氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか

氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


氣は思うに、気体より、液体のイメージの方がいいのではないだろうかというようなことを思ったりする。
 でも、これはおいておこう。
思ったのは、氣波動・氣振動が虚軸において、存する。いわば、虚界である。内超界である。
 そして、それが、MP(media point)で次元転換して、氣粒子になるのではないだろうか。そう、氣原子と言っていいかもしれない。あるいは、氣量子である。
 そして、太陽光とは、単なる光子ではなく、氣光子からできているのではないだろうか。これが、人間のココロに歓喜をもたらすのではないだろうか。光は氣光ということになる。
 もっとも、これは既述であるが。
 そう、氣光子ないし氣粒子は、物質科学的には、光子や量子として、観察されて、それ自体は検出されないのである。
 ここが大きな問題である。
 氣自体は観測されないのである。
しかしながら、太陽光と人工照明に拠る違いは明らかだろう。たとえば、植物の生育を見ればわかるだろう。
 光合成のシステムには、氣光子、氣粒子がはたらいているのではないだろうか。
 そう、生命は陰陽共振が原点である。もっとも、陽主導と陰主導があり、後者が陰陽共振である。
 この陰陽共振に氣光子、氣粒子が調和的に作用して、植物はよりエネルギーを得て、成長するということではないだろうか。
 不思議なのは、光合成細菌は放射性物質を好むということである。
 思うに、一般の生命界が成立する以前に、細菌と放射性物質の前生命界があったのではないだろうか。
 そして、その前生命界を抑圧するようにして、通常の生命界が誕生したということなのか。
 とまれ、物質科学・技術は、いわば、この前生命界を呼び戻してしまったということかもしれない。

 
追記:氣光子、氣粒子は、別名、生命子、生命粒子とでも言えよう。
 詩人や芸術家が直観で捉えた生命とは、これらのことではないか。
 自然とココロで共鳴することで、生命子、生命粒子は活性化し、若返るように思える。
 都会はこの生命子がないということになる。灰色ジャングルで、生命脈動がないのである。
 それにしても、物質科学・技術と人間の精神が分離してしまったのは、大問題である。
 前者のタームでは、後者を捉えられないし、後者のタームを前者は非科学と見るのである。
 共通言語がないのである。
 後で、架橋について考えたい。


追記2:氣光子という考え方から、逆に、氣暗子というものがあるのではないだろうか。これは、前者が⇒+1であるのに対して、⇒−1である。
 ダークマターダークエネルギーと結びつけられるかもしれない。
 以下の図で、−1(重力)を氣暗子、ダークマター等と想定するのである。そうならば、宇宙は陰より陽が主導的であるということになるのである。陽は闇を作るのである。
 
 
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
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             感
             性
             体
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             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

父権自我力学分析:同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我)

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12054764338.html


父権自我力学分析:同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我):陽陰両自我の融合


テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合


現代の日本の女性の多くは父権化していて、ココロが欠落している。
 とまれ、父権自我の解明を再確認したい。
 精神は自我体+感情欲望体(アストラル体)、言い換えると、陽自我+陰自我、シュタイナー悪魔論的には、アーリマン+ルシファーの二元論ないし極性論である。
 簡潔にするため、陽自我と陰自我で説明したい。
 陽自我は、同一性自我であり、単独の一へと志向する。つまり、唯一化、「唯一神」化である。物質的には、原子核へと中心化する志向と言えるだろう。
 それに対して、陰自我は、感情欲望自我、あるいは、拡散志向自我、宇宙大自我である。物質的には、原子の電子の志向である。そう、陽自我の極力を向心力、陰自我の極力を遠心力と言うこともできよう。中心化力と脱中心化力である。集中と発散である。【この陰陽の様態については、桜沢如一〔ゆきかず〕氏の『無双原理:易』から得た。


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 そう、注目すべきことは、「東洋的」、「アジア」的小説家D. H. ロレンスは独特の評論『無意識の幻想Fantasia of the Unconscious』でほぼ同様のことを述べているのである。
 宇宙と一体としての太陽神経叢(肚)と宇宙とは別個としての独一としての腰椎神経節(間違っているかもしれない)である。
 前者が陰自我であり、後者が陽自我である。


