東欧のリズム、ウクライナ戦を見て

ウクライナ代表、と言うと、まだなじみが無いが、現在の代表監督、オレグ・ブロヒン氏がいた頃の、旧ソ連代表は、スタメン全員、ディナモ・キエフの選手だった事があった。

ディナモ・キエフ旧ソ連リーグで、最多の優勝回数を誇る、ウクライナの雄。「西」がリヌス・ミケルス」をあげるなら、「東」はヴァレリー・ロヴァノフスキーをあげよう。
とにかく、ロヴァノフスキーと言えば、ディナモ・キエフにおいては、絶対的な存在。マンチェスター・ユナイテッドファーガソンとは比べ物にならない。ほとんど、全権限を掌握していたのだ。ロヴァノフスキー氏も、年齢には勝てなかったが、そのノウハウは、今のウクライナ代表に受け継がれている。

簡単にいうと、「堅守速攻」だ。洗練された形のカウンターアタックを繰り出す。東欧の選手と言うのは、民族的にいえば、スラブ民族であり、伝統的には、ポルカのような、草原の踊りはおなじみなのだが、サッカー選手に限ると、もっぱら好きな音楽は、テクノ。トランスあたりが大好き。もう、ハイテンポで、「ズカズカ」とやる音楽が大好き。

これは、カウンターを仕掛ける時の、あのスピード感に感じられる。とにかく、速い。これは、ボールのスピードが速いだけでなく、選手の足も速い。とにかく、走る、走る、走る。ここで、「ん?」と思った方も多いと思う。ジェフのオシム監督のサッカーも、ロヴァノフスキーを参考にしているのだ。
走り出したら、めっぽう速い。反射神経も速い選手を、意図的に選んでいて、また、判断の速い選手もそう。つまり、今どきの日本のサッカー用語でいう、「ゴールデンエイジ」の時に、既にそうした、子供の素質を見抜いて、伸びる選手を育てていく。これが、ディナモ・キエフ流である。

東欧の選手は、みなテンポがすごく速い。しかし、その歴史の複雑さからいって、簡単にそのテンポを出したりはしない。カウンターを仕掛けるタイミングを、しっかり計って待っているのだ。それは、サッカーの歴史があるから、いつカウンターを仕掛けるか、なんて事を、いちいち集まって相談したりはしないのだ。

イタリアのサッカーにおける、「歌い方」

「食べ、歌い、愛す」これが、イタリア人のモットーとか。
イタリアにおいて、歌、と言うのは、かなりの歴史があって、集約すると、ルチアーノ・パヴァロッティと言う事になってしまうのだが、それでもまだ足りない。


オペラ、カンツォーネ。しかし、イタリアの生んだ音楽は、それだけではない。
みなさんおなじみの、ユーロビートもイタリア生まれ。あのノーテンキなリズムも、イタリアが原産地。また、現在のイタリアと言えば、イタリアンポップス、と言うジャンルがあり、これを避けては、サッカーとの関連を探るわけには生きません。


ただ、ユーロビートを除くと、メロディーに共通性があります。「哀愁」と言うか「切なさ」と言うか。メロディーが、演歌チックな所があります。「食べ、歌い、愛す」と言うような、人生観を反映するように、人生における、感情の波を、謳歌するように、サビの所では、必ず、悲壮感あふれる盛り上がりを見せます。


サビの悲壮感あふれる盛り上がり、と言うのは、音楽的に言うと、そこまで、エネルギーを溜めておいて、一気に放出しないと、盛り上がりません。悲壮感がでるには、エネルギーを溜める段階において、恨みつらみをボソボソといっておいた方が、盛り上がりにおいて、より「飛躍感」が出るもの。


エネルギーを溜めておいて、ここぞ、という盛り上がりの場所を見つければ、そのエネルギーを一気に放出する。溜めるエネルギーには、恨みつらみがたっぷり。


ディフェンスに追われ、とにかく、失点だけは防ぐようにプレーし、耐える。最初から、攻撃的、という事は決してありません。もともと、それほど、「外向き」の感情がなく、頑なに家父長制を守るような土地柄なので、「超保守的」。基本的に、守りの姿勢があります。しかし、攻撃を受けている間、守り続けていなければならず、それは、恨みつらみの感情になっていきます。我慢に我慢を重ねて、ここぞ、という時に、一気にその恨みを晴らすがごとく、全力で攻撃しますが、それが、失敗に終われば、また、「貝に閉じこもる」。


