図書館学徒未満

図書館学に関する本を読んだり調べごとをしたりしています。はてなダイアリーから移行しました。

ゲームを活用している図書館を称える賞ができます! #図書館総合展

ようこそこのブログへ。まずはこれを見てくれ。

www.libraryfair.jp

 

という訳で今年の図書館総合展では「ゲーミング図書館アワード」という、ゲーム資料の利用・提供やコレクション形成において功績のある図書館を称える賞が新設されます!

受賞館は2023年10月24日の図書館総合展内「図書館とゲーム部」フォーラムにて公表されます。こちらはオンライン配信も多分やるかと思います。

皆様からのご推薦をお待ちしております。「こんなおもろい図書館あるよ!」というお話一杯聞きたいです!

 

 

さて。

 

なぜ図書館でゲームなの?

図書館でゲームを収蔵しよう!ゲームをやろう!という話をすると、未だに

「なんで図書館にガキのおもちゃを入れるの?無駄じゃない?」

というご質問を頂く。方々でこの話しているけれど、ここでも改めて書いておくと

「ゲームも情報資源の一種だからです」

に尽きる。

よく誤解されがちだけれど、図書館は収蔵資料の形態に制約を設けていない。一般に印刷された紙を束ねた"本"の形をした資料が多いけれどもそれは単なる成り行きであって、DVDでもマイクロフィルムでもセル画でもHTMLでもアプリでもカードの束でも構わない。

資料の価値はその媒体・コンテンツの形式に関係がない。印刷された紙を束ねているから素晴らしくてSteamで配布されているからくだらない、という理屈はない。まぁそもそも、図書館は"素晴らしい"資料を収集提供するための機関ではないのだけれど、それはそれとして。

現状、我が国のソフトパワー形成においてゲームは大きな役割を担っており、古来より培われてきた肥沃な同人文化の土壌もあってインディーゲームの層も他国には類を見ないほど厚い。我が国の誇る文化として国民が広くアクセスできることが望ましいし、(公共)図書館がそのアクセスを担保する役割を担うのは理にかなっている。

もちろん、現実的にはゲームの収蔵と利活用には大きな困難が伴う。ゲームは書籍に比べて高価なことが多いし、デジタルゲームならゲーム機とセットで保管しないと意味がない。また、配信型ゲームコンテンツをどのように維持管理するか、というのは闇の深い問題だ。またボードゲームは箱がデカいし、コンポーネントは細かくて種類が多くカタログ登録と検品だけで発狂しそうだ。

だから、どこの図書館もゲームを収蔵するべきだ!とは簡単に言えない。各館の事情と優先順位がある。その上で、ゲームの資料的価値を理解し収蔵と利活用という困難に挑む図書館を応援したい、という気持でいっぱいです。

 

お前は何やってるの?

このブログ更新するのも久しぶりなので近況報告がてら。

まずは未だに研究を続けています。真面目にやってますよ!真面目にやりすぎて研究機関を設立しちゃったくらいですから!!(ぉ

analoggamemuseum.org

アナログゲームミュージアムでは会員を絶賛募集しております!!

このアナログゲームミュージアムボードゲームの目録を作成するためになんと目録規則から研究・策定したという気合の入ったヤバ機関です。でも基礎理論構築だけはWG結成しておよそ1年間でできたんだよ、すごくない????あと折角だからということで新しめのモデル理論を採用しかなりヒップな概念モデルになっております。どうか見てくれ。

cir.nii.ac.jp

これ、長い話になってもよければいつでも喋り倒したいので、ご関心おありの方はオンラインでもオフラインでもお気軽に捕まえてくださいw

あともうすぐ某所でなんか出るかもしれない予定です。

 

そしてわたし自身はゲーミング図書館アワードの審査員とかではなくただの応援しているひとですが、当日は図書館総合展オフライン会場であるパシフィコ横浜におります。久しぶりのオフライン参加で楽しみです、当日いらっしゃる方は僕と握手!基本的に図書館とゲーム部ブースにいるかと思いますのでどうぞお気軽にデュエル申し込んでください。常在戦場、デュエルスタンバイしております。かかってこいや^^^^

 

 

 

 

FGO2019年バレンタインイベント「ボイス&レター・これくしょん!~紫式部と7つの呪本」登場書籍一覧

FGOの新バレンタインイベントが図書館で心よりお慶び申し上げます。本記事は「ボイス&レター・これくしょん!~紫式部と7つの呪本」イベントをきっかけに登場する本を読んでみたいというマスターの皆様に捧げます。

ストーリー、ならびにクエスト中に(敵として)登場する本を挙げます。実在する本のみ一覧し、実在が確認できない本は取り扱いません。取りこぼしがあればお知らせください。

イベントの進行に従って随時更新いたします。ぜひお近くの書店・図書館に足を運んで頂けますと幸いです

あ、わたしのフレコは 172,367,601 です。香子さん引いてないへっぽこマスターですがよろしくです。

1節「紙の本を読もう」

 廊下でガウェインとぶつかったフィンが読んでいた本

ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール

ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール

 

calil.jp

フィンとぶつかったガウェインが読んでいた本

サー・ガウェインと緑の騎士―トールキンのアーサー王物語

サー・ガウェインと緑の騎士―トールキンのアーサー王物語

 

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 管制室でマシュが読んでいた本。岩波文庫版はアレキサンダーからのバレンタインチョコお返しでもある。『イリアス』には他の英霊も登場する。

ホメロス イリアス 上 (岩波文庫)

