったら嘘になる。
ある時、同志の中に「仕事をしていないのに、学会活動だけをしているのはどうか」と言っている人がいる—と私の耳に入った。
確かにそうだ。学会活動をして、仕事をしていないという現実がある。
別に学会活動だけをしていたわけではない。転職活動もしていたし。
しかし、他人から見たらそうだったのかもしれない。
評価は自分ではなく、他人が決めるからだ。

でも、胸を張って頭を上げた。
就職活動に勝つための信心である。自分の弱い心に負けないための学会活動である。
周りが自分を端から見て、ああだこうだ言おうが、自分を最も知る同志の応援こそが同志の声であった。
更なる決意で目標を明確にし、決意、祈り、行動をしていった。

今から考えれば、そうしたこと声も自分を奮い立たせてくれた原動力だったのかもしれない。

決まった職場は、有り難いことに前職の職歴を活かせる職場であり、給与面、福利厚生、待遇も前職より良い。
祈りは叶ったのだ。
ようやく再び社会人のスタートラインに立てた。

新たな壁にぶつかり、乗り越え、成長する自分を描きながら、信心即生活、仏法即社会の戦いを開始して参りたい!

同志、家族、友人、何より先生の励ましがあればこそ、今こうして綴れている。

応援していただいた皆様、本当に有り難うございました!!

民衆こそ王者 池田大作とその時代 1[人間革命の奔流]篇 を読了して

ご無沙汰の日記。

この間、様々なことがあった。
自身のこと、東日本大震災のこと。
今こそ青年の力だ。青年が先頭に立って旗をふるのだ。

知的格闘、自身の内側を深く見つめること、人間革命しゆくこと。
すべては自分自身が出発点だ。


「青年が青年を呼び、嵐のような拍手喝采があって道は開かれる」


最近発売された「民衆こそ王者 池田大作とその時代 1[人間革命の奔流]篇」を読了した。
1日で読み終えたほど、中にぐいぐいと引っ張られた。

戸田先生の生涯を綴られた「小説 人間革命」は弟子である池田先生の執筆によって全12巻で完結している。
「小説 人間革命」は、創価学会の歴史であり、歴代会長の闘争史であり、師と弟子の共戦史である。
「民衆こそ王者 池田大作とその時代 1[人間革命の奔流]篇」は池田先生がどのような想いで執筆されていたかが、克明に記されている。
宗門との攻防の中、様々な苦闘苦慮の中執筆されたこと。先生ご自身のご体調が悪く、口述筆記したこと等。
初めて知ったエピソードも沢山記されている。

日蓮仏法は単に人から人へ伝わったのではない。民衆の中へ、苦しみの中へ入っていかれた創価三代の会長の闘争あったればこそ、民衆の中へ深く根付いたのである。

次回より、「民衆こそ王者 池田大作とその時代 1[人間革命の奔流]篇」を抜き書きし、学び残していきたいと思う。

師弟の絆

宗教ジャーナリスト
クラーク•ストランド氏
(アメリカの著名な仏教研究家。アメリカを代表する仏教誌「トライシクル」の元編集長)


SGIの「師弟の絆」

取材者(編者:註)ー実際に創価学会•SGIのメンバーを取材されて、仏教に対して、どのような印象を持たれましたか。池田SGI会長をどのような人物だと思うようになられたのでしょうか。

ストランド   これまでの創価学会との関係を振り返ると、数年の間に私の考えが大きく変わってきたことが分かります。
  私は元々、禅宗の修行を積み、僧侶(教師)の資格も得ており、仏教の信仰を「座しての瞑想」としてとらえがちでした。これは、大部分の西洋人が仏教に対して抱いている偏見です。西洋における多くの仏教は、古代の僧院スタイルを踏襲していますが、家庭を持ち、長時間の仕事に励む在家の仏教徒にとって、長時間の瞑想修行などは日常生活から隠遁する環境下でなければ不可能です。
  私が創価学会の信仰を体験して学んだことは、仏教の信仰には瞑想以外のやり方があるということです。創価学会の信仰活動は、より進化した形の実践法であるだけに、現代人の生活スタイルに、よりマッチしていて、効果的だということです。これから創価学会に触れる方々も、そのことをきっと理解するでしょう。
  二つ目に、仏教に関心を抱く西洋人の多くと同様に、私も権威主義的な信仰モデルを教え込まれました。そこでは、師匠と弟子との関係は上位下達式で、絶対服従が基本です。しかし、弟子が師匠から得るものは少ないのです。しかもアメリカでは、こうした権威主義モデルでさえも、きちんと務めを果たせている仏教界は、1979年代から幾度にもわたる僧侶のスキャンダルで揺れに揺れてきました。アジア人僧侶と、その後を継いだアメリカ人僧侶が、衣の権威を利用し、繰り返し信者の信頼を裏切ったのです。
  私が初めて創価学会に出あった時、(参加者が平等に語り合う)座談会や、会員同士の人間関係•連帯感を重視するのを見て、「誰も上に立つ人がいなくて大丈夫かな」と思いました。しかし時間が経つにつれ、地域社会に根ざした在家のリーダーシップの形を見て、この方がずっと健全で、安定正のある信仰の在り方だと思うようになりました。
  三つ目に、アメリカの仏教では上位下達式の権威主義的モデルが蔓延していたため、当初、私は、池田SGI会長を信者に絶対的忠誠を求めるカルト教祖的な人物としてイメージしがちでした。
  しかし、創価学会の目的は、戸田第2代会長の有名な「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」との言葉にあるように、陸続と人材を育成し、世界に広宣流布を進めることにあります。西洋には学会のような仏教団体が皆無であったため、理解するのに時間がかかりましたが、アメリカと日本でメンバーと直接触れ合うなかで、私の中の偏見は解消されました。
  私は、創価学会の「師弟」と仏教宗派の「師弟」の違いが、社会に向けてまだ十分に説明されていないと感じています。学会の皆さんの「師弟の絆」
は、誤解されて社会で認識されていないるのです。学会のリーダーにはそのことを理解して、一段と説明の努力を担っていただきたいと願っています。

大白蓮華 NO725 2010年6月号
P83-84より抜粋