ある終わり
1995年、1996年は日本のスポーツの転換点だった、と個人的には思う。
野茂英雄がメジャーリーグに行った。翌年、アトランタオリンピックが開催された。野茂はアメリカで一大センセーションを巻き起こした。しかしアトランタで日本の水泳は惨敗した。
惨敗した日本水泳陣の中心は千葉すずであり、山本貴司だった。前回大会の岩崎恭子の金メダル獲得で起きた若手選手の台頭で一気に盛り上がりを見せている、そう、テレビ・新聞通して語られていたし、僕もずいぶん楽しみにしていた。
そんな中物議をかもしたのが「楽しみたい」という言葉だった。
これはメジャーリーグ1年目で野茂がオールスターに選出されたときの発言と同じだ。
野球のオールスターゲームはお祭りでもあり、決して真剣勝負ではない。しかし、オリンピックは違う。オリンピックに挑もうとしている選手がそんな発言をするとは何事か!当時の論調だった記憶がある。少なくとも水泳協会のお偉方はそうとらえていた。
真剣勝負の舞台で「楽しむ」とはどういうことか。アトランタ以降の10数年はそれを考えること、選手にしてみればどう体現していくかに費やされたのではないか。
時代は変わった。
北京オリンピックの代表選考会を兼ねた全日本選手権で山本貴司は100mバタフライ4位に終わり、代表を勝ち取ることはできなかった。前日の200mバタフライでも3位でオリンピック出場の道は完全に断たれた。100mバタフライでは自身の日本記録を破られ、さらにまたその記録を破る選手までも現れた。そして、引退を発表した。
アトランタから12年、日本のスポーツはずいぶん変化しているし、進化している。それを見せてくれた選手が一人表舞台からいなくなる。
そういえば、アトランタオリンピックで初の、以降3回連続金メダルを取った野村忠宏も負け、北京に行くことは叶わなかった。