ホメロス イリアス 上 (岩波文庫)

 

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 1節で初登場のサーヴァント・紫式部が執筆した本

calil.jp

3節「さっか道」

シェイクスピアが読んでいた本『伊勢物語』『竹取物語』せっかくなので現代の名文筆家たちの現代語訳でどうぞ。

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カエサルが読んでいた本『古今集』『後撰集』『拾遺集』。いずれも平安時代勅撰和歌集で、シェイクスピアが指摘した「ラインナップにどこか妙な偏り」とはいずれも恋愛に関する官能的な和歌が多いことを指すか。

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

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後撰和歌集 (岩波文庫 黄 27-1)

後撰和歌集 (岩波文庫 黄 27-1)

 

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拾遺和歌集 (岩波文庫 黄 28-1)

拾遺和歌集 (岩波文庫 黄 28-1)

 

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バトル時に敵キャラとして出現した本4冊。『和漢三才図絵』は一時期京極夏彦パワーで復刊されたような気もしたんですが勘違いでしたかね。こちらと『付喪神絵巻』は入手が大変なようなので、読むだけなら

和漢三才図会. 上之巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

付喪神繪 2巻. [1] - 国立国会図書館デジタルコレクション

からもどうぞ。

和漢三才図会 (1) (東洋文庫 (447))

和漢三才図会 (1) (東洋文庫 (447))

 

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ルンペルシュティルツヘン (グリムの昔話)

ルンペルシュティルツヘン (グリムの昔話)

  • 作者: ヤーコプグリム,ヴィルヘルムグリム,ポールガルドン,Jacob L.K. Grimm,Paul Galdone,Wilhelm K. Grimm,乾侑美子
  • 出版社/メーカー: 童話館出版
  • 発売日: 1994/07
  • メディア: 大型本
  • クリック: 1回
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捜神記 (平凡社ライブラリー)

捜神記 (平凡社ライブラリー)

 

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5節「若きワルキューレの悩み」

ワルキューレ三姉妹が読んでいた本2冊。ヒルドの本が姉妹が主人公となる『若草物語、スルーズの本がブロンテ姉妹として知られる姉妹作家のひとりエミリ・ブロンテの作である『嵐が丘』と、いずれも姉妹が関係する作品である(オルトリンデの本については後述)。

若草物語 (光文社古典新訳文庫)

若草物語 (光文社古典新訳文庫)

 

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嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)

 

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オルトリンデが読んでいた本は『イソップ一家物語』であるが、この本は実在しない。おそらく元ネタは映画『サウンド・オブ・ミュージック』を原作としたアニメ『トラップ一家物語』と思われる。同作も姉妹が主人公として登場する作品で、オルトリンデが興味を示すものとしてふさわしいが、このようなタイトルの改変が行われた理由はわからない。

世界名作劇場・完結版 トラップ一家物語 [DVD]

世界名作劇場・完結版 トラップ一家物語 [DVD]

 

7節「カルデアからの手紙」

敵キャラとして出てきた3冊。最後の『兵法家伝書』はセイバー・柳生但馬守宗矩の爺様の著作です。読むと心が不動になって剣禅一如が撃てるかも?

 

 

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

 

calil.jp

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兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

 

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫) | カーリル

周回クエスト登場書籍

初級に登場する書籍。牛若丸が『忠臣蔵』を読んでいる。『評伝・忠臣蔵』『葉隠読本』はいずれも実在しない注釈書。

仮名手本忠臣蔵 (橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻 (1))

仮名手本忠臣蔵 (橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻 (1))

 

calil.jp

新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

 

calil.jp

中級でビリー・ザ・キッドが読んでいた本。図書館ではちょっと手に入らなさそう。

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯

 

教育学徒が藝大の研究者をつかまえてガチの教育用ボドゲを作ってみた結果

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図書館総合展もいよいよ来週となりましたが今回の手土産はこちらとなります。

 

近年、図書館でのゲーム収蔵についての議論が起こっています。ゲームも著作物だから、もちろん図書館の収蔵対象です。我が国はコンテンツ立国などを頑張るつもりなのだから、ゲームアーカイブの必要性も周知されているでしょう。

デジタルゲームである場合、ゲーム機やバージョンの保管や権利関係の処理などいろいろ大変ですが、アナログゲームなら物理的実体ひとつあれば再生環境が必要ないので保存の手間がちょっとだけ少ない……ような気がします。詳しくは格闘系司書様にお任せします。以下の本をどうぞ。

書籍詳細(JLA出版物)JLA図書館実践シリーズ 39『図書館とゲーム―イベントから収集へ』

 

 そんな訳で図書館でボドゲやるのは自然なことなのです。それが現役研究者が全面協力したガチの教育用ゲームとなればなおさらです。さらに、今回の図書館総合展はMLA連携特集で、美術館をもターゲットにしているのです。これはもうアート系ゲームを投げ入れるしかない!!

