結婚式を挙げました

 ここを留守にしている間いろいろと準備をしていたのですが、そんな中で大きな災いがありました。映像を見るだけでも日々ショックを受けるような状況で、被災された方々の辛さはいかばかりかと。募金は複数のルートから行いました。継続的な支援を心がけるかたわらで、経済を停滞させないよう仕事をし、消費をし、農産物を食べる。そういった、日常を過ごすということの大切さをちょっと感じすぎるほどに感じています。原発関連のニュースに慣れてしまった今の我々の時間軸は、すでに非日常としか呼べないのかもしれませんが…。



 そんな難しい時期ではありましたが、こういう時こそ祝い事は祝い事らしくやるべき、と各所から背中を押していただき、予定通り結婚式を挙げることができました。
 2011年4月10日、快晴、桜は満開。
 なんの飾り気もない式でしたけれども、近くから、遠くから、空から、見守ってくれたたくさんの方々のおかげで、よい思い出の日となりました。

  • アナログ編
    • 料理がすばらしく美味しかった。完食した新郎新婦の感想です。おもてなしのコストは料理最優先でかけるべき、というのが2人の合意でしたので、その第一の目的を達成できよかったです。婚礼料理としての評価だけでなく、通常営業でも有名なお店なので、ぜひ再訪したいなあ。
    • うちの母の手作りのブーケ(写真)。やわらかな暖色系の色合いは当日見て驚くほど自分好みで、皆様にも好評でした。
    • 新郎のチョイスした式の入場のBGMが「5拍子」でした。合わせて歩けない!
  • デジタル編
    • デジタルフォトフレームに写真を入れておいてその場でお見せするというのがちょっとした仕掛けでした。着想から準備までを引き受けてくれた旦那さんありがとう。
    • 会場探し、プランナーさんとの連絡、招待状、引出物などの手配関係は自分が担当でしたが、ほとんどみなネットベースで進められました。とはいえ、試食や試着など、直に判断するのが最終的には一番大事…というのは、婚礼関係に限ったことではないですね。


 あとはドレス選びとかヘアメイクとかの各種花嫁支度もありましたが、まあそこは自己満足の世界ということで。一区切りということで髪でもばっさり切ろうかなーと思いつつ、なんとなくそのままになっています。

Michel Camilo Big Band -Caribe-@Blue Note Tokyo

 すばらしかったよー!
 カミロのピアノはソリッドで明るく、音は厚くて、かつグルーブにあふれている。それぞれの要素を切り出してどれか1個でも持っていたら、ミュージシャンとしてやっていけそうな資質が、1人の腕の中にふんだんに詰まっていた。それでいてバンドをリアルタイムで完全に把握し、キューを出したり指揮したりするのだから、すごいを何度繰り返せばいいのやら。真剣な顔と開かれた笑顔と、展開によってぐっと表情を変える人でした。
 アンソニー・ジャクソンとクリフ・アーモンドを見るのは数年来の念願。席の関係でほとんど姿が見えなかったのは残念だけど、締まったプレイを聴かせてくれました。再見の機会を待つ!


 ビッグバンド側の席にいたのと、自分も管楽器の経験があるからというのがあって、ビッグバンドを見ていた時間が特に長かったと思います。
 バンドとしてすごく統制がとれている、というよりは、個々のパワーを存分に出し切ってそれを束にした、という感じ。なんてったって全員にソロがあったもんね。でもソロパートの連続する曲も、個性が強くて全然飽きさせない。そして、全体でキメる所はばしっとキメる。かっこよかったー。
 前列はパワフルなサックス部隊。バリトンサックス以外の4人はフルートやソプラノサックスに持ち替えもあり。リードのクリス・ハンター氏がすごく華やかでいい音だったなぁ…。中段のトロンボーンの人たちがぐいんぐいん動きながらソロをとる所も、楽器そのもののダイナミックさをありありと感じられてよかったです。トランペットは後列できっちりお仕事、終盤には華やかな高音のソロリレーという見せ所がありました。


 あと大所帯バンドならではというか、曲間や曲中に人間関係が見えるのが個人的には面白かったですね。バリトンサックスとバストロンボーンの人は低音同士で仲良かったり。トロンボーンソロで1回マイクスタンドのアジャスト部分ががたんと降りてしまったんですけど、隣の人が間髪入れずに直して、ほとんどアクシデント感を出さずに済ませてしまったりとか。あと、寡黙なテナーサックス奏者の方が3曲目で水をぐいっと飲み干してしまって、その後どうするんだろう…と思ったりとか(これは人間関係じゃないか)。
 管楽器ならではの生々しさとして、水滴が飛ぶとかいうのもあるんですけど、こんなに間近でプロの演奏を見聞きしたのは初めてだったので、臨場感を感じたし、「あ、私達とおんなじなんだ」と思ったりしました。
 でも音の出し方はもう素人と全然違うのね。我々素人だと直線的に音が出てくる感じだけど、面と圧力でどーん! と音が迫ってくる。真似のできるものではないけど、イメージとして参考にしたいと思ったなー。生で見たイメージだけで呼吸法とか違ってくると思う。


