Javaのアノテーション(Annotation)に、Class、アノテーション、アノテーションの配列を設定した場合の default句の書き方

Javaアノテーション(Annotation)の属性にアノテーションを設定しているのだが、default句に null が設定できないので、何を設定して良いかわからなかったためいろいろ試行錯誤した。ただ、この書き方が良いのかどうかはよくわからないw

クラス型に関しては ここ を参考にした。

public @interface SampleAnno {

  // アノテーション配列の属性を設定した場のデフォルトの書き方
  AnnoField[] fields() default {};

  // アノテーション型の属性を設定した場のデフォルトの書き方
  AnnoField field() default @AnnoField();
  
  @interface AnnoField {
    String hoge() default "";
    String huga() default "";
  }

  // クラス型の属性を設定した場のデフォルトの書き方
  Class type() default DEFAULT.class;
  static final class DEFAULT {}
}

ただ、アノテーション内に定数を設定する方法は、maven等で javac コマンドでコンパイルする(Eclipse上ではエラーが出ない)と

SampleAnno.java:31: 注釈 SampleAnno に がありません。

というような謎のエラーをはくので、別クラスに切り出したほうが良いと思われます。詳しくは こちら。以前ハマったので参考までに。

Play2.1 メモ

STB の Build.scala にソースディレクトリを追加する方法

Playのプロジェクトに既存のJavaファイルを追加したかったので、SBTにソースディレクトリを追加する方法を探す事に。

このページを参考にして、

val main = play.Project(appName, appVersion, appDependencies).settings(
sourceDirectories in Compile := Seq(file("other"))
}

と、設定してみたのだが上手く行かなかった。もう少し調べると Why is my sbt sourceDirectories setting having no effect? というページが見つかったので

unmanagedSourceDirectories in Compile += file("other")

と設定するとうまくいったのだが、なんか釈然としなかったw

Play2.1をIDEA Intellij 12 を使って開発中、突然 Intellij でコンパイルできなくなった

Play2.1を試すため、IDEA Intellij 12 を使い始めたのですが、色々やっていく内に初期状態に戻そうと思って

play clean
play idea with-sources=yes

とコマンドを打ち、IDEAの設定ファイルを作成しなおしたら何故か大量のwarnが出るようになってしまった。Intellij自体の扱い方がよくわからなかったため、そこから半日ほどはまってしまったわけだが、結論から言えば IDEAのPlayのプラグイン Play2.0 Support をインストールで解決 です。

Prereferance → plugins → Browse Repositories → Play2.0 Support

でインストール出来ます。https://github.com/typesafehub/play-plugins から2.1用のプラグインもインストールできるようだが、ディスクからのインストール方法がよくわからなかった。

以下、検索で引っかかりやすいように事の経緯を記しておきます。

設定ファイルを再作成後、

scala: Output path null is shared between: Module production, Module tests

Currently external Scala compiler prohibits output path sharing.Either disable the external build mode or configure separate output paths.TIP: you can use Project Artifacts to combine compiled classes.

という謎のエラーに遭遇。プロジェクトの設定がおかしいらしいので File → Project Structure → Module で色々と設定を変更すると今度は

scala: Сompiler library for module not found: Right(Project) / Right(scala-2.10.0)

という、さらなる謎のエラーに突然遭遇w。エラーの意味がわからずに途方に暮れてしまった。どうやらScalaコンパイラーが見つからないというエラーらしい。

File → Project Structure → Module → Scala のComliler library の設定がおかしくなっている結果だったらしいが Play2.0 Supportプラグインインストール後は何故か動作するようですw 動作しない場合は、ここの設定を正しいものにすると良いかも。

play idea with-sources=yes 実行時の大量warnに関しては、一度 play run した後、再度 play idea with-sources=yes すると動作するようです。

以上、参考までに

BLOG移行しました

そういえば、こっちにBLOG移行したことを書いていなかった事を今更思い出したので、今頃お知らせしますw

気がついたら全くIT系のことを書いていないBLOGになったので、技術系以外の話題に関しては別のBLOGを立てました。

PeterNote ( http://amapetas.tumblr.com )
一般向け記事。震災復興系の活動報告や日々思うことを書いています。このBLOGの記事の続きは「わらしべという言葉に託したもの」 です。

以後こちらの方をよろしくお願いします。

春合宿に参加した学生達へ

昨日で俺的激アツイベントである東北春合宿が終わりました。

参加した皆様、一日たってどんな感じでしょうか? 

