愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

遠きにありて思うもの

PARADEコンの感想で、ジャンプは箱庭みたいなグループだと言った。
ジャンプという大きな箱庭の片隅には、かつて圭人と知念様が作った、誰も知らない小さな小さな箱庭があった。

いまでこそ、ジャンプはメンバー同士の仲が良くて、一歩中に踏み込めばどこまでも平和な世界が広がっている。だけど、最初からこんなに牧歌的なグループだったわけではない。
ジャンプ結成にあたって、Ya-Ya-yahJ.J.Expressというジュニア内ユニットが解体され、主力メンバーが選抜された。そこに当時怒濤の勢いで成り上がっていた山田くんが投入され、ほとんどジュニア活動をしていなかった知念様と圭人も加わった。

ヤヤヤやJJEのユニファンの悲しみ、デビューを抜かされたジュニアたちの嘆き、っていうか知念と圭人って誰?なんでいるの?という疑問、そんなジャニオタやジュニアたちの負の感情を背負い、「喜び悲しみ受け入れて生きる」と歌いながらデビューしたのがHey!Say!JUMPだった。

圭人と知念様にはジュニアとしての歴史がない。2009年の冬コンで、ジャスワナの振りが入っていない知念様を見て切なくなった。知念様以外のバックは山田くんともったんで、当たり前のように何十回も踊っている曲だから、振り合わせもろくになかったんじゃないだろうか。そういうふとした瞬間の疎外感や異物感が、知念様にも圭人にもあったと思う。そんな二人だから、肩を寄せ合うように仲良くなった。

私が初めてKC(私は圭人と知念様のコンビをこう呼んでいる)に興味を持ったのは2010年年明けのジャンプコンのMCだった。
突然、知念様が『圭人!いつもやってる工藤新一の物真似やって!』と言い出して、他のメンバーがぽかーんといている中、圭人はまったく似てない物真似をやり始めた。いつもやってるのに他のメンバーが知らないのも不思議だったし、それを見て楽しそうに笑っている知念様はとてもかわいかった。それは知念様かっこいい教信者だった私にとって、かなり衝撃的な出来事だった。

KCのエピソード中で一番好きなのは、二人で渋谷から四谷まで歩いた話だ。

知念:あ、でもさー、一回流行ったのがさー、二人で、どこまで歩く、みたいなね。
岡本:あ、あったね!
知念:一回、渋谷から四谷まで歩いて。
岡本:渋谷から四谷まで歩いたね。
知念:それから、なんかさ。
岡本:3時間半くらいかかったよね。
知念:けっこう、僕たち寄り道もしたもんね。
岡本:うん。けっこう、たのしかったよ。
知念:たのしかったー。
岡本:ふふふふ。
知念:意外とたのしかったよね。
(『Ultra Power』2008年10月20日 岡本・知念)

p.s.ゆうりへ、この前二人で三時間くらい歩き続けた時、意外と楽しかった(猫の絵文字)また今度行こうね(^_^)
(『JUMParper』2008年6月29日 岡本)

こないだ、渋谷から四谷まで歩いたんだ。途中で神社があったから、お参りしようと思って中に入ったら、ちょうど結婚式をやってたの。花嫁さんも見られたよ。嵐のアルバムを聴きながらブラブラ街を歩くのって、結構楽しかった。3時間半くらいかかったかな。汗いっぱいかいた。(岡本)
(『Duet』2008年9月号)

岡本:ぶっちゃけ、JUMPが結成された当時は、いちばん仲よかったよね。知念としか話してなかったってくらいに。
知念:「取材現場まで歩こ!」って5駅分歩いたりね。
岡本:そのとき、おたがいの音楽プレイヤーで同じタイミングで嵐の曲を再生したり、かわいいことしてたのに…。
(『Myojo』2012年2月号)

私の中で、このエピソードは二人の原風景だ。
2008年の初夏、まだ小学生に見えるくらい小さかった14歳の知念様と、体こそ大きいものの拙い日本語しか話せないいたいけな15歳の圭人が、二人きりでずっと歩いていた日のことを思うと、あまりの頼りなさに涙が出る。

そんな二人が渋谷から四谷という大都会を歩きながら、お互いの音楽プレーヤーで同時に同じ曲をこっそりかける。
その瞬間、大きな街は単なるジオラマになって、二人だけの小さな箱庭の一部になる。

あの頃、ジャンプの中で異邦人のようだった二人は、居場所を作るためにそういう二人だけの世界をそこかしこで作っていたんじゃないだろうか。二人だけが知っている、ささやかで密やかな小さな箱庭。
時々、そこで二人だけで大事に育てている何かがふとした瞬間に芽吹いて、外の世界に零れ落ちることがあった。それを拾い集めるように、私はコンサートに通い詰めていた。

2014年くらいから知念様と圭人は目に見えて仲良くなって、密やかさがなくなった。ジャンプのメンバー同士が仲良くなり、ジャンプ自体が大きな箱庭になっていったので、密やかでいる必要がなくなったんだと思う。そうして、二人の箱庭は徐々に同化していっていた。