基本線がこれなので、とにかく失点は絶対しないで、いざという時、ダイレクトプレー。溜めていたエネルギーを一気に放出する、ゴールに向かって、一気に攻め切るダイレクトプレー。これで、点が取れなければ、また、耐える日々が続きます。イタリアサッカーはこの繰り返し。攻める時になれば、直接的なアプローチでもって、余分な事はせず、感情の爆発力を反映するように、一気に攻め切る。失敗に終われば、またの機会をずーっと待ちます。


イタリア人に、常に主導権を握る、攻撃サッカーを期待するのが、そもそも無理があるような気がします。日本人以上に、耐え忍ぶ事が得意。イタリアンポップスの歌詞も、内省的。何となく分かると思いますが、その世界は、非常に「女々しい」。耐えて、耐えて、いつかきっと、明るい日が来る日まで。明るい日が来た、と確信するまで、討って出る事なんかしません。ファミリーの結束は固く、「守り」においては、非常に打たれ強い。反面、「攻め」においては、「行ける人が行けばいい」という状態。


ディフェンスラインから、もしくは中盤の底から、「行ってこい」の一本のパス。「行ける人」だけが、ゴールに向かって、猪突猛進しますが、だ〜れも援護なんかしません。逆襲なんて、絶対浴びたくない。一時の、メロディーの盛り上がりは、それはとても大きなものなのですが、それが終わると、元通り、耐える、耐える。なんか、薄幸のサッカー、薄幸の歌、というのが、イタリア的な感じです。

フィーゴのドリブルが、炸裂する時

いきなり余談ですが、今年の野球界のドラフトは、高校生が、「近年にない豊作」だそうで。


サッカー界で言うと、1972年生まれが、「大豊作」といえるでしょう。
ジネディーヌ・ジダンルイス・フィーゴパヴェル・ネドヴェド。三人の、バロン・ドールを輩出していますし、それぞれの戦績、プレーを見ても、それぞれ「巨星」ですね。代表レヴェルでも、「一国を背負って立つ」人でしたし(ネドヴェド以外は、いまだに背負っている)、何より、同業者からの声望の高さ、というのが、彼らを「巨星」足らしめているゆえんでしょう。


さて、フィーゴですが、レアルに移ってからのフィーゴは、当時のレアルにジダンがいなかったせいもあって、「10番」を背負う事になり、ゲームメークをしなくてはいけない立場になったために、プレースタイルが変化しました。ピッチ全体を使うようになったというか。


バルセロナ時代というのは、サイドのプレーに集中出来たので、御意見番たる、ヨハン・クライフをして、
「世界最高の、ウイングプレーヤー」
とまで言わせました。この頃、というのは、もっぱらドリブルで1対1を挑み、2、3人抜きなんてのは、当たり前、という状態でした。この頃のフィーゴには、今とは違うリズムがありました。


とにかく、まだ若くて、スタミナがありましたから、ちょうど今のC.ロナウドのように、どんどん仕掛けてタテに進むプレーが多かったです。C.ロナウドは、持ち過ぎですが、当時のフィーゴは、既に「大人」のプレーヤーであり、仕掛けどころを心得ていました。彼が、ヨーロッパのDFをきりきり舞いさせたのは、彼のドリブルが「3拍子」のリズムだったからです。当時、リズム感の鋭い評論家は、既に指摘していましたが、「3拍子」というのは、サッカーでは、なかなか変則的なリズムとなります。