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さて、父権自我であるが、それは、当然、陽自我に傾斜しているのである。
 だから、同一性主義、自己中心化主義、唯一主義に向うのである。
 だから、陰自我、感情欲望体、差異・他者に対して、同一性を押し付けるのである。つまり、同一性によって、陰自我、感情欲望体、差異・他者を支配するのである。
 ここで、陽自我は陰自我に同一性を刻印して、取り込むのである。それは、同一性的一体化・一致・一元化と言っていいだろう。
 そう、陽自我は同一性によって、陰自我と融合するのである。
 これは、陽自我の意識においては、二元論的であるが、実際は、同一性主義であり、一元論である。
 さて、陽自我に同一性を刻印され、支配された陰自我であるが、これは、それ独自の力学をもっているから、陽自我にいわば復讐するのである。つまり、反動化するのである。
 そう、陰自我はわかりやすく言えば、大宇宙である。森羅万象である。コスモスである。
 それが、陽自我の同一性的一元的支配に反抗するのである。
 では、その様態はというと、それは、情動・欲動・衝動(・狂気)となるのである。無意識の衝動である。ニーチェで言えば、ディオニュソスである。
 ここで簡単に作図しよう。


陽自我・・・同一性、中心化、唯一・独一化
      ↓ ↓ ↓
      ↓ ↓ ↓
      ↓ ↓ ↓
・・・・・・・・↓ ↓ ↓・・・・・・・意識の縁・境界
      ↓ ↓ ↓ 
      ↑ ↑ ↑(反抗、復讐、反動)
      ↑ ↑ ↑
陰自我・・・感情欲望、差異・他者、大宇宙


(追記:ココロの領域を記していない。ココロは意識の縁・境界に形成されていくと考えられる。後ほど、ココロ形成の力学と図を書いてみたい。)


陰自我の↑ ↑ ↑は、陽自我に対する反抗、復讐、反動である。反射とも言える。
 ついでに言えば、二重人格はこの陽自我力学から生まれると言えようし、また、陰自我の反動が過剰になる場合、精神の病も生まれよう。
 以上で父権自我の基礎構造を説明した。
 では、今日におけるハイパーな父権自我、タイトな父権自我の様態を考えてみよう。
 父権自我の意識において、陰自我は否定・抑圧・排除されているのである。そうすると、陰自我は別人格となり、陽自我、父権自我を動かすのである。
 端的に、陽自我、父権自我の知性を狂わすのである。陰自我の盲目の衝動が発動・発現・発露して、陽自我の知を混濁させるのである。
 知性は本来、陽自我と陰自我のバランスのココロと繋がっている。しかし、陽自我がハイパーになると、陰自我やココロを排除するので、自我のもつ観念は、知性から逸脱し、妄想・倒錯・狂気化するのである。
 しかし、父権自我自身はそれに気付かないのである。
 そう、ハイパーな父権自我は、差異・他者を否定・抑圧・排除するので、外的差異・他者を否定・抑圧・排除する情動・衝動・欲動をに支配されるのである。
 これは発作的である。病理的である。当然、暴力・破壊・殺意が入ってくるのである。
 これが、現代日本の社会心理状況と考えられる。
 そう、これに放射能の脳障害や身体障害が入るので、途方もない暴力・狂気・殺意が生じるのである。
 最後にタイトルに、陽自我×陰自我というように掛け算を入れたが、陽自我の同一性志向の掛け算ということである。つまり、陰自我否定的掛け算、つまり、マイナスが入る掛け算である。
 それに対し、陰自我は優勢であると、つまり、母権自我の場合、プラスの掛け算である。
 前者は物質的力であり、後者は生命的力と言えよう。

日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは?

日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは?