二人がひっそりと作っていた箱庭は『僕とけいと』という曲で一気に表に出て、みんなを取り込むくらい広がって、そしてそのままシャボン玉がはじけるように失われてしまったのかもしれない。

『僕とけいと』は2016年に発売されたJUMPのアルバム『DEAR』に収録されている圭人と知念様のユニットソングだ。『真剣SUNSHINE』の特典映像「第2回 ジャンジャン答えて!!ジャン!ジャン!JUMQ」内で、たまたま同じ色のカラーボールを引き当てて、ユニットを組むことが決まった。

私はKC厨だったけど、圭人と知念様がニコイチだと思ったことはない。二人とも正反対で、何もかも似ていない。どこまでいっても圭人と知念様は1+1=2で、それ以上にもそれ以下にもならない。
共通点もほとんどない二人だから、ユニットを組んだ時、二人自身のことを歌う以外やりようがなかったんだと思う。二人によく似た虚構に身を任せるのでもなく、本当にただシンプルに二人の世界を描いた、二人にしか歌えない曲を当たり前のように歌った。

『僕とけいと』はバクステから始まって、途中で一緒にトロッコ(別々のトロッコではない。一つのトロッコである。アリーナにたった二人しかいないのに)に乗り込んで花道で降りて、センステに移動して終わる。決してメインステージには行かない。その代わり、片時も離れない。
センステでは謎のダンスをする。会場の誰よりも二人が楽しそうな、不思議で意味の分からない時間で、あまりにも理想のKCの姿だった。

『僕とけいと』は知念様視点のようなタイトルだが、特にそういう意図で作られたわけではない。タイトルを「僕とけいと」と「俺と知念」のどっちにするか悩んで、響きがかわいいから『僕とけいと』にしたと当時言っていた(気がする)。だけど、改めて聞くと、知念様の祈りみたいな曲だと思う。

「あ~ずっとこのまま居れたらいいな」
「絶対二人いつでも一緒だよ」

知念様が圭人と四谷まで歩いた時、神社で何を祈ったんだろうと時々考える。
きっと、知念様はこういうことを願っていたんじゃないだろうか。
知念様はおじいちゃんになってもジャンプでいたいとよく言っていた。永遠は願った瞬間から終わりが始まるような気がする。そして、知念様自身も本当はそのことを理解しているんだと思う。

KCは約束をしない。誕生日もクリスマスも何度も一緒に過ごしておいて、たまたま一緒だったと言う。
きっと圭人が日本を離れるときも、知念様個人としては圭人と何の約束もしなかったんじゃないかと思う。FC動画で圭人の話を聞く知念様の表情は、ただただ圭人を受け入れていた。

ジャンプという箱庭を出たからこそ、もしかしたら二人は別の箱庭を作れるかもしれない。KCのことだから、それが分かるのは10年後かもしれないし、一生明かされないのかもしれないし、大人になった二人にはやっぱりそんなものは必要ないのかもしれない。

去年のMステで、知念様はこう言っていた。

タモリ:知念は思い出の恋歌ありますか?
知念:そうですね。僕はあのYUIさんのCHE.R.RYですね。あのいま、海外に留学しているメンバーの岡本が教えてくれて、それをずっと、中学生のくらいの時ずっと聞いてましたね。
(『ミュージックステーション』2020年10月2日放送)

中学生の時の圭人との思い出を、宝物みたいに大事に語る知念様は何も変わっていない。
あの頃の二人の中には、誰にも触れない二人だけの儚くてやさしい世界が確かにあって、それは二人の中に今もこれからも、密やかに息づき続けると私は信じている。

かわいい知念様とかわいい徹子

先日、知念様が必殺仕事人の番宣で「徹子の部屋」に出ていた。徹子(敬意と愛情を込めてあえて呼び捨てで書く)はまるで花を摘む少女のような天真爛漫さで何度も知念様のことを「かわいい」と言っていた。

知念様はかわいい。
これは本人も認めている事実で、否定する人はいないと思う。

私が知念様を好きになったのは知念様が高校に上がる直前の3月のセブンコンだった。「かわいい」という武器で触るものみな斬りつける知念様に夢中になった。高校に上がってしばらくすると、知念様がかわいさの中に引きこもっているように見え、知念様の「かわいい」は防具やシェルターみたいに思えるようになった。

私は知念様のかわいさに対して、「武器」や「防具」などのおよそ似つかわしくない例えをよくしてしまう。それは私自身が「かわいい」に対してコンプレックスがあり身構えてしまうからなのかもしれないし、知念様の魅力を「かわいい」という単純化した四文字に押し込めることによって、知念様を自分の位置にまで引きずり下ろすような不敬さを感じていたからかもしれない。

私はずっと知念様に対して「かわいい」ということにどこか抵抗があった。「かわいい」という言葉は基本的には庇護すべき対象に向けられるもので、知念様をどちらかといえば畏怖の対象としていた愚民には言う資格のない言葉なんじゃないかと思っていた。だから知念様のかわいさに言及する時には「かっこいい」という言葉を添えていた。