 セットリストもアンコールまで大満足! の、エネルギーに充ち満ちたライブでございました。


http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/michel-camilo/
BLUE NOTE TOKYO:movie: - report : MICHEL CAMILO BIG BAND -CARIBE-

℃-uteのコンサートに行ってきた

 前回のツアーは不参加、その他CDイベントなども応募しなかったり落選したりで、ほぼ1年ぶりの現場参戦となりました。5人の℃-uteを見るのも初(正確には事前にUstreamのライブ放送を見ていて、それですごく行きたくなったのです)。


 寝る前なので手短に書くと、すごく楽しかった! 5人の密度がすごく高かった!
 歌、ダンスともに、みんなの実力がアップしていて、定番曲でも全然マンネリ感なかったです。私が久しぶりというのもあるだろうけどね。
 選曲もよく、衣装も凝ってたし、みんなのかわいさもグッドで、これは早くもDVD化が楽しみなツアーです。
 (明日につづけ)

はてブニュースに掲載されてた

特定、再現、聖地巡礼――「けいおん!」人気エントリーをまとめてみた - はてなニュース
 8/31の記事ですが、ぼーっとしていたためようやく気付きました。ありがたいことです。例のけいおん関連ですね。

会社の人がお茶しようって言ったから

 出かけてみたら新興宗教の勧誘でした。ありがとうございました。


 私は宗教詳しくないんで初めて聞く所だったんですが、調べてみたらけっこう有名なとこみたいですね。出された資料を見るに、法要とか袈裟とかその他イベントとかがやたらと金かかってそうでした。資金は潤沢そうです。
 いやぁ、きちんと理由を話して断りましたし、すんなり引き下がってくれましたけど、病み上がりはつけこめそうに見えるんですかね…。仕事で直接関係のある人ではないので、まあ最悪ひびが入ってもいいんですけど(ちょっとは困るけど)。
 しかし疲れるお茶でした…。

決まりました

 2度目の長いトンネルを抜けられることが決定いたしました。最短ルートだと21日から。辛抱していたかいがあったというものです。
 嬉しくって帰りに色々買い物しちゃったよ。秋物とか秋物とか秋物とか久留米ラーメンとかくりーむぱんとか。週末にはブーツも買っちゃうんだ! 決めたんだい!

℃-ute『Danceでバコーン!』

Danceでバコーン!(初回生産限定盤A)(DVD付)

Danceでバコーン!(初回生産限定盤A)(DVD付)

 初回版Aを購入。アレンジャーは鈴木俊介氏。
 ちゃんとした音源で聴いて、振付も見て、結局これを支持することにしました。
 改めて思ったのだけれど、これは「℃-uteの曲」というよりは「舞美さんのための曲」なんだと。『まっさらブルージーンズ』、『夏DOKI リップスティック』の継承路線。基本的に過剰で激しくておバカで、暑苦しいけどスカッとしている。歌詞を深く考える必要はない。


 舞美さんの歌える歌というのはあまり幅がないし、ダンスもすごいけれどスポーティーすぎて艶っぽさがない。そういうのはマイナス面にもとらえられるけれど、足りない部分ではなく、突出した所に目を向ける。その手持ちのカードをきちんと使う。すると、今回みたいに、「当たり障りのない」、ではないものができる。だから、「悪くないかも」とかいう声はあまり目立たず、「可」と言う人と「不可」と言う人にパッキリ分かれるだろう。そういう曲。
 一方、愛理ちゃんは手持ちのカードが多い恵まれた子だ。だから彼女に合わせようとすると焦点がぼけてしまうのかもしれない。℃-uteにはそういうシングル曲が少なからずある(と、私は感じる)。Buono! の彼女が評価されるのは、コンセプトが先に決まっていた方が活きるタイプだからだ。


 カップリング『これ以上 嫌われたくないの』は、『美少女心理』とか好きな層が好きなんだろうなーという感じの曲。モーニング娘。の没曲か、というのが第一印象。
 私はそういうべったりした雰囲気の曲ってたいてい嫌いなんだけど、今回はOKだった。メロディーの譜割りが面白いのと、Aメロ→サビ→大サビという展開がちょっと変わった味付けに感じたので。アレンジャーは平田祥一郎氏で、氏の作品としてはちょっとひどい出来だけど、多分発注側の責任。金か時間かその両方か。
 歌詞は、主人公が振られたにもかかわらず、よりを戻したいとかでなく、「これ以上嫌われたくない」という気持ちを発するというもの。そのへんのさじ加減がうまく、一貫性もあり、そこそこ興味深い出来でした。