人間の足は、2本ですから、2拍子や4拍子に対応するのは早いのですが、3拍子、となると、リズムの切れ目が非常に分かりにくいのです。音楽をよくやった人であれば、3拍子というより、楽譜上でよく有る、「6/8拍子」の曲などは、リズムに切れ目がなく、持続的な感じがするものです。字であらわすと、
「タッタタッタタッタタッタ・・・」
DFが、飛び込むタイミングが非常につかみにくいのです。その上、今のフィーゴのようにフェイントを駆使しながら、切り返したり、ドリブルの速度を変化させたり、というような技を持つと、1対1では、対応出来ないでしょう。



現在のフィーゴは、年齢的に無理が利かないので、そうした、タテ勝負ばかり繰り返しませんが、彼の持つリズムが、もし、ロッベンやC.ロナウドに有ったら、もっとすごい突破を見せていると思います。現在、サイド突破が出来て、しかも得点を取る事の出来るプレーヤーは、大変重宝されていますが、バルセロナ時代のフィーゴには、まだまだ及ばない、と見ています。

アンカーとベーシストの関係

最近、3センターのチームが多くなってきて、「アンカー」という言葉が、復活してきましたね。


実は、オフト監督の時から、ディフェンシヴハーフの役割として、滝井先生の本にも書かれていました。
ディフェンシヴハーフの役割
1.リンクマン
2.アンカー
3.フォアリベロ
だった様に思います。
アンカーですが、「碇」の意味ですね。まあ、日本人的には、「重し」というような感じのほうがしっくり来ますか。


ただ、リンクマン、と考えた時、音楽との共通性を感じないわけにはいきません。


音楽の3要素と言うのは、
1.リズム
2.ハーモニー
3.メロディー
です。
バンドをやった事のある方なら、普通に知っている事と思いますが、普通、バンドの基本形態として、ドラムス、ベース、ギター(orキーボード)、ヴォーカルというのがあります。



このうち、ドラムスをDFに例える事が出来ます。リズムを担当するわけですが、基本パターンは決まっています。リズムパターンと言うやつですね。サッカーに例えると、3バックか4バックか、どこまでマンマークで、どこまでゾーンマークか。パターンが決まっている、というのをサッカー的にいうと、カバーエリアが決まっている、という事になります。


ギター(orキーボード)ですが、ハーモニー担当ですね。ハーモニーと言うより、コード担当、という方が馴染みやすいかもしれません。コードワークは、サウンドの「色」を決めてしまうと言う点で、非常に大事です。ヴォイシングと言うのがありますが、同じコードでも、ヴォイシングによって、響きが違います。これをサッカーに言い換えると、ハーモニー担当はMFと言えます。ヴォイシング、というのは、コードに含まれる音のうち、どの音を鳴らすか、という事です。サッカーでいえば、中盤の創りのうち、パスなのか、ドリブルなのか、センターの展開なのか、サイドの突破なのか、ラストパスなのか。ハーモニーと同じく、調和、連動が求められます。


ヴォーカルは、メロディー担当ですね。別にヴォーカルである必要はなく、インストゥルメンタルなら、ソロ楽器の奏者ですね。メロディーと言うのは、かなり自由が利きます。はっきりいって、バンドの中で、もっとも無責任でかまわないです。リズムとハーモニーがしっかりしていれば、メロディーはよほど外さない限り、うまく乗せる事が出来ます。また、自由奔放さが有ると、より魅力的です。分かり切ったメロディーほど、聴いていてつまらないものはありません。サッカーに置き換えるとFWです。多少の失敗は、かまわないです。自由奔放な方が相手ディフェンスも苦しみますし、観客は楽しめます。また、背後がしっかりしていれば、多少強引だろうが、はちゃめちゃだろうが、全体の流れを止めるような事は、ありません。メロディーには、人の心に訴える力がありますが、それは、人の心の「ツボ」にはまった時です。FWにとって、「ゴール」ですね。



さて、アンカーですが、モダンフットボールでは、非常に大切なポジションです。ここの選手の能力によって、チームの消長が決まる、といっても過言ではありません。実は、ベーシストも同様です。