興奮冷めやらぬ、って感じになっていると嬉しい限りです。さて、いい機会なので「なんでお前はそんなに熱心やねん!!」的疑問について答えておきたいと思います。

一つの理由は「最終日が4月9日であった」こと。そこら辺に関しては前記事の この一年をふりかえる で触れたので割愛。後いくつか理由があるのですが、一番の理由は、現地に行ってみて「今しか感じられないことが沢山あった、と痛感したから」 まずは、そこらへんの事を昔話から。

今この時にしか感じられない事を君達へ

この春合宿、時期が時期だし全然人集まらないんじゃないかと思っていたんです。しかし、蓋を開けてみるとありがたいことに募集以上の参加者が集まった為、予想外のいけない人たちが出てしまう自体になりました。さて困ったと考えた結果、その人達を引き取って僕がGWにでも合宿を計画しようか、と一時期思うように。が、寄付金集めが難しそうなので一旦あきらめました。しかし、それから色々考えた結果、最終的には「この際自分で100万円出してみるか?」と思うようになった。

だいぶ病気が進んだ感じである (笑)

でも、10年後に100万円を使って、今この時と同じだけ心に残る経験をさせられるだろうか? ということを考えれば、いま100万を使うことは凄く安くて効果的なことのように気がしてきたんです。そう思えるようになると、今後10年で10万円多く稼げばいいだけの話だと思えるようになった。

「よし、やっちゃうか」

と、思ったものの、2つのことを同時に進められないアホの子なので、やり始めてしまったらシステム制作そっちのけで合宿に集中してしまうであろうからやるにしても夏か秋にしようと思い直し、春合宿は側面支援することにしました。

ただ、この「100万円全部出したるわーー」という覚悟を持てたので相対的に3万5千円が安く思えるようになり、気持よく寄付することが出来るようになったところはあります。勘違いしてほしくないのですが、貯金はあるけど基本ビンボー人です。だから、100万円はかなり大金です。3万5000円だって大変です。明日から当分は三食TKG(卵かけご飯)でしのがなければなりません。本当です。命がけの寄付なんです!!

でも、そこで100万円だすことでお金稼ぎにいまいち真剣になれない自分を追い込んでみるのもいいかもしれない、と思うところがあってそんなやんちゃなことをしてみようかと一時思いました。今はやっぱりシステム運営資金としてとっておいたほうがいいだろう、とちょっと冷静になっています(笑)

そうまで思い込めた理由はやはり

今しか感じてもらえないことを、今体感してほしいから
今なら東北が君達を大きく成長させてくれるかもしれないから

でも、今、お金がない(笑)

今ほどお金稼ぎに真剣に取り組まなかったことを後悔したことは無いです、真面目に。

僕が経験して来て欲しかった事

僕がこの合宿で経験して欲しかったことは主に2つ。夜のダイアログと最終日のバスの中のチェックアウト。「ボランティアはどこ行った?」と言う件に関してはオトナの対応でお願いいたします。

学んで欲しかったことは 。。。 なんだろう(笑) 
実は 。。。 特に無かったりする(笑)

というのも、それらさえ経験できれば、きっと「何かを学びたくなる」から。学ぶ対象は何だっていい。学びたいという情熱が出てくるだけでいい。僕だってこの合宿で何を学んだのかうまく説明できないのだから「この合宿でこれこれを学んできて欲しい」とは明確に言えない。だから「行けばわかるさーー by 猪木」なのですw

さて、ここらへんで僕が事前に参加学生に送ったメッセージの意味について説明しておきます。僕は春合宿参加の学生に対して以下のようなメッセージを個別に送りました。もちろんコピペです ドヤ

僕は冬合宿に参加者なんですが、当初はただのボランティアツアーだと思って参加したけど、予想外に面白くたくさん学べる合宿だったので、今回は寄付にて支援させていだきました。