テーマ:日本亡国の凶相:黙示録日本


先に、主語subjectは主体subjectであり、主語なき言語は主体なき言語ではないかと述べた。
 自我はあるのであるが。
 主語=主体が対象=他者object or othersにはたらきかけるのであり、ここで、主語=主体と対象=他者の対極があるのである。
 しかし、主語=主体がない場合、対象=他者はどうなるのか。
 おそらく、自我と対象の未分化の一体性があるのではないだろうか。
 日本人の場合、自我と対象(他者)の区別があいまいのであり、未分化ではないだろうか。
 これでは、主体と対象を区別する科学は成立しないのではないだろか。
 そう、自我と対象(他者)の未分化あいまいな関係があるのであり、主体ないし個、さらに、他者が成立していないのではないだろうか。
 私は日本語に愛着をもってきたが、最近は、時代遅れ、時代錯誤の言語の可能性があるように思えている。


追記:
 主語=主体と対象=他者の相互関係において、主語=主体の精神において、ココロの端緒が発生するのではないだろうか。
 つまり、主語=主体とは異質なものとしての対象=他者があり、そこで、主語=主体は自我に抑制をかけると思われる。
 この自我抑制において、ココロの端緒や領域が発生すると思われるのである。
 問題は、主語=主体における感情・欲望である。
 しかし、自我の抑制は、自我の観念と同時に、自我の感情・欲望へ抑制ということではないだろうか。
 日本の「科学」が出鱈目で、妄想・妄念的なのは、以上から説明できるのではないだろうか。

氣とDNA

氣とDNA


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


豆乳ヨーグルトの多食は先に述べたように、別人のように活力をもたらす。
 思うに、氣と免疫力はどう関係しているのか。
今は、氣とDNAの関係について予備考察したい。
 直観では、陰陽対(つい)とDNAの塩基の相関が考えられる。
陰陽ガウス平面を観ていただきたい。


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            凸i陽
             |
             |
             自
             我
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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
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             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。


***************************


虚軸の陽凸iと陰凹iの陰陽対が次元転換して、実軸の+1と−1の対に転換すると考えられるのである。
 DNAの塩基対は実軸に存すると言えよう。
 (そして、放射能はこの実軸のDNAを破壊し、生命更新を損なうのである。)
 問題はこの次元転換の力学事象である。
 実軸のDNAが放射能によって破壊されたとき、当然、生命が破壊されるが、虚軸の陰陽対(生命氣対)は、破壊されないはずである。
 豆乳ヨーグルトの乳酸菌は、実軸のDNAの保護すると考えられる。
 当然、元気になるのである。
 では、虚軸の陰陽対氣はどうなっているのか。
上図において、陰陽方程式は凸i*凹i⇒±1となっているが、実は、これは、簡略化したものである。本来は、凸i*凹i⇔±1である。つまり、両辺の相関性があるのである。
 だから、実軸において、つまり、DNAにおいて、たとえば、乳酸菌によって免疫強化された場合、それは、左辺へと関係するのである。つまり、虚軸の陰陽氣対が影響されて、氣が強化されるということのように思えるのである。
 つまり、乳酸菌による免疫力強化とは、氣の強化、つまり、生命力の強化になると考えられるのである。
 私が豆乳ヨーグルトの多食により、別人のような活力を獲得したことは、これで説明がつくのではないだろうか。
 今は簡単であるが、ここで留める。

弁証法と陰陽極立原理

検討問題:弁証法と陰陽極立原理


テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)