ベーシストと言うのは、コードの一番根っこになる音(ルートと言います)を鳴らす役割があり、ベーシストが間違えると、コード(ハーモニー)が台無しになります。何のハーモニーか分からなくなります。音は一つですが、間違えると、不協和音になります。また、実は、ドラマーのリード役でもあります。ベーシストとドラマーをまとめて、「リズム隊」と呼びますが、ベーシストは、リズムもしっかりしていなくては、楽曲の「ノリ」を創る事が出来ません。「ノリ」というのをより音楽的な表現でいうと、「グルーヴ」というところでしょうか。また、曲の構成を一番把握しているのも、ベーシストです。ベーシストは、リズムの役割がある以上、曲の構成をしっかり把握していないと、繰り返しの個所を間違えたり、小節数を間違えたり、というような事があってはいけません。


というのは、ドラムと言うのは、たいてい一定のリズムパターンがあるので、小節数を間違えても、あんまり曲を台無しにする事がありません。曲の中の変わり目で、いわゆる「オカズ」を入れる事は当然行われますが、これを忘れてしまっても、聴いている人にとっては、それまでのリズムパターンを守っていれば、「ずっこける」というほどの大事には到りません。DFが、マークする相手をしっかりつかんでいれば、フリーでシュートを打たれるような事はありません。基本的に、誰を見るか、というパターンさえ守っていれば、守りそのもの(リズムパターンそのもの)を間違えない限り、致命的な失敗には到りません。


また、ハーモニーを担当する楽器と言うのは、ヴォイシングや、コードを間違えてしまってはいけませんが、それを一番気にするために、曲の構成、つまり小節数とか、曲の変わり目、とかは、全部把握すると大変です。そんなことをしていては、ヴォイシングがおろそかになってしまい、ハーモニーがズタズタになります。ハーモニーがズタズタになると、聴いている人に、すぐにばれます。そんな事をやると、「下手なバンド」といわれてしまいます。ですから、コードを鳴らす事に細心の注意を注ぐので、曲の構成は、リズム隊にお任せ、という状況でないと、いいパフォーマンスが出来ません。MFが、連動して、有機的な動きをするのに、ディフェンスばかりに追われていると、ろくな攻撃が出来ません。プレスが乱れれば、ディフェンス全体の足を引っ張ります。それぞれの特徴(ヴォイシングの上手さ)がしっかり発揮されていれば、より機能します。


メロディー担当の、ヴォーカルやソロ楽器ですが、とにかく、その役割を全うすれば、あとは、形式にとらわれる事はありません。リズムとハーモニーが基調になっているので、それを完全に無視するような事さえしなければ、聴いている方が、「ガクッ」と来るような事はありません。とにかく、聴いている人の「ツボ」(ゴール)にはまれば、アドリブ(個人プレー)でも、決めた方の「勝ち」です。また、ヴォーカルにしろ、ソロ楽器にしろ、メロディーをやっている以上、分かり切った事をしても、面白いとは感じてもらえません。フリーになる動き、フェイントやポジショニングの工夫、という事が無いと、ゴールを決める事が出来ないのがフォワードです。聴いている人(ディフェンダーゴールキーパー)に読まれるような、分かり切った事をしていては、仕事になりません。


で、ベーシストですが、小節数や曲の構成を一番把握していなければならないので、ベーシストが、もし、小節数を間違えたり、本来盛り上がるメロディーのところで、間奏のパートに行ったりすると、全体がコケます。ベーシストが、構成を見失うと、ドラマーもハーモニー担当の楽器も、みんな曲を見失います。メロディーだけは関係なくやっていけますが。ですから、ベーシストがコケると、誰の耳にも明らかに、曲が迷走し始め、というより、演奏がバラバラになって、もはや曲がぶちこわしになります。ベーシストは、リズムとハーモニーを「リンク」する役割があります。両方を見ながらやらなくてはならないので。サッカーにおいて、アンカーが、「プレーメーカー」であるチームは多いですよね。プレーメーカーと言うと、「司令塔」や「ゲームメーカー」より、全体のコントロールを効かせる役目が大きいです。「ノリ」を創らないと、チームが、流れに乗れません。アンカーが、役割を見失うと、失点(曲が台無し)の危険性が高まりますし、ポジショニングのミス(演奏のミス)が有ると、DF(リズム)もMF(ハーモニー)もボールの収めどころ(曲の構成)が明確でなくなり、全体が迷走し始めます。観客が、見ていて、「ありゃダメだ」となるところです。アンカー(ベーシスト)が、「重し」にならないと、チーム全体が(バンド全体が)不安定になり、プレー(演奏)が乱れ、観客は観ていられません。「グダグダ」になります。アンカー(ベーシスト)が構成を見失うと、チーム(バンド)全体のパフォーマンスが、収拾がつかなくなります。それぞれが、勝手にやっているように見えてしまうのです。DF(ドラマー)も、MF(ハーモニー担当)も、それぞれ役割をきっちり果たしていても、「重し」であるアンカー(ベーシスト)が「重し」でなくなれば、全体が台無しになってしまうのです。