今でこそ、メンバー全員が知念様かわいいおじさんみたいになっているけれど、高校生くらいの時は「また知念がなんかかわいこぶってるよ」みたいな感じで結構冷たくあしらわれていた。メンバーのほとんどが幼い頃からジャニーズの第一線で活躍していて、「かわいい」なんて言葉は全員浴びるほど受けてきたと思う。だから、みんな「かわいい」を捨てたい年頃だったのかもしれない。それでも知念様はかわいいことを曲げなかったし、あえて自分からメンバーの庇護下に入ることによって思春期でバラバラの方向を向きがちなメンバーを繋ぎとめる役割を果たしていた、と私は勝手に思っているし、過去にも何度か書いた。

知念様の「かわいい」には強い覚悟と信念がある。
それは今も昔も変わらないと思う。

ただ、徹子が本当になんの衒いもなく、知念様を「かわいい」と何度も(私の雑なカウントでは12回)言っていて、その無邪気さにびっくりしてしまった。私は知念様のかわいさを語る時にはなぜかいつも臨戦態勢をとっていたけれど、本来「かわいい」とはこういう何気ないひだまりみたいな幸福な感情なのだろう。年齢という概念を超越してる徹子は時には幼い少女のように、時には慈悲深い祖母のように、花や動物を愛でるような自然さで知念様を「かわいい」と言っていて、知念様もその言葉をやわらかく受け止めていた。

番組では知念様がジャニーズ事務所に入ったきっかけや、トリオの高校時代、メンバーや家族との関係性を話していた。ほとんどすべて知っている情報だったものの当時の映像や画像を織り交ぜて、改めて丁寧に語られる来歴を見ながら、知念様のかわいいを思い出していた。

「かわいい」と言われれば「知ってる」と不遜に答えていた中高生の頃の知念様にとって、やっぱり「かわいい」は武器であり防具でもあったのだと思う。高校卒業会見の映像も流れたが、あの頃の知念様の痩せて荒れた頬に張り付いているかわいさには、どことなく悲壮感もあった。

今の知念様は「かわいい」と言われると、少しはにかみながら、やわらかく受け止める。ふっくらとした頬はつるりとしていて、薔薇色に輝いている。そんな知念様を見て、私も「知念様、かわいいな」と素直に思えた。

妊婦のジャニヲタ活動記録

私事ですが、去年の12月の終わり、仕事とともにおたく活動も産休に入り、今年の2月に出産しました。
妊娠中どこまで現場にいっていいものなのか、当時はよくネットで検索しまくっては参戦記録を読み漁っていました。結局、妊娠中の体調には個人差があるのでその人次第だというのが結論なのですが、励まされた面もかなりあったので、私自身の記録を残しておこうと思います。

  • 6/15(土)・6/16(日) キスマイコン@名古屋

この時点では自覚症状なし。その前々週に高熱で倒れていたが、熱が下がってからもずっと眠くて暇さえあれば寝ていた。遠征前日、さすがにおかしいと思い、万が一妊娠してたらお酒が飲めないからなぁと軽い気持ちで調べてみたらまさかの陽性反応。夫に病院に行こうと言われたが、コンサート行くから無理と断り唖然とされる(一応言っておくと、たぶんこの段階で病院に行ってもまだ確認できないくらいの週数)。名古屋はジャニヲタとして最後の遠征かもしれないと思い、たくさん食べてたくさんノンアルコールビールを飲んだ。一緒にいたおたくの人たちはたぶん察していたと思うんだけど、何も言わないでいてくれた。ドームでは松松はなかなか出会わないけれど、たまに会うと松松でかわいかった。フリーハグは、思わず遠征しちゃうくらい楽しいコンサートだったし、おいしいものたくさんな名古屋だったのも良かった。

  • 8/10(土) トラジャサマパラ

妊娠12週。6月後半からつわりが始まっていた。つわりは12~16週でおさまると聞いていたので、私は早々におさまるだろうと勝手に思っていたが、結局9月に入るまで全然おさまらず、毎日吐きまくっていた。普段1時間もかからずに着くTDCホールまで2時間かかり、直前まで体調的に入れるかも分からず、一緒に入る予定だった友人にも、私が入れなかった場合代わりに入ってもらう予定だった友人にもとても迷惑をかけてしまった。でも、実際始まったら最高に楽しくてつわりはふっとび、終わった後も調子が良くて、そのままジョナサンに行って酸辣湯麺を食べた。久しぶりの外食でとてもおいしかったし、現場の後におたくの人と話す時間はプライスレスであった。

  • 8/21(水) トラジャサマパラ

多少調子がよかったはず。確か前日は死ぬほど吐いてたが、サマパラ見るとつわりふっとぶ。「好きすぎて」の松松が好きすぎた。松倉くんの「Pure」を聞きながら、「私、まつくみたいなピュアな男の子を生む!!」と直感的に確信したが、生まれたのは女の子だった。私の直感、あてにならなすぎる。