そんな訳で企画したのがこちらです、皆さん応援誠にありがとうございました。

camp-fire.jp

このゲームは『真贋のはざまで』と言い、タイトルはかの東大企画の名展示会『真贋のはざま』にインスパイアされており、ゲームのフレーバーはギャラリーフェイクの影響を受けています。

ギャラリーフェイク 全23巻セット (小学館文庫)

ギャラリーフェイク 全23巻セット (小学館文庫)

 

※20190523追記

『真贋のはざまで』は株式会社やのまん様への権利売却に伴い、2019年5月末日をもってウニゲームスからの販売を終了いたします。

それまでは以下より通販を行っております。
https://unigames.booth.pm/items/1036372

これはどんなゲームなの? -ルールと制作秘話

 このゲームでは、プレイヤーは様々な事情を抱えて裏社会のアートオークションに参加するキャラクターとなり、『モナ・リザ』やムンクの『叫び』といった名画の売買に参加します。

しかし当然それらの名画の大半は真作ではありません。参加者は話術と知識を駆使してオークションにかけられている絵画の真価を見抜き、欲しい絵画を集めていきます。

絵画は全部で8種類、それぞれ4枚(モナ・リザのみ6枚)ずつあります。それぞれ『真作』『贋作』そして『価値ある複製』があり、真作と価値ある複製は1枚ずつしかありません。タダ同然の贋作と比べて真作や価値ある複製は非常に高価であり、贋作を避けて高価な作品を買い集めることが基本方針となります。

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さて、ではどうやって『真作』『贋作』そして『価値ある複製』を見分けるのか?各絵画の裏にはこの通り鑑定書がついており、この鑑定書の内容は34枚あるすべての絵画カードで異なります。これらを藝大の西洋美術史研究者である巖谷先生、髙木先生にお願いしました。

両先生には絵画の選定から携わって頂きました。お願いした条件は

  • 誰でも知っている名画であること
  • パブリックドメインになっていること
  • 一枚以上の『価値ある複製』が存在する絵画であること

です。

結果、価値ある複製として"模写"、"工房作"、"習作"、"競作"、"オマージュ"そして歴史的価値のある"贋作"といった多彩な顔触れが出揃うことになりました。

クラウドファンディング時の趣意書にも書いたことですが、今のわが国におけるアカデミズム業界の不遇っぷりは目に余るものがあります。人文学の面白さという価値を、アカデミズムの外にいるひとにも広く知って頂ければと思いました。両先生方にはその趣旨をご理解いただき、美術史のキャッチーな面白さを引き出す絵画の選定・解説をして頂けましたが、改めて感謝をいたします。

それって何が面白いの? -気を付けたこと、変えたこと

残念ながら教育用ゲームの成功例は、アナログ・デジタルを問わずそれほどありません。流行る流行らない以前に、ゲームとして面白くならないのです。個人的には、教育用ゲームの失敗因は以下のようなものと考えています。

  • 教育効果を期待するあまりゲームの内容を詰め込みすぎ、ゲーム性を犠牲にしてしまう。
  • ターゲティングが漠然としており、年齢や習熟度によるプレイヤースキルの差を吸収できていない。
  • ゲーム自体への習熟と目的としている教育効果とが一致しない。

その一方で、教育用ゲームにはゲームデザインの面で以下のようなメリットもあります。

  • 娯楽以外の目的でも手に取ってもらいやすい
  • 誰もが少しは知っているフレーバーを採用でき、親しみを持ってもらいやすい

『真贋のはざまで』は、ブラフと運要素が多めですがゲームメカニクスとしてはシンプルな競りゲーです。ただそこにプロの長文解説というフレーバーが加わることでブラフにぐっと厚みが加わり、「これはちょっと真剣に見聞きしなければマズいぞ」という雰囲気の演出に成功しています。ここは完全にフレーバーの勝利です。

また、ゲームバランスも運と論理的思考力と知識がバランスよく入り乱れ、負けた時に「くっそー、もう一回!」と思えるくらいの適度なくやしさを感じられるように調整しました。

そしてとりあえず説明書裏をびっしり埋めているこの参考文献一覧を見てください、本気であることが分かってもらえると思います。なお、一番下には初学者向けおススメ入門書まで記載されています。

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「図書館×ゲーム」というコンセプトを知った時から、ゲームをきっかけに今まで読まなかったような本を手に取ってもらえるならすばらしいなとずっと考えていました。本作のテストプレイ会を開催すると、絵画が配布された瞬間に皆さんが裏面を熟読して猛勉強を始めてくださり、実によかったなぁと思っています。もしどこかの図書館のゲーム会で『真贋のはざまで』を使っていただけるなら、ぜひこちらの参考文献と入門書を隣に並べて開催していただけると幸いです。

本作は10/30から横浜で開催される図書館総合展の「図書館でゲーム部」ブースにて実物展示を行うほか、東京ゲームマーケット2018秋にて発売します。詳細は以下をご覧ください。

gamemarket.jp

 

「本が売れないのは図書館が本を貸すからだ」問題の立証をできる範囲でやる

「本が売れないのは図書館が本をタダで貸すからだ」という主張がある。その反論も、先行する実証研究もいくつかあるけれど、いまいちこの主張の真偽を決定するには至らない。

図書館貸出冊数が書籍販売金額に与える影響の計量分析の一考察

「本が売れぬのは図書館のせい」というニュースを見たのでデータを確かめてみました - CNET Japan

どうして多くのひとが関心を持っているにも関わらず、この小学生が思いついたみたいな問題がちゃんと解決されないかというと、分解してみたら意外とややこしいからだ。

まず

「本が売れないのは図書館が本を貸すからだ」

が真だとしたら、その対偶である

「図書館が本を貸さなければ本は売れる」

も真となる。多分、この主張をするひとたちが言いたいのはこっちだ。

(すみません確かに対偶じゃありませんでした。ややこしいので削除します。ご指摘ありがとうございました)

