『メルトダウン 金融溶解』

副島隆彦の監訳。昨今の金融危機の根源を中央銀行制度に辿っていく内容。論理はわかりやすいし、何より訳書の割に読みやすい。副島氏の主張とも合致している(してなきゃ訳さないか)。副島隆彦、朝倉慶、船井幸雄らが今回の金融危機をヘヴィに捉えていて、実際そうなるのだろう。いつのタイミングになるかはわからないがドルおよびニューヨーク債券市場が暴落する。これは、ドルを大量に刷ったことで必ず払わされるツケであって、もう当然のものとして受け止めるしかない。
巻末の解説に副島氏が「日本や欧米への言及がないのが不満だ」と書いている。そう、アメリカ人はこの問題が世界的に悲惨なことになるってことを分かっていないか、あるいは無視しようとしている。本書を警鐘ととらえ、我々小市民はひたすらインフレに備えた資産防衛をはかるしかないのか。金を買おう。

人生設計

車を買ってもいいかなあと最近思っていてgooとかそういうのをだらだらと眺めてみたりした。
友人が貯金をぜんぶはたいてアルファロメオを購入した。昨日それに搭乗してドライブ行ってきた。なんかすごく運転の楽しそうな車だなあと思った。横から眺めていて。
で、親父に車買うのどうよ、と聞いてみた。親父の返事は以下のようなものだった。

・車を買うことにより金銭的な負担を強いられる。以下の理由が生じていないのであれば買う必要はない。
 ?業務上の必要
 ?家庭の要請(介護・育児等)
・車を使用する頻度が土日のみであれば非常に贅沢なおもちゃとなる
・結婚前20代の車道楽は貧乏人生のスタートライン

また車の維持費がいかにかかるか力説された。(私は過去3年間フィットに乗っており、別に車の維持費等について無知なわけではないのだが…)
保険料約1万、駐車場代2万で月3万。毎年自動車税で5万、2年に1度の車検で13万。そのほかにガソリン代、エンジンオイル代、違反代などいろいろ出費がかさむ。ローンを組めばさらにかさむ。

親父は一文無しで結婚してすぐ住宅ローンを組んで車をローンで買ったそうだ。結果、常にお金のない生活を過ごすはめになったと、大変切実に説かれた。
今、毎月きっちり貯金をしていることを伝えると、「それはお前の人生にとって最高の出来事だ」とおほめの言葉をいただいた。
4〜5百万の貯金がある状態で結婚すると豊かな生活が送れるらしい。がんばって貯めてみよう。

ジョジョ

友人に連れられてジョジョバーに行ってきた。横浜にある「The World」というお店。

店内はいたって普通のカウンターバーなのだけれど、カクテルメニューが全部ジョジョ

波紋疾走/シーザーァァァァァァ!!/無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!/マンモーニ/黄金の精神等、以上全部カクテルの名前。

私と知人のロリコンと知人のSEと3人で行った。

私は「グレイトフル・デッド」(プロシュートの兄貴)を、ロリコンは「ザ・ワールド」(ディオ)を、SEは「マジシャン・レッド」(モハメド・アブドゥル)を頼んだ。なんかそれっぽいの出てきた。「マジシャン・レッド」は実際に燃えていた。火が消えた後にグラスを持ってみるとやたら熱かった。そしてすごく強いカクテルだった。一口飲んでSEがしかめっ面をするとマスターが、「すいませんね、マジシャン・レッドはうちで一番強いカクテルにしてるんですよ」と言った。「なんでマジシャン・レッドが一番強いんですか?アブドゥルの男らしい死に様へのオマージュですか」とロリコンが聞いた。「いえ、私ジョジョのゲームでアブドゥル使いなんですけど、ハメ技で一番強いのはアブドゥルだと思ってるんですよね」と答えた。ぜんぜん答えになっていなかったが面白かったのでよしとした。そのあとマジシャン・レッドは割ってもらって飲みやすくした。
2杯目は適当にオーダーすることになった。
ロリコンは、「吉良吉影は静かに暮らしたいという、平穏を望みながら一方で連続殺人を犯すという、平穏を維持するために殺人を繰り返すという一見矛盾した世界観を表現したカクテルをお願いします」とオーダーした。
SEは、「第4部で老いたジョースターが透明な赤ちゃんを見つけるため、己の腕をカミソリの刃で切って血に染めながら水の中を探した、ジョースターの血統に備わる黄金の精神、そんなカクテルをお願いします」とオーダーした。
私は、「第5部でアバッキオ汚職警官となった過去を回想する際にナレーションで出てくる『兵隊は何も考えない』というフレーズ、その没個性ながらも強い信念を感じさせる言葉のようなカクテルをお願いします」とオーダーした。
マスターは少し考えた後、「30分ください」と言った。
30分後、やはりそれっぽいのが出てきたので我々はとても満足した。

横浜東口「The World」。希望者あれば同伴しましょう。

休日は

「なんて開放感なんだ」
金曜日の仕事を終えたあと、おいしいたまごかけごはんを出す居酒屋でビールを一口飲んだとき、そのまま眠るかなにかするほどの快適さを覚えた。大きく厄介な仕事が1つ片付いたおかげだ。今年の大型案件はほとんど片付いた。あとは粛々とルーチンをこなすだけで、なんとかなる。
シルバーウィークは金もないし特に行きたいところもないので本を読んだりして実家で過ごそうと思っている。今12時に起きたから既に初日の午前中は睡眠で空費した。もったいない。でももうちょっと、これ書いたらもうちょっと寝ようかと思う。すばらしい。休みすばらしい。
今日は午後、靴を買いに行くつもり。革靴を1足穿きつぶしてしまったので今1足でがんばってる。