  • 9/15(日) 少年たち

つわりが収まり、元気もりもりになっていたころ。「少年たち」を見に行ったはずなのに、半分以上「老人たち」の物語だったことに衝撃を受けた。ジャニーズ舞台において、たびたびメインキャストがジジイ化するが、それはジャニーが死と老いへの恐怖を克服するために必要な演出なのだと思っていたので、ジャニーさんが亡くなってもなおジジイ化する意味はあるんだろうか?という疑問がよぎったが、亡くなったからこそジャニーへのはなむけとして必要なのかも。とかなんとか考えながら見てた。

  • 10/12(土) ジャニーズ伝説

台風で中止に。この頃は公演が中止になるなんて珍しいなぁと思っていたなぁ。

  • 10/14(月・祝) オースティンバック

妊娠22週。つわりはおさまっていたが、ずっと倦怠感に悩まされており、歩くのがめんどくさくて家の目の前から出ているバスで駅まで行ったところ、大渋滞に巻き込まれ、普段20分で着くところが1時間以上かかり、まさかの遅刻。チケットを持っていたおたくの人たちが機転をきかせて新横浜のコインロッカー(鍵式じゃないやつ)にチケットを入れて、コインロッカーまでの道のりを写メと文章と動画で残してくれたので、すんなりチケットはゲットできたが、20分遅刻しトラジャタイムは半分しか見られなかった……。でも、オースティンバックというジャニーズの歴史の中でも貴重な外タレバックに立ち会えたのは良かった。今後、どんなに面倒でも絶対に現場は電車で行くと心に決めた。

  • 10/20(日) ジャニーズ伝説

お腹が出始めていたので、座れる現場はありがたいなぁと思っていた。ジャニーさんが亡くなったせいか、戸塚さんが「ジャニーです」ではなく「戸塚です」と名乗るようになっていたのが悲しかった。ふみきゅんのお誕生日公演だったので、幕が下りても拍手が鳴りやまず、最後にふみきゅんと見学に来ていたふっかがあいさつしていた。ふみきゅん、おめでとう。

  • 11/4(月・祝) 虎者

結構お腹が出ていたので、サンシャイン劇場の急な階段が妊婦にはつらかった。しかし、階段以外は最高の気分だぜヒデアキーーーー!!と突然滝沢革命の宏光ばりに叫びたくなるくらいずっとクライマックスで見ている分には楽しい舞台だったし(つっこみどころはめちゃくちゃあったけど)、内容が(滝沢革命+滝沢演舞城)÷タッキー(タッキーで割る意味あるのか?)だった。千年メドレーがたった数分のことなのに、本当に千年の悠久の時を感じるような素晴らしい密度と完成度を持った出来栄えで、胎教に良かった。

  • 11/10(土) 虎者

歩くのが遅すぎて、乗換案内で調べた通りの電車に乗れず(だって通常時ならむしろ乗換案内より早い電車に乗れるじゃん??)、ちょっと遅れた。サンシャイン劇場の急な階段を駆け上がることもできず、妊婦つらいと思った。虎者が楽しすぎたので遠征したくなり、産婦人科の先生に京都に行っていいか尋ねたところ、「いま我慢できない人間がこれから子供を育てられるか!!!!」と一喝され、京都遠征を諦めた。

  • 12/28(土)・12/29(日) ジャンプコン

妊娠9か月、仕事は既に産休に入っており、あと一か月もお腹で育てて大丈夫なのか心配になるくらいお腹ははちきれそうだった。最後の現場は知念様で〆ると決めていて、この1年トラジャを一緒に見てきたおたくの人たちも私の産休を見届けるために2日間一緒に入ってくれることになって、良い友人に恵まれたなぁと思っていたら、ツアー途中で発表されたまさかのトラジャバック。入るまでは知念様と松松どっちを見ればいいの??と思ってたけど、その場になればあっさり知念様を取った。28日は着席ブロックでとても快適に見られたが、29日はアリーナの埋もれで半分以上座ってみていたためほとんどモニターを見ていた。でも、アリーナだからこそ味わえる臨場感は確かにあったし、あのムビステを近くで見られて大興奮だった!!


妊娠してからもあまり大きな会場での現場がなく、お腹が大きくなってからは舞台が多かったので、それなりに行けた印象です。ただ、つわりが思っていた以上につらかったので、次があったら妊娠5か月に入るまで申し込みはしないと思います。何より、周りに迷惑をかけますしね……。
と思っていたけど、今回のコロナ騒動を経験してしまうと、今後は免疫力が普段より低下している妊娠中は人ごみに行かないという選択をするかもしれません。コンサートや舞台を見てときめいたり、おたくの人たちをご飯を食べたりするのはかけがえのない時間なんですけどね。早くこの事態が終息するように乳飲み子と共に祈ってます。

箱庭は終わらない(PARADEコン感想)