3/11の事を自分なりに消化するという事は、結構大変なことだと思うけど、やっぱり大事だと行ってみて痛感した。特に自分の言葉で語れるようになっておくことは大事。それには、全身で体験するのが一番簡単で、得るものが多いと参加してみてよくわかった。

この合宿では同じ体験をした別の参加者の意見を沢山聞けるので、その他者の意見を自分なりに消化することで自分の言葉が豊かになっていく、そんな不思議な体験をすると思う。冬合宿参加者はそのことを「ミルフィーユのように重なった」と表現した。本当にそんな感じの感覚を得るので、学びが倍化していく不思議な幸福感を得られると思う。

なので、一つのアドバイスできることがあるとすれば、参加した全員、特に社会人に全員話しかけるくらいの勢いで行ったほうがいい、という事。僕はこれを積極的にしなかったので、今頃になって後悔してたりする。

いろいろな人がいろいろなことを考え、感じながら生きているって事が肌感覚で理解できるようになるし、それらの言葉が折り重なって積み上げられ自分の成長を感じられるようになるから、きっといい経験になる。頑張って

。。。

メッセージ長っっ !!

いつものことです、ごめんなさい。要約すると

ガンガン話しかけろ inspired by ドラクエの作戦

と一言要約できる位のうっすいメッセージなのですが「デキるわ・た・し」を演出したかった為に長文になりました、ええ。実は、僕が結構なデキ女であることは隠したかったのですが、能ある鷹は爪隠せないものですね、テヘペロ

そんな事はさておき、こんなメッセージを送った理由は、ダイアログとチェックアウトをより意味があるものしたかったからです。

僕がこの合宿で面白いと思った一番の点は、表面的にはボラツアにしか見えないが「自分と向き合う」「自分の命の使い道を真剣に考える」というような目標を持った「学びの合宿」であるという点、でした。個人的な考えになりますが、その目標を達成する為に重要だと思えたことは

この合宿の創始者である石川さんの言葉を借りれば「自分の奥底を見せる勇気を持つ」
裏部隊のリーダーである辰濃さんの解釈を借りれば「自分の奥底を知る」
僕なりに表現をすれば「誰かの本気にふれる」

多分こんな事が必要なのだろうと、いまのところ考えています。
さて、だとすれば「自分の奥底を知る」にはどうしたら良いのか?

僕なりの答えは「自分の心と他人の心がどう違うのか?」を知ること。

外国に行くと日本の良さに気がつく、とよく言われます。常識が違う土地にいると当たり前だと思っていた事が実は違うんだ、と言う事に気がつき「当たり前であることの良さ、凄さに気がつく」からなのでしょう。

この考え方を応用すると、自分の心の中での常識、当たり前が何であるか? を知るには、他人の心に触れることが近道かもしれない、と言える気がします。つまり「他人の奥底を知る → 自分の奥底を知る」そんな方法。だとすれば、他人の奥底がどこにあるのか、という距離感を知るために他人と多く、そして深く話す必要があるはず。そしていろいろな人、出来れば全員と話しあえば、奥底を見せる勇気を持てるようになるのではないか、と考えた。で、

ガンガン話しかけろ、コノヤロウ!! by 猪木

という結論に至った、というわけです、ええ

。。。

長っ!!

まあ、濃密な3日間とはいえ「いきなり奥底、ご開陳」ってな事になる人はあまりいないでしょう。冬合宿の僕らがそうであったように、これからもそれなりに会う機会があるでしょうから、すこしずつゆっくりと知りあっていけば良いと思います。

さて、行ってみて、経験してみて、五感で感じてみて、どうだったでしょうか?
楽しかったですか?

楽しかったのなら、支援者冥利につきるというものです。
とにかく、参加学生に言いたいことは

この怪しげで宗教がかった合宿に、勇気を出して参加してくれてありがとう(笑)

かねは天下の回りもの

さて、そろそろこの命がけの寄付(笑)を受け取ることになった学生達へ、僕の個人的な想いを。

このお金はあなた達にあげたものではありません。一時的に預けただけです
僕が欲しいものは君たちの感謝ではありません、君たちの成長です

さあ、いきなり上から目線の高飛車発言きましたよ(笑) まあ、あれです。昔の人は「かねは天下の回り物」といっています。面白い言葉だと思いません? ぼくはそう思ったので、このお金をその天下の循環に返すために君たちに一時的に預けようと考えました。だから僕にとってこのお金は寄付金ではないのです。偶然君達に託すことになっただけのものです。