アンカーもベーシストも「地味」ですが、ここがコケると、全体がコケます。アンカーがバイタルエリアをフリーに開けていたら(ベーシストが曲を見失ったら)、点(曲の伝えるもの)が、簡単に失われます。

バンド経験のある人は、ライヴなどで経験が有るかもしれませんが、ベーシストが外した場合、演奏自体が何が何だか分からなくなってしまう経験を持っていると思います。みんな、「ドタバタ」になってしまい、それぞれが、あさっての方向へ向かっていってしまいます。


アンカーが、役割を果たさないと、ゲームコントロールが効きません。主導権が握れなくなり、チームの方向性が、あさっての方向へ行ってしまいます。


バンドとサッカーの両方の経験が、そこそこある人でないと分かりづらい話ですが、「重し」が無いと、ふわふわとどっかへ行ってしまう事は、何においても共通する事でしょう。


あ〜、この持論を展開するのに、大変な長さになってしまいました。ここまで読まれた方は、90分しっかり集中出来る人です。サッカーを観るのに、適性があると言えるでしょう。

ブラジル選手の足技の原形は?

とりあえず、ブログを始めた時の、公約とでもいうべき、2つについて、書く事が出来ました。


しかし、今日の深夜には、ヨーロッパチャンピオンズリーグ第2節。アヤックスvsアーセナルは、落ち目の2チームだから、はっきりいって、期待していません。それよりか、バルセロナファンには申し訳ないですが、バルセロナvsウディネーゼに、「何か」を期待します。
カンプ・ノウですから、ホームですが、冷静な、そしてサッカーを見る目が厳しいバルサファン、ウディネーゼの力を、どう見積もっているかは分かりませんが、セリエAでは、優勝は出来ないクラブ、というのは、誰が見ても明らかな分、バルセロナの選手には、余分なプレッシャーがかかりそうです。つまり、「勝って当たり前。内容も伴う事も当然。」という、ファンならびに、地元マスコミのプレッシャーがかかっていそうな気がします。イアキンタも、セリエAで、あれだけ点を取っている選手、並みではないと思います。



さて、ブラジル選手の足技ですが、結論から申しますと、「カズダンス」です。


「??????」


はい、ゆっくり説明いたしましょう。
日本で、カズが、あのダンスをした時、「ブラジル風だ」とは感じたものの、その意味を「何となくサンバみたい」という風に理解している方は、未だに多いと思います。


ブラジルのフットボーラーは、他の南米諸国同様、ストリートで鍛えられます。基礎テクニックにおいて、ブラジルの選手が、他の南米の選手と、その競争を勝ち抜く倍率は別として、特別なものがあるという事は、見ては分かるものの、その理由について、「サンバ」くらいしか思いつかないのでは?