お久しぶりです。去年はもうちょっと更新しようと思っていたのに、年始以降何も書かず、気付けば一年以上経っていました……。色んなコンサートも中止になり、外に行けない鬱憤がたまりまくっている今日この頃ですが、ならばネットの世界でアウトプットしよう!と思い立ち、久しぶりにこの場を開きました。

最近感銘を受けたことといえば、やはり年末年始に催されたジャンプコンですかね!!(い、いつの話をするの……?)
私は知念様の愚民であり、知念様のやられることに対して基本的には絶対肯定主義なのですが、いかんせんジャンプコンに対してはかなり厳しい評価をすることが多いです。アルバムコンサートなのにアルバム曲を半数近く切り捨て、既存曲ばかりの似たようなセトリを組み、一度受けた曲を飽きるまでやる姿勢があまり好きではありませんでした(それはそれでジャンプなりの気遣いっぽいんですが、ちょっと的外れだと思う……)。私自身、愚民全盛期はコンサートをほぼ全ステしていたこともあり、もはや同じコンサートを何十回も見ているような錯覚に陥り、毎回ピーコのファッションチェック以上の辛口トークで偉そうに批評していました。

今回のコンサートも事前にセトリを見ていて、またアルバムを引っ提げていない系コンサートじゃないかと落胆しつつ、これが終わったらしばらく現場もないし、バックのトラジャは楽しみだし(私は最近松松が大好き)、なんといっても知念様がいらっしゃれば世はすべてこともなしだわ!と期待値を極限まで下げて臨んだのですが、良い意味で裏切られました。

私はジャンプは箱庭のようなグループだと思っていました。勇気コンあたりから決まったバックジュニアを付けずジャンプだけでコンサートをするようになり、外部をシャットアウトしたジャンプは内向きの世界で独自の文化を築き、全員仲良しで牧歌的な世界にファンも取り込まれ、時が止まったように同じようなコンサートを繰り返し、それに満足していたような気がします。いわゆるガラパゴス化に近い現象が起こっていて、後輩グループがどんどん出てきても、のほほんとした空気は変わらず、ガラパゴス諸島の生物が外来種に駆逐されてしまうように、ジャンプもどんどん追い抜かされていくのではないかと勝手に心配していました。

しかし、そんなジャンプ島に今回黒船が訪れました。
光一くんです。
光一くんはジャンプの世界観を理解した上で、それを破壊することなく、外部に最適化できるようなコンサートへ導いてくれました。更にTravis Japanという後輩たちも上陸しました。彼らもジャンプに負けず劣らず平和なグループで、ジャンプ島を踏み荒らすことはせず、ジャンプのことをおにーたんと呼び、かわいらしい敬意を払ってくれました(そんな中でげんげんはジャンプメンですら踏み込めないセンシティブな山田くんにがつがつ踏み込んでいましたが、げんげんの天性のコミュ力で絶妙に失礼じゃなかった)。

コンサートのコンセプトをアルバムに沿って決めたうえで、それを最初から最後まで貫き通すというシンプルだけど今まであまりできていなかったことが今回きちんとできていて、骨太な一方でジャンプらしいズッコケ感も多分にあって、全員アラサーなのにぷぅを全面に押し出すのとかどうかと思うけど、コンサートの邪魔をしていないどころか花を添えていて、いつまでもフレッシュかわいいジャンプすごいし、あの茶番に参加してくれる光一くんもすごいし本当にありがたかったし、ホーン〇ッドマンションみたいなセットも素晴らしかったし、その雰囲気を壊さないために開演前のビジョンに何も映していないのも良かったし(これは光一くんのこだわりらしい)、あの超超超超かっこいいムービングステージにのってグルグル回りながら「ミラクルワンダーマジック」歌って登場するジャンプ最高だったし(めちゃくちゃ死角多くて正直言ってあんまり見えなかったけど、巨大なセットの中で宙づりになっているジャンプという図がシュールなのに曲は超絶かっこよくて、なんかすごい興奮した!そのムビステの名前が「JUMPやぐら回転ステージ~You回っちゃいなよ~」という脱力ネームなのもすごく良い)、間に挟まれている和コーナーでフライングする知念様がそれはもうこの世のものとは思えないくらい美しくて、本当にいいもん見たな~~と噛みしめてしまうコンサートでしたし、何よりガラパゴス化していたジャンプという箱庭が外部に染まるのではなく飲み込んでスケールアップしていたのがとても痛快でした(一文くそ長くてすみません)。

ジャンプはもともとデビューが若すぎて、メインバックにつけるようなジュニアが先輩になってしまうという問題もあったと思うので、トラジャに対してお兄ちゃんぶってるジャンプが見られたのも感慨深かったです。山田くんと絡めて幸せそうなしーくんやげんげんを見られたのもよかったし、絡まれて嬉しそうな山田くんもよかったし、知念様と松松(両端にいると門松みたいで縁起が良い)を一緒に見られてありがたかったし、何よりジャンプは変わらないまま素晴らしい進化を遂げてくれて、「君はそのままが一番」というジャンプの原点ともいえる「Hey!Say!」の歌詞をかみしめた令和の年末だったのでした。

「ジャニヲタだから結婚できない」は正しいのか?