この問題を検証するには、ます人間を以下の通り分類する必要がある。

  1. 本を自分で購入して読み、また合わせて図書館でも借りて読む人
  2. 本を自分では購入しないが、図書館で借りて読む人
  3. 本はすべて自分で購入して読み、図書館では借りない人
  4. 本を自分では購入しないし、図書館でも借りない人

4のひとは考慮の対象から外れる。どのみち本を読まないだからだ。また3のひとも外れる。元々図書館の利用者ではないからだ。

「本が売れないのは図書館が本を貸すからだ」という主張は、より正確に言うと「もし図書館が本を貸さなければ、1および2に含まれるひとたちがより本を買うようになる」という意味になる。

これを立証するのは至難の業だ。ちゃんとやろうと思ったら1と2に分類される人々を数百人くらい捕まえて二群に分け、片方からは図書館の利用資格を10年くらい剥奪するというちょっと自由民主主義国家にあるまじき実験をしなければいけない。正直、現段階では上記の4分類の人数比すらわかっていない。この問題を今の状況でちゃんと立証するのは無理なのだ。

 

まぁ無理を嘆いても始まらない。できるだけ本来の問いに近づけるような別の問いを立て、得られるデータで立証していってみよう。

本稿は先行研究とは異なり、時系列データではなく2015年時点での都道府県別データを扱う。空間的に比較してみたいからだ。時系列で考えた場合、景気やインターネット等の影響が大きすぎる。

また所得の変動による書籍消費行動の変化、つまり「お金がないから本を買わずに図書館で借りるようになった」は考えない。それは本が売れなくなった理由ではあるが、図書館の所為ではないからだ。

同じ理由でそもそも本が売れない件の犯人探しはしない。本が売れなくなった理由は少子高齢化とかインターネットの普及とか不景気とか色々言われているけれど、いずれも図書館は関係なく、本稿の問題意識とは外れる。

承前・日本で一番本を買うのはどこの地域か

 そもそも現段階でどこの都道府県の住民が本を一番買うのだろうか。やっぱり所得が高く比較的若者の多い、東京とか大阪の都市圏だろうか?いやいや、そういう都会は本以外にも娯楽が多い。だから意外と本を買わないのかもしれない。

逆に本を買わないのはどの都道府県だろう?失礼ながらきっとド田舎で、可処分所得も低い地域なんだろうか。いや、本は比較的お金を使わない娯楽だ。今はAmazonもあるし、どこにいたって本は買える。娯楽の少ない田舎ほど本を買うかもしれない。

ではどうぞ。

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これは一人当たり書籍雑誌購入額の上位3都県と下位3県、そして全国平均を表している。ダントツで本を買うのは東京で、最下位の沖縄の倍以上の金額を買っている。

しかし都会だから本を買うという訳ではなさそうだ。失礼ながらこのグラフに掲載されている他の県は、東京や大阪などと比べると都会とは呼びづらいエリアだ。

ちなみにこの書籍購入額は可処分所得とはほぼ関係がない。確かに東京の世帯可処分所得は全国平均より上だが実は沖縄や和歌山とそう変わらず、可処分所得トップの石川県の書籍購入額は15541円だった。相関係数は0.14でした。

うーん犯人捜しはしないと言ったけれど、とりあえず可処分所得の低下は出版市場縮小の主犯ではなさそうだ。

仮説1: 図書館の利用者がより少ない地域の住民は、より本を買うはずだ。

よくわからないけれど、仮に日本人全員が本を読むものとする。本を入手する方法は自分で買うか図書館で借りるかしかない(ことになっている)ので、図書館を利用しないひとは自分で本を買っているはずだ。つまり、図書館利用者が少ない地域の住民ほど、自分で本を買っているはずだ。

図書館は利用登録をしないと本を借りられないので、利用者の人数*1は正確にわかる。また、各都道府県の一人当たり書籍購入額*2も推計値ではあるものの分かっている。

これらの数字から図書館の利用登録率と一人当たり書籍購入額の関係が分かる。ではどうぞ。

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……うーん見事に関係ありそうには見えない。相関係数は-0.10でした。一番右の外れ点は山梨県で、実に80%近い驚異の利用登録率を誇っている。これは一体何なんだろう?もしご存知の方がいらしたら教えてください。

どうもこの路線はよくない、次へ行こう。

仮説2: 貸出冊数が少ない地域の住民はより本を買うはずだ

図書館で本をたくさん借りると書籍の売上を圧迫する可能性がある。だから、図書館の一人当たり貸出数が少なければ、より書籍が売れるはずだ。

ではどうぞ。

f:id:aliliput:20171101184830p:plain

うーーんこれも相関係数は見事に0.00でした。次へ行こう。

仮説3: 図書館が新刊本をたくさん買わない地域はより書籍が売れるはずだ。

そもそもこういう問題の多くがいわゆるベストセラーの複本に負うところが大きい。要はベストセラー本の新刊売上の圧迫が問題なのであって、過去の本や専門書が目の敵にされているのではない。だから、図書館が新刊本をあまり買わない地域ならより書籍が売れているはずだ。

ではどうぞ。

f:id:aliliput:20171101190221p:plain

……相関係数は0.07。ちなみに一番右の外れ点は高知で、利用登録率が20%くらいしかないのでこんな値になっている。

ええと、お次はどうしよう?