確かに、独特のリズム感は、「サンバ」によるものです。これが、「タンゴ」だったら、あんなトリッキーなリズムにはなり得ません。アルゼンチンの選手との違いです。ただ、ドゥンガに見られるように、最南部の、リオ・グランヂ・ド・スール州の選手は、「ガウショ」と呼ばれるように、アルゼンチンに近いスタイルです。その、リオ・グランヂ・ド・スール州の州都ポルトアリグリ出身の、ロナウジーニョが、凄いサンバのリズムを持っている事は、やや意外でありましたが。


ブラジル人選手の中には、「自分はサンバも下手だし」というような、選手もいます。当然ですが、中国やアメリカに匹敵するくらい、地方差が大きいのがブラジルであり、カカーのプレーには、サンバのリズムは感じられません。


サンバのリズムと足技の関係ですが、そこは、他のキーワードを必要とします。
カポエイラ
足だけによる、格闘技です。もともと、アフリカからきた黒人たちによって伝えられたもので、格闘技と言うより、イニシエーション(儀式)的要素が強いものです。日本にも、「奉納相撲」があるから、分かりやすいと思います。
これを伝統的に身に付けている、アフロ・ブラジリアンは、足のコントロールが非常に器用であるのです。カポエイラは、ブラジルの黒人の中で、カトリック教徒の白人の目を逃れる形で、受け継がれてきました。混血になっても、DNAの中にこの要素があるようです。


カポエイラで培った、足技で、サンバを踊った時、サンバには、独自のステップが生まれました。ヨーロッパや他の南米のダンスとはまったく違うステップが。それは、「カズダンス」に近いものです。もともと、不規則な変化をする、サンバと言うリズムに、カポエイラの足技が加わった時、サンバのステップは、とても複雑なものになりました。


ブラジル人選手で、ロナウジーニョのように、トリッキーなボール扱いをする選手には、サンバのステップでボールを扱っている様子が、はっきりと見て取れます。
ボールを足元において、サンバのステップで踊るだけで、他の文化圏の選手からすれば、とんでもないフェイントに見えるのです。「またぎ」「シザース」にしても、サンバのリズムがあれば、他のリズムを持つ選手とは、まったく違うフェイントとして、対応を迫られます。


サンバの発祥の地である、リオ・デジャネイロに、天才型の選手が多いのは、こうした理由によるところが大きいです。足の運び方からして、カポエイラの影響があるため、特殊なのです。カポエイラの伝統を受け継ぐブラジル人なら、足首の可動域でさえ、普通の選手とは違うでしょう。ロマーリオロナウドが、シュートの直前まで、足首に力が入っていないように見えるのも、こうしたところにあります。



あとは、リオ出身の選手の、「遊び癖」だけが治れば、最高なんですけどねえ。

アーセナルがヨーロッパで勝てない原因

いきなり、最初から、難題に入ってしまいました。音楽とサッカーの関連性を探っていくのがこのブログなのですが、アーセナルが、あのように素晴らしいサッカーをしながら、ヨーロッパチャンピオンズリーグにおいて、まったくいい成績を残せないでいる事に、疑問を持っている方は多いと思うのです。


でも、リズム、と言う観点で見ると、わりと簡単に疑問は解けるのです。


もともと、イングランドやドイツ、ならびに北欧のチーム(ざっくりいうとアングロサクソン系)のチームは、リズムの変化に乏しいです。ビートルズローリングストーンズをはじめ、最近では、オアシスでしょうか。8ビートのロックンロールが基調なので、変則的なリズム感は、はっきりいって無きに等しいです。


アーセナルの躍進(復活?)は、もちろんベンゲル監督が就任してからですが、ベンゲル監督は、国籍はフランスですが、出身地はフランスでも、アルザス地方。アルザス地方と言うと、有名な「最後の授業」の舞台になった場所で、アルザス地方の中心地である、ストラスブールも、綴りは、「Strasbourg」と、ドイツ語のような綴りをしています。ベンゲルさんも綴りは、「Wengel」で、「W」が「ヴ」の発音になるあたり、ドイツ系の姓です。ですから、名古屋グランパス時代にも感じた事ですが、フランス人が普通持っているようなリズム感ではなく、常に一定のテンポでリズムを刻み続ける、ドイツ的なリズム感を持っています。


そのベンゲル監督の率いるアーセナルがドイツ的なリズムを持っているのは当然で、現代のモダンフットボールでは、リズムの変化をつける事が大切な要素になっているので、畢竟、旧来のイングランドやドイツのチームは、苦戦して当然です。チェルシーリバプールのような「多国籍軍」は、当然強いわけです。モウリーニョベニテスイベリア半島出身。リズムは複雑なものを持っています。