知念様の愚民として再び生きていくことを決めた訳ですが、その前に御報告があります。


去年、結婚いたしました。
全くおたくではない普通の人と結婚して、結婚式もジャニヲタ要素は一切ないありきたりなものを挙げました。私の結婚にはジャニヲタとしてネタになるような面白いことは何もありません。私だって可能ならウルトラミュージックパワーで入場して、リアルデラックスでケーキ入刀して、ラブスパイラルで終わるような結婚式をやりたかったですよ!でも、できませんでした。

別に「私はこうしたから結婚できた」とか偉そうに語りたい訳ではないです。妙齢のジャニヲタなら一度は「ジャニーズが好きだから結婚できない」という意味合いのことを周囲の人に言われたことがあると思います。
私も母に「あんた、ジャニーズ見てる暇があれば婚活しなさい」と1回どころかかるーく1000回は言われて、「コン活(コンサート活動)ならしてるもーん」と答えては呆れられ、「ジャニーズなんて好きだから結婚できないのよ」と嘆かれていました。
この、「ジャニヲタだから結婚できない」という言葉が正しいのかについて、ここ数年ずっと考えていました。


ジャニヲタだから結婚できない。
これは正しくもあり間違ってもいると思います。


たぶん非ヲタの人がジャニヲタに「ユーはジャニヲタだから結婚できないんだよ」と言うとき、その裏側に「ジャニーズが好きなんて理想が高いから結婚できないんだよ」という意味合いが込められていると思うんですが、「ジャニーズの◯◯くんみたいな人と結婚したい~~」なんて脳内お花畑な人は10代20代ならまだしも、大人のジャニヲタにはほとんどいません。大体のジャニヲタは年を重ねるにつれ、対象を「尊い……」と崇拝するようになったり、「なんでこんなに可愛いのかよ~」と孫のようにひたすら愛でるようになったり、もはや見すぎてプロデューサー目線になったりと、あまり自分と同じ次元軸の存在だと思わなくなっていくような気がします。

それと、「ジャニヲタ=見た目がやばい」と思って、その発言をしている人もいるかもしれませんが、私はジャニヲタは外に出ないといけない種類のおたくなので、むしろ見た目には気を遣ってる人の方が多いと思います。コンサートに向けて服を買ったり、美容院に行ったりする人もたくさんいるでしょう。男性のドルヲタにヤバめの方が多い(それでも昔ほどひどい人は少ないと思う)ので、そのイメージがジャニヲタにもついているのかもしれません。
そういうステレオタイプ的な意味での「ジャニヲタだから結婚できない」という言葉は正しくないと思います。


でも、ジャニヲタだから結婚できないというのは正しいとも思うのです。


なぜなら、ジャニヲタは結婚するにはあまりに忙しすぎるし、楽しすぎる。


これに尽きます。


だって、土日はコンサートや舞台があるし、ない時は録画した番組や毎月発売される雑誌を消化しないといけないし、写真が発売されたらジャニショに行かないといけないし、ツイートしたりブログ書いたりするのにも忙しい。そんな合間におたくとご飯を食べておたく談義をする時間も大事です。
もう、この生活にジャニーズ以外の男が入り込む時間も気力も金もないんです。しかも、どれもものすごく楽しい。なんで、この時間を犠牲にしてまで男と付き合って結婚しないといけないのか?


じゃあお前はなんで結婚したんだ?という話なのですが、このブログにもある通り、私は数年前に気胸で2回入院しました。そこで強制的に仕事とヲタ活動を休むことになり、自分の年齢と貯金額に向き合わざるを得なくなりました。
ちょうどその頃、あれほど春夏秋冬咲き誇っていたJUMPの現場の数も減ってきていました。
2度目の気胸になった夏、知念様は私が愚民になるきっかけとなった「おおきくな~れ☆ボク!!」を改めてコンサートで歌い、その落ち着いた姿を見て「あの頃の知念様はもういない。知念様はすっかり大人になってしまわれたんだ」と思ってしまいました。更に翌年の「僕とけいと」が素晴らしすぎてKCに対する積年の思いもすっかり昇華され、「もう知念様も大人になったし、とても幸せそうだし、今までみたいに必死でコンサートに行く必要もないかもしれない。それより貯金しよ。できたら結婚しよ」という極めてまともな大人の思考回路になってしまったのです。私はもはや愚民ではなく平民でした。


たぶん知念様が今15歳だったら、私は結婚していないと思います。なんなら、あと1年早く「159」を歌っていたら、「適齢期犠牲にしたおかげで萌えを独り占め~」なんて替え歌を歌ってジャニヲタ独身生活を謳歌していた気すらします。


結局、私が結婚できた最大の理由はジャニヲタとして暇になってしまったからです。
暇だから一回くらい結婚に向けて全力でがんばってみようと思い、ご縁もあってなんとかこぎつけました。
ジャニヲタに限らずですが、おたくが対象につぎこんでるエネルギーを婚活につぎこんだら、すぐに結婚できると思うんですよね。もちろん、運や縁もあるとは思うんですけど。