どっちにも結論が出ない問題の難しさ

考えられる仮説を思いつくまま上げてみたけれど、どれもはっきりとした相関関係は認められなかった。正の相関も負の相関も認められなかったのだ。現段階では

「本が売れないのは図書館が本を貸すからだ」も、その反論としてよく出される

「図書館は読書市場の拡大に貢献している」も、どちらも立証できない。

こういう問題は気持悪いね。誰かを悪者にして落ち着きたい気持はよくわかる。でも、そうはならなかった、ならなかったんだよ。だから――この話はここでお終いなんだ。

 

補遺・出版市場にとって図書館って何なんだろうね?

 全国平均をとってみると、図書館の利用登録者はそもそも人口の40%くらいしかいない。図書館はアクティブユーザを集計していないので、このうちどれほどの人々が実際に日々図書館を利用しているかは分からないけれど、まぁ楽観的に見て図書館のアクティブユーザと言える割合は人口の20%くらいしかいなさそうだ。

日本全国には公共図書館が全部で3200館ほどあって、もしこれらの館が一冊ずつある本を買えば、それだけでその本は3200部売れることになる。一概には言えないものの、書籍は初版で5000部出ればまぁよし、1万部出せれば万々歳らしいし、特にそれが専門書だったら初版で3200部動いたら宴会を開くレベルとも聞いたことがある。事実、新潮社社長は「専門書や学術書は図書館が買い支えていることも理解している」と述べられている*3。ただ、3200部という数字はもちろん今問題にされているベストセラー本にとっては割とどうでもいいだろうことも確かだ。

なお、現在の書籍・雑誌年間売上高は1兆8千億円ほどで、公共図書館全体の購入額はこのうち1%強程度になる。この数字をどう見るかも、学術系出版社か文芸書中心の出版社なのかによって異なるだろう。同じ出版社と言っても、そのビジネスモデルは規模や分野によって大きく違う。

個人的には、今の図書館というものが出版市場の趨勢にインパクトを与えられるほどの規模には見えない。図書館がそれなりに頑張っても、本を読まない人間を読書人に育てられる訳でもなさそうだ*4。ごめん出版業界、図書館は無力だ。敵にも味方にもなれない。

せめてOPACの検索データや予約・貸出履歴を活用して、図書館で必要とされている本の情報でも外部提供できたら少しは出版業界のお役にも立てるのかもしれないが、そういう話はまだちっとも進んでいない。そもそも、利用状況の詳細な分析に耐ええるデータを公開している図書館はほとんどない。

ほんとどうしたらいいんだろうね?図書館と出版社の不毛な喧嘩に使うエネルギーがあるんなら、もっと生産的なことに使いたいんだけれど。

 

出版状況クロニクル〈4〉2012.1~2015.12

出版状況クロニクル〈4〉2012.1~2015.12

 

 

*1:日本図書館協会『図書館年鑑2017』

*2:出版ニュース社『出版年鑑2017』

*3:「一年間の新刊貸出猶予にあたって、図書館から出版社にお願いがあります」http://lovelibrary.hatenablog.com/entry/2015/11/14/201254

*4:「図書館は格差解消に役立っているのか?」https://synodos.jp/society/15672

ネットで何でも分かる訳ではない一つの理由

※2015年11月11日に開催された図書館総合展フォーラム『機関リポジトリの近未来』ネタです。遅くなって申し訳ありません……。

 

 

インターネットが一般に普及してもう16年が経過した。全ての情報はオンラインに移行し、新しい情報がどんどんアップされ、大抵のことはググったら分かるようになった。このまま人類の知は黄金時代を迎え、IP reachなひとは誰でも必要な時に最先端の正確な情報をフリーに得られるようになる……かと思われた。

でも現実はそうじゃない。Twitterでは相変わらずエセ科学デマが広がり、ググっても真偽の不明な謎のまとめサイトが引っかかるばかりだ。科学技術をめぐるメディアの報道は要領を得ないものも多く、情報の出所を知りたくてもどこにあるのか分からない。今までもそうだったし、これからも、このままではネットに最先端の信頼できる情報は出てこない。それはなぜか?

答えは簡単である。そうした情報はオンラインで公開されていないからだ。

 

ある程度マトモで信頼できる最先端の科学や医学に関する情報といえば、大学等の研究機関に属する専門の研究者によって執筆される学術論文だ。それも、同じ研究者による査読を受けたものであればより信頼性が高い。

現在、レビューを受けた学術論文のほとんどは学術雑誌に掲載される。これらの学術雑誌は電子化されている物、また電子媒体でのみ配信される物も多く、大抵の自然科学系学術雑誌ならばオンラインで閲覧が可能だ――安くない料金を支払えば。

例えば最大手の学術出版社の一つであるSpringer社が発刊している"São Paulo Journal of Mathematical Sciences"誌はその内容をSpringer社の公式サイトで閲覧できる。論文一本を読むのに39.95ドルだ。Elzevier社の"Academic Radiology"誌の場合、論文のPDFが一本35.95ドルで買える。学術論文を一本書くのに他の10本の論文を引用するとして、実に400ドル近い金額がかかる。

大学のような研究機関において、このような金額を各研究室の予算でちまちま支払うのは現実的ではない。だから多くの大学では大学図書館を通じ、複数の電子ジャーナルを一括契約してなるべく購読費を抑えようとしている。それでも電子ジャーナルの年間購読料は数億にも上り、大学図書館の財政を圧迫している。

そこで各大学では、少なくとも自機関で執筆された論文については自前でオンライン上に公開しあい、広く一般の利用に供するとともに電子ジャーナルの購読料を抑える道を模索している。この自前アーカイブを機関リポジトリといい、査読付き論文の他にも学位論文や紀要論文、研究データなど幅広くその機関の研究成果を収録している。また、この機関リポジトリで執筆者自身が論文を公開することをグリーン・オープンアクセスという。