私はこれまで、弁証法、とりわけヘーゲル弁証法を批判的に捉えてきたが、つい最近、弁証法で説明が可能なものもあるとわかった(後記:以下でわかるように、これは間違いであった)。
 これまでの私の観方と齟齬を来すので、検討したい。
 今は詳論できないので、簡単に指摘するに留める。
たとえば、Aさんが、「私は昼が好きである」と言う。それに対して、Bさんが、「私は夜が好きである」と言う。
 昼が正・テーゼ、夜が反・アンチテーゼ、すると、黄昏、夜明け(英語のtwilight〔薄明〕がぴったしの言葉である)が合・ジンテーゼになるだろう。
 そう、私が気にしていたのは、弁証法マルクス的変形、即ち、唯物弁証法である。それは、正反合の合において、正が新たに復活するというような内容である。
 しかし、それは弁証法の歪曲である。あくまでも、合は正と反との結合・統合でなくてはならないのであり、合において、新たに正が復活するというのは、反の否定であり、それは、合ではなく、新正に過ぎない。それは、偽弁証法である。
 マルクス共産主義弁証法はそのようなものである。初めに、原始共産主義(正)があり、次ぎに、資本主義(反)があり、そして、共産主義が資本主義を止揚揚棄aufhebenする(合)というものである。
 しかし、当然、ここでは、資本主義(反)が否定されて、合に入っていないのである。これは、弁証法ではなく、二項対立主義である。マルクスの唯物弁証法は偽弁証法であり、端的に、二項対立主義なのである。
 しかしながら、このような二項対立性はヘーゲル弁証法にあったのではないか。
 ヘーゲル弁証法はざっと言えば、精神(正)⇒物質(反)⇒物質形式(形相)をもった新精神(合)である。
 確かに、物質形式を含むという点では合の作用をもつ。しかし、精神(正)が回帰するのであり、合本来の正と反の共立性が成立するのではないのである。正と反の共立性とは端的に、陰陽極性、陰陽氣一性のことと考えられるのである。
 以上で、簡単であるが、弁証法批判を行なった。だから、上記の昼と夜の「弁証法」は、昼と夜の陰陽極立性とでも言うべきものである。

後記:弁証法、とりわけ、ヘーゲル弁証法であるが、それは、陰陽共立原理であると同時に二項対立を含んでいると言える。それは、これまで私が述べてきたではあるが。
 弁証法というタームは確かに今でも有効ではあるが、二項対立を内包しているので、批判的使用すべきである。
 思うに、対極弁証法、陰陽弁証法と呼ぶのが、適切である。




構造主義革命:今更ではなく、本当の知的革命・進化だ


テーマ:哲学:叡知学、哲理学、哲科学


うっかり忘れるところだったが、構造主義シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の区別が浮んだ。
 思うに、これは、「モダニズム」の二つの様相ではないだろうか。
 ここで構造主義言語学の用語を使うと、シニフィアンとは、たとえば、「政府」を「凄腐」というような表記する場合の「凄腐」である。
 シニフィエとは、この場合、端的に国制である。
 「モダニズム」、これは、ポスト・モダンないしトランス・モダンとか言えよう。
 とまれ、二つの様態があるのである。
 しかし、どちらが根本かと言うと、後者ではないかと思う。
たとえば、「豆腐」を考えた場合、シニフィアン派は、私がよくするように、「頭腑」というような表記を考えるだろう。
 これはそれなりに、「滑稽」であるが、実際的ではない。
 「豆腐」のシニフィエ、つまり、本質を理解することがもっとも重要と考えられる。
 「モダニズム」はシニフィアン中心に進展し、シニフィエの本質を看過したということではないだろうか。
 簡単であるが、筆者なりに極めて重要な哲学的問題点を指摘しておく。

追記:「豆腐」のシニフィエについて、説明が必要である。
 視点を変えて、たとえば、「森」を考えたい。
森の「シニフィエ」とは、実は、氣になるのである。氣精心、氣身体となるのである。
 「モダニズム」は、この点を排除しているのである。