結婚して良かったのかどうかはまだよく分かりません。カウコンや紅白のリピもできてないですし、一人になりたいと度々思ってしまいます。ただ、両親はじめ周囲の人に「なんで結婚しないの?」と言われなくなったのはすごく楽です。


そんな結婚するほど暇だったジャニヲタ閑散期にも何かにはハマりたくて、アニメを見たり、漫画を読んだり、他の現場にゆるーく行ったりもしていたのですが、結局私は知念様の代わりを求めていただけで、知念様の穴を埋められるのは知念様だけだったという当然の真理に平成最後の12月に辿り着きました。結婚式が終わったところで真理を教えて下さる知念様は慈悲深いですね。知念様のおかげで結婚できたようなものです。知念様、ありがとうございました。

おおきくなって159

12月28日、JUMPの東京ドームのコンサートに行ってきました。今年はほとんどおたく活動ができておらず、アリーナツアーのレポも一切読んでいませんでしたが、年末の東京ドームのチケットは取れたので、アルバムを慌てて購入し、道すがらの電車の中でざっくり聴くことにしました。最近の私は、正直言ってジャニヲタとも知念様の愚民とも言えない生活を送っていました。そして、そんな生活に若干の寂しさをおぼえつつも特に不満もありませんでした。

 

とりあえず知念様のソロを聞いてみようと思い、聴き始めた時に凄まじい衝撃を受けました。慌ててスマホで歌詞を検索し、歌詞を見ながら何度も聴きました。そして、友人と合流し、「私は今日、知念様を好きになってしまうかもしれない」と宣言し、「ふーん、何回目?」と冷たく流されました。

 

実際にドームでパフォーマンスを見て、度肝を抜かれました。ダンスがかっこいいのはもちろんですが、あのJUMPもありがたがる伝説の最強シンメやぶひかをブルゾンちえみのごとく従えて、いや従えるどころか椅子にして、東京ドームという広い舞台で堂々と歌い踊っていたのです。

 

私は2009年3月のセブンコンで「おおきくな~れ☆ボク!!」を見て、知念様の愚民になりました。その時、「絶対的覇王への道」というエントリを書きました。

 

ariyoshi.hatenablog.com

 

当時15歳の知念様は「ゲームじゃなくて 洋服でもなく やっぱり身長が欲しいんだ」と歌っていましたが、25歳になった知念様はこう歌います。

「可愛がられる僕 身長が欲しかったあの頃とはもう In the now 違うのにさ」

『159』の作詞は知念様ではありませんが、あきらかに15歳の知念様が作詞をした『おおきくな~れ☆ボク!!』を意識した歌詞になっており、もはやアンサーソングと言っても過言ではありません。

 

『159』は背が低くて可愛がられることを逆手にとって、気高く服やごはんをタカり、みんなチョロイとほくそ笑んでる歌詞で、知念様が実際にそんな風に思っているとは思いません。

ただ、『おおきくな~れ☆ボク!!』を初めて聴いたときに感じた知念様の圧倒的な覇王感が『159』には色濃く満ちており、あの無邪気だった覇王がしなやかにしたたかに美しく成長し、自覚的な覇王になったことに驚愕と感動を覚え打ち震えました。知念様の小さいという個性を、知念様の歴史を尊重しながら最高のエンターテインメントに仕上げたこの曲は、現時点での知念様の最高到達点だと思います。

 

『おおきくな~れ☆ボク!!』に「おおきくなっただけじゃ人としてちゃんと生きていけないよ そんな気がするから」という歌詞がありましたが、『159』の中では「アレコレ足りなくたって問題はそこじゃない」と言っていて、小さい時になんとなく分かっていた真理を、25歳の知念様が明確に理解しているのもかっこいいです。

『おおきくな~れ☆ボク!!』では「誰もつかめないほど高いもの 僕はつかんでみせるね」とかわいらしく歌い上げていましたが、今の知念様は「ほらデッドライン超えてくような野望抱いていこうか」と不敵に歌います。もう確実に誰もつかめないほど高いものを既につかんでいます。

 

薮くんのソロで踊る知念様もとても可憐で華麗で、どこか儚げで美しかったです。ジャニワの『Where my heart belongs』を思い出させる素晴らしさでした。

久しぶりに見る『ガンバレッツゴー』の知念様の「グッときた」には相変わらずグッときました。

でも、圧倒的な覇王っぷりを突き付けてくる『159』が私は好きです。

 

今年は知念様を一度も見ていなかったにも関わらず、特に不満もなかったので、私は知念様がいなくても生きていけるんだと思っていました。大人になってしまった知念様に昔のように心動かされることはもうないんだろうな(知念様は悪くない。私がショタコンなのが悪い)とも思っていました。

でも、そんなぬるい一般人を装っていた愚民の横っ面を再び覇王として降臨した知念様がひっぱたいてくれました。その衝撃を受けて、「ああ私は生きてるな」と思いました。

知念様を見なくても死ぬことはありません。でも、生きているとも言えません。私は知念様の圧倒的な覇王としての輝きによってできる自分の影を見て、自分自身の存在と生を実感できていたことを忘れていました。