 

この機関リポジトリは素晴らしいアイデアだが、現実には問題もある。まず、機関リポジトリの構築・運営自体がタダではない。機関リポジトリは単なるファイルサーバではなく、各種メタデータの格納や研究機関での実用に耐える検索性能、他の論文アーカイブとの連携も求められる。わが国ではNII(国立情報学研究所)が率先して機関リポジトリの普及に励んでいるが、この問題を解決すべくJAIRO Cloudというクラウド型サービスまで提供して頑張っている。

www.nii.ac.jp

これにより今までに672の機関リポジトリが誕生しているが、日本国内の大学設置数が781校であることを考えるとかなりの健闘ぶりだ。いつか100%になる日を楽しみに待ちたい。

しかしながら次の大きな壁が、そもそも機関リポジトリでの公開がしづらい論文がかなりの数存在するというものだ。

実は学術雑誌に掲載された論文の著作権は、出版社がこれを持つという契約になっている。著者の一存で公開する訳にはいかないのだ。厳密に言えば「著者最終稿」という著者が投稿する直前の論文原稿は著者に権利があるが、それは雑誌に掲載されるそのままの形のものではない。また複数の所属機関が異なる著者たちによって執筆された場合や、外部からの資金を受けて行った研究成果に関する権利など、学術論文の著作権処理は案外複雑なのだ。

加えて、体裁の異なる論文や研究データを適切に処理し機関リポジトリで一元管理するための細かい作業があり、これが案外バカにならない手間だ。現在、論文が電子化される際にはその論文単位での管理のみならず、論文に含まれる図表に個別にDOI(デジタルオブジェクト識別子)を付与しての管理が一般的になりつつある。機関リポジトリに論文を登録するにあたっても、単にPDFをアップロードすればいいというものではない。研究者がこの手間を敬遠するのも、機関リポジトリへの登録を阻む壁になっている。現在機関リポジトリにおける論文の全文公開率は、博士論文に限っても28%程だ。

現在、国はこうした問題をなんとかするために、科研費の一環で研究成果公開促進費という助成金をつけている。オープンアクセス可能な論文の数は学術研究の国際競争力にとても関係が深いから、国も機関リポジトリ等を活用したオープンアクセス化の推進を行っている。先日報道もあったが、第5期科学技術基本計画では公的資金を用いた研究成果をデータも含め原則公開の義務付けが決定されている。

www.asahi.com

完成した論文本体だけではなく実験データも併せて公表されれば、例えばSTAP細胞の時のような問題をある程度早い段階で検証できる。また、似たような実験を他の研究でやっている場合、そのデータを参照して二度手間を防ぐこともできる。そのため、最近では論文そのもののオープンアクセス化にとどまらない研究データのオープン化への動きが活発だ。

 

研究者は今のところ査読付きの学術雑誌に論文を掲載するか、あるいは著書を出版しないと業績にならない。Twitterで流布されるデマの訂正に研究者の力を期待する声もあるが、そんなことをしていても彼らには一円にもならないのだ。専門知識を他者に提供して生業としているひとに対し、タダでデマを訂正して回れというのは筋違いだ。

もし研究者に対しネット上での啓蒙活動を求めるならば、グリーンの論文を増やし、それらにオンラインで簡単にアクセスできる道を拓いてもらうしかない。ここ最近ではあるが、オルトメトリクスと言って学術論文同士の被引用数以外の観点から学術論文の影響力を評価しようというアイデアも生まれている。そのアイデアを採用するならば、オンラインでの論文の閲覧回数やTwitterでの論文への言及数などが論文の評価を上げることにもなるのだ。そうなれば、研究者への評価にもつながり得る。

エセ科学に対抗する学術論文を一般人が「読んで応援」できるなら、研究者の側にもそうした論文を執筆するインセンティブが生まれる。お互いに悪い話ではないはずだ。もし同意してくれるなら、まずは自分の通っている学校や卒業した学校などの機関リポジトリ状況を調べ、OBとして、そして一利用者として関心を持って頂けると幸いです。

 

すべてはグリーンのために。

 

 

学術書を書く

学術書を書く

 

 

※参考資料リスト

脚注がうまく表示されないからこちらに。

一年間の新刊貸出猶予にあたって、図書館から出版社にお願いがあります

今月開催された図書館総合展において、新潮社の社長が図書館に対し一年間の貸出猶予を求めるとした報道が出ています。

news.tbs.co.jp

一応この場にいた人間としまして、本発言のニュアンスをできる限り正しくお伝えしますと

  • あくまで「特定のタイトル」の貸し出しに対し「一定の配慮」を求める「お願い」であり、強制力はない。従わない図書館がいても構わない
  • 所蔵副本冊数や具体的な貸出数等についての具体的制限は設けない。あくまで図書館側の自主的な配慮に任せる
  • 本件を強く要望しているのは著者たちであり、出版社としてはそうした声を抑えきれない
  • 出版社としては、図書館での貸出と新刊本の売上に明確な因果関係が現時点であると言い難いことは把握している。
  • こういうことは本のジャンルによる差が大きく、文芸書以外の分野では図書館が買い支えている側面があることも理解している。図書館との関係を悪化させるつもりはない

……といった非常に抑えたトーンの話であり、報道は煽ってるなーというのが率直な感想です。

 