普通に行けば君たちの残りの人生は僕の人生より長い。

その人生の中で「今この時こそ、君たちを大きく成長させる時だ」と、君達が心の奥底から思えるような時が来たら、僕が託したこのお金を君達が成長を願う見知らぬ誰かに渡して欲しい。

何年後でも構わない。

冬合宿に参加したあの子達が連れてきた君達だからこそ安心して託せる。
全くつながりを持たず参加した子もいるだろう。
そんなあなたはきっと勇気と優しさを持っているに違いない。素直にそう思える。
だからやはりあの子達が連れてきた子達と同じように安心して託せる。

小さな幸福のつながりを君達から

色々なニュースに触れるたび「不幸が連鎖しているな」と思うことがよくあります。悲惨だからニュースになる、ということもあるのでしょうが、なんだか世の中がどんどんと暗くなっているような錯覚に陥ってしまう。とはいえ、どこで起こるかもわからない不幸の連鎖を止められる力があるわけでもない。

でも、最近強く思うのは、不幸の連鎖を止めることに頭を使うのではなく、幸福の連鎖をどうやって引き起こすかに頭を使ったほうがいいんじゃないか、という事。

この寄付もその試行錯誤の一環。つまり、このお金が小さな幸福の連鎖の始まりになって欲しいのです。だから君達に託した。本当にそう思っているのだと伝えたいから、お金にメッセージを添えて託すことにした。僕が寄付をした一番の理由。

だからあのお金は君達へ与えた寄付なのではなく、君達に託したわらしべなのです

この君達に託したわらしべから、小さな幸福のつながりが始まり、そしてつながり続けることで終わりのない不幸の連鎖が気にならなくなる日本になってほしいと願っている。

だからこのわらしべに君達なりの工夫を乗せ、まだ見ぬわらしべ長者へと渡して欲しい。何年後でもいいから。

それが、僕の願いであり、この寄付に賛同してくれた多くの人たちの願いだと思います。

そんな、わらしべ長者があふれかえる日本になったら楽しいと思いませんか?
この合宿での出逢いを機に、そんな面白い形をした日本を一緒に創って行けたら、と思っています。

本当に参加してくれてありがとう。

この一年をふりかえる

このブログを書き始めて明日でちょうど一年になる。いい機会なのでいろいろと振り返ってみようと思います。大体の流れは前回の記事( 311fromjapan の取り組みに寄せて ) でおおむね説明したので割愛したい。

大きめの変化起点は2つあります。

ダジャレクラウドプロジェクトの出会い

一つ目は 2011/5/21 に Hack for japan 主催のハッカソンに参加し、ダジャレクラウドというプロジェクトに参加したこと。

ここらへんの経緯は今までのBLOGに書いていたとおりです。現状は公開状態ではあるものの積極的に活動しているわけではないので、残念ながら停滞状態としているといえます。個人的には今まで思いついたアイデアをなにかしらの形で実現したいので、余裕ができたら再起動をかけたいと思っています。

いまはダジャレクラウドを発展させるためにアイデアを考えていた時に思いついた、より重要だと思えるサービスの開発に注力しています。サービスの内容はまだ詳細には語れませんが、新しい形で薄く広く寄付を集めるシステムを作っています。一般公開を6月位に予定しているのでそれまでお待ちいただければ、と思っています。

SocialShiftな人達との出会い

2つ目は、2011/7/4に SocialShiftというイベントに参加したこと。このイベントはIT系ではなく、震災復興色も薄かったように思えたので、最後まで行くことに悩んだのですが、結果的に今まで参加した数多くのイベントの中で一二を争う参加してよかったと思えたイベントになりました。

このイベントで出会った人とは、なにかしらの形で縁が続いてたりするので不思議です。「つながり」を重視する人たちばかりだったからなのかもしれません。

ここから助けあいジャパンにつながり、冬合宿につながったので、やはりこのイベントはこの一年ではターニングポイントなのです。最もこのイベントに参加しようと思った一番の理由は HackForJapan で出会った人が参加していたから参加を決めたので、結局 HackForJapan からの始まりです。