父権自我(陽自我)と知性・ココロ・理性


テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合


東海アマ氏の記事は311以前から、HPで読んでいた。
直観的洞察力というべきもの、また、倫理感をもっている。
しかし、自己認識を過信・盲信する傾向がある(追記:端的に、短絡的ということである)。地震予知や以下にあるような韓国人批判等においてである。
 とまれ、今考察したいのはそのことではなく、『「他人を見下したい」とする自尊心』についてである。
このような性質をもつ自我は父権自我であると考えられる
 これまで数え切れないくらい述べたように、父権自我は陽自我であり、同一性主義自我である。言い換えると、二項対立、優劣志向をもつ自我である。
 復習をしよう。
 陰陽氣精心(氣精芯)、又は、陰陽精神において、陽とは同一性志向であり、中心化志向、唯一化志向をもつ。
 それに対して、陰は非同一性志向、他者志向、脱中心化志向をもつ。
 この正反対な性質をもつ陰と陽によって一体化しているのが、陰陽氣である。
 これは、鈴木大拙氏の即非の論理と通じるものである。否、陰陽極性とは即非の論理であると言っていいのである。
 さて、父権自我=陽自我は自我同一性中心主義であり、他者を排除する。極論すれば、独我・唯我論である。
 父権陽自我は、「我は同一性知識をもっている。故に、知っている。故に、真理であり、賢い。」というような様相をもつだろう。
だから、「我は正しい。我は倫理・道徳・道である。」というように展開する。端的に、独善論である。
 とまれ、そのような視点を父権・陽自我はもつと考えられる。
故に、自我は優位であり、他者は劣位である。「我は優れているのであり、他者は劣っているのである。」これは、埴谷雄高氏が批判した自同律である。某国の首相の言う「私は首相だから、正しい」というような発想と共通である。
 結局、何が言いたいのかと言うと、父権・陽自我は、自己中心に他者を破壊するということである。
 日本では父権民族が支配してしまった。
 今は余裕がないので、簡単に言うと、


続き:


結局、父権自我、陽自我は同一性自我であり、他者を同一性化するのである。ここには他者としての他者はない。
 本記事の問題点は、父権自我と知性の問題であり、これは先に述べたが、さらに深めたい。
 端的に言えば、父権自我は知性というより、知識を得るのである。それも物質的知識である。つまり、同一性である父権自我は、同一性知識=物質的知識を得るのである。
 しかし、これを知性と一致させることはできない。
なぜなら、知性とは、自我とは別の次元の知であるからである。
 日本の「科学者」の問題点はここにある。自我観念の知識はもっているが、知性はないのである。
 自我を超えたところに知性はあるのであり、ほぼ理性と一致するのである。
 確かに、知識は知性の一端ではあるが、知性そのものではないのである。脱自我化しないと真知性はないのである。
 そう、真知性、ないし、本知性というタームを作ってもいい。
 だから、科学者とは、真知性人でなくてはならないのであるが、日本の「科学者」のほとんどは、知識主義者に過ぎない。
 というか、本当は、科学者は創造者であるが、日本の「科学者」は、模倣者に過ぎない。似非科学者である。
 以前述べたように、知性はココロと関係するのである。
 つまり、脱自我の精神、ココロにおける知が知性なのである。
これは、実は理性と言っていいのである。知性=理性である。
 ココロとは他者性に通じているのであり、他者性とは、普遍性である。
 結局、薬局、今日の「科学」は、自我欲望と一体であり、既成の知識をドグマ化しているのであり、本当の科学、つまり、創造的知ではないのである。
 そう、言おう。哲学なき科学とは、盲目であり、誤謬である。
 日本の「科学・技術」とは、単なる唯物科学・技術であり、本来の創造的知・技ではないのである。


amaちゃんだ ‏@tokaiamada 5 時間5 時間前
韓国言論界重鎮 韓国人は日本人より優れているとの思い込み
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150716-00000002-pseven-kr … 全くその通り 韓国人には「他人を見下したい」とする自尊心がめちゃくちゃに強い いつでも他人を小馬鹿にしている

氣の内超体とは構造論(内超構造力学)でイメージ化可能:專葬邪が支

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12047536934.html


氣の内超体とは構造論(内超構造力学)でイメージ化可能:專葬邪が支配する某国


テーマ:内超近代:intrans-modern


氣をイメージ化するのは困難を極めているが、ふと、戦争屋⇒某国政治の構造力学で図示できると思った。実に簡単である。


       戦争屋   
        ↓
        ↓ 
       官僚           X・・・・・氣界
        ↓ 
        ↓
ーーーーーーーーーーー
        ↓
        ↓
      某国政府         Y・・・・・量子界
        ↓           
        ↓
ーーーーーーーーーーー
        ↓
        ↓           Z・・・・・・現象界
        ↓
       国民