 

 

先に挙げた「絶対的覇王への道」の中で、私はこう綴っていました。 

「かわいさ」という武器を手放すことなく、野望を歌い上げる知念くん。かつて錦戸亮が無意識の内に使いこなしていた武器を、知念くんは意識的に使いこなしているように見えます。

その武器を彼はどこまで使い続けるのか。

彼の覇王の道がどこまで続いていくのか。

 

かつて私に衝撃を与えた覇王の道は10年間経った今も伸び続けていて、ここに来て再び私を打ちのめしています。当時の私の判断は間違っていなかった。

 

159の知念様があまりにかっこよかったので、はてなダイアリーと共になんとなく消えていくと思っていた愚民としての私は息を吹き返してしまいました。なので、過去の日記も含めてはてなブログに移しました。

 

今日から改めて知念様の愚民として一から頑張っていきたいと思います。

大阪ロマネスクの魔法

関ジャムの7人でのラストライブを見ました。そこで大阪ロマネスクを10年ぶりくらいにきちんと聴きました。

ロマネを初めて聴いたのは2004年の松竹座でのクリパでした。当時、エイトは関西に行かなければ会えないアイドルでした。「ほんじゃに!」は関東ローカルで何ヵ月も遅れて放送されていて、コンサートの開催は大阪松竹座のみ。私は時間と元気だけは有り余っている大学生だったので、夜行バスや青春18切符を使って、エイトに出会える大阪にせっせと通っていました。あの頃、関西以外のファンにとって大阪はまさにCool magic cityで、そこに行くとワクワクする一方で、関西人でないことに対してどうしようもない寂しさと疎外感を抱かずにいられませんでした。松竹座のトイレで標準語で話していると、地元の松竹姐さんにどこから来たのか聞かれるくらい、松竹座はアウェーな空間でもあったのです。
そんな中で歌われたのが「大阪ロマネスク」でした。恋をするため心斎橋に来るなんてフレーズは、関西の人からすれば「ナンパしにきてるだけだろ(笑)」と思われるんでしょうし、雅でもなんでもないんでしょうが、文字通りエイトに会うためだけに大阪に来ていた私の心にはものすごくしっくりと寄り添ってくれました。「この街の言葉 乱暴と言ったね」という歌詞も本当にその通りで、関西弁は憧れると同時に少し怖い言葉でもあって、その意見を肯定も否定もせずに「でも僕は変えないよ 好きやと言うから」と柔らかく包み込んでくれるロマネが、本当に大好きでした。この歌を聞いている時は大阪も関東も関係なく、魔法にかかったような、本当に時間が止まっていくような不思議な感覚にいつも陥っていました。


私はエイターになれなかったエイトファンでした。


すばるさんがエイターという言葉を使い始めたのは内くんがいなくなってからでした。内くんがいた頃のエイトは心地よいヒエラルキーのあるグループで、頂点に三馬鹿がいて、一番下に楽器隊の3人がいて、その間に亮ちゃんがいて、内くんがそのすべての階層をふわふわ動いて、全体が緩やかに繋がっているイメージが私の中でありました。
内くんがいなくなってから、そのヒエラルキーはなくなり、ファンにもすばるさんからエイターという名前が与えられて、エイトはファンまで含めて横並びに繋がるようになりました。そのあたりで私はエイトファンとは言えなくなってしまいました。内くんがいなくなったことと、エイターという言葉が生まれたことは関係ないのかもしれません。ただ、エイトはそういう風に形を変えることによって7人でエイトというグループを守ったんだと私は思っています。

ある時、ロマネに魔法を感じなくなって、そのあたりからエイトを離れてしまいました。当時の私には内くんがいないまま変わっていく(ように私には見えた)エイトを受け入れることができませんでした。


だけど、久しぶりにロマネを聞いて、中心にいるすばるさんが光を背に静かに歌い始める姿を見て、彼らは何も変わってなくて、ただ当時の私が若すぎて少しずつ売れるようになっていった彼らを受け入れられなかっただけなのかもしれないと思いました。確かに彼らが失ったものはあったかもしれないけど、それ以上に得たものがものすごくたくさんあって、あの小さな松竹座でロマネを歌っていた日から積み上げてきたものが、関ジャムのロマネには詰まっていて、こんな立派な舞台でロマネを歌うすばるさんが誇らしかった。

私がエイトファンだった時間は今思えば短かったのですが、初めて遠征もして、初めてうちわも作って、エイトの周りで起こる色んなことに対してすぐに笑ったり泣いたり怒ったりしていて、その濃密な時間は一つの青春だった気がします。


ロマネには魔法がありました。その魔法は今でも褪せることなく、時間を止めるどころか遡らせ、あの頃の気持ちをまざまざ思い出させてくれます。
最後にロマネを選んでくれてありがとう。エイトは何人になってもエイトだ。