社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

岡嶋裕史『メタバースとは何か』(光文社新書)

 メタバースについて、具体例を挙げながら解説している本。メタバースとは、「現実とはすこし異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」のことであり、ゲームやSNSVRと親和性が高い。仮想世界では現実のしがらみから解放されてもっと楽しく充実した人生を生きられるかもしれない。だが、仮想世界は現実逃避にもっぱら用いられてしまうかもしれないし、急速に構築される世界でテックジャイアントの思うがままの正義が出来上がってしまうかもしれない。

 最近とみに注目を集めているメタバースであるが、すでにゲームなどで現実とは別のもう一つの現実が作成されている。今はまだメタバースの包摂力は強くはないが、将来的には人々がメタバースで過ごす時間が増えるかもしれない。私は仮想現実よりも生の現実の方が居心地が良いのでメタバースにはあまり食指が動かないが、これからの社会の在り方を変えていく技術だと思う。

船木亨『倫理学原論』(ちくま新書)

 倫理学の根本を探求した本。倫理はしばしば宗教・政治・経済・法律と混同されて互いに入り混じってしまう。宗教・政治・経済・法律が混ざっていない純粋倫理について本書は探求している。純粋倫理は言語以前の倫理であり、身体的であり気分や情緒に左右される。それは習慣やマナーというありふれた経験である。ただ、そこには得体のしれないまま倫理的な判断や行動が決定させられてしまう不気味さがあり、それを解消しようと抽象的な倫理学が形成された。

 本書は、おそらく主にレヴィナスに依拠して倫理学の根本問題について思考していると思われる。倫理というものは原理的に身体的であるという思考がまさにそれであり、そこから習慣やマナーが形成されていく論述の仮定は見事である。純粋倫理というものがどういうものか、不純物を切り分けて思考していくのが小気味よかった。

寮美千子編『空が青いから白をえらんだのです』『名前で呼ばれたこともなかったから』

 奈良少年刑務所において、編者が「社会性涵養プログラム」として行った詩作講座での受刑少年たちの作品集。受刑少年は、貧困や虐待、いじめなどの被害を受け、心を固く閉ざして犯罪まで追い詰められた少年たちだった。そういった少年たちが内面を詩として表出することで、カタルシスを得る、周りからの承認・共感を得る、その過程を通じて傷を癒していく。その過程を記した詩集である。その作品群には、受刑少年たちの過酷な経験と孤独で傷ついた内面が現われていて、我々の胸を強く打つ。

 何度も号泣した。私も心に深い傷を負っていて、硬い鎧で心を覆っているので、少年たちの気持ちがとてもよくわかる。だが、少年たちは恵まれている。自分の傷をこのように癒してくれる更生のプログラムが存在するからだ。我々大人たちは、深い傷を抱えながらも生活のために日々働き、そこでまた傷を負いながら生きていかなければならない。深い傷が癒える更生のプログラムを私も受けたいと思った。ある意味少年たちは恵まれているが、彼らのバックグラウンドを考えると、そこにさらに犯罪者としてのスティグマを刻印してしまう刑事制度の矛盾を考えざるを得ない。

マウンティングポリス『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)

 爆笑必至であるが、なかなか鋭い洞察を示してくれるマウンティングに関する本。マウンティングの実例を豊富に示したうえで、相手にマウントをとらせることがビジネスシーンでも役に立つことを示す。また、イノベーションは、消費者のマウンティングエクスペリエンスを拡大することで生まれるとする。つまり、消費者のマウントしたい欲望を叶える商品を開発することが技術革新につながる。マウント要素を上手に組み合わせて独自のマウンティングポジションに立ち他人と比較されないマウントフルネスに立つことが大事。

 本書はほとんどジョークで書かれているような本であるが、マウンティングの実例は秀逸であり、またマウンティングについて展開される牽強付会ともとれるビジネススキルや生き方指南は意外と説得的で参考になる。マウンティングについては、こういうネタ本もいいがもっと強面の学術書が待たれる。

村松聡『つなわたりの倫理学』(角川新書)

 徳倫理学の入門書。功利主義や義務論では適切な解決ができない問題がたくさんある。徳倫理学は、すっぱりした回答を出してはくれないが、様々な事情を勘案しながら臨機応変に問題に対応できる。徳倫理学において重要とされるのは「潜在力」であるが、人間が生を充実する際に必要とする能力と機会の総体のことであり、ヌスバウムによると次の10個が挙げられる。生命、身体の健康、身体の不可侵性、感覚・想像力・思考力、感情、実践理性、連帯、ほかの種との共存、遊び、自分の環境の管理。この潜在力が機能するように諸般の事情を総合衡量するのである。

 最近徳倫理学関係の書籍が増えてきたと思う。確かに、功利主義や義務論では解決できない複雑な問題は、単純な倫理公式で考えるよりもより具体的に臨機応変に考えていった方がより適切な回答が出せるのかもしれない。アリストテレスが唱えたフロネーシスの伝統であろう。とは言っても、徳倫理学にも原理原則があり、そこについてきちんと書いているのが本書だ。なかなか勉強になった。