そして、この一年で最大のインパクトだった冬合宿の第三弾である春合宿に2番目に行って欲しかったのも彼で、実際参加してくれました。縁が続き、回っています。不思議ですね。

心が大きく変化した一年

心が大きく変化したと思えたのは3回。最初はこの一年内ではないものの変化の起点になった2010年11月末。この時がたぶん僕の人生の中で一番怒った時で、その事がきっかけで今までの発想、考え方を変えようと心から思えるようになった。2回目は最も喜怒哀楽の振幅幅の大きい状態になった2011年9月末。いずれも心の限界線を超えたな、と思えた時。心が成長した時、といっていいかもしれない。

3回目は冬合宿を含む1週間近くの東北滞在。特に感情の限界線を超えたということは無かっただけど、色々考えさせられた一年の締めくくりとしては最高のものだったと思えた一週間だった。

2011年は学びの年にしようと、オープンソースとして公開できるものを目指して色々と作り始めたり、学びを再開し始めたが、震災でいろいろといい意味で吹っ飛んでしまった。自分のためだけの事をやっている場合か? と。そんな感じで3月中は色々考え迷走したが、4月になって「まあいくら考えたって無駄だな」と、無理やり自分を説得し考えることをやめようとした矢先、偶然LTに遭遇する。

あんまり神様とか信じない方だけど、タイミングがタイミングだったのでこれはなにか意味があるのかもしれない、と思え、それ以外の色々な思いも重なったことで少し行動を変えて見ようと思うようになった。

手始めにこのBLOGを書き始めた。一ヶ月くらいザァーーーと、考えていることを一気に書いて行くと不思議なもので、書き終わった頃には「なんかやってみよう?」という感覚になり、復興系のイベントに参加するようになった。その後はBLOGに記しているとおり。

この一年で何が変わったのだろう?

2011年は学びの年にしようとは思っていた。ただその学びの対象はIT技術に関するものにするつもりだった。そこら辺に関する学びはいまいちに終わったが、その奥にある「なぜIT技術を学ぶのか?」のような根本の問いに対して向き合うことができたので、結果的にではあるけどより良質な学びの一年にはなったと思う。

Hack for japan の活動を通じて考えさせられたことは「必要とされるサービスとは何か?」という事。他にも色いろあるけど割愛。僕は初参加当初からハッカソンベースでスクラッチから作るようなアプリのニーズがあるとは思えなかったので、だいぶ色物系、変化球アプローチのダジャレクラウドプロジェクトに参加した。

しかし、色物、変化球であったが故に本質的な問い突き付けられた。

「被災地支援とはどういうことだろう?」
「サービスってなんだ?」
「人に使ってもらえる、とはどうゆうことだろう?」

SIをしていた時にはあまり考えなかったこと、というより考える必要がなかったといえばいいだろうか。ユーザは決まっていたし、ある意味要求通りに作っていさえすれば、使ってもらわなくても構わないシロモノだったから。

もっとも「サービスとは何か?」の方に意識が向かい過ぎたため、あまりコードを書かないで、企画だとかプレゼン資料だとか、文章だとかばっかり書くようになった一年になってしまいましたが(笑)

最近はそこらへんも落ち着いたので、コードを書く量が増えたので開発が進むようになりました。本当、合宿参加者向け記事とか書いてる場合じゃないっすよ(笑) ってな感じですが、書かずにはいられなかったので書いてしまいました。

いろいろな変化があったとは思うけど、結局同じところグルグル回っただけで進歩自体は無かったかもしれない。だから何も変わっていない気もするけど、でも僕にとっては良い一年だと思える一年だったのでヨシとしたい。

つぎの一年で何をしたい?

情けないことだが、こんなふうに次の一年をどうしたい? 的なことを考えたことはいままで殆ど無かった。ダメ人間にはダメ人生が似合っていると思っていたから。でも、この一年を振り返ると自然と次の一年はどうしよう? と言う気持ちが沸き上がってくるから不思議です。多少はまともな人間になれたということだろうか?