以上のXYZの三層世界を考えると、氣の世界とは端的に、Xであり、それが、Yの電磁波・量子界を支配し、また、それが、Zの現象界を支配していると見ればいいのである。
 この三層構造は、二重内超体と言えよう。
 とまれ、この構造論、構造主義であるが、ただそう呼ぶだけでいいのだろうか。
 思うに、構造論・構造主義は概念主導であった。
しかし、この三層内超構造であるが、それは、力学を意味するのである。だから、構造力学論と言うべきであろう、少なくとも。
 結局、内超構造力学ということになろう。
 だから、氣とは、内超構造力学をもつということになるのである。


追記:内超とは内在超越の略である。内在超越とは、内在しつつ、超越していること、内在且つ超越のことである。

氣をイメージ化する:樹木が風に揺れ動いている事象において、その風

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12046720008.html


氣をイメージ化する:樹木が風に揺れ動いている事象において、その風を氣と観る


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


氣をどうイメージ化するのか、ずっと考えている。
私には今、イメージがある。うまく図示できないので、違う例を考える。
 
             z軸
             |
             |      y軸
             |     /
             |   /
             | /
_________/________x軸
            /|
          /  |
        /    |
      /      |


下手な図であるが、がまんしていただきたい。
 xyの直交座標を現象界、物質界と観る。
そして、z軸を氣の軸と観る。
 当然、現象界からは、z軸、氣軸は不可視である。
しかし、例えば、z軸=氣軸を氣振動していて、それが、xy座標=xy平面に発現すると見ることができる。
 確かに、現象界においては、なんらかの物質振動があるだろう。しかし、本来、z軸=氣軸の氣振動があると見るのである。
 そして、現象界においては、電磁波が観測されるだろう。
 そう、だから、時間軸を例えば、t軸として、作ればいいだろう。しかし、上図には書き込めない。
思うに、氣軸であるが、氣平面を考えるといいだろう。例えば、z軸とそれに直交するα軸による平面を考えるのである。そこには、陰陽円があるだろう。そして、その氣平面=陰陽平面であるが、それは、プラトンイデア界に相当するのではないだろうか。
 そこには、形相(エイドス)があるのであり、それが、次元転換によって、三次元化するのである。時間軸と三次元軸の四次元時空間である。


氣平面⇒時間軸⇒三次元現象


というようなプロセスだろうか。
 ざっと図示する。


氣平面ーーーーーーーーーーーーーー z軸⊥α軸
             |
             |
             |
             |時間軸 t軸
             |
             |
             |
________現象界_______三次元空間


現象界は当然、三次元空間である。
 陰陽ガウス平面と比較すると、虚軸が氣平面になり、MPが時間軸であり、実軸が現象界となろう。
 思うに、氣平面=陰陽平面(z軸⊥α軸)であるが、それは、動的な、ダイナミックな動きをしていよう。それが、時間エネルギーを生み、また、物質現象化すると考えられる。
 そう、生命というものも、実は、氣平面=陰陽平面でのダイナミズムと言えよう。それが、時間軸を通して、現象界において、生命現象として発現するということではないだろうか。
 今は簡単な指摘に留める。


追記:思うに、遺伝子とは、本来、遺伝氣だろう。それが、物質化して、DNAになると言えよう。そして、例えば、放射能は、このDNAを破壊すると言えよう。
 しかし、遺伝子ならぬ、遺伝氣は消滅しないと考えられる。
 抗放射能の対策とは、破壊される以上に、生成メカニズムを強化するということではないだろうか。
 乳酸菌の摂取とは、そのような意味があるのではないだろうか。
 ならば、乳酸菌や腸内細菌とは、直接、氣に関係するというよりは、遺伝氣から発生するDNAの再生強化に役立つということではないだろうか。
 そうすると、氣自体を強化するという方策もある。
 森氣浴はそのような機能があるのではないだろうか。
あるいは、よい音楽を聴くということ。
また、瞑想も役立つだろう。あるいは、日光浴。
 とりあえず、問題提起である。


         
            凸i陽
             |
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             自
             我
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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面



気を観る 4 (07/04)

東洋医学と言えば気、気と言えば東洋医学と言えるほどに、東洋医学と気は切っても切れない間柄であることは周知の事実だ。

ではあるけれど、気とは何ぞや?というこの気の実体の理解に関しては、まったくもっていっこうに進展はしていない。

養生法の探求