読書について

まるで小説読む以外の趣味がないような過去2日の日記であったが、しかし、私が小説を読み始めたのは比較的最近のこと、大学4年ぐらいになってからに過ぎない。それまで小説を読むことについて特段の意義を見出すことはできなかったし、自分の人生に小説を取り入れる必要はあるまい、とさえ考えていた。それは小説を書いてみたいと、漠然と空想し始めたときでさえ継続していた。自分が記述しようと空想するものは、便宜上小説の体裁を採ってはいるものの、既存の小説という範囲で包括できるものではないと、不遜ながらに考えていた。だから世に流通する小説の、それも著名で時の試練に耐えているものほど、逆に読書に取り入れたいとは考えなかった。模倣を積極的に認めなかった。
そう、模倣を認めなかった。オリジナリティというものは己の心のさらに奥、魂の発露からのみ創出されるのであって、利口に即物的に多読をもって心の領域を拡大することは、オリジナリティなるものの創出外れる、亜流に属すると考えた。それは、本質なるものが徹底的な模倣の連続によって獲得され得るということに、全く気付いていなかったからに違いない。
だから私は遅ればせながら、村上春樹とかドフトエフスキーとかヘッセとかを今読んでいるのだ。そしていかに模倣が、言うは易し、行うは難しかを知った。そう、模倣することさえ叶わないほどに、そうした偉人らの作品は独創性に満ちているのだ。認めざるをえまい。

いろいろ

豆乳しゃぶしゃぶをして煮立ったまま放置していた豆乳が、表面に薄く膜を張ったのでお箸で集めて食べてみたらまさに湯葉だった。しゃぶしゃぶほどおいしく野菜を摂取できる料理ってないと思うな。うん。
今日は業務上の都合でセミナーを2本撮影してきた。上司が忙しかったから1人で行ってきたけど、カメラとか機材持って1人でいくと業者と勘違いされるから嫌なんだ。みんなアゴで使いやがって…俺は固定給なんだよ…。
毎日埼京線で往復しているが、今何やら埼京線の痴漢取締強化期間らしい。埼京線、実際痴漢多いみたいだね。この4ヵ月で2回遭遇したよ。うち1回は揉めてる男女のその真ん中に、何も知らずに歩いていたら割って入ってしまう形になり、その瞬間に男がダッシュして逃げていった。女は「逃げられたーにげられた」とその場で泣き崩れ、まるで私が幇助したかのような体になって非常にバツが悪かった。だからそれ以来いつなんどき痴漢に遭遇しても対応できるよう、日々気をつけている。シミュレーションはばっちりだよ。逃げようとする男を後ろから追うなら首を右手でチョークスリーパー風に締め上げつつ大外刈りでなぎ倒すんだ。冤罪?そんなの知らないよ。
今日『カラマーゾフの兄弟』の上巻を読み終えた。1週間かかった。これほど脳みそ使わせる小説もないな。普通の純文学がエンターテイメントに感じられるほどだ。最も有名な「大審問官」の章よりもそのひとつ前の「反逆」の章のほうが今の自分には心ひかれるように思える。理屈屋の次男イワンが純朴な(そうではないという指摘もあろうが)アリョーシャに、「神が存在するのであれば何故子供が傷つき涙を流すのか」と質問とも自問ともつかず投げかける場面は、上巻で唯一イワンに情熱的なものを感じさせる箇所で、そしてなぜかミスチルの『タガタメ』を思い出した。「大審問官」は難しすぎてよくわからなかったので再度読むこととする。かのウィトゲンシュタインでさえ50回は精読したという。
あと知り合いのロリコンが読んでいると聞いたレイ・ブラッドベリの『華氏451』を読み始めた。類似テーマで描かれたジョージ・オーウェルの『1984年』と対比させて読んでみようと思っている。

3年ぶり

3年ぶりにブログを書いてみる。

私は3年ぶりに書くブログを途方もなく下劣なものに仕立てようと思い、喜々として画面を変更したりいろいろしたりしていたのだけれど、あまりにその作業の地味さと卑屈さに辟易して、ついにはいたって平凡な日記を書くに至った次第です。
我が家にはテレビがない。冷蔵庫もない。椅子はある。パソコンもある。私はそこで寝る。
この部屋はあまりにも殺風景で、何かが芸術的なものが胎動しはじめるには物足りないです。本は非常にたくさんあるが、何か(それも致命的な何かが)欠けていて、どうも私はこの部屋で何かを創造することができないような気がする。
ああ、そうそう私は今小説を書いているのですよ。それもゴリゴリの純文学を創作したいのです。さしあたりそのあたりから。

先日非常に遠い人間関係の友人らと再会した。大阪で3年をドブに捨てた代償はあまりに大きく、私から文学的豊饒さを奪うに飽き足らず、1人を人妻に、1人を人妻に、1人を韓国人に、1人を長身に、1人を花柄の裏地に変えてしまった。ああ!それに引き替えこの私ときたら!未だにビール以外の酒を飲めずにいて。

ああ自分でも何書いてるか分からない。そういえば私ってば画像を多用してお茶を濁す芸風だった。そうだった。そもそも文章で魅せる芸風じゃなかったんだーしっぱいだーしっぱいだ。

それにつけても仕事の忙しさったらありゃしない。