じゃあ、マンチェスター・ユナイテッドバイエルン・ミュンヘンは?と言う声が聞こえてきそうです。
この2チームは、強力なサイド攻撃を持っています。マンチェスター・ユナイテッドは、ベッカムギグスC・ロナウドと強力なサイドのプレーヤーを擁していて、真ん中に、以前であれば、コール&ヨーク、現在なら、ファンニステルローイ、という、「ドンピシャのクロスを入れられたら、防ぎようの無いフォワード」を持っています。バイエルンは、いつも大型のセンターフォワードを擁していて、攻めが手詰まりになると、どこからでも正確なクロスを入れてきますね。現在のマカーイは、空中戦が得意なプレーヤーではないですが、その分はバラックが補っています。サイドには、シュバインシュタイガーリザラズゼ・ロベルトサリハミジッチ、と、サイド攻撃が出来る選手が揃っています。



翻って、アーセナルですが、そもそもサイドアタッカーとか、真ん中の空中戦に強いフォワード、と言う概念を持っていません。ある意味、選手の自主判断によって、ボールと人が動く、非常に能動的なサッカーをしているともいえますが、基本のパターンがない、つまり、攻めが、手詰まりになった時の頼れる武器がありません。「とにかく困ったらこれ」と言う必殺技を持っていると、だいぶ違うのですが、ベンゲル監督に欠けているのは、その発想です。実は、その発想を補うには、決定的な仕事の出来るプレーヤーがいればいいのです。それが、ベルカンプなのです。これで、ヨーロッパで勝てない理由がはっきりしてきませんか?アウェーの試合に、ベルカンプがピッチに立った事がこれまでどのくらいあったでしょうか?もともと、守備に重点を置いたチームではないので、攻めが手詰まりになった時、決定的な仕事が出来る選手がいないと、引き分けるのがせいぜいになります。



残念なのは、本当は、もっと早くベンゲル監督はヨーロッパで成功出来る可能性があった事です。名古屋グランパスを離れて、アーセナルの監督に就任する際、ストイコビッチに「一緒に来ないか」と声を掛けて、アーセナルに誘っているのです。ストイコビッチが、セルビア人でなければ、イングランドでのプレーも抵抗無かったでしょう。それであれば、ベルカンプより、はるかに決定的な仕事の出来る選手が、アーセナルに入っていた事になり、アウェーの試合で、手詰まりになる、と言う事もなかったと思います。ストイコビッチが、名古屋でのプレーを続けたのは、政治的な理由に他なりません。



アーセナルは、リズム的には、旧来のドイツやイングランドのチームと同じリズムを持っています。最後のフィニッシュで、リズム的に変化をつける事が出来れば、ヨーロッパでも勝てるでしょう。また、中盤で、タメを作る、と言う発想があれば、もっとずる賢い戦い方が出来たかもしれません。しかし、その辺は、どうしてもイングランドのチームの範疇を出ないのです。アーセナルのサッカーは、実は、アルゼンチン代表にすごく似ています。ショートパスが、次々とつながっていって、あれよあれよと言う間に、ゴールに迫っていく、と言う過程は、見ていて魅了されるものです。ただ、アルゼンチンには、中盤でタメを作る発想もありますし、スルーパスを出す、決定的な仕事の出来る選手がいつもいます。この問題は、ベンゲル監督の限界、とも思えます。現時点で、引退を表明している(この人はいつ言を翻すか分からないですが)ベルカンプの、後がまも定まっていないようです。アーセナルが、今後、どのような判断を下すか、楽しみでもあります。

ブログ、ここでも始めました。

実は、かなりexciteの方で、ブログはやっているのですが、ちょっとそこが話題が増えすぎているので、ここで、サッカーと音楽に絞って、しかもその関連をかいつまんで、やってみたいと思います。

アーセナルがヨーロッパで負ける原因は?
ブラジルの選手の足技の原形は?

これ、音楽に深い関係があるのです。両方に詳しい人が少ないので、日本ではまだよく知られていないようですが。

こう言った事を書いていきます。
よろしく。