ただ確かに図書館貸出冊数の増加と新刊書売上点数に負の相関がある*1のも事実であり、因果関係は現状あるともないとも言い切れません。本件について著者側の疑念に決着をつけるには、こうした措置を行って"実験"をしてみる以外の方法はないように思います。本件が実際に発動した場合、出版社におかれましてはぜひそうした統計を取ってもらいたいです。

また図書館の中のひと的にも特に反発はないものと思います。「まー残念だけれど権利者さんが言うならそうしようか?」くらいに捉えている方が多いような感触です。多分本件に強い反発を覚えているのは一般の図書館ヘビーユーザーの方なのではないでしょうか。

 

しかし図書館員に感情的な反発がないとはいえ、一部の本を特別扱いしなければならない訳ですから、事務作業の手間が増えます。できるだけミスなく新刊本を受け入れて出版社や著者のご要望に沿うために、出版社その他書籍流通関係者におかれましては単なる要望だけではなく下記のような配慮をお願いできませんでしょうか*2

  1. 該当書籍を見計らい本から外す
    図書館に購入されると分かり切っている見計らい本に、貸出猶予対象の本が入っているとチェックに手間が取られます。そのような本を図書館に持ってこないようにお願いしたいです。
  2. 新刊案内ならびにMARCに注意書きを記載
  3. 月ごとに「貸出可能になった本一覧」を配信
    出版社数社合同で、TRC発注バーコードつきの貸出可能本タイトル一覧をお送りいただけると、タイミングよく購入できて便利です。その時点での在庫の有無もあればなおいいですね。
  4. 該当書籍の奥付に貸出猶予期間を記載
  5. 各出版社は「現在の貸出猶予タイトル一覧」を公開
    図書館利用者にご説明しなくてはなりませんので、各出版社のWEBサイトに「現在の貸出停止申請タイトル一覧」を掲載しておいて頂きたいです。図書館のオンラインOPACからそのページにリンクをしますし、また印刷して各図書館の館内にも掲示します。
  6. 貸出猶予に関するお問い合わせ窓口の開設
    図書館員が窓口などで新刊貸出猶予について個別に利用者にご説明するのは大変な手間です。貸出猶予タイトル一覧と共に各出版社のお問い合わせ電話番号を館内に掲示しておきますので、そうした窓口の開設をお願い致します。別に専用窓口でなくても構いません。

……うーん他に何かあるかな……まだアイデアのある方はコメント等いただけますと幸いです。

 この思い、とどけ出版社に!

 

つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書)

つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書)

 

 

※いくつかいただいたコメントに関して追記(20151115)

「本の人気に関わらず同じ冊数を所蔵すればいいのでは?」

 これはちょっと難しい話なのですが、何度も貸し出される人気のある本は損傷が激しく、100回も貸し出されると再購入を検討しなければならないくらいボロボロになります。図書館には本をそれなりの期間保管するという役目もあるので、1年くらいでボロボロになり廃棄しなければならないと分かり切っている本の副本を持たない、というのは厳しいのではないかと思います。基本的に図書館はそういった資料の損失も考慮して副本を購入しており、単純な貸出数増加のためばかりに副本を購入している訳ではありません。電子書籍の貸し出しが一般的になれば、また事情は変わってくるのかもしれません。

「貸出猶予をお願いされてるだけなのだから、禁帯出にしたらよいのでは?」

貸出猶予対象の本の具体的な所蔵について新潮社の方から特に言及はなかったのですが、貸出猶予期間中の各館の対応としては下記の4つが考えられると思います。

  1. 該当書籍を購入・所蔵しない
  2. 該当書籍を購入するが利用には供さない(書庫にしまう、展示のみ行うなど)
  3. 該当書籍を購入し館内利用にも供するが貸出はしない
  4. 該当書籍を購入し、普通に貸し出す(「お願い」を聞かない)

本稿では1の路線で話をしましたが、この「お願い」をどのように解釈するかは各館で異なることと思います。また現段階では新潮社の方も1~3のうちどの路線を採用してもらいたいかについて明確な考えがないように見えました。

 個人的には実験的な意味合いから、図書館が一切該当書籍の売上に影響を与えない状態での数字を見たいので、1の方針を採用しました。ただ本件が実際に発動した場合、各感がどの方針を選ぶかには興味がありますので、それはそれで何らかの調査を期待しています。

*1:図書館総合展フォーラム内では図書館の館数と本の売上の相関も指摘されていました。確かに図書館の分館数が多ければ多いほど本が借りやすくなるので、もしそこに何らかの因果関係があるのであれば、単位人数当たりの分館が多い地域と少ない地域で書店の売上数に差があるでしょう。追って調べてみたいテーマです。

*2:元ネタは@syoujinkankyo様との雑談ですw

図書館は格差の固定や再生産に加担しているかもしれない問題

 

図書館を文化資本の格差是正装置として期待する声は多い。しかし本当に、図書館は文化格差・知的格差の拡大防止や解消に貢献しているのだろうか?

この問題について、本稿ではまずid: yuki_o 氏らの興味深い調査『社会階層と図書館利用』を紹介する。

これは国会図書館が平成26年度に行った『図書館利用者の情報行動の傾向及び図書館に関する意識調査』という調査結果の分析だ。yuki_o 氏らはこのデータから回答者を「文化資本」「経済資本」「社会関係資本」の3つの軸で分類し、それぞれの図書館利用実態を検証した。

もし図書館が文化格差の拡大防止に貢献しているのであれば、文化資本を持たない層がより積極的に図書館を活用しているはずだ――えっ、そんなはずある訳ないって?