変化の始まりは偶然聞いてしまった「誰かの本気」からだった。それは去年の今日4/9の確か18時頃。そして、春合宿の最終日で一番熱いイベントであるチェックアウトも同じような時間帯。このチェックアウトは春合宿参加者の最も心に残る時間になり、ゆえに忘れられない特別な一日になることでしょう。なぜなら、春合宿参加者全員が「誰かの本気」に触れることになるだろうから。

数奇な偶然ですね。こういった日程的な偶然もあって春合宿に対しては他の冬合宿参加者の人よりちょっと強い思い入れがあって、推薦記事とかこのあとに書く春合宿参加者向けの記事を書いていたりします。

僕は前記事でこんな事を書きました。

「これからの日本にとって重要なことは、一人の優秀なリーダーが日本を "Change" させる事ではなく、国民一人一人が小さな一歩を踏み出すことで、日本全体が "Shift" していくこと。それこそが重要」

気がついている人は気がついているでしょうが、この言葉はこの春合宿のファシリテーターである野田さんの話を僕なりに短くまとめた言葉です。つづいてこんな事を書きました。

日本全体が大きく傷ついたのだから、国でも個人でもあの日以前と同じやり方、同じ努力をしていては「あの日以前に戻ることすらできない」ということをいいたいのです。

日本人一人一人が、あの日から半歩前へ進むことでしか、日本の未来は ”Shift” しないのだ、と言いたいのです。

震災後から考えてはいましたが、特に冬合宿参加後に日本の未来だとかをよく考えるようになりました。

「日本の未来」と言ってしまうと、誰か偉い人や有能な人しかかかわれず、普通の人間にはものすごく他人事のように思えてしまう、というのが正直なところだと思います。でも思うのです。

自分と「日本の未来」とは、本当に無関係なのでしょうか?

「失われた20年」などとよく言われます。失われたと言う表現が的確かどうかはわかりませんが「停滞した、止まった20年」であるとはいえそうです。原因を政治や経済政策に求めるなら、原因は幾つでも見つかりそうです。しかし、見つかったすべての原因を誰かが解決できたとして、本当に日本の未来は良くなるのでしょうか? なんだか、僕にはそうは思えないのです。

「自分と日本の未来」が無関係でないとしたら、日本の未来が止まっていた理由は
「自分が日本に対して止まっていたから」なのでは?

最近良く思うことです。だとするなら、日本の未来を変えるために必要なことは、自分の日本に対する考え方や心を少し変えてみることなのかもしれない。

今より半歩前へ

小さな変化で良いのです。いきなり大きく変わる必要などないのです

なぜならその変化が少しずつつながり、共鳴し続くことが一年も続けば自然に、しかも大きく変わるのですから。だから最初は小さくて良いのです。大切なことは臆病な一歩を踏み出すきっかけに出会うこと。


その為に、僕ができることの一つは、小さな変化のきっかけと巡り合うチャンスを増やすWebベースのシステムを作ること。もう一つは、春合宿のような臆病な一歩の受け皿になり、小さな変化の共鳴が起こり続けるコミュニティが自然に生まれるようなFace to Faceベースの仕組み作り。そんな事に今年一年取り組めたら良いと思っています。

やはり日本は面白い国だと思うのです。だから、衰退することは仕方ないにしてもつまらない国になってしまうことには、どうしても納得できないのです。これからも面白い国であり続けて欲しいと心から思います。その為にできることを少しずつ。

この一年をそんな風に過ごせたら。。。 それが今年一年の目標です。

311fromjapan の取り組みに寄せて

311fromjapan の取り組みに対してメッセージを書いたのだが、英語での情報発信のプロジェクトなのに、日本語で長文を出すことはさすが気が引けたのでタグを外した文をそのまま載せます。

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一年前の震災時、僕は東京の自宅でプログラミング中だった。その衝撃の後TVでの津波の映像に釘付になり、何も手がつかなくなくなり、ただ情報を眺めるだけの無為な時間を過ごした。

しばらくして、沢山の情報を探したり、集めたりするようになり、なにかできることは無いかとを探し続け、考えつづけた。そんな風に何もせずに3月を不毛にすごしてしまった。

それだけ悩んだにもかかわらず、結局僕程度の人間には何もできないだろうと諦め日常に帰ろうとした。4月からはすべてを忘れるため、情報一切をシャットアウトした。

日常に帰るためにまず最初にしたことは知り合いが共催していた4/9の勉強会への参加。しかし、その勉強会後のLTで偶然「私は故郷のために何かをしたい」という本気のメッセージに触れ、再び考え込むことになる。

「何もしなくて本当にいいのだろうか?」「本当に僕には何もできないのだろうか?」「自分の故郷はどこ?」 そんなとりとめもない想いがグルグルと回り始めて止まらなくなる。そして、どうしても抑えられないある感情に気がつく。

「自分の故郷は日本である」そんな感情。「東北が傷ついている」そう考えたら、僕は残念ながら本気にはなれない。なぜなら、僕の故郷は東北ではないから。でも「日本が傷ついているのだ」と思った時、もうどうにもならなくなった

「とにかくプログラマとして、できることを探そう」そう考え、BLOGを書き始めたり、震災復興系の色々なイベントに参加。いくつかのアイデアが浮かんだが、どれもいまいち。しかし、活動を続けるうち物になりそうな一つのアイデアを思い浮かぶ。

その後アイデアを実現するシステムを、周辺状況が整理できた10月半ば位から作り始めた。紆余曲折あったがとりあえず形になったので、そのシステムを本日ある組織向けにテスト公開した。このシステムを育てることがこの一年の目標だ。

昨年一年はジタバタ走りまわったものの、結局は一歩も進めていなかった一年だったと思う。もうちょっと違うやり方をすれば一歩くらいは進めたはずなのに、と思う一年だった。

ある友人は言う。「これからの日本にとって重要なことは、一人の優秀なリーダーが日本を "Change" させる事ではなく、国民一人一人が小さな一歩を踏み出すことで、日本全体が "Shift" していくこと。それこそが重要」

ある友人は言う。「大企業に勤めている自分には一歩を踏み出すのにはとても勇気がいる。一歩を踏み出した友人達を横目に見ながらずっと悩んだ。悩んだけど、やっぱり一歩踏み出すのは難しい。。。 でも半歩ならできるかも」

そんな想いや迷いに触れながらシステムを作っていた。ふと思う。「僕は何故このシステムを作っているのだろう?」彼らの言葉がグルグル回り始める。

4月に入っての僕がそうだったように、多く日本人は問題の巨大さに戸惑い、自分ができそうなことを見つけられずに、あの日以来これら問題に対して心を止めてしまったように見える。

僕だって偶然に出会わなければ、心を止めてしまった一人になっただろう。人のことは批判できない。でも思う。これからも日本人として生きていく以上、どうやってもこの問題から避けて生きることはできない、って

一年前、世界の人々は日本に対して祈りを捧げてくれた。でも、後数年もすれば、彼らは祈りではなく質問をするようになるだろう。「アレからどうなった?」って。その時、あなたは一人の日本人としてどう答えますか?

「優秀なリーダーが現れなかったので、あまり復興していません」でしょうか? それとも「私は直接関係なかったので何もしなかったが、予算は沢山ついたみたいなのでそれなりに復興した」でしょうか?

「何もしないのなら、ボランティアにいって直接東北支援してこい!」というようなことを言いたいのではないのです。

日本全体が大きく傷ついたのだから、国でも個人でもあの日以前と同じやり方、同じ努力をしていては「あの日以前に戻ることすらできない」ということをいいたいのです。

日本人一人一人が、あの日から半歩前へ進むことでしか、日本の未来は ”Shift” しないのだ、と言いたいのです。

とはいえ、ただでさえ働き過ぎ傾向にある、日本人に更に働けというのは酷なことです。だから、1%位の協力を薄く広く集めて形にするにはどうしたら良いか? を考え続け、このシステムを思いつきました。

実際、このシステムが役に立つのかわかりません。でも、祈りを捧げてくれた人たちに対して「いろいろやったけど、何一つ物になりませんでした」と言えるくらいにはなりたいと思って頑張っています。

僕の今年の目標は「このシステムを通じ、2011/3/11 以前の日本から半歩前へ進ませる事」

それが、世界中の人々が日本に捧げてくれた祈りに対する、僕がプログラマとしてできる返礼だと想い、この一年を頑張るつもりです。

最後に。沢山の祈りにありがとう。