そう、そんなはずなかったのだ。

f:id:aliliput:20151023150049j:plain

「高学歴者ほど図書館を利用している割合が高い」

「高学歴者ほど図書館を利用している割合が高い」

大事なことなので二度言いました。

 

このことは経済資本とのクロス分析で見るとなお顕著だ。経済資本条件を統制してなお、高学歴者の図書館利用率は高い。

f:id:aliliput:20151023160042j:plain

余りにも簡単に予想でき、あまりにも身も蓋もない事実だ。今現在文化資本を持たないひとは、自ら図書館を利用しようなどと思わないのである。そして図書館は学校と違い、利用しようと思わないひとに強制的に利用させることはできない。

 

図書館が主に高学歴者によって利用されているのであれば、図書館は格差の解消どころかむしろ拡大・再生産に加担しているかもしれないのでは? ((元リンクをたどっていただければ分かりますが、本研究の原著者たちは相関を指摘するにとどめ因果を見出してはいません。

 もし本稿にて因果関係について踏み込んだ解釈が読み取れるとしたら、文責はすべてaliliputにあります。ぜひ元データをご参照頂いた上で、ご意見ご指摘を賜れればと思います。))

そもそも、図書館に格差の解消という役目が原理的に可能なんだろうか?

 

この研究が敷いているであろうブルデューは、文化資本の再生産メカニズムの存在を指摘し、文化資本は世代間で継承されるものだと主張している。

また、安藤寿康氏などの遺伝論者は、そもそも知能は遺伝によって親から子に受け継がれるものだと主張している。

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

 

 

 

 

別の側面からこの事態を検証してみよう。

財団法人 出版文化産業振興財団『現代人の読書実態調査』2009

によれば、親が読書好きであったほど子どもも読書好きの傾向にあると報告されている。

f:id:aliliput:20151023160314j:plain

読書好きの傾向というのは「遺伝」するのだろうか?つまり、文化資本が高い親から生まれ育てられない限り、子どもも高い文化資本を持つことはできないのだろうか?

もしそうなのであれば、図書館による格差の解消もへったくれもない。生まれが全てを握っている。図書館は無罪だし、無力だ。

 

この問題に対する見解はどうやら専門家の間でも割れるようだ。知能がどこまで器質的に遺伝するのかという問題は、教育学者から大脳生理学者、生物学者など多くの研究者の論争の的になってきた。

頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

 

 多分図書館学徒や教育学徒の多くは、知能が遺伝するという説に与しないだろう。そうじゃない事例を多く目の当たりにしてきているからだ。ただし世の中にはそう思わないひとも多くいる。ニスベット『頭のでき』は、知能と遺伝の関連について調査した研究をメタアナライズし、それらの論点に詳細な解説を加えている。

さて、知能は「遺伝」しないまでも「継承」することは確かなようだ。生まれつき札束を持って生まれてくる子どもはいないが、それでも親の経済力が相続によって子に継承されるように、知能もまた継承される。そのメカニズムの一端を、『現代人の読書実態調査』は以下のように示している。

f:id:aliliput:20151023162409j:plain

読書量は親からの読み聞かせと明らかな相関がある。読書習慣は器質的な遺伝ではなく、親からの読み聞かせという行為を通じて親から子に継承されるのだ。このことは次の学校における読書教育が如実に示している。

f:id:aliliput:20151023162636j:plain

学校における読書教育も、親による読み聞かせと同じくらいの効果を上げることが分かる。学校は子どもを産まず育てるだけだから、これは遺伝ではなく環境による成果だ。

 

同様の指摘は、文部科学省お茶の水女子大学に委託して行った全国学力・学習状況の調査研究でもなされている。

「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」(国立大学法人お茶の水女子大学)2014

こちらでも、家庭の社会・経済資本に関わらず読み聞かせ等を通した読書体験を増加させるような試みによって子どもの学力の向上は可能だと指摘されている。 *1

 

しかし図書館は学校ではない。文化資本を持たず、したがって図書館を利用しようという発想のないひとたちに無理やり来館させることはできない。図書館はあくまで、自分で利用したいと考えるひとに対してサービスを提供する場所だ。

ということは、やはり図書館には格差を解消する能力はないのだろうか?

 

そもそも図書館の役割を考えると「文化資本の格差を解消する」ことが図書館のミッションになるのだろうか。格差解消はあくまで社会というマスに対する介入であり、個別の対象への支援を直接の業務とする図書館とは性質が異なるものだ。だから、図書館が直接に格差解消を業務とはできないし、する必要もない。

ただし、格差解消を目的とした別の機関を支援することはできる。

例えばブルデューとニスベットも指摘した通り、学校は階級の再生産システムにもなれば格差解消に大きな力を持つ機関でもある。もし学校が自校の担当地域内の格差解消を目指した場合、図書館にはその活動を支援することで格差解消に貢献する道が拓かれる。

 

図書館とは一体何をする機関なのか、そのことに未だにいまいちコンセンサスが取れていないという点が、図書館行政をめぐる混乱や図書館の立ち位置の悪化につながっているように思える。この辺りの理論的検討は一体今どこまで進んでいるんだろうか?素人質問で恐縮ですが、なにとぞご教示頂けますと幸いです。

 

 

 

*1:本研究については

synodos.jp

こちらの記事